北方水滸伝・楊令伝を語ろう 第三十七章

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332無名草子さん
>>324
表と裏の関係に関して言うと、裏の人間である青蓮寺・致死軍の存在する必然性が感じられなくなってきたな。
表の人間が軽く見えてしまうような底光りする存在感が、裏の人間に感じられなくなった。
鉛の塊のような、冷たく鈍い重量感というか、かつて袁明、洪清、黄文炳が発していた暗さ・孤独感がない。
黄文炳が青蓮寺から与えられた女にフェラチオさせている場面と、聞煥章が扈三娘に対してやったことを
比較すると、黄文炳の方が人間を物体として扱っている。この無機質さが悪役にとっては重要だ。
孫二娘、武松が第1巻で黄文炳の代わりをやっていたが、敵方にやらせなきゃ話にならん。
幻王は迷いつつ悪役をやっていてようだが、事後に無理な正当化をしたために、台無しになった。
もう少し楊令の迷いを引きずらせ、王進との再会で、迷いから覚める展開なら面白かったが、
再会の場面では、王進が楊令を対等な人間として扱っていた。王進の登場する意義はなかったな。
話を悪役に戻すが、水滸伝後半の呂牛のお笑い芸人化が、悪役がつまらなくなった原因だと思う。
黄文炳や講和のところで少しだけ登場した高Qの二人の部下のようなのがいなきゃだめだ。