春樹がなに考えてるかなんてどうでもいい
953 :
無名草子さん:05/02/25 19:22:40
,' / ゙´ ヽ
i / / ノ ! ! i,ゝ
レ' レ'__,.イリ ,人_ ! ハ
'´ハi !i c==........=oノノ ノ
ぷ ノi从!リゞ_r_-_っツ从ト、
る .,., ``,ハ__,ノ>、^^'´ _, '⌒ヽ.
ぷ.:,'⌒ヽ、__ィ'⌒ヽ {」 ! `ヽ ふ )
るヽ イヽ_,ハ.___,、 \| i :, ) え (
\ レ'iヽ_.:_.._:.ィ、\ ヽj ;. / ( ぇ )
`ハ.::. ,':. .:.く:._` ´ヽ. ) ぇ(
―- /ノ.:.;.i: y' :i:ヽ、', ヽ. ‐-- ( : )
ヽ、:..!i i :i.: i`) ', ヽ :ノ
/ ヽ,ハ i i  ̄`ヽj \ `
く._ ', i i !ィ´ ̄
.ノ′ } 〕 ,ノ .゙'┬′ .,ノ
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
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| ノ′ ヽ 〔 ミ
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.| .ミ .と 〔 〕
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{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
956 :
無名草子さん:05/02/25 21:25:46
おととい電車乗ってて、ふと横で座ってる女の子の
手にしてる本を見たら、それは「1973年のピンボール」
だった。
顔も可愛かった。
以上おととい電車に乗って197(略を読んでた自分のことかわいいと思いこんでる女の自演でした。
958 :
無名草子さん:05/02/25 23:35:10
他人が作ったもの新しく作りなおすって
それはその批評家が自分でオリジナルを
創造するだけの力がないだけじゃん。
>>958 そのへんはなにがオリジナルかというのと問うと怪しくなってくる。
たとえばある批評をもとに小説を書いたとしたら?
しかもその批評がある学術研究の文芸における読みなおしにすぎなかったとしたら?
その研究書が実はまた違った作品の三次的な表現であったとしたら?
メタフィクションは? 二次創作の二次創作は?
影響の意図は作者の意図を超えてクモの巣的にひろがっていくというだけなく、
創作と消費との違いを峻別できなくなっていく。
東浩紀じゃないが、
たとえばエコアイスのマスコットキャラのネタ話が二次創作となりキャラクターとなっていく過程において
なにがオリジナルであるかを問うことは難しい、というか意味をなさない。
批評家の批評が三次的な表現であるというのは、
あくまでも小説家の創作が一次的であるということが保証されたらの話で、
大きな物語が凋落し、「一回性」の儀式が失効し、
データベースにとってかわられた現代において、
そうしたが見解がどれだけ通用するものか甚だあやしい。
本人はオリジナルだと思っていてもじつはシュミュラークル、
データベース消費の一環にすぎないのかもしれない。
960 :
無名草子さん:05/02/26 01:07:57
作品が重視されるためには
オリジナル性は必要不可欠。
批評の存在は最初からそれを欠いている。
極論すれば小説はデータベースが無くとも書けるが
批評はそれができない。
961 :
無名草子さん:05/02/26 01:17:32
批評は批評家のためだけに存在してるのであって
作家や作品、ましてその読者には何の役にも立たない。
>>960 だから「作家が小説を書くだけでは作品はなりたたない。
作品は読まれることによってはじめて作品たりうる。
作家が小説を書き読者が読み批評が書かれその批評がまた読まれる、
という過程すべてが作品の創造であり更新である」という視点の話なんだよ。
963 :
無名草子さん:05/02/26 01:38:56
>批評が書かれ
ここいらないと思う。
作家・作品・読者で創造は成り立つ。
しかも批評書いても作家が読まないから
ただの垂れ流しになってるし、作品の肥やしにも何にもなってない。
ねじまき鳥 射精ばっか 308号室らへんややこしい…
自分についての批評なんか
一切無くとも書く人は書くしね。
だいたい処女作がそうだろ。
批評が創造の一端を担うなどとは笑止千万。
966 :
無名草子さん:05/02/26 01:49:33
>961がFAだな。
批評家のための批評。
創造というフローとは無縁の存在。
ようするに、批評家の文章はサンプリングミュージックだといいたいの??
968 :
無名草子さん:05/02/26 01:59:51
枝毛みたいなもん?>批評
>>963 いるいらないの話ではなく、
(批評が)行なわれてしまった時点で
(好むと好まざるとにかかわらず)そうした作品として成り立ってしまう、ということなんだよ。
もちろんそれがある場合には鬱陶しいことだというのはわかるけど、
だからといって批評することを辞めさせるような権限は誰にもない。
批評は批評するもののためにある、というのはむしろ理想的なことだと思う。
批評なんかどうでもいいと思うひとは読まなければいいだけなんだからね。
が、まあいちおう批評が作家に影響をあたえることはある。
古い例をあげると、アリストテレスのギリシャ悲劇論は
フランスの近代演劇に影響をあたえているね。
971 :
無名草子さん:05/02/26 03:09:43
ノルウェイの森を読み始めたところなんですが、これって
どこが凄いんですか?
今のところただの大学生の日常が展開されるだけで、
正直いってそんなに面白いとは思わないんですけど。
馬鹿な女が騒いでるだけです。
福田和也の点数でも村上春樹の作品中最低です。<ノルウェイの森
すごいっちゅうか、ノルウェイの森が春樹作品の中でも特別売れた理由は、
「プラトニックスセックス」や「限りなく透明に近いブルー」と同じように、
リアリズムと性描写が一般の人に受けたんだと思う。
974 :
無名草子さん:05/02/26 12:11:48
批評によって作品は成立していない。
成立は作品そのものと受け手の存在によってなされる。
成立要件としての批評などない。
批評をやめさせることなど誰も考えていないと思うが
作品の成立に介入しようと考えるのは浅はか。
>>971 全部読んでから書けよタコ。
他人の意見は関係ないんだよ。
>>971ではないですが、ノルウェイ読み終わりました。
上巻はツマンネって感じだったけど、下巻は何だか入り込んでしまった。
これとアフターダーク読んだだけの新参者なんですが、お薦めあったら教えて下さい。
>>974 作品がなりたつためには批評が必要だ、とはいっていないよ。
端折っていっちゃうと批評がなされることによって作品Aは、
「××によって○○という批評がなされた作品A」「○○という意味をもちうる作品A」
として更新され創造される、
そしてわれわれは既にそうした作品できあがっているモノを読んでいる、というだけ。
つまり「要件」といよりは「既成事実」として、
今日の作品のなりたちに批評が関わってしまっている(作品もある)ということ。
いちおう補足しておくと、もちろんこれは批評だけではなくパロディなんかもふくめての話で、
べつに批評の特権を主張しようという意図があるわけではない。
で、それとはまたべつに、批評を読むという三次的な体験のさらに、
リアクションとして批評の批評が書かれたり、あるいは作品がつくらることもあるが、
批評やパロディが三次的な表現であるのは、
作品が一次的な体験をもとにしていると保証があるからなのであって、
たとえば作品がなにかへのリアクションであった場合には、
批評家も作家もデータベース消費の一環をになっているにすぎないことになる。
そして一回性を保証する儀式はすでに失効している、といってるわけ。
こうした状況では小説どころかイデオロギーすらもシュミュラークルになってしまう。
978 :
無名草子さん:05/02/26 12:58:40
長文うざいね
春樹オタには批評なんていらないんだろうね
まともな批評も読んだことないだろうし
春樹程度の作品読んで喜べる程度の頭に批評は邪魔なだけだろう
980 :
無名草子さん:05/02/26 14:30:38
979 アホや
982 :
無名草子さん:05/02/26 14:47:17
村上春樹は、ともかく
村上龍は、かなりヤバイな。
やれやれ、と僕は思った
どうして僕には979のような人が理解できないんだろう
「あなたは誰かを理解しようとするとその人の一番奥まで見てしまう
そしてその人を傷つける。だからいつも一人でいるんでしょう?」
こんなふうに彼女は言った。
「でもそれでいいのよ、そういうものなのよ」
彼女は僕のジーンズのジッパーを降ろしながら言った。
その日僕らは4回セックスした。それは本当の意味で洗練されたコミュニケーションだ。
「海辺のカフカ」と月姫の共通点
○主人公が2重人格だ! 脳内に「カラスと呼ばれる少年」がいます。
○実は家は旧家だ! はっきりとはわかりませんがいわくのある金持ち一家であることは確か。
○しかも殺人衝動がある! 人に頼むくらいなら自分で父親を殺すとかいってます。
○ヒロインが最強レベルだ! 荒唐無稽な才能を秘めた人間として描写されています。
○妹がいる。ブラコン気味! 妹はいませんが姉がいます。主人公は姉の写真を持ち歩くシスコンです。
○メイドがいる場合もある ! 田村家にはお手伝いさんがいます。
○出合って即効コンビを組むことになる! 誰と言わず出合う人物みんなあっさりと相手をうけいれます。
○主人公が正義漢だ! ・・・かもしれません。
○トラブルがおきても「ほっておけない」と言い、首を突っ込む! 頼まれてもいないのにさくらの小汚い冷蔵庫を片付けます。
○そして自己犠牲もいとわない! 助かるはずもない美少女幽霊あいてに、彼女のために死んで記憶に残りたいとかぬかします。
○人外のものがいる! 幽霊だのカーネルサンダースだの白い変な怪物だの、もうわんさと。
○やたら裏設定が詳しい! この手のお話は裏設定が満載だと相場がきまってます。
○主人公の武器はナイフだ! 父親からぬすんだ皮剥ぎナイフで熊との戦闘にそなえます。
○一撃必殺系の攻撃がある! 一撃必殺の口説き文句が満載です。
○登場人物がやたら自分に酔っている! なにせ村上春樹の小説です、とだけ言えばもう十分でしょう。
○魔術が出てくる! 老人が傘をふりかざすと蛭が降ります。
○超能力も出てくる! ナカタは猫と話せます。
○言ってみれば伝奇モノだ。しかも新伝糸奇だ! もはや疑う余地も間違いありません。
以上のことから月姫のパクリであることが判明した「海辺のカフカ」が米誌で絶賛されて、
ますますノーベル文学賞に近づいた村上春樹の本スレもいよいよ八つ目!
というかね、村上春樹の小説は批評なんだよ。
>>985 批評というよりは、コマーシャリズムじゃない?
987 :
無名草子さん:05/02/26 20:24:33
>>977 >更新され創造される
いや、されていない。
模倣はされているかもしれないが。
オリジナリティの欠如した模倣が。
模倣と創造は全く相容れない存在。
988 :
無名草子さん:05/02/26 20:37:36
「村上春樹とエロゲー(ギャル?)」
とかいうスレ作ったら?
エロゲーを悪いとかは言わないけど、実際荒れるし。春樹嫌いならアンチスレ(まだある?)行くとかさ。
と春樹ヲタでもないが言ってみたりする
>>987 批評が模倣であるということ自体言わんとするところがわからないが、
すくなくとも模倣されるまでは「模倣されたもの」でありえないと言う意味で、
更新と創造をかねそなえる。
なにものかに模倣されてはじめてそれは「模倣されたもの」になる。
これを否定できなければきみの論は成立しない。
模倣されることによって作品が更新されないとしたら、
それは模倣されるまえから「模倣されたもの」になってしまっていることになるが、
どれほど予定調和的な見方をしてもそうであることには無理がある。
あなたの論の弱みは作家の主体を強調したいがために
作品をあまりにも個体としてとらえようとしすぎるところにある。
あらゆる言説はコンスタンティヴかつパフォーマティヴに読解され、
小説といえどもそうしたメタ視点の暴力から免れることができない、
ということを完全に無視している。
あと「模倣と創造は全く相容れない存在」という言葉は
「模倣と創造とは両立しえない」みたいな意味で受け取らざるをえないのですが、
アリストテレスやプラトンや「芸術家は神の猿」などと引くまでもなく、
それは荒唐無稽な電波になると思うのですが。
991 :
無名草子さん:05/02/26 22:51:16
>模倣されるまでは「模倣されたもの」でありえないと言う意味で、
更新と創造をかねそなえる。
日本語崩壊の兆し(・∀・)もっとガンガレ!今回は30点。
模倣と創造ねぇ。
ピアニストがいくらバッハの曲を弾こうが
それは創作とは言わんだろ。作品の創造とも違う。
批評は批評でしかありえんのだよ。
所詮オリジナルに含まれる存在ではない。
>>992 すくなくともピアニストAがバッハの曲を弾くことで、
バッハの曲は「ピアニストAに弾かれた曲」になる。これは認めるよね?
そしてその音楽はバッハのものであると同時にピアニストAのものでもある。
批評家Bに村上春樹の小説が批評されることによって、
村上春樹の小説は「批評家Bに批評された作品」になる。これも認めるはずです。
ということはすくなくとも批評は「批評でしかありえない」ということはないんです。
作品に関係する××が、
「××でしかありえない」ということはない、という態度を強調したいと私は言ってるんです。
批評に限定した話じゃありませんよ。
さらにいうとオリジナルに含まれるではなくオリジナルそのものがないと言っているの。
大きな物語こそがオリジナルであり、
作品はそれを象徴するものであったけれど、それがもうなくなっている、と。
994 :
無名草子さん:05/02/26 23:09:00
メタがコアに食い込もうとしても
それは無理だって事だね。
コアはコアで完結してるから。
995 :
無名草子さん:05/02/26 23:11:09
>ということはすくなくとも批評は「批評でしかありえない」ということはないんです。
どういう事だよw
批評が小説になるのかよw
話にならないな。
オリジナルがなくなってるのは
>>993の頭の中ではないのだろうか。
997 :
無名草子さん:05/02/26 23:15:24
>>996 自分に創造性がない人は
他人の創造性も認められないからね・・・。
作品においてコアなんて明確なものはないんです。
小説も「小説でしかありえない」わけではないんです。
批評家も小説家も、自分の仕事をすると同時に、
批評でもなければ小説でもない作品のデータベースをつくっているんです。
よく週間連載の漫画のあとがきなんかで、
「キャラクターはあなたの心の中で生きつづけるでしょう」みたいな
定型の文句がありますが、あれは真実ですよ、ってことです。
そんなのは綺麗事
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1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。