盗作屋 唐沢俊一 16 【ハゲウッドスキャンダル】

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24無名草子さん
名草子さん:2007/12/03(月) 14:55:26
■1974(昭和49)年:15〜16歳
・中学の時に蔵書がすでに1000冊を超えていた
・1974年10月「宇宙戦艦ヤマト」放送開始
■1975(昭和50)年:16〜17歳)
・ドイツの大長編SF「ペリーローダン」ファンクラブを結成
 雑誌「SFマガジン」にファンクラブ結成の広告を出し、ドイツ「ペリ
 ーローダン」の出版元にまで許可を得る
■1976(昭和51)年:17〜18歳)
・1976年:高校3年で「宇宙戦艦ヤマト」と出逢う(本放送の時、人気
 無くて...と先見の明がある事を何度も語る)
・1976年:高校時代に「スターウォーズ」のファンクラブを作ろうと画
 策するが、会員があまり活動しないのでポシャる
・札幌テレビSTVに古本屋「リーブルなにわ」で出来たサークルで「ヤマ
 ト再放送嘆願書」を送り、再放送される(唐沢曰く、その後ヤマトが評
 価されたのはこの活動が大きい)
・北海道でヤマトの再放送率が高い、ヤマト関連のレコードが異常に売れ
 るという事で、古本屋リーブルなにわの上にあるレコード店が発売元コ
 ロムビアレコードでも話題になる。
・角川書店の営業マンが古本屋のサークルの伝言板に書かれた密度の濃い
 伝言を見て「これそのまま出版すれば売れますよ」と興奮するが、その
 伝言板の書き込みは捨てているというので、意気消沈して帰る。
 その営業マンが現在の角川書店社長、角川歴彦。
■1977(昭和52)年:18〜19歳)
・1977年:1浪:札幌で「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを運営
 本人曰く「ファンクラブ活動をするためにワザと1浪した」
 ヤマトのプロデューサー西崎義展を札幌に呼ぶなど活動
・東映「長靴をはいた猫」「大陽の王子ホルスの大冒険」自主上映会
・1977年8月6日「宇宙戦艦ヤマト」映画版1作目が封切り
25無名草子さん:2007/12/16(日) 23:13:19
■1978(昭和53)年:19〜20歳)
・1978年:1年浪人後、青山学院大学へ入学・下宿は阿佐ヶ谷
 実家の仕送りは月7万円(かなり裕福な学生)
・入学式の日、紀伊国屋ホールで「紀伊国屋アニメフェス」でベティーブープなどを見る
 海外アニメに感動し、代表者の並木孝に長文の感想を送り「アニドウ」に入会
・上京して初めて「ぴあ」という情報誌の存在を知る
 この時期「年間365本以上映画を見る」を目標に映画館めぐり
■1979(昭和54)年:20〜21歳)
・1979年:池袋の文芸座などにかかるB級映画館に入り浸る
 この時期、志水一夫とニアミスしていたかもしれないと
・1979年4月「機動戦士ガンダム」始まる
■1980(昭和55)年:22歳
・1980年:雑誌『ぴあ』12月19日号 (12/5 発売) の投書欄「YOUとPIA」に
 山賀龍一という人の書いた「望怪獣論」という投稿が載る。
 内容は、昔のゴジラやラドンみたいな、大人のための怪獣映画を望むというもの
・雑誌『ぴあ』1月16日号 (12/27 発売) の投書欄に、唐沢の投稿「新怪獣論」が載る。
 内容は、「怪獣ファンたちが揃いも揃ってゴジラの復活だけを望んでいるのは
 いかがなものか」「我々が望むのはまったく新しい怪獣でなくてはいけない」とか。
■1981(昭和56)年:22〜23歳
・1981年:雑誌『ぴあ』2月13日号 (1/30 発売) の投書欄に、DSC-桜井という人の
 「今もよくある、『怪獣は子どものため』論の典型」(by 唐沢) の投稿が載る。
 「リアリズムもファンタジーも、子どもの、邪心のない目で感じ取れればそれでいい」
 「大人だって子どもの頃に戻りさえすれば」「楽しめる映画なのです。」
・唐沢の下宿に、差出人『東京ゴジラ団』の封書が届く。安全カミソリの刃が入っていて、
 「『2月号の桜井氏の言う通りだ。貴様に怪獣映画を語る資格はない』という
 オドシ文句が書かれた紙が一枚。」「これで、僕はキレた。これ以降、僕の『ぴあ』への
 投稿の筆致はどんどん嫌味になり、皮肉になり、攻撃的になっていく。」
26無名草子さん:2007/12/16(日) 23:14:34
・『ぴあ』3月13日号 (2/27 発売) の投書欄に、唐沢の再反論が載る。
 「子供向けの作品が大人に面白くないのは仕様のないことなのでしょうか。
 いや、それより田中小実昌氏の名言があります。“僕はガキだからガキ向けの映画は
 面白くない”。ガキが、いや子供が、本当に面白がって見るのは大人向けの作品なんですよ」
 「そして、かのゴジラが問題意識を売り物にした最大の弊害が、そう言った思想とか
 テーマをもった作品こそが本当に優れたSF(!)なのだという誤謬をファンに与えたこと。
 センス・オブ・ワンダーもへったくれもあったものではない。第一、この誤謬はかなり
 危険なものであるのです。」
 んで、ここから『機動戦士ガンダム』の、批判というか罵倒に「横すべり」、と。
 「今度映画化されるという、あの『機動戦士ガンダム』、あれくらい日本のSFファンの
 気質を嫌らしく具現化した作品を僕は知りません。」
 「ストーリーはハインラインの『宇宙の戦士』のエピゴーネン、お定まりの美形キャラ、
 ハデハデしいメカの行列、SF用語の羅列、反吐をつきそうな気障ったらしいセリフ。」
 「これだけなら単に陳腐というだけで別に取り立てて騒ぐ程のものでもありませんが、
 それを“戦争とは? 人類とは?”といったいかにもそれらしそうなテーマで飾って
 高級そうに見せかけているのが中・高生のSFファンにああまで奉られている理由です。」
 「こういった作品にファンが集まることが日本SFファンの思想好き、テーマ好き、
 深刻好みの性癖を如実に表しています。そしてその元凶とでもいうものがゴジラである
 とするならば、桜井さん、僕がいいたいこともわかっていただけますまいか」
・1981年:『ぴあ』4月10日号 (3/27 発売)、5月22日号 (5/8 発売) 、6月19日号 (6/5 発売) の
 投書欄には、ガンダムファンによる擁護は載らず、日本SF映画に希望はあるかないかの話が
 「以前とほぼ同じ論調で」続いた。
27無名草子さん:2007/12/16(日) 23:15:43
・『ぴあ』7月17日号 (7/3 発売) の投書欄に、ガンダムファンの投書が一挙2通掲載。
 その1通が「横浜の鴨打大輔という人」の『ガンダムへの誤解・一SFファンとして一言』。
 「思えば、ガンダムの不幸は、西崎義展に踊らされた“ヤマト”ブームとの酷似、
 さらには俗悪高千穂遥(この点はあなたに賛成)を筆頭に、アニメ誌や一部のファンの
 馬鹿騒ぎにあると思います」「とにかく見て下さい。『ガンダム』はもともとTV用ですから
 TVのガンダムを見て下さい。ご一報くだされば、私のところでご覧にいれます。見た上で、
 けなすなり何なりして下さい。しかし、そんな風にはならないはずです。自信を持って
 言えます」
・『ぴあ』7月31日号 (7/17 発売)、8月14日号 (7/31 発売) 、8月31日号 (8/14 発売) には、
 唐沢の反論、唐沢への他の人からの反論や同意論などが掲載。
 ちなみに、唐沢の反論は「TV版ガンダムの、動画と呼ぶのもためらわれるような動きの
 極端にない場面を指摘して、“こういうのを優れたアニメとはどうしても呼べない”ことを
 再度提唱した」もの。
・当時のぴあの編集長だった増淵氏が「あれは唐沢という人が最初にゴジラとガンダムの
 比較論を投書してき、“ゴジラはいいがガンダムはダメ”ということになっちゃって」という
 「いい加減な要約をしていた(笑)」(by 唐沢) とのこと。
 「論争があると、投書の数は増えるが、一般の読者のお便りを載せるスペースがなくなり
 ますからね」
28無名草子さん:2007/12/16(日) 23:18:17
・『ぴあ』8月28日号 (8/14 発売)、9月11日号 (8/28 発売) に、論争総括のコーナーが組まれる。
 “特集「YOUとPIA」”という題名で、2号連続で見開きページを取っていた。
 「どういう特集かと言うと、プロのアニメ関係者に話を聞いて、『ガンダムは是か非か』
 という回答をあおぐ、というものである。」
 「アニドウ代表のなみきたかしは、『ぴあ』からの電話に唐沢という名前が出た途端に
 『ああ、あの男はうるさいですから相手にしないほうがいいです』と電話を切ったと言う」
 「大森・森のお二人は、今のテレビアニメは面白くない、と口を揃え、
 『ケバケバしいリアリティのないロボットはやりたくない』(大森)
 『ガンダムには悪いけど、血が通っているのかどうかわからない』(森)
  と僕の意思に賛同してくれている」
 「松本氏は、『(筆)言っていることはわかるけど、アニメを作るのは本当に大変なんだ。
 文句言うなら自分で作ってからにしてほしい』」
 「手塚氏に至っては、『見る側にあれこれ要求はしたくないが、マニアというのはどうして
 あんなに圧力をかけたがるのか。こういう場を借りて、自分の意見を押し付けようとしている』」
 「そして、いちばん老獪だったのは、やはり当事者の富野氏だった。彼は、
 『極端な意見というのは、他人の意見として聞く場合には決して悪いことじゃないと思います。
 わかりいいからです。私見なんていうのは、独断と偏見という風なまやかしの言葉で飾るんじゃ
 なくて、当然持ってしかるべきなんじゃないかと。むしろ、状況論は半分以上は事実でこれは
 中庸なことなんである、って示し方をすることの方がよほど危険だと思う』
  と、こちらの本当に言いたいことを先取りしてしまっている。このとき、心のどこかで
 『待てよ』と踏みとどまらねば、僕は大学卒業後、富野氏の門を叩いたかもしれない。」
29無名草子さん:2007/12/16(日) 23:19:16
>>25 の 1981年以降と、>>26-28 は、別冊宝島『投稿する人々』に掲載されたこれ↓のまとめ。
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唐沢自身の手によって綴られた「あえて『ガンダム嫌い』の汚名を着て」というのが、
P.183以降に載っている。

そして、世は争いを好まないオタクたちの、不完全燃焼型あてこすり合い文章を中心とした
論争時代へと以降していたのであった。
 ……この時代の論争の典型例を作った人物がひとり、いる。それが、自分であるところが
情けないが。

最終的に富野喜幸、手塚治虫という大物までがコメントをつけた、ということでも、オタク史に
残るものであろう。名のみ有名なその論争のその経過を、論争の張本人である筆者自身から、
ちょっと詳細にドキュメントしてみたい。

 ……さあ、ここで地雷を踏んだ。ナンとあの『機動戦士ガンダム』をけなしたのだ。
 考えてみると、この当時の僕は『ゴジラ』と『ガンダム』をケチョンケチョンに言って
いるのである。よくまあ十八年後のコンニチ、すました顔で“オタク界の大物”なんぞと
言われて鎮座していられるものだ。しかし、当時の僕が、このガンダムにどうしようもない
嫌悪感と、“これは僕が好きだったSFアニメとは違う”という違和感を持っていたことは
事実なのである。