【肥える自由を】佐藤優を語る【行使します】Part4
佐藤が「潮」に寄港した創価学会への宗教弾圧(笑)批判論文も、約束したことだからうpしておく
昨年、民主党の菅直人、石井一らが、公明党の選挙活動に利用される創価学会の
宗教施設を調査を考えていると発表した。
これに対して佐藤が「潮」08年11月号に「信教の自由を侵害する政治家の「不見識」」という
論文を寄稿。タイトルからして宗教の自由やプライバシーに関して民主党を糾弾しまくるのかと
思いきや、そういう話題は全体の3分の1程度。大半は創価学会礼賛記述で埋められた。
日本の近代宗教史において、創価学会は非常に大きな存在意義を持っている。創価学会以前の
日本の宗教と創価学会を画している点は、創価学会以前の大多数の宗教団体が信徒を社会的に
「受動的な存在」に留めておこうとした一方で、創価学会は信徒に「能動的な姿勢」を求めた点である。
具体的に言えば、創価学会以前の大多数の宗教団体は、お布施を出していればそれで良かった。
だが、創価学会は信徒に信仰活動への参加を要求した。現代的に洗練された信仰活動に信徒を
参加させることで、信徒自身の力を引き出そうとしたのである。これによって、創価学会は「現代に
生きている宗教」として成功したのである。
(略)
草の根運動を展開し、庶民といわれる構造的弱者とのあいだに根を張り、この人々を助け、組織化
していった。さらに、彼らの二世。三世の中からはエリートが誕生し、社会のあらゆる階層に進出していった。
二世・三世たちはエリートになっても自分のステータスを利用して金儲けに走ったり、地位に固執
したりせず、再分配によって庶民に還元しようと尽力している。それが彼らの信念であり、逆に
その信念がなければ、創価学会の中にいられなくなるからだ。(「潮」08年11月号 P116)
「潮」08年11月号 佐藤の創価礼賛論文続き
新自由主義が蔓延する現在にあって、以上のような「再分配」の観点から見ても、公明党は
新自由主義政策の行きすぎに対するブレーキ役を果たしてきたと思う。また、イラク戦争や
アフガニスタンの問題でも同様の役割を果たしてきたと思う。自民単独であれば、もっと違うシナリオに
なっていたと思う。
(略)
スイスの神学者カール・バルトは「成功した革命はない」と述べた。革命は実現した瞬間に、
何かを守らなければならなくなる。つまり、その瞬間に保守になってしまうのだ。この矛盾に、
今、公明党は悩まされている時なのではないか。だが、こうした難問も乗り越えていくのでは
ないかと私は見ている。創価学会が「人間革命」を提唱し、たえざる変革を目指しているからだ。
(「潮」08年11月号 P116-117)
この種の礼賛が既出の08年7月号と同じく延々続くので引用は略したが、佐藤は公明党が
主張する「定額減税」も「非常に意味のある政策」として称賛し、公明党の主張を無批判に
垂れ流している。
民主党の創価施設調査については、せいぜいプライバシーの問題等に集中して
無難に書いておけばいいものを、頓珍漢なことを言って墓穴を掘っている。
現在の創価学会に対する誹謗・中傷を見ていると、宗教者として非常に恐ろしいと思う。
キリスト教は今、日本ではそれほどの力がないから迫害されないが、「明日は我が身」だと
感じる。心ある宗教者も、同じように感じているのではないだろうか。
(「潮」08年11月号 P115-116)
「潮」08年11月号 佐藤の創価礼賛論文さらに続き
佐藤は民主党議員の告訴を考えたことがあるという。その理由とは―
七年前に獄中にいる時に、私はある民主党の議員を訴えようと思ったことがある。私の
宗教的心情を侮辱したからだ。週刊誌などで、佐藤優は「外務省のラスプーチン」などと
報道されたのだが、民主党の議員はこれを国会で取り上げ、「佐藤優は同志社大学神学部を
卒業したのだから、『怪僧』ではなく『怪牧師』だ」などと発言したのである。私はその実況
中継をテレビで見ていた。私は自分の信仰を侮辱されたと感じた。腹の底から熱いものが
こみあげてきた。(「潮」08年11月号 P115)
どう見ても、創価の選挙活動にメスを入れようとした民主党を叩くための後付けの口実なので、
おまえがそんなことで侮辱を感じるタマかという突っ込みはしないにしても、こんな程度の
ことしか思い付かなかったんだろうか。
ちなみに、論文では名前が伏せられているが、この佐藤が叩いている議員は中沢健次で
実際の発言は「怪僧というよりも怪牧師なんでしょうね」(平成14年2月22日衆議院予算委員会)。