>「梁山泊軍は、宋軍に勝てません」
>「やってみなければ、わかるまい、それは」
>「やってみて、負けたのですよ、梁山泊軍は。違いますか?」(第2巻19頁/楊令)
梁山泊軍は、この時点では1万にも満たない少数なので、宋軍に勝てるわけはない。この時点では、
楊令の言っていることは正しい。しかし、その後、兵力を増強した梁山泊軍が宋軍に勝利した理由が、
まったく分からない。
まず、楊令が梁山泊に戻ったとたんに、新兵が増えた。女真人・契丹人を震え上がらせた幻王の下に
新兵が続々を駆けつけるのが不思議。梁山泊の志に共鳴して新兵が集まったのなら理解できるが、
かつては精鋭になる見込みのある者が集まり、現在は食いつめ者ばかり集まるのが不思議。
方臘戦は童貫軍を損耗させるための作戦だったのに、戦後、童貫軍はさらに兵数を増やしていた不思議。
梁山泊軍には郭盛軍のような新兵ばかりで組織された部隊もあった。童貫軍は、金軍出兵によって
李明軍を他の戦線に送ったが、それでも、最終決戦まで常に梁山泊軍を上回る兵力だった不思議。
韓成軍の存在は童貫軍の将兵に動揺を与えたが、使われたのは対童貫には1度だけ。
どうして梁山泊軍が勝ったのだろう?民は梁山泊軍を応援していたわけでもない。宋軍の兵糧にも支障はない。