児童向けドラマの場合、一方の側のキャラにすべての美徳を集中し、敵側のキャラには
正反対に悪徳ばかりを集中するから、現実の人間とかけ離れた人物ばかりになって、大人
が観るには単純すぎて面白くないんだろうな。
正義の味方の属性が8個の美徳と2個の悪徳ならば、問題はない。反対に敵側も、6個の
悪徳と4個の美徳であれば、人間らしさが出てくる。
水滸伝の中盤以降、こういう美徳・悪徳の配分がなくなって、敵も味方も同じような人物に
なってしまった。楊令伝ではその傾向がいっそう進展して、敵も味方も、どこに美徳があり、
なにが悪徳なのかもわからない無個性な人物ばかりになった。ただ能力の差だけで、人物
の違いを描いている。
こういう人物ばかりが大量に登場する。こんなんで小説を書く意味はあるの?
現実にいる人間がそんなのばかりなので、それで物語を構成する趣旨だとすれば、物語を読む
必要はなくて、新聞を読んでいれば足りるんじゃない?窓を開けて、外を歩いている人間を
観察していれば足りるんじゃない?