>>952 早速いただきました! ありがとうございます!
954 :
無名草子さん:2008/05/05(月) 08:41:46
誰か、報道2001内容要約してよ!
おもしろそー
959 :
無名草子さん:2008/05/05(月) 21:35:46
中野氏、将来有望だな〜
表現者の論文毎回面白いよね>中野氏
出たらすぐ買おう
961 :
無名草子さん:2008/05/05(月) 23:00:08
中野先生が日本の核武装に反対してるっていうのはほんとう?
962 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 14:45:30
>>961 本読めや粕
お前みたいな俄か保守のせいで
西部さんが宮台に「西部さんは誤解されやすいw」
などと皮肉られるんだろうが
氏ね
963 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 14:51:31
テレビスポーツ評論家って誰の事?
二宮?
964 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 14:56:01
玉木?
965 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 16:23:13
966 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 18:20:27
>>962 「粕」とか「氏ね」とかいうのはあっちのスレでやれ。
968 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 22:45:31
>>966 は?
次俺に指図したら、むかつくから
当分こっちのスレを荒らすからな。
969 :
無名草子さん:2008/05/06(火) 22:50:20
もっともっとやれ!!
970 :
無名草子さん:2008/05/07(水) 07:37:09
971 :
無名草子さん:2008/05/07(水) 21:08:54
来月の表現者が楽しみですね
973 :
無名草子さん:2008/05/07(水) 21:13:39
そうですね。
次スレはID出る板にたてましょう
もともとここに立てたのは暫定的な措置だったはずだし
>>974 私もそれが可能ならその方がいいと思います。
976 :
974:2008/05/08(木) 00:07:41
マスコミ板はいかがですかね?
大衆社会/マスコミュニケーションの在り方に関する省察は西部思想の柱の一つですし、
雑誌『表現者』は当然マスコミに含まれますからカテゴリミスにはならないはず。現に週刊朝日や文春・新潮など雑誌のスレもあります。
また、マスコミ板にはマスコミ人士の個人スレ(青山繁春スレなど)あるいは思想グループ別スレ(新左翼系文化人スレなど)もありますから、
朝ナマや報道2001に出てる西部さんあるいは思想潮流として一翼を担っている発言者グループも↑と同程度にはスレを持つ資格があるかと
ああいうやかましいところなら経済学板。静か。
西部氏がよく使う、孟母三遷のもう一つの解釈だなw
環境が悪かったらいいところに引っ越すと。
979 :
無名草子さん:2008/05/08(木) 09:07:51
980 :
無名草子さん:2008/05/08(木) 09:19:16
IDが出ればどこでもいいです。
981 :
無名草子さん:2008/05/08(木) 12:26:23
>>979 見てきたけど柄の悪いのが多そうだなw
政治板の方が良くない?客層合ってそうだし。
982 :
無名草子さん:2008/05/08(木) 14:18:46
■平成哲学指南 (評論家 西部 邁)
チベット反乱を応援すべし
中国はこの半世紀で、150万人のチベッタンを「浄化」したといわれる。だから、ユーラ
シア大陸の山間部でジェノサイト(大量殺戮)を行ってきた、という嫌疑が中国に寄せられ
るのはまったく当然のことである。それなのにわが国の外交も世論も「政治とスポーツの分
離」などという戯話を、恥ずかしげもなく繰り広げている。
http://www.jikyokusya.com/digest.html#heisei
983 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 07:18:57
>>981 柄の良し悪しとかまで考えてなかった。
政治板かマスコミ板でよいのでは。
政治板に一票です。
政治思想板じゃなくて政治板ってあったんですね。
私も政治板かマスコミ板でいいと思います。
986 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 19:07:24
池田信夫 ブログ
NHK&NTTバッシング
2004-10-10 / Media
鹿島 我々はどの電話会社と契約しても、NTTに接続料を払わなきゃいけない。
松原 通話料の安いIP電話も結局はNTTに加入しないと使えない。
福田 もし[NTT東西とドコモが]統合したら、ドコモの料金を滞納すると家の電話まで止められる
のかな?
福田氏と鹿島氏は、文芸業界の「オヤジ殺し」の代表だ。このツボがわかると、同じような「文春的
言説」をあちこちのオヤジ系雑誌に書くだけで商売になり、この鼎談のような営業用の与太話を量産
するようになる。このパターンにはまって自滅した典型が、西部邁氏である。
新書365冊
2006-10-12 / Books
…著者とは、10年以上前、まだ彼が博報堂に勤務していたころにつきあったことがある。彼も私も、
ニフティの「現代思想フォーラム」の常連で、オフラインでも何度か会った。彼は西部邁氏に興味を
もっていて、私に「紹介してくれ」といったが、私は「学問的に得るものはないので、やめたほうが
いい」といって断った。その後、彼は自分で西部氏に接触し、一時は彼の編集する『発言者』の常連
になったが、案の定、喧嘩別れした。
憂鬱な科学
2006-11-25 / Economics
…70年代には、こういう限界を突破しようとして、「ラディカルエコノミックス」とか「ソシオエコ
ノミックス」などというのが試みられたが、すべて失敗に終わった。…そういう失敗の残党は、西部
邁氏を初めとして、みんな国家の市場への介入を求める自称保守主義者になった。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/s/%C0%BE%C9%F4%EE%B2
>>986 > ワイドショーにまで顔を出していると、西部氏のように使い捨てにされて、安っぽいイメージが残るだけだ。
すごい事実認識だな、なんとも・・・。
988 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 19:48:52
森正和 プロフィール
http://f27.aaa.livedoor.jp/~mdanbo/PRO.HTM 森正和 ブログ
このブログの使用上の注意
? 管理人自身、学校の学問に大変な恩恵にあずかっているし、先生方を大変尊敬している。
勝手に私淑している先生(…、西部邁、…)も数多くいる。
http://tesso.exblog.jp/1516828 西部邁回想
中島義道が「世間」という時、西部邁=オルテガの大衆なのだと思う。
考えてみるとワシは、西部さんから、いろんなことを教わったはずだが、結局、のこったのは自
己懐疑と孤独(西部さんいうところの保守的懐疑)。
西部さんがなによりも批判した(というよりも生理的に嫌っていた)大衆とはオルテガの言葉で言
うと「自分よりすぐれた審判をいっさい認めない閉鎖的な人間」「大衆とは、善きにつけ悪しきにつ
け、特別の理由から自分に価値を見いだすことなく、自分を”すべての人”と同じだと感じ、しかも
そのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じる」「意見を作り上げる努
力もしないで、意見をいう権利があると信じている大衆人」……etc
要するに自己懐疑(孤独)を忘れた無責任な大衆人…ちょっと今風オヤジにアレンジすれば、「ジコ
チュー君を取り締まれ!」ということになるだろうか?
989 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 19:49:22
しかし、昨今の大衆の現状は、もすこ〜し分裂的で、その大衆人こそが、ジコチュー(自分と同じで
はない他人)をさがし、取り締まっている……
いささか皮肉と言わざるをえない。
考えてみれば、西部=ワシこそが、大衆人だったという当たり前のことに気づくだけ。
丸山真男は日本社会の構造的な無責任体制を指摘したが、そのなかに登場する日本人は決して主体的
な自己中心主義者(ジコチュー)ではない。
むしろ、表面的には利他(愛他)的集団(的功利)主義者であり…「シャカイ」主義者であった。
お国のため…オクニ(地域社会)のため…家族のため…(戦後はことに、会社のため…)といわれて要
求される愛他的行為は、結局、どこにも責任主体が無く、…個人は、ずるずると全体的目標のためにむ
なしく埋没していった。
しかし、ワシは丸山と違ってそんな日本の状況が単に遅れた民主主義だったとは思っていない。
逆に西部=オルテガの文脈に捉えなおせば、それは、”多数者による専制”で、むしろ、民主主義のい
きすぎた形態ではなかったのか?……少なくとも、そういう疑いを少しは持つべきでは???…と思う…。
西部邁さんたちにいわせれば、民主主義自体は全体主義でしかないのだ。
「哲学は自分を完全に無益なものと見せかけ、そうすることによって、平均人にたいするいっさいの服
従から逃れている。……哲学は自分自身の存在を疑うことから始まり、自分自身と戦い、自分自身の存在
を危うくさせる程度に応じて生命をもちうるにすぎないのであるから、じぶんのことを真剣に取り上げ
てくれなどと、どうして要求することがあるだろうか」
http://tesso.exblog.jp/6434101/
松原隆一郎氏の
「ネット・ストーカー」について
消えてるんだなあ。
991 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 20:04:39
991
992 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 20:48:26
不純文學交遊録
2007年09月02日
当たり前の話…日本は核武装せよV
核兵器を「持たず・作らず・持ち込ませず」の非核三原則。しかしながら現在の日本は、核兵器
について議論してもいけない「非核四原則」とも呼べる状況です。
核武装について、安全保障について、忌憚なき議論がなされているとは到底思えない今のニッポ
ン。「当たり前の話をしようではないか」と西部邁氏は言います。
西部氏は「非核三原則」と「核の傘」に疑いの目を向けます。
まず「非核三原則」は明らかな偽りであり、正しくは「非核二原則」と名付けるべきだと。
常識的に考えてみましょう。日本に寄港する米軍空母が、数日間の滞在のために核兵器をどこかへ
降ろして来るでしょうか。三原則の三番目「持ち込ませず」はウソに違いありません。
また「日本はアメリカの核の傘に守られている」という論者も、アメリカの核兵器が日本に持ち込
まれずして、核の傘が有効だとでも思っているのでしょうか。
そもそも「核の傘」自体に、疑いを持たねばなりません。仮想敵国から日本への核攻撃があったと
します(ファースト・アタック)。それに対して同盟国アメリカが報復攻撃をします(セカンド・ア
タック)。当然ながらアメリカは、自国への報復攻撃(サード・アタック)を覚悟のうえで核ミサイ
ルを発射せねばなりません。それでもアメリカは、日本を守ってくれるのでしょうか。
イラク戦争は大きな問題提起をしました。それは予防的先制攻撃の是非です。
アメリカはイラクに対し「自衛の先制攻撃」をしましたが、イラクに大量破壊兵器は見つからず、テ
ロ組織の根拠地でもありませんでした。
アメリカの「侵略」に対し非を鳴らした西部氏ですが、予防的先制攻撃という考え方を正当防衛の一
種であると肯定します。しかしその一方で、先制攻撃には間違いがありうることを強調しています。
人間は間違いを犯しうる存在です。
核兵器は瞬時にして大量の生命・財産を奪い、放射能による被害は広域に将来に渡って及びます。核
による先制攻撃は、絶対にあってはなりません!
993 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 20:48:54
日本国憲法第9条に第3項を設け「核兵器を持っても作っても構わないがそれは報復にのみ用いられる。
たとえ予防という名の自衛のためであっても、先制使用は許されない」と規定すべきだと西部氏は述べ
ています。
「核を先制攻撃には用いない、報復にのみ用いる」ということは、核によるファースト・アタックに耐え
よということです。これは非暴力・不服従を掲げたガンジー主義に通じます。
冷戦が終結して迎えた多極世界。アメリカのニュー・リアリストと呼ばれる研究者たちのあいだでは、核
の拡散こそが世界に安定をもたらすとの議論があります。自滅をいとわぬテロリストに抑止の論理は通用
しませんが、逆に言うとテロリストに核兵器が流れることはない保証があれば、核の拡散に不都合はない
との考え方です。
また核兵器の全廃は、人類から核技術が失われるわけではありませんから、その直後に特定の国家・集団
が核兵器を独占的に保持するという、極めて危険な状況を想定せざるをえません。
百発百中とは言わないまでも、命中率90%位のMD(ミサイル防衛システム)でもあれば、核武装は必要
ないでしょう。しかし高価なのに効果がないMDは、アメリカの軍産複合体に莫大な利益をもたらすだけ
です。
私は核武装が(倫理的に)正しいと言うつもりはありません。
核兵器は、非人道的な大量破壊兵器です。また核エネルギーの利用そのものに、放射能の危険性や放射性
廃棄物の処理問題が付きまといます。
では、この世に人道的な武器はあるでしょうか。
核の脅威から日本を守るものはなんでしょうか。
たとえ通常兵器によるものであっても先制攻撃は絶対にしないという強固な信念、しかし平和国家・日本
への武力行使には核による報復が待っている…そんな日本に私は棲みたい。
【不純文學交遊録・過去記事】
日本は核武装せよ
日本は核武装せよU
(8月27日読了)
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/6138725.html
994 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 21:01:58
不純文學交遊録
2008年02月26日
保守が保守であるために
構造改革の名のもとに行われた新自由主義的な経済政策。
靖国神社の参拝を公約に掲げたり、戦後レジームからの脱却を主張した総理大臣。
反日的な態度をとる諸外国(特定アジア)に反発する若者たち。
近年の日本は「若者の右傾化」「一億総保守化」などと言われますが、本当にそうなのでしょうか?
今の保守は「アンチ左翼」でしかないと訴える中島岳志氏が、戦後日本を代表する保守思想家と仰ぐ
西部邁氏に対談を望みます。
人間の理性を最大限尊重し、社会は人間の手によって理想的な形に設計することが可能だとする近代
主義。
しかし、人間の理性には限界があることを悟るのが保守主義です。
フランス革命の掲げた「自由・平等・博愛」は左翼の言葉であり、左翼とは別名・純粋近代主義です
(社会主義も近代主義の1ヴァリエーション)。そしてフランス革命の理想を最もラディカルに体現
した国アメリカこそ、世界一の左翼国家であると西部氏は言います。
アメリカ追従が「保守」ではないのです。
「公の精神」とは「お上への従属」であるとするのも自称・保守の勘違いです。
公(おおやけ)とは市民的公共圏であるとする中島氏は、政府が間違った方向に進もうとしている時
に言論や行動でもって正すことも、重要な公の精神であると言います。
ただし、政府が横暴をすることもあるからといって「政府はいらない」というのは、保守にあるまじ
き暴走です。
995 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 21:02:29
しりあがり寿氏のイラストが表紙のソフトカバー、そして対談形式なので読み易い本かと思いきや、
古今東西の思想家の名前が次々と登場する、結構お堅い内容の本です。
中島氏の投げかける質問はアカデミックなのですが、受ける西部氏は難解な話題を大衆レベルにわか
りやすく噛み砕いてくれます。
保守とは皇室を崇拝することでも、靖国神社に参拝することでも、市場経済を徹底することでもなさ
そうです。
では、保守思想が保守すべきモノはなんなのでしょうか。
私は、保守とは具体的なイデオロギーではなく歴史の叡智に学ぶ態度であり、それは社会を生きる人
間の一種のたしなみなんだと解釈しました。
二人の対談からは、言葉へのこだわりも強く感じました。
言葉の意味を突き詰めて語源通り正しく使うことは、正しい保守であるための一歩なのでしょう。
(2月24日読了)
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/6862012.html
996 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 21:19:50
997 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 22:16:34
西部邁 インタビュー
『ナショナリズムの仁・義』
戦後此の方、「ナショナリズム(Nationalism )」という言葉は、多くの日本人の間で毛嫌いされてきま
した。「××イズム」というと、何やらイデオロギー色の強い固定観念であるかのように錯覚する人がいま
すが、もともと「イズム」という接尾語は、幅広い意味があるんです。「ナショナリズム」についていえば、
ナショナルなものを大事にする考え方とか態度というぐらいのことなんですね。その程度の意味合いの言葉
が、わが国においては半世紀以上にもわたって疎んじられてきた。これはもう、一種のスキャンダル、つま
り醜聞ではないかと私は思うわけです。
多くの方は「ナショナリズム」を「国家主義」と訳すようですが、これも基本的には誤訳に近い。「国家」
という言葉を英訳すれば、「ネーション・ステート(国民およびその政府)」であり、「国家主義」はさしずめ
「ステイティズム(政府主義)」となりましょう。それが混同されているため、「ナショナリズム」というと、
強権を有するものが国民の首根っこをおさえる思想だという勘違いが蔓延する。
「ナショナリズム」を素直に訳せば、「国民主義」ですよ。では、「国民的」であるとはいかなることか。それは、
われわれの先祖が試行錯誤のなかで遺してきた「歴史の知恵」とでもいうべきものを大事にすることだと思い
ます。その知恵のことを、本書では私は「仁・義」と呼びました。「仁」とは「慈愛の心」のことであり、「義」
とは「道理の筋」を意味します。人間一人の能力は、生まれた時代、環境、巡り合わせなどによって限定されま
すから、そこからは大した「仁・義」は生まれてこない。では、どこから生まれてくるかといえば、やはり歴史
のなかしかないんです。
その意味で、私は日本人に「常識に還れ」と言いたい。そして考えていただきたい。歴史という精神の土台
を汚したり流し去ってしまえば、われわれがいかに儚く哀れで、碌でなしの存在になるかということを。
http://www.php.co.jp/bookstore/interview_detail.php?isbn=4-569-61428-0
1000 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 22:29:54
998乙
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。