>>215-218の続き
●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.5
森はこの時点で「適正な医療処置を施せば、ここまでは悪化しなかっただろう」と断言してみせるが、
それもあり得ない。麻原自身が憤懣を吐き出し、拗ねた状況を演出したのである。むしろ、麻原を
「悪化」させたのは被告人の意向を抹殺した弁護人であり、「自分だけの世界に閉じて」しまったのは
麻原自身だ。医療処置の必要性があるのなら、拘置所にも医師はいる。
そもそも森は、こうした司法手続きの在り方や、裁判経過を知らなかったり、あるいは無視して主張を
展開しているように見受けられる。同著(引用者注:「世界が完全に思考停止する前に」のこと)の中では、
傍聴で直接耳にした判決について、こう触れている。
【起訴された十三事件すべてに於いて、裁判長は弁護側の主張を斥けた。意外だった。一つか二つ
くらいは、弁護側の主張を認める展開はあるかもしれないと思っていたからだ】
その上で、こう主張する。
【はっきり書こう。まるで検察側の論告求刑を聞いているかのような判決理由だった】
それのどこがおかしいのか、皆目わからない。裁判は相対評価ではなく、絶対評価だ。いくら推定
無罪の原則に従ったところで、検察の主張が合理的と判断されれば、それにそった判決になるのは
当然である。
むしろ、ジャーナリストとしては、審理の内容を注視して、それによって導かれた判決に、齟齬がないか、
論理的に無理はないか、手続きが公正であったかを監視するところに責務がある。森の言い分だと、
立証内容や審理過程の合理性の検討を無視して、判決結果だけを非難している。十三事件もある
のだから、一つくらいは譲歩してやってもいいのではないかと言いたいのか。それこそ危険である。判決
内容を批判するのであれば、その中身を精査すべきである。