【割れ鍋に】小谷野敦 15【とじ豚】

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440無名草子さん
昨日(七月二十一日土曜日)、某学会の例会があった。そこで関西の某有名私
立大学の教授が、発表をした。講演でない限り、学術的な発表には、必ずレジ
ュメや資料が配られる。ところが、レジュメはなく、資料は、コピーが二枚。
一枚はイタリアの古説話の訳、一枚は日本の古説話の要約。れっきとした学会
発表で、レジュメがないことにまず驚いたが、偉いとされる先生だとそういう
こともあるからよかろう、この人は偉くもなんともないが。で、資料だが、タ
イトルはおろか、出典も何も記してない。大学のゼミでさえ、出典を記すこと
は、口を酸っぱくして教えられるはずであるが、のっぺらぼうなコピーである。

で、発表というのが、まずそのコピーを読みあげる。これは音吐朗々として
よろしい。先ほど調べて、この人が長く予備校の先生だったと知る。さすがに
言語明瞭である。次に分析。まず、この両者には違いがありますね、と二、三
点指摘。途中渋滞するので、ああ、今考えながらしゃべってるのか、そういう
のはちゃんと事前に準備しなよ、と思うが、偉い先生なのかもしれんし、この
あと薀蓄を傾けて本題に入るのだろうからまあよかろう。で、そこからどんな
話が展開するかな、と思っていると、「以上で終わりです」。

 え!? 以上で終わり? だって、お宅がしゃべり始めてまだ二十分も経っ
てないよ。持ち時間は、応答を含めて一時間。ということは、四十分くらいは
しゃべっていい。というか、しゃべってくれないと、時間が持たない。しかも、
話は、まだ何も始まってない。だって、資料を読むのに、十分以上かかってい
る。分析はまだ五分もしていない。というか、分析ではない。先ほどの感想は、
今資料を読んだばかりの私にも造作なく言えることである。そこからどんな話
が始まるのかな、と思ったら、始まる前に終った。方法的な問題、資料的な問
題云々のレベルではない、これは学会発表というものを理解していないか、あ
るいは人前でしゃべるということをなめきった、一研究者の態度としてどうか
という問題である。大学のゼミは最近崩壊しているところも多いようで、担当
者が来ないという悲劇もあるようだが、ふつうにゼミが行なわれていると仮定
すると、この発表は大学の学部のゼミでも到底許されないレベルである。
441無名草子さん:2007/07/26(木) 20:17:40
これまで学会と称する場所で、さまざまなタイプのひどい発表を聞いてきた。
というか、学会発表の八割方はゴミである。しかしゴミの中でも、方法的な問
題、内容的な問題などで研究の体をなさないもの、思い込みだけで話していて
説得力に欠けるもの、これはまだ許せる。学問という枠内で欠点があるのは、
かわいいものである。準備不足、学会に来る飛行機の中で思いついたことを話
しているんだなあと思われる与太話、これはかなり腹に据えかねるが、しかし
本人の努力がちょっとでも見えれば、どうせこの人はこの程度よ、人からバカ
にされるだけ、で終わり。今回のは、驚いた、準備ゼロ、話す気もゼロ。徹頭
徹尾ゼロである。で、本人は恬然としている。

いや信じない人もいるかもしれない。学者であるからには、人前でゼロの話は
できないだろうと。私も、これで終わりといわれたときには、耳を疑った。応
答の中で、少しは背後の話などするかと思ったが、それもなかった。本当に限
りなくゼロなのである。呆れたなんてもんじゃない。真面目に研究してもなか
なか職がない研究者たちのことを考えると、腹が立ってしょうがなかった。立
ち上がって糾弾しそうになった、さすがに先輩たちの手前、それはなかったけ
ど。
442無名草子さん:2007/07/26(木) 20:18:11
もちろん唖然としてたのは私だけではないと思う。これまでもひどい発表がさ
んざんあって、それでも出席している人たちだから、ずいぶん鈍感にはなって
いるだろう。というか、出席者は、義務か肩書きのために出ているとしか思え
ない。だからとことん寛容になるしかないのだろう。しかしそれでも、これは
ないんじゃない、とみんな思っただろうと信じたい。司会はイタリア人留学生
だったが、社交辞令の「興味深い話をありがとうございます」との言葉が、う
つろに響いた。これが興味深いなら、うちの近所の酒飲みで耄碌したおっちゃ
んたちの御託だって興味深く拝聴できる。それとも、「(これで有名大学の教
授、しかも学会発表の場で厚顔無恥な発表して)興味深い」ということか。も
しあれでいいと許すなら、学校でいえば学級崩壊である。学問の終焉だ。

さっき調べたら、この発表者、長く予備校講師で、ずいぶん年取ってから大学教
員となったらしい。イタリア語は就職難だろう。長く病気もされたよう。発表者
紹介で、肩書きを作家とか称していたが、エッセイなんかがあるらしい、それで
作家とはちょっと失笑だが、肩書きなど個人の自由である。いろいろ差し引いて
あげたくなる。しかしそれにしても、あんな発表は許せない。真面目に苦労して
いる研究志望者たちを、侮辱している。学会運営に尽力されている先輩方には申
し訳ないのだが、当面この例会に参加するのはひかえたい。いくらなんでもひど
すぎる。