1 :
無名草子さん:
のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう
前スレはdat落ち
7 :
加茂の水:2009/01/12(月) 15:55:53
幕末史の重箱の隅をつついたような話だけど、主人公の変人ぶりは痛快だな。
>>6 名前がどう見てもギャルケあエロゲの美少女゙ヒロインなのにじいさんだしな
幕末ぎりぎりの倒幕の策源地であった岩倉の借家の間取りが、6畳、4畳半、3畳だったことに
驚いた。ドラマで出てくる岩倉の寓居、広すぎ。
>>12 自分も高校の修学旅行で桂の実家の小ささを見て驚いたな
唖然としたのは、松下村塾。あれじゃ生徒が5人も入れば、いっぱいになるよ。
武士の家って狭かったんだなぁ。
昔の家でも、百姓はだだっ広かったり。
>>15 それは農家の場合米作りとかには人手や倉庫がいるからだよ
土方歳三の実家が好例
明日から、街道を行くを読みます。
大半の武士=下級公務員
一部の農民(豪農)=社長
このスレよく落ちるなw
どっちかっつーと空海より最澄が好き。
今年はどの作品を買って読もうかな?
彰義隊
>>21 鶴喜そばと日吉そばの間には家が建っているな。
司馬一行が勘違いしたという鶴喜そばの駐車場というのは、
日吉そばの道路を隔てた向かいにある駐車場だろうか?
その駐車場から見て、国道316号を隔てた向かいに生源寺があるね。
>>24 16台の車が駐められるようだ。いまは1台しか駐まってない。
>>25 現在の「作道」(つくりみち)を示すために出てきた理性院も、そば屋の並びにあるね。
「尻啖え孫市」講談社文庫旧版を読み直してて気になった。金ヶ崎撤退のあと、
国吉城内での孫市のセリフ。
「〜。しかしながら鉄砲だけでは戦さのうまみがないねえ、槍の上手を〜」(P167,12〜13行目)
これ「ゆ」と「ね」の誤植かな。「ないねえ」でも意味が通らんこともないけ
ど、司馬氏の描く孫市のセリフとしては、「ないゆえ」の方がしっくりする。
新装版ではどうなってんだろ。
>>28 新装版だと210ページ6〜7行目で、「ないゆえ」になってます
30 :
28:2009/01/18(日) 22:25:20
>29
即レス、サンキュです。やっぱり誤植か。
「不良品をつかまされた」って、講談社に「ツッコミのお手紙」を出したら、
記念品くらい貰えんかな〜。
タカリ屋死ね
ホントだ!オレの旧版だから、「〜ねえ」になってらあ。早速、に書直した。
しかし、誤植、よく気が付いたなあ… こんなの全く見逃していたよ…
33 :
28:2009/01/18(日) 22:46:38
>31
この程度のコトで死ぬつもりは無い。カルシウム摂れよ。
しかし、第1刷が1974年5月発行で、いま手許にある旧版が2007年9月発行の
第77刷(これはこれでスゴいが)だから、その間ず〜っと「ねえ」だったん
だな。
全然煽りとかじゃないけど、
そんなに誤植って珍しい?w
初版なんかだと、珍しくない。
誤植どころか、広辞苑の初版では「谷間」の説明が「谷と谷の間」になってたとか。真偽のホドは知らんが。
>>30 >29だけど、講談社ってこういう誤植よくあるみたいですな
「尻啖え孫市」新装版を買って読む気にさせた「センゴク天正記」でも
豊臣秀長を秀吉の「異父弟」なのに「異母弟」のまま単行本になっていた
余談だが、むかし「平凡」だか「明星」だか(昔、そういう雑誌があった)の付録
のソングブックにあった誤植。
アニメソング「野球狂の詩」の歌詞で「素振り千回、腕が折れても〜」というフレ
ーズがあるんだけど、「素振り4回、腕が折れても〜」になっていた。
これは、見てすぐに「原稿の千の字がザツで4に見えた」という事情が想像できる
んだけど、「腕、弱すぎだぞ」という想像もはたらいて、結構笑った。
以上、スレチ御免。
38 :
無名草子さん:2009/01/19(月) 18:22:26
ヤンソン(young song)ですね
俺は「ガッツ」を買っていた。
>>33 俺が持ってんのは1998年2月の54刷なんだけど、ちゃんと「ゆえ」になってるぞ
すまん
見直したらちがってた
なるほどテキストはいくつもないといけないわけだ
>>40 >29である自分が持っている新装版は08年7月の第3刷(上巻)と8月の初版(下巻)
オレの旧版は、1997年9月3日発行53刷で、「〜ねえ」だ!
そうすっと、54刷から直されているんだな。
>40 = >41 で、第54刷以降も「ねえ」になってるんじゃないの?多分。
「宿」(やどり)について語られている部分が好きだ。
こういう純粋な日本語が消滅してゆくのを見ているのは寂しい。
そもそも「漢字の訓読み」という概念は、なくすべきではないか?
日本語に漢字を当てただけのことで、本来の漢字にはない読みだろう?
それと結婚のメッセージを英語で語るタレント氏ね。
「本来の」ってなコトを言い出したら、文字の起源にまでさかのぼって、さらには
文字以前に戻れってなハナシになりかねんな。
バカタレの英語メッセージ云々なんぞは、放っておけばいいハナシだ。
「誤植が珍しいか…」ってシラケてたヤツがいたが、
この誤植は、「珍誤植」のタグイに、はいるな!
孫市が、「ねえ」なんて、急に甘ったれた言葉づかいするわけがねえ…から。
司馬さんが一番最期に書いた文章はどれなんでしょう?
どなたかわかれば教えてください。
>>49 多分「街道をゆく」じゃないかな?
奥さんの本とかによれば書斎で原稿書いてる時に血吐いたらしいから
記憶が確かではないがノモンハン事件と聞いたことがあるな。もっとも出版はされていないようだが
>>50 街道を行く「濃尾参州記」
司馬さんは推敲を繰り返す人だが、最終稿は、推敲前のものじゃなかったか?
>>51 ノモンハンは、もっと早い時期から資料を渉猟し、書こうと思えば書けないことは
なかったが、作品化されなかったものだよ。
作品でも歴史でもなく司馬その人を語る
信者キモスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>20 あたりからチラホラ、おまけ臭がにおってる気がするな。気のせいか?
司馬は詐欺師
>>56 作品でも歴史でもなく、司馬その人を語るなよ。キモいぞ。
>>53 そうだったのか。適当なこと言ってすまんかった
59 :
53:2009/01/22(木) 18:24:37
俺も適当なこと言ってんだ。すまんかった。
>>52 つまり、信玄の死は秘密にされたとか書かれたのがラストの1枚な訳?
関口夏央の「司馬遼太郎のかたち」に倒れた前後の
描写があったはずだけど、内容忘れちゃった
実家に置いてあるから手元にないし
「この国のかたち(五)」の原稿が最後、原稿の末尾は、「つづく」。
そして、いつものように編集者へ書いた手紙が、生涯最後の文字・・・
・・・と、関口夏央の「司馬遼太郎のかたち」には、書かれているね。
あー、「この国のかたち」が最後なのか。
今後読み直してみよう。
64 :
無名草子さん:2009/01/23(金) 00:45:51
重太郎とかさな子って実在の人物ですか?
はい
66 :
無名草子さん:2009/01/23(金) 00:47:34
別にわかればそれで良い
戦国四部作を関ヶ原(上)から読み始めてしまいました。
国捕り物語から読んだ方がいいでしょうか?
歴史順に読んだほうがいいけれど、それぞれに独立作品
切り口が違うから・・・あとは好みで選択して見られては ?
国盗り物語・新史太閤記・・・転換期を作り出した人物(個人の心情)を描いている
関ヶ原・・・転換期を作り出した時勢を描いている・家康嫌いになるかも
覇王の家・・・転換期を作り出した人物を描いている
城塞・・・転換期の時勢を描いている・家康嫌いになる
上は個人的な感想
別に順番に読まなくていいと思うよ。
面白さが減るということでもないし。
71 :
69:2009/01/23(金) 11:59:38
司馬ファンてえのは世間には大勢おいでになりましてなッ、「オレは生涯、司馬遼太郎だ!」なんてねッ。
そうかと言いますと、片方には「司馬遼太郎なんて、でえキレエだ。司馬作品なんざあ金輪際読まねえ!」
なぁんてぇお方もございましてねッ。人さまざまでございますので放っておけばよろしいんですが、
世の中不景気なものですから、これをからかったりなんかしている人がおりましてなッ。
「おゥ、ごめんよ!このあたりで格安ってえ部屋はねえか?」
「けさがた、急に空けるって部屋が出ましたので、補修無しってことならお安く願っておきますが」
「じゃあ、今から住むよ」
「住むってアナタ、先ず手続きってものがございます。今からご案内いたしますから」
「いいよ!ワンルームマンションてえのは、どこもおんなじでい。部屋は、こう細長くってさ、シャワーやなんかがひと通り
揃ってるってえのが相場だ。早ェえとこやっとくれ!」
「何しろ補修ってものをやっておりませんので、アナタが、これでいいとおっしゃるかどうか・・・」
「じゃあ何かい?入り口に扉も無けりゃ窓に戸もへえってねえで、冬は中でテント張って寝なきゃなんねえってのか?」
「そんな部屋ァ、あるわけございません」
「断わっておくが、オレは、司馬遼太郎ってえのがでえキレエなんだ!
オマイんとこでは、“今どき、司馬遼太郎を読まねえヤツなんか出てけッ!”なんて言わねえだろうな?」
「そんなこたァ申しません。どうぞ、ご勝手になさいまし」
「まさか、1階に本屋がはいっていて、司馬遼太郎フェアなんてやってねえだろうな?」
「あたりには、本屋ってものがまったくございません。お部屋の窓からも本屋の看板ひとつ見えない所でございます。
賃借人の方々も、どういうわけか、みんな司馬遼太郎ギライのお方ばかりでございます」
「いいじゃねえか」
「あっ、ひとつトンデモないことを忘れておりました」
「・・・??」
「いえね、前のかたが急に出られたってのは、毎晩夜中になりますと、その部屋に司馬遼太郎の幽霊が出るっておっしゃってました」
73 :
68:2009/01/23(金) 14:52:12
皆さん、ご意見ありがとうございます。
関ヶ原を読んでから、次を考えて読み進めたいと思います。
いい人で嬉しくなりました。
>>69 城塞は小幡官兵衛がうざいからな。
結局、こいつは間者として、どういう仕事をやったのか、最後までよくわからなかった。
ブサ男のくせに、美女にもてるもの面白くない。
間者って具体的にどうやって何をすればいいのかわからん
夏は可愛い
「関ヶ原」は読んでいて大谷吉継がいい漢(おとこ)だな〜と思っただけでなく
「週刊司馬遼太郎」に出て来たその子孫もまたいい漢(おとこ)だな〜と思った
司馬さんが「国盗り物語」を書いた後で斎藤道三に関してびっくりな事実が
判明しちゃったんだよね。司馬さん、そのことについて何か書いてる?
何か書いてるとしたら「街道をゆく」くらいかな。京都が岐阜あたりのやつ。
「郡上・白川街道」とか「嵯峨散歩」とか。他にもあるかも知れん。
>>79 「街道をゆく」の最終巻で書くつもりでいたけど死んじゃったかもしれない
81 :
無名草子さん:2009/01/24(土) 20:22:48
最近司馬さんの短編集を片端から読んでるんだけど、
そのきっかけになったのが「故郷忘じがたく候」。
衝撃を受けた。
書名にもなってる短編の「故郷忘じがたく候」の舞台が自分の祖父母の田舎に近く
それがきっかけで読み始めた。
で、何が衝撃かって
そこに出てくるある行動を取る「土民」が自分の祖先らしいってのがwwwwwwwwwww
親や親類に質問し、確定に近いんだけど、
親も親類も親しいその土地の人も反応が同じ「wwwwまじでwっうけるwww土民って表現ワロスwww」だったのがワロス
やっぱり土民の子孫だと
この程度なのか
>>82 良い意味で土民かもしれんww
WW2以前から職業身分関係なく能力あれば学問させてもらえたし、
形としての差(区別?)はあっても皆平たく仲良い土地w
ただブラックジョークが妙に通じすぎる点は周りからみたら奇怪かな?w
>>77,78
サンクス。やっぱり何も書いてないのか。
ああいうのって作家的に、というか司馬さん的にどうなんだろうね。
「ええ〜、マジかよ。一緒にお茶まで飲んだのに」とか。
風神の門を読んでる途中
読みやすいからサクサク進むけど
女が出てきて寝て…
っていうのが多くない?
>>84 もしかして親子二代で国を盗ったってやつ?
wikipediaによると「有力な説」らしいけど確定なの?
まぁ俺は司馬遼太郎をひいきするんで、有力だけど違いましたって説にかけるが
新説が出てから書いたならともかく、どっちでもいいんじゃね
>85
多い。それがいいと思うか悪いと思うかについては、個人的には好きだな。エロ自体も
もちろん嫌いではないんだが、それよりもガッコのセンセとかエラそうなヒトが子供に
読ませたがるような作品ではない点がいい。「竜馬〜」とか「坂の上〜」とかも好きな
んだけど、「読んで教訓をタレるヤツ」には閉口する。作品の罪ではないとは思うんだ
が。そういう意味では「国盗り物語」なんかもいいな。
>86
司馬氏自身が自分の小説のことを「うそばなし」と言ったりしてるんだし、司馬氏びい
きだからといって「有力だけど違いました説」に賭ける必要は無いと思うけどな。
いつも思うんだが道三2人いると
親父は徒手空拳から成りあがった凄い奴だけど
2代目道三ってその親父の功積潰しただけのアホじゃないか?
>>89 逆のパターンも考えられる
親父のほうは油問屋の娘と出来ちゃって養子に入っただけで
息子のほうは武士になりたいから親父の縁故頼って美濃に来て一生懸命やったから出世したという具合に
道三の国取り親子二代説はかなり前から定説として広まってるけど、
義経物の五条大橋の決闘と同じで、一介の油売りから戦国大名に成り上がった梟雄道三の方が
話として面白いせいか相変わらず創作の世界じゃ一代が主流っぽい
92 :
無名草子さん:2009/01/25(日) 09:31:05
こいつ ママが怖くて
女房を捨てた外道だろ
93 :
無名草子さん:2009/01/25(日) 12:22:24
むかし、出会い系で会った女が司馬遼太郎にそっくりでビビった。髪は金髪だったが、さすがに手を出す勇気はなかった
94 :
無名草子さん:2009/01/25(日) 15:58:51
信者狂喜乱舞wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>91 濃姫との年齢差を考えれば親子二代のほうが妥当だし
義龍との関係も実子よりも異母弟のほうが納得はいく
だから「定説として広まってる」んじゃないの?まあ、だからってだけじゃなく
具体的な史料が見つかったとかもあるんだろうけど。
>>89 そりゃ何か?信秀は偉大だが、信長はアホだとでも言いたいのか?w
>>85 当時、映画だと007シリーズがヒットしていたからな。まったく違和感なかった。
いま読んでも、司馬作品の主人公が次々に女と寝るところは嫌いじゃない。
ただし、城塞の小幡官兵衛だけは別。たしか、あれ以降、濡れ場は減ったはず。
>>95 Wikiによると道三と濃姫の年齢差は41歳ぐらいなので
道三が62歳ぐらいで亡くなった時の濃姫は21歳ぐらい
ちなみに信長と結婚したのは14歳ぐらいだから
結婚して道三が亡くなるまでの7年間には
確実に出産した証拠がないので「お姫様って、結構不幸」と思ったな
枯れちゃった後の司馬はつまらんよな
読めるのは項羽と劉邦くらいだ
それは読む側のモンダイでしょ。「坂の上が一番」というような意見も、少数派ではない。
気功の本読んでるんだけど足の裏で呼吸(をイメージ)するのが
奥義の一つらしい。これ、竜馬で出てこなかったっけ
「嬶(かかあ)とは、足の裏で話ができる」とかいうのもあったな。あれは「燃えよ剣」だったかな。
坂の上の雲は城塞より前だろ
何言ってんだか
たしかに
坂の上の雲以降はつまらない
短めの評論は面白いとは思わないが、「街道を行く」は十分楽しめるよ。
ちびりちびりと酒飲みながら、地図を肴に、街道を行くを読むのは、至福の時間だな。
今坂の上の雲読んでるが文庫本版6巻あたりから
――――――
これ多用しててワロタ
奈須きのk(ry
>>107 チーズを肴に、ちびりちびりと酒飲みながら、街道を行くを読むのは、至福の時間だな。
と言いたいんだな。
むしろ街道をゆくこそ司馬の最高傑作
112 :
無名草子さん:2009/01/27(火) 22:58:58
そうか?
俺は竜馬がゆくのほうが好きや
中学生まではみんなそうだね。
坂の上の雲は最低
何度トライしても途中で挫折してしまう
主人公にまったく魅力が無い
>>111 司馬さん自身は、晩年のインタビューで、自身の作品の中で生き残るのは、
「街道を行く」だけじゃないかと言っているね。
小説(とくに作家生活の前半)の登場人物は、書かれた時代を反映している者
が多いから、何十年も経つと、新しい読者にはなじめない者も出てくるのかもしれん。
俺は、いまのところ無抵抗で読めるが。
坂の上の雲は名作と言われているけど、乃木ってダメな奴なんだ。と言うのしか印象に残ってない。
乃木はそれほど叩かれてはいないんだけどな。
人間性に関しては、むしろ好意をもたれている。
伊地知参謀は、気の毒になるほど叩かれている。
>>118 それは参謀だから当然ではないか?
戦国ものに出て来る竹中半兵衛や黒田如水みたいな頭脳を求められるから
旅順艦隊とバルチック艦隊を同時に相手することは日本艦隊にとって死を意味し
日本艦隊の死はすなわち陸軍の孤立化→死だったから
バルチック艦隊が来る前に旅順艦隊を陸から殲滅することは戦争の勝敗を決める作戦だった。
それを遂行できない伊地知はどんなに手ひどく戦犯扱いされても仕方ない
当時はスエズ運河はないのだからバルチック艦隊が物凄く遠回りしてやって来るのは分かっていた訳だしな
それを陸軍の連中は秋山の兄さん以外は分かってないと読んでいて強く思った
スエズ運河はあったと思うけど・・・
エゲレスのせいで通れなかっただけ
ドレーク海峡経由で太平洋横断して東京狙えばよかったんじゃね?
もしくは北極海通ってベーリング海峡通って南下して東京直撃
日本海軍はもうまにあわねーだろ
と、小学生のころは思ってました
いや馬鹿ですね小学生って
坂の上を読んでると満州が地獄の地としか感じられない
>>122-123 しっかりネボガトフ艦隊が通ってますけど・・・
単に喫水線の関係で大型の戦艦が通れなかっただけ
>>124 フェゴ島周り航路は俺も考えたお
小学生ってみんな考えるの一緒だな
でも日英同盟あるし太平洋で補給できないと思う
坂の上の雲は子規が死ぬ辺りまではすらすら進むんだが
途中から戦争描写ばっかりになって萎えた記憶がある。
よく調べたのはわかるけど細かすぎてしんどくなった。
今日「峠」読み終えた。
戦争までのいきさつが悲惨すぎて電車の中で泣きそうになったわ。
ああいう大政治家は今の世界だとワンマン社長とかになってそうだな。
選択肢たくさんあるし政治の道には進まなさそう。
129 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 01:10:20
三国志以前の中国に興味が湧いて司馬の項羽と劉邦から入ったんだが、非常に困ってる
春秋から秦末にかけての歴史小説としては項羽と劉邦は白眉
おかげで他の作家の作品がチンケに見えてしまう
もっとその時代の中国を書いてほしかった
司馬ちゃんの小説を読むと、
こんな平和な時代に生きておきながら、
不況不況と騒いでいる現代人がアホらしく見えてくる。
おまえがアホに囲まれてるだけだバーカ
133 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 14:55:26
>>131は生理中でイライラしているんだ
勘弁してくれ
134 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 19:15:06
何でも同意しちゃう人に
「お前は毛利敬親か!」
って突っ込み入れることができたらかなりの幕末通だろうなー。
これがわかる人と友達になりたいw
「そうせえ候」ぐらいで、何で「かなりの幕末通」なんだ?
中高生くらいのヤツに「お前は毛利敬親か」ってツッコンで、そいつがガクンと
「首の骨が折れる」ように頷いたら、「相当の幕末通」かどうかはともかくとし
て、「こいつタダモノではない」って気はするだろうな。付き合いをもちたいと
思うかどうかは別として。
137 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 22:25:55
幕末ってややこしいからかなり高校の時さらっと流して明治維新だったよ。
大学の時に小説きっかけで色々調べたりしたんだけど
まわりに読んでる人間が全然いないんで
毛利突っ込みできる時点で俺の中ではできる人なんだけどw
中学生が「そうせえ候」知ってたら、ちょっとウナるかなあ・・・
しかし、中学の時、司馬遼太郎を熱心に読んでいた同級生が居た。
厨房ならラノベでいいよ
その年で司馬にいれこむのはちょっと気持ち悪い
オレにとっては、司馬もスレイヤーズも面白かった
誰かさんと同じように、『街道をゆく』を読み返してる。
あらためて、よく目に付くことが三つある。
あたりが暗くなってからアチコチ見て回っていることが多い。昼出や午後出なんだなあ・・・そう書かれている時もある。
「にび色」という表現がよく出て来る。古くからの集落の家並みの色を・・・。
旅先で、司馬さん、あまりいいもの食べていないね。そば、カレーライス・・・ごちそうでも、トンカツぐらい。
「スレイヤーズ」で通じると思っている自己中心的幼児性が若手信者にうかがえるあたり司馬教会も安泰だね
俺のときはブギーポップが流行ってたわ
>>141 司馬さんは好き嫌いの激しい人だったらしいよ
なので小説でも美味しそうな料理はまず出てこない
>司馬さんは好き嫌いの激しい人だったらしいよ
人の話かと思った。
>>145 食べ物に好き嫌いが多いせいか嫌いな人物は悪く描くのは確かにある
とはいえ食べるのが大好きな小説家の描くその人物まで悪く言った事はない
文字にならない座談の場では相当辛辣な人物評をする人だったとか
どっかで読んだ
そういえば、司馬さんと池波さんて、全く違った作風だね。
>>147 例えば匂いが物凄くきついチ-ズがあって、それを元々チーズが嫌いな司馬さんが匂いがきついから嫌いと言うのは当たり前の話だけど
チーズが大好物でそのチーズを褒める人を名前を挙げて貶す事はしない人という意味ね
ttp://www.asahi-net.or.jp/〜bh3h-smjy/rekisi/sibashok.htm
これはけっこう笑った。特に最後の「国盗り物語」とか。
でも、司馬作品を読んでて「湯漬けと香のもの」みたいなのが妙にうまそう
に思えるときもある。いわゆる「美食」ではないんだけど。
>>129 小説じゃなくて、陳舜臣の「中国の歴史」あたりに行ってみたらどうだろ。
アレなら、専門書じゃないから硬すぎるという事もないし、妙に陳腐な創作
が入っていない分、読みやすいかも。
>>129 それは戦国・幕末モノにも言えるんだよな。
個性を際立てて魅力的な人物に仕上げるから、他の作家のものの方が
史実に近い場合でも、司馬の方が本当らしく見えてしまう。
他のものがチンケで読めなくなる。それはある。
大村の湯豆腐は食ってみたい
湯豆腐て酒のあてとしてはどうなんだろう。味が薄いからあんまり合わない気がする。昔の酒ならあうのかな。あのじだいだから油こいものはないだろうけど、魚とか漬け物の方がいいや。
冷奴とかつまみにいいんだけどなぁ
蔵六さんのは本当に豆腐味だけっぽいし
スレ違いだが
池波の小説には醤油と胡麻油を混ぜたものをかければ冷奴が実に美味という記述があったな
今でいう醤油ドレッシングかな?
司馬さんが池波さんに、何か作って食わせてもらった話って、どっかに書いて
なかったっけ。
>>159 サライだったかに司馬さんが編集者に作って食べさせた料理が載っていたな
わかった。「以下、無用のことながら」収録の「若いころの池波さん」だった。
司馬邸の台所で、池波氏が「ドンドン焼き」なるもの(お好み焼きかもんじゃ焼
きの元祖のようなものらしい)を作ったとのこと。おそらく、昭和30年代頃のこ
とかな。
湯漬けって本当に飯にお湯かけただけで味とかしないんだろうか・・・
あと兵糧ってうまそう
そうだよ
タマに塩ふったり味噌つけたりするけど
基本冷や飯をかっこむために湯をかけるので
おちゃづけのようなあじはしないはず
あと兵糧も冷静に考えるとそれほどうまそうではないっすよ
腹へってりゃそりゃまぁ美味いだろうけどさ
冷静に考えたらまずいだろう、兵糧
今寒い寒い言ってる以上のところで薄着で歩いて、
凍ったおにぎり食って、戦ってたんだと思うと寒さがやわらg…強くなった気がする…
大河ドラマの「功名が辻」でニンニクの炙り焼きが出て来た時は美味しそうに見えたな
一応原作でもその場面ではニンニク食べてるし
兵糧って何だ?
みんな本当にわかって意見言ってるのか?
「兵糧ってうまそう」
こんなこと一昔前に発言しようものなら、新聞の投書欄に、飽食時代の平和ボケ児童なんたらって晒されていたな。
>>169 飽食世代とは逆に
貧困層が増えてそういうものでさえ
食えるだけで美味そうと思える食えない餓えた人間が日本国に増えただけかもしれんよ?
一度離職したら(させられたら)コネがないと就職無理だし
新卒しかとらない主義だから。あと新卒でも最近はリスク恐れて身内の紹介なしはとらない
頼れるものがない人は就職無理
時給数100円のバイトをやって食いつなぐしかない
時給1000円でも毎日7時間週5日働いて14万
都内なら家賃で7万は飛ぶ
実際はここまで働かせてくれるバイトなんてほぼないし
あっても25過ぎたら採用されない
こりゃきつい
というか幕末や戦国だって親やコネなしで生き残った奴は皆無なのは
司馬さんの小説読めば嫌というほどわかること
素浪人とかでも結局頼れる足がかりとなりうる肉親縁者もしくは顔見知りがいることがほとんど。
例外は新史太閤記ぐらいじゃね?
親がコネを作ってなかった、あとをつげる仕事じゃなかった、父親が早く死んだなどで
人生終了なのは今も昔も変わらず
しかも最近は親戚づきあいしないし店や田んぼがない職も多いからそういう縁者もなにもいない一家が増えてて余計リスクでかそう
.
こういうネットのない時代だと一向宗みたいなのを興すと一気に流行るだろうな
175 :
無名草子さん:2009/02/06(金) 10:51:08
ヤフオクに梟の城の初版が出てるな。
帯欠だから3万くらいか
>>175 以前出久根達郎のエッセイで「竜馬がゆく」の初版が15〜20万円というのがあったな
もしも生原稿が手に入るのならばどれだけの値段が付くことやら
推敲の後とかがあって読みにくいと思うんだけど>原稿
いや小説がどう出来上がっていくのか全然知らないので
そんなことないかもしれないけど
当然、印刷されて製本されてる方が生原稿よりも読みやすいだろうし、
生原稿に高値がつくのは、読みやすいからではない。
>>178 わかります。生とスキン着用との違いですね。
ユーモアが満ちあふれとるな。
もしも手に入るとしたら「坂の上の雲」の第1回と最終回が欲しいな、生原稿
燃えよ剣は上下分かれてるのと一冊にまとまってるのではさほど違いはない?
文春の単行本\1,300 と、新潮文庫の上下巻各\780 のこと?新潮文庫の方しか知らん
が、たぶん単行本の方は陳舜臣の解説が無いんじゃないかな。解説自体は、個人的には
なかなかよかった気はするけど、無いと困るものではない。
台湾での幼少の記憶を語るやつだな
あれはよかった
185 :
無名草子さん:2009/02/09(月) 17:20:50
文春文庫の裏表紙のあらすじが好き
司馬さんの小説は、
たまに登場人物を小ばかにした文章が面白いよね。
何度か笑ったことがある。
筆者は童貞文学の名作、司馬遼太郎「和州長者」の団平の故郷、和州二上村を訪ねた。
近鉄大坂線の河内国分駅から下って三つ目に二上駅がある。作品の中では、“二上村から
峠一つ越えれば河内国国分さ”と紹介されている。
団平は、童貞である。“団平はその事実(ヒロイン佐絵の不倫)を嗅ぎつけてからというものは、
ほとんど密事のたびに床下や雨戸の外に忍んで聴いていたらしい。気配を聴くことによって
自分自身の恋を仕遂げているようなつもりだったろう”。その後で、団平がマスターベーション
にいそしんでいたであろうことは想像に難くない。
二上駅を出て右へ歩くと、ローターリーと駐車場が見えた。酒屋の角を曲がり五分も歩けば、
団平の生家がある。
「団平さんはいらっしゃいますか?」
筆者は、路上で酢烏賊をしゃぶっていた老婆に訊いてみた。
「ああ、団平なら東京のボクシング・ジムにいるだ」
筆者は急ぎ東京に帰った。墨田河畔に団平のジムはあった。
扉を開けると、団平がいた。
「立て!立つんだ、ジョー!」
読みづらいレイアウトで長文投稿するやつにとって掲示板は
自分の妄想書き散らすだけの場で
日ごろ、人のレスは読んでないんだろうね
読み手orientedな文章の達人のスレだけに寂しいね
>>187 二上村は、「ふたがみむら」と読むのだと思っていた。
正しくは「にじょうむら」だ。年をとっても、まだまだ勉強だ。
>>187 童貞小説というジャンルを開拓したという意味で、和州長者は、もっと注目されてよい
作品だよね。欣吾のキャラが現代的すぎて、ラスト・シーンが俗っぽくなりすぎたので、
全集からは外されたが。
欣吾が童貞を捨てるシーンもあったしな。童貞小説のパイオニアではないが、
それに分類してよかろう。
最後は、青江釆女が、童貞を絶賛して、幕を閉じる。
“団平、あれが男さ。ああいうのが、どうやら、人間の中の真人間というものだろう”
童貞、必読の書だな。
基本構造は「大坂侍」と同じ。「大坂侍」の方が完成度が高いので、こちらは全集に入っていない。
ただし、人物構成とストーリーは大幅に異なるので、これはこれで独立して楽しめる。
俺は、仇の妹のお妙という女性が、自分の立場を秘して、仇討のために田舎から出てきた主人公
と寝てしまうところで、爆笑した。このお妙のようなちゃっかりした女性は、昭和30年代末〜40年
初頭の日本映画によく登場したタイプ。
難波村の仇討は、少し前のスレで、すでにやってなかったか?
195 :
193:2009/02/10(火) 17:59:37
すまん。18巻目と22巻目で、2回もやっているな。
三岡八郎と山崎蒸が、仲良く会食しているという破天荒な展開に、最初はアホクサと思ったが、
二度目読んでみると面白かったわ。松じじいが好きだ。大阪では“構い屋はん”というらしいが、
「構う=おせっかい」は全国的じゃないか?
今日播磨灘物語の1読んで見たけどなかなかおもしろいね。
一緒に買った箱根の坂上も明日読んでみるわ。
個人的には国取りが一番だけどね
俺は「風神の門」や「梟の城」が好物だな。
忍の生き様がたまらん。
うん、確かにその通り。
これぞ男の生き方・・・自分の「仕事」を追求する姿、ってとこだな。
両方とも、大衆文学とは云え、ほとんど純文学的雰囲気の作品。
「風神・・・」「梟・・・」のハナシね。
やたら男くさいのなw
俺も好き
自分は「尻啖え孫市」が好き
【登場人物】
青江釆女・・・旗本寄合席二千石青江家当主
青江欣吾・・・釆女の弟。部屋住
佐絵・・・釆女の妻。書院番頭田村家より嫁ぐ
讃岐源右衛門・・・青江家用人。元は浅草伝法院の侍小姓。
団平・・・青江家中間。和州二上村出身
お勢・・・釆女の妾
青江左門・・・釆女・欣吾の伯父。釆女夫婦の仲人
田村圭之進・・・佐絵の兄
南木十郎左衛門・・・河内国分村の庄屋。団平の剣術の師匠。田宮流居合術。お止流刀術。
上総屋長兵衛・・・讃岐源左衛門の伯父。材木商
なお作中に登場する聖源寺は、江戸にはない。
現存する聖源寺は、東大阪市布施、つまり司馬遼太郎記念館(生存時の自宅)の
近辺にある。
田宮流居合術というのは現代にまで続いている流儀
お止流柳生流の看板で道場を開いていたのは荒木又右衛門か。。
筆者はふたたび近鉄大阪線で、二上に舞い戻った。東京のボクシング・ジムにいたのは、
団平ではなく段平だった。あの酢イカをしゃぶっていた老婆を、詰問するつもりでいた。
駅からしばらく南へ歩いてゆくと、小高い丘がある。その麓にある安遊寺を訪ねた。
忍者装束に身を固めた長澤まさみがいた。
「この寺には鎌倉時代の後期に造られた阿弥陀如来立像がございます、司馬」
筆者は呼び捨てにされた。
「この近くで酢イカをしゃぶっているお婆さんを見かけませんでしたか?」
「さあ、知らない」
長澤は、あいかわらず突っ立ったままで、女優の仕事と声優の仕事を勘違いしているよう
だった。
「先に河内国国分を訪ねてみませんか?わっちは、その地に南木十郎左衛門の子孫の方が
今でも住んでいると聞いたことがあります。そちらから当たった方が、早いかもしれませんね」
須田さんが珍しく長く喋った。
>>199 初期の短篇に時々見られた俗っぽさは払拭されているよね。
ストーリー面では大衆小説の娯楽性を踏襲し、登場人物は渋く造形していて隙がない。
>>197だけど、箱根の坂むちゃくちゃおもしれーな
今のところ播磨より面白い。
これ大河にしろよ。
立身出世物語だし、あんまりやらない戦国初期の話だし。
直江カネツグなんかよりよっぽどいいと思う。
箱根の坂は資料集めすぎで重いな
>>209 そこらへんは適当にカットしていけばいいんじゃない?
ストーリーの面では、千萱と山中小次郎の間の淡い男と女の感情が、
新九郎の登場でふっとばされ、さらに今川義忠の登場で跡形もなく
粉砕され、最後は山中小次郎自身、ほとんど登場しない脇役に成り果てた
ところが悲しかったな。
冒頭、千萱と山中小次郎の話から始まり、しかもかなり詳しく二人の関係に言及している。
きっとこの二人には何かドラマが仕組まれている、という先入観も持つよな。
小次郎は、中盤以降、みごとに出番がなくなる。
まぁ、千萱が後の北川殿になるんだから、間男はいかんだろうな
>>210 膨らますところは、応仁の乱と、早雲晩年の戦だな。
その場合、早雲の年齢設定が問題。
司馬原作は昔の通説だから、80歳を超えても早雲が出陣していることになっている。
>>213 原作以上に、千萱が小次郎を小馬鹿にする。嫌っているわけではないが、
都うまれと田舎育ちの違いがあるからな。大人になっても、千萱は小次郎をからかって
ばかりいる。
ところが、後に小次郎が千萱の子の命を救う。こんなんでもいい。
昨日命日だったんだな。不覚にも忘れていた……。
ところで国盗り物語って読みやすい? 翔ぶが如くの難度を100としたらどれ位?
>>211 俺もはじめ小次郎が主人公なのか?
と勘違いしたわw
小次郎と千萱の恋心はドラマ化するならいらねーよなぁ
なんの進展もなかったし。
>>214 上しか読んでないからわかんないけど、応仁の乱のところ面白いよな。
原作以上に新九朗の過去を掘り起こしても面白そうだ。
ただ主役がむずいな。年齢的にも
新苦労と早雲を別人にやらすのもありかも
>>203 短編集「大坂侍」の出版が昭和34年。司馬の布施市(現東大坂市)への移転は昭和39年。
近所の聖源寺の存在を知っていたとは考えにくいな。
同短編集のなかには大坂天王寺区の源聖寺や源聖寺坂も登場する。名前をひっくり返して適当に
聖源寺と書いたら、たまたま引越し先の近所にあった、というところではないか?
>>216 そういや、寒い季節だったな。
死亡ニュースを聞いたときは、俺は激辛ラーメンを食っていたことを思い出した。
たしか、小学3年生の時だった。
夕刊トップにビックリするほど大きな見出しで出たのを憶えている。
筆者は、近鉄二上駅に引き返し、河内国分を目指した。忍者装束に身を固めた長澤まさみも
付いてきた。
「しゃぶっていい?」
「電車の中です。みっともないから、よしなさい」
「しゃぶってもいいでしょう?」
長澤は筆者の腿をさすり、甘ったれた声で訊いた。
「ここをどこだと思っているのです?公衆の面前ですよ」
「ねえ、いいでしょう?」
筆者は、この娘と喋るのに疲れてきた。
「好きにしなさい」
長澤は、嬉しそうな顔をして、忍者装束の中に手を入れた。酢イカが出てきた。
「シャブシャブ。ペロペロ」
「あなたが老婆に化けていたのですね?」
222 :
無名草子さん:2009/02/13(金) 17:15:12
>>216 10ぐらいかな?
「濃尾参州記」を買った頃お腹にいた二男が春には中学生だ
223 :
無名草子さん:2009/02/13(金) 18:58:30
>>216 読み易いが「国盗り物語」を読んだら、「新史太閤記」「関ヶ原」「城塞」
と続けて読みたくなるから、けっこう大変俺は遅読なので、1カ月
かかって読破した。大学四年の時だったので、その頃書いてた、
卒論の文体が司馬っぽくなってるのがちょっと懐かしい。
毎週土曜日9:30からチャンネル銀河で「街道をゆく」を放映してます。
訃報で司馬さんの存在知った当時小5の俺
初めて読んだのは19の時の関ケ原だ
PHPとかしか読んでなかった俺には衝撃的だった
やはり著名人はそれだけの力量があるから著名人になりえたんだと知ったよ
PHPとかいまだに読んだことないわ
PHPが何のことかさっぱりわからんがそれは置いておいて
司馬さんのおかげでもっとも名前が普及した人って誰だろ?
竜馬とかはそれなりに知られてただろうし
土方とかも敵役としてはよく出てたと思うので
大村益次郎とか?
でも大村の一般人の知名度も今でもそれほど高いとはいえないと思うし・・・
>>227 PHPはhow to本で有名な出版社だと思う。
秋山兄弟とかどうだろ。
それこそ教科書なんかには出てこないし、日露戦争について少し調べないと名前出てこないから。
一番は秋山兄弟だろ
しかもこれからさらに知名度が上がる
俺は秋山兄弟だと思うな
河井継之助なんかも「峠」の影響は大きそうだ。
須田画伯だ。
何てったって、ビッグは、竜馬と信長に斉藤道三。
司馬さん以前は、名前と肖像画だけ。
ほとんど詳しいことは知られていなかったし、言及する専門家もいなかった。
西郷隆盛も同じこと・・・銅像だけの認知度だった。
知られてない人物を世に出した流れが、長宗我部元親・河井継之助・秋山兄弟
大村益次郎の場合は、陸軍の祖として、靖國神社正面に銅像もあることから、以前より、
子供向けの人物伝も多く、おびただしい出版物と研究書があって事歴は周知せられていた。
むしろ、「花神」では、大村益次郎を名乗ってからの事歴がほとんど触れられていない。
明智光秀、石田三成、土方歳三、江藤新平とかは、
悪玉をヒーローに仕立て上げた手腕を評価してほしいね
司馬以前のことはよく知らないが、
信長は今ほど人気なかったのかな?
残酷だからかな
>>234 土方歳三は榎本武揚の事を考えると悪役であって悪玉ではない気がする
237 :
無名草子さん:2009/02/14(土) 20:36:05
やっぱり坂本竜馬でしょう
238 :
感想:2009/02/14(土) 21:35:31
やっと歳月読み終わったわ。
俺の中でのあの小説のハイライトは西郷隆盛メインの会議の場面。
江藤出てこなさすぎて笑ったけど描写の迫力が違う。
後半しんどすぎて読むペース落ちて疲れた。
大久保は漫画偉人伝の良いイメージがあったんだが一変したわw
239 :
無名草子さん:2009/02/14(土) 21:37:12
俺の中では高杉晋作のああいう天才肌なのが好きだな。
自分には絶対真似できないから。
以前との知名度は比較できないからわからん。
京都の幕末遺跡、どこへ行っても今や「竜馬、竜馬・・・」
俺の子供の頃と言やあ、月形半平太に桂小五郎、鞍馬天狗それに新撰組の沖田総司
と、相場が決まってたもんだ。竜馬の「り」の字も出てこなかった。
なお、光秀と三成は、京都では決して悪玉ではなく、今でも広く尊崇され慕われています。
それと、太閤さんに高台院さま、ね。
みんな、往時を偲ぶ年中行事が恒例になっています。
京都で悪玉は、家康です。
長宗我部は「ちょっとメインからそれたマイナー系だけど雑魚でもなくそれなりに実力がある」ものが好きな
小学生たちには人気あるとおもうのでもとからそれなりに知名度はありそうだ。
名前のインパクトもあるしね。俺ソースで悪いけど俺は夏草や戦雲読む前の小学生の時から興味持ってたし。
アンパ○マンよりカレ○パンマンが好きなタイプの子供にはひかれる存在だと思う
>>240 そうだよな!京都では幕末の志士といえば長州藩士と決まったようなものだった。
土佐藩士なんて歯牙にもかけていなかったし、薩摩は人気なくてむしろ憎まれ役。
オレの先祖なんか、薩摩憎ったらしいと言って、毎朝、藩邸(今の同志社大学)の土塀に
ショウベン引っかけに行ってた。
>>242 あっ!オマエとこか?ウチに代々伝わる不埒なヤツってのは・・・
オマエの先祖な、薩摩藩邸の門の右側にあるウチの塀に小便かけてたんだぞ。
墓参りして、「間違ごうてたぞ」て言うて来い!
ウチは冷泉家だ!
サムイ
>>235 太閤の方が人気があった。太閤というより滅んで行く豊臣かな。
真田十勇士の影響も大きいと思う。
>>240 京都の市中では、今でも月形半平太でっせ。毎年、南座に上がりまっさかい必ず観に行きますわ。
それに、乃木はんどすなあ。あのお方も長州やさかい、司馬作品とちごうて慕われておす。
また、長州贔屓のお公家はんが多かって、うちらも、そういう御屋敷にお納めしておしたさかいに、
やっぱり長州は馴染み深こうおす・・・
信長はんは、市中では人気おへんなあ。
何せ、ようやく都へ還って来ゃはった公方はんを追い出さはりましたさかいなあ。
明智はんは皆慕とうておす。愛宕はんが信長はんの焼き討ちに遭わなかったんは、
元々明智はんの庇護があったさかいどす。あそこは、月輪寺も含めて、みぃーんな残っておす。
司馬はんの小説では、叡山の焼き討ちとは何の関わりものお書いたはりますけど、あの時は、
一蓮托生扱いされ兼ねん成り行きやったんどす。みんな心配したもんどす。
今でも愛宕はん御自身も含めて、語り草になってるぐらいどす。
さらに、京では、判官九郎殿、太閤はん、高台院の方、右大臣家(秀頼はん)が、えろう人気どす。
一番憎まれてるのは、この前の戦乱の張本人、勝元と宗全どすやろな・・・
司馬作品で一番評価が変わったのは河井継之助だろうな。
無名かつ悪役だった人。
俺の中の脳内映像では一豊はちゃんと物語の進行とともに老いていくが
奥さんは15歳ぐらいの容姿のまま最後までいってしまった
口調のせいかな?
長曾我部元親は、人間としての魅力に欠けるな、器が小さい
夏草の賦を読んでの感想
国盗り物語を読んだ後だけに余計そう感じる
今夜から読む。
普通人的な弱さも持ち、大事業も成就しえなかった主人公に魅力を感じるか
感じないかは、読み手の問題だろうな。主人公としての魅力というのは「国
盗り〜」の道三みたいなスーパーマンだけにあるワケではない。
超人道三は好きだけどね。
壬生狂言の〜の松原さんが地味に凄い
肥満してるとラストで書いてあるのに
正座した状態で空中にジャンプして一回転して正座して着地を数度繰り返す
柔術師範凄いわ。波紋でも使えるんだろうか
道三の魅力って実在の人物だからこそというところがあって
仮にあれが完全なフィクションの主人公だと思うとできすぎて萎える気がする。
歴史上の主人公にはありきたりな人物など望んでいない
人並みはずれた特色があればこそ、何らか得るところがあり、
人も惹かれるのではないのか?
元親には、作者自身も好意をもっていたのか疑問な文章が伺える
英雄とはあるが、うじうじした印象しか残らなかった
>>254 道三はスーパーマンではあるが、義龍が自分の種でないことに気づかずに可愛がる
という間の抜けたところもある。好色でもあるしな。それでバランスがとれて、嫌われない。
259 :
無名草子さん:2009/02/20(金) 14:45:56
もしかしたら違うかもしれないけど、
「人を諫めるに五諫あり」ってエピソード、
どこかでなかったっけ?
教えて、エロい人。
史実は、義龍は歴とした道三の実子。
美濃の国人が皆、疑っていたなんてウソ。
ハナシをおもしろくするために、常山紀談的な講談噺で、昔から有る珍説。
近年の「道三親子二代説」と同じようなモノ、これもウソ、あんな書き物を信じるなんて・・・
年食ってからは昔は見向きもしなかった短編の主人公の佐野さんが結構好きになった
大坂の陣で家康に勝手なことしやがってって怒られた人ね
>>258 道三死んだあと尼僧姿で
最後に出てきたときのお万阿さんは相当年いってると思うんだけど
何歳ぐらいの設定なんだろうね
「誰」を「たれ」って書くってえ?
上方では、代々上方人間は、皆「たれ」ですが・・・文字に書き表わす際も「たれ」ですが。
わざわざレスするほど奇異なことかな?
>>263 「たれ」と入力しても「垂れ」とか「足れ」がまず出て「誰」は直ぐには出て来ないから
自分も上方だが、「たれ」なんて使わない
最近、「妖怪」って読んだけど、なかなか面白かった。
中世の日本人がいかに物の怪や穢れを恐れたかがよくわかった。京都近辺に住んでるんだが
京都の街を車で走ってると、なにか異様な感じを受ける場所がある。多分、物の怪だろう。
大阪者だけど「たれ」は全く使わないですね
明治大正時代には使ってたのかな?
「廊下を歩くのは、たれや?」
「へえ、物の怪でございます」
「たれか!居てるかぁ、物の怪が出たぁ!」
21世紀の明解さん曰く
たれ
「誰」の雅語的表現
雅語
古代・中世の詩歌や物語・日記の中に用いられた和語
現代でも和歌・俳句などの世界では用いられる
やはり叙事詩的(ないし御伽噺的)雰囲気をお醸し出しされようとなさってらっしゃったのではないでしょうか
今坂の上の雲を読んでるんですけど、この明治初期〜日露戦にかけてぐらいの時代に活躍した人たちを
詳しく紹介してる本とかって何か知りませんか?
受験勉強としての知識はあるんですけど、もっと深く知りたくなって。
京の町家の一部に、道三や竜馬て架空の人物やないやろか?という戯れ話が以前からある。
「西郷(隆盛)はんて実在の人物やろか?」というのもある。
いずれも、京の者が見たことがない、話も伝わっていない、というのがその理由。
道三が油屋をやっていたという店や場所など全く伝わっていない。
竜馬・西郷は、誰も見た者がいない。どこの料理屋にも上がった事実が無い。
桂小五郎や高杉晋作、桐野利秋、近藤勇に土方歳三はよく知られている。佐久間象山もだ。
大久保利通でさえ料理屋に上がったことがあるし維新後も来たので伝わる話も少なくない。
しかし、竜馬・西郷は京の者に姿を見せたことがない。何らのエピソードも伝わっていない。
所司代の松平容保公ですら町家の者は拝しているのにだ。
272 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 10:22:56
太閤記だったか、関ヶ原だったか忘れたが、直江兼続の家臣が、
小姓か誰かを斬捨てたら、家族がしつこく兼続のところに死んだ者を
返せと日参するので、いくらか小金を渡して追い返したが、その後も
しつこく日参するので、閻魔大王にこの者たちを迎えにやるので、
死者を帰して候と手紙を渡して、首をはねたってエピソード。
天地人ではやらないよな。
273 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 11:01:39
司馬なんて読んで面白いですか?
こんなクズみたいな作家何が面白いの?
捏造だらけの歴史に幼稚な文章、こんなの読んで許されるのは高校生まで。
いい大人が恥ずかしい。
274 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 11:10:24
便所の落書きと同じに楽しいよ。
275 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 11:40:44
暇そうだな。
276 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 13:05:28
そうかもな。
>>271 京都には庶民史家や庶民作家、読書人が誠に多い。町衆と云われる人の中にいる。
夥しい数の小規模出版社や古書店が営業している町でもある。
だから、そんな話があっても不思議に思わないよ。
京都には、歴史の話がゴロゴロしてるね。
しかも、小説なんかよりもよっぽどリアリティに富む話だ。
「小説より奇なり」という言い方もある通り、「小説のような話」という比喩
は、一般的に「リアリティの欠如」を示す。
とすると「小説よりもリアル」というのは「あたりまえ」の意か?
竜馬架空人物説は、今にはじまった話じゃないよ。
竜馬の唯一のエピソードは、伏見・寺田屋で新選組に踏み込まれたという件。
入浴中のお竜が裸のまま竜馬に知らせ事なきを得たってハナシ。
これも、先頃、寺田屋はその後全焼していて今のはレプリカだとわかった。
柱に刀傷やピストルの弾痕が残ってるって観光名物にしていた。
レプリカなのに、そんなのがあるわけない。「竜馬が宿泊した」って話も怪しい。
しかも、近辺に、そんな斬込み事件があったなんて話が伝わっていない。
近辺は、鳥羽伏見の乱までは極く平穏無事な船着き場だったという話だけしかない。
最期が河原町の旅籠で暗殺となっているが、これも、一体どの家なのかその跡が全くわからない。
河原町三条に「近江屋」という醤油屋があったという話すら伝わっていない。
近辺で云えば、長州藩邸・土佐藩邸・かなり離れて例の「池田屋」、これらは皆今もハッキリしているのに。
第一、そんな事件があったのなら、近辺の町衆がいやでも知っているはずなので、この点が決定的。
そもそも、何事でもいつまでも伝わり記録されている京都に、何らの話も遺っていないのが最大の根拠。
竜馬の写真は、別人と云う説もあり、竜馬も写真も実在だが勤王の志士では全くなく、
京都にも現れたことのない人物と云う説もある。
ウチは新撰組壬生の屯所へ出入りしていた商家だが、
主人が、すなわち先祖が行くと、土方歳三が「煙草でものみましょうや」と言って上にあげてくれて世間話をする。
そういう席には必ず近藤勇も奧から出て来て同席するというのだ。
「まことに気さくなもんやった」ということらしい。「江戸言葉のようやった」というのも残っている。
次代の先祖が、昭憲皇太后の話が新聞に出た際、家人を前に語ったところでは、
「先代の話では、坂本のサの字も出なかった」とシキリに首をひねっていたらしい。
その土方近藤との世間話で桂や高杉などと「不穏な」サムライの名がポンポン出るらしいのだ。
そりゃあ、しょっちゅう「誰々が狙われているようや」というウワサが当時町に流れてたハズだ。
今の感覚で現在の公安や警察と同じように考えていたら間違いだな。
しかし、ついぞ坂本の名は聞いたことがない、ということなんだな。
昔の人は、よく家族と語り合ったいたものなんだね。
うちにも伝わる話をすると(うちだけじゃないが)、公家は庶民に姿など見せないが、
武家は町衆に気をつかっていたものだ、というお話。
諸国の殿様が京の都へ来ている時、時代劇では籠のまま藩邸にはいるが、
絶対にそんなことはなかったらしい。
門の手前で籠から降りて、ひしめく見物人に姿を見せ軽く会釈までし、群衆の大きなどよめきと
溜息がひと渡りしてから、徒歩で邸内にはいり又そこで籠に乗られて玄関まで行かれた、という。
将軍慶喜が幕末京都に滞在した時も、御所に参内して二条城へ帰ってくると、必ずそうして、
見物人に向かって会釈の後、やはり徒歩で城内にはいり又籠に乗られた由。毎度であったという。
会津の容保の時も島津公も土佐公や福井公もみなそうされたようで、しきたりになっていたみたい。
諸公が御所に籠で行かれた時は言うに及ばずだ。その時も御所こそ大事なのに、まず必ず見物人に
会釈され充分に姿を見せてから門をくぐられたというんだ。
市中の行列も町の者は道の両脇に身を寄せるだけで土下座なんてとんでもないことだった。
みんな、わいわい言いながら見物した。将軍の行列も同じことだった。
小説なんかには書かれていないことだよね。
勤王の浪士が跋っこする中、警備の面はどうなんだ?と現代感覚ではつい考えてしまうが。
あっ、追加だ!
だから、新選組は本来の武家ではないが、武家のつもりだったんだから、
そういうふうに、町衆には気をつかっていたんではないだろうか?
日本人にとって切支丹が受容しやすかった、というところの解説は分かりやすかったぞ
>>281 それは京都だけでのこと、って聞いたことあるぞ。
江戸市中とか参勤交代での陣屋では、諸侯が庶民にアイサツするようなことはなかったんでは?
あ、そうか、「京の都へ来ている時」って書いてるね。
それだけでなしに、諸侯が都を行列中も要所要所でカゴを降りて意識的に庶民に姿を現したそうだな。
前もって藩邸筋から触れが町内に行って、庶民が事前に知って見物に集まっているらしい。
土佐の山内容堂は、御所からの帰りは堺町御門から出て堺町夷川下るの店にカゴを降りて寄った
という話がある。藩邸ひいきの店で今も営業しているが、休憩というより、あたりの庶民に姿を見せるため
だったという。一種のサービスっていうかアイサツなんだろうね。
現に、店内に入らず表の毛氈を敷いた床几に腰掛けるだけだったようだから。
カゴに乗り降りする時の見物人への挙措が大変ていねいだったと人気があった、と。
自作自演でした
みんな物知りだ。
読んでいて楽しいです。
288 :
無名草子さん:2009/02/22(日) 20:52:06
えっ? おれも!?
くだらん京都話はいい加減にしてくれ
地元ネタもっとやれ
作者が亡くなっているスレなんだから好きにやればいいっしょ
自演乙
↑この人、そればっかりや!
坂本竜馬は才谷梅太郎とか変名で行動してたことが多かったのではないのかな
>>293 司馬さんみたいに近眼だったから写真撮影の時はともかく普段は眼鏡かけてたと思う
おお!「深イイ話」に司馬登場ktkr
竜馬は、ピストルと万国公法しか持ってなかったよ!
メガネかけて剣戟ができるかぁッ!
>>293 そりゃあ変名でしょう。桂や高杉はもちろん有名どころは皆変名で行動してたろう。
だからといって、新選組が本名を知らないはずがない。
300!
>>299 「新選組」じゃなくて「新撰組」ね!
固有名詞ぐらい正しい表記で書きましょうね。
桂小五郎自体変名で本名は木戸コーイン
高杉晋作自体変名で本名は吉川春風
固有名詞ぐらいは正しい表記で書きましょうね!
>>300 ばーか、どっちでもいいんだよ
当の新選組が出した書状でも「新選組」だったり「新撰組」だったりごっちゃなんだから
竜馬は、かぶれたところや新しもの好きのところがある。
かけるメガネ持っていたのなら、メガネかけた写真が残っていても不思議じゃないよ。
「木戸」姓以前の旧姓は、15歳以前が「和田」、15歳以後が「桂」である。小五郎、貫治、準一郎は通称名である。命
を特に狙われ続けた幕末には、「新堀松輔」「広戸孝助」など10種以上の変名を使用した。
「小五郎」は生家和田家の由緒ある祖先の名前であり、五男という意味ではなく長男である。
「木戸」姓は、第2次長幕戦争前(慶応2年(1866年))に藩主毛利敬親から賜ったものである。それ以降、それまでの
「桂」姓に替えて使用し始める。
「孝允」名は、桂家当主を引き継いで以来の諱(いみな)を兼ねた桂家当主としての名前であったが、戊辰戦争終了の
明治2年(1868年)、〜中略〜、自ら諱(いみな)のはずの「孝允」を公的な名前として使用するようになる。
以上、Wikipediaより転載。
「諱」以外はすべて「変名」ってのはムチャだろう。木戸姓だって中年以降だし。
>>303 今の漢字ルールから言えば「撰」は限られた中から取り出すなので
会津藩に元々あったほうを指していているよ
土方たちのほうは「選」となり大河ドラマでは「新選組!」と表記された
司馬さんも取材で歳三がさいぞうではないのを知ったぐらいなのでよくある話だね
>>303 そうなの?新撰組自身がどちらも使ってたん?
でも、単に「撰」は戦後新字からはずされ「選」は残ったからだけじゃないのか?
「新撰組」の名前の由来は、「新しくつくる」の意味で名付けたんだから、
「選」はオカシイよね(「えらぶ」だから)、「つくる」の意は「撰」ですよね。
実際、京都所司代や天朝の公認した旨の文書が残ってるが、みな当然「撰」です。
壬生の屯所に行っても「撰」です。尤もコチラは観光施設だからアテになりませんが・・・。
新撰組の隊士は教養が不足していて間違えたんでしょうな。
でしょうねぇ、今日でも撰と選の漢字の違いの分からない人は多いですし、
当時の百姓達がぽっと出で作った警察組織ですから尚更かな
副長の土方からして、まずい俳句しか作れなかったしw
百姓や商人でも詩歌を作れるぐらいの教養があったところに感心するべきだな
>307
そういえば「街のどこかに、さみしがりやがひとり♪」っていう歌があったよね。知ってる?
>>311 フルコーラス歌ってくれたら思い出すかもしれませんなあ
そういえば薩摩藩の侍だったかは坂本龍馬を良馬と書いてたのがあったな
>>313 桂小五郎が書いたものにも「坂本良馬」とあるよ
それで龍はりょうと読むのが分かったらしいね
昔の人は、ひとの名前の字を平気で間違えていたよ。
読み(音)だけわかっていて、それの極く一般的な字を適当に当てる。
当人あてに出す手紙なんかでも、それほど気を遣わなかった。
また、当人も、来た手紙やハガキの宛て名が違っていても、今ほど不快に思う心情もなかった。
役所や郵便局で違った字で名前書かれたりしても、大して気にしなかった。
お上から与えられた物品の名札の字が違っていても、そいうことに抗議するっていう意識も無かった。
昭和40年代前半ぐらいまでは、そういう雰囲気だった。
通称で呼んでたから忌み名にはこだわりがなかっただけだろ
西郷隆盛も従道も違う名前で登録されたけど、気にしなかったみたいだし
俺なんか、年賀状の名前は違うわ、医者へ行こうが郵便局の通帳であろうが、みな字を間違えられた。
今のように本人証明なんて云わない時代だ。
唯一の本人証明である米穀通帳まで間違えられた。
学校時代から就職までは戸籍謄本を提出しようが住民票を出そうが、ずっと正しい字で来てたのに、
その後、いつの間にか住民票まで間違われてんだ。(それが米穀通帳の字になった)
面倒だからそのままだ。法律問題でも起これば司法書士を使って訂正させねばならん。
決して、異体字というんじゃない。全く意味も何も違う字に間違えられている。
あんまりなんで、とうとう自分でも間違いの字を世間に使って今日に至るだ。
公的なことで若干トラブルが無いこともない。しかし結局は住民票の字だ、ってんで済んでしまう。
そういう際によく言われるのが、姓名判断か何かで通称になさってんですか、て言うから、
事情を説明するんだが、必ず相手はキョトンとして意味が呑み込めないようだ。
今の時代では、「あり得ることじゃない」んだ。
辞書にも載ってないような漢字は子供につけないで欲しいね
いちいち外字でエディットするはめになってご苦労様だ
>>319 それ考えると司馬さんの奥さんの名前はシンプルだね
ちなみに自分は司馬さんとその息子さんの名前が正しく読めない…
島原の乱、始まった。
>>320 名前はシンプルでも、文章は怪奇朦朧??とうとう連載終わっちゃったよ
同じ新聞記者だったにしろ、ご主人の文才にはとても及ばない・・・
うおおおお
途中までよんでいた文庫本をどこかに忘れてきてしまったらしいorz
たぶん飯食ったところあたりだと思うんだが・・・
>>321 財団の理事リストにふりがな打ってあった
検索してみるといいよ
党のことや自分のことばかり考えているって言ってたけど竜馬さんの言葉を思い出した
薩長は自藩のことばかり考えていて国のことを考えない
幕末の薩長要人は「選挙で選ばれた、国民の代表」ではないけどね。
ここのレスにも触発されて、このところ毎日のように歴史探訪に歩いている。
今の時期、着衣が難しいね。
歩き回っていると汗を掻くし目的地や駅でジッとしてると冷えるし。
きょうは、近江の西教寺で明智光秀、同妻女、一族の墓というか碑を見て来た。
現地では、墓となっている。大層、立派なものだ!
あたりは、人格と篤政を讃える雰囲気の遺物説明ばかりだ。叛逆者としての扱いは片鱗もない。
既に豊臣期にはもうこれだけ立派な墓であり手厚く弔われていたそうだ。
そこで思ったね!
光秀が信長を襲ったってのはデッチ上げで、何らかの原因で信長急死。
光秀軍は、森蘭丸の要請で、混乱収拾と京都に戒厳令を敷くために急行しただけでは?
しかし到著より前、事態を知った信長同行同宿の足軽が発狂して本能寺に火を付けたのでは?
だから、薄明とはいえ、あの大軍が迷うことなく本能寺を一路めざすことができた。
同じく急を知らされオロオロするばかりの二条城の信忠軍と燃え盛る本能寺前で明智軍が鉢合わせ・・・
山崎の合戦は、単なる私戦であった・・・
そうでないと、秀吉治下、立派に葬られるわけがない。
暇人うらやましす
>>328 釣りにしても…
誰に力説したところで
>光秀が信長を襲ったってのはデッチ上げで、何らかの原因で信長急死。
>光秀軍は、森蘭丸の要請で、混乱収拾と京都に戒厳令を敷くために急行しただけでは?
>しかし到著より前、事態を知った信長同行同宿の足軽が発狂して本能寺に火を付けたのでは?
重要な部分がこんなんじゃ笑われるだけだぞ。
大体なぜ蘭丸?小姓にそんな大事な伝言役やらせるのか?
しかし発狂て…
331 :
328:2009/02/28(土) 02:24:31
亀山城に明智軍、本能寺に信長本隊200人、二条城に信忠軍1000人。
この位置関係と当時の行動予定からして、
昼と言わず夜と言わず、各隊間をそれぞれの使者が始終行き来していたはずで、
それは、明智軍が城を出発してからも同様であったのではないか。
ちょっとした自分達の消息や事情、予定、それらの変化変更などを常に連絡し合ったものだろう。
すでに軍事行動またはその準備にはいっているのだから、それは益々頻々激化したに違いない。
そんな中で、明智の大軍が本能寺に断り無しに勝手な行動をとれるはずがない、と思われ・・・
332 :
328:2009/02/28(土) 02:26:28
信長は予期せぬ卒中で急死。
すでに光秀軍は中国路を目指し亀山城を発し行軍中。
そこへ森蘭丸からの使者。
使者が到着したことは軍内周知のこと。事実を知られれば明智軍自身が大潰乱。
故に、軍中には「上様閲兵のため本能寺へ」。
すでに中国路へ出している荷駄部隊は偽装でも何でもなく当時常識の先行。
ただ、今はそれに構っている暇がない事態。だから、放っぽかされただけ。
光秀は、事態収拾・京の警護を自分の任務と考え本能寺へ急いだだけ。
暫らく行くと「右すれば中国路、左すれば京の都」の岐れ。
これは「本来の中国路を見送れ」という軍中への単なる通達に過ぎない。
ところが、桂川畔まで来ると目指す方角に火炎。混乱する軍中・・・。
そこで、「上様は、みまかわれた。京を鎮める。寺へ急げ!」の号令で軍内の気分を
ひとつにまとめ、部署して各所からなだれ込むように入京。
しかし軍中は訳の分からない興奮のルツボ。
寺前で信忠軍と鉢合わせになると、お互い興奮した完全武装の将兵同士、処々で戦闘騒動。
この混乱の中で、まだ取り立てられて日も浅い明智軍の下級将校が騰りに騰ってしまい、
のぼせあがって連呼した大声が「殿は天下様におなり遊ばすぞ、皆大いにはげめ!」の一言。
こうなると収拾がつかず、信忠軍せん滅まで戦闘行為をただ続けるのみ。
森蘭丸以下側近は、信長急死の事実の前に火を見ると気持ちはひとつ。火炎の中で殉じたもの。
その後の光秀は、京と近畿を鎮め、ひたすら織田家ゥ将の到着を待っていただけ。
ところが、この不可抗力を利用して、中原に居る明智軍を狙えば・・・という謀略に展開して行く。
光秀から諸侯への勧誘の手紙、京の有力人の手紙、僧や公卿達の日記、愛宕山での発句は
全て偽書または京を抑えた秀吉の強制・・・・・・???
つまんねーから止めろ
暴れられても面倒臭いから
煽らずにスルー推奨
どうでもいいけど、近年の研究では本能寺の変は
午前6時頃から8時ぐらいまでに行われたとある
つーか信長ってそんなにいいやつではなかったのでは。
あるいは秀吉同様晩年はたがが外れて劣化したとか。
身内には結構甘いイメージがあり>信長
>>335 桂川対岸から本能寺まで2時間かかる。
駈け足で行ったとしても、市中は木戸だらけ。
いくら、各道に分散して進もうが、大軍の行動は時間がかかる。
実際は、もっとかかっただろう?
桂川を渡るだけで、1時間ではムリ。
>>338 光秀たちが最初に攻撃したのが午前6時頃という話
それにたまたま偶然京都市内の旅籠に泊っていた
お鍋の方の息子も参戦して亡くなったとあるから
大軍で本能寺を攻めたというのは無理がある
もう三戦板にでも行けばいいじゃないですか
きょうは、名古屋の町をさまよってきた。
名古屋城の葵の紋にはビックリしたな。
何もそんなにアピールしなくても、そらまあ名古屋は徳川だよな。
歴史記念館も時間をかけて見学した。
あちこち、「信長」も目に付くが、「秀吉」関係の展示だとか説明板が多いね。
そこで、考えたね!
秀吉が卑賤の出ってのは間違いじゃないか?
尾張中村の郷って、結局、今の名古屋市中心部のほとんどじゃねえか。
秀吉は水飲み百姓の小倅なんかじゃないよ。
年少にして家督を引き継いでいた中村郷を領する地侍だよ。国人だよ。
家来も郎党もいっぱいかかえた一大勢力だったんだ。むろん、先祖から木下姓を名乗ってる。
他の地侍達とのネットワークも緊密で、その最右翼が蜂須賀の一党だ。
中村郷を最終的な領域と勢力までした段階で信長に仕えたんだ。
他国なら、国人のまま国の殿様に所属する武将だが、開明的な信長のこと、家臣に取り立てたのだ。
中村郷はそのまま本貫の地とされて、秀吉の織田家での出発点となる。
そうでなければ、浅野家の養女を嫁にできるわけがない。そういう秀吉だからこそ浅野家と同格なんだ。
道理で、5本の指にはいる大将になるまで、「木下」姓を名乗り続けていたはずだ。
最初から秀吉は、織田家股肱の臣よりも出世する条件を備えていたんだ。
>>341 自分の地元は蜂須賀家政の生誕地
そんなおバカな話をしたら笑われる
秀吉の親父は村の顔役の豪農だったという説があるという話はきいたことがあるけどなぁ
実際のところは俺は研究者でも何でもないんでしらない
光秀の話も秀吉の話も、案外史実はそうだったのかもしんないって
思うようになりかけてる俺はバカ?
論証に使ってる事実関係が、司馬さんの扱う史話といちいち合致してる
ナルホドね・・・
明智の大軍が本能寺に近づくまで知られなかったというのが摩訶不思議だな
いくらでも、信長が安土を目指して逃げる間があるじゃないか?フツゥー
346 :
345:2009/03/01(日) 01:12:56
火急のことだったとしてもだ、
たとえば、300や500の明智兵が先着したんだとして・・・
息子・信忠が泊っている二条城はホンの一投足だよ。
走って何分もかかるものではない。
叩き起こして信忠騎下1000が押っ取り刀で寝間着姿で
駆けつけても簡単に蹴散らせるではないか?
悠々みんなして安土へ逃げられるんじゃない?
光秀を侮りすぎ、それじゃあ何も考えてない思いつきで謀反したバカみたいではないか
>>347 眠狂四郎の作者は京都にいた伴天連が出した本能寺の変の報告書には
光秀は信長に退任を迫ったが拒否して自害したと書いてあったと言ってた
(元ネタは男性向け雑誌の人生相談)
それから察するに光秀は勉強だけは出来るバカだったという事だね
>勉強だけは出来るバカ
なんてのが、あるか!
勉強できるから賢いんだ。バカだったんなら本当はたいして勉強できなかったんだ!
>>349 でもさ、「国盗り物語」の光秀は頭の偏差値は高いけど心の偏差値が低い男として描かれてるね
それを言うタラ、信長は心の偏差値低すぎじゃないか
司馬読者のレスの偏差値低杉
最近、このスレつまんないね
一連の新着レス、さっき気付いたが、俺はオモシロいね!
とにかくね、明智軍が本能寺に近づくまで気付かれなかったってのが不思議
上の人の推測が当たっているかも
秀吉だってそうだよ
太田牛一「信長記」には、桶狭間合戦の後でも、まだ藤吉郎・秀吉の名が全く出てこない
書かれたのはずっと後世、豊臣恩顧の大封の武将達がまだ健在で、大坂の豊臣家や
そういう人達に気をつかわなければならない時期なのにだ
ウソのエピソードでもフツー載せるだろう 全く載ってない
だから、こちらのほうも、そういう推測なら当たっているかも
俺も、そっオモた。
卑賤の姓が「木下」なら、あんなに偉くなるまで名乗るわけないやな。
由緒ある誇りにすべき姓だったんだよ。
何しろ方面軍司令長官になる直前まで名乗っていたんだから。
懐の草履も柴薪奉行も城壁の修理もみんな作り話。
桶狭間よりもずっとあとに仕えた豪族、すなわち地侍だったんだ。
それも尾張最大の又最有力の地侍だったんだ。
てことでオケー?
北の政所もただの貧農ババァではなかったと
>>357 それは大政所が何人も子どもが産めるから豪農兼地侍と再婚して
秀長や旭を産んだからと昔から言い伝えられてるよ
秀吉はそんな金と力とコネを使って出世した訳だね
司馬さんの小説は、歴史の勝者になれなかった一方の人物を
徹底的に小人物に書いているよね。
何か人生の役に立ちそうで、おもしろく読んでもらえるだろう、というところかな。
代表的なのが、
家康に対する三成
大久保に対する江藤新平
その他として、
頼朝に対する義経
道三に対する頼芸
信長に対する義元
信長に対する勝頼
秀吉に対する光秀
秀吉に対する勝家
家康に対する淀君・大坂方
幸村・後藤に対する大野
中央政府に対する西郷軍
大山に対するクロパトキン
東郷に対するロジェントフスキー
劉邦に対する項羽
勝者を描こうとすると敗者も書かなきゃ行けないだけだろ
『街道をゆく』を読んでいると、
ゆく先々の土地の人は、司馬さんを見ても、意外と知らないんだな、
と、不思議に思えた。
大体に於いて年配の人に会っている光景が多いんだが、
司馬さんと同時代の司馬読者と云えば、当時20代〜30代前半のサラリーマンだったか?
『竜馬がゆく』なんてのは、青春ハードボイルド小説で、
正に当時そういった層に大受けするスタイル、且つ時代小説で大人気分も充足。
前期の作品には、同スタイルのが多い。
『風の武士』『城を盜る話』『風神の門』
中期の比較的早い時期での
『功名が辻』『妖怪』
いずれも、青年ひとりがハードボイルド的活躍、ゆく手にさまざな障害や事件・・・
その後のロールプレイングゲームに通ずるところがある。
花粉症は、あくまで近年来のもので昔は無かった。
山々の樹相が一変した為。
なぜ、樹相が一変したか?
司馬さんが『街道をゆく』で、40年近くも前に書いてるね。
他の識者の著書を引いて、
「里人が山に、はいらなくなったから」
石油燃料・農藥・化学肥料の以前は、農民は山にはいってそれらをもとめた。
枯葉、枯枝・・・を際限となく拾い集めそれらの資源としてきた。
自然、山の土は腐葉土層として肥えることなく、松の木が多生する痩せた土。
近来、里人は山にはいる必要がなくなった。
山の土は肥えに肥え、松の木は極減、照葉樹林帯と化す。
「今に山々は、暗い照葉樹の雑木で埋まることだろう・・・」(司馬さんが引用している本)
50年後のこんにち、正に、そのとおりになった。
その本も司馬さんも花粉症のことは全く触れてませんがね。
昔は、山々は松林が多くて明るかった。
夜、キツネの行列が松明を持って山道を歩いている姿が、里から遠望できたものだ。
今は、昼間ハイカー達が大勢樹林帯を歩いていても外部からはまったく見えない。
「太閤記」(甫庵太閤記)が書かれたのは江戸時代。
徳川の天下。
豊臣なんて憎しみの対象以外の何物でもない。
東山霊山の墓所なんか破却されたほど。
方広寺と共に復活されたのは明治になってから。
そんな時代の「太閤記」が真実を書くはずがない。
幕府が読んでも、せせら笑う内容にするのが常識。
「笑い転げるほど卑賤の出なんだ」
「さもしいことをして出世の基礎を作ったんだ」
「武功など何も無くトンチみたいなことばかりしてたんだ」(トンチの一休さんは既におとぎ話)
「所詮はただの実務屋じゃねえか」
「こんなことで太閤になったんだな、たいしたことねえじゃんか」
と、思わせばよかった。
天下人だったことは否定のしようがない事実。だから、その過程を全て創作した。
権現様は若年より武功の連続、太閤の若年は薪を数えたり壁を直したり・・・。
これが、作者・甫庵の狙い。
事実は、実務屋なんかじゃ全くない当初からのキャリヤ。
海岸方面を除く今の名古屋市のほとんどを領する豪族。
いつまでも、そのままで独立させておくには危険な勢力。
かつ、秀吉自身も、信長を成長株と見込んだ。
こんな「太閤記」を更に脚色して大衆向けにしたのが「絵本太閤記」。
長いのはうざい
秀吉はイケメン剣士だった、まで読んだ
>>360 三成・江藤は主役で小説書いてるし
執筆当時の世間的な評価よりもずいぶん高く評価してるんじゃあるまいか
項羽もさほど酷いとは思わなかった
劉邦もそんなに良く書いてるわけじゃないし
俺は、オモシロイな!
新しく買った松本清張『巨人の磯』(新潮文庫)てのを放っぽり出してココ読んでるよ。
長いのがキライなら、チャットみたいなスレへ行けば・・・
でも正直スレチだろ
少しくらいなら別に構わないがだらだらと歴史考察だけの長文なら三戦板やらでやれよ
まあ、それも云えてるな。
そう、いつまでも続かんだろう。
そっか、司馬さんの小説出た時の読者は2〜30歳代か。
やっぱり、この年代で初めて見て、「うん?」と注目するんだな。
ここでの最年少は中3の少年だろうな
高校合格したのかな?
374 :
無名草子さん:2009/03/04(水) 13:19:00
項羽なんてむしろ主役で、劉邦は小物に書かれていたろうに
どういう読み方してんだろう?
項羽を劉邦の前に徹底的に小物に描いて、
「リーダーたる者は・・・」「人望というものは・・・」
かくなるものなんだ、
ということを書いているんだよ。
何年か前に読んだけど、劉邦は臆病で無能だが、
生き延びるための嗅覚と中国特有の人心掌握術(配下に飯を食わせるのを最優先)を心得てた
項羽は軍略の才や統率力、個人的武勇は並ぶものがなく、人格的にも劉邦よりはマシだったが
人を殺しすぎたのと政治が分からなかったので滅んだ、みたいな感じだった気がする
韓信も重要キャラだな
「政治感覚のない天才」ってのは司馬好みのテーマ
正義感だけが先走って自滅する運命の人物
義経、三成、江藤(新平)、西郷・・・??
光秀もひょっとするとこのタイプだったのか?
あれは、発作でも窮地打開でも天下狙いでもなくて・・・?
>>378 津本陽のエッセイだったかでも「秀才だが薄運」と書かれていたな、光秀
何となく小沢一郎の逮捕された秘書に似ている
>>365 面白い。実況版ではないのだからこの程度の長さはOKOK
自演乙
最近、三戦板で相手にされないようなバカが紛れ込んでるな
三戦板じゃ理論武装が弱すぎてボコボコに叩かれて嗤われた奴がこっちに来ちゃったのか・・・ウザイねぇ
>>379 報道されている人物像は東京では無名無役だが辺境の地で恫喝を繰り返す影のローカル権力者
どこが光秀に似ているんだ
司馬さんが書いていて知ったんだけど、
「時代別国語辞典」なんてのがあるんだね。
その「上代編を調べてみると・・・」なんて記述が確かあったよ。
といことは、「古代編、中世編、近代編・・・」とあるんだろうか?
何だったかな?「街道をゆく」の中だったか他のエッセイだったか?
胸中をあれこれ語る
土佐人は酒豪らしい
長曾我部もそうだった
その後酔って〜を読むとよそから来たはずの山内容堂が超酒豪
環境が人を作るのか・・・
山内家がもし掛川6万石のままだったら容堂も酒など嗜まず
40代で死ぬこともなかったのであろうか?
まぁそんなこと言っちゃうと三河だったはずの会津藩士が会津弁しかしゃべらないとか
いろいろあるんだが300年もたてば移住してきたものもその土地に取りこまれてしまうということか
「花妖譚」が文春文庫から出るようだ
福井地震(昭和23年)の話、生々しかった。当時、京都支社にいた司馬さんが、記事にしなかった
情景まで書かれていた。赤ん坊の屍体を洗う少女(ry
>>389 『街道を行く』には、京都府庁の車に便乗させてもらったから、福井に一番乗りできたと書いてあった。
他のエッセイでは、自社(産経)の車で福井に向かう途中、福井駐在の同社の先輩が、新聞紙
にくるんだ“うどん玉”を投げ込み、肚が減ったらこれを食え、という話が出ていた(『名言随筆
サラリーマン』だったかもしれん)。どっちが本当なの?
>>391 木ノ本の手前で、産經中部支局長浜出張所の車に乗り換えた
やはり司馬作品は、司馬さんが司馬さんらしくなってからのがおもしろい。
置き場所無いから、初期のは捨てた。
但し『ペルシャの幻術』『ゴビの匈奴』『梟の城』『最後の伊賀者』は異様におもしろいから保存。
後年のも、またおもしろくない。『人々の跫音』『韃靼疾風録』も廃棄。
ダッタン疾風録は面白かったけどねぇ
あれはゴビのキョウドやペルシャの幻術師とあわせて、異民族三部作と思っている
>>394 『人々の跫音』も、「街道を行く」のようなものだと思って読めば、どうってことない。
ただ最後の方の現代の話は、プライベートな話題ばかりで、たしかにつまらん。
司馬さんは、文藝春秋巻頭随筆で『この国のかたち』という大変硬いものを書いた。
なぜ、あんなのを書いたんだろうか?
完全に社会評論である。
本当に読者に喜ばれたんだろうか?
小説に書かなかった歴史エッセイを書いてくれていたらよかったのに。
対談集も大部分は社会評論。
熟年以後の司馬さんには、歴史エッセイがほとんど無い。
『街道をゆく』も多分に評論的な内容。
余談ながら、かつて、わたくしが司馬遼太郎に会ったとき、「国盗り物語」に話がお
よんだ。
「その種本は、海音寺さんの『武将列伝』の『斎藤道三』ですね」
というや、破顔一笑した司馬が、
「海音寺さんは、それを利用しても文句を付けませんからね」
といった。
文春文庫372頁
>>378 >あれは、発作でも窮地打開でも天下狙いでもなくて・・・?
俺も最近はそうなんじゃないのかと思ってるけどさ。ただそうなると
「じゃあ何で光秀は今まで信長に仕えてきたのか? もっと早い時点で反逆せんとおかしいのでは?」
という疑問が出て来るのがな。宝島から出てる「真実の日本戦史」では信長の朝廷に対する政策が
一番の原因では無いかとしているんだが……
>>376 >劉邦は臆病で無能だが生き延びるための嗅覚と
>中国特有の人心掌握術(配下に飯を食わせるのを最優先)を心得てた
>項羽は軍略の才や統率力、個人的武勇は並ぶものがなく人格的にも劉邦よりはマシだったが
>人を殺しすぎたのと政治が分からなかったので滅んだ、みたいな感じだった気がする
項羽と劉邦(というか司馬小説は全く)未読の身で
司馬センセイをとやかく言う訳じゃないけどチト引っかかる所があるな。
生き延びる為の嗅覚や人心掌握術や犠牲を少なくするのも
才能の一つとも言えるし(犠牲を出すモノは全部駄目とは言いませんが)
生き延びる為の嗅覚と臆病とを同一視するのはどうなんですか?とも言えるし。
>>397 >評論
内容には流石に違和感とか異議とか反論とかは出る箇所もあるけど
基本的にはそう悪く無いと思うよ俺は。
動機については…曲りなりにも良い大人で知識人なんだから
良い歳こいて延々と小説ばっかやって世間の諸問題に対して無関係でいるのは
色んな点で拙いと思ったんかな。
まあ娯楽作品も含む創作活動のコアな部分には
社会評論や問題提起や世の中への提言という要素が良くも悪くも少なからず含まれてるワケで。
あと歴史学だってそもそもの目的は「いま・ここ」とこれからの為なんだし。
結局は平山行蔵センセイが仰る所の「この世に実学でない学問と学芸は無いんだよ(←結構うろ覚え)」
と云う所なんですかな。
街道をゆくコンプリート
新装版が出始めたから、旧装版を10数冊買い足した
ゆっくり読もう
この頃の文庫、活字大きいのは読みやすくてありがたいが、
「街道・・・」は、なぜか旧版の方が何となく読みやすい・・・
>>360 何をもって小として大とするかにもよると思うけど
ライバルを小バカor小利口者に描く小説手法は別に司馬に限ったものではないと思うが
>>404 週刊少年ジャンプなんかはどの作品読んでもそればっかり
>>402 むかしは単行本でも競って活字のポイントを小さくしていたな。
活字が小さければ小さいほど、高尚な書物なんだと、勘違いしている馬鹿もいた。
風の武士が好きなんだよなあ。
設定やストーリーがライトノベルっぽい。
スーパー作家、司馬遼太郎!
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1187163286/ 319 :イラストに騙された名無しさん:2009/01/16(金) 17:28:30 ID:tAPCHhqB
剣客商売は老年向けのドリーム小説だからな
・引退して美味いもん喰って悠々自適の生活
・でも剣の腕は衰えず、昔の仲間や周囲の人間に頼られまくりんぐ
・息子は自分と同じ稼業の跡継ぎ
・用事をいいつければ忠実に即座に動いて実行
・最近成長してきたし、そこいらの奴には敵はいないようだ。
でもまだまだ自分には及ばないし、人が良くて頼りない
・そんなこんなで自分への尊敬を忘れず、何かというと頼ってくる可愛い奴
・権力には媚びぬ
・でも何故か気骨がかわれて権力者には気に入られちゃって頼られてしまう
・自分はたいしてそんな気もなかっただけど
若くて優しくて家庭的だけどちょっとオツムの足りないおにゃのこに惚れられちゃって
絆されて同棲状態。もう若くもないのに困るぜもう
・しかも息子に良いと思っていた地位の高い武士娘まで自分に惚れてきたぜ。
320 :イラストに騙された名無しさん:2009/01/16(金) 23:45:51 ID:OSPnIctz
いかにも中年向けらしい、一歩引いた「俺TUEEEEEEEEEEEEE!!」だなあw
321 :イラストに騙された名無しさん:2009/01/17(土) 01:04:36 ID:S9wtZnn/
それに比べて、司馬主人公は基本的にへたれで
ツンデレヒロインにどつかれつつなぜか野郎にはもてもて‥なのがおおいな。
あと司馬ヒロインは恋に落ちるとわざわざ股間が濡れると描かれる。これははずせない。
322 :イラストに騙された名無しさん:2009/01/26(月) 22:00:36 ID:e0oR/Afz
>321
司馬遼ヒロインの「もうしょうがないわね、あたしがいないと何にもできないんだからっ」っぷりは異常
それ以外にも寡黙ロリ少女虞姫だの不思議少女おりょうだのよりどりみどりですよ
無言で突拍子もないことをしでかす変人主人公と、あきれつつも見守るヒロインっていう司馬小説によくある構図もラノベっぽいかも
貼付は、よせ!
関心が有れば、そっちへ行ってるんだ。
行かないってのは、そんなスレ、全く興味無いんだ!
411 :
無名草子さん:2009/03/24(火) 14:44:16
今司馬さんNHKに出ていますよ。
>>410 他のスレではこういう話があったぐらいでいいよ
司馬自身の自信作ってのは何なの
『この雲のかたち』
『竜馬が如く』
『司馬自身』
司馬さん本人は、『燃えよ剣』と『この国のかたち』に思い入れがあるような談話を
のこしている――のを何かで読んだことあるな。
前者の時期は『竜馬――』や『国盗り――』も執筆していたし、
後者は『風塵抄』や『街道をゆく』の執筆時期なのに――。
自分は、両者とも、あまりおもしろくなかった――。
前者は、テーマが、小説の展開で浮き彫りになるのが本来なのに、「説明」で前に出過ぎ。
後者は、一つの見解を述べているに過ぎない――から。
上の方にあるように、後世残るのは「街道をゆく」かなあ、との談話もある。
何れにせよ、司馬さんは、自分の作品を振り返って物を言うことが少なかった。
評者の論にもほとんど無言だった。
松本清張と正反対だ。
清張は、あれだけ多作でありながら、自作への評判を気にした話が多く残っている。
評論に対する反応も早かったし、反論も公然としていた・・・。
司馬は持ち上げられすぎの面があるからな
民法典等の編さんから約百年、日本国憲法の制定から五十余年が経った。
当審議会は、司法制度改革審議会設置法により託された調査審議に当たり、
近代の幕開け以来の苦闘に充ちた我が国の歴史を省察しつつ、
司法制度改革の根本的な課題を、
「法の精神、法の支配がこの国の血肉と化し、
『この国のかたち』となるために、一体何をなさなければならないのか」、
「日本国憲法のよって立つ個人の尊重(憲法第13条)と国民主権(同前文、第1条)が
真の意味において実現されるために何が必要とされているのか」
を明らかにすることにあると設定した。
出典:
司法制度改革審議会意見書ー21世紀の日本を支える司法制度ー
(平成13年6月12日)
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report-dex.html
「この国のかたち」て、「坂の上の雲」や「国盗り」、はたまた「団塊の世代」などと
同じように、こんな所で使われる新語に成ってしまっていたのか――
ラストシーンで最高というとなんぞ。
俺は嘉兵衛の別れのシーンなんだが。
>>423 ラストシーンを読むと何故かいつも泣いてしまうのは「燃えよ剣」
五稜郭最終戦で、土方歳三が単身敵陣へ斬り込んでいくシーンか?
> 嘉兵衛の別れ・・・
って、「皆で、大将!ウラー、と言ってくれ」てえヤツか?
函館の北方資料館に嘉兵衛の資料が色々あった
いやいや、港のあれだろ
花神のラストシーンも好き
仕事だけしまくった人生の最後に、イネに看取られて死ねるなんて幸せじゃないの
大村が生きていれば西南戦争なんて数十日で片付けたろうなぁ
大村益次郎の最期って、イネに看取られたんだっけ?
人生の途中で生別れじゃなかった?
> 西南戦争なんて数十日で片付けたろう
実際も「数十日で片付」いてるんですが・・・どんな差があるん?
西南戦争は蜂起から鎮圧まで7ヶ月もかかってるんだが・・・
少しはググれ
明治の精神が終わったと言われるのも西南戦争だったか。
>>429は司馬の本読んで無いのが丸わかりなんだからスルー汁
「花神」で思い出すのは豆腐が大好きなのと桂との出会いの話
どこまでが本当でどこまでが嘘か自分で確かめたくなる
大村益次郎と云えば、とてつもなく偉い人という思いだったが、
司馬さんの「花神」で、人間味が感じられた。
「花神」といえば、像が踏んでも壊れない固い豆腐
A型人間(司馬さん)は、物事を大げさに捉えたり表現したり――。
右か左かハッキリ分け過ぎたり正邪の区別をしたがったり――。
何でも明確にしないと落ち着かないのでしょうね、多分。
総合的に見る、右からも左からも見る、正が有れば悪も有る、という
現実的な見方・考え方をA型一般は出来ない欠陥を持っている。
だから、土地売買が盛大になって土地が高騰すれば、「土地は公有にすべし」。
極端な考えが出てくる――自由社会が壊れるよ!土地が騰るのを悪と見る。
木を見て森を見ない、のもA型の特徴。
土地が高騰したから公有にしろって
言ったわけじゃないけどね
女子供に媚びるとき以外で血液型で語るやつ初めて見た
「統帥権(の独立)という怪物が跋扈した」
陸軍独りであれだけの大戦に日本全体をもっていけるワケがない。
人口七千万の社会が大戦争を経験したのは、そんな割り切った考え方で
理屈付けられるものではない。
「この国のかたち」は書かずもがなの連載であった。
作家は世の中の外れ者。歴史作家で有れ現代物作家で有れ、
作家が作家である限りは、外れ者、大いに結構。その方が芸が上がる。
しかし、外れ者感覚で世の中の大枠を語っては罪である。
歴史エッセイを連載してくれていたら良かったのだ。
偉そうな人が多いですね
学生の長期休暇中はこんなレスが多い
チャンネル:教育/デジタル教育1
放送日: 2009年4月5日(日)
放送時間:午後6:00〜午後7:00(60分) 」
日曜フォーラム「“坂の上の雲”正岡子規とその時代の明るさ」
司馬遼太郎の命日を期して毎年開催されている第13回菜の花忌シンポジウム。
今年のテーマは長編「坂の上の雲」。正岡子規を中心に明治期の人間像を
めぐって語り合われる。
>>442 「燃えよ剣」の読書感想文を書いた中3の男は無事に明日高校生になります
大衆小説で読書感想文とかどんだけ
446 :
無名草子さん:2009/04/07(火) 15:43:58
何があかんねん全然おKだろ。
もう司馬ちゃん竜馬リスペクトし杉www本当にそれほどの人物か???
>>444 進学おめでとう
10代が半分、20代がまるまる、残ってるなんてウラヤマシス
俺等はダメやったあ。――読書感想文。
変態小説の川端康成と不倫の佐藤春夫は良くても、
司馬遼太郎と松本清張はダメだった。
学校教育間違っとる!
今だから、そう思うんだけどね。
松本清張の評価も年々たかまってるね
生前は司馬以上にインテリに軽視されたのに
一般大衆の評価は侮れないね
サブカルチャーとカルチャーの境界で書いていたはずの司馬がカルチャーのど真ん中になっちゃったのと同じ流れだろう
よくもわるくも「インテリ」は滅んだ
私が司馬好きな理由は単純に文章が心地よいからだ、とさんざん司馬作品を
読んでから気付いた。
特に、街道をゆくなどのエッセーでのほんのりした文章がよいですね。
>>452 わたしもそう。
あの段落の取り方とか、リズム感がたまらん。
小泉純一郎が最初に読んだ司馬作品が「国盗り物語」。豆知識な。
>>454 小渕優子のお父さん、「21世紀を生きる君たちへ」を国会で使っていたね
萌えよ剣とかいうパチスロのCM見たんだけど何あれ…
>>456 どうせなら栗塚旭主演の「燃えよ剣」がパチスロになればいいのにね
「沖田総司の恋」を読んでいたら、途中で寝た。
萌えよ剣は池澤が演じてる子しか見所がない
名前は忘れたが
ちなみにキャラデザは高橋留美子
豆知識な
そんなもん絵を見れば分かる
坂の上の雲、司馬の遺志に背いてのドラマ化に続き、ついにパチンコに! っていうんだったら笑うな
白襷隊リーチ
>>461 東郷ターンが連発したらパチンコ店が潰れそうだな
教えてちゃんでごめん。
NHKの「街道をゆく」冒頭の一節って、ドコからの引用なのかな?
ネット調べたら「土を識る」より、って書いてあるところがあったんだけど、
そのタイトルでググっても分からないorz
それがどの本に掲載されているのか知りたいんだが…。
教えて!エロい人。
既出だったらスマソ。
一応このスレのは一通り読んだんだけど、内容なので質問させていただきました。
465 :
無名草子さん:2009/04/15(水) 14:51:28
街道をゆく、司馬氏の取り組み方に関心あります。
地方のマイナーな地区・史跡などが多いと思いますが、
どうやってその小さな歴史や地域をピックアップできたのか?
読書量は並大抵でないから知識・情報が豊富な方であるとか、
地図をよく眺めて思索したというようなこともなにかで読んだこと
あるのですが。具体的な手法というか選別眼がすごすぎます。
日本の影の支配者朝日新聞の情報網なめんな
467 :
無名草子さん:2009/04/17(金) 03:33:27
そうなんですか。
有名な作家になると秘書、アシスタント並みに
至れり尽くせりで情報あつまるのですか?
それでも執筆の力量あってこその情報網ですよね。
情報収集のお手伝いは、編集担当者一人だけかと。
ほとんどは司馬さんみずからの考え、選定では。
「街道をゆく」の旅は、実際にはみどり夫人が同行しているのに、文中で出てくるのはわづか。
司馬さんが訪れても土地の人は司馬さんを知らない様子に読める。
当初から雑誌等の写真で見ている司馬読者には考えられない現象。
坂の上の雲のあとがきに書いてたな
史料集めを手伝う人がいるのかと聞かれて、唖然としたと。
自分一人でやるしかない仕事に決まってるとかなんとか。
>>466 新聞社の場合はイチローの新記録がそうだけど
写真が届いたら即記事書かないといけないからな
だから頭の中にデーターベースを作ってあるんじゃないかな?
471 :
無名草子さん:2009/04/18(土) 05:02:36
有名な史跡ではなく、辺地のほうが歴史を垣間見れるものや
風習などが残っていて、当時の気分を想像するのに役立つと
いうようなことも街道を行くのなかで記述あったと思う。
実はあんまり歩いてない旅行記。
現地に行かなくても書けそう。
473 :
無名草子さん:2009/04/18(土) 10:23:13
>>472 それを言っちゃあ、お仕舞えよぉ!
現地の描写から離れて、歴史エッセイを自由自在に述べている。
中程の巻以降、大抵その傾向。
474 :
無名草子さん:2009/04/18(土) 15:24:56
土地バブルやマネーゲームへの警告は、
専の門家並みで法制度・思想の改変まで視野に入れてたようだ。
別の話だが、21世紀に生きる君たちへの緒方洪庵も
良い話だと思う。
たぶん「空海の風景」執筆前後の「街道を行く」だと思うのだが、やけに宗教関連の叙述が
続くところがある。ちと大儀じゃな。
街道の最終巻は病院とか病気の話が多いな
「21世紀に生きる君たちへ」を教科書で読める子どもたちに嫉妬した事がある
あれを小学生で読んでもピンと来ないよ、たぶん
入団1年目初打席の鈴木一郎に何か言ってやりたいことがありますか?
という質問みたいなものだからな。
480 :
無名草子さん:2009/04/19(日) 08:57:38
古座川の山荘ってどのあたり?
一枚岩の近く?
箱根の坂はクソ駄作と北条早雲ヲタの俺が言う
箱根の坂は、今川範忠が討たれるところまでは面白いんだけどなあ。
鳴かず飛ばずの男が、戦乱の世を観察しながら、懸命に出来ることをしていこう、という感じだし。
だけど、伊豆の話あたりから、新九郎の行動は普通の大名に過ぎなくなるし、
足利茶々丸とか、上杉定正とか、三浦とか、絡む人物が小物過ぎるし、
合戦描写が何より詰まらない。
年とって知識は増えたけど、
戦国時代を描くだけの体力はなくなった感じだな
あと、早雲の年齢問題もある
敵が小物で馴染みが薄いというところが最大の難点だな。
早雲と七人の浪人の話は有名だが、伊豆に下る前の話が中心だからな。
箱根の坂は文庫での下巻からは面白いけど、上巻中巻がダルくて死にそうになった
和歌というか詩みたいな文章のところは飛ばし読みしていたし
司馬さんは和歌が好きだったみたいだね。街道で自宅に戻って、旅に同行した○○さんの歌を
毎月届けられる和歌の雑誌で読んでいる場面があった。
>>482 じゃあもうその少し後に
風塵抄と
この国のかたちと
街道をゆくの
3つのみの
セミリタイヤ生活に入ったのはむべなるかなですかね
生前自分でも、「リビドーの支えがなくなったから、もう小説は書けない」
みたいなことを言ってたな
まあ、調べまくって書きまくった、ものすごい人生だったとは思う
司馬遼太郎が書いた、憎悪と皮肉に満ちた太平洋戦争物が読みたかった。
ノモンハンは資料だけは集めたんだっけ?
合理性を評価の基準にする癖があるから、きっと日本側の登場人物なんてボロクソだろうな。
統帥権(クリミア戦争までイギリスでも統帥権は国王にあったのだが)と
陸軍参謀本部(海軍軍令部でないところがミソ)が諸悪の根源という価値基準で貫かれて、
実は日露戦争後に政府の方針に反して、遼東半島を軍政下に置こうとした児玉源太郎の事とかも
あっさりとスルーしたりとか(秋山の晩年みたく)、
結構それなりにすっきりとした太平洋戦争物として却って面白いものが出来たかもしれないのに。
(史実というより講談に近くなるだろうけど)
海軍を主役にしたほうが書きやすかったかな
高木惣吉あたりを主人公にして
>>469 資料集めは古本屋さんの功績が大きいと思うw
書店へのこだわりは街道の本郷のところで出てきたような気がする。
>>471 街道で出てくる司馬さんの思考過程って民俗学的なんだよね。
柳田国男の本を読んでると通じるものがけっこうある。
風土を解釈するのに民俗学的アプローチを持ち込んで、
それを文献からわかる歴史的事実と混ぜて小説を書いたのが
司馬さんなのかもしれない。
民俗学って、こういう形態の前にこういう形態があった、というような
順序は分かっても、この年代にはこうだったということが分かりにくい
(研究書を読んでも、たいていの場合、相対的に時間関係が書いてあるだけで、
絶対的な時間は書いていないことが多い。)んで、歴史小説、時代小説
に生かそうとすると、かなり大量に本を読み込んでないと難しいんだよね。
ピンポイントで情報探すことが出来ないので、自分の知識の空白を
埋めていくような読書が必要になってくる。
493 :
491:2009/04/27(月) 01:55:04
>>492 反応ありがと。
まさしく司馬さんの脳みそにはそういう歴史データベースが出来てたんじゃ
ないかな。「この人物のこの行動はこういう風土的な背景に裏打ちされていて
そうならばここでこういうことを言ったに違いない」みたいな推論
(ほとんど妄想w)が出来る人なんてそうそういないと思う。
そういう空想能力から出てきた小説なもんだからなまなかな現実味が有って
なんかこう、絶賛されたり批判されたりするのじゃないかな。
494 :
無名草子さん:2009/04/28(火) 16:36:14
民俗学の視点ですか、
それは重要だと思いました。
歴史の事実を、文献、資料から読み解くことに
関しては、宮城谷昌光氏がさらに発展させたと
感じてたので、
その他の差はその民俗学的なものと個人差かもしれないです。
495 :
無名草子さん:2009/04/28(火) 21:22:36
民俗学視点ねえ――。
そういえば、「街道・・・」には、折口信夫の名も出てきていたような――。
496 :
無名草子さん:2009/04/28(火) 21:33:36
とにかく司馬さんの読書量は半端ではなかったみたいだなあ。
単なる史料・資料集め以上のものがあったみたい。
毎晩寝る前も本を読みながら眠りにはいるらしい。
執筆と取材旅行以外は読書だったのか?
497 :
無名草子さん:2009/04/28(火) 21:45:34
司馬さんの趣味って一体何だったんだろうか?結局、読書ではなかったのか?
みどり夫人によると、音楽・カラオケ一切無縁、食道楽も無し。
酒、女・・・でも無し・・・。
もうひとりの国民的大作家・松本清張は、パチンコが趣味で、女のほうも活字になるくらいだし。
映画にも目がなかった。自分でも再々出たほどで、たぶん自分で作りたかったのでは、と。
その点、司馬さんは、自作の映像化には案外淡白だった。
498 :
無名草子さん:2009/04/28(火) 21:51:40
清張の場合は、その上に、やはり原稿書くことそれ自体が何といっても張り合いだったと思う。
単に催促で追われていただけではなかった。死ぬまで創作を書き続けていたからね。
司馬の趣味はバンダナ集めw
500 :
491:2009/04/29(水) 01:36:18
>>495 街道を何度も読んでて、司馬さんは風土を理解するのに考古学・民俗学・
宗教(古神道)をうまくつなぎ合わせるなあ、とつくづく思ってたんだけど、
こないだ柳田国男の本を読んだら、司馬さんの語り口とよく似てて
ちょっと驚いた。柳田さんの方が世に出たのは先なので、ひょっとしたら
司馬さんの方が影響を受けた側なのかな、と思ったのさ。
>>499 子供のころは鏃集めだったらしいよ。考古学オタクだったらしい。
#やっぱり収集系だよねw
501 :
無名草子さん:2009/04/29(水) 17:16:13
司馬遼太郎の後継者っているかな。
宮城谷氏と司馬氏の会見に立ち会った編集者は
何か大きなものが引き継がれたと回想してたが。
立場と思想が大きく異なるようにも感じるが・・・。
502 :
無名草子さん:2009/04/29(水) 18:30:19
能力と器(うつわ)、読後感と面白さ、も一度読んでみたさと他のも読んでみたさ、
文章のうまさと読者の惹付け度――も大きく異なる。
そんなもん受け継ぎようがない
司馬の手法は、本人がすでに試しつくしてるから
真似したところで、そこにあるのは荒野だよ
504 :
無名草子さん:2009/04/30(木) 18:37:00
>>501>>502 能力とウツワが、余りにも違いすぎる。
宮城谷と津本だけは、もう絶対読みたくない。
506 :
無名草子さん:2009/04/30(木) 21:53:57
そうだろうな〜。司馬さんに引けを取らない歴史時代作家と言えば、
海音寺、陳舜臣、山周、それに松本清張の時代小説ぐらい・・・。
以後は、残念ながら皆見劣りする。
以前は、――大佛を含め前は時代遅れ・・・。
何にせよ晩年の司馬が、宮城谷に入れ込んでたのは事実みたいだな
だいぶボケてたのかもな
戦前を知らない人に歴史時代小説はかけないと思う
貧をベースとしたかつての日本のモラルを肌でわかっていない人には無理
509 :
無名草子さん:2009/05/01(金) 17:14:53
まして、女の作家の時代小説なんか・・・
宮部みゆきが何か歴史小説に手を伸ばすそうな。
ミステリーであんな程度だから、やめといた方が・・・
しかし、司馬(晩年)の客層は塩野、宮城谷が獲得したっぽいな。
雑誌とかのアンケート見るとそんな感じ。
塩野が?あの人はローマ史だろ?
宮城谷はまあ分かる、勉強家だもんな、俺も一時期はハマったよ
けど何度も読みたくなるような作品は無いなと気付いたから全部売り払った
作品を再読したくなる作家は、司馬、海音寺、隆慶一郎、柴練ぐらいだね
ローマ人の物語は、売れてると聞いたから
読んでみたけど、全然つまんなくて3冊ほどでやめた
色っぽい文体
そこはかとない喜劇性
歴史を一から書きかえるような、スケールの大きさ
欠点も多々ある司馬だが、
その美点をすべて受け継ぐのは至難
隆慶一郎は惜しいね。彼の登場で初めて司馬遼太郎の牙城が揺らいだといわれたけど
早死にしてしまった。
せめて後5年生きていれば
>>509 文藝春秋・別冊の司馬追悼号で、宮部が「自分は生前一冊も司馬さんの本を読んだことがない。
こんな自分だから執筆依頼をお断りしたんだが、図々しい自分は、司馬作品を読んだことのない
人間の追悼原稿があっても面白いかな、と思い直して、書いている」とあったな。
大丈夫なのかな?
タイプが違うからいいのでは
史論を展開するわけでもないだろうし
宮部の文章はうまいと思うよ。平易でさらさら読める
司馬の小説を読んでることと
いい時代小説が書けることは何の関係もない
つーか、歴史好きだったら、吉川と司馬は読むだろう。1冊ぐらいは。。。
>>519 ホームドラマを過去設定にした時代劇に飽き飽きした人だったら
1度は読むのが司馬、吉川であり、池波だろうね
永平寺の駐車場で、観光バスの団体さん多数に遭遇して、逃げるように
他の史跡を目指した司馬さん一行が印象的だったな。
宝慶寺や平泉寺のような、観光名所になっていない史跡ばかりを歩く
「街道を行く」は、ある種の読者の強い共感を獲得したのだろう。
ホームドラマを過去設定にした時代劇
観光バスの団体さん
大衆にモテたい社寺
なんか共通項があるな。
司馬って色白が好きだよな
ああ司馬さんの女性の好みってどんなだろうね
料理が出来なくて弁が立って眼鏡っ子の人じゃね?
なんか学生時代いつも電車で一緒になる人見初めて後つけたことあったね
このスレの住人は
司馬さんの本を何冊くらい持っているの?
(コンプリートが当たり前の世界?)
七割くらいは読んだかな
街道シリーズは、苦手なので読んでないけど
好みとかあるから
必ずしも、全読にこだわらなくてよい
と思う
>>528 司馬さんの場合、コンプリートは困難だからな。
いまだに「ペルシャの幻術師」が処女作扱いなんだが、
ほんとうの処女作「道化の青春」を読んだ人って、ごく僅かだろうな。
531 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 14:02:54
私は全集だけ読みましt
全集が揃っている図書館から自転車で10分程度の場所に住んでいるせいか
文庫本で10作品持っている程度かな?
533 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 14:57:51
>>532 > 自転車で10分
いゝとこに住んでるなあ。
図書館まで、バス→汽車→バス。全集は貸出不可。
コンビニも宅急便もないので、本1冊入手するのに、都会まで一大旅行。
いまは全集も値上がりしたんだろうけど、第1期初版のときは、高校生の小遣いで買える
程度の値段だった。月1回の配本なので、同級生でも買っている奴が多かった。
ちなみに、第1回配本は「燃えよ剣」な。
>>532のかーちゃんは、孟子のかーちゃんなんだ。
536 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 15:11:03
全集1冊づつ、なんて考えられない。
今、買おうとすれば全巻纏めて先払いの注文生産では?
>>536 もうそんな状況なのかなー。作者没後第3期を買ったのが、ついこの間だったような気がするが。
>>534 >第1回配本は「燃えよ剣」
これで思い出したが、今日はその主人公土方歳三の誕生日だったわ
540 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 15:42:47
>>539 へぇー、そんなら「こどもの日」で、あたりは鯉のぼりが泳ぎまわっている――日の生まれ?
>>538 俺も、短篇全集の後ろに付いていた年表で初めて知った。ただし、短篇全集には掲載されていない。
4回連載の小説らしく、中篇の扱いなんだそうだ。だから読んだことがない。
その年表には、「道化の青春」が、司馬遼太郎名義で発表された初めての作品だとあった。
「ペルシャの幻術師」は2作目。
司馬本人は、「梟の城」以前の作品は習作だからと
出版されることを拒んでた
「坂の上の雲」も映像化されたし、
死んじゃったら、故人の遺志なんて守られるはずもないと
>>541 でも、『わが生涯は夜光貝の光と共に』は、福田定一名義の1950年
(司馬遼太郎を名乗る前)なんで、こっちの方が本当の処女作なんじゃない?
>>545 まあ、そうなんだが、その後、ずっと使うことになるペンネームを初めて冠した作品となると、
読んでみたいという興味は湧くな。『わが生涯は夜光貝の光と共に』などは、現在、すぐに
読める。読めないのは、「道化の青春」と三河一向一揆についての連載小説だ。この二つが
短篇全集に掲載されていない。
誰も司馬の全貌をつかめていないのに、
語られすぎではあるわな
>>544 その辺の事は財団の理事の人たちが決めていくんだろうね
web小説として読んでみたい作品もあるからな
>>546 >三河一向一揆についての連載小説
それ読んでみたいんだけど、なんて題名?
公刊されている単行本には、収められてないの?
550 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 21:11:53
それら全部、文藝春秋臨時増刊号『司馬遼太郎の世界』
中央公論臨時増刊号『司馬遼太郎の跫音』
に載ってなかった?――共に、その後、文庫化・・・今日に至るも文庫増刷り発売中。
551 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 21:13:30
み〜んな、光文社文庫で出てる(文庫中に採録)よ!
なんだ、短編全集に収めれてないだけで、普通に単行本で読めるのか。
「豚と薔薇」は?
554 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 12:45:00
>>553 「豚と薔薇」は文庫に、はいってないよ。
古本の単行本は高いが、同じ古本でも、角川新書「古寺炎上」の中に所収されていて、
こちらの方が安いと思われ。(司馬さん生前は安かった――今は高いんだろうか?)
他にも珍しい司馬作品(短編)、あるよ。「足跡」「千年の遷都論」とかね。
>>550に所載されている。
やたらと性描写を意味なく入れてくる変態作家
556 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 13:24:40
>>555 当時は、それを入れるのが、大衆向け小説の常識だった――はいってない小説はなかったぐらい。
司馬小説の場面は、直接的表現ではないのに、妙にリアリティがありエロチシズムなのが特徴。
この点でも、卓抜した筆力である。
557 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 13:33:42
「梟の城」までの単行本化を断わっていたのは、深い意味があるわけではない。
司馬さんは堅い人で、「梟の城」で作家として世に認められたんだから、
いくらそれまで司馬遼太郎を名乗っていようが、プロの作家ではなく、おこがましい。
という考え。
しかし、ご存じのように、それまでの作品は、決して習作てなものではない。
今読んでも一流の作品、おもしろいのばかり。まして、駄作なんてなものは無い。
(ところが、司馬さんは、そう考えていたフシがある――)
司馬ほどの作家なら、遅かれ早かれ
世に出た原稿は全部出版されちゃうでしょ
間違いなく商売になるんだから
どうせ出版されるなら、早く読みたいのが読者というもの
559 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 13:41:56
初期作品をコマメに文庫化してくれる文春文庫と光文社文庫に敬意を表する。
もっともっと取り込んだのを発売して欲しい。
560 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 14:52:54
>>557 本多勝一なんて、全集に小6の時に書いた作文まで収められてるそうだから。
司馬の全集は、タイトルを知られている作品が抜けている点で不完全だが、
書簡のたぐいまですべて収めている全集は、一般の読者には用がないな。
563 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 17:08:46
「司馬の」に限らず、全集とはそんなものだ!
所収作品の選択に作家本人の意思が介在するんだから、当人の何らかの基準に適わない物は漏れる。
もう死んじゃってるんだから、全集の補巻を出せばいいじゃんか。
現に、作者の意思で全集から漏れていた「ペルシャの幻術師」は、死後、本人に無断で
全集の最後の巻に「補遺」として収められていた。
565 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 17:35:34
「ペルシャの幻術師」も「ゴビの・・・」も無類におもしろい。
――いや、作品として非常に高度な出来だと思う。
今なら、これらで充分、直木賞を2つも3つも取れそう・・・。
構成がしっかりしているだよな。吉川英二はブツブツ文句つけてたけど。
567 :
無名草子さん:2009/05/06(水) 18:58:30
確か、海音寺潮五郎が「この人は天才かもしれない」て評したのが「ペルシャ・・・」じゃなかった?
海音寺は、後々まで、司馬さんの天才を逸早く見付けたことを「少々自慢である」と語っていた。
海音寺さんは、早くから目をつけていたんだろうな。
最近の評論家が、直木賞受賞以前の作品から目をつけていたというのは怪しい。
いっそ宮部のように、初めて読んだと白状した方が清々しい。
>>566 面白いけどダラダラと長い作品が多い吉川にそんな事言われたくないな
吉川英治・松本清張・司馬遼太郎の三大国民作家はお互い接点が乏しかったな。
571 :
無名草子さん:2009/05/07(木) 12:44:19
安部公房が司馬遼太郎のファンだったというのが興味深い
『伊賀者』の中にぎだんの術というのがでてくるけど、あれって
なんか元ネタあるんだろうか?
ぐぐっても、司馬遼関係の話しか出てこないんで、純粋な創作っぽい気もするが。
573 :
無名草子さん:2009/05/07(木) 21:07:05
>>572 それ、司馬さんの創造だ!
剣法でも(史伝物での)登場人物でも、司馬さんの創造・創作っての多いよ。
だから、楽しいのだ。
それが好き嫌いが分かれるところなんだろうな。
いかにも元ネタがありそうな書き方をして、純粋な創作ってのが結構多くて。
津本陽なんかとは真逆というか。
広い意味でのファンタジーというのを了解していればいいんだけど、
歴史マニアの場合、創作ならちゃんと分かるような書き方しろ、って怒る奴が出てきてしまう。
575 :
無名草子さん:2009/05/07(木) 22:14:09
> いかにも元ネタがありそうな
> 津本陽なんかとは真逆
それそれ、その通りなんだよ。司馬作品ってのは・・・。
俺は逆で、「だから、おもしろいんだ」ってクチ。
よく、ここまで思い付くな、よく創るな、と。
ま、一番大仕掛けの創作は、竜馬と秋山兄弟の社会的地位と歴史的位置付け!
いや、どの作品とっても、必ずと言ってよいぐらい、「出てきたなあ〜」ってニヤーッとするものだ。
576 :
無名草子さん:2009/05/07(木) 22:39:29
だから、史実と思い込むトラブルがエピソードにもなる。
エピソードではないが、池上何とかというオッサンの作家が剽窃で沈没したのも、
情景とか文体とかじゃなくて司馬さんのオリジナルと知らないで、そのまま書いたのでは?
あと、
編集者が「こういうことって実際にあったのですか?」って訊いたら、
「キミ!それは、小説だよ」って――何かで読んだことがある。
司馬さん自身のエッセイでも、思わぬ子孫が出てきて、「そんなこと知らなかった」とか
「(軽い)抗議めいた手紙を受けた」とか――何のエッセイだったか?
晩年は、本人も「歴史家」ぶるようになって、
想像力の飛躍がなくなったよな
でも、「ぎだん」とか字も語源も不明のそれっぽい言葉を造語するのって、
糞真面目な奴からすれば、許せない罪だろうな。
でもそういう風にしないと、リアリティが出せないし。
よく新撰組の○○はこんな性癖だった、戦国武将○○の女の好みが
どうたらこうたら、夜の床ではこんなことを〜
なんて描写があるけど、まったくの創作として書いてるの?
そんなこと文献に載ってるもんでもないし。
全て小説です
あれだな、そういう奴らって吉川英治「宮本武蔵」におつうが出てくるのも許せないんだろうなw
>>580 おつうは原作よりも「バガボンド」を読んでいると
「アンタ、何の為にそこにいるの?」と突っ込みたくなるので
出しただけの値打ちはある
582 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 09:18:47
>>579 >そんなこと文献に載ってるもんでもないし。
直接書かれることはないけど、手紙などから間接的に読み取れる場合はあるだろう。
ただそういうケースはかなり少ないだろうから、研究者ならともかく、小説書く場合には
それだけに頼ってはいられない。
司馬の場合は多分、一度あらゆる断片的情報&自分の持っている歴史・時代知識
を総合して、自分の中にバーチャルな人間像を創り、実際に動かしてみてその様を
描写しているんじゃないだろうか?
そして描写する際の記述方法が、リアリティを出すために(想像の結果の書き方ではなく)、
史料に記載があるかのような書き方をしているということではないだろうか?
583 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 10:30:29
>>580 吉川英治は最初っから、創作臭ぷんぷんだからいいんじゃない?
歴史家みたいにいわれること自体無いし。
一般人は大よそを知ってりゃいいんだよと、海音寺先生が言ってました
?
くどいように言うけど、司馬遼太郎はそもそもが小説家なんだよね
晩年は長編小説を書く気力がなくなってきたから歴史家と思われただけの話
司馬個人のスタンスが変わったのは、社会の変化も大きい。
60年代ぐらいまでは、小説に限らずいい加減なものが多かったよ。
例えば武道の名門流派も、平気で捏造くさいこと言ってたけど、
それを本気で突っ込む奴も少なかったし。
80年代以降、情報化社会が進んでくると、そうした寛容さは失われていった。
発する情報にはすべてソースが求められ、インターネット時代になると2chみたいな場所で
さえ二言目には「ソースは?」だし。
漫画も、手塚治虫のような大雑把な下調べでは通用しなくなって、対象分野の資料網羅&
専門家にヒアリングが当たり前になっているし。
588 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 14:48:26
>>586 小説の内訳も大分変わってきたからねぇ。
小説家だから、の一言で説明のつく時代ではなくなってきたんだと思う。
>>587 読者の側が寛容というより、単純に知らなかったし、調べようと思うと、自分で本を買うか、
図書館へ行くかしかなかったから、結局調べなかった。
物語として面白ければ、史実なんて、どちらでもよかったしね。
同じ題材で何作も小説が作られると、物語としての面白さは次第に弱くなってくる。
それ以外の付加価値を求めるようになるな。珍しい史料に当たって、実はこうだったんですよ、
みたいな話を求めるようになってくる。
590 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 15:27:13
小説は、史実なんてどうでもよい。おもしろければいゝのだ。
よく知られている史実や時代考証をミスると問題となるだけのこと。
ありもしないSF的なものは論外。
リアリティに嘘をつき、読者をグイグイ引き込んでいくようなのが本当の小説だろう。
司馬さんの作品がそれだと思う。
「講釈師、見て来たような嘘をつき」を小説の世界で地でゆく描き方が司馬さん。
講釈師のような地の語りも、ちゃんと「余談ながら・・・」と出て来るしね。
司馬さんの書き方は、背景となる史実を全部取り込んで描くから、よりリアリティが出ている。
591 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 15:46:54
第一、あの池上某のオッサン作家が司馬さんのオリジナルと気付かないで自作に取り込んだ
ぐらいだから、いかに司馬作品が・・・云々・・・
とにかく、司馬作品はおもしろいんだよ。
昔はインテリ講談と評されたこともある
593 :
587:2009/05/08(金) 16:45:55
>>589 >読者の側が寛容というより、単純に知らなかったし、調べようと思うと、自分で本を買うか、
だから、寛容と言っているのは社会だよ。
595 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 16:48:19
司馬さん以外で幕末もんでおすすめある?
新選組に興味を持ったなら子母澤寛の新選組三部作がオススメ
幕末に多少詳しくなれば、海音寺の「幕末動乱の男たち」「西郷隆盛」がオススメ
ただし幕末の知識が全然ない人には辛いので気をつけて
連休に100円で買った新撰組血風録を読み終わって、
菊一文字をググッてみたら、いきなりデマとか創作とか出てきてワロタ。
いちいち人物批評しながら話を進めているくせに、
一冊ほとんど創作かよ、と思ったら萎えてきた。
>>596ありがとう
新撰組を読みたいので子母澤寛を借りてきます
599 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 19:49:14
>>597 創作がおもしろくない、ってのなら、小説を読むこと自体、
目的に適ってないんじゃねえ?読む本の種類が違うかと・・・。
創作はいいんだよ。
時折、この時代は○○だから××であったろう、
みたいなフレーズ入れて、さも史実に忠実です
と言わんばかりなところが萎えるんだよ。
うっかりすると信じちゃうからね。
疑いながら読むのもつらいけど。
まぁ、うそをうそと見抜けないと司馬小説は難しいのかな。
>>600 えええええ
小説なんだよ?最初からウソです、っていってるし
嘘を嘘と見抜いて何か得することがあるのかな
小説なんだから、嘘だということを前提に楽しめばいいだろうに。
大体、想像力の余地もないガッチガチの散文を読んで何が楽しいのやら。
なんか、司馬遼太郎の小説読んで史実だと思い込んで得意げに〜
なんてレスはよく見るが肝心の得意げに自慢してるようなレスなんてぜんぜん見ないんだが
605 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 22:09:26
司馬さん自身、むしろ機会ある度に常に「創作」だって言ってたんだけどなあ。
繰り返し言ってたのは、「絶対に歴史家ではない、司馬史観なんてやめてくれ」
「僕は歴史を題材にした小説作家だよ」。
また、
「事実を積み重ねても小説にはならない」
「その話は、僕の作り話だよ」(事実かと思って世間に広まり始めたのを聞いて)
「また、僕の話を使ってるよ」(事実と誤解して無関係のシナリオ等に使われた時など)
ほかに、一般に史実と思われているもので、司馬さんの創作。
あの『坂の上の雲』、満洲激戦中大山巌総司令官が昼寝から起きて殺気立った参謀室にのっそり、
「きょうも、どこかで戦(ゆっさ)がごわすか?」――これも、司馬さんの創作。
(ご本人も気に入ってかエッセイにも流用)
お竜が竜馬のために作る菊枕――これも創作。
ま、竜馬の人物そのものが創作だけどね。
――だから、創作じゃないと思って読む方がおかしいのでは・・・。
>竜馬の人物そのものが創作
こういう言い方もなあ……
あくまでも、実在の人物を、想像力で膨らませた、という方が良いんじゃないか?
三国志の諸葛孔明みたいなもんだ。
ま、史実と勘違いするほどの「国民的神話」と作り出した分、司馬遼太郎は偉大な作家だということだけど。
むしろ、詰まらない史実なんてどうでもいいじゃないか、という気にさせてくれる。
607 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 23:06:46
>>606 >実在の人物
それも怪しいんだよ。
少なく共、勤王の志士と言われる人々の中に居た事実が確認できない。
京都で暗殺された事実も確認できない。
そういう名の人物は居たのだろうが、勤王の志士だったかどうか?
最小限、白刃の中を潛り抜ける活躍をした志士の中には居なかった、
新撰組が狙う志士の対象にはなっていなかった――の二点は確認できること。
>>607 >京都で暗殺された事実も確認できない。
歴史に詳しいようだから教えてくれ。
じゃ、中岡慎太郎が死んだときに同席していたのは誰なんだ?
それでも、高知の桂浜に坂本龍馬の銅像が建てられたのは事実だしな
(戦艦大和なんてそれをわざわざ見る為に室戸沖に来ているからな)
610 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 23:23:51
>>608 もっぱら、竜馬ではない、とのウワサが(昔から)頻り。
中岡が息のある時「リョウマ!」とうわごと言ったのが、唯一の史実の根拠だが、
うわごとは駆けつけた者の顔を見て言ったのであって、決してどこをも指さしていない。
所司代が死体後始末し土佐藩邸が東山に葬るまで、竜馬の顔を知った者は駆けつけていない。
竜馬は竜馬で、他日、京都でないところで切られた模様。
何か、詐欺師呼ばわり沙汰の内輪もめで――今東光が言っていた。
だから、話が逆なんだよ。
史実は詰まらないんだから、どうでもいいんだよ。
考えても見ろ。
「旅順が落ちたのは、正攻法で乃木が要塞を攻めて、要塞内部の兵力をすり潰したから。児玉の行動は小説以前にそもそも無意味」
とか、
「陰険、冷酷な土方とヒラメ顔の沖田ら新撰組が、薩摩のエージェントに過ぎない無名の志士・坂本直柔を襲ったという噂が流れた」
とか、何が面白い?
>>610 >他日、京都でないところで切られた模様
それじゃ「創作」と大して変わらん。
昔親鸞非実在説というのがあったが(今の流行は聖徳太子非実在説か)、それと似た類か。がっかり。
613 :
無名草子さん:2009/05/08(金) 23:34:27
>>612 創作ではない。昔から、そう言い伝える者が居てたのと、土佐藩がそれを公認(默認)していた。
また、元見回り組を自称する老人が「ワシが竜馬を京都の油屋で切った」とホラを吹いたことがある。
だから、司馬さんの「創作」ではなく、充分元ネタはあった。
>>610 で、中岡慎太郎が死んだときに同席していたのは誰?
司馬が竜馬を主人公にしたきっかけは高知の友人から、
「坂本竜馬を主人公に小説かいてくださいよ、高知の人間はみんな竜馬が好きだから」
っていわれたからだろ。
少なくともご当地の偉人ではあったわけで。
616 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 00:22:06
>>615 違う!
昭憲皇太后の夢枕に立った(日露戦争の時)から、高知人も知ったのであって、
それまで高知人でも誰も知らなかった。
その時、坂本龍馬というのは幕末の志士だと、わざわざ新聞が説明しているぐらいだ。
むろん、全国の誰もが知らなかった人物。
でも、その後、高知以外では忘れられてしまった。
>>614 だから、中岡の仲間・土佐藩の雑魚志士では・・・
前も龍馬架空説をぶってたヤツだな
近江屋の話って、谷干城が語ってるだけなら、勘違いの可能性もあるよな。
モデルになる人物が実在したにしても、竜馬でっち上げ説も無きにしも非ずだな。
619 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 01:28:03
事実、月形半平太も桂小五郎も、あそこまで史実と全く違う活躍と人物にして
毎年南座で芝居に掛かるんだから・・・。
彼ら二人は脱藩武士でもなく歴とした上位の藩士で来歴もかなり判明している。
そうでありながら、あんな架空の物語なのだから、まして坂本龍馬なんて下級武士の脱藩者で
昭憲皇太后の夢枕に立つまで話題にならなかった人物。どうでも脚色できる。
坂の上の乃木将軍なんて、親族に謝罪と賠償求められるレベルだぜw
でも、そんなことしたら逆にアンタの先祖はアホだったと世間に公表するようなものじゃない?
「俺の書いたのは小説だから」
ですべてが済んでしまうほど簡単なものじゃない。
っていうか、小説=フィクションというわけでもなく、ノンフィクションだってあるんだし、
中間のファクションという分野もある。
歴史物の場合、漠然とファクションぐらいに受け取って読んでいる読者が多数なんじゃないかと思う。
実際に文章を読んでみても、過去に実在した人物名を使っているし、史料からその事跡をたどっている
と読み取れる内容になっているんだから、そうした読者を創作に関する認識不足と攻めるのも酷。
今の時代、クレーム&読者の勘違い対策として、最後にテレビドラマの後に出る「このドラマは
フィクションです」表示的なものぐらい入れておくべきかもしれない。
ファクションなんて聞いたこともないが
ただ、小説というのは「小さな説」だから、解釈は書き手の自由でしょうが
司馬さんが書いた小説が法や人としてのルールを犯すものではなければ
ごちゃごちゃ言うほうが野暮なんだよな
626 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 11:42:14
>>623 そんなこと思ってるのは、キミだけだ!
それじゃあ、とても松本清張の時代小説は読めないな。
ぜ〜んぶ、何から何までキミ流のフィクションだ。
誰も書かなかった、思い付かなかった創造ばかりだ。
何しろ、引用している手紙も資料も全部清張の創作だ。(だから、史料ではなく資料と書いた)
キミは、おもしろい小説を読む楽しみを敢えてみずから閉ざしている。
小説は、おもしろくなければイケないのだ。
松本清張も口癖だった。司馬さんも同じ考え。
627 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 12:04:20
>>623 司馬さんの小説だけを、そんなこと言ってないで、それなら、「世界の名作」にもそう言えよ!
歴史小説の範ちゅうにはいる小説なら、フィクションです表示せよと言うんだな。
なら、
「戦争と平和」にも「風と共に去りぬ」にも「誰がために鐘は鳴る」にも「武器よ、さらば」にも
同じこと言って来い!
司馬小説よりもヒドイや!設定とテーマ(主題)そのものがフィクションだ。
「世界の名作」は読めても、司馬さんが書いた小説は読めないのか!
この話題だと必ず荒れるなぁ (´Д`)ハァ…
629 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 12:28:42
>>623 歴史に残っている小説で、特に白人の書いた小説なんて、ホントのことは、ひとつも書いてないぞ。
皆さまざまに着色されてるし、無いこと有ること何でも取り込んでいる、いや、無いことを書いている。
白人だけじゃなかった。中国人のもだ。「水滸伝」「紅楼夢」。
白人小説のそういう傾向を逸早く感じ取って、自分の小説態度としたのが松本清張だと思う。
清張は、現代小説であれ時代小説であれ、すべて創作。本当のことは何一つ書かなかった。
自分語りすら創作だと言われているぐらいだから。
個々のパーツが創作なのも、何も司馬小説だけじゃない。白人小説はもっとヒドイよ、と言うんだ。
その上、もっともらしいプロローグまで付くんだぜ――それ自体が創作だってえんだ。
日本の小説家は、その点、松本清張を除けば、正直だ。
すげえ感情むき出しのやつばっかだな。
だから司馬関係スレは日本史板でも荒れて、延々と平行線の話が続くんだよ。
>>623は司馬さんに対してだけ言ってる訳じゃないだろうに。
これじゃ贔屓の引き倒し
>>627 バカかお前は。
こういう奴がいるから、司馬ファンを名乗れなくなるんだよ。
633 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 12:39:16
>624
お前が英米文学に無知なのはよく分かった
清張のこと書いているやつがいるけど、彼の場合はまったく問題ないと思うが。
クレーム対策最初から十分やってるだろ?
司馬って、話の途中で歴史解釈入れるじゃん。
それさえ史実とは合致してないんだけど、
ワザワザ合間に解説入れるから、
そこは正しい事を言ってると思っちゃうんだよね。
史実からパクった小説だから多少合致してるところもあるけど、
ほとんどすべてフィクションと思ったてた方がいいよ。
気になれば司馬をスタート地点にして、
自分で調べればいいし・・・
少なくても史実を学ぶための本じゃないな。
>627
だからフィクションということで問題ないんだろ?
>司馬小説よりもヒドイや!
そういう言い方すると司馬小説も酷いて言われてるみたいなんだけど。
司馬小説については、ああいうスタイルのフィクションを編み出した、と考えた方がいいと思うんだよね。
かつてヨーロッパの小説家はしばしば、作品にリアリティを出すため、自分はある手記を発見してそれを
公刊することで広く世間に紹介するだけであって、本当の作者はその現場にいた手記の書き手だ、
という仕掛けを使っていた。
で、本を離れた場でも、フィクションであることを語ることも無かった。
ただ、今同じことをやって、世間が同じ様に受け入れてくれることはありえない。
19世紀以降は事実の時代と言われ、事実と創作の違いがやかましく言われるようになってきたが、
特に情報化社会が進むと、その傾向は顕著になってくる。
司馬さんが目につきやすいのは、執筆キャリアが特に長いから、というのがあると思う。
30年前、40年前の活字空間で発表した作品を、現代の考えだけで切ってしまうから、話がせちがらくなってしまう。
司馬さん自身、昔の著作と後の著作ではかなりスタンスが変わってきているし。
>>635 でも『翔ぶが如く』のような著作は、どうしても読みながら歴史の勉強をしている、という気になってしまうだよね。
>>639 無茶苦茶なら訂正してやれ!
俺は、納得・・・だけどな。
書いた本人だからね
盛り上がってるねぇ
>>641 何と陰湿な・・・
いい加減なレスは信条として、しない主義です
こんなスレには、二度と来ません!ログ削除ッ!!
司馬ファンの特徴なのかもしれんが、なんかナイーブ過ぎるやつが多いような。
今じゃ司馬さん、司馬作品に限ったことではないけど、古典的な用語である、創作、フィクション、
ノンフィクション、歴史家、史実志向 or 娯楽志向、だけでは語ることは不可能だと思う。
2チャン上での司馬関係スレで、こうした言葉だけで語っている人たちの議論を見ると、
いつまで経っても平行線、堂々巡りだし。
俺の考えでは司馬さんの小説(これも彼だけに限ったことでもないけど)というのは、ある時代に存在した
(ことを否定できない)、人々・事・モノを言葉で再現しようとしているんだと思う。
なのでまず、歴史学で見解が固まっている事柄や、明らかな史料がある場合はそれにそのまま従う。
調査を進めていき、そうやって分かっていることをある時代に当てはめていくと、無数の空白が見えてくる。
アカデミックな歴史研究家の場合、その空白は基本的に手を触れてはいけないが、逆に歴史小説家にとっては
ここに作品を差別化できる領域が残されているということになる。
リアリティを出すために、各人様々な工夫をするわけだが、司馬さんもちょっと独自の書き方をした。
近代・現代小説は(私小説を除く)、登場人物、語り手、作者の三者を明確に分けてあり、読者は
自然と登場人物、語り手の発言は創作だと想定して本を読む。
(登場人物、語り手は小説内だけで生きている人物だから。)
ただ上記三者のうち、唯一作家は小説空間外に実在するため、その言葉は創作じゃないような
錯覚が生まれる。
その錯覚をうまく利用してリアリティを出すという手法をとったのが、司馬作品なのではないだろうか。
(津本陽などは全く逆で、司馬作品と同様、作品中しばしば作者の語りが出てくるが、調べたことを
捻りも無しにそのまま紹介してくる。)
>(津本陽などは全く逆で、司馬作品と同様、作品中しばしば作者の語りが出てくるが、調べたことを
捻りも無しにそのまま紹介してくる。)
それは、そうしないと「司馬のパクリ」と言われるからだよ
646 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 18:40:26
龍馬が行くは、龍馬がいい男に描かれ過ぎていて
そこんところがどうにも納得できず、面白さが半減する。
647 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 18:42:23
燃えろ県の土方もじゃん
「燃えよ剣」の土方歳三の場合は写真で得をしている
649 :
無名草子さん:2009/05/09(土) 19:01:52
だって土方は実際イケメンだからなあw
>>646 大槻ケンヂのエッセイでギャルゲーみたいだと書かれていたな
>>645 >それは、そうしないと「司馬のパクリ」と言われるからだよ
そういうのも全くないとは言えないが、彼の場合は調べた労力を無駄に
したくないから、せっかく得た情報はなんでもかんでも書いてしまいがちなだけ。
それが原因で余計なトラブルをしばしば起こしていることはwikipediaにも書かれている。
猿掛城には、大河ドラマ「毛利元就」を放映していた年に行ったことがある。
ドラマのセットが収まりきらないほどの小さな丘陵だった。遺構は現存していない。
丘陵の上り口に小さな辻堂があって、猿掛城を訪れた旅行者が記帳できるように
なっていた。大方殿(お杉の方)を演じた松坂慶子他数名の役者さんが記帳していた。
>>652 それ、俺も見た。
記帳用の冊子が放置されているだけで、誰も監視していないのに、
有名な役者の記帳があっても、誰も盗んでいかないのな。
というか、誰かがそれを盗むという事を想像する人すらいないといった風情があった。
野菜の無人販売所なども、そうだな。
ネット・オークションがなかった頃は、世界は平和だった。
>野菜の無人販売所なども、そうだな。
色んな外国人が日本のあちこちに住むようになり、殺伐としている今の世じゃもう無理だね
自分の地元(蜂須賀家政の生誕地)だと、花の無人販売所もあるよ
>>659 舶来の煙草じゃないよ、仏前の供えるお花だよ
三次の文字と読みは、子供の頃から慣れている人にとってはなんでもないが、
大人になって初めてこの文字を見たら、読み間違えるだろうな。
水村(ミズキ)→三次の転訛の説明は、ちと苦しいぞ。
古代百済語の「村(スキ)」から来たのであれば、各地に「スキ」の転訛が残っていていいはずだからな。
つーか、スキ→ヨシへの転訛など、ありえませんからw
広島県の古墳について3000基と書いた後で、読者に1万基あると指摘されて、訂正していた。
「私の見た資料は、古かったようである」
古すぎゃせんか?
ロジャ・メイチン氏。名前だけなんだが、久々の登場。
ロジャーからロジャに転訛した。
>>661 吉田町で、見知らぬ女子高生から、丁寧な会釈をされて、司馬は「まだ、会釈の文化が
残っていたのか」と驚いていたが、残っているよな。まして、執筆時は、昭和50年代だろう?
驚くようなことではない。「中国者の律儀」をなめるな。
人通りの多い市街地や、地元の人間の少ない新興住宅地では、顔見知り以外とは
会釈しないよ。田舎でも人通りが多いところでは、会釈しない。
すべて会釈していると、時間がかかりすぎる。
夜道や人気のない山中では、あやしい者ではないことをアピールするために、知らない
人に対しても会釈する。
>>666 ロジャ・メイチン氏は、思ったとおり神戸にいたんだな。
メイチン高速道路で働いているんでしょう?
>>669 神戸に住んでいたわけではなくて、ミセス・グリーンの話題のところで、名前が登場しただけ。
たぶんミセス・グリーンの墓地を見に行ったのは、みどり夫人にウケタからだろう(編集部H)。
>>667 信号機のない横断歩道を渡ろうとしている下校中の小学生に関していうと、
東京から千葉の間の小学生は、こっちが親切に停車してやっても会釈をしない。
千葉を過ぎたド田舎千葉郡部の小学生は、ペコペコお辞儀をする。
田舎では、まだまだ会釈の習慣は残っている。
>>666 水道が作られる以前(明治30年ぐらいまでか)の、神戸と大阪の「水屋」の話は
面白かったな。
淀川の河口近辺の水が飲めていたというのは、驚きだったな。
>>673 コレラにやたれた奴が多かったみたいだがな。
>>671 それは単に千葉西部がやばい土地柄ってだけ
近藤勇のせい?
話変わるけど、「センゴク天正記」に登場した雑賀孫市は誰なんだ?
司馬さんの作品に登場した重兼か? それともゲームと同じ重秀か?
はたまた残る2人のどっちなんだ?
「神戸散歩」と一対の作品。神戸と横浜の比較。
679 :
無名草子さん:2009/05/14(木) 07:47:12
「胡蝶の夢」好きなんだけどご意見ください。
最初の巻で投げたな
681 :
無名草子さん:2009/05/14(木) 11:45:46
世の中で一番愚劣なことは病人のために学んだ医学を
立身の道具にすることです。それ以上に愚かなことは
医学を道具に無用の金儲けをすることです。
このポンぺ先生の言葉だけでなにか心が救われる。
でも今の日本じゃ医者になるためにはもの凄いお金が必要だし、
卒業後そのお金を回収するために魂を売る医者がいるわけで・・・もどかしいねぇ
関寛斎!
>>682 息子の友達の父親が開業医で息子4人いるけど
「医者にはしたくない」と看護師の母親が言っていた
医学知識を活かして、そこそこの会社に就職してくれればいいとも言っていた
医者のモラルはまだまだ高いよ。日本の健康保険制度は医者が過剰な利益を求めないという
前提に依って保たれてる。視察に来た外国人が「わが国では無理」と述べたそうだ。
ただ医療訴訟が増えてそっちのほうのリスクが高まってるのが今後の問題。
>>685 しかし、妊娠と出産は病気や怪我ではないという判断で健康保険が使えない
患者の自己負担なんだよね(しかも消費税もつく)
「ネット医師の暴走」の問題を知ってからは、
医師のモラルがどうとか噴飯物だな
原点に戻ってきた感じだ。
しかし、散歩が続くな。
話を司馬さんの作品に戻すね
>677のを聞いて今孫市を読んでいる
この作品の孫市は30代前半のデカイ男だね
イメージとしては重意かな?(重兼もプラスしてる)
690 :
無名草子さん:2009/05/16(土) 10:40:00
大河ドラマは毎年司馬さんでいいと思うけどまずいのだろうか
まずくないだろうなあ。作る側にとっては。
そろそろ「竜馬がゆく」とか
どストレートな奴でもいいんじゃないか
前やったでしょ。
後司馬作品は意外と視聴率が悪い。
推察するに、女っ気が少ないのと地の部分の史談の面白さがドラマ化しにくい事。
司馬作品でも、戦国物は視聴率高かったり、人気あったりするんだけどね(「国盗り物語」とか)。
幕末〜明治物が駄目。
今度やる「坂の上の雲」も期待薄。
複数の原作を巧みに複合させることのできる優秀な脚本家がいるかどうかだな。
毎年、司馬作品でいいというのは賛成だ。
>>693 基本ツンデレばっかだからね
男にとっては萌えるおなごばっかなんだけどw
つかNHKですらイケメンで数字とろうと思ってることが悲しいわ
また竜馬か・・・誰が原作で脚本やっても司馬竜馬の影がちらつくのになぁ
>>698 原作はナシ。脚本家(福田靖)のオリジナル
岩崎弥太郎の目線で描かれるらしい
主演は福山雅治
700 :
無名草子さん:2009/05/16(土) 23:18:02
イケメンが龍馬やるってだけで観る気しない。
ほんとの龍馬は小林稔侍みたいな顔なのに。
701 :
無名草子さん:2009/05/16(土) 23:27:48
龍馬の写真に見える額の禿げ上がりは梅毒によるもの説があったよね。
ソースが思い出せんのだが
>>701 それ図書館の本で見たな タイトルは忘れた
中江篤太郎の述懐だろ
史実の龍馬は近眼だから、顔を顰める癖が写真にも出てるな
忠実にやるなら眼鏡をかけさせるだろうな
メガネをかけた、梅毒持ちの醜男の龍馬なんて、誰が観るんだよw
サングラスをかけ、もじゃもじゃ頭で、下駄ばきで、病気を女からうつされて
陸奥に叱られている坂本なら、「銀魂」という漫画に出ている
だから何?
>>704 外見だけじゃなくて、実際に何をやったかも史実通りにやったら、視聴率1%も取れないだろうね
709 :
無名草子さん:2009/05/17(日) 12:46:41
>>708 そういうのあったら俺なら絶対観たいけどな。録画する。
>>707 司馬さんが描いた坂本ではないのが大受けしている
711 :
無名草子さん:2009/05/17(日) 13:32:32
70年代のATG映画で「龍馬暗殺」ってのがあって
原田芳雄が龍馬。イケメンはイケメンだけど
原田芳雄なら充分許せる。
映画としてはイマイチだったが。
>>699 福田靖ってコメディの人かと思っていた。
>>711 >原田芳雄なら充分許せる。
・・・確かに龍馬と同系統の顔の作りをしているな。
12時間ドラマだと市川染五郎が「竜馬がゆく」で演じていたな
まぁ福山が鼻くそほじほじしたりとか、イケメンは普通しねえよなという仕草をすれば
自分的にはOKかな?
>>708 煽りでなく
史実通りだと、どのように違うのかな
もっとガサツで、むさ苦しくて、ずる賢い?
信頼できる資料に、活躍がでてこない?
龍馬が着た和服の複製見た事あるけど
あれから想定される身長はさほど高くなかったらしいね
何故か来年の大河ドラマを予想するになってる
個人的に武田鉄也は嫌いなんだけど鉄也の好きな竜馬は司馬さんのかいた竜馬のことなの?
>>720 史実の龍馬ではなく、司馬さんが書いた竜馬のドラマを観てファンになった奴
それで漫画の原作とかいってんだから糞だよな
史実に沿って描かれた漫画を読んで史実の龍馬が好きになった自分の勝ち!
>>720 昔あった長篇時代劇の「奇兵隊」で、武田哲也が坂本龍馬を演じたときはあんまりだと思った。
村田蔵六が片岡鶴太郎で、これは意外と「花神」のイメージに沿ってたんだが……
武田って自分が竜馬役で映画も撮ってなかったっけ
それはなんかせこいキャラの竜馬だった記憶がある
>>717 西郷のパシリ説とか?
大して剣が使えなかったとかじゃ?
何にしても竜馬を褒めたたえる奴あるいは貶す奴のドラマはつまらん
竜馬好きが、史実に造詣が深いみたいな顔して、
上から目線で熱い知ったかされると空間が歪むねw
そうは言っても、世間的なイメージは、司馬作品=「龍馬がゆく」「燃えよ剣」「坂の上の雲」。
というか司馬の造った幕末明治のイメージが良くも悪くも強すぎる。
その3つが歴史好きには、突かれると一番痛い作品かな。
戦国時代だと、そういうの少ないかと言えば、そうでもないな
普通の小説好きは吉村昭も読んだりして
創作の中から史実の人物を自分なりに作っていくものだけどな
司馬さん好きが過ぎる人や嫌い過ぎる人が多くてうんざりする
それだけ司馬遼太郎が偉大だという証拠。
「燃えよ剣」の土方の、自分はあくまでも剣なのだと割り切るところが
他の追随を許さないのはある
寝物語の里の石碑(だったか?)を著者が発見したときは、読んでいるこっちまで
胸が熱くなった。
>>732 一番目立つからだろ。
書店に行って、もう一人の国民的作家松本清張と比べても、占めるスペースが倍以上あるし。
吉村昭でさえ、司馬と比べれば無名作家。
>>731 戦国突っ込まれるとやばい三部作って何?
最近「司馬遼太郎が考えたこと」を読んでいて次のような文章を見つけた。
時代小説家司馬遼太郎の楽屋裏での一場面を見るようで面白い・・・。
「なぜ昔の資料などがおもしろいのか、といわれるが、なんでもないことだ。そうい
う本を面倒を忍んで読みすすめるうちに、粛然としてそこに人生をみつけることがあ
るからだ。ある男女の人生が、また人間が、いきいきと、そのきたない紙のなかから
おどり出てくるのである。これは、息のつまるようなたのしみである。その人間や人
生をさまざまに想像しつつ読みすすめ、また関連した資料をさがして想像の肉付けを
するうちに、まるでかれらは、私の友人や恋人のような相貌を帯びて、書斎の横にす
わってくれる。もう、こういうだけで、この瞬間は悲しくなるほどのよろこびをあじ
わう。さらにその人間の来歴や背景などを調べたり読んだりするうちに、もはや、か
れは、私にとって、現実の人間以上に現実的になる。」
・・・司馬さんはこの部分の能力がずば抜けているんだと思う。
>>737 国盗り物語、関ヶ原、功名が辻
この作品によってキャラ決定したのが、光秀、三成、千代
信長も言ってくれ。
司馬さんが書くまで、信長を人間として書いたもの無かったぞ。
いや、主人公とした小説も、よく読まれたものの中には無かった。
信長ブームは、「国盗り・・・」から始った現象
戦国三部作は
国盗り物語→新史太閤記→関が原
ではないかい
この三作で大体戦国時代の流れがわかる
今、久々に坂の上の雲を読んでいるんだが、気になる点がひとつ
物語に深く関わってくるような部分でもないのだが、少し気になったのでここで聞いてみる事にする。
文庫本6巻P184で「グルジア」のことを「ゲオルギア」と書いてあるんだが、何か意味があるのだろうか?
ちなみにそれ以外のページでは、恐らくすべて「グルジア」と表記されてる。
ググってみたら「グルジア」を現地の読み方に近い読みで書くと「ゲオルギア」らしいんだが、
別に「ゲオルギア」と書かなくてはいけないような場面でもないし、誰か詳細を知ってるやつはいないか?
地味だが播磨灘物語は外せないんだよね
746 :
無名草子さん:2009/05/20(水) 01:29:05
司馬遼の短編で幕末脱藩浪士を 幕府の恩賞に目がくらんだ村人達が惨殺
明治維新後主犯格の村人は処刑され
犬猫同様に棄てられていた浪士の遺体は埋葬された後 明治政府の命より神社になった・・
みたいなのがあって 舞台は岡山の山奥だったと思うンだが(八つ墓村の元ネタ?)
何に収録されてたか思い出せないのであります
>>744 詳細は知らないが推測。
初稿でゲオルギアだったのをグルジアに修正する時にこぼれただけとか?
昔は活字でも写植でも一つ一つ手作業だったから。
>>744 なんて章題?
全集しか持ってないので分からん。
>>740 小説の信長は、史実の信長とは別人なので、微妙
(だって、吉乃の地元で生まれ育って暮らしてる)
大河ドラマでの信長が、今の漫画やゲームの元ネタになったのは認める
(「梟の城」の重蔵が信長暗殺に暗躍するのが子ども心に面白かったせいか
原作読んでがっかりした)
>>746 >八つ墓村の元ネタ?
それは無いだろう。
元ネタは戦時中に実際に起きた事件というのははっきりしてるんだから。
>>750 横溝のそれは、尼子の落ち武者が殺されてだったな
>>738 >また関連した資料をさがして想像の肉付けをするうちに
この肉付けが異常なほどうまいんだろうね
そればかりでなく、それを文章として表現できるのがこれまたすごい
自分が想像したものを読者に寸分の狂いなく伝えることの出来る作家は司馬さんを含めわずかしかいないと思う
>>747 やっぱりミスなのかな?
新聞での連載だからしょうがないのか?
しかし誰か気付いて指摘したりしないもんなのか?
とにかくありがとう。
>>748 大諜報
だいたい2/3ぐらいのところ。
文を抜き出すと
ポーランドが反乱すれば、国内のユダヤ人に兵器を持たせて鎮圧させ、ゲオルギア(コーカサス山脈の南の地方)が反乱すればアルメニア人に討伐させるなどといったやりかたのために…(ry
ていうところ。
おそらくはうっかりミスだろうね
以前孫市のでもあったじゃんか
>>742 まじだ。それ以前は、太閤の方が人気があった。
大坂の陣で滅びる豊臣への判官贔屓から、真田十勇士が講談・漫画で人気があった。
津本陽のエッセイでも「下天は夢か」を始める話を知り合いの編集者にしたら
「信長よりも人気のある秀吉にしたら?」と言われたそうだ
立川文庫の最盛期が大正年間で、最大のヒーローが猿飛佐助。
少年期に立川文庫で熱くなっていた人達が、小説を書いたり映画を作ったりして、
昭和30年代後半から始まる時代劇ブームを盛り上げたんじゃないかな?
佐助の主人真田幸村が仕える豊臣は、常に善玉で、家康が悪玉。
信長の時代には佐助がいなかったから、信長の出番は少なかったわな。
秀吉の主人というイメージしかなかったよ。
>>756 信長が人気出たのって『下天は夢か』からで、それ以前は悪役に近かったよね?
>>758 今のゲームによくあるラスボスキャラそのもので
「国盗り物語」でも濃姫のやり取りが女子に萌える程度かな
高橋英樹が演じた信長の「うつけ殿」時代が面白かったな。
腰にいろんなものをぶら下げていたが、当時流行っていたアメリカン・クラッカーも、
たしかぶら下げていた。
チンコの絵柄の服を着てたのは史実?w
俺の子供の頃は、信長といえばヒトラーよりはまし(スターリンぐらいか)って扱いだったかな
どっちかと言えば顕如とか謙信みたいな熱心な宗教家のほうが残酷じゃないか?
謙信が宗教家とかw
>>753 ひょとしたら明石の文章にはゲオルギアとあったのかもしれないね。
そのあたり明石の文章の口語訳ということになってるから。
>>753 その件なあ・・・
想像するに、単純なミスというよりも、当時(明治)は日本で「ゲオルギア」と称していたから、
司馬さんは意識して当時風に書いたのだろう。
ところが、他の箇所ではそのこと忘れて今読みの「グルジア」としたのでは?
何しろ、あまり前の原稿残す人じゃなかったみたいだしね。
連載の前回の原稿も手元に無くて編集者に電話、「最後の2行だけ読み上げてくれ、それだけで次書けるから」
ということもあったらしいから。(文春新書「司馬遼太郎という人」)
明治時代は、英語の特に固有名詞を何でもローマ字読みしていたからね。
シーザーをカエサルとか、エトセトラ・・・。
768 :
無名草子さん:2009/05/21(木) 01:21:24
>>758 違うって!
津本は、「国盗り」の爆発的なブームで、信長も歴史小説の題材になるんだとヒントを得たに過ぎない。
ところが、読者に結局相手にされなかったし、完全な二番煎じ。却って「国盗り」が売れ続けた。
信長ブームの内容は、全部「国盗り」の中身そのもの。(各種の本もゲームも)
そもそも、史料は「信長公記」1冊しか無いんだからね。
それをあれだけの話にしてある。(「新史太閤記」中の信長も含めて)
世の中の俗な信長関係本は皆司馬さんの小説から作ってあると思って宜しい。
津本や遠藤(周作)の言う新資料ってのは、信長の武将像に何ら新しい要素はない。
その後も史料は「信長公記」1冊だ。
769 :
無名草子さん:2009/05/21(木) 01:59:19
>>755 司馬風「真田十勇士」が「風神の門」だな。
あれ以上書くと漫画になるから書けなかったんだろうな。
忍者物でも、司馬さんが書くと「梟の城」という極めてリアリティの有る読み物になる。
真田幸村そのものは、「城塞」での描かれ方が最高だ。
幸村を隣人のように、こんなに身近に感じさせてくれる小説は、ほかには知らない。
「十勇士」も現実性をもって出てくるし。
その点、池波正太郎の「真田十勇士」なんて、まるで子供だましのライトノベルだ。
大戦中、知識人が座興に歴史上の人物を閣僚に擬したらだれが適任かという
座談会をしたところ、秀吉・家康は首相をはじめ各種の大臣に擬せられたが
信長は軍事大臣くらいしか名があがらなかったらしい。
知名度はあったが能力的な評価は低かった。
771 :
無名草子さん:2009/05/21(木) 03:23:54
>>770 そりゃ゛知識人゛なんて連中、しかも大戦中に座興に興じることができるくらいオカミの覚えのめでたかった奴等の人物眼なんてそんなもんだろう。
>>768 >その後も史料は「信長公記」1冊だ。
史料としての質は落ちるが、『信長記』もあるんじゃないの?
773 :
無名草子さん:2009/05/21(木) 07:35:30
>>768 国盗り物語じゃ、いくらなんでも古すぎるだろう。
はやった後でも信長のイメージは相当悪かったよ。
今のように一般に人に人気があるキャラでは全然無かったと思うけど。
>>768 『下天は夢か』は武功夜話を大いに参考にしてたんじゃなかったっけ?
で、偽書説となえる連中から叩かれて
司馬中心主義はどうかと思うが、
「下天は夢か」は結構最近の本だよな
ヒットはしたらしいが
「下天は夢か」はもう20年も前の本なんだが、まだ最近なん?
当時ベストセラーになってた記憶は朧気にある
20年前だな
バブル期の本だよ。
景気がいい時代に受ける内容だったんじゃないかな。
あれで津本陽はメジャーになったような気がする。
それまでは剣豪小説作家で、読者層は限られていたように思う。
>>774 あれは偽書扱いする連中のほうが嘘くさい
実際何故キリシタンの子どもが殺されずに生き残れたのかはキチンと説明出来ないからな
鈴木真哉とか?
今、信長本で人気なのは「信長の棺」だろ
主人公が「信長公記」の作者なのが面白かった
>>780 あいつの本は加藤廣の悪口ばかりでうんざりした
間違った、mkwsk
みんなもうちょっとだけ言葉を補って書き込んでくれよ。
知識が少ない人間はついていけないよ
自分が知っている範囲の事なので、多少の勘違いはあるかもしれないけど
前野家文書を所有しているYさんの先祖は、隠れキリシタンの子どもなのに
親同様に処刑されないで「棄教した」と見なされて庄屋となって暮らした
「武功夜話」を現代訳した人の父親はそれもあってか町長を務めた
子どもが処刑されなかった理由については、偽書扱いしている奴はその本では触れていない
自称戦国研究家の本は何冊か読んでるけど、
「良質の資料が云々」言いながら、与太話するだけだからなあ
要するに資料が少なすぎて、言いたい放題なんだろ
>>769 初期の作品は、男も女も魅力的なんだよな。
エロいのが多いね、「燃えよ剣」とか
少なくとも『武功夜話』を100%偽書扱いするのはやりすぎだろ
793 :
無名草子さん:2009/05/21(木) 15:24:44
「武功夜話」が何遍も出てくるので一言。
「武功夜話」は、偽書云々以前に資料として使えないシロモノ。(史料としては言うに及ばず)
あまりにも低級、矛盾だらけ。これを材料にする作家のオツムの程度を疑う。
他の史料と比較して矛盾、というのではない。同書内で矛盾不合理だらけ。
世間の言い伝えを書いたのではなく、先行のしかも近年の書物を見ながら書いたのが明らか。
同じウソ話の「常山紀談」とは比較にもならない、お話にならないもの。
「常山紀談」は、全篇これ嘘八百で埋め尽くされた書物だが、それぞれは、言い伝え録、物語
になっており、江戸時代初期に書かれて、そういう言い伝えが世の中にあったことを示している。
wikipediaに肯定派、否定派の両方の見方を載せてあって
なかなか面白いな
>>793 「武功夜話」は吉田孫四郎という人が書いた小説というか今で言うラノベなのは理解している
ただ、その娘千代が目が不自由になった父の代わりに書いたものとかまで
偽書扱いする者がいるのが理解し難いな
武功夜話は完全フィクションって事か、二次創作ですらないんだね
読んだことないけど、無双OROCHI並に無茶な内容なんだろうねぇ
「国盗り物語」だって完全にフィクションだけどな
そりゃ小説なんだから当たり前だろ
300年後に「国盗り物語」を史料として、
小説を書かれたら大問題だがw
とにかく、吉田孫四郎の子孫が「武功夜話」の現代訳をした事自体は問題はないだろ
そもそも子孫だって、孫四郎本人のお断り書きを載せて本にしてるんだしな
ただ、大事なのは司馬さんはその「武功夜話」を面白いと思って読んでいたらしい事
わざわざ、その作者の娘の名を「功名が辻」のヒロインに使ったんだから
(子孫の家には作者が山内一豊の妻にちなんで名付けたと言い伝えられている)
>>798 「タイムマシン」の作者の孫がそれを映画にしたみたいに
司馬さんの孫(いるのかどうか知らんが)が映画にしたら観てみたい
803 :
名無し募集中。。。:2009/05/22(金) 02:35:55
貝原益軒先生の朝野雑載も嘘多いですか?
>>802 吉田孫四郎が自宅にある文書(これが前野家文書と呼ばれている)を資料にして
祖父の弟である前野長康を主人公にした小説とそれに纏わる随筆を書いた(これが「武功夜話」)
ただ孫四郎が年老いて目が不自由になったので娘の千代が代筆した(千代がこれとは別に書いたものもある)
今で言う自分のサイトで小説とか書いているのと同じじゃないかな
つまり、偽書と言ってる奴は司馬さんの小説を全部事実だと思ってる奴と同レベルなのか
フィクションなんだからごちゃごちゃいわずに楽しんで読めよ
そうそう。
トルストイの「戦争と平和」を読んで、史実と違うなんて言わないだろ。
だけど、世界的な名作であることに異議をとなえるヤツはいないだろうに。
>トルストイの「戦争と平和」を読んで、史実と違うなんて言わないだろ。
日本人はな
幹線道路周辺は、どこも同じような醜い景色になってしまったが、
幹線道路を外れ、かつ江戸期から特産物の生産で豊かだった土地を行くと、
まだ古い日本の景観に出会えるな。
どこにでもあるありふれた町並みになるのは嫌だね、川越
幹線道路であっても、地方の郡部に行くと、沿線の工場や店舗が廃業後も建物が取り壊されない
まま残存している。敷地は雑草が伸び放題で、とても醜い。都市部にも空き店舗が増えたが、
道路そのものは、近年に至るまで人の手が加えられていて、陳腐ではあるが、まだ都市景観として
それなりに見栄えがする。20〜30年前から放置されている工場や店舗の廃屋は、きわめて醜い。
人間の欲望の抜け殻が漂っているようだ。
その幹線道路から脇道にそれて10分ばかり行くと、昭和40年代を思わせるような古い町が残って
いた。小中学校も健在なので、少子化もそれほど深刻ではないのであろう。気分が良かったのは、
醜い全国チェーンの看板を掲げた商店が、1軒もなかったこと。コンビニもGSも探せばあるのかも
しれないが、幸い1軒も見当たらなかった。サッシ戸ではなく、木枠のガラス戸4枚の店舗を見つけた。
4〜5軒はあった。酒屋や駄菓子屋なんだが、むかし風に豆腐や蒟蒻も売っている。ジュースを入れた
冷蔵庫は前面がガラスで商品は後部のドアから出す。コーヒー牛乳が置いてあった。牛乳瓶に入った
コーヒー牛乳ではなくて、コーラの瓶を細くしたような、むかしよく見かけたやつだ。隣りにラムネもあった。
俺は、もちろんミリンダ・レモンライムの瓶入りを買った。王冠を栓抜きで空けて王冠の裏のビニールを
剥いだ。当たり。50円が当たった。
>>813 あのコーヒー牛乳は、チクロの使用が禁止されて以降、味が薄くなったな。
チクロは発ガン性があるということで使用禁止になったが、さいわいチクロ・ジュースを
散々飲んだ僕は、まだ生きています。
井伊直政と直孝の間に、もう一人藩主がいたんだな。
816 :
無名草子さん:2009/05/23(土) 13:25:13
直勝だな。
>>813 「街道をゆく」を書き始めた頃は、まさしく、ここに書かれてあるような古い日本の景観が
失われてゆく頃だな。司馬さんが本音で喋る部分が多く、とくに「土建エネルギー」を毛嫌い
する様は、もはや生理的レベルに達している。司馬さんに影響されて同じような考えをもった
のではなく、同じような感想をもった読者が、「街道をゆく」へ引き寄せられていった感じだったな。
そのくせ、いつも自動車で移動しているがなw
>>813 田舎へ行くと、呉服店、煙草店、履物店、表具店、印判店が、まだあるな。
このような田舎町は急速に高齢化・過疎化していて、町が死んだようになるから、
商店を維持するのが困難。残っていたとしても、専業ではないはず。
生き残ろうと思うと、コンビニなんぞになるしかないのだが、旅人にとって面白みはまるでない。
「○○呉服店」の看板に、「○○百貨店取次所」と書かれてあった。
“取次”の文字を見たときは、懐かしくて涙が出そうになった。
このような看板の店は、廃業して看板だけが取り外されていない場合が多いのだが、
現役で営業をしておられた。
醤油屋、ミシン屋なんてのもあった。
>>819 取次なんて商行為法の勉強するとき以外には、出てこんよな。
今だとネット通販があるから、意味分からん人多そうだな
よろずやはコンビニか
情緒はないな
>>808 『戦争と平和』は歴史小説じゃなくて、時代小説だろ
>>824 司馬遼太郎の小説も似たようなもんだろw
それとも、何か高尚でありがたいものだと思っているわけw
826 :
無名草子さん:2009/05/24(日) 12:54:50
しかし、『戦争と平和』『風と共に去りぬ』なんかに比べると、司馬さんの歴史小説の方が
よほど高尚だし、おもしろいし、ためになる感じもする。
>>826 「風と共に去りぬ」だと南北戦争の元凶となった黒人差別がどういうものか知ってないと楽しめないからな
何遍説明されても黒人と愛し合って子どもが授かった白人を、他の見ず知らずの白人が見下す発想が理解出来んわ
>>825 >何か高尚でありがたいものだと思っているわけw
どっちがどっちだって言いたいの?
どっちもどっち。
所詮フィクション。
戦国時代のネタが多いので、知っている話が多いが、遠藤喜右衛門尉直経を主人公にした
短篇を用意していたが、ついに果たせなかった、という部分は初耳かつ面白かった。
「近江衆」がその短篇のあらすじになっている。たしかに短篇の主人公になりうる。
久政、長政も、ここで述べられている姿が、もっとも実像に近いような気がする。
>>830 この遠藤直経って、「センゴク」という漫画に出て来たな
単なる娯楽。
暇つぶし。
司馬遼太郎
単なる娯楽。
暇つぶし。
司馬の歴史小説は外国のそれに比べると実証性が強い。
外国だと歴史家が一般向けに面白い歴史書を書いてくれる。
836 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 02:49:41
司馬作品の実証性神話ってどうにかならんかね。
大村益次郎モノなんか「大村益次郎と言う名前以外はまるでフィクション」という評価もあるし。
例の乃木無能説だって史料を丹念に読めば旅順艦隊の無力化、旅順要塞の実態を正確に判断して性急な攻撃に慎重だった第三軍司令部の合理性に気付くハズ。
海軍の要求をいなしきれずに無理強いしたのは、むしろ児玉等の満州軍司令部だった事に気付かないわけないと思うがな。
837 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 03:22:20
昭和後期以降は、司馬さんが書けばそれが即国民の歴史。
従って、それ以後の歴史論は、司馬さんの書いたのを祖述するか反論するか、どちらかしか無い。
そして、後者に立つ本は売れない。
岡田以蔵がでてくるのは竜馬と人斬り以蔵だけでしょうか?
>>836 >大村益次郎モノなんか「大村益次郎と言う名前以外はまるでフィクション」
そうなの?
840 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 12:17:58
>>839 大村益次郎のノートを博物館で見たことがある。
俺より数学ができる、ということがよくわかった。
ってことはノンフィクション?
842 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 13:14:25
旅順戦で28センチ榴弾砲を児玉の指示で3日で配置転換した、というのは史実ではない。
実際には児玉の到着前に第三軍司令部の攻撃方針転換で移動作業は始まっていた。
児玉は連絡会議でその方針を追認しただけ。
もちろん児玉の指揮権介入なんて、司馬の創作。
843 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 13:14:48
『花神』は大村益次郎を名乗ってからの業績は書かれていない。
『新史太閤記』が天下統一後の太閤になってからを書いてないのと同じ。
明治初期の大傑物がどんな生い立ちだったかが書かれているだけ。
辛うじて上野戦争の指揮があるのみ。
これでは、大村益次郎が何如に偉大な人物だったかがわからない。
大村益次郎を名乗ってからのことは、早くから数多の研究書が出回っているので、
たぶん司馬さんは、そんなの小説にならないと、書く気がしなかったんだろうな。
『花神』最大のフィクションは、屋根の上から落としても壊れない、
宇和島の固い豆腐だ。
実際はどれぐらいの固さ?
いまは、興奮していないから、柔らかいけど、
やるときゃ、やるよ、俺も。
屋根の上から落としても壊れないぐらいじゃないと俺は認めないよ
こんども、安土城址の山頂から、淡海の小波だつ青さを見るのを楽しみにして登った。
「上に登ると、真下から湖がひろがっていますよ」
と、同行の長谷忠彦氏にも期待させた。
が、のぼりつめて天守台址に立つと、見わたすかぎり赤っぽい陸地になっていて、湖
などどこにもなかった。
やられた、とおもった。
あとで、文献によって知ったのだが、安土城址の上からながめた思わざる陸地は、一三〇〇
ヘクタールの大干拓地だそうである。
「ウソでしょう、司馬さん?」
「えっ?」
「伊庭湖が干拓されていることを、あなたが知らないはずがない」
「いいえ、家に帰って文献で調べたら…」
「ウソをおっしゃい。あなた『街道をゆく』では、いつも地図を持参して、目的地への道筋を決める
でしょう。なぜ今回だけは、それをしない。地図を見れば、伊庭湖が干拓されていることなど、一目
瞭然。しかも、作品の中で安土城を何度も取り上げたあなたが、伊庭湖の干拓を知らないなんて、
ありえない。だいいち滋賀県といえば大坂の隣県。知らないはずがないでしょうが?」
>>848 大坂と滋賀の間には、京都が横たわっているけどね。
ドラマでは、信長は堺から鉄砲を大量に入手していたように描かれることが多いが、
実際には近江国友鍛冶から買っていたみたいだね。
種子島から他地方への伝播には、二つのルートがある。
1、種子島時尭→島津義久→足利義晴→細川晴元→【国友鍛冶】
2.種子島時尭→津田監物→【根来寺】芝辻清右衛門→根来寺没落後【堺】へ
堺が鉄砲を作り始めるのは、少し遅れてからだな。
一般には鉄砲隊を作って、初めて実戦で一斉射撃を行なわせたのは信長のように
思われているが、実は数年前から薩摩では導入されていた。
こまかい史実との違いなんてどうでも良いって。
歴史に興味がある人は、司馬遼太郎の小説を梃子に勝手に史実を調べていくし、
歴史に興味のない人(サラリーマンが成功のヒントを求める形で読むだろうし)にとってはどうでも良い。
司馬遼太郎に興味のない人にとっては勿論どうでも良い。
結論:どうでも良い。
読んで面白かった、刺激になった、で良いんだよ。
今の歴史の定説にしても、十年後にはまたひっくり返っているだろうけど、作品の価値は長く保たれる。
それで良いじゃないか。
853 :
無名草子さん:2009/05/25(月) 23:18:41
乃木信者は本格派なの?
乃木は無能ってのは捨てがたい。台湾でも駄目だったし。
855 :
無名草子さん:2009/05/26(火) 05:34:23
そうか?
具体的にどんな失敗が?
台湾では、ありていに言えば部下の監督不行届き。
ま、もっともこれはわざわざ行政に不向きな陸軍軍人を台湾総督に置いた明治日本そのものの欠陥だろうけど。
ただ、軍人としては全くの無能、とは言えないとは思うが。
乃木の生前は、「無能説」は常識だったらしいね
殉死の時も、新聞記者は皆で嘲笑したとか
でも、記事では礼讃した
そりゃあ、まぁ、乃木がアホだから自分の息子は戦死したんだと思ってる人は
203高地で亡くなった分だけは絶対にいるからな
もしドラマでナレーターが203高地の説明だけして終わりだったら
ブルーレイのボックス買ってやるわ
>>852 みんなどうでもいいと思って読んでいるんじゃないの?
史実厨叩きの香具師って、なんで必死なの?
読む
勉強が嫌いだった漏れが、坂の上の雲を読んだあとには、乃木の為に死ななくていい沢山の命が亡くなった。
児玉ちゃんが出て来て戦況が変わった。と言う風に解釈してます。
名作と言われている、坂の上の雲だけど個人的にあんまり好きな作品じゃないです。
>>859 叩きというか、過剰反応しすぎの奴が多い。
批判されているわけでもないのに、火がついたように興奮するレスがこのスレ内でも。
863 :
無名草子さん:2009/05/27(水) 05:02:20
史実厨云々ではなく、ここでは司馬作品の実証性なんてモノは「神話」だ、って話だと思うぞ。
ついでに言えば司馬の文体は「格調高い」なんてものでもない。
講談師の口演を筆記したようなもの。もっと極端(でも核心的)なことを言えば、トニー谷のトニングリッシュの漢文版みたいなもの。
近年になって「城をとる話」とか「大盗禅師」とか文庫化されたけれど
あの作品を読むと
司馬作品も、「講談調路線」・・・忍者ものとか
な書き方をしていた時があったのだな、と気づかされる
「格調高い」とか誰が言ってんだ?
司馬批判者は、いつも見えない敵と戦ってるな
あの文体はなかなか真似できない
漢文の素養がないと臭みが出る
100の知識で持って50くらい語る風でないとうまくいかない
トニー谷がどうとか、時代錯誤の比喩が萎えるわ〜
あなたの お名前 なんてーの ♪
なんざんす?
それでも あなたに アイ・ブラ・ユ〜 ♪
おこんばんわ
873 :
無名草子さん:2009/05/29(金) 18:12:14
>>621 伊地知の子孫は坂の上の雲で辛い思いしたらしいね
>>873 でもそれは仕方がないだろ。坂雲の話が本当でも嘘でも
伊地知の部下が実際に1人でも死んだら上官であるこいつのせいだろうが
極端なことを言うなよ
伊地知って名前からして憎憎しいね
伊地知に指示していた乃木がダメなんだろぉ
大いなる権力には責任が伴うからしょうがない
>>878 アメリカだとオバマがトルーマンがやった事について謝罪する・しないで揉めてるそうだしな
880 :
無名草子さん:2009/05/30(土) 20:05:55
伊地知家は小説に激怒したらしいけど
881 :
無名草子さん:2009/05/30(土) 20:30:27
ふ〜ん、そうなん?
激怒するなら、子孫にはそれなりの反論があっての上なんだろうな。
感情的に反撥するだけなら旧貴族家の子孫とは云えん。
実名だしてフィクションなど書く奴が悪い
貴族って言っても元は下級武士の家系だろ
まあ激怒するだろうね。
大本営と児玉の無能のツケを全部押し付けられてるんだから。
鮨屋の看板に赤色を使っちゃいけません
都合が悪くなると責任逃れをするのは日本人の美点
乃木は子孫いなくって良かったな
>>885 大相撲の幟もだよ(力士はともかく協会のはいつも黒字)
>>813 >当たり。50円が当たった。
↑ワロタ。
途中までは司馬っぽい文章で良かった。
読む。
なぜか、この紀行だけ、前書きとあとがきがある。
891 :
無名草子さん:2009/06/01(月) 14:58:14
>>887 乃木ファンの今村均大将が坂の上の雲を読んで、怒ったって話聞いたことあるな。
山下洋輔は、「翔ぶが如く」に先祖の山下房親が登場していて、司馬さんが子孫の自分より詳しい
ことに驚いていた。
ピアノの鍵盤に頭突きくらわしているうちに忘れたんだろうな。
大村益次郎暗殺の黒幕みたいな描かれ方した
薩摩の某さん家系からはクレーム入ってないのかな。
海江田の子孫も暗に本で批判してたような気がする
あと大村の子孫からもあの小説は史実とは違うっとか言われたような
司馬も大変だな
歴史小説と史実を混同する方がどうかしてる
それだけ影響力があるんだろ
それでも松平容保や木戸孝充の子孫は司馬さんに感謝してたぞ
司馬さんおかげで名誉回復したり注目されるようになったとかで
司馬さんは「街道をゆく」に登場する女性のことは、必ず「美人」というよね。
自分の奥方以外は。
後で司馬を特集した雑誌とかで、その女性の写真を見て、驚愕することが
司馬司馬。
女性の死体が発見された時に、美人と報道するようなもの
「黒焦げ美人」というタイトルの本を図書館で見たなぁ
女は何歳になっても容色をほめられると喜ぶって司馬さんの小説に出てくるじゃない
中国篇四篇だけで、春秋以降の政治・経済の大まかな流れは把握できるね。
さすがだ。
俺、司馬さんのギャグセンスが好きなんですけど。
なんかシュールじゃない?
そういえば今朝の番組で司馬さんの行き着けだった十津川温泉の宿を特集してたな。
一度泊まってみたい。
十津川はいいねえ
いまでも秘境ムードが残ってる
910 :
無名草子さん:2009/06/11(木) 22:53:21
「峠」「花神」「歳月」って、なんとなく3部作っぽいよな。
最近読み直しているんだが、どれも甲乙つけがたい。
あえていうなら、「峠」の河井論はちょっと強引すぎると思うんだが、どうよ?
「英雄児」では、武士のうつくしさ云々なんてことは一切書いていないんだよな。
河井が好きで長編も書きたいんだけど、最後をきれいに終わらせることができないから
無理やり考え出したような、屁理屈に近い印象を「武士のうつくしさのために」云々からは、受けるんだよな。
911 :
無名草子さん:2009/06/11(木) 23:41:26
風俗大好き津具の透けよりも空気読めない象六かテロリスト新作が最高だな
強引だから面白いんだからねえ…
>>147 かなり遅レスだが司馬さんは小説の登場人物でも凄く突き放して描写するよね
その点が良かったり、物足りなかったり功罪両方あると思うが
辛辣な人物評をするのも新聞記者出身がかんけいあるのかな?
>>436 血液型は関係ないと思うが右か左か、正邪の区別はしたがるように思えるな
城塞を読み始めました
雑賀孫市のほうがお姉さん追いかけている印象がある
司馬の女房はブス
>>919 899を見たときに誰もがあえて口に出さなかったことをお前はよくも平気で…
竜馬がゆくって右にも左にも好かれるよな
若い頃は非常に面白く読めたけど年取って読み返してみると
ちょっと人間を単純に割り切りすぎでない?と思えてしまうな
じつは竜馬がゆくは特に好きではない
普通
まぁ、名作だけど、みんながみんなってわけにはいかないでしょ、当然。
かくいう自分も面白いとは思いつつ、再読したことないな。
司馬竜馬ってあんまり好きなキャラじゃないからだと思うんだけど。
よくよく考えると、司馬作品の主人公のなかでは珍しいキャラだね。
あ、だから人気なのかな?
多作なだけに、この人の小説を全部読んだ人は凄いと思う
幕末ものの方が面白かった
>>924 それはいえる。
司馬作品では特異なキャラ。
司馬作品の主人公は知的な技術者タイプが多い。
比較的似てるのが秀吉。持て余したのが西郷。
竜馬
作品の対象年齢が中学生なの?
サンケイ新聞に連載されたと聞いているけど
>>922は「竜馬がゆく」に限った話ではなく司馬作品全体について言える
一例を挙げると「覇王の家」で家康とその取り巻きの三河衆が閉鎖的だから、後の日本は鎖国政策に踏み切ったと断じてる。
でもその時代の歴史を学べばそんな単純な話で割り切れることでないと直ぐにわかるわけ
いわゆる司馬史観的な部分の印象が歴史知識を身に付ける前に読むのと後に読むのとでは全く違って来る
いつまで経っても湧いてくるが、
史実がどうこうとか、歴史うんぬんで司馬小説の評価をしたがる人ってなんなの?
>>928 読み易い文章=子供向けとしか考えられない馬鹿がいるだけ
>>928 新聞って小学校高学年から読めるだろ普通。
>>930 事実『竜馬がゆく』は司馬の長編では一番対象年齢が低いことになってるよ。
中学生以上だったか、中学3年生以上だったか忘れたが。
読書好きの子だったら、中学で面白く読める司馬作品は他にもいくつかあるよ。
何を持って子供向けに推薦されるかは、文章が読みやすい以外にもいくつかポイントがある。
頭を冷やして自分で考えてみることを勧める。
>>930 >いつまで経っても湧いてくるが、
>史実がどうこうとか、歴史うんぬんで司馬小説の評価をしたがる人ってなんなの?
この人の場合は自分から首突っ込んじゃってる部分があるからしょうがない
歴史を知ってから読むと萎える部分があるのは事実
それを差し引いても十分面白い小説を書く人だと思う
まぁ「燃えよ剣」が中学3年生のお勧め本に選ばれてる時代だから
今時の中学生は「竜馬がゆく」だって読んでるはずだよ
大体その2冊だろうな
>>936 「坂の上の雲」だって読んでる中学生もいるよ
項羽と劉邦もな
司馬の文章は読みやすいよ
難解な漢語も前後の文脈で大体推察できるし
元新聞記者だからな
生原稿の写真を見ると、推敲に推敲を重ねていることがわかる。
読みやすい文章にするための労を惜しんでいないよね。
タイトルの力もあるんじゃないの?
「燃えよ剣」とか読みたい気にさせるぞ
まあ竜馬がゆくとか、燃えよ剣って、司馬作品の中ではジャンプ的傾向が強い話だからね。
単細胞の奴が特にはまりやすい。
昭和30年代の作品は、歴史小説もまだ時代小説的なノリが強いんだよな。
俺は、亜昭和40年代前半に書かれた作品がいちばん好きかな。
で、「覇王の家」以後は小説的ノリですらなくなってきて、どうも読むのに時間がかかる…。
読みやすいとはいえ、司馬の本は中学生にはまだ辛い
司馬よりもっと読みやすい作家があるから、中学生の時は司馬以外の作家にハマってたなぁ
隆慶や吉川や柴練や遠藤や堺屋とか
司馬にハマったのは成人した頃
司馬こそが元祖中二病の元祖ラノベだろが
>>944 読むのと理解するのは別問題だからな
中学生でも云々言っている奴は中身なんかどうでもいいんだろ
たとえば尊皇攘夷なんて、歴史好きならともかく標準的な中学生程度にどの程度理解できるのか疑問
実際いるだろ
読書好きでも、何も考えずにただ読み流しているだけだから、読んだ数ばっかり多くてまるで身になっていない奴
厨房のとき、光栄の「維新の嵐」ってゲームを遊んでたけど、
用語が「開国」のことしか意味が分からなかったなぁ
尊皇、勤王、佐幕、攘夷、維新、これらの用語の意味はずっと後になってから分かった
佐幕ってのは司馬作品ではじめて知ったなあ
ニートとヒッキーに馬鹿呼ばわりされる司馬。いくらなんでもカワイソス
tp://6210.teacup.com/toshy/bbs
>>946 >たとえば尊皇攘夷なんて、歴史好きならともかく標準的な中学生程度にどの程度理解できるのか疑問
だから、歴史好きの中学生がよむだろ?
実際問題、年寄りでもどの程度ちゃんと理解しているかはかなり怪しいが。
今日の日経夕刊で安野さんが司馬さんの話をしてたな。
他愛もない話だったけど、司馬という文字を見つけたらついつい読んでしまった。
絵描きって自然に変わってるから面白いな
音楽家より変人度が高そう
953 :
無名草子さん:2009/06/27(土) 16:02:44
花神で蔵六が、お琴にうっかりイネのことを話して畑に逃げるシーンは最高だと思った。
>>954 何時の時代でも言えるけど、男って言わなくても良い事を言うよなぁ
956 :
無名草子さん:2009/07/01(水) 11:23:47
いま初めて街道をゆくの濃尾参州記を読んだんだが、けっこう家康のこと好きになってないか?
関ケ原の家康の描写しか知らないから、かなり嫌ってると思ってたから意外だった
覇王の家だとどうなってるのか気になってきたから読んでみる
「メディアの支配者」というフジサンケイを描いた
ノンフィクションに司馬がチョイ役で出てくるんだが
鹿内家の面々や日枝といった主要キャラが人物に厚み深み哀しみがあるのに対して
司馬の人物像の安っぽいことといったらない
戊辰戦争、西南戦争、日清日露戦争、
幸運か不幸かはともかく、大雑把に司馬作品で概況を知った人間です。
司馬さんが手をつけなかった大東亜・太平洋戦争の知識、司馬作品で入門したかったス。
これから勉強したいんですが、
エライ皆さん、上記戦争の他作者でオススメの作品があったら教えてください。
試衛館と誠衛館どっちが正しいの?
前者
>>961 近藤勇が「誠衛館」をつくろうとしていた説もある
964 :
無名草子さん:2009/07/04(土) 20:46:43
>>959 >>960 >>965 教えていただきありがとうございます。
以前、山岡荘八の「太平洋戦争」を読み始めて挫折しちゃったことがありまして。
紹介された作家の作品を調べて、読んでみたいと思います。
(池波先生が先の大戦モノを書いていたなんて意外でした)
>>966 大戦モノかどうかは忘れたけど、現代モノも幾つか書いていて
「自衛隊ジェットパイロット」というタイトルのもある
968 :
無名草子さん:2009/07/07(火) 16:26:16
>>968 まあその人に全て同意ではないが司馬さんは時に想像以上に
器が小さいというか陳腐なことをサラリと言ってのけるというのはあるな
面白い小説を書くが決して尊敬できるような人ではないという点でその人と同意見だな
司馬は時代遅れのようになって欲しい
>>968 他人を否定することでしか、卑小な自分の存在価値を見いだせない人っているんだよ
わかってやれ
占いで言うと司馬遼太郎は
40〜59歳(1963〜1982)まで大運天中殺(枠が外れる期間)
その時期に書いたものは神様からの贈り物
>>968 その人 保守系サイトではかなり有名な人。
今は休止してるけど、「せいろん談話室」板でもかなりの常連だった。
あの人の性格として、乃木だろうと誰だろうと軍人を馬鹿にしたような
ことを書く作家は好まんと思う。御子息は確か自衛隊員だったような。
・・・司馬が嫌いなら読まなきゃいいだけ。
>>969 >器が小さいというか陳腐なことをサラリと言ってのける・・・ような人
⇒多分司馬自身が一番自分をそう思っていたんじゃないかな。
「自分のことがどうにも好きじゃなくて、だから歴史で小説を書いてる」ってなんだっけ?自分で書いてるよな。
だから、そのぶん他人の魅力が分かるんだろう。
弔辞とか新刊の解説なんかの文章みるとそんな感じ。
>>968 作者本人が自分でそう公に書いているのも知らないで、さも新事実を発見したように嬉々としてる。
ホントみっともないおっさんだな。
自演はやめてください
文章のある特徴でバレバレです
正直スマンカッタ(´・ω・`)
977 :
無名草子さん:2009/07/10(金) 02:13:57
京都住まいなので、能・淨瑠璃・文楽・舞踊と縁が深いです。よく観に行きますし話題にもなります。
しかし、司馬さんの作品のどこをどう仔細に調べても、これらの情景や話は一切出てきません。
他の歴史・時代小説家なら、しょっちゅう、それらの舞台光景やエッセイのテーマとして出てくるのに。
司馬作品では、寺と仏教、坊主の話が多過ぎるほどよく出てくるのと対照です。
>>977 海音寺、池波、山本、藤沢、吉村、佐藤あたりの作品にも全く出てこないけどね
逆にそういった題材を好んで取り上げる作家っていったら誰だろう?
また京都厨か
司馬は新聞記者時代、宗教と美術担当だったからそっちには詳しいね
>>980 ただ、その時代好きな画家は三岸節子だけだったんだよね
中公文庫
美術関係の本が出ていなかったかな?
戯曲も出ていた?
対談集は「日韓」関係が多いけど
当時の流行りだったのかな