【洽覧深識】小谷野敦24【古今無双】

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202無名草子さん
家庭内暴力猿人・井上ひさしの破廉恥な告白と自己正当化の論理(文春文庫1984年刊『巷談辞典』pp.309-310「動物愛護」より)
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 動物を可愛がっておいでの皆さんからは叱られるかもしれないが、子どもの時分からずいぶん犬や猫を苛めてきた。
 (略)たとえば小学五年のとき、近所の猫を煮干し用雑魚(じゃこ)でおびきよせ、とっ捕えてやつの鼻の穴にわさびの塊を
押し込んだことがある。例(くだん)の猫はぎゃっ! と名状すべからざる悲鳴をあげて三十糎もとびあがり、次の瞬間、
時速百キロは優にあろうかと思われる速度で走り出し、そのまま行方不明になってしまった。
 また小学六年のとき、柔道を習い始めたが、あるとき、この柔道の教師が、「猫はどんな高いところから跳びおりても、
ぴたりと四つ足をついて着地するが、姿三四郎はこの猫の着地法を見て独得の受身術を編み出した」
 と、話すのを聞き、友だちと猫の着地術を研究したことがある。やはり近所の猫を雑魚でおびきよせて捕え、火の見櫓の
天辺から落したのだ。猫はにゃんともいわずに即死した。(略)火の見櫓の高さは三十米はたっぷりあった。妖怪変化と
仙人と鳥類以外は、これはだれでも即死する高さである。
 高校時代、日向ぼっこをしていた猫にガソリンをかけ、マッチで火をつけたことがある。猫はあっという間に火の玉と
燃えあがり、ひかり号なみの速度で西に向って走り出し、これまた行方不明となった。まだ達者ならとっくに地球を一周して
戻ってきていいころであるが、それ以後、彼の姿にはとんとお目にかからぬ。おそらくどこかで野垂れ死にしたのであろう。
 それにしても、わたしはなぜこのように猫に辛く当ったのだろうか。(略)動物愛護家には人間を愛することのできない人が

動物愛護家には人間を愛することのできない人が
多いような気がする。あの人たちは自分と同じ種族である人間が飢えているのを見すごすことはできても、自分の傍にいる
犬猫が飢えているのは黙視できないのではないか。(略)わたしたちの動物虐待は、屁理屈をつければ、そういう人たちの
<動物愛護精神>にたいする無意識のからかいだったのだ。
203無名草子さん:2008/05/03(土) 05:36:25
暴力男・井上ひさしが発起人の「九条の会」の欺瞞性

「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」
元夫の暴力が吹き荒れたあとの自分を克明に描いた西館好子さん(当時・現在は代志子)の『修羅の棲む家』(はまの出版)。
その元夫の卑劣な発言を間近に聞いたからだ。

九月二日夕刻、日比谷野音。個人情報保護法案反対の集会の壇上に修羅、井上ひさしがいた。
私の胸は不快にざわめき、彼を見つめることができない。
過去の戦争の反省をしない日本の話題になり、口を開いた修羅。
「僕は突然離婚になり苦しんだ…。彼女はまったく謝らない。一言でも謝ったら許す気になるかもしれない」
私の心臓は背中に食い込み、顔から血の気が引いてゆく。

こともあろうに、数千の聴衆を前にアジアの戦争被害者を、自分に重ね合わせたのだ。
二五年間暴力にさらされた西館さんの悲しみを思うと、激しい怒りで全身の血が逆流した。
傷害罪で投獄もされず、社会的制裁も受けず、名声を保持し続ける修羅。

家庭内暴力を告発され居直る井上ひさしを看板に担ぐ共産党系平和運動の醜状
http://www.asyura.com/2003/war23/msg/846.html
「平和主義者は変態性癖を持つな!」とは言わない。
スカトロ(糞尿)フェチだろうが、女子小学生に萌えようが、犯罪を犯さない限り一向に構わない。

しかし、「サディズム」は別である。なぜならば、平和主義に最も反する性癖だからである。
サディスト・井上ひさしは九条の会の発起人を務めているが、ブラックジョークにも程がある。

弱者に暴力を振るう卑劣漢が、何をいけしゃあしゃあと憲法九条を守れだ。恥を知れ!!

奴の目的は「平和な日本を守ること」であろうか。何か別の目的があるのではないかと受け取られても致し方ない。

他にも、日本文学賞選考委員の阿川弘之氏にグラスを投げつけた大江健三郎など、この団体に相応しくない輩がいる。
九条の会には、成文化された規約がないそうだが、少なくとも暴力沙汰を起こした奴は除名すべきだろう。

### 再婚してからはぴたりとDVが収まったらしい --- してみると好子元夫人にも殴られる理由があったのではなかろうか