【現代人の論語】呉智英スレ8【黙示録的論語】

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930呉智英
ハンジョーの活動をふりかえって (1/2)
 私は、商賣(しょうこ)(商買と誤植しないこと。意味は近いけれど)の道に
眛(くら)い(味と誤植しないこと。意味が全くちがってしまう)。私が何故、
商賈の道に眛いかというと、それは、私が士族(土族と誤植しないこと。無礼
である)だからである。現に、私の曾祖父・呉直三郎経律(つねのり)(誤植し
てもかまわない。特に有名人ではないから)は、明治反革命で失業し、やむを
えず米屋を始めたが、信頼していた使用人(便用人と誤植しないこと。たしか
にクソのような奴ではあるが)に金を持ち逃げされ、三日で倒産した。士族の
商法とはよくいったものである。子孫の私も、原稿料の出ないこんな原稿を一
生懸命に書いている。
 一方、私の友人である、平氏南伸坊、同末井昭、僧侶(但、ホッケ)上杉清
文、同(同)鈴木祐弘、伶人(わざおぎ)巻上公一らは、商賈の道に明るいらし
く、総合商社ハンジョーを始めた。ハンジョーというのは、英語に造詣(ぞう
けい)(ぞうしと語ルビしないこと。私は上野昂志ではないから。また、上野
昂志を上昇志向と誤植しないこと。失礼になるから)の深い糸井重里がつけた
社名で、Hand−Joeと書くそうだから「手錠」というような意味になろ
うか。私は、初めHand−Jewかと思っていたが、ちがっていた。国際ユ
ダヤ資本を向こうにまわして一大商戦を展開し、大もうけをしようというわけ
ではないようだ。
 ハンジョーが今までやってきたことといえば、映画会やら音楽会やらで、も
うけとはほど遠いというのが実情だろう。その映画会にも音楽会にも、私は招
待してもらっているが、会費を取られたことはない。お武家様はタダでござい
ますだ、ということかもしれないが、どうせ四民平等の世の中になってしまっ
ているのだから、いつまでも武家扱いにしてもらっても、かえって気づまりで
ある。気兼ねなどいらぬ故、いくらいくら要るとはっきり言って、帳面につけ
ておくなりしなさい。秩祿債券の配当金が入った時にでも、まとめて払う所存
である。苦しうない。