1 :
無名草子さん:
おせーて
とりあえすきんかくしてにけと
たまゆらゆらて3けと
4 :
無名草子さん:2007/05/10(木) 23:52:17
てのひらのしょうせつのひなたで4けと
潮騒
仮面の告白
憂国
英霊の声
豊饒の海
水晶幻想
片腕
眠れる美女
6 :
無名草子さん:2007/05/15(火) 20:39:12
三島
憂国 (短編だからぜひ読んでみ)
仮面の告白 (原点)
美徳のよろめき (アヤシイ)
川端
千羽鶴 (川端の最高傑作だと思う)
みづうみ (主人公ヤバイ)
>>6 あんまり千羽鶴って言う人いないんじゃないのかな。
やっぱあの作品の持つエロスが好きなの?いや、これはほかのコメントから邪推なんだが(笑
6です
>>7 川端はみんなエロいと思うがなあ。
良いと思うのは、千羽鶴の後半…
というか「波千鳥」。正確には別作品なのか。
>>8 主要な作品はそうかもね。
まあ、エロスってのの定義は人によって違うからなんとも言えないけれど。
>>4 「てのひら」じゃなくて「たなごころ」なんじゃぁ?
川端は戦後何年かの小説がいい。
「千羽鶴」「山の音」「虹行くたび」「日も月も」とか。。
あんまり川端本人は好きじゃないみたいだけど。
でもやっぱり「掌の小説」は捨てれない
11 :
無名草子さん:2007/05/16(水) 21:42:03
金閣寺
とにかく比喩表現とかが凄い。
美しい日本語が読みたいなら、おすすめ。
三島由紀夫だと
「文章読本」(このなかに川端の短編もある)
「崎にての物語」
とか。。
>>11 どこが美しい日本語なんだよ。
それと「比喩」ではなく、「過剰な形容」の連発。
三島由紀夫は自分の才能というか、
センスのなさを自覚してたから、努力してああいう文章を書いた。
一般的に、谷崎や川端よりも評価がひくいのはそのせい。
13 :
無名草子さん:2007/05/17(木) 21:57:52
三島由紀夫なら絶対豊饒の海。
豪華絢爛たる文章に酔いますよ
14 :
無名草子さん:2007/05/17(木) 22:40:17
>>10 川端さんみたいな人、結構好きだが。
猪瀬直樹の「マガジン青春譜」が一番面白かったw
比喩部分と普通の部分の落差が激しすぎるから三島はどうも苦手。
読み通したのは『金閣寺』だけ。
「眠れる美女」
厨房の時に読んでドキッとしたw
18 :
無名草子さん:2007/06/30(土) 22:16:58
オレも千羽鶴は川端の最高傑作だと思う。
素人でも楽しめるしもちろん深い読みもかなりできる。
三島の文章読本もかなり逸品だとおもうよ。
19 :
無名草子さん:2007/06/30(土) 22:30:03
川端の文章読本は、伊藤整が書いた代作らしいが…
20 :
無名草子さん:2007/06/30(土) 23:55:39
「眠れる美女」
厨房の時に読んでボッキしたw
21 :
無名草子さん:2007/07/14(土) 11:18:16
川端さん、「片腕」綺麗です。
大学の先生に、すすめられました。
こういう、エロス、かかせたら、ほんとにうまい。
実は、児童文学も書いてて、
川端の感性の原点が、児童文学にあるような
気がする。
「級長の探偵」とか、読後感の爽快さは、
彼の、文学の清潔感。エロ書いても、落ちない川端康成。
エロスって、俗なほうに落ちちゃうんだけど、
危うく芸術として、踏みとどまってる。そこが好き。
「みづうみ」とか。
やばいけど、主人公の深い悲壮感が、
エロスを昇華させる、、
芸術家と変態は紙一重だから。似て非なるものだけどな
川端さんって、
ニッポンジンの萌えを探求した人デスカ?
24 :
無名草子さん:2007/07/17(火) 19:31:53
「ある人の生のなかに」
御木みたいな家庭を作りたいと思た。
個人的に好きな作品かつ読みやすいと思うのは…
三島由紀夫
憂国・豊饒の海・金閣寺・禁色・潮騒
レター教室(レア作品?)
川端康成
山の音・雪国・千羽鶴・古都
26 :
恋する名無しさん:2007/07/28(土) 21:10:25
お尋ねしたいことがあります。多分川端康成氏の作品だったと思うのだけれど
「雨がしとしと降っている」と書かれていた作品を探しているのですが
誰か知らないでしょうか??
ググっても解りませんでした。もし解る方いたら教えてください。
又は違う人の作品ですかね?
27 :
無名草子さん:2007/08/01(水) 01:07:57
>>26 それ多分「雨傘」だよ。掌の小説に収録されてる。
28 :
恋する名無しさん:2007/08/02(木) 23:49:29
>>27 レス感謝致す!
文芸作品でこんなに恋焦がれ、ときめいた作品は今まで無く、
ずーと探していたのでやっとつっかえが取れた!!
早速明日にでも買って来ようかと・・・・・。
でも「雨がしとしと降っている」って下りが無かったね、自分の完璧な
勘違いだったみたいです。高校の時の教科書に載っていた奴が最初だったから
若干違ったのかも・・・・・
しかし「萌え」を表現した傑作だわ・・
29 :
無名草子さん:2007/08/08(水) 23:58:37
三島は悪趣味だろ
30 :
無名草子さん:2007/08/09(木) 02:45:06
三島は苦手ね。川端は…ううん…
川端は短編だけど抒情詩がいいと思うよ
抒情歌いいよね。
愛が強ければいいってもんじゃないってのはねえ…
最新の全集を手に取ることができるのなら…
川端:「むすめごころ」収録の短編(五巻)、「乙女の港」(二十巻)
三島:「夏子の冒険」(二巻、メリメ「コロンバ」の半パクリだけど)
素敵なヒロイン&ヒーローが登場、面白いし読みやすいよ。
34 :
無名草子さん:2007/09/03(月) 19:02:38
女の人にとって川端康成って気持ち悪く見えるのかな
小学生はさっさと寝るんだ
36 :
無名草子さん:2007/09/04(火) 00:52:48
山の音
がいい。
37 :
無名草子さん:2007/10/16(火) 01:55:13
あげ
三島由紀夫は「潮騒」以外お勧め出来ない。
39 :
無名草子さん:2007/10/19(金) 12:09:38
潮騒ありなら
永すぎた春
愛の疾走
もいいだろ
『豊饒の海』は時々謎めいた幻影や記憶が挿入されている小説である。
「春の雪」で清顕と聡子が初めて雪の日に俥の中で口づけを交わす有名な場面があるが、そこで清顕は唐突にふと、麻布三連隊の営庭に、以前見た日露戦没写真の戦死者の弔祭の幻を見る。
〈あの写真とはちがって、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇はことごとく白く染められている。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に清顕は思った。…〉
走る俥の中から清顕が一瞬フラッシュして見た映像は、日露戦没写真の幻から、清顕が来世を勲として生きる未来の昭和の二・二六事件の青年将校たちの幻影に変容しているように思える。
このように、一見無関係なフラッシュバックを作中に織り込み不思議な映像効果をねらっている三島の緻密入念な仕事の跡が、この転生の物語の諸処にうかがえる。
つづき
清顕が見たフラッシュバックが二・二六事件の青年将校の幻影の暗喩とみると、
清顕が聡子に会うために何度も何度も月修寺を訪れ拒まれ、最後に雪の中で倒れるのが2月26日であることは興味深い。この最後の場面では、聡子は昭和天皇の暗喩を含んでいるように思われる。
つづき
そして「春の雪」の最後、清顕が本多に遺した言葉「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」というのは、
戦争で死んでいった兵士たちの合い言葉「靖国で会おう」の隠喩であるともとれるような似た言葉の響きを秘めている。
もし、滝が靖国の暗喩であるとすれば、冒頭の、滝口にひっかかり死んでいた黒犬を月修寺の問跡が弔う儀式は、天皇が戦没者を慰霊する靖国参拝の暗喩ともいえる。
三島は生前、
いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな」という、暗喩をさとってくれるかもしれない。
と述べているが、これら「春の雪」の暗喩と思われる一部には、兵士たちへの三島の慰霊の思いがこもっているのかもしれない。
44 :
無名草子さん:2007/11/14(水) 11:07:03
春の雪のなかで三島は、ひとつの事象を見ているうちに、心象に別のミニチュア、ミクロ(あるいはマクロ)、別の幻影へ変質する描写を多用していますが、それがこの作品の全体に漂う儚なさと事象の無限の連鎖を感じさせます。
〈拒みながら彼の腕のなかで目を閉じる聡子の美しさは喩えん方なかった。
(中略)
清顕は髪に半ば隠れている聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があったが、
耳は実に精緻な形をしていて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の龕のようだった。
(中略)
その奥にあるのは聡子の心だろうか?心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んできらめく歯の奥にあるのだろうか?
(中略)
彼はその髪油の香りの立ち迷うなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びているのを眺め、憂わしい髪油の匂いと夕桜の匂いとを同じもののように感じた。
(中略)
…遠い桜は、その銀灰色にちかい粉っぽい白の下に、底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のような紅を蔵していた。〉
45 :
無名草子さん:2007/11/27(火) 11:43:05
清顕
「君はのちのちすべてを忘れる決心がついているんだね」
(君は僕を忘れてしまうのか?)
聡子
「ええ。どういう形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いている道は、道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終って、海がはじまるのは仕方がございませんわ」
(たとえ死が二人の現世の記憶を奪っても、聡子は清様を永遠に愛しています)
46 :
無名草子さん:2007/11/27(火) 13:07:33
花
47 :
無名草子さん:2007/11/27(火) 13:14:14
三島の「鍵のある部屋」「親切な器械」「魔群の通過」「青の時代」は好きだ。
48 :
無名草子さん:2007/11/27(火) 23:37:19
三島由紀夫の「仲間」は異色の短編でいい味だしてる
49 :
無名草子さん:2007/12/20(木) 00:09:17
>>41>>42>>43>>44>>45 豊饒の海、のナイスコメントですね!私が一番分からないのは、月修院門跡になった聡子が、訪れてきた本田に言った言葉の意味です。この世のことはすべて夢、ということなんでしょうか?
50 :
無名草子さん:2007/12/20(木) 16:19:13
>>49 あの最後は難しいですね
変幻するこの世の無常、過ぎてしまえば本当にあったことか、なかったことか全ては認識、心ごころだという意味なのかなと思います
それと同時に、聡子はあえて清顕を知らないと言うことで自分だけの認識の世界のなかに清顕だけを永遠に留めておきたかったような気がします
三島は暁の寺で唯識論を考察していますが、そこにでてくる、死によってなくなる七識の感覚と、阿羅耶識(転生の本体?)の関係も難解でした
51 :
中上:2007/12/24(月) 11:39:04
枯木灘
52 :
中上:2007/12/24(月) 11:39:32
枯木灘
53 :
無名草子さん:2007/12/24(月) 11:41:25
仮面の告白
54 :
大蛇の巣:2007/12/24(月) 20:01:26
春の雪
55 :
鶯鴬の巣:2007/12/24(月) 20:02:31
奔馬
56 :
鎌鼬の巣:2007/12/24(月) 20:03:42
暁の寺
57 :
無名草子さん:2007/12/24(月) 20:04:30
天人五衰
58 :
無名草子さん:2007/12/25(火) 08:53:02
59 :
無名草子さん:2007/12/25(火) 08:55:12
川端さんは古都とかよいと思うよ
川端さんは古都とかよいと思うよ
62 :
無名草子さん:2008/01/11(金) 13:26:49
「眠れる美女」と「浅草紅団(くれないだん)」
この2作は川端の真骨頂をなす。
読め。
64 :
無名草子さん:2008/01/12(土) 00:17:39
三島由紀夫は右翼だけど、川端康成も右翼?
>>63 春の雪を踏まえていないと、以降の伏線が判らないな
>>64 晩年の楯の会の様な活動は付いていけなかったけど、
日本を想う心には変わりは無い。でも、それを右翼と呼ぶの?
66 :
無名草子さん:2008/01/12(土) 01:58:08
バオー来訪者
あぼーん
スレ違い板違い
くだらない血液型妄想占いは余所でやれ
川端康成が書いたストーカーの小説のタイトルはなんですか?
70 :
無名草子さん:2008/02/01(金) 20:41:40
みずうみ
あれ読んで妄想にとどめておくってのがまともな教師なんだと思うけど、
実行に移しちゃうのがいるのは困ったもんだな。
72 :
無名草子さん:2008/02/12(火) 15:27:22
眠れる美女 も変態ちっく
73 :
無名草子さん:2008/02/15(金) 20:35:33
三島由紀夫の「命売ります」はラノベで面白い
74 :
無名草子さん:2008/03/08(土) 21:25:56
「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。
マルグリット・ユルスナール
75 :
無名草子さん:2008/03/08(土) 21:26:30
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。
マルグリット・ユルスナール
76 :
3億円:2008/03/09(日) 06:20:11
日本の事件・事故は昔からインチキだった
三億円強奪事件と川端康成
私はふとしたことから川端康成の「雪国」を読み、そのつまらなさに驚き、
この人物について調べてみた。なんとこの人の作品は戦前のもので、
戦時中の1944年に菊池寛賞を受賞している。そしてノーベル賞1968年12月10日
------文筆家島村と温泉地の芸者駒子との触合いを描く「雪国」では、人の世の哀しさと美しさが語られる。ここでも「美しい国日本」だ。どうしてこのようないい加減な本で
ノーベル賞がもらえるのか私には謎だった。それで、当時の新聞を調べてみた。
驚いた事実があった。
http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p002.html#page24
78 :
無名草子さん:2008/03/12(水) 15:20:59
「サド侯爵夫人」
サド侯爵夫人ルネ(貞淑)と母(道徳、法)、妹(無邪気、無節操)、二人の対照的な夫人(神と肉欲)、召使(民衆)の会話が惑星の運行のように交錯しながら、眺められ、浮き上がるサド侯爵
三島由紀夫はエッセイ「法律と文学」で、学生時代に学んだ『刑事訴訟法』に影響を受けたように書いていたけど、
その『刑事訴訟法』から三島が感じた「人間性の本質的な『悪』の匂いを、とりすました辞句の裏から、強烈に放って」いる論理構造からヒントを得て、かなり成功した例が「サド侯爵夫人」だと思います
79 :
無名草子さん:2008/03/17(月) 11:21:38
川端氏は僕の吹く勝手な熱をしじゅう喜んでニコニコしてきいてくれた。おしまいには僕が悲しくなってしまった。
僕の生意気な友人たちだったら、フフンと鼻の先であしらいそうなこんなつまらない笑い話や、ユーモアのない又聞き話が、どういう経緯で川端氏の口に微笑を誘うのだろう。
しかしこうして一人で喋っているうちに、だんだん僕が感知しだしたのは僕の孤独ではなくて、むしろ川端氏の孤独なのだった。
ひろい家の中には夕闇がよどんで来た。ひろい家のさみしさが身にしみる時刻だ。
三島由紀夫
昭和22年の日記から
80 :
無名草子さん:2008/03/17(月) 11:22:39
川端氏とのさびしい夕食、川端氏のかえってゆく一人の書斎、僕は僕の行方にあるものをまざまざと見る気がした。
名声とは何だろう。このひろい家によどんでくるどうにも逃げようもない夜のことなのか?否しかしなお僕は名声を愛している。
なぜなら名声でやっとたえられるものが僕の中にあるからだ。名声とは必要不可欠な人間にだけ来るものだ。
そうして名声があるために、ある人の慰めになる不幸があるものだ。こんな孤独の実質を名声は少しもかええないが、名前と形容詞だけは支えてくれる。
文学の仕事、それが形容詞の創造であるとするなら、こうして形容詞の冷徹で花やかな報いをうけるのは当然だ。
三島由紀夫
昭和22年の日記から
81 :
無名草子さん:2008/03/29(土) 15:33:11
若者の恋というテーマだけを取ってみれば、「潮騒」はまず、「ダフニスとクロエ」の無数の二番煎じの一つのように見える。
けれどもここで古代と、さらにずっと後代の変則的な古代とを、あらゆる偏見を棄てて比較してみると、二つのうちでは「潮騒」の旋律の示す音高線のほうがはるかに純粋だ。
マルグリット・ユルスナール
82 :
マル韓:2008/03/30(日) 10:08:27
美しさと哀しみと 以前これを原作にしたフランス映画を見たんだけど、
あまりの違和感のなさにビックリした。
舞姫 子供がちょっと前までバレエを習っていた。
上のクラスのお姉さん方を見ていて
日本のバレエ界(?)が50年前とほとんど変わってないんだと思った。
84 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 11:07:29
…昇は愛撫した。女の息は少しも乱れなかった。
…彼女たちは海を見ようとする。すると砂漠が迫って来るのである。
それを海だと思おうとする。しかし砂が口をおおい、鼻孔をおおって、彼女を埋めてしまう。
彼女は男だけの快楽を、恐怖を以て想像する。
…しかし顕子はちがっていた。目をつぶって横たわり、小ゆるぎもしなかった。
三島由紀夫
「沈める滝」より
85 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 11:08:55
…彼はいつか、この砂漠に身を埋めた女に陶酔を与えようとする徒な努力が、
彼自身の快楽のためではなくて、ただ単に、虚栄心にすぎぬことに気づいた。
顕子の肉体はそこに存在し、顕子は正にそこにいる。彼女は何も男に挑戦しようとしているのではない。ひたすら自身に忠実に、物質に化身しているにすぎないのである。
このままを抱かなければならない。そう思った彼は、別のやさしさで女を抱いた。
三島由紀夫
「沈める滝」より
86 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 11:10:27
…顕子はようやく目をひらいて昇を見た。彼女には見ぬさきからわかっていた。
毎度のように、顕子が目をひらくや否や、顕子のなかの絶望した女と、目の前の絶望した男とが目を見交わすことが。
しかし昇はちがっていた。
…顕子は目をみひらいたままだったが、昇のふしぎなやさしさを見るうちに、涙が流れた。
三島由紀夫
「沈める滝」より
87 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 11:14:23
作者の創造し得たのは、若さにみち溢れた肉体をもつ生ける屍である。
彼は自己放棄を理想としている。人間のこれ程の非人間化への情想が、私には切なく
やりきれなくて涙をこぼさずにはいられなかった。
作品の中の生ける屍が文字を通して、私の中に、生き生きと場所を占めてしまったのである。
私が独身の友に結婚をすすめるというのは、この作品によって、男がどんなに女によって自己を占領され征服されることをのぞんでいるかを知らされたこと。
自己放棄といい、非人間化への努力といい、愛情を否定する主人公の行為すべてが、
最大の謙虚さで示された愛の渇望に思われた。
田中澄江
「沈める滝」の男と女
88 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 12:10:52
この世の終りが来るときには、人は言葉を失って、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は一度きいたことがある。
三島由紀夫
「弱法師」より
89 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 12:12:08
僕はたしかにこの世のおわりを見た。
…それ以来、いつも僕の目の前には、この世のおわりの焔が燃えさかっているんです。
…世界はばかに静かだった。静かだったけれど、お寺の鐘のうちらのように、一つの唸りが反響して、四方からこだまを返した。
へんな風の唸りのような声、みんなでいっせいにお経を読んでいるような声、あれは何だと思う?
…あれは言葉じゃない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚という奴なんだ。
僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真摯な声をきいたことがない。この世のおわりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。
三島由紀夫
「弱法師」より
90 :
無名草子さん:2008/04/04(金) 12:17:25
想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこって、その吊床の上で人々はお昼寝をたのしみます。
そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つようになるのです、磨き立ててぴかぴかに光った。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味がわるいと仰言る。
あなた方は御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互いに姿を変え、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。
三島由紀夫
「サド侯爵夫人」より
91 :
無名草子さん:2008/04/06(日) 11:18:16
聡子「…こんなに生きることの有難さを知った以上、それをいつまでも貪るつもりはございません。
どんな夢にもおわりがあり、永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思うのは愚かではございませんか。
私はあの『新しき女』などとはちがいます。
……でも、もし永遠があるとすれば、それは今だけなのでございますわ。……本多さんにもいつかそれがおわかりになるでしょう」
三島由紀夫
「春の雪」より
92 :
無名草子さん:2008/04/08(火) 11:49:30
昇は顕子の屍の幻を見ることがよくあった。
その無感動な、呼べども答えない肉体は、仰向いてしらじらと横たわっている。
…あらゆる愛撫に委ねられたこの体、意志を失って外側も内側も考えうるかぎり受身になったこの体は、もう何も拒むものはない。
羞恥もない。男の目や指や唇は、どんな微細なものも見のがさず、完全に所有してしまうのである。
昇はこの幻に憑かれた。彼が今まで女に求めて得られなかったものは、かかる死屍の幻だったかもしれなかった。
三島由紀夫
「沈める滝」より
93 :
無名草子さん:2008/04/14(月) 11:14:36
「じゃあ、気をつけて」と言った。
…その美しい大きい目はたしかに潤んでいたが、清顕がそれまで怖れていた涙はその潤みから遠ざかった。
涙は、生きたまま寸断されていた。溺れる人が救いを求めるように、まっしぐらに襲いかかって来るその目である。
清顕は思わずひるんだ。
聡子の長い美しい睫は、植物が苞をひらくように、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんよう」
…清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。
三島由紀夫
「春の雪」より
94 :
無名草子さん:2008/04/20(日) 12:03:36
「暁の寺」のジン・ジャンの祖母は実在のタイの王妃なんだけど、実際にはその王妃は19歳のとき1歳の娘と川遊び中に死んでいるそうです
お腹には次の子が宿っていましたが、3人とも亡くなりました
三島由紀夫が、この世に存在するはずのなかったジン・ジャンを「暁の寺」で、月光姫として顕したことは、なんとなく意味深でミステリアスな感じがしました
95 :
無名草子さん:2008/04/21(月) 02:36:52
三島由紀夫会いたいな
恐山行け。
三島が、学生集会に出てしゃべったり、英語でインタビュ受けたり、…って動画がアップされている
youtubeで三島由紀夫を検索してみるといいよ
98 :
無名草子さん:2008/04/21(月) 15:47:20
今日では、「豊饒の海」は彼の数多い作品の中で最高の地位に置かれている。
近代日本を一種のパノラマのように見せる点で、翻訳された他のどんな作品より優れているからである。
「春の雪」に明治末から大正にかけての日本を描き、「奔馬」の勲に激動の昭和初期を映し、「天人五衰」中に復興した日本社会の醜さをあばく…
西洋人があまり知らない国・日本が、そこではみごとに語られている。
ヘンリー・スコット・ストークス
99 :
無名草子さん:2008/04/21(月) 15:47:49
「豊饒の海」は、いわば本質的に強烈な挑戦をふくんだ作品であり、今なお解きほごしがたい数々の謎と問題をはらんで、ぼくらの前に屹立している。
佐伯彰一
ほくろの手紙
なんかすきです。
101 :
無名草子さん:2008/04/25(金) 11:19:15
その夕べの焔、夜ふけの焔、夜のひきあけに近い時刻の焔は、いずれもまったく同じ焔でもなければ、
そうかと云って別の焔でもなく、同じ燈明に依存して、夜もすがら燃えつづけるのだ…
緑生としての個人の存在は、実体的存在ではなく、この焔のような「事象の連続」に他ならない。
時間とは輪廻の生存そのものである。
三島由紀夫
「暁の寺」より
102 :
無名草子さん:2008/04/25(金) 16:17:25
最高の道徳的要請によって、阿羅耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿羅耶識も亦、依拠しているのであった。
しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿羅耶識であるならば、
同時に、世界の一切を顕現させている阿羅耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。
三島由紀夫
「暁の寺」より
103 :
無名草子さん:2008/04/25(金) 16:18:14
刹那刹那の海の色の、あれほどまでに多様な移りゆき。
雲の変化。そして船の出現。……そのたびに一体何が起るのだろう。
生起とは何だろう。
刹那刹那、そこで起っていることは、クラカトアの噴火にもまさる大変事かもしれないのに、人は気づかぬだけだ。
存在の他愛なさにわれわれは馴れすぎている。
世界が存在しているなどということは、まじめにとるにも及ばぬことだ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
104 :
無名草子さん:2008/04/25(金) 16:18:54
生起とは、とめどない再構成、再組織の合図なのだ。遠くから波及する一つの鐘の合図。
船があらわれることは、その存在の鐘を打ち鳴らすことだ。
たちまち鐘の音はひびきわたり、すべてを領する。海の上には、生起の絶え間がない。
存在の鐘がいつもいつも鳴りひびいている。一つの存在。
三島由紀夫
「天人五衰」より
105 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 16:46:38
波ははじめ、不安な緑の膨らみの形で沖のほうから海面を滑って来た。
海に突き出た低い岩群は、救いを求める白い手のように飛沫を高く立てて逆らいながらも、その深い充溢感に身を涵して、繋縛をはなれた浮遊を夢みているようにもみえた。
しかし膨らみは忽ちそれを置き去りにして同じ速度で汀へ滑り寄って来るのだった。
やがて何ものかがこの緑の母衣のなかで目ざめ・立上った。
波はそれにつれて立上り、波打ち際に打ち下ろす巨大な海の斧の鋭ぎすまされた刃の側面を、残るくまなくわれわれの前に示すのだった。
三島由紀夫
「仮面の告白」より
106 :
無名草子さん:2008/05/09(金) 16:47:21
この濃紺のギロチンは白い血しぶきを立てて打ち下ろされた。
すると砕けた波頭を迫ってたぎり落ちる一瞬の波の背が、断末魔の人の瞳が映す至純の青空を、あの此世ならぬ青を映すだった。
――海からようやく露われている蝕まれた平らな岩の連なりは、波に襲われたつかのまこそ白く泡立つなかに身を隠したが、余波の退きぎわには燦爛とした。
その眩ゆさに宿かりがよろめき、蟹がじっと身動がなくなるのを、私は巌の上から見た。
三島由紀夫
「仮面の告白」より
手打ちなの?大変だね、ごくろうさま
108 :
無名草子さん:2008/05/13(火) 12:42:41
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の後には水晶のような透明な誠があつた。
翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は飛んだ。
三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より
109 :
無名草子さん:2008/05/13(火) 12:44:05
私にはわからない。自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばないといふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になつたのだよ。
三島由紀夫
「朱雀家の滅亡」より
110 :
無名草子さん:2008/05/15(木) 12:12:47
海、名のないもの、地中海であれ、日本海であれ、目前の駿河湾であれ、海としか名付けようのないもので辛うじて統括されながら、決してその名に服しない、この無名の、この豊かな、絶対の無政府主義。
三島由紀夫
「天人五衰」より
111 :
無名草子さん:2008/05/15(木) 13:46:07
…遠いところで美が哭いている、と透は思うことがあった。
多分水平線の少し向こうで。
美は鶴のように甲高く啼く。その声が天地に谺してたちまち消える。
人間の肉体にそれが宿ることがあっても、ほんのつかのまだ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
112 :
無名草子さん:2008/05/15(木) 14:37:02
砕けるときの波は、死のそのままのあらわな具現だ、と透は思った。
そう思うと、どうしてもそう見えて来る。それは断末魔の、大きくあいた口だった。
白いむきだしの歯列から、無数の白い涎の糸を引き、あんぐりあいた苦しみの口が、下顎呼吸をはじめている。
夕光に染まった紫いろの土は、チアノーゼの唇だ。
臨終の海が大きくあけた口の中へ、死が急速に飛び込んでくる。
こうして無数の死を露骨に見せることをくりかえしながら、そのたびに海は警察のように大いそぎで死体を収容して、人目から隠してしまうのだった。
三島由紀夫
「天人五衰」より
113 :
無名草子さん:2008/05/15(木) 14:50:39
そのとき透の望遠鏡からは、見るべからざるものを見た。
顎をひらいて苦しむ波の大きな口腔の裡に、ふと別な世界が揺曳したような気がしたのである。
透の目が幻影を見る筈はないから、見たものは実在でなければならない。
しかしそれが何であるかはわからない。海中の微生物がたまたま描いた模様のようなものかもしれない。
暗い奧処にひらめいた光彩が、別の世界を開顕したのだが、たしかに一度見た場所だというおぼえがあるのは、測り知られぬほどの遠い記憶と関わりがあるのかもしれない。
過去世というものがあれば、それかもしれない。
三島由紀夫
「天人五衰」より
114 :
無名草子さん:2008/05/15(木) 15:08:11
ともあれそれが、明快な水平線の一歩先に、たえず透が見通そうと思って来たものと、どういうつながりがあるのかわからない。
砕けようとする波の腹に、幾多の海藻が纏綿して、巻き込まれながら躍っていたとすれば、つかのまに描かれた世界は、嘔気を催おすようないやらしい海底の、粘着質の紫や桃いろの襞と凹凸の微細画であったかもしれない。
が、そこに光明があり、閃光が走ったのは、稲妻に貫かれた海中の光景だったのだろうか。
そんなものが、このおだやかな西日の汀に見られよう筈はない。
第一、その世界がこの世界と同時に共在していなければならぬという法はない。
そこに仄見えたのは、別の時間なのであろうか。
今透の腕時計が刻んでいるものとは、別の時間の下にある何かなのであろうか。
三島由紀夫
「天人五衰」より
115 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 16:54:47
「洋食の作法は下らないことのようだが」と本多は教えながら言った。
「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。
一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているということだけのことなんだからね。
純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。
日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」
三島由紀夫
「天人五衰」より
116 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 17:02:26
三島の行動学入門
宝石のおわりを読んでなるほどこの人の美学を知ったような気がする
117 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 17:03:22
僕は君のような美しい人のために殺されるなら、ちっとも後悔しないよ。
この世の中には、どこかにすごい金持の醜い強力な存在がいて、純粋な美しいものを滅ぼそうと、虎視眈々と狙っているんだ。
とうとう僕らが奴らの目にとまった、というわけなんだろう。
三島由紀夫
「天人五衰」より
118 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 17:05:00
そういう奴相手に闘うには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張っているからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言いなりになってやるんだ。そうしてゆっくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。
ここぞと思ったところで反撃に出るためには、こちらも十分力を蓄え、敵の弱点もすっかり握った上でなくてはだめなんだよ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
119 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 17:17:47
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだということを忘れてはいけない。
奴らの戦いが有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れているからだ。
奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手をゆるめないだろう。
だから僕らは、いざとなったら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければならない。
むやみに突張って、踏絵を踏まなければ、殺されてしまうんだからね。
そうして一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしっかり保ってゆかなければね」
三島由紀夫
「天人五衰」より
120 :
無名草子さん:2008/05/27(火) 20:13:55
121 :
無名草子さん:2008/06/09(月) 14:49:04
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
122 :
無名草子さん:2008/06/09(月) 14:50:52
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
123 :
無名草子さん:2008/06/09(月) 14:51:38
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
124 :
無名草子さん:2008/06/09(月) 14:52:15
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
125 :
無名草子さん:2008/06/11(水) 20:39:32
自殺しちゃ駄目!
126 :
無名草子さん:2008/06/12(木) 19:12:46
自殺したから過大評価されてんだよ
127 :
無名草子さん:2008/06/16(月) 15:47:47
夕焼を見る。海の反射を見る。すると安里は、生涯のはじめのころに、一度たしかに我身を訪れた不思議を思い返さずにはいられない。
…安里は自分がいつ信仰を失ったか、思い出すことができない。
ただ今もありありと思い出すのは、いくら祈っても分かれなかった夕映えの海の不思議である。奇蹟の幻影より一層不可思議なその事実。
何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して分かれようとしない夕焼の海に直面したときのあの不思議……。
三島由紀夫
「海と夕焼」より
128 :
無名草子さん:2008/06/16(月) 15:48:57
安里は遠い稲村ヶ崎の海の一線を見る。信仰を失った安里は、今はその海が二つに割れることなどを信じない。
しかし今も解せない神秘は、あのときの思いも及ばぬ挫折、とうとう分かれなかった海の真紅の煌めきにひそんでいる。
おそらく安里の一生にとって、海がもし二つに分かれるならば、それはあの一瞬を措いてはなかったのだ。
そうした一瞬にあってさえ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがっていたあの不思議……。
三島由紀夫
「海と夕焼」より
129 :
無名草子さん:2008/06/17(火) 18:58:18
この主題(『海と夕焼』の)はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。
人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかったか」という大東亜戦争のもっとも怖ろしい詩的願望を想起するであろう。
なぜ神助がなかったか、ということは、神を信ずる者にとって終局的決定的な問いかけなのである。
『海と夕焼』は、しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。
むしろ、私にとっては、もっとも私の問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だったように思われ、
「なぜあのとき海が二つに割れなかったか」という奇蹟待望が自分にとって不可避なことと、同時にそれが不可能なこととは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。
三島由紀夫
130 :
無名草子さん:2008/06/18(水) 10:29:53
かれらは歯を喰いしばっていた。実に愉しげな顔をして。
この世に苦悩などというものの存在することを、絶対に信じないふりをしなくてはならぬ。白を切りとおさなくてはならぬ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
131 :
無名草子さん:2008/06/18(水) 11:03:14
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
132 :
無名草子さん:2008/06/21(土) 14:31:48
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。
「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。
川端康成
133 :
無名草子さん:2008/06/21(土) 14:32:26
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。
川端康成
134 :
無名草子さん:2008/06/23(月) 20:06:28
伊豆の踊り子とか金閣寺じゃないか?
頭の弱いのが引用ばかりしてるようだがw
川端は『山の音』と『古都』、三島は『絹と明察』『鏡子の家』がお奨め。
他人への煽りには己のコンプレックスが反映していると云う。
>>136 名言だな。
ところで、なんでここは川端と三島合同スレになってるんだ?
個別じゃいけない理由があるのか?
139 :
無名草子さん:2008/07/05(土) 12:38:19
堤防の上の砂地には夥しい芥が海風に晒されていた。
コカ・コーラの欠けた空瓶、缶詰、家庭用の塗装ペイントの空缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、弁当の殻……
地上の生活の滓がここまで雪崩れて来て、はじめて「永遠」に直面するのだ。
今まで一度も出会わなかった永遠、すなわち海に。
もっとも汚穢な、もっとも醜い姿でしか、ついに人が死に直面することができないように。
三島由紀夫
「天人五衰」より
まあどこにでもあるよね
お気に入りのAAとかコピペとか集めるスレが
別に邪魔にもならんし好きに使わせてやろうじゃないの
141 :
無名草子さん:2008/07/06(日) 21:52:12
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。
三島由紀夫
「太陽と鉄」より
142 :
無名草子さん:2008/07/07(月) 14:13:15
占領時代は屈辱の時代である。虚偽の時代である。
面従背反と、肉体的および精神的売淫と、策謀と譎詐の時代である。
初子は本能的に自分がこういう時代のために生まれて来たことを感じていた。
三島由紀夫
「江口初女覚書」より
川端の戦前は禽獣と雪国だな
144 :
無名草子さん:2008/07/10(木) 14:46:43
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
145 :
無名草子さん:2008/07/10(木) 14:47:41
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
146 :
無名草子さん:2008/07/11(金) 12:34:28
潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』
三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。
147 :
無名草子さん:2008/07/12(土) 16:35:17
偶然という言葉は、人間が自分の無知を湖塗しようとして、尤もらしく見せかけるために作った言葉だよ。
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠しているのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なのだ。
人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だろうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されており、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩しているにすぎないのだ。
三島由紀夫
「美しい星」より
148 :
無名草子さん:2008/07/12(土) 16:36:51
宗教家が神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されているのだが、天はこれを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののように見せかけるために、悪戯っぽい、不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。
人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払うにすぎない。
こうした人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のほうに、あらわに印されているのだから。
三島由紀夫
「美しい星」より
149 :
無名草子さん:2008/07/12(土) 17:16:01
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。
しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。
何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐えないからであるし、一度人間が『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の距離に耐えないからです。
三島由紀夫
「美しい星」より
三島由紀夫なら「春の雪」。
こんなに美しい物語をぼくは知らない
151 :
無名草子さん:2008/07/14(月) 15:15:52
決して色白とはいえない肌は、潮にたえず洗われて滑らかに引締り、お互いにはにかんでいるかのように心もち顔を背け合った一双の固い小さな乳房は、永い潜水にも耐える広やかな胸の上に、薔薇いろの一双の蕾をもちあげていた。
三島由紀夫
「潮騒」より
152 :
無名草子さん:2008/07/14(月) 15:26:27
裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまっしぐらに飛び込んだ。
次の刹那にその体は少女のすぐ前にあった。彼の胸は乳房に軽く触れた。
「この弾力だ。前に赤いセエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ」と若者は感動して思った。
二人は抱き合った。少女が先に柔らかく倒れた。
「松葉が痛うて」と少女が言った。
三島由紀夫
「潮騒」より
>>150 日本語がちょっとおかしくないかい
「潮騒」は一番初心者にお勧めできる
明快で完成度が高く、読後の爽快感良し
「金閣寺」は何冊か読破した後に読んだほうがいいんじゃないかな
川端さんのは語れるほど読んでないなぁ
やっぱり「伊豆の踊り子」だろうかねぇ
どういうのが読みたいかってのがまずあるわけだ
初々しい感じ…伊豆の踊り子
男の桃源郷遊び…雪国
老いと密やかな不倫…山の音
女の魔性…千羽鶴
とかな。もちろん左側は個人的な感想なので、人によりこういうキーワードは
異なるとは思うけど。
川端に限らないけど、地誌、日本史、和服、能面、茶道、書道、華道、仏教など、
日本の文化を知っていると、より楽しめるものも多い。
155 :
無名草子さん:2008/07/15(火) 12:18:02
私のお気に入り三島作品は
仮面の告白
春の雪
156 :
無名草子さん:2008/07/15(火) 12:20:57
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満などという陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。
人の心に立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に性的原因を探し出して、それによって抑圧を解放してやるなどという不潔で下品な教理は、西洋のもっとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。
三島由紀夫
「音楽」より
157 :
無名草子さん:2008/07/15(火) 12:23:10
仮面の告白読んで、潮騒読んだ
ちんちん無いけどちんちんおっきおっきした
今から伊豆の踊り子読む。その後花盛りの森と金閣寺読む予定
158 :
無名草子さん:2008/07/17(木) 12:12:04
高校へ入ったら、勉強の邪魔にならぬ程度のスポーツもやるべきで、それも健康が表面に浮いて見えるようなスポーツがいい。
スポーツマンだというと、莫迦だと人に思われる利得がある。政治には盲目で、先輩には忠実だということぐらい、今の日本で求められている美徳はないのだからね。
三島由紀夫
「天人五衰」より
159 :
無名草子さん:2008/07/17(木) 12:13:24
――大人しい透に向って、こうして執拗に説き進めながら、いつしか本多は、目の前に清顕と勲と月光姫を置いて、返らぬ繰り言を並べているような心地にもなった。
彼らもそうすればよかったのだ。自分の宿命をまっしぐらに完成しようなどとはせず、世間の人と足並を合せ、飛翔の能力を人目から隠すだけの知恵に恵まれていればよかったのだ。
飛ぶ人間を世間はゆるすことができない。翼は危険な器官だった。
飛翔する前に自滅へ誘う。あの莫迦どもとうまく折合っておきさえすれば、翼なんかには見て見ぬふりをして貰えるのだ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
160 :
無名草子さん:2008/07/26(土) 10:43:22
『潮騒』の描写力は新鮮で、喚起的(evocative)である。
日本の漁村の牧歌的な素朴さは素晴らしい。
スティーブン・スペンダー
161 :
無名草子さん:2008/07/26(土) 11:03:16
極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、一見どこまでも傷つかぬ第三者として身を全うすることができるかとみえる。
ところがこういう人物の心の中にこそ、現代の綺譚と神秘が住み、思いがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。
三島由紀夫
「盗賊」より
162 :
無名草子さん:2008/07/28(月) 00:36:12
仮面の告白ってどうですか?
163 :
無名草子さん:2008/07/28(月) 12:25:13
>>162 一番好きかもしれない。
何度も読んだ作品ですね。
164 :
無名草子さん:2008/08/04(月) 13:07:35
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
165 :
無名草子さん:2008/08/08(金) 11:35:14
若い女というものは誰かに見られていると知ってから窮屈になるのではない。
ふいに体が固くなるので、誰かに見詰められていることがわかるのだが。
三島由紀夫
「白鳥」より
166 :
無名草子さん:2008/08/08(金) 11:39:49
この世界には不可能という巨きな封印が貼られている。
三島由紀夫
「午後の曳航」より
コピペばっかりで自分の言葉で語っていないじゃないか
>167のご高説を伺いましょうか、わくわく(笑
169 :
無名草子さん:2008/08/24(日) 11:32:34
透は美しい微笑をうかべた。
こういうとき、透は厚い硝子の壁をするすると目の前に下ろすのである。
天から下りてくる硝子。朝の澄み切った天空と全く同じ材質でできた硝子。
本多はもうその瞬間に、どんな叫びも、どんな言葉も、透の耳には届かないことを確信する。
むこうからは開け閉てする本多の総入歯の歯列が見えるだけだろう。
すでに本多の口は、有機体とは何の関わりもない無機質の入歯を受け入れていた。
とっくに部分的な死ははじまっていた。
三島由紀夫
「天人五衰」より
170 :
無名草子さん:2008/08/25(月) 19:03:45
私は「禁色」が一番面白いと思います。醜男だから・・・スキっとします。
171 :
無名草子さん:2008/08/26(火) 00:59:05
三島スレならどこにでも現れるコピペ三島狂信者ババア。
173 :
無名草子さん:2008/08/26(火) 04:23:54
『禁色』いいよね!
174 :
無名草子さん:2008/09/12(金) 21:33:02
先日聴いてきた横尾忠則と平野啓一郎の対談で、平野啓一郎は、三島由紀夫が
「金閣寺」で女性の顔を切り株に例えた比喩が忘れられないと言っていた。
妙に気になって、実家に帰った折に本棚を漁って「金閣寺」を探した。そしてお目当て
の文章を探し当てた。
私は息を詰めてそれに見入った。歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去
へ向かっても、何一つ語りかけない顔。そういうふしぎな顔を、われわれは、今切り倒
されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色を帯びていても、
成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかった風と日光を浴び、本来自分のもので
はない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ
拒むために、こちらの世界へさし出されている顔。・・・・
175 :
無名草子さん:2008/09/18(木) 17:05:47
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。
橋川文三
「中間者の眼」より
176 :
無名草子さん:2008/09/18(木) 17:06:57
三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、
そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。
橋川文三
「中間者の眼」より
177 :
無名:2008/09/23(火) 11:49:39
このスレは引用が多いようですが、私は潮騒が好きです。川端さんではやはり
雪国でしょうか。
178 :
無名草子さん:2008/10/07(火) 14:54:20
川端康成は
眠れる美女が面白いよ。
179 :
無名草子さん:2008/10/07(火) 14:55:22
金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。
そして、ふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに委せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出航したのである。
三島由紀夫
「金閣寺」より
180 :
無名草子さん:2008/10/14(火) 10:52:54
柏木の言ったことはおそらく本当だ。世界を変えるのは行為ではなくて認識だと彼は言った。
そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識もこの種のものだった。
そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか。
見るがいい、今や行為は私にとっては一種の剰余物にすぎぬ。
それは人生からはみ出し、私の意志からはみ出し、別の冷たい機械のように、私の前に在って始動を待っている。
その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないようだ。ここまでが私であって、それから先は私ではないのだ。……何故私は敢て私でなくなろうとするのか。
三島由紀夫
「金閣寺」より
181 :
三島由紀夫なら…:2008/10/14(火) 12:43:28
青の時代
不道徳教育講座
サド侯爵夫人
182 :
無名草子さん:2008/10/15(水) 19:13:26
自殺=三浦さんと同じ
183 :
↑:2008/10/16(木) 13:29:07
短絡思考回路のバカ
184 :
無名草子さん:2008/10/16(木) 15:40:53
――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、指さきにまだ稚なさの残ったピアノの音である。
私はそのおさらいがいつまでもつづけられることをねがった。願事は叶えられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の今日までつづいたのである。
何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性がこの錯覚を嘲ったことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑ったことか。
それにもかかわらず、ピアノの音は私を支配し、もし宿命という言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、この音は正しく私にとって宿命的なものとなった。
三島由紀夫
「仮面の告白」より
185 :
無名草子さん:2008/10/16(木) 17:03:03
打算のない愛情とよく言いますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明するものと同様に、「お金」の他にはありません。
打算があってこそ「打算のない行為」もあるのですから、いちばん純粋な「打算のない行為」は打算の中にしかありえないわけです。
夜があってこそ昼があるのだから、昼という観念には「夜でない」という観念が含まれ、その観念の最も純粋な生ける形態は夜の只中にしかないように、
又いわば、深海魚が陸地に引き揚げられて形がかわっているのに、そういう深海魚をしか見ることのできない人間が、
夜の中になく夜の外にある昼のみを昼と呼び、打算の中になく打算の外にある「打算なき行為」だけを「打算なき行為」とよぶ誤ちを犯しているわけなのです。
三島由紀夫
「宝石売買」より
186 :
無名草子さん:2008/10/22(水) 15:11:36
人間の心とは、本来人間自身が扱うべからざるものである。
従ってその扱いには常に危険が伴い、その結果、彼自身の心が、自分の扱う人間の心によって犯される。犯された末には、生きながら亡霊になるのである。
そして、医療や有効な目的のために扱われるラジウムが、それを扱う人間には有毒に働くように、それ自体美しい人生や人間の心も、それを扱う人間には、いつのまにか怖ろしい毒になっている。
多少ともこういう毒素に犯されていない人間は、芸術家と呼ぶに値いしない。
三島由紀夫
「楽屋で書かれた演劇論」より
187 :
無名草子さん:2008/10/22(水) 15:13:02
行為者であり表現者であること、表現される者であり表現する者であること、
裁かれる者であり裁く者であること、死刑囚であり死刑執行人であること、
かつてボオドレエルが企て、二十世紀にいたって、マルロオの「行為」の小説がその一つの典型を打ち建てた、真に今日的な文学の困難な問題がここにある。
三島由紀夫
「ジ?
188 :
無名草子さん:2008/10/22(水) 15:18:31
行為者であり表現者であること、表現される者であり表現する者であること、
裁かれる者であり裁く者であること、死刑囚であり死刑執行人であること、
かつてボオドレエルが企て、二十世紀にいたって、マルロオの「行為」の小説がその一つの典型を打ち建てた、真に今日的な文学の困難な問題がここにある。
三島由紀夫
「ジャン・ジュネ」より
189 :
無名草子さん:2008/10/22(水) 19:17:32
もう、文学は死にました
190 :
無名草子さん:2008/10/31(金) 12:42:30
「ああ、女たちよ。威張れ。…お前たちのおのぞみの歌、大好きな歌をうたってやるからな。
…男の暴力を封じ、経済力をむしばみ、権力を弱めてきたお前たちが、
ハ、ハ、ハ、ハートブレーク・ホテル
だなんて、俺が下らない歌を、ふるえ声で歌うと、とたんに降参して城を明け渡すじゃないか。なんて君らは低俗な趣味なんだ。
どうだい、腰を振ってやろうか。うれしいか。ざまあみろ。
俺の前じゃ、みんな仮面をはがれてしまうんだ。いくらとりすました顔をして、威張っていたって、こんな下品な歌一つで一コロなんだ。…」
…プレスリーの歌をきいていると、私は砂糖菓子みたいな歌詞のむこうがわで、彼がたえず右のように歌っている声をきくような気がします。
三島由紀夫
「第一の性・各論エルビス・プレスリー」より
191 :
無名草子さん:2008/11/04(火) 13:00:24
柔らかな、むしろ仄暗い光線のなかで、何事かを語りだす麗子の唇。
それを見るたびに、私は人間のふしぎというものを思わずにはいられない。
それは色彩の少ない部屋の中に、小さな鮮やかな花のように浮かんでいるが、
それが語りだす言葉の底には、広漠たる大地の記憶がすべて含まれており、こうした一輪の花を咲かすにも、人間の歴史と精神の全問題が、ほんの微量ずつでも、ひしめき合い、力を貸し合っているのがわかるのである。
三島由紀夫
「音楽」より
192 :
無名草子さん:2008/11/04(火) 13:43:20
総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のように一つの影像は無限の奥までつづいて、
新たに会う事物にも過去に見た事物の影がはっきりと射し、こうした相似にみちびかれてしらずしらずに廊下の奥、底知れね奥の間へ、踏み込んで行くような心地がしていた。
運命というものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。
のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たえず刑架の幻をえがいて、その幻に親しんでいる筈だ。
三島由紀夫
「金閣寺」より
193 :
無名草子さん:2008/11/11(火) 11:47:00
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合の木乃伊(ミイラ)になっている。
そっと指を触れなければ、茶褐色になった花弁はたちまち粉になって、まだほのかに青みを残している茎を離れるにちがいない。
それはもはや百合とは云えず、百合の残した記憶、百合の影、不朽のつややかな百合がそこから巣立って行ったあとの百合の繭のようなものになっている。
しかし依然として、そこには、百合がこの世で百合であったことの意味が馥郁と匂っている。かつてここに注いでいた夏の光りの余燼をまつわらせている。
勲はそっとその花弁に唇を触れた。もし触れたことがはっきり唇に感じられたら、そのときは遅い。百合は崩れ去るだろう。
唇と百合とが、まるで黎明と屋根とが触れるように触れ合わねばならない。
三島由紀夫
「奔馬」より
194 :
無名草子さん:2008/11/11(火) 11:47:47
勲の若い、まだ誰の唇にもかつて触れたことのない唇は、唇のもつもっとも微妙な感覚のすべてを行使して、枯れた笹百合の花びらにほのかに触れた。
そして彼は思った。
『俺の純粋の根拠、純粋の保証はここにある。まぎれもなくここにある。
俺が自刃するときには、昇る朝日のなかに、朝霧から身を起して百合が花をひらき、俺の血の匂いを百合の薫で浄めてくれるにちがいない。
それでいいんだ。何を思い煩らうことがあろうか』
三島由紀夫
「奔馬」より
三島由紀夫の短編集「愛の言霊」
日本文学史上最も美しい傑作。
196 :
無名草子さん:2008/11/11(火) 15:52:11
…夏の午睡の女の喜びは曇らなかった。
肌の上にあまねく細かい汗をにじませ、さまざな官能の記憶を蓄え、寝息につれてかすかにふくらむ腹は、肉のみごとな盈溢を孕んだ帆のようである。
その帆を内から引きしめる臍には、山桜の蕾のようなやや鄙びた赤らみが射して、汗の露の溜まった底に小さくひそかに籠り居をしている。
美しくはりつめた双の乳房は、その威丈高な姿に、却って肉のメランコリーが漂ってみえるのだが、はりつめて薄くなった肌が、内側の灯を透かしているかのように、照り映えている。
三島由紀夫
「奔馬」より
197 :
無名草子さん:2008/11/11(火) 15:54:12
肌理のこまやかさが絶頂に達すると、環礁のまわりに寄せる波のように、けば立って来るのは乳暈のすぐかたわらだった。
乳暈は、静かな行き届いた悪意に充ちた蘭科植物の色、人々の口に含ませるための毒素の色で彩られていた。
その暗い紫から、乳頭はめずらかに、栗鼠のように小賢しく頭をもたげていた。それ自体が何か小さな悪戯のように。
…勲は射精して目をさました。
三島由紀夫
「奔馬」より
川端康成なら雪國、三島由紀夫なら金閣寺が好き。
川端由紀夫より。
199 :
無名草子さん:2008/11/11(火) 16:17:18
春の雪が美しい
200 :
無名草子さん:2008/11/13(木) 08:00:44
>>43 豊穣のうみの出だしがどうもわからなかったが、そういう構成的な意図を含んで
あのセピア色にくすんだ弔い写真なんて出したんだろうかね。
しかし、よくあんな材料をインスパイアしたもんだと驚愕した。
201 :
市民:2008/11/13(木) 23:49:45
202 :
無名草子さん:2008/11/18(火) 12:39:54
>>200 あの写真があるとないでは、だいぶ違うよね。
一見無意味なようなものを置きながら、緻密な作品だと思う。
203 :
無名草子さん:2008/11/18(火) 19:22:16
三島と言ったら、おれは「金閣寺」
204 :
無名草子さん:2008/11/18(火) 20:49:35
>>201 「駅員さあん駅員さあん」がかわいいから無問題だな。
別につまらなくはないし
大昔に読んだ川端の『掌の小説』がまた読みたくなってきた。
買い直そうかなぁ。。
>>201 これネタサイトかと思ったら、どうやらマジキチの方みたいですねw
あんまりトンデモ関係をヲチする趣味はないんだけど、
これは面白すぎるので思わずブクマしましたw
207 :
無名草子さん:2008/11/29(土) 17:53:54
潮騒 と 雪国
おいらの三島読書歴(上から順に)
仮面の告白
不道徳教養講座
若きサムライのために
春の雪
奔馬
金閣寺
憂国
潮騒
次は午後の曳航か音楽を読もうと思っているんだけど、、他におススメありますか?
209 :
無名草子さん:2008/12/03(水) 22:53:01
>>208 美しい星、盗賊、愛の渇き、英霊の声、
サーカス、椅子、翼、詩を書く少年、煙草、魔群の通過
などがおすすめです。
>>209 半分くらいに絞っていただけると・・・・
音楽、文体が読みやすいわ。面白い。
>>209 すいません。お礼を言い忘れてました。
ありがとうございます
212 :
無名草子さん:2008/12/04(木) 11:50:25
>>210 半分に絞ると、
「英霊の声」「盗賊」と、
三島の私小説意味合いのある短編の、「翼」「椅子」「詩を書く少年」でしょう。
>>212 ありがとうございます。詩を書く少年は持っているので、早速読んでみます。
214 :
無名草子さん:2008/12/05(金) 11:23:14
…陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だか、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。
何と云おうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだった。
この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。
それを二度とも陛下は逸したまうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
215 :
無名草子さん:2008/12/06(土) 19:00:50
30過ぎて三島みたいな作品しか書けないと、死にたくもなるよな
ふつうは30過ぎても三島みたいな作品は書けないんじゃ?(笑
217 :
無名草子さん:2008/12/28(日) 13:11:07
そのころ火は火とお互いに親しかった。火はこのように細分され、おとしめられず、いつも火は別の火と手を結び、無数の火を糾合することができた。人間もおそらくそうであった。
火はどこにいても別の火を呼ぶことができ、その声はすぐに届いた。
三島由紀夫
「金閣寺」より
218 :
無名草子さん:2008/12/28(日) 13:31:52
「ばけつの話」
僕はばけつである。
僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。
ほら、この通り、大部分ははげてゐる。
又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。
それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。
となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。
あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。ではわたしの話はこれでをはりにする。
平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
219 :
無名草子さん:2009/01/03(土) 19:30:19
>>215 三島由紀夫の本当の良さは、彼の表の作品にあるのではない。
別著者名で書き下ろしたホモ小説にこそ良質の内容が在る。
純文学などと言って評価されているものにロクなものが無く、すべて下品。
三島の表の作品を形式的に評価している連中も、ほとんどが裏の作品のホモ小説の良さを知っている。
だからこそ、三島は高く評価されている。
三島のホモ小説を読めば、だれでも感動する。
ホモでなくてもだ。
むしろ、ホモでない普通の人が読んで感動する。
220 :
無名草子さん:2009/01/03(土) 23:51:28
221 :
無名草子さん:2009/01/05(月) 10:15:37
「農園」
今週の月曜でした。
唱歌がをはつておべん当をいただかうと思つて、教室にはひつて来ました。
すると、おけうだんの上に大きなかごがあつて、その中にはたくさんそら豆がはひつてゐました。
僕はうれしくて、うれしくて、「早くくださればいいなあ」とまつてゐたら、おべんたうがすんだら、皆のハンカチーフにたくさん入れて下さいました。
おうちへかへつて塩ゆでにしていただいたら、大変おいしうございました。
思へば、三年のニ学きでした。
おいしいみが、たくさんなるやうにとそらまめのたねを折つてまいたのでした。
果して、たねはめが出、はがでて、今ではおいしいみがたくさんなつて、僕たちがかうしていただくまでになつたのでした。
…又この間は五六年のうゑた、さつまいもの苗に水をかけました。秋になつたらこのおいもも僕達の口の中へはひる事でせう。
平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文から
これが9歳の文章か・・・
旧仮名遣いのせいかえらい大人っぽいな
223 :
無名草子さん:2009/01/06(火) 15:48:31
利発なお子ね
224 :
無名草子さん:2009/01/06(火) 16:22:52
変に利口さを期待し過ぎると必ず幻滅させられる
三島由紀夫 十代書簡もすごい。
先輩に対してすごく丁寧で。あれは時代がさせたものなのかな?
それともやっぱり三島の才能なのかな。
226 :
無名草子さん:2009/01/07(水) 11:53:01
一体金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。
三島由紀夫「金閣寺」より
228 :
無名草子さん:2009/01/08(木) 09:44:51
229 :
無名草子さん:2009/01/08(木) 10:35:23
「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞えた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。
之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文
>>228 それが本当にあるんですよ
遊郭に行くシーンでの記述です
231 :
無名草子さん:2009/01/10(土) 17:13:44
233 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 13:26:36
拒みながら彼の腕のなかで目を閉じる聡子の美しさは喩へん方なかつた。
(中略)
清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。
耳朶にはほのかな紅があつたが、耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の龕のやうだつた。
すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか?心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んできらめく歯の奥にあるのだらうか?
三島由紀夫
「春の雪」より
234 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 13:29:02
清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が見られることを避けるやうに、顔を自分のほうから急激に寄せてきて接吻した。
清顕は片手をまわしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなによからうと想像した。
聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、完全な美の均整へ達しやうとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
三島由紀夫
「春の雪」より
235 :
無名草子さん:2009/01/30(金) 13:30:27
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの立ち迷うなかに、幕の彼方にみへる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。
夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵していた。
三島由紀夫
「春の雪」より
236 :
無名草子さん:2009/02/08(日) 00:52:51
川端康成 「山の音」
三島由紀夫 「潮騒」
237 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 11:42:18
そこはあまりにあかるくて、あたかもま夜なかのやうだつた。
蜜蜂たちはそのまつ昼間のよるのなかをとんでゐた。かれらの金色の印度の獣のやうな毛皮をきらめかせながら、たくさんの夜光虫のやうに。
三島由紀夫
「苧菟と瑪耶」より
238 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 12:04:11
こんにちは。
この間、三島由紀夫さんの『仮面の告白』を手にとってみたのですが、まだ最初の方でびっくりして読めなくなってしまいました。
三島由紀夫さんの作品で、そんな描写がない作品はありますか?
広辞苑を丸暗記してしまうような人の文章を是非読んでみたいのですが。
239 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 12:23:00
240 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 12:23:34
苧菟はあるいた。彼はあるいた。泡だつた軽快な海のやうに光つてゐる花々のむれに足をすくはれて。……
彼は水いろのきれいな焔のやうな眩暈を感じてゐた。
三島由紀夫
「苧菟と瑪耶」より
241 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 12:24:11
蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。
蓋のなかみをとりだすことよりもなかみを蔵つておくことの方が本来だと人はおもつてゐるのだが、蓋にしてみればあけられた時の方がありのままの姿でなくてはならない。
蓋の希みがそれをあけたとき迸しるだらう。
三島由紀夫
「苧菟と瑪耶」より
242 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 14:09:53
>>239 ありがとうございました。
早速読んでみようと思います。
243 :
無名草子さん:2009/02/12(木) 21:03:33
アンチ三島!!ふざけんなあの野郎!!
244 :
無名草子さん:2009/02/14(土) 01:38:40
三島由紀夫なら断然「春の雪」がおすすめでしょう。
大作の序章にあたるから伏線貼りまくりなのに、
単体としても傑作。
「肉体の学校」っていう本を読んだことがあるけど、
今は絶版なのかな。
実家にある筈だからもう一度読みたい
「伊豆の踊り子」「潮騒」
246 :
無名草子さん:2009/02/23(月) 03:48:47
宴のあと
おもしろかった
読んでいて、ロリコンの自分でもオバチャンのかづに惹かれていくのだけど、
確かに彼女はさげまんだろうなとw
しかし三島は政界の大物たちと料亭とかに頻繁に出入りしていたんだろうなぁ ウラヤマシス カッコヨス
三島の作品で、いちばん官能的な(興奮する)場面が出る作品はどれですか?
248 :
無名草子さん:2009/02/23(月) 16:41:58
>>247 私が一番エロいと思ったのは「憂国」かな。
切腹する前の夫婦のセックス場面の、乳首が「中尉の唇に含まれて固くなつた」とかね。
249 :
無名草子さん:2009/03/04(水) 19:57:14
私も「憂国」が一番エロいと思います!
長編を読むのが苦にならないのなら「禁色」か「鏡子の家」がお勧め。
250 :
無名草子さん:2009/03/04(水) 22:17:06
中尉の目の見るとおりを、唇が忠実になぞつて行つた。
その高々と息づく乳房は、山桜の花の蕾のやうな乳首を持ち、中尉の唇に含まれて固くなつた。
胸の両脇からなだらかに流れ落ちる腕の美しさ、それが帯びてゐる丸みがそのままに手首のはうへ細まつてゆく巧緻なすがた、そしてその先には、かつて結婚式の日に扇を握つてゐた繊細な指があつた。
指の一本一本は中尉の唇の前で、羞らふやうにそれぞれの指のかげに隠れた。
三島由紀夫
「憂国」より
251 :
無名草子さん:2009/03/04(水) 22:17:38
……胸から腹へと辿る天性の自然な括れは、柔らかなままに弾んだ力をたわめてゐて、そこから腰へひろがる豊かな曲線の予兆をなしながら、それなりに些かもだらしなさのない肉体の正しい規律のやうなものを示してゐた。
光りから遠く隔たつたその腹と腰の白さと豊かさは、大きな鉢に満々と湛へられた乳のやうで、ひときは清らかな凹んだ臍は、そこに今し一粒の雨粒が強く穿つた新鮮な跡のやうであつた。
影の次第に濃く集まる部分に、毛はやさしく敏感に叢れ立ち、香りの高い花の焦げるやうな匂ひは、今は静まつてはゐない体のとめどもない揺動と共に、そのあたりに少しづつ高くなつた。
三島由紀夫
「憂国」より
252 :
無名草子さん:2009/03/04(水) 22:18:31
かうした経緯を経て二人がどれほどの至上の歓びを味はつたかは言ふまでもあるまい。
中尉は雄々しく身を起し、悲しみと涙にぐつたりしてした妻の体を、力強い腕に抱きしめた。
二人は左右の頬を互ひちがひに狂ほしく触れ合はせた。麗子の体は慄へてゐた。
汗に濡れた胸と胸とはしつかりと貼り合はされ、二度と離れることは不可能に思はれるほど、若い美しい肉体の隅々までが一つになつた。
麗子は叫んだ。高みから奈落へ落ち、奈落から翼を得て、又目くるめく高みへまで天翔つた。
中尉は長駆する聯隊旗手のやうに喘いだ。……そして、一トめぐりがをはると又たちまち情意に溢れて、二人はふたたび相携へて、疲れるけしきもなく、一息に頂きへ登つて行つた。
三島由紀夫
「憂国」より
253 :
無名草子さん:2009/03/07(土) 13:37:02
三島由紀夫 は「葉隠入門」以外はつまんない
254 :
無名草子さん:2009/03/09(月) 11:23:28
255 :
無名草子さん:2009/04/06(月) 11:00:58
三島と川端って外国ではどっちが評価されてんの?
国内だと川端の方が影薄いけど、三島はイロモノだよね
256 :
無名草子さん:2009/04/06(月) 11:06:52
257 :
無名草子さん:2009/04/08(水) 14:59:48
今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの国は 鼓腹撃壌(こふくげきじよう)の世をば現じ
御仁徳の下、平和は世にみちみち 人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし 利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑怯をも愛し、邪なる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能はず いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ 力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元(のどもと)をしめつけられつつ 怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ 羊のごとく歩みを揃へ
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、魂は悉く腐蝕せられ
年老ひたる者は卑しき自己肯定と保全をば、道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおひかくされ、真情は病み、道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し 魂の死は行人の顔に透かし見られ よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
三島由紀夫
「英霊の聲」より
258 :
無名草子さん:2009/04/08(水) 15:00:28
清純は商(あきな)はれ、淫蕩は衰へ、ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば 人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し 陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲球不満の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は摩滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ 不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)う。
かかる日に などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし
三島由紀夫
「英霊の聲」より
259 :
無名草子さん:2009/04/24(金) 15:46:34
「でも先生は若さがおきらひだ」悠一はさらに断定的にさう言つた。
「美しくない若さはね。若さが美しいといふのはつまらぬ語呂合せだ。
私の若さは醜くかつたんだ。それは君には想像も及ばないことだ。私は生まれ変りたいと思ひつづけて青春時代をすごしたからな」
「僕もです」と悠一がうつむいたままふと言つた。
「それを言つてはいけない。それを言ふと、君はまあいはば禁忌を犯すことになるんだ。
君は決してさう言つてはならない宿命を選んだんだ。…」
三島由紀夫
「禁色」より
260 :
無名草子さん:2009/04/24(金) 16:10:32
あなたの手の傷はけっして治らないだろう
僕は信じてさえいればいいと思ってた
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも僕の心臓の鼓動?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
無意味な歳月が瞬時に過ぎ
無数の人々がよろこんで命をあなたに捧げる
生き残るものは何もないのか?
自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまう
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
デヴィッド・シルビアン&坂本龍一
「禁じられた色彩」より
261 :
無名草子さん:2009/04/29(水) 12:57:18
スパナはただそこに落ちてゐたのではなく、この世界への突然の物象の顕現だつた。
打ち見たところ、伸びた芝生とコンクリートの自動車路との丁度堺のあたりに、半ば芝草に埋もれて横たはつてゐたスパナは、いかにも自然な、そこにあるべきやうな姿をしてゐた。
だがこれは見事な欺瞞で、何か云いやうのない物質が仮りにスパナに化けてゐたのにちがいない。
本来決してここにあるべきではなかつた物質、この世の秩序の外にあつて時折を根底からくつがへすために突然顕現する物質、純粋なうちにも純粋な物質、……さういふものがきつとスパナに化けてゐたのだ。
三島由紀夫
「獣の戯れ」より
262 :
無名草子さん:2009/04/29(水) 12:58:05
われわれはふだん意志とは無形のものだと考へてゐる。
軒先をかすめる燕、かがやく雲の奇異な形、屋根の或る鋭い稜線、口紅、落ちたボタン、手袋の片つぽ、鉛筆、しなやかなカーテンのいかつい吊手、……それらをふつうわれわれは意志とは呼ばない。
しかしわれわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが物象として現はれてもふしぎはないのだ。
その意志は平坦な日常の秩序をくつがへしながら、もつと強力で、統一的で、ひしめく必然に充ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを組み入れやうと狙つてをり、
ふだんは見えない姿で注視してゐながら、もつとも大切な瞬時に、突然、物象の姿で顕現するのだ。
三島由紀夫
「獣の戯れ」より
263 :
無名草子さん:2009/04/30(木) 21:46:40
三島の文章力は比類なきものだね。
ここまで理知的で、的確な言葉を用いて
文章を巧みに操れる作家は他にいないよね。
一方、川端の作品は感覚的で非常に美しいね。
この2人の作家が日本文学のピークだったのかもね。
264 :
無名草子さん:2009/05/01(金) 12:35:29
265 :
無名草子さん:2009/05/01(金) 16:05:15
幸二は清の単純な抒情的な魂を羨んだ。硝子のケースの中の餡パンのやうに、はつきりと誰の目にも見える温かいふつくらした魂。
刑務所の庭にも清の語つたのと同じやうな花園があつた。
受刑者たちが手塩にかけて育ててゐるその花園を、幸二は手つだはなかつたけれど、遠くから愛してゐた。ひどく臆病に、迷信ぶかく、痛切に、しかもうつすらと憎んで。……
三島由紀夫
「獣の戯れ」より
266 :
無名草子さん:2009/05/04(月) 20:00:55
奔馬は哀しい話だね…
涙なくしては読めないよ…
267 :
無名草子さん:2009/05/04(月) 23:51:14
昔、NHKで三島と川端の対談を放送してた。対談の内容より、両氏の異様ともいえる雰囲気に驚いた。
両氏から流れる空気は今でいうKYの極致だった。
天才はKYを恐れない。
バカはKYに気付かない。
三島と川端はKYを恐れない。そして気付かない(笑)
268 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 00:01:29
未だにKYなんて、くだらない言葉使ってる人がいるんだね。
269 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 02:21:42
>>267 川端康成と三島由紀夫の異様さは石原慎太郎の「我が人生の時の時」に書いてるよ
この本は面白いから読んで見て…と福田和也が言ってたよん
270 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 04:15:28
>>269 石原慎太郎の本に書いてあることは嘘が多いからね。
川端が三島の遺体を見た、というのも嘘だったし。
というかスレ違いは他でやって下さい。
271 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 06:27:31
川端なら「川のある下町の話」
272 :
無名草子さん:2009/05/05(火) 14:54:30
川端康成はやっぱり雪国がいいなあ。
273 :
無名草子さん:2009/05/11(月) 22:19:25
三島の情景描写は残酷なくらいに精緻でリアルだね…
274 :
無名草子さん:2009/05/12(火) 22:34:28
暁の寺、すごい笑えるよ。
輪廻転生とか小乗仏教のクダリは退屈だから読み飛ばしてもいいかも。
275 :
無名草子さん:2009/05/13(水) 14:03:54
かうして優子が現はれた瞬間に、逸平は何ら激しい歓喜の表情、いやそれに似たものをさへ示さなかつた。
幸二は思つた。僕が本当に見たかつたのはその歓喜ではなかつたか?それなしに、どうしてこんな半歳にわたる自己放棄と屈辱のかずかずがありえたか?
幸二が正に見たかつたのは、人間のひねくれた真実が輝やきだす瞬間、贋物の宝石が本物の光りを放つ瞬間、その歓喜、その不合理な夢の現実化、莫迦々々しさがそのまま荘厳なものに移り変る変貌の瞬間だつた。
…しかし実際に幸二が見たのは、人間の凡庸な照れかくしと御体裁の皮肉と、今までさんざん見飽きたものにすぎなかつた。彼は計らずも自分が信じてゐた劇のぶざまな崩壊に立ち会つた。
『そんなら仕方がない。誰も変へることができないなら、僕がこの手で……』
支柱を失つた感情で、幸二はそう思つた。何をどう変へるとも知れなかつた。しかし着実に自分が冷静を失つてゆくのを彼は感じた。
三島由紀夫
「獣の戯れ」より
276 :
無名草子さん:2009/05/13(水) 14:12:51
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。
愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、追憶なしにはそれを占つたり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。
それは落葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。
泉のうえにおちちらばつてゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
>271
いいよね〜でも新潮文庫もう絶版?
278 :
無名草子さん:2009/05/20(水) 11:33:46
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。
しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。
何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の距離に耐へないからです。
遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。そして彼らの武器と兜も、みんな人間が稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
三島由紀夫
「美しい星」より
279 :
無名草子さん:2009/05/20(水) 11:34:40
…神への関心のおかげで、人間はなんとか虚無や非在や絶対などに直面しないですんできました。
だから今もなお、人間は虚無の真相について知るところ少く、虚無のやうな全的破壊の原理は人間の文化内部には発生しないと妄信してゐる人間主義の愚かな名残で、人知が虚無を作りだすことなどできないと信じてゐます。
本当にさうでせうか?虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまふこと。
つまり目的を持ち、意志から発した行為が、行為のはじまつた瞬間に、意志は裏切られ、目的は乗り超へられて、際限なく無意味なもののなかへ顛落すること。
要するに、あたかも自分が望んだがごとく、無意味の中へダイヴすること。あらゆる形の小さな失錯が、同種の巨大な滅亡の中へ併呑されること。……人間世界では至極ありふれた、よく起る事例であり、これが虚無の本質なのです。
三島由紀夫
「美しい星」より
280 :
無名草子さん:2009/05/20(水) 11:36:02
…そして科学的技術は、ふしぎなほど正確に、すでに瀰漫してゐた虚無に点火する術を知ってゐます。
科学的技術は人間が考へてゐるほど理性的なものではなく、或る不透明な衝動の抽象化であり、錬金術以来、人間の夢魔の組織化であり、
人間どもが或る望まない怪物の出現を夢みると、科学的技術は、すでに人間どもがその望まない怪物を望んでゐるといふことを、証明してみせてくれるのです。
そこで、人間をすでにひたひたと浸してゐた虚無に点火される日がやつてきました。それは気違いじみた真赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、つまり水素爆弾だつたのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じてゐる人間は、安心して水爆の釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すつかり自分の責任を免れて、必ず、釦を押します。
三島由紀夫
「美しい星」より
281 :
無名草子さん:2009/05/22(金) 10:47:26
歴史上、政治とは要するに、パンを与へるいろんな方策だつたが、宗教家にまさる政治家の知恵は、人間はパンだけで生きるものだといふ認識だつた。
…さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはつきり直面し、一たびパンだけで生きうるといふことを知つてしまつた時の人間の絶望について、考へたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だらうと思ふ。何か悲しいことがあつて、彼は明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思ひあぐねて自殺を明後日に延期した。
…そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分がただパンだけで、純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きてゐることを発見する。
自分が今現に生きてをり、その生きてゐる原因は正にパンだけなのだから、これ以上確かなことはない。彼はおそろしい絶望に襲はれたが、これは決して自殺によつては解決されない絶望だつた。
何故なら、これは普通の自殺の原因となるやうな、生きてゐるといふことへの絶望ではなく、生きてゐること自体の絶望なのであるから、絶望がますます彼を生かすからだ。
三島由紀夫
「美しい星」より
282 :
無名草子さん:2009/05/22(金) 10:48:50
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識に復讐を企てるために、自殺の代りに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。
そこで考へ出されたことが、政治家に気づかれぬやうに、自体の胴体に、こつそり無意味な風穴をあけることだつた。
その風穴からあらゆる意味が洩れこぼれてしまひ、パンだけは順調に消化され、永久に、次のパンを、次のパンを、次のパンを求めつづけること。
…この空洞、この風穴は、ひそかに人類の遺伝子になり、あまねく遺伝し、私が公園のベンチや混んだ電車でたびたび見たあの反政治的な表情の素になつたのだ。
こいつらは組織を好み、地上のゐたるところに、趣きのない塔を建ててまはる。私はそれらをひとつひとつ洞察して、つひには支配者の胴体、統治者の胴体にすら、立派な衣服の下に小さな風穴の所在を嗅ぎつけたのだ。
三島由紀夫
「美しい星」より
283 :
無名草子さん:2009/05/22(金) 10:49:44
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だといふメドをつけたのは、私がこの風穴を発見したときからだつた。
お恥ずかしいことだが、私が仮りの人間生活を送つてゐたころは、私の胴体にも見事にその風穴があひてゐたものだ。
私は破滅の前の人間にこのやうな状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考へてゐる。なぜなら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛形だからだ。
…人間が内部の空虚の連帯によつて充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な統一が可能になる。彼らは決して釦を押さない。釦を押すことは、彼らの宇宙を、内部の空虚を崩壊させることになるからだ。
肉体を滅ぼすことを怖れない連中も、この空虚を滅ぼすことには耐へられない。何故ならそれは、母なる宇宙の雛形だからだ。
…はじめ私は自分で自分に風穴をあけたのだと思つてゐたが、やがてそれは全人類の一人一人に、宇宙が浸潤して来たことの紛れもない兆候だと気がついた。そして私はその空虚が花を咲かせるのを待ち、つひにはそれを見たのだからね。
三島由紀夫
「美しい星」より
284 :
無名草子さん:2009/05/24(日) 15:37:10
気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに天の最も甘美なものの片鱗がうかがはれる。
それは整然たる宇宙法則が時折洩らす吐息のやうなもの、許容された詩のやうなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。人間どもの宗教の用語を借りれば、人間の中の唯一つの天使的特質といへるだらう。
人間が人間を殺さうとして、まさに発射しようとするときに、彼の心に生れ、その腕を突然ほかの方向へ外らしてしまふふしぎな気まぐれ。
…さういふ美しい気まぐれの多くは、人間自体にはどうしても解けない謎で、おそらく沢山の薔薇の前へ来た蜜蜂だけが知つてゐる謎なのだ。
何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな同じ薔薇であり、目前の薔薇のほかにも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちてゐるといふ認識だけが、解き明かすことのできる謎だからだ。
私が希望を捨てないといふのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のかういふ美しい気まぐれに、信頼を寄せてゐるからだ。
三島由紀夫
「美しい星」より
285 :
無名草子さん:2009/05/24(日) 15:38:04
…もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの墓碑銘を書かずにはゐられないだらう。…
『地球なる一惑星に住める 人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきつぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾つた。
彼らはよく小鳥を飼つた。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑つた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫
「美しい星」より
286 :
無名草子さん:2009/05/24(日) 15:38:45
これをあなた方の言葉に翻訳すればかうなるのだ。
『地球なる一惑星に住める 人間なる一種族ここに眠る。
彼らはなかなか芸術家であつた。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用ひた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによつて辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代りにせめて時間に不忠実であらうとした。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知つてゐた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫
「美しい星」より
287 :
無名草子さん:2009/05/26(火) 13:13:04
「夕ぐれ」
鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。
平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文
288 :
無名草子さん:2009/05/26(火) 13:13:57
「大内先生を想ふ」
ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。
平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文
289 :
無名草子さん:2009/05/28(木) 15:17:36
「私は学生帽です。」
私は平岡さんのお家の学生帽です。坊ちやんが一年生の時西郷洋服店から参りました。
私は喜ばしい事もあれば泣きたい事もあります。
いつも坊ちやんが学校へいらつしやる時に、おとなりのぐわいたうさんとが書生さんに昨日のごみを取つてもらひます。私達はそれを毎日楽みにして居ります。
私はずい分古い帽子ですが、坊ちやんが大事にして下さるので、坊ちやんからはなれようとは思ひません。
私は何年と云ふ長い月日をかうやつて暮して来ました。
今迄の間にどんな事があつたでせう?私はそれを物語りたいのです。
(つい此間の事でした。坊ちやんがこはれた帽子を学校から持つていらつしやいました。
それは云ふ迄も無く私です。
坊ちやんは御母様に「之をぬつてね」とおつしやいました。お母様は「ええ、え」とおつしやつて、ぬつて下さいました)
私は何と云ふ幸福な身でせう?
平岡公威(三島由紀夫)、7〜8歳の作文
290 :
無名草子さん:2009/05/30(土) 12:48:47
少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。
見るか見ぬかの一瞬のうちの変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。
それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。
するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。
彼は太陽の本質を見たと思つた。……しばらくはゐたるところに、
太陽の白い残影を見た。叢にも。木立のかげにも。目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。
そして、目に一度宿つたのちは、そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
三島由紀夫
「剣」より
この辺で若きサムライのためにの話でもしましょうか皆さん
292 :
無名草子さん:2009/05/31(日) 17:33:46
女性と電車に飛び込んだ川満康成容疑者のことか
川端康成は文章が美しいのでなんでも読める
294 :
無名草子さん:2009/06/08(月) 12:29:37
乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現はれ、
手に手に百合の花束を握つてゐる。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に揺れはじめ、
踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらはれ、会い、又、離れて、
空をよぎるその白いなよやかな線は鋭くなつて、一種の刃のやうに見えるのだつた。
三島由紀夫
「奔馬」より
295 :
無名草子さん:2009/06/08(月) 12:30:20
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかに優雅であるのに、
あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。
……見てゐるうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことがなかつた。
そして寝不足の頭が物事をあいまいにして、目前の百合の祭ときのふの剣道の試合とが混淆し、
竹刀が百合の花束になつたり、百合が又白刃に変つたり、ゆるやかな舞を舞ふ乙女たちの、濃い白粉の額の上に、
日ざしを受けて落ちる長い睫の影が、剣道の面金の慄へるきらめきと一緒になつたりした。……
三島由紀夫
「奔馬」より
296 :
無名草子さん:2009/06/09(火) 10:28:05
人を道連れにしないと死ねないような人間の著作は読みたくないです。
太宰しかり。
297 :
無名草子さん:2009/06/15(月) 13:05:00
>>10 また出た「たなごころ」バカwww
国文を齧って、掌を「たなごころ」と読むことを知り、
川端の小説まで、むりやり「たなごころ」と読みたがる
一匹のバカがネット上でも大暴れしてるみたいだなwww
新潮文庫が長年「てのひらのしょうせつ」としてきたんだし、
文句あるなら、新潮社に抗議しろやwww
298 :
無名草子さん:2009/06/19(金) 14:15:37
純粋とは、花のやうな観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のやうな観念、
やさしい母の胸にすがりつくやうな観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、
袈裟がけに斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの観念、あるひは切腹の観念に結びつけるものだつた。
「花と散る」といふときに、血みどろの屍体はたちまち匂ひやかな桜の花に化した。
純粋とは、正反対の観念のほしいままな転換だつた。
だから、純粋は詩なのである。
三島由紀夫
「奔馬」より
299 :
無名草子さん:2009/06/19(金) 14:17:19
壁には西洋の戦場をあらはした巨大なゴブラン織がかかつてゐた。
馬上の騎士のさし出した槍の穂が、のけぞつた徒士の胸を貫いてゐる。
その胸に咲いてゐる血潮は、古びて、褪色して、小豆いろがかつてゐる。古い風呂敷なんぞによく見る色である。
血も花も、枯れやすく変質しやすい点でよく似てゐる、と勲は思つた。
だからこそ、血と花は名誉へ転身することによつて生き延び、あらゆる名誉は金属なのである。
三島由紀夫
「奔馬」より
300 :
無名草子さん:2009/06/20(土) 12:15:59
三島の作品で純子という女がでてくる作品ある?
>>296 しかし二人とも無関係の人間は道連れにはして無かったような気がするような。
まあ俺も無駄に死に急ぐ事は余り良いとは思わないけどさ。
むしろ70年代からのますます混迷を極める日本と世界に対して
彼らだったらこれまで以上に旨く切り結べていたと確かに信じているだけに
ああいう結末を迎えてしまったのが何とも残念なので、ね。
302 :
無名草子さん:2009/06/23(火) 21:29:57
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。
川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。
きのふ川であつたものはけふ川ではない。だが川は永遠にある。
ひとはそれを指呼することができる。それについて語ることはできない。
わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
303 :
無名草子さん:2009/06/30(火) 15:40:21
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。
祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。
だが、死んでゐるのではない。古い籬の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。
祖母と母において、川は地下をながれた。父において、それはせせらぎになつた。
わたしにおいて、――ああそれが滔々とした大川にならないでなににならう、
綾織るもののやうに、神の祝唄のやうに。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
304 :
無名草子さん:2009/06/30(火) 23:02:10
ドすけべキチ向け、「眠れる美女」
じじぃの変態ぶりが楽しめます
305 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:05:02
「父親」
母の連れ子が、
インク瓶を引つくり返した。
インク瓶はころがりころがり
机から落ちて、
硝子の片が四方に飛び散つた。
子供は驚いた。
ペルシャ製だといふじゆうたんは、
真ッ黒に汚れた。
そして、破れた硝子は、くつ附かなかつた。
母の連れ子の
脳裡に恐ろしい
父の顔が浮び出た。
書斎のむち、
今にも
つぎはぎだらけのシャツを
脱がされて、
むちが……
喰ひ附くやうに、
母の連れ子の、目の下に、
黒いじゆうたんが、
わづかな光りに、ぼやけてゐる
平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
306 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:05:42
「木枯らし」
木が狂つてゐる。
ほら、あんなに体を
くねらして。
自分の大事な髪の毛を、
風に散らして。
まるで悪魔の手につかまれた、
娘のやうに。
木が。そしてどの木も
狂つてゐる。
平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
307 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:09:53
「凩」
凩よ、
速く止まぬと、
可愛さうな木々が眠れない。
毎日々々お前に体をもまれて、
休む暇さへないのだ。
凩よ、
お前は冬の気違ひ、
私の家へばかり、は入つて来ないで、
いつその事、雪を呼んでおいで。
平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
308 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:10:54
「斜陽」
紅い円盆のやうな陽が、
緑の木と木の間に
落ちかけてゐる。
今にも隠れて了ひさうで、
まだ出てゐる。
然し、
私が一寸後ろを向いて居たら、
いつの間にか、
燃え切つてゐて、
煙草の吸殻のやうに、
ぽつんと、
赤い色が残ってゐるだけだつた。
平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
309 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:13:37
「独楽」(こま)
(音楽独楽なりき。白銀なせる金属にておほはれる)
それは悲しい音を立てゝ廻つた。
そして白銀のなめらかな体を
落着きもなく狂ひ廻つた。
よひどれの様に、右によろけ、
左にたふれ。
それは悲しい酔漢の心。
踊るを厭ふその身を、一筋の縄に托されて。
唄ふを否み乍らも、廻る歯車のために。
それは悲しい音を立てゝ廻つた。
「静寂の谷」から、
「狂躁の頂」に引き上げられ、
心のみ、尚も渓間にしづむ。
それは悲しい酔漢の心。
そして白銀のなめらかな体を、
落着きもなく狂ひ廻つた。
平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
310 :
無名草子さん:2009/07/02(木) 23:18:10
「三十人の兵隊達」
三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。
三十人の兵隊達。
銀流しの拍車があらはす。
銀と白の光の交叉。
三十人の兵隊達。
硝子の目玉。
極細の毛糸は、
漆黒の頭髪。
けれども、
八つを迎へた女の子は、
この兵隊を捨て去つた。
そして、女の子は、
赤ん坊の人形に、
頬すりする。
芽生えた、母性愛の
興奮。
三十人の兵隊達。
母性愛の為に捨て去られた、
兵隊達。
三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。
平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩
仮面の告白のホモ描写とかいいよ
体育の授業で懸垂している同級生の脇見てたら勃起しちゃいましたとか
312 :
無名草子さん:2009/07/05(日) 11:04:14
「絵」
孤児院の片隅で、
幼い子が、大きな絵を眺めてる。
そこには、飴ん棒のやうな木が、
列を作つて並んで居、
木には、パン、草には、ビスケットが、
今を盛りになつてゐる。
口を開けて、夢中になる孤子に、
あたゝかい日差しがあたつてゐる。
しかし、入つてきた院長は、さつさ
と子供を引張つて外に出て来た。
「あんな絵は、目に毒ぢやてな」
平岡公威(三島由紀夫)
13歳の詩
313 :
無名草子さん:2009/07/05(日) 11:06:19
「誕生日の朝」
青と、白との光線の交錯のうちに、
身をよこたへつゝ、
その日のわたしは、生れたばかりの
雛鳥のやうだつた。
さて、細い一輪差まで
絶えいるやうな花の香に埋もれ、
太陽をとり巻く雲は、一片の花弁に見えた。
誕生日の贈り物がとゞいた。
美しい贈物の数々は、
石竹色の卓子の上に置かれた。
平岡公威(三島由紀夫)
14歳の詩
314 :
無名草子さん:2009/07/06(月) 11:56:01
「見知らぬ部屋での自殺者」
骨董屋の太陽のせゐで
カーテンの花模様も枯れ
家具は色褪せ 空気は
黄色くただれてゐたので
その空気に濡れた古鏡に
わが顔は扁たく黄いろに揺れた
……やがて死は蠅のやうに飛び立つた
うるさくかそけく部屋のそこかしこから
平岡公威(三島由紀夫)
14歳の詩
315 :
無名草子さん:2009/07/06(月) 11:56:42
「夜猫」
壁づたひに猫が歩む
影の匂ひをかぎながら
猫の背はなめらかゆゑ
光る夜を、辷らせる
ああ、蝋燭の蝋のしたたる音がする。
真鍮の燭台は
なやめる貧人のごとき詫びしい反射であつたから、
ふと、傾いた甃(いしだたみ)の一隅に
わたしは猫の毛をわたる風をきいた
影のなかに融けてゆく一つの、寂寞の姿をみた
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
316 :
無名草子さん:2009/07/07(火) 22:54:10
「民謡」
夕ぐれの生垣から石蹴りの音がしてきた
微温湯をいれたコップの内側が、赤んぼの額のやうに汗ばんでゐた。
病気の子のオブラァトと粉薬が窗のあぢさゐの反射であをざめた
石竹色の植木鉢に、錆びた色ブリキの如露がよつかゝつてゐた
早い蚊帳がみえる離れで、小さな母は爪立つて電気を灯けた。
ねむつた子の横顔が 麻の海のなかに浮びあがつた
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
「夏の窗辺にくちずさめる」
雲の山脈の杳か上に
花火の残煙のやうなはかない雲が見えてゐた
サイダァのコップをすかしてみたら
やがて泡になつて融けて了つた
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
317 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 11:41:49
「見知らぬ部屋での自殺者」
骨董屋の太陽のせゐで
カーテンの花模様も枯れ
家具は色褪せ 空気は
黄色くただれてゐたので
その空気に濡れた古鏡に
わが顔は扁たく黄いろに揺れた
……やがて死は蠅のやうに飛び立つた
うるさくかそけく部屋のそこかしこから
平岡公威(三島由紀夫)
14歳の詩
318 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 11:42:34
「幸福の胆汁」
きのふまで僕は幸福を追つてゐた
あやふくそれにとりすがり
僕は歓喜をにがしてゐた
今こそは幸福のうちにゐるのだと
心は僕にいひきかせる。
追はれないもの、追はないもの
幸福と僕とが停止する。
かなしい言葉をさゝやかうとし
しかも口はにぎやかな笑ひとなり
愁嘆も絵空事にすぎなくなり
疑ふことを知らなくなり
「他」をすべて贋と思ふやうに自分をする。
僕はあらゆる不幸を踏み
幸福さへのりこえる。
僕のうちに
幸福の胆汁が瀰漫して……
ああいつか心の突端に立つてゐることに涙する。
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
319 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 11:43:14
「薔薇のなかに」
薔薇のなかにゐます。
わたしはばらのなかにゐます。
しつとりしたまくれ勝ちの花びらの
こまかい生毛のあひだに滲みてくる
ひかりの水をきいてゐます。
薔薇は光るでせう、
園の真央で。
あなたはエェテルのやうな
風の匂ひをかぐでせう。
大樫のぬれがての樹影に。
牧場の入口に。
大山木の花が匂ふ煉瓦色の戸口に。
わたしは薔薇のなかにゐます。
ばらのなかにゐます。
小指を高くあげると
虹の夕雲がそれを染め……
ばらはゆつくり、わたしのまはりで閉ざすのです。
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
320 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 11:45:31
「アメリカニズム」 万愚節戯作
たるんだクッションのやうなスヰートピィ
もう十年代、流行おくれの色ですね
玉蜀黍の粕がくつついてる
赤きにすぎる口紅の唇。
ショォト・スカァトは空の色がみえすぎます。
歓楽は窓毎に明るく灯り、
スカイ・スクレェパァはお高くとまり、
鼻眼鏡で下界をお見下しとやら、
だが、ニッケルの縁ではね。
野蛮の裏に文化はあれど……
白ん坊の裡にも黒ン坊がゐる。
欧州向の船が出て、
髯なし共が御渡来だ、
カジノで札の束切つて
縄の御用もありますまい
レディ・メェドの洋服が船にのつておしよせる
あくどい洒落がおしよせる
自由とスマァトネスがおしよせる
「世界第一」がおしよせる
星のついた子供の旗をおし立てゝ。
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
321 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 14:03:13
神秘が一度心に抱かれると、われわれは、人間界の、人間精神の外れの外れまで、一息に歩いて来てしまふ。
そこの景観は独自なもので、すべての人間的なものは自分の背後に、遠い都会の眺めのやうに
一纏めの結晶にかがやいて見え、一方、自分の前には、目のくらむやうな空無が屹立してゐる。
…僕は画家だから、その地点を、魂などとは呼ばず、人間の縁と呼んでゐた。
もし魂といふものがあるなら、霊魂が存在するなら、それは人間の内部に奥深くひそむものではなくて、
人間の外部へ延ばした触手の先端、人間の一等外側の縁でなければならない。
その輪郭、その外縁をはみ出したら、もはや人間ではなくなるやうな、ぎりぎりの縁でなければならない。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
322 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 14:03:53
…僕はありありと目に見える外界へ進んで行つた。その道をまつすぐ歩いてゆく。
すると当然のやうに、僕は神秘にぶつかつた。
外部へ外部へと歩いて行つて、いつのまにか、僕は人間の縁のところまで来てゐたのだ。
神秘家と知性の人とが、ここで背中合せになる。知性の人は、ここまで歩いてきて、急に人間界のはうへ振向く。
すると彼の目には人間界のすべてが小さな模型のやうに、解釈しやすい数式のやうに見える。
……しかし神秘家はここで決定的に人間界へ背を向けてしまひ、世界の解釈を放棄し、その言葉は
すみずみまでおどろな謎に充たされてしまふ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
323 :
無名草子さん:2009/07/09(木) 14:04:37
でも今になつてよく考へると、僕は結局、知性の人でもなく、神秘家でもなく、やはり画家だつたのだと思ふ。
過度の明晰も、暗い謎も、どちらも僕のものではなかつた。
人間の縁のところまで来たとき、僕は人間界へ背を向けることもできず、又人間界へ皮肉な冷たい親和の微笑を以て
振返つて君臨することもできず、ひたすら世界喪失の感情のなかに、浮び漂つてゐたのだと思ふ。
…するとそこには、同じ死と闇のなかに、世界喪失の感情に打ち砕かれて、漂つてゐる多くの若者たちの顔が見えた。
ここまで歩いてきたのは僕一人ではなかつた。
そのなかには血みどろな死顔も見え、傷ついた顔も、必死に目をみひらいてゐる顔も見えた。……
三島由紀夫
「鏡子の家」より
324 :
無名草子さん:2009/07/10(金) 09:48:25
花は実に清冽な姿をしてゐた。
一点のけがれもなく、花弁の一枚一枚が今生まれたやうに匂ひやかで、今まで蕾の中に固く畳まれてゐたあとは、
旭をうけて微妙な起伏する線を、花弁のおもてに正確にゑがいてゐた。
…僕は飽かず水仙の花を眺めつづけた。
花は徐々に僕の心に沁み渡り、そのみじんもあいまいなところのない形態は、弦楽器の弾奏のやうに心に響き渡つた。
…すべて虚無に属する物事は、ああも思はれかうも思はれるといふ、心象のたよりなさによつて世界が動揺する、
その只中に現はれるものではないだらうか。
僕の目が水仙を見、これが疑ひもなく一茎の水仙であり、見る僕と見られる水仙とが、堅固な一つの世界に
属してゐると感じられる、これこそ現実の特徴ではないだらうか。
するとこの水仙の花は、正しく現実の花なのではないか。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
325 :
無名草子さん:2009/07/10(金) 09:49:10
……僕にはその花が急に生きてゐるやうに感じられた。
それはただの物象でもなく、ただの形態でもなかつた。
…もしこの水仙の花が現実の花でなかつたら、僕がそもそもかうして存在して呼吸してゐる筈はないと考へられた。
…僕は君に哲学を語つてゐるのでもなければ、譬へ話を語つてゐるのではない。
世間の人は、現実とは卓上電話だの電光ニュースだの月給袋だの、さもなければ目にも見えない遠い国々で
展開されてゐる民族運動だの、政界の角逐だの、……さういふものばかりから成り立つてゐると考へがちだ。
しかし画家の僕はその朝から、新調の現実を創り出し、いはば現実を再編成したのだ。
われわれの住むこの世界の現実を、大本のところで支配してゐるのは、他でもないこの一茎の水仙なのだ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
326 :
無名草子さん:2009/07/10(金) 09:49:56
この白い傷つきやすい、霊魂そのもののやうに精神的に裸体の花、固いすつきりした緑の葉に守られて
身を正してゐる清冽な早春の花、これがすべての現実の中心であり、いはば現実の核だといふことに僕は気づいた。
世界はこの花のまはりにまはつてをり、人間の集団や人間の都市はこの花のまはりに、規則正しく配列されてゐる。
世界の果てで起るどんな現象も、この花弁のかすかな戦(そよ)ぎから起り、波及して、やがて還つて来て、
この花蕊にひつそりと再び静まるのだ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より
327 :
無名草子さん:2009/07/16(木) 12:45:02
忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に差し上げたい一心で
握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。
その結果、もし陛下が御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるひは、
『こんな不味いものを喰へるか』と仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことが
あつた場合も、顔に飯粒をつけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。
又もし、陛下が御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、
ありがたく腹を切らねばなりません。
何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は万死に値ひするからです。
では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに置いたらどうなりませうか。
飯はやがて腐るに決まつてゐます。
これも忠義ではありませうが、私はこれを勇なき忠義と呼びます。
勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に作つた握り飯を献上することであります。
三島由紀夫
「奔馬」より
328 :
無名草子さん:2009/07/18(土) 03:38:22
今夜7時〜 テレビ朝日 『オーラの泉』
ゲスト:三倉茉奈・佳奈
双子ならではの悩みを告白、、、江原の言葉に涙。
他に、ザ・たっち、安田美沙子ら、双子芸能人の不思議体験を紹介。
人気コーナー「オーラの街」は銀座編。
豊岩稲荷神社からスタートして、美輪は国分をエスコートし銀座デート。
江原はエド・はるみと銀座グルメを満喫。
ダンスホールで美輪が披露する華麗なステップは必見。
シャンソン喫茶「銀巴里」跡地や「銀座キャンドル」を訪れ、当時のエピソードを語る。
「銀巴里」は美輪が歌手活動を始めた場所で、三島由紀夫、川端康成、寺山修二ら、
多くの文化人が集り賑わっていたという。
329 :
無名草子さん:2009/07/19(日) 23:00:54
文章読本
330 :
無名草子さん:2009/07/20(月) 12:28:18
あのとき本多は、もう百年もたてば、われわれは否応なしに一つの時代思潮の中へ組み込まれ、
遠眺めされて、当時自らもつとも軽んじたものと一緒くたにされて、さういふものと僅かな
共通点だけで概括される、と主張したおぼえがある。
又、歴史と人間の意志との関はり合ひの皮肉は、意志を持つた者がことごとく挫折して、
「歴史に関与するものは、ただ一つ、輝やかしい、永遠不変の、美しい粒子のやうな無意志の作用」
だけに終るところにある、と熱をこめて論じた記憶がある。
…あの無意志、無性格、とりとめのない感情だけに忠実な青年を前にして、本多がそう言つた言葉には、
おのづから、清顕その人の肖像が含まれてゐたことは疑ひない。
「輝やかしい、永遠不変の、美しい粒子のやうな無意志の作用」とは、あきらかに清顕の生き方を斥してゐた。
三島由紀夫
「奔馬」より
331 :
無名草子さん:2009/07/20(月) 12:29:16
あのときから、百年もたてば又見方はちがつて来よう。十九年の歳月は、概括には近すぎ、細査には遠すぎる。
…思ふがままに感情の惑溺が許された短い薄命な時代の魁であつた清顕の一種の「英姿」は、
今ではすでに時代の隔たりによつて色褪せてゐる。
その当時の真剣な情熱は、今では、個人的な記憶の愛着を除けば、何かしら笑ふべきものになつたのである。
時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変へてゆく。何が蝕まれるのだらう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおほひ、滑稽が
内側の核をなしてゐたのだらうか。
あるひは、崇高がすべてであつて、ただ外側に滑稽の塵が降り積つたにすぎぬのだろうか。
三島由紀夫
「奔馬」より
332 :
無名草子さん:2009/08/03(月) 14:12:58
まらうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーつと退いてゆく際に、
眩ゆくのぞかれるまつ白な空をながめた。
なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまつて。
「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきはまつて
独楽(こま)の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
333 :
無名草子さん:2009/08/03(月) 23:52:37
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。
「わが青春はおしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。
老年の謐かな智恵が、あの秋の末によくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、
ふとした加減で、私にもわかるやうになるかもしれない。
だがわかつても、その時には、何の意味もなくなつてゐるであらう。
三島由紀夫
「煙草」より
334 :
無名草子さん:2009/08/19(水) 17:03:52
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。
とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。
体全体にきらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。
そこにはあらゆる美徳、あらゆる悪徳が蔵されてゐる。
そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを入れることはできるだらう。
しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。
三島由紀夫
「音楽」より
335 :
無名草子さん:2009/08/23(日) 11:20:46
一秒経つた。何の快感もない。二秒経つた。同じである。三秒経つた。――私には凡てがわかつた。
私は体を離して一瞬悲しげな目で園子を見た。
彼女がこの時の私の目を見たら、彼女は言ひがたい愛の表示を読んだ筈だつた。
それはそのやうな愛が人間にとつて可能であるかどうか誰も断言しえないやうな愛だつた。
三島由紀夫
「仮面の告白」より
三島の『金閣寺』は、途中、観念的すぎてわかりづらい所がある。
あそこまで冗長な話にする必要があったのかね。
三島の小説は総じて文章が説明的で冗長。
川端や太宰の方が文章は上手いし、小説家として全然上だと思う。
>>336 金閣寺ほど、無駄のないどこを読んでも目を見張る作品はないけど。
あなたみたいに普段、文章を読まない人間には読解力がないから辛いんだろうね。
338 :
無名草子さん:2009/08/24(月) 15:43:32
三島の本を買おうと思っています。
三島の作品で、エロくて官能的な作品をあげるとしたらどの作品を
あげますか?二点あげて下さい。
>>337 はいはい、そうですか。
あなたのような読書家には敵わないですよ。
いろいろな文章に触れていると
そういう、人が読んで気持ちが良くなるような
文章が書けるようになるんでしょうね。
ただ、三島の文章が観念的で読みづらいのは間違いないでしょう?
三島の金閣寺は太宰の「人間失格」へのアンチテーゼとして
書かれたと思うけれど、太宰の方が圧倒的に読みやすいし上手い。
>>339 「人間失格」のアンチテーゼ?どこが?
本当に「金閣寺」を読んでとは思えないね。
なんか頓珍漢すぎて呆れるわ。頭お大事に。
たぶん自分で読んでもないで、爆笑問題太田の頓珍漢な恣意解釈の金閣寺評を鵜呑みにしたバカだと思うけど。
342 :
無名草子さん:2009/08/27(木) 11:27:58
343 :
無名草子さん:2009/08/27(木) 12:16:24
なぜ露出した腸が凄惨なのだらう。
何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆つたりしなければならないのであらう。
何故血の流出が、人に衝撃を与へるのだらう。何故人間の内臓が醜いのだらう。
……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。
……私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から教はつたと云つたら、
彼はどんな顔をするだらうか?
内側と外側、たとへば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、
この考へがどうして非人間的に見えてくるのであらうか?
もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のやうに、しなやかに飜へし、
捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……
三島由紀夫
「金閣寺」より
344 :
無名草子さん:2009/08/27(木) 14:22:05
川端康成の「バッタと鈴虫」を読んだことある方いますか?
二十歳の頃読んだのですが、心が洗われた気がしました。
人によって感じ方は違うと思いますが、私はこれをおすすめします。
345 :
無名草子さん:2009/09/02(水) 19:03:27
川端康成と三島由紀夫って、いい師弟関係だったんだろうな。三島の自決を川端はどう思っていたんだろう。
346 :
無名草子さん:2009/09/03(木) 00:42:54
三島の幽霊をみたらしいよ。「やあ三島くん、こんばんは」とか言ってたらしいです。
347 :
無名草子さん:2009/09/03(木) 10:56:39
鞘を払つて、小刀の刃を舐めてみる。
刃はたちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。
甘みはこの薄い鋼の奥から、到達できない鋼の実質から、かすかに照り映えてくるやうに舌に伝はつた。
こんな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、……それが唾液と共にいつまでも
舌先にまつわる清冽な甘みを持つてゐる。
やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、いつかこの甘みの迸りに酔ふ日のことを、私は愉しく考へた。
死の空は明るくて、生の空と同じやうに思はれた。そして私は暗い考へを忘れた。
この世には苦痛は存在しないのだ。
三島由紀夫
「金閣寺」より
348 :
無名草子さん:2009/09/05(土) 00:09:29
「分倍河原の話を聞いて」
私達は早や疲れた体を若い小笹や柔かい青艸の上にした。
視野は広く分倍河原の緑の海の様な其の向うには、うつさうとした森があつて、
遥か彼方には山脈の様なものが長々と横たはつて居た。
白く細く見えるのは鎌倉街道である。
遠く黄色い建物は明治天皇の御遺徳を偲ぶ為の記念館であると、小池中佐はお話下さつた。
腰を下して、分倍河原の合戦のお話をお聴きする。
元弘三年、此処は血の海が、清き流れ多摩川に流れ込んだのだ。
今でこそ此の分倍河原は、虫の音や水の流れに包まれてゐるが、六百年前には静寂がなくて
其の代りに陣太鼓の音や骨肉相食む戦闘が繰り返へされたのだ。
《勝つて兜の緒を締めよ》この戦ひは如実に之を教へてゐる。
見よ。六百年の歴史の流れは、遂に此の古戦場を和かな河原に変化せしめたのだ。
其の時、足下の草の中から、小さな飛蝗が飛び出し、虫の音は愈々盛になつて居たのである。
益々空は青い。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
349 :
無名草子さん:2009/09/08(火) 11:10:45
女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきぢやない。
さうするくらゐなら、むしろノックせずに、いきなりドアをあけたはうが上策なのである。
女といふものは、いたはられるのは大好きなくせに、顔色を窺はれるのはきらふものだ。
いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたはつてほしいのである。
三島由紀夫
「複雑な彼」より
350 :
無名草子さん:2009/09/12(土) 12:34:07
「支那に於ける我が軍隊」
七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。
昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。
続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。
懐来より大同へと我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。
我国としても出来得る限りは、事件不拡大を旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、
第二の日清戦争、否!第二の世界大戦を想像させるが如き戦ひに遭遇した。
〜〜〜〜〜〜〜〜
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
351 :
無名草子さん:2009/09/12(土) 12:34:51
「支那に於ける我が軍隊」
飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、
苦戦に苦戦を重ねて居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。
たとへ東京に百二十度の炎暑が襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。
それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。
併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。
浦塩(ウラジホ)には、東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。
我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。
併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。
噫!世界は既に動揺してゐるのだ!
〜〜〜〜〜〜〜〜
支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
352 :
無名草子さん:2009/09/26(土) 11:46:22
「東健兄を哭す」
十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。
家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると
「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り
電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。
よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。
渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに
足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに――さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、
有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
353 :
無名草子さん:2009/09/26(土) 11:48:12
「東健兄を哭す」
兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。
おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり至純であつた人を寡聞にして私は知らない。
私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。
文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて
最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道のさきざきに
常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の謝すべき人を失ふとは。
……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、以て範とするに足るものであつた。
幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、却つて病床の兄の決してあやまたない
足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
354 :
無名草子さん:2009/09/26(土) 11:49:12
「東健兄を哭す」
文学は兄にとつて禊であり道場であつた。
文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。
そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる母君であられ、
今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間のまれまれに、
余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、ふともらされたその御呟き
――かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで改めまゐらせん)――といふ一句を、
なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の
奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、
御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずにはゐられなかつたのである。
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
355 :
無名草子さん:2009/09/26(土) 11:50:47
「東健兄を哭す」
…初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。
平家物語のあれらのふしぎなほど美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかに
なほ文学のおもはれるのを、心のゆとりとしもいはばいへ。
兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。
御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。
そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、
おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。
私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。
徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。
みそなはせ義恭大人が露の筆
道芝の露のゆくへと知らざりし
つねならぬ秋灯とはなかなかに
――昭和十八年十月九日深更――
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
356 :
無名草子さん:2009/09/26(土) 15:20:50
観念的な自分に酔っている中学生を見るようだ。
川端康成の「掌の小説」は、子供に読ませないほうが良い。
あれは有害図書指定でもいいくらいだ。
Z会で中高生向け推薦図書になっていたんだが。
当時は分けがわからないなりにも、なんとなく性愛を扱った内容だな
くらいにしかわからなかったが、ちょっと大きくなった今、再度読み返してみて
かなり気持ち悪い話ばかりだなという感想。
あんなもの子供に読ませちゃダメ!
一般の大人も読まんほうが良い。
>>297 Z会の推薦図書の書評でも、「たなごころ」とも読ませていたような気がするね。
360 :
無名草子さん:2009/09/28(月) 01:29:05
>>357 掌小説群に限らず川端作品の女性感は偏執・病的そのもの
むしろそれが魅力のひとつ
361 :
無名草子さん:2009/09/29(火) 12:09:11
半月形の襟で区切られた彼女の胸は白かつた。目がさめるほどに!
さうしてゐる時の彼女の微笑には、ジュリエットの頬を染めたあの「淫らな血」が感じられた。
処女だけに似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。
それは成熟した女の淫蕩とはことかはり、微風のやうに人を酔はせる。
それは何か可愛らしい悪趣味の一種である。たとへば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。
私の心がふと幸福に酔ひかけるのはかうした瞬間だつた。
すでに久しいあひだ、私は幸福といふ禁断の果実に近づかずにゐた。
だがそれが今私を物悲しい執拗さで誘惑してゐた。私は園子を深淵のやうに感じた。
三島由紀夫
「仮面の告白」より
川端康成
みずうみ 眠れる美女 片腕
363 :
無名草子さん:2009/09/29(火) 20:18:50
ゆとりだから雪国とか古都とかよりも片腕とか眠れる美女とかの方が好み
364 :
無名草子さん:2009/09/29(火) 23:18:08
金閣寺で、主人公が女の腹を踏むシーン。あそこが理解できない…
365 :
無名草子さん:2009/09/30(水) 23:18:15
>>364 アメリカ兵の女は敗戦日本の暗喩じゃないかな。
366 :
無名草子さん:2009/10/02(金) 12:40:16
戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひは強くなつた。
感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。
敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。
私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。
現実なるものもあるひは信じない。
川端康成
「哀愁」より
367 :
無名草子さん:2009/10/07(水) 12:36:29
…本多はウィーンの精神分析学者の夢の本は色々読んでゐたが、自分を裏切るやうなものが実は自分の願望だ、
といふ説には、首肯しかねるものがあつた。
それより自分以外の何者かが、いつも自分を見張つてゐて、何事かを強いてゐる、と考へるはうが自然である。
目ざめてゐるときは自分の意志を保ち、否応なしに歴史の中に生きてゐる。
しかし自分の意志にかかはりなく、夢の中で自分を強いるもの、超歴史的な、あるひは無歴史的なものが、
この闇の奥のどこかにゐるのだ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
>>359 ある国文学の教授は「たなうら」と読んでた
正しいかは知らない
てのひらでいいですかって言われりゃダメとは言わないだろう、川端さんは(笑
なんと読むんですか、と聞かれれば、たなごころと答えるに決まっているけど
370 :
無名草子さん:2009/10/09(金) 21:45:55
川端の「母の初恋」がよかった
川端、片腕出だし大好きだ
あんなの書けん
>>部倍がわら
よく通る、知らなかった
三島は幼稚園か学習院1年の俳句か短歌見たとき
ホントにスゴイ天才だとぞっとした
川端、ほくろの手紙もあったわ
374 :
無名草子さん:2009/10/20(火) 10:07:31
「菊花」
渋い緑色の葉と巧みな色の配合を持つた、あの隠逸花ともよばれるつつましやかな花は、自然と園芸家によつて造られた。
園芸家達の菊は、床の間に飾られるのを、五色の屋根の下に其の艶やかな容姿を競ふのを誇りとし、
自然の造つた菊は、巨きな石塊がころがつて痩せ衰へた老人の皮膚の様な土地に、長い睫毛の下から無邪気な
瞳を覗かせてゐる幼児のやうに咲き出づるのを誇つてゐる。
前者は人の目を娯ます為に相違ないが、野菊の持つエスプリはそれ以上のものである。
荒んだ人の心の柔かな温床。
荒くれ男どもを自然の美しさに導く糧。
それが野菊である。
《鬚むじやらの人夫などが、白と緑の清楚な姿に誘はれて、次々と野菊を摘んで行き、山の端に日が燃え切る頃、
大きな花束を抱へて嬉しげに家路に着く》それは美しい風景ではあるまいか。
〜〜〜〜〜〜〜〜
時は霜月。
木々が着物を剥がされかけて寒さに震へる月であるが、彼の豪華な花弁が野分風も恐れずに微笑む時である。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
375 :
無名草子さん:2009/10/23(金) 13:41:14
全集、買ったよ
100円で
文学作品は味があるよな
376 :
無名草子さん:2009/10/28(水) 11:30:30
大ていわれわれが醜いと考へるものは、われわれ自身がそれを醜いと考へたい必要から生れたものである。
三島由紀夫
「手長姫」より
377 :
無名草子さん:2009/10/28(水) 11:31:26
小肥りのした体格、福徳円満の相、かういふ相は人相見の確信とはちがつて、しばしば酷薄な性格の仮面になる。
独逸の或る有名な殺人犯は、また有名な慈善家と同一人であることがわかつて捕へられた。
彼はいつもにこやかな微笑で貧民たちに慕はれてゐた。
その貧民の一人を、彼はけちな報復の動機で殺してゐたのである。
彼は殺人と慈善とのこの二つの行為のあひだに、何らの因果をみとめてゐなかつた。
三島由紀夫
「手長姫」より
378 :
無名草子さん:2009/10/28(水) 11:32:24
自在な力に誘はれて運命もわが手中にと感じる時、却つて人は運命のけはしい斜面を
快い速さで辷りおちつゝあるのである。
三島由紀夫
「軽王子と衣通姫」より
川端康成の古都
380 :
無名草子さん:2009/11/02(月) 16:21:36
「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんたうの
恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。
恋愛のエネルギーはけつして内にたわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。
しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。
現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての時代とは比べものにならぬほど豊富に恵まれてゐる。
しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは恋愛といふものの死である。
もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ経過を何度もくり返してゐると、
現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえてゐる。
若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、この点であるといつていい。
三島由紀夫
「葉隠入門」より
381 :
無名草子さん:2009/11/02(月) 16:23:11
かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が女郎屋へ連れて行つて
肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さえふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうえに成り立ちながら、一方では古い
ピューリタニカルな恋愛伝統を保持してゐたのである。
しかし、いつたん恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の犠牲の対象がなければならない。
それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、融通のきく
恋愛の保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。
恋のためには死ななければならず、死が恋の緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の説いてゐる理想的な恋愛である。
三島由紀夫
「葉隠入門」より
382 :
無名草子さん:2009/11/08(日) 11:48:25
イタリア最大の出版社の一つであるモンドダリは、二年後(投稿時2002年)に、三島由紀夫選集を出すことを
企画している。ローマ大学のマリアテレーサ・オルシ教授を編者とするこの選集の目的は、三島文学の美しさを
あらためてイタリアに紹介することにある。
その目標を達成するため、序文、解題と共に訳文の精確さが大切なポイントとして顧慮され、日本語からではなく
英語などから重訳されている作品も、今度は新しく日本語から直接翻訳される。
その中には…(中略)「鏡子の家」等も含まれる。この最後の作品は私の担当作品なので、少し考察したい。
周知のように、三島がひたすら情熱と才能を傾けて書いた「鏡子の家」は非常に評価が低かった。
予想を裏切る反応に作者は落胆したが、昭和42年にはこの小説を「自分の好きな作品」に数えている。
それにも関わらず、この作品はあまり研究の対象になっていない。評判が良くなかった理由は様々に書かれて
いるが、ここでは反論するよりも、私にとって興味深く、秀逸と思われるところをすこし分析してみたい。
マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
383 :
無名草子さん:2009/11/08(日) 11:49:21
「鏡子の家」は構成が見事である。その枠組みの中に、美しく表現力豊かな文章や隠喩がちりばめられている。
冒頭に〈みんな欠伸をしてゐた〉という、短いが意味深長な一文がある。
「みんな」に含められる登場人物たちは、生との関わりに困難をきたし、倦怠感に蝕まれている。
群小人物の光子と民子は倦怠を逃れるため銀座の美容院に行って満足する。
他の主要人物たちは自分の内面世界と外界との関係に支障をきたしている。
俳優志願の収は自分の身体を明確に知覚できず、身体と存在を同一視するに至る。画家の夏雄は突然視界が
消滅する出来事に遭遇して以来、絵が描けなくなるが、内面世界をより狭くすることで再び描けるようになる。
拳闘選手の峻吉は記憶空間のない生活を構築する。鏡子は自分の内面世界についてあまり考えないようにし、
友人たちの経験、思想に満ちている「家」に住んでいる。
マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
384 :
無名草子さん:2009/11/08(日) 11:50:15
しかし冒頭の「みんな」には、会社員である清一郎が意図的に挿入されていない。清一郎は一番俗世に混じって
生活している人物で、日本だけではなくニューヨークに住んでいる時も問題なく仕事環境に溶け込める。
しかしその能力は世界崩壊を固く信じることから来るものと言うべきである。
「鏡子の家」の完璧な構造では、鏡子が友人たちを追い出して自分の家を“閉める”という経緯が作品の
結びとなる。つまり小説の終わりと“家の終わり”が一致するのである。
そして冒頭と同じく、光子と民子はつまらなそうに「仕方なし」に銀座の美容院に行く。
三島の描写は暗示的で、しかも読者の目前に見えるような印象的なイメージが豊かである。
最も顕著で、優雅なイメージ操作は「鏡」をめぐるものであろう。
タイトルとなる女主人公の名前を始め、すべての人物にそれぞれ自分の「鏡」がある。
マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
385 :
無名草子さん:2009/11/08(日) 11:51:24
収は本物の鏡に映るとほっとするが、鏡より肉体を強く感じさせる女性と出会った時、その人間的な鏡と
死ぬことを決意する。
夏雄は自分の絵におのれを投影する。それゆえ、絵が描けなくなった時、一旦自分を見失う。
峻吉は力を自分の鏡とする。しかし喧嘩で手を怪我して拳闘ができなくなると、自分の鏡である力を右翼の
青年団に入って使う。
鏡子は自分を皆の鏡であると思いながら、他人を自身の鏡として使う。最後に娘と互いに映しあう鏡遊びで、
どちらが娘かどちらが母か、どちらが女らしい魅力と欲情をよりそなえているかわからなくなる。
ちょうど金閣寺が素晴らしく金色に輝く姿を鏡湖池に映すように、「鏡子の家」の人物たちは自らを
映す物なしでは生きられないのである。ひょっとしたら、作者も小説に自分を映したのかとも思われる。
登場人物に三島自身の投影が認められるかどうかは別として、隠喩やイメージが豊富で、とても面白く読める
作品である。
マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
386 :
無名草子さん:2009/11/08(日) 11:52:25
個性的であざやかな表現が多いので、翻訳する側はそれをうつし変える困難を何とか切り抜けなければ
ならないが、作者の力量や熱意がページごとに感じられる。
古典文学を翻訳するとき、イタリアの読者に伝えにくい雰囲気、理解しがたい習慣等がある。
しかし「鏡子の家」の場合、そのような難しさはなくて、例えばサルトル、モラヴィアを読んだ者には
感じやすい倦怠感もあり、場面がニューヨークになっているページもあるし、それほど遠い文化が感じられる
ところはないと言える。
ただ、完璧に文体の美しさを伝えることはやはり容易ではない。しかし、それは読者より翻訳者の問題であろう。
原文の美しさに感服しつつ、同レベルの文体の文章を作ろうと格闘中の私には、何故今まで「鏡子の家」が
訳されなかったのか不思議に思われる一方、その任を受けたことを幸いに思い、この作業がたいへん有意義な
経験となることが確信されるのである。
マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
387 :
無名草子さん:2009/11/15(日) 01:30:55
バカは簡単な説明をさも難しく説明する。
簡単に説明すると君は「つまらない人間」です。
そこじゃないだろ(笑
390 :
無名草子さん:2009/11/26(木) 11:18:39
目前の汚れた小さな水たまりに目を奪はれて、お前も海の水の青さを疑つてはならないぞ。
どんな世の中にならうとも、女の美しさは操の高さの他にはないのだ。
男の値打も、醜く低い心の人たちに屈しない高い潔らかな精神を保つか否かにあるのだ。
さういふ磨き上げられた高い心が、結局永い目で見れば、世のため人のために何ものよりも役立つのだ。
人の心はいつかは太陽へ向ふやうに、神がお定め下すつたのだからな。
三島由紀夫
「人間喜劇」より
391 :
無名草子さん:2009/11/28(土) 23:07:04
――就寝前に恒彦がかう言つた。
「ああいふ男は、いはゆる女好きがするんだらうね」
「どなた?」
「楠だよ」
郁子は判断をためらはなかつた。
「そこらのつまらない女の子が引つかかりさうな男だわ。土曜日のダンスにもなるたけ
あの方と踊らないですむやうにして頂戴ね」
このやさしい懇願には、論理の撞着があつた。恒彦は一向気づかなかつた。妻の中にある
矜りの高さとその低さとのふしぎな断層に。彼は郁子が梳つてゐる髪の美しさをつくづく見た。
三島由紀夫
「純白の夜」より
そんなことしてる暇があったら本でも読んだら?
393 :
無名草子さん:2009/11/30(月) 14:50:20
死といふ事実は、いつも目の前に突然あらはれた山壁のやうに、あとに残された人たちには思はれる。
その人たちの不安が、できる限り短時日に山壁の頂きを究めてしまはうとその人たちをかり立てる。
かれらは頂きへ、かれらの観念のなかの「死の山」の頂きへかけ上る。
そこで人たちは山のむかうにひろがる野の景観に心くつろぎ、あの突然目の前にそそり立つた死の影響から
のがれえたことを喜ぶのだ。しかし死はほんたうはそこからこそはじまるものだつた。
死の眺めはそこではじめて展(ひら)けて来る筈だつた。光にあふれた野の花と野生の果樹となだらかな起伏の
景観を、人々はこれこそ死の眺めとは思はず眺めてゐるのだつた。
三島由紀夫
「罪びと」より
394 :
無名草子さん:2009/12/02(水) 15:21:18
仏の花を買ひにゆくといふ殊勝な用事を彼にうちあけることが、私には何故かしら嬉しかつたのです。
私は悪戯をする子供の気持よりも、修身のお点のよいことをねがふ子供の気持のはうが、ずつと恋心に
近ひことを知るのでした。
まして恋といふものは、そつのない調和よりも、むしろ情緒のある不釣合のはうを好くものです。
三島由紀夫
「不実な洋傘」より
三島の作品って気持ちが悪くないか
本人がどういう気持ちでそういう色事を書いたかを考えると
糞に薔薇の香りをまぶしたような…
396 :
無名草子さん:2009/12/25(金) 11:59:01
「…少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言ふ世界の内的関聯の光輝ある証拠を見せた、といふ功績がある。
だけど、そのあとで彼は三号を手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。
はじめから何の役にも立たなかつたのよりもずつと悪い。
いつも言ふやうに、世界は単純な記号と決定で出来上つてゐる。竜二は自分では知らなかつたかもしれないが、
その記号の一つだつた。少くとも、三号の証言によれば、その記号の一つだつたらしいのだ。
僕たちの義務はわかつてゐるね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理はめ込まなくちやいけない。
そうしなくちや世界の秩序が保てない。僕たちは世界が空つぽだといふことを知つてるんだから、大切なのは、
その空つぽの秩序を何とか保つて行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人
なんだからね」
三島由紀夫
「午後の曳航」より
397 :
無名草子さん:2009/12/25(金) 12:14:12
『あのとき俺は、論理を喪くしたぷよぷよした世界に我慢ならなかつたんだ。あの豚の臓腑のやうな世界に、
どうでも俺は論理を与へる必要があつたんだ。鉄の黒い硬い冷たい論理を。……つまりスパナの論理を』
又、
『あの日の夕方、優子が酒場でかう言つたつけ。《そんなときにあの人の平然とした顔を見たら、もうおしまひだ》つて。
あのスパナの一撃のおかげで、俺はわざわざ、彼らを《おしまひ》にすることから救つたんだ。……』
三島由紀夫
「獣の戯れ」より
398 :
無名草子さん:2010/01/11(月) 09:02:22
平岡あみ(三島の弟の孫)に関して、だれか詳しく知らないか?
399 :
無名草子さん:2010/01/13(水) 11:55:21
平岡あみスレ立てれば?
400 :
無名草子さん:2010/01/16(土) 12:21:07
三島由紀夫の二人の子供は、何やってるんだろ。
長男は外交官だっけ?
401 :
無名草子さん:2010/01/16(土) 17:34:21
>>400 長男は以前は宝石店を営んでたようだけど、現在の情報は見当たらないね。
長女は結婚して富田姓になってますよ。子供が三人(三島の孫)います。
402 :
無名草子さん:2010/01/24(日) 01:01:31
403 :
無名草子さん:2010/01/24(日) 01:04:57
405 :
無名草子さん:2010/01/30(土) 15:14:44
少年の頃、父親の書棚に見つけた「美徳のよろめき」にこころが騒いだ憶えがある。
その見知らぬ言葉の配列は、油断すると血の匂いでも嗅いでしまいそうなたしか暗緑色と褐色の曲線でデザインされた
装幀以上に、こころが傷つけられたような印象がした。
そのせいか、多いとはいえない父親の蔵書にひととおり目を通したはずなのに、「美徳のよろめき」だけは、
書棚が設えてあった陽当りの悪い坪庭に面した廊下で床板の軋みを聞きながら読んだ記憶がない。
…いまでも読み返すことの多いこの作品をはじめて読んだのは、暗い意匠のほどこされた箱入りの本でではなく、
それに比べたらむしろ軽やかな印象さえする硬質なタイポグラフィで表紙が飾られた文庫本でだった。
実家を離れて東京の予備校に通いだしてからだったと思う。
売野雅勇
「言葉の音楽」より
406 :
無名草子さん:2010/01/30(土) 15:15:23
当時、通学に一時間以上かかる私鉄電車の中で繰り返しページを開いていた文庫本が二冊あって、ひとつが
「コクトー詩集」で、もう一冊が「不道徳教育講座」だった。
…優雅さや皮肉といった、大人の秘密の匂いの予感に怯んだのが「美徳のよろめき」だとすれば、「不道徳教育講座」は
(そして、おそらく「コクトー詩集」も)、それらを享受するための練習だったのかもしれない――
それにしてもなんと贅沢な練習だろう。
「不道徳教育講座」のなかで見つけたのは、ユーモアに満ちた軽い語り口とは裏腹に、誇りや気高さといったものの
「実践の標本」であったし、俗に通じはじめた魂をふたたび無垢へと導く倫理だった。
そして、生活の細部にまで張り巡らされた美意識そのものだった。
三島由紀夫がどこかで「詩人とは新しい生き方を教えてくれる者である」といった意味のことを書いていたと思うが、
詩集のようにそれを毎日繰り返し読ませたものは、新しい生き方を発見しようとする幼くて切実な欲望だったのだろうか。
売野雅勇
「言葉の音楽」より
407 :
無名草子さん:2010/01/30(土) 15:16:13
そのような迂回を経てふたたびたどりついた「美徳のよろめき」を、あっけないほど簡単に読めてしまったのは
――主人公の放つ匂いに恋してしまったということもあるが――、むしろ、もうひとつの愛読書だった
「コクトー詩集」のせいだったのではないかとも思う。
それを、言葉で書かれた、言葉で精確に組み立てられた音楽のように感じた。
粗野な感受性が直感した言葉は、コクトーの言葉の連なりのなかで不意に鳴りはじめる、あの聴きなれた音楽だった。
表象の宇宙的な連関を魔術にも似た不真面目さで透視させたり、世の中の価値や常識を一撃にして転覆させてしまう、
比喩や警句が、繊細な風景描写や明確な心理描写とともにそれを鳴らしていた。
詩人が秘密裏に共有するコードででもあるかのように。
なんて贅沢な小説だろうと、読み終えたばかりのページをふたたび開き、何度もため息をついたことを憶えている…。
売野雅勇
「言葉の音楽」より
408 :
無名草子さん:2010/01/30(土) 15:16:46
…そのようにして三島作品と接してきたが、主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば、即座に「岬にての物語」で
海岸の断崖に近い草叢を歩きながら少年が聴いた、一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガンを思い出す。
最初に読んだときから、少年が聴いたその音を想像するよりも、聴こえない音の方に想像力が働いた。
陰画を光にかざして眼を凝らすおなじ身振りで、その失われた音に意識が集中してしまう性癖のようなものが
こころのうちにあるのだろうか、――あるいは、そのように意識を誘導する意図のもとに書かれたものなのだろうか。
それはともかく、「美徳のよろめき」を知って以来、聴こえない音楽を聴くことが、三島由紀夫の作品を読む
最大の快楽のひとつになっている。
言葉の音楽である。
売野雅勇
「言葉の音楽」より
409 :
無名草子さん:2010/01/31(日) 13:28:41
410 :
無名草子さん:2010/01/31(日) 18:05:34
私といふ存在から吃りを差引いて、なほ私でありうるといふ発見を、鶴川のやさしさが私に教へた。
私はすつぱりと裸かにされた快さを隈なく味はつた。鶴川の長い睫にふちどられた目は、私から吃りだけを
漉し取つて、私を受け容れてゐた。それまでの私はといへば、吃りであることを無視されることは、それが
そのまま、私といふ存在を抹殺されることだ、と奇妙に信じ込んでゐたのだから。
三島由紀夫「金閣寺」より
>>227 > 一体金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。
> 三島由紀夫「金閣寺」より
412 :
無名草子さん:2010/02/20(土) 12:52:54
413 :
無名草子さん:2010/02/24(水) 16:05:28
三島由紀夫の親戚だと公表して活躍してもらいたいね。
414 :
無名草子さん:2010/02/24(水) 16:06:08
しかし日本では、神聖、美、伝統、詩、それらのものは、汚れた敬虔な手で汚されるのではなかつた。
これらを思ふ存分汚し、果ては絞め殺してしまふ人々は、全然敬虔さを欠いた、しかし石鹸でよく洗つた、
小ぎれいな手をしてゐたのである。
三島由紀夫
「天人五衰」より
415 :
無名草子さん:2010/02/26(金) 17:16:19
416 :
無名草子さん:2010/02/27(土) 14:49:51
417 :
無名草子さん:2010/02/28(日) 23:55:02
蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥じてはゐなかつたにちがいない。むしろ自らひそかにそれを
矜つてゐたかもしれない。しかし戦ひが、是非なく獰猛な仮面を着けることを強ひたのである。
しかし又、蘭陵王はそれを少しも悲しまなかつたかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとしてゐたかもしれない。
なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかはり、それだけ彼のやさしい美しい顔は、傷一つ負はずに永遠に
護られることになつたからである。
三島由紀夫
「蘭陵王」より
418 :
無名草子さん:2010/03/07(日) 22:10:28
天才といふやつは、自分で自分が思ふやうにはならず、この世の通常ののぞみは
全部捨てなければならん宿命に生まれついてゐる。
美人も同様に不自由な存在なのさ。自分で自分の美に一生奉仕しなければならんのだ。
三島由紀夫「女神」より
419 :
無名草子さん:2010/03/07(日) 22:11:19
機関車を美しいと思ふやうでは女もおしまひである。
三島由紀夫「女神」より
420 :
無名草子さん:2010/03/07(日) 22:12:19
不美人のはうが美といふ観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。
何故つて、醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね。
三島由紀夫「女神」より
421 :
無名草子さん:2010/03/14(日) 10:13:55
自分の美しさを知つてゐても、鏡によらずしてはそれを見ることができないといふのは宿命的なことだ。
自分が美しいといふ認識は、たえず自分から逃げてゆくあいまいな不透明な認識であつた。
結局この世では他人の美がすべてなのだ。
三島由紀夫「女神」より
422 :
無名草子さん:2010/03/25(木) 20:26:50
恋と犬とはどつちが早く駆けるでせう。さてどつちが早く汚れるでせう。
三島由紀夫「綾の鼓」より
423 :
無名草子さん:2010/03/25(木) 20:27:18
今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。
三島由紀夫「綾の鼓」より
川端の古都は中房の時はまりますた
この間伊豆の踊り子を読んで、今、雪国を読んでいるがこんな小説の何が面白いのかね。
俺には暇つぶしにしかならん。これでノーベル賞って・・・。
まあトーマスマンの魔の山も雪国よりはマシだがノーベル賞に値するとは思えんし。
純文学ってのはほんとに価値がわからん。
面白さじゃなくて何が価値の要素なの?
一般人と作家では文章に対する感覚が違うようだね。
もって回った表現を日本の作家はありがたがる。
普通は使わないような表現で事象を言い表すのが旨い表現という感覚が作家にはある。
>>426 わからなければわからなくてもいいんだよ。文学は万人受けするもんじゃないから。
文筆家の感覚と一般人の感覚はどうも違うんではないか?
奴らは今までにないユニークな表現を有り難がる。
一般人が読んで意味不明な表現が文筆家には受ける。
奴らの自己満足にしか過ぎないと俺には思えてならないが
文学に親しむのは世間一般のうちごく一部だろうからなあ。
そのごく一部はわからないものを有り難がる傾向があるだろうし。
同じ言葉でも受け取り方は人それぞれ
価値観も思考回路もバラバラだからな
>>429 自分が意味不明で解らないからといって、それを一般人の感覚とするのもずいぶんと傲慢な感覚だね、あんた。
文学者のような文章表現ができない、特に文学的な素養もない沢山の人でも、文学作品を読んでその文章を楽しんだりしてますよ。
>>431 あんたどうやってデータとったの?
サンプル数はいくつ?
433 :
無名草子さん:2010/05/01(土) 10:51:33
自分の人生は暗黒だつた、と宣言することは、人生に対する何か痛切な友情のやうにすら思はれる。
お前との交遊には、何一つ実りはなく、何一つ歓喜はなかつた。お前は俺がたのみもしないのに、
その執拗な交友を押しつけて来て、生きるといふことの途方もない綱渡りを強ひたのだ。
陶酔を節約させ、所有を過剰にし、正義を紙屑に変へ、理智を家財道具に換価させ、
美を世にも恥かしい様相に押しこめてしまつた。人生は正統性を流刑に処し、異端を
病院へ入れ、人間性を愚昧に陥れるために大いに働らいた。
それは、膿盆の上の、血や膿のついた汚れた繃帯の堆積だつた。すなはち、不治の病人の、
そのたびごとに、老ひも若きも同じ苦痛の叫びをあげさせる、日々の心の繃帯交換。
彼はこの山地の空のかがやく青さのどこかに、かうして日々の空しい治癒のための、
荒つぽい義務にたづさはる、白い壮麗な看護婦の巨大なしなやかな手が隠れてゐるのを感じた。
その手は彼にやさしく触れて、又しても彼に、生きることを促すのであつた。
三島由紀夫「暁の寺」より
434 :
無名草子さん:2010/05/01(土) 11:01:43
芸術といふのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です。
さしも永いあひだつづいた白昼の理性も、夕焼のあの無意味な色彩の濫費によつて台無しにされ、
永久につづくと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかせられる。美がみんなの目の前に
立ちふさがつて、あらゆる人間的営為を徒爾(あだごと)にしてしまふのです。
あの夕焼の花やかさ、夕焼雲のきちがひじみた奔逸を見ては、『よりよい未来』などといふ
たはごとも忽ち色褪せてしまひます。
三島由紀夫「暁の寺」より
435 :
無名草子さん:2010/05/01(土) 12:20:40
まあ川端と三島読んだら大抵の世界文学はゴミになりますよ。
日本人で本当に良かったと思わされますよね。
436 :
無名草子さん:2010/05/22(土) 11:38:34
最早私には動かすことのできない不思議な満足があつた。
水泳は覚えずにかへつて来てしまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実、
後年私がそれを求めてさすらひ、おそらくそれとひきかへでなら、命さへ惜しまぬであらう
一つの真実を、私は覚えて来たからである。
三島由紀夫「岬にての物語」より
>>434 >永久につづくと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかせられる。
意味がわからん。
素直に読めば、永久につづくと思はれた「歴史」も突然自分の終末に気づかせられる
ということだが、「歴史」が自分の終末に気づかせられるとはどういうことか?
まったく判じ物だな。
>>436 >水泳は覚えずにかへつて来てしまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実
「伝へ得ない」と書いたからには「覚えずに」も「覚へずに」と書くべきじゃないのか?
439 :
無名草子さん:2010/05/24(月) 22:41:27
>>438 覚える、の場合は旧仮名遣いでも「え」ですよ。「超える」なども「え」のままです。
伝わる、伝える、は「わ行変換」だから旧仮名遣いで「はひふへほ」になりますね。
440 :
無名草子さん:2010/05/24(月) 23:10:00
>>437 終末に気づくのは、理性や歴史に関わってた人間ってこと。
この場合「理性」「歴史」という言葉のなかには、それに関わった人間の営為、人間の意志、意識、認識も内包した意味だから、別におかしくないよ。
文法ばかり追う外国人みたいな読解力しかないと、日本文学は読めませんよ。
暁の寺、豊饒の海を自身で読んでください。
441 :
無名草子さん:2010/05/24(月) 23:10:07
>>437 終末に気づくのは、理性や歴史に関わってた人間ってこと。
この場合「理性」「歴史」という言葉のなかには、それに関わった人間の営為、人間の意志、意識、認識も内包した意味だから、別におかしくないよ。
文法ばかり追う外国人みたいな読解力しかないと、日本文学は読めませんよ。
暁の寺、豊饒の海を自身で読んでください。
442 :
無名草子さん:2010/05/27(木) 13:44:29
川端の片腕って、最初普通の小説かと思って読んだから驚いた。
女の子から片腕借りて、「腕がしゃべった!(AA略)」って話を艶めかしく作るってすごいな。
ところで伊豆の踊子で、なんで踊り子は、母親から活動に行かせてもらえなかったからって、
急に主人公によそよそしくなるの?
443 :
無名草子さん:2010/06/28(月) 16:08:37
知らんがな(´・ω・`)
今日、『豊饒の海』の月修寺のモデルと言われる奈良の円照寺に行ってみました。奈良は遷都1300年祭で賑やかですが、このあたりは静かです。小説から参道は険しい山道と思っていましたが、静かでなだらかな坂道でした。
445 :
無名草子さん:2010/07/04(日) 20:47:25
>小説から参道は険しい山道と思っていましたが、静かでなだらかな坂道でした。
聡子に逢いたいが少しも逢えない身。
しかも熱を発していて酷く病んだ身にとっては、険しく感じられたのかもしれません。
446 :
無名草子さん:2010/07/06(火) 01:51:31
>>435 谷崎なんかと比べるとその二人もカスみたいなものだが
447 :
無名草子さん:2010/07/07(水) 18:47:01
おう、俺もそう思う。
本当に芸術を感じる、谷親父の作品には。
作風が全く違うのに比べてああだこうだ言う時点でバカ確定。
>>444 そうすると、奔馬の勲が逃げて最後切腹するルートも気になりますね。
450 :
無名草子さん:2010/07/08(木) 16:57:25
豊饒は春以外の3作品は雑、書き急いだんかな?
春は後の3作品のベースになる作品だから内容が濃くて当然だろう
作者の多感だった時代の物語でもあるし
それと作者の視点が主人公から傍観者に変化してるのも影響してるかも知れん
452 :
無名草子さん:2010/07/08(木) 17:32:33
死に急いだんだよ
453 :
無名草子さん:2010/07/09(金) 11:11:30
>>450 安保反対派デモを鎮圧する警官隊に乗じてやるはずだった自衛隊国軍化のクーデター計画が頓挫してしまった頃が、
ちょうど暁の寺執筆中で、それ以降、作品の中身も変化したようです。
美しい星は丸谷が褒めてたな
ユーモアセンスが光ってるとかんなんとか
455 :
無名草子さん:2010/07/26(月) 17:59:08
三島のようなホモチンポ作家読む馬鹿ってまだいたのかw
厨二病の巣窟だな、ここ
456 :
無名草子さん:2010/07/30(金) 11:52:35
われわれの内的世界と言葉との最初の出会は、まつたく個性的なものが普遍的なものに
触れることでもあり、また普遍的なものによつて練磨されて個性的なものがはじめて
所を得ることでもある。
少年は何かに目ざめたのである。恋愛とか人生とかの認識のうちに必ず入つてくる滑稽な
夾雑物、それなしには人生や恋のさなかを生きられないやうな滑稽な夾雑物を見たのである。
すなはち自分のおでこを美しいと思ひ込むこと。
もつと観念的にではあるが、少年も亦、似たやうな思ひ込みを抱いて、人生を生きつつ
あるのかもしれない。ひよつとすると、僕も生きてゐるのかもしれない。この考へには
ぞつとするやうなものがあつた。
三島由紀夫「詩を書く少年」より
博識の人が多そうだから質問。
羽仁五郎の本読むと川端をやたらに貶してるんだけど、なんか、因縁があるの?
三島については、才能を認めつつ、政治思想は批判しつつ、概して興味ない感じ
458 :
無名草子さん:2010/08/04(水) 12:38:56
459 :
無名草子さん:2010/08/29(日) 23:06:24
この世の絶頂の倖せが来たとき、その幸福の只中でなくては動かぬ思案があるのです。
その思案は波間をかすめる太刀魚の背鰭のやうに、幸福の海へ舟出をしてゐる時でなくては
見えないのです。
一つの建築が一つの夢になり、一つの夢が一つの現実になる。さうやつて巨大な石と
おぼろげな夢とは永遠の循環をくりかへすのだ。
今の王様にとつては、ただこのお寺の完成だけがお望みなのだ。そしてお寺の名も、
共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様は
あの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう。
この世のもつとも純粋なよろこびは、他人のよろこびを見ることだ。
三島由紀夫「癩王のテラス」より
460 :
無名草子さん:
私の前にはただ闇があるだけ。色もない。形もない。死も私にははじめて会つたやうな
気がしないだらう。なぜならそれは、この世と一トつづきの闇に他ならぬからだ。
精神は必ず形にあこがれる。
崩れたもの、形のないもの、盲ひたもの、……それは何だと思ふ。それこそは精神のすだただ。
おまへが癩にかかつたのではない。おまへの存在そのものが癩なのだ。精神よ。おまへは
生れながらの癩者だつたのだ。
何かを企てる。それがおまへの病気だつた。何かを作る。それがおまへの病気だつた。
俺の舳(みよし)のやうな胸は日にかがやき、水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、
どこへも到達せず、どこをも目ざさず、空中にとまる蜂雀のやうに、五彩の羽根をそよがせて、
現在に羽搏いてゐる。俺を見習はなかつたのが、おまへの病気だつた。
青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝つた。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。
三島由紀夫「癩王のテラス」より