【暴力怖くない】盗作屋 唐沢俊一44【男子の本懐】

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342無名草子さん
今回のインタビューでは「高校2年ころ」と成っていますが、以前は高校3年の時だった。
高校2年だと1975〜1976年、高校3年だと1976〜1977年で事情がかなり変わってきます。
「トンデモ創世記2000」ではこんな事も語っています(P21)
>忘れもしない、七七年頃だから大学一年の頃、札幌で「宇宙戦艦ヤマト」の
>ファンクラブを運営していたんですよ。その前に高校生の頃「スター・ウォ
>ーズ」のファンクラブを作ろうとしたんですよ。まだ日本に「スター・ウォ
>ーズ」が来る前に、ファンクラブを作って日本で最初の公認を取ろうとした
>んですよ。実は、「ペリー・ローダン」で取っているんですよ、公認を。
>会員があんまり活動してくれなかったので終わったんだけど。「SFマガジン」
>に広告出して、ドイツの「ペリー・ローダン」の出版元まで許可を取って、
>一応、僕は事務局長をやってたんです。で、「ペリー・ローダン」は地味だ
>から、これからは「スター・ウォーズ」で公認を取ろうとしたら、大阪の方
>かどこかで先に取られちゃったんだよね。その「スター・ウォーズ」ファン
>クラブで作った会誌をジョージ・ルーカスのところに送ったら、「勝手に作
>るな、五百万円払え」って言われてた。あーとかった、最初に津倉無くって
>という(笑)。
>そういう活動が忙しくて、わざと一浪したんですよ。ファンクラブ作って一
>年で僕等が卒業してしまうと、札幌の活動は壊滅状態になるということで。
>"わざと"というと恰好いいけど、それにかまけて大学受験の勉強をしなかっ
>たんですよね。で、一年間の浪人時代に札幌にプロデューサーの西崎義展さ
>んを呼んだりした。まだ「宇宙戦艦ヤマト」の映画版を作る前ですね。
スター・ウォーズの日本公開は1978年、唐沢が浪人している時で、アメリカで公開され
たことで雑誌「スターログ」などで特集が組まれたのは1977年。唐沢が高校3年でヤマ
トを知ったのと同じ頃。