北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十四章

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648無名草子さん
ドウカン・ファイトの位置づけが中途半端だった。
方臘戦+燕京戦の兵力を上回る兵力の童貫軍が梁山泊と闘うのなら、
この闘いを最終決戦と位置づけ、物語は童貫を討ち取ったところで終了すべきだった。
童貫軍滅亡後の南宋の歴史を引き続きやるのだったら、方臘戦+燕京戦によって童貫軍は
兵力を大きく損ない、梁山泊軍よりも少ない兵力で善戦し有終の美を飾らせるべきだった。
そもそも宋禁軍の兵力を減殺することが、北と南に兵力を分散させる楊令の戦略だったのだから。
(もっとも、当時は「楊令と呉用の戦略」と書かれていた。本心は楊令ひとりの戦略にしたかったのだろうが、
水滸伝ファンの反撥を恐れたのであろうか?)
実際楊令伝で書かれたところは、そのどちらでもなかった。童貫軍は梁山泊の2倍以上の兵力で
負けた。面白くなるはずがない。しかも、物語は童貫軍滅亡後も続く。この先、面白くなるわけがない。