川端康成とか三島由紀夫のおすすめ作品

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41無名草子さん
『豊饒の海』は時々謎めいた幻影や記憶が挿入されている小説である。
「春の雪」で清顕と聡子が初めて雪の日に俥の中で口づけを交わす有名な場面があるが、そこで清顕は唐突にふと、麻布三連隊の営庭に、以前見た日露戦没写真の戦死者の弔祭の幻を見る。

〈あの写真とはちがって、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇はことごとく白く染められている。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に清顕は思った。…〉

走る俥の中から清顕が一瞬フラッシュして見た映像は、日露戦没写真の幻から、清顕が来世を勲として生きる未来の昭和の二・二六事件の青年将校たちの幻影に変容しているように思える。
このように、一見無関係なフラッシュバックを作中に織り込み不思議な映像効果をねらっている三島の緻密入念な仕事の跡が、この転生の物語の諸処にうかがえる。
42無名草子さん:2007/11/02(金) 15:51:33
つづき
清顕が見たフラッシュバックが二・二六事件の青年将校の幻影の暗喩とみると、
清顕が聡子に会うために何度も何度も月修寺を訪れ拒まれ、最後に雪の中で倒れるのが2月26日であることは興味深い。この最後の場面では、聡子は昭和天皇の暗喩を含んでいるように思われる。
43無名草子さん:2007/11/02(金) 15:56:17
つづき

そして「春の雪」の最後、清顕が本多に遺した言葉「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」というのは、
戦争で死んでいった兵士たちの合い言葉「靖国で会おう」の隠喩であるともとれるような似た言葉の響きを秘めている。
もし、滝が靖国の暗喩であるとすれば、冒頭の、滝口にひっかかり死んでいた黒犬を月修寺の問跡が弔う儀式は、天皇が戦没者を慰霊する靖国参拝の暗喩ともいえる。
三島は生前、
いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな」という、暗喩をさとってくれるかもしれない。
と述べているが、これら「春の雪」の暗喩と思われる一部には、兵士たちへの三島の慰霊の思いがこもっているのかもしれない。