409 :
無名草子さん:2010/05/13(木) 00:13:53
小説太平洋戦争おもしろいよ
410 :
無名草子さん:2010/05/24(月) 18:56:03
>>80 今年の1月から毎月2巻ずつ新装版が出ていたので、買って読みました。
おもしろいですね。しかも奥の深い部分もあって、たいへん勉強になりました。
1冊が分厚いですが、没頭して1日で読み終えてしまいました。
411 :
無名草子さん:2010/05/25(火) 08:48:37
初心者丸出しの質問ですみません。
太平記は山岡氏のものと吉川氏のものではどっちが評価が高いの?
一般的な評でも皆さんの個人的な考えでも何でもいいので聞かせてください。
家康公は後家好み
山岡の太平記はなんというか、如何に後醍醐をスルーするかに限ると思う
天皇贔屓が激しい山岡にアクの強い後醍醐を書かせるとか、聖人家康以上の難物が生まれても不思議じゃない
楠木正成とか他の人物はいい感じなんだけどなあ
414 :
無名草子さん:2010/06/16(水) 02:32:58
「私は引き続き国対委員長に留任できるのしょうな」
「副党首への左遷です」
宇宙を愛情で貫くわが国対を明らかにしてきた報いがこれか!と、賢次はゾーッとした
>400
魚沼市出身なら、家康に逆らった同市出身の直江兼続の事も書いてやれば良かったのにorz
とにかく名誉市民の追贈、おめでとうございます。
山岡荘八歴史文庫全100巻読破した。
ベスト3は、
1. 小説太平洋戦争
2. 織田信長
3. 徳川家康
山岡版「織田信長」っておもしろいのか
「徳川家康」でかなりいいキャラだったからなあ
今度読んでみよう
>>416 すげえ!!!
昨年4月に大河「徳川家康」を見て感銘を受け、
今年の3月から小説「徳川家康」を読み始めて、今、第8巻。
ちなみに横山光輝画の漫画版「徳川家康」「織田信長」は読了。
漫画でもかなりタメになる。
それがしも100巻読破をめざしているでござるよ。
司馬史観より山岡史観だな。
age
420 :
無名草子さん:2010/07/26(月) 13:15:49
山岡荘八は、中国などの海外関係に全く手を出してないんだよな。
世界的な視点から英雄のあり方を考察し、世の中に対して多大なる利害を同時にもたらす
英雄的な要素が全く欠けている徳川家康を、泰平の礎となったことも認めつつ批判する
司馬史観への代替的な史観が、山岡本人の筆から十分には察知できない。
世界よりも日本、全体よりも個人に主眼を置いての創作活動であったため、
その方面においては究極を言ってるが(一人の男の一生を描くために文庫本26巻!)、
全世界の全体性などに関しては、山岡文学とはまた別の勉強が必要になると思う。
もちろん、それが司馬史観であるなどとは言わない。それならまだ「史記」でも読んだほうがいい。
>全世界の全体性
・・・・
422 :
無名草子さん:2010/07/26(月) 21:31:06
未だに版を重ねている超ロングセラーになっているのと、
お隣中国で受け入れられているのを考えると、
>>420のような意見はなるほどと思える部分もないわけではないが、
やはり少数派なのだろう。もちろん多数決で何かを決めるというわけではないけど。
個人的には、文学的にどうかというより、当時の経営者の虎の巻とされるほどに
大ヒットしたという事実を重く見たい。
自演くさ
424 :
無名草子さん:2010/07/27(火) 10:08:01
ぶっちゃけ、特攻隊員たちと同じだろう。山岡史観なるものは。
片道ぶんの燃料だけを積んで米艦隊に突入していった
特攻隊員の青年たちと同じ心境で、「徳川家康」も書かれたのだろう。
書き終わった原稿を空中観音にお供えしたともいうし。
全命運をかけて事を成す、執念のすさまじさは特筆に価するが、
その反面大局的な視野は欠けており、善くも悪しくも
全体を俯瞰してものを言うような嫌らしさが皆無。
それでも「リーダー虎の巻」などと評価されるのは、
描写した相手が「徳川家康」だったから。最終勝利者であり、
謀将中の謀将でもあった家康を、特攻隊従軍記者だった山岡が描いた。
司馬などにとって、徳川家康の腹黒さが鼻に付くのは、司馬自身もまた
家康のような腹黒さを少なからず持っていたからで、本人自身は純朴
だった山岡だからこそ、徳川家康なる人物を描ききることができた。
下手に登場人物に感情移入したりせず、司馬遷のようないち記録者に
徹しているという点では、むしろ司馬遼よりも山岡のほうが司馬遷寄りであり、
そこに独特の史観なるものはないのであり、もしも独特さを感じるのなら、
それは登場人物の意見なのであり、山岡の意見というわけではない。
425 :
無名草子さん:2010/07/28(水) 07:57:37
>>424さんのレスは山岡文庫100巻を全部読んでの感想ですか?
それとも一部を読んで?あるいは周囲の評判を見てですか?
特攻隊員の心境って具体的に何?
426 :
無名草子さん:2010/08/01(日) 23:27:45
山岡史観が最高
家康を全巻読んだけど、この人の書く家康はきれいな家康だな
狸じじいのイメージはまったくなかったわ
そうか?
ネチネチと説教臭い感じは十分に出てたと思うが。
「及ばざるは過ぎたるより優れり(by家康)」
武勇では信長に及ばず、富貴では秀吉に及ばなかった自分を
「及ばざる者」とした上で擁護する、一癖も二癖もある言行の数々。
むしろ、その発言にてんてこ舞いさせられている若手の
家臣あたりのほうが、作者自身も感情移入しているように思う。
決して家康自身に作者の意見を代弁させているのではなく、
歴史上の家康を復元して浮かび上がらせる、模型感覚で描かれている。
史記や日本書紀のような正史を読むと、このような人物の描き方
のほうが、かえって歴史書として正統な描き方であることが分かる。
429 :
無名草子さん:2010/08/02(月) 14:44:43
少なくとも家康を「陰湿な性格」とか個人的な好みで決めつける司馬よりはずっといいね。
実在上の家康を忠実に再現するように努めた結果、
さほど陰湿でもないように思われたのならそうだろうし、
やっぱり腹黒いと思うのならそうだろう。
人間ってのは多面的な生き物で、
いち小説家の偏見などで説明しきれるものではないから。
俺も司馬版家康より、山岡版家康のほうが好きだよ
司馬は最初に家康=陰険と頭から決め付けて、それぞれのイベントで
「こう考え、行動した。なぜなら陰険だから」という進行の仕方だけど
山岡の家康はそれぞれのイベントで家康自身が考えて行動している
その集積で家康の人物像が浮かび上がってくる
関が原までの家康はすごい人物なんだと思うんだが、その後の大阪の陣のやり方を見たら、なんとか豊臣家を一大名として家名を残してあげる方法はなかったかなと思う
秀吉は主家の織田家の家名は残してるから、どうしても比べてしまう
天下人として圧倒的な権力・権威があったんだから、豊臣方に不満があっても強引に転封してそこから力をそぐようにしていく方法は無理だったのかな?
433 :
無名草子さん:2010/08/03(火) 21:33:06
あくまでも小説だという事をお忘れなく
435 :
無名草子さん:2010/08/04(水) 08:03:53
436 :
無名草子さん:2010/08/07(土) 22:27:21
日本一の歴史小説家=山岡荘八
日本一の時代小説家=池波正太郎
日本一の歴史時代小説家=吉川英治
437 :
無名草子さん:2010/08/08(日) 17:53:37
司馬は?
藤沢は?
440 :
無名草子さん:2010/08/08(日) 20:05:22
『徳川家康』によく出てくる表現
・小手をかざして
・小首を傾げた
・ポンと膝を叩いた
・虚空を睨んだ/つかんだ
・乳色
小説太平洋戦争
黄色い少年達が横暴な白人に何ちゃらとか
気色悪い表現がありすぎて
2巻で挫折したわ
442 :
無名草子さん:2010/08/11(水) 18:14:34
>>392 遅レスだけど、それはどういう意味ですか?
本人が史実に拘らぬ小説家って言ってんだから、史観だ歴史だなんて言うのはお門違いだろう。
家康を徹底的に善人にしたのもこれはこれって態度を取っている。作中で人の視点の自由さを何べんも語っているぐらいだから、小説は変に拘らず気楽に読め。
敢えて山岡の作風を述べるなら、人物から距離を置いて中立を気取ることなく、むしろ一人一人の内面に近づこうとすることで、一片の真実を見出だそうとするって感じだが。徳川斉昭をただの夷人嫌いにしないのも珍しい。
歴史小説ってのは、時代小説ほどにはフィクションを踏まえることなく
史実に忠実である小説のことだが。山岡は歴史小説家で、その文庫は歴史文庫。
445 :
無名草子さん:2010/08/20(金) 01:52:50
民主党随一の麒麟児山岡賢次は今でこそ副代表であるが、宇宙の原理を貫くわが国体を表す国体委員長として復帰が求められると、タルトコはゾーッとした
史実に無ければ書けない、という訳ではないのが歴史小説家と言ってるだけだ。
史実の隙間にフィクションを巡らせている。その史実とフィクションの混合体を、極端に肯定する必要も否定する必要もないだろう。所詮は小説。ただ好きか嫌いかでいい。
歴史なんてものはただでさえ通説が揺らいでいるんだから切りがない。
447 :
無名草子さん:2010/08/21(土) 10:00:34
山岡が歴史文庫で書いてるのは主に、誰でも知ってるような最高権力者などの、誰しもの認識が一致している範囲内の史実だ。
「本能寺の変は秀吉か家康の陰謀だった」などというような憶測もあえて踏まえずに、最大公約数的な歴史のみを描いている。
その中に多少は創作の小話も踏まえることで、小説ではない完全な歴史書よりは多少読みやすくなるように便宜を図っている。
憶測と真実の入り混じる陰謀論などは、中国にも倣って、「日本書紀」から「徳川実紀」までの正史を編纂してきた日本などにおいて、
全く存在しないことはないにしても、その勢力の占める割合が極めて小さい。だいたい正史99:陰謀1程度の割合。
これが西洋史だと正史50:陰謀50ぐらいになって、その西洋史を含む世界史全体における陰謀論の占める割合も未だ大きいが、
ことに中国や日本などの、正史によって国全体の歴史を詳らかにして、権力犯罪者の陰謀を総力を挙げて排除してきた社会
においては、陰謀が全く存在しないとまではいかないにしろ、暴対法で締め出すヤクザほどにも、十分に村八分が行き届いている。
その「正史立国」である日本の、最大公約数的な歴史のみを小説化した山岡の歴史文庫にも、不埒な憶測などは一切なく、
それでも十分に読んで面白い。それどころか、作者の憶測などをまじえる場合以上にも遥かに面白い。実際の社会を責任を持って
営んできた実在の権力者の最善策のほうが、書斎で適当な妄想を膨らませてるだけの小説家の小細工などよりも、
実際の社会に適用してよりよい結果が得られるのはもちろんのこと、小説として読む上でも変な遊びがなくて、より面白い。
「義経が落ち延びてチンギスハーンになった」とか、「弘法大師はまだ生きている」とか、
誰も本気で信じてない範囲での憶測は、日本史にも結構ある。
でも、「近代初期のヨーロッパを本当に操っていたのはゲーテやトルストイで、
ナポレオンなどは傀儡に過ぎない」などとなると、冗談にもならないところがある。
大っぴらに公表できない「史実上の陰謀」が多すぎて、正史を書くどころの話じゃない。
449 :
無名草子さん:2010/08/21(土) 10:50:25
何が言いたいかよく分からんが、取りあえず異本太閤記の光秀生存、伊達政宗のスペイン援軍を最大公約数とするのもいかがなものか。
家康だってかつての固定概念からすれば中々異色な部類だし、そもそもこの小説の目的は本人曰く理想小説だろ。そんな正史だとか真実だとかを全面に押し出したものじゃないって
何が言いたいのかも分からないのに、反論するな。
451 :
無名草子さん:2010/08/21(土) 11:40:00
家康への悪評も、統幕によって政権を握った、元反幕勢力の薩長によって拵えられたものじゃないか。
その、明治から戦前にかけての反幕プロパガンダが解けたから、元の評価に戻っただけの話。
小説の「徳川家康」における家康の言行も、大筋のところは「徳川実紀」の東照宮御実紀にほぼそのまま即している。
史実からすら目を背けたプロパガンダが横行しているのは、まだ正史も書かれていない近代以降だけのことだ。
こんなことを論ずる以前に、相手の話をろくに理解もせずに、自分の意見だけを述べ立てること自体が
物事の論じ方として誤っている。たとえ自分の意見のほうが正しくて、相手の意見のほうが間違っていようとも。
分からないことが多いから疑問を呈しているんだが
自分の意見ばかりというが、歴史のみを小説化とか突飛すぎで簡単に受け取れるか。雑多な掲示板なんだから適当に語らせろ
小説家山岡荘八は、時にいくつもの疑問を歴史の中にフィクションや空想を持ち込む事で問いかけようとしているし、一方で光秀が実は生きていてフィクサーになると言った娯楽色の強い話も書く。
作風の違いや知識の差はあるだろうが、他の作家と土台が違うとは思わない。誰もそういう作品でない限り、敢えて歴史の根幹を歪めようとはしないだろう。
家康の評価は確かに江戸明治にマルクス史観を加えて何転もしている。
ただ、それを誰しもの認識が一致している範囲内での史実というのは言い切りすぎだっただろ。
徳川家康の感想で家康が善人過ぎるという声は少なくないし、春の坂道では役者達に大坂の陣の背景を説明するので苦労している。
作者からして、テーマを仮託するために家康を選んだだけで、全貌を書き出すに程遠いのは家康に申し訳無いとしているんだから、最大公約数なんて表現は遠い様に思う。
相手の言ってることを十分に消化もしきらないままに自分の意見ばっか述べ立てるんじゃ、
同意も訂正の余地もありゃしない。初めから進展の見込みのない議論のための議論、
ディベートのためのディベートに溺れてることを宣言して憚らないんじゃ、その議論には微塵の価値もない。
454 :
無名草子さん:2010/08/21(土) 18:29:34
仮に、相手の言ってる10のことのうちの3が分かって、残りの7が分からなかったとしよう。
そのクセして自分が分かる3つのことに、10も20もの反論を加えたとする。
そしたら相手はまた1つのことに対して10の答えを返す。10×10〜20=100〜200で、
10のうちですら3しか分からなかったところに、さらに100も200もの意見が返される、
そんなものを絶対に理解できるわけがなく、相手の言うことがほとんど何も分からないままに、
ただ自分のほうで適当な論弁を捏造して、相手への反論としても空振りに終わるようになる。
相手が10のことを言ったなら、自分もそれを全て理解した上で、相手が言った1つのことに対して
1つの応答をするようにする。そしたら相手への応答は10に対して10になり、議論が無闇に
肥大化して、意見の応酬が空振りし始めたりすることもない。もしも10の意見に対して10の応答を
するのが億劫だったとしても、応答をするのなら相手が言った10のことを全て理解しておくべきで、
その上で1つや2つのことに対して、1つや2つ程度の応答をせねばならない。10のうち3のことしか
理解できなくて、3のことだけに対して応答したとしても、残りの7にそれらへの解答は用意されて
いたりする。だから相手の言うことを10のうち10まで理解できないのなら、1つだって応答すべきでない。
455 :
無名草子さん:2010/08/21(土) 18:49:44
相手の言うことも分からないままに議論なんかしようとしたら、その議論は必ず「ハウリング」する。
分からないところにさらに自己意見を加えて、さらにさらに分からなくなる。
答えを欲するどころか、疑問の増大を欲している。まさに自分自身の自業自得によって。
どう考えたって、糞喰らいだ。
徳川家康も林羅山に講義させていた「論語」の公冶長第五では、
孔子の弟子の中でも最も優秀とされた顔回が「一を聞いて十を知る」とされ、
それに対して別の弟子の子貢が「私などは一を聞いて二を知る程度です」と謙遜するエピソードがある。
一を聞いて十や二を知るのなら、十を聞けば百や二十をも知るだろう。
別に不世出の天才といわれた顔回のように百までをも知らずとも、
二十を知るだけの子貢でも十分に優れている。
顔回の凄さばかりが取り沙汰されるエピソードだが、
十を聞いて三も知れないようなままに議論を行おうとする現代の世情からすれば、
この話全体が「人の話はよく聞いて消化しなければならない」という教訓になっている。
山岡の小説と同じでよくわからん遣り取りだな
山岡の構文は、善くも悪しくもガチガチだからな。
あの文体で私小説なんかを書けば、地方の町おこし文学賞だって通らんよ。