>>285 時代小説なんで、一読しただけで現代の匂いがプンプンする叙述はどうかと思うね。
12世紀の中国人に会った人はいない。誰も見たことのない昔を楽しむつもりで時代小説を
読む人もいる。書いている現代の作家は、会ったこともない昔の人を書いているのだ
という自覚をもって、自分は後ろに退くべきだと思うね。
作品を全部読み終わった後で、この小説は時代小説の形式をとってはいるが、現代の
あの事件をモチーフに書かれていたんだな、と気づくぐらいが丁度いいと思う。
現代を舞台にすると描けないこともあるから、時代小説という形式を選ぶ作家もいる。
たとえば、5m上空にジャンプできる現代人を書くと、荒唐無稽で読めたものではない。
しかし、戦国時代の忍者ならば、5mジャンプしても違和感はない。
だからといって時代小説という形式から、作家の裁量が無制限に認められるものではない。
作中に名前だけ登場する大坂城代や京都所司代の人名に誤りがあっても、あまり気に
ならない。しかし、将軍や老中が正確でないと違和感がある。
楊令伝でいうと、帝と宰相に関しては正確であってもらいたいと思う。李富の子を高宗の次の
帝に予定するなどは、フィクションであることで面白さが増した部分だと思う。
フィクションにすることで特に面白くなるわけでも、つまらなくなるわけでもないところは、
正確に叙述するのが原則だと思う。