>>40 すみません。剣術修行ではなく、剣術指南の旅の方でした。
あと5ページほどで読み終わります。
司馬作品の主流とは毛色が異なりますが、ペルシャの幻術師や兜率天の巡礼の系統の作品が
好きな俺には興味深い作品でした。登場人物が幻戯にかかってしまう場面は、日常生活でも頻繁
にある「心が囚われる」ことをオーバーに表現したものとして読めば面白いです。
ただ、応仁の乱の主要人物を網羅しながら、彼らが唐天子という幻術使いに翻弄され、物語の進行
が半分以上唐天子の思惑通りに進行するところは、人によっては耐えられないかもしれません。
私は、戦国大名による領国支配が確立する前の中世の武士の争いにドラマチックなものを感じない
ので(ちんけな相続争いばかり)、地位と財産に心を囚われた人物たちが幻戯にかかったと同然と
構成するこの小説に抵抗はありませんでした。
この小説の問題点をあげるとすれば、唐天子が日野富子に常に敵対する側に立つ理由が不明な点
かもしれません。南総里見八犬伝のタマズサのような立場なら理解しやすかった。また、熊野源四郎
が日野富子に惚れた理由もよくわかりません。作品の中では、源四郎の都への憧れの象徴のように
言われていましたが、それでもよくわかりません。