【70年代は】盗作屋・唐沢俊一73【4ヵ月で終了】

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242無名草子さん
裏亭さんの日記

>私は人間の弱さを愛したい    2009年04月28日02:56
>
>酒鬼薔薇事件が起ったとき、某大手新聞社(朝日)の発行する雑誌からコメントを求められた。
>私はそのとき、
>「自分を含め、全ての人間が酒鬼薔薇事件を起す可能性があったのだ」
>と書いて、ボツを食らった。
>そのときの“副”編集長の言はいまだに覚えているが、
>「そのような文章を掲載しては、読者が不安を覚える」
>というものだった。
>「不安を覚えようと何だろうと、私たちの心に、闇の部分があるということをいま、
>このような事件が起こったことを機会に言っておかないと、後々禍根を残すのではありませんか」
>と私は電話口で言ったが、向うは”酒鬼薔薇はわれわれ一般社会人とは
>全く異ったモンスターなのだ、という見解を広め、家庭人たちの
>「怖い人たちが世の中にはいるものねえ。私たちはそうでなくてよかったわ」
>という、線引きをして“彼らは異物なのだ”と認識し、自分はどんなことが
>あろうと決して酒鬼薔薇のような犯罪を犯すことのない、“正常な”人間ナノダ、
>と決めつけて心の安寧を得る、といった構成を望んでいたようで、
>その姿勢に、違和感を感じざるを得なかった。
>
>人間の心は弱い。景山民夫という、おそらく戦後の放送作家中、一二を
>争う才能の持ち主(しかも放送禁止芸的なブラックなギャグの分野での
>才能の持ち主)が、自分の娘の障害といった理由で、およそ理性とは
>ほど遠い新興宗教にハマり、その教祖のプライバシーを暴露した某大手
>出版社(講談社)に糾弾デモを行うという、理性と真逆の行動に出る。
>
243無名草子さん:2009/04/28(火) 21:17:31
>私は景山氏の行動を嗤う。糾弾する。しかし、理解は出来る。
>最愛の娘の病気を何とかしてやりたい、と必死で想い、そしてそのことに
>対する自分のあまりの無力さを想い、悩み、苦しんだとき、彼が
>新興宗教の教祖に頼った決断を、誰が責められるだろうか?
>私は自分が絶対に、新興宗教(幸福の科学)には入らないだろうと、
>自信を持って言える。しかし、それは今の私に、障害者の娘が
>いないから、という理由に過ぎない。もし、自分の娘が景山氏の娘さんの
>ように、18歳になるまで眼を覚まさないという運命の元に生れていたならば?
>想像力のある者であれば、自分のその時点での“弱さ”を否定は出来ない筈だ。
>
>三島由紀夫は『美しい星』で、現実社会の中で受け入れられず、自分の
>プライド(自我)をズタズタに傷つけられたインテリ一家が、空飛ぶ円盤
>を信じることでそのプライドをギリギリの線で守るという“愚挙”に走った
>ことの悲喜劇を、冷徹な視線で描いた。しかし、その容赦ない戯画化の
>末に、三島はその小説のラストで、その一家を岡の向うで待つ“円盤”に
>出会わせる、という救いを与えている。
>三島には、円盤というエマージェンシーに頼らなければ、己れの
>アイデンティティが崩壊してしまう人間たちへの、底の底のところでの
>理解と愛情があったのだ、と思う。
244無名草子さん:2009/04/28(火) 21:18:28
>
>人間を愛するということは、畢竟、その弱さを愛することだ。
>私はそう思う。
>唐沢なをきの『漫画極道』が、自分と同じ病を持った同業界の“弱者”たちへの嘲笑の名を借りた、
>限りない慈愛の眼で成立されていることを理解してほしい。
>私もなをきも、酒の席ではそのような人物たちへの罵倒をしょっちゅう、
>サカナにする。しかし、その底には、なをきが繰り返し言う、
>「自分がひとつ間違えば、間違いなく同じ人間になっていた」
>ことへの畏怖が、常にあるのである。畏れるからこそ、嗤うのである。
>
>ネットニュースで話題になった愚者たち(草g剛もその類である)に、
>コメント欄で、まま、凄まじい糾弾意見を眼にする。
>それらの意見には一理も二理もあるだろう。
>そういう意見の持ち主の心の強さ、自分自身への(自分はどのような
>事態になろうとも、そのような愚は犯さないという)自信には、心からの憧憬を抱く。
>私には、そのような自分への信頼を持つことはとうてい出来ない。
>明日にも酒に酔った挙げ句、公園で全裸になる可能性を、完全否定は出来ない。
>たぶん、全犯罪者の八割以上が、犯罪を自分が犯す一瞬前まで、
>自分がそのようなことをしでかすとは思いも寄らなかったであろうように。
>
>と学会でトンデモ本を取り上げるたびに、私は
>「この著者がこのような本を書いてくれたおかげで、自分がこんな本を書かずにすんだ」
>という感謝の念を込めて書いているつもり、なのである。
>
>そういう弱さを持った人たちがあふれているが故に、この世の中は
>面白さに満ちあふれている。
>そう信じているんである。