多重債務、サラ金、泣く家族…。
実録ノンフィクション多重債務者物語。
消費者金融勤務の人、多重債務者に苦悩する家族に
好評の下層民の経済書です。
(せっかくなので本好きの方に立ち向かってみようと
思い書き込みました)
自らの期間工体験、日本の金銭教育の問題、司法の実態、
黙殺するメディアなども描いています。
読みやすいようレイアウトしてますので
暇つぶしにどうそよろしくです。
http://saimmer.24.dtiblog.com
596 :
無名草子さん:2009/02/08(日) 08:37:29
「はねるのトびら」はチャイナ系
「責任に時効なし」
小説の体裁をとっているが中身はほぼノンフィクション
カネボウが粉飾の泥沼に落ちていくさまを興味深く読んだ
598 :
無名草子さん:2009/02/15(日) 08:07:18
高杉良『大逆転! 小説三菱・第一銀行合併事件』講談社文庫
江羽戸哲夫『企業の闇に棲む男』講談社文庫
巨万の富w
佐高信をはじめ何人かの評論家は、経済小説なるものを異常に高く評価している。
城山三郎にはじまり、清水一行や高杉良あるいは幸田真音とかの類。
企業に生きる人間を捉えずして、現在の人間や社会の本質を捉えることなどできない、なのに、
文学界での経済小説・企業小説の地位は不当に低く見られている。「私小説」中心の日本の文学界では
経済音痴の批評家ばかりだから、経済小説や企業小説を正当に評価する声がないのだ、と。
そして、それは批評家や読書人の社会に対する視野が狭く、それゆえ個人的な殻に閉じこもってしまう傾向に
あることに由来する、と。
今の日本で、経済小説や企業小説がその売れ行きとは無関係に、文学界での地位が低い理由は、単純に
その作品の質が低いからである。
佐高氏が『経済小説の読み方』で紹介している小説やその他話題になっている
経済小説ないし企業小説をも読んできたが、正直上質と呼べるものはなかった。
少なくとも私の視点からであるという限定付ではあるが。
舞台を企業社会における男性サラリーマンの姿においたというだけであって、彼らの行動類型についての
情報なりが触れられたとしても、それだけなら単に情報を提供したという範囲を出るものではないだろう。
サラリーマンを慰撫したいのか、話の途中で挿入される恋愛描写も陳腐な表現で描かれた三文芝居の域を出ない。
早い話が、頻繁に放映される暇つぶしのための2時間サスペンスドラマとさしたる違いのないただ読み捨てられていく
チープな消費財でしかない。「男のロマン」だの何だのは、サラリーマンの自己正当化のための媚薬であるというわけだ。
それが悪いとは言わない。西村京太郎の小説が量産されつづけているように。
題材を企業社会におけばそれで視野が開かれたといえるのかがそもそも怪しいのである。
一個のコップを語り描写するだけで小説は成立しうるし、それでいて企業社会における男性サラリーマンの
姿を描くよりもずっと人間や社会を描写することさえ可能。
視野も、今の経済小説の方が救いがたく視野狭窄で盲目的かつ凡庸である。
何も佐高信の悪口を言いたいわけではないが、経済小説なるものを過剰に褒め称え、
純文学等に対してさして読みもしないでいい加減な批判をしている代表的人物が
佐高信なので、この際、はっきりと彼の誤りを指摘しておくのも不毛なことではないと
思われる。
佐高は、高杉良と頻繁に対談をし、対談集まで出版しているし、『経済小説の読み方』
その他経済小説を紹介する著書において高杉の作品を紹介しているだけでなく、
『高杉良の世界』なる著作まで出している。
ただ、彼の解説なり評論は、言葉で表現された芸術(作品)である小説に対する批評には
なりえていないのである。
彼は、経済小説を称揚する際に盛んに、経済小説は純文学と違って社会に発生する事実
(企業社会という特殊な経済現象の一つ)を丹念に取材した上で成立するリアリティに
富んだ小説になっているがゆえに現在の社会と人間の本質を捉えることに成功している
という点を強調する。
そこで問われているリアリティなるものの内実・程度・根拠についてはさしあたり追及
しないでおこう。
問題は、事実の調査に基づいたリアリティに富んだことを強調しておきながら、誰もが
さして努力せずとも了解している基本的事実すら弁えていない点にある。
佐高信は、高杉良との対談において、『ボヴァリー夫人』がバルザックによりなるもの
とばかり思い込んでしたり顔で対談で持ち出している。
もちろん『ボヴァリー夫人』の著者は、ギュスターヴ・フローベールである。
読書人を自称するのだから当然読んでいるだろうし、いい間違いでない以外で著者を
間違えるようなことはないはず。
しかし、彼はバルザック、バルザックと言って憚らない。
それだけにとどまらず、半ば一人歩きしているといえる”Madame Bovary, c'est moi”
「ボヴァリー夫人とは私のことだ」とのフローベールの言葉も、まったく履き違えて
捉えている。
『ボヴァリー夫人』の著者すらフローベールではなくバルザックと言っているぐらいだから、
当然といえば当然の誤りかもしれない。
しかし、この程度の常識を弁えてもいない者が、経済小説を称揚する際にその対比として持ち
出される純文学を批判する口実として主張する、私小説に偏りすぎているとの批判が一体どの程度の
認識に基づいてなされたのか、彼の言説の底の浅さが露呈してしまいはしないかと他人ながら心配して
しまうほどである。
フローベールの上記言説は、佐高がこれまた批判の対象にしていた(もちろんその中心ではないにせよ)
小林秀雄の『私小説論』ですでに触れられているのである。
小林は、当然にフローベールが近代小説の祖というべき立場にたち、一見私小説的とはいえない
『ボヴァリー夫人』の著者たるフローベールの上記表現にあらわれた等式の意味を指摘していた。
小林の論敵(?)というべきか、その立場を異にし、佐高が口角泡を飛ばして罵倒する宮本顕治ですら
弁えていたことである。
このことからも、佐高信の経済小説論が如何に稚拙で(論ばかりでなく、褒め称える経済小説も当然ながら
稚拙きわめる)、それが如何に無知から由来しているのかが了解されるだろう。
602 :
無名草子さん:2009/03/11(水) 18:00:11
ましなのはどれ?
603 :
無名草子さん:2009/03/11(水) 21:43:32
出井と桂由美の破廉恥恋愛にワロタ
再び佐高信への批判になってしまうのが悲しいところだが、佐高は、ことあるごとに
三島由紀夫に対する無理解からくる罵倒を弄している。
もちろん、三島文学を神棚に奉じて批判を許すべからざるものとする態度は、批評以前
の問題であるが、佐高の批判は批評にすらなっていない点が問題なのである。
さすがに、『金閣寺』や『近代能楽集』についての罵倒は見られないが、城山三郎との対談
にて『絹と明察』について悪口雑言を尽くして罵倒している。
確かに、『絹と明察』は三島由紀夫の文学の中でも異例の作品で、一見したところ”社会派”
(実のところ、この”社会派”とは何の意味か未だに不明なのだが)である『絹と明察』に
対する城山三郎の否定的評価に対する三島の怒りを導入として、三島由紀夫の『絹と明察』に
佐高が罵詈雑言を投げつけるという文章の流れになっている。
いわく、「タイトルからして焦点の定まらない『絹と明察』(新潮文庫)は、いま読み返しても
安手な探偵小説、もしくは薄っぺらな事件小説といった印象しか受けないが」、と。
「誰が主人公なのかも不明で、「眼高手低」ならぬ「眼低手高」のこの作品について」
「主人公とされる駒沢善次郎のモデルは近江絹糸の社長だった夏川だが、何の魅力も伝わって
こないのである」。
あとは例の如く醜聞めいたことを連ねて批判するという格好である。
城山の三島に対する批判の要諦は、「社会が描かれていない社会小説」との題名のままである。
この作品で三島が、城山や佐高のいう”社会”とやらを描こうとしたのか、様々な媒体での三島
の言を読んでも詳らかにはわからない。少なくとも”日本的父性”の問題を自らの問いとして抱え、
これまでに三島が表現してこなかった題材を使用しながら描出した作品である。
それがいわゆる”社会派”ないし”社会小説”であると否かなど、どうでもいい話である。
もっとも、私自身もこの作品は三島の代表作の一つである『金閣寺』とは明らかに水準を異にする
とは思う。佐高の評価とは別の理由で。
佐高は、この題名そのものが「焦点の定まらない」としているが、一体どうしたらよかったというのか。
まさか『小説近江絹糸』でもしろというのだろうか。この種の題名は、『小説日本銀行』やら
『小説日本興業銀行』やらの作者に任せておけばよかろう。
「誰が主人公か」不明だというが、小説に主人公なるものが必要不可欠であるというのだろうか。
だとすれば、一人称で書かれる小説は小説ではないということになるが、それは小説として流通している
ものの総体を見誤った戯言ではないか。
フランスのヌーボー・ロマンなどどう考えればいいというのか。
アラン・ロブ・グリエの『去年マリエンバートで』の主人公って、一体誰をもってくればいいのか。
あるいは、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』の主人公は?
埴谷雄高の『死霊』は、一応三輪與志ということになろうが、いわゆる主人公というに相応しい扱いが
なされているとまでは言いがたい。そもそも”虚体”をめぐるものなのだから、主人公も何もあるまい。
佐高信の主張とは正反対に、いわゆる経済小説とカテゴライズされてきた小説に、
相応の水準を誇るものは皆無に近いというのが現状である。
佐高が尊敬してやまない城山三郎にしても然り、ましてや佐高とお友達の高杉良に
至っては論外もいいところである。幸田真音に触れる必要もないだろう。
それゆえ、「城山三郎経済小説大賞」の審査を考えると寒々しい光景が眼前に拡がるばかり。
しいて経済小説として最も優れたものの一つとして挙げようと思うのが、
谷崎潤一郎『細雪』である。
この作品が経済小説?と思われる向きもあろうかと想像する。
なるほど、この作品は俗に「現代版源氏物語」とも称されるとおり、関西上流階級の
一家である蒔岡家の姉妹の生活を淡々と描いて、いわゆる経済小説とは似ても似つかぬ
文学であると思われるだろう。昭和10年代の阪神間に住むブルジョア階級の典雅な生活・風俗が
絵巻物のように描かれていくばかりで、政治経済的な”大事件”は直接には描かれてはない。
阪神大水害であったり、東京での台風被害であったりと自然の猛威を前に
為す術なく呆然と事態をやり過ごすしかない儚い人間どもの生態が描写されているにすぎない。
あとは、婚約話であったり、蛍狩り、平安神宮でのお花見、奈良への旅行、お稽古事のお師匠さんの
死であったり、あるいは鯖の寿司を食したせいで赤痢に罹患したり、日常に起こりうる個人的事件の
逐次的継起がさしたる内面描写もなく、むしろ滑稽に描いている。谷崎は内面なるものへの疑念を持って
いたがゆえに、私小説的描写をこの『細雪』をはじめとして『吉野葛』なり『蘆刈』なりでも排除している。
その試みは、近代に背を向けたアンチモダンな作風をかもし出しているかに見えるが、逆説的ながら、
意識的な文体上の工夫を凝らしてある種の実験をしていたという意味で、驚くほどモダンな振る舞いで
あったというべきだろう。それゆえ、『細雪』は「現代版源氏物語」ではなく、最も完成された近代小説に
なりおせているともいえるのである。
さて、何ゆえ『細雪』が経済小説としても読め、かつ最も優れた経済小説であるといえるのか?
『細雪』は、大阪船場の徳川の世から連綿と続く老舗問屋蒔岡家を舞台としている。
昭和10年代といえば、軍国主義の風潮が徐々に社会を覆い始め、戦争のきな臭さが漂い、その影がしのびよる
のを否定しきれなくなった時期に照応する。
にもかかわらず、谷崎は、そのような世相を直接反映させた野暮な表現は一切とらなかった。
戦争などあたかもないように、ただひたすら淡々と蒔岡家四姉妹の生活を主として
雪子の視点から描いていくのである。それこそ、古今集の昔から延々と繰り返し桜の歌が
何百首何千首と詠みつがれてきたように、毎年恒例のお花見、蛍狩りなどの行事を繰り返していく。
そうした中、出入りの写真屋で四女妙子と恋仲になる板倉が中耳炎の手術の失敗のためか、
突如死を迎えることになる。
この唐突な中耳炎がもとでの死という出来事が、これまで進んできた”物語”に亀裂を生じさせる
ように不意に出来する。その伏線は、そのような言葉を言いそうにもない雪子の「うち、板倉みたいなもん、
弟にもつのかなわんわ」という言葉。この瞬間、淡々と進む”物語”の亀裂を生じさせる微妙な細部が
差異として穿たれる。蒔岡家の令嬢とそこに出入りする板倉との階級関係が露呈される。
関東大震災後に、一種の亡命として芦屋に移住してきた谷崎は、大正デモクラシー期の大衆化を東京で経験
したその先に、近代における階級(ブルジョア階級)を徳川期から続くブルジョア一家とその周囲の者との関係を
通して婉曲的に表現することで、近代社会の出現を露呈させているのである。
608 :
無名草子さん:2009/03/12(木) 12:02:29
高杉良の呪縛はいいぞ。
経済小説は男のロマンが必要。男のロマン、不倫の恋愛とか人間の本質が浮き彫りにされてるよ。
鯖寿司食って腹こわしたとか全然ロマンがない。
グローバリズム出づる処の殺人者より
グローバリズム出づる処、インド、バンガロール。ひとりの起業家が、書を民主主義が没する処の天子温家宝に致す。「拝啓中国首相殿、あなたに真の起業家精神を教えましょう。主人を殺して成功した、このわたしの物語を」
IT産業の中心地から送った中国首相への手紙は殺人の告白であった―。ブッカー賞受賞作。
アディガ,アラヴィンド
1974年、マドラス生まれ。現在ムンバイ在住。コロンビア大学のコロンビア・カレッジで英文学を学んだのち、経済ジャーナリストとしてのキャリアを開始。
フィナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルなどに寄稿し、南アジア特派員としてタイムに勤務する。はじめての小説作品である『グローバリズム出づる処の殺人者より』で、2008年度のブッカー賞を受賞した
高杉良の『呪縛 金融腐蝕列島U』は既に読んでいる。
相変わらずの下らない「小説」であった。何より、小説である必然性が微塵もない
ことが驚きである。高杉の「小説」全般に言えることだが、この人は小説を書くという
ことの自覚を欠き、単に調査した事実を元に、ある経済的諸事象を舞台として「男の
ロマン」とやらを称揚したいがために、安手の物語を展開してみせることが小説である
とばかりに勘違いしているのではあるまいか。
この種の「小説」に対して金井美恵子ならどう応ずるか見てみたい気もしないではないが、
それはともかく、絶大な権力を誇る取締役相談役の支配する銀行の総会屋への不正融資問題に
端を発する不祥事で、検察による強制捜査を招き、ついには銀行幹部の何人かが商法(現在では
「会社法」ということになろうが)違反の被疑事実で逮捕されるに至り、当該銀行が大混乱。
現状を是としない中堅幹部4人(高杉は「ミドル」という言葉がお好きなようなので、ここでは
ミドルと称しておこう)が立ち上がり、銀行の内部改革を断行すべく調査委員会を発足させ、聞き取り調査
に奔走する。総会屋集団との決別をうたい、時には危害を加えながらも、臆することなく改革に向けて
突っ走る。ついには取締役相談役を退きつつも最高顧問として銀行に居座り続けるミドルの1人の義父と対決
する。
要するに、ある人物がヒロイックに活躍する危機と再生・復活の物語というわけである。
何をテーマに、どこを舞台にするかは、自由。
しかし、この種の「小説」にありがちなヒロイックな物語をなぞるだけで、小説として書かれる意味はなお不明
である。物語だけ聞きたければ、そのあらすじだけなぞっておけばそれでよろしい。
そこで「男のロマン」とやらを感じて涙を流すもよし、義憤にかられるのもよし。
ただ、この「男のロマン」とやらが、駄目サラリーマンのちんけな欲望を慰撫するために予め捏造された安手の
イデオロギーであることにどこまで自覚的であるのか、高杉の「小説」からはその視点は微塵もない。
時代や社会、そしてそこにおける人間の実相を浮かび上がらせる小説だの何だのという言説とは正反対に、
それこそ”時代感覚”を欠落させていはしまいかというのが正直な感想である。
書かれた文字が、それが展開していく物語の内部にその物語に還元しえないような思わぬ細部をも抱懐し、
ともすれば物語自身を解体せしめるやもしれぬ言葉自体の持つ緊張が、文章において何ら生きていないのであって、
これでは何ゆえに小説であるのか、その必然性が全く見えてこないのである。
小説という表現形式は、大昔から存在したわけではないし、未来にも存続しうるのかも疑わしい、近代社会の中で
一定の条件を充足した社会において成立しえた特殊な表象形態である。
そのことに無自覚な「小説」が、やれ企業社会における人間と社会の本質を浮き彫りにするなどともてはやされようと、
その言葉は陳腐な掛け声にすぎないだろう。まったく人間やら社会やらも描かれていないのである。
ただ単に、作者の観念するイメージを流通させて、駆動する物語を再生させ、その不自由さに無自覚なまま安手のイデオロギー
の機能に加担しているだけなのだ。
612 :
無名草子さん:2009/03/12(木) 21:30:39
出井と桂由美の破廉恥恋愛!!記念!!
ソニー×セイコーエプソンのコラボパネル〜〜〜〜〜〜〜
独断と偏見で選ぶ”経済小説”ベスト10
@トルストイ『にせ利札』
Aドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
Bジュネ『泥棒日記』
C谷崎潤一郎『細雪』
D夏目漱石『道草』
Eバルザック『ゴリオ爺さん』
F長塚節『土』
G大岡昇平『酸素』
H志賀直哉『清兵衛と瓢箪』
I横光利一『機械』
614 :
無名草子さん:2009/03/14(土) 07:41:33
経済対策有識者に選ばれなかった、、、出井
615 :
無名草子さん:2009/03/17(火) 21:24:22
経済小説は総じて下らん。以上!
616 :
無名草子さん:2009/03/19(木) 17:49:25
ダイヤモンド社に期待
617 :
無名草子さん:2009/03/19(木) 17:52:18
ソニー本社6階
618 :
無名草子さん:2009/04/02(木) 14:45:21
age
619 :
無名草子さん:2009/04/02(木) 14:54:22
島工作みたいな小説はいらん
620 :
無名草子さん:2009/04/04(土) 00:35:30
サラリーマン金太郎と島耕作の中間が高杉良。つまり、
(サラ金+島)÷2=高杉
賞金狙いなら、城山三郎経済小説大賞は狙いどころ。
なんせ、副賞300万円だから。もちろん出版される。
応募総数は100点もいかないそうな。
審査員は、安土敏・幸田真音・佐高信・高杉良。
この連中に好まれそうな単純な小説を書いて送れば十分可能性があるよ。
ただし、題名には注意した方がいいようだ。選評でも書かれていたが、
題名が何をテーマにしているかわからないものは気に入られないようだ。
特に高杉あたりが執拗に拘る。不撓不屈、燃ゆるとき、懲戒解雇、金融腐蝕列島シリーズ
とかが参考ね。ドラマとドキュメンタリー性がいるみたい。
間違っても純文学作品を出してはダメ。
>>613の小説は小説としてはレベルが高くても
この審査員じゃ評価されない可能性大。
622 :
無名草子さん:2009/04/12(日) 12:12:13
age
623 :
無名草子さん:2009/04/13(月) 09:20:22
>>616 志摩峻「マネーロンダリング・ビジネス」(ダイヤモンド社)
ツマラン!
624 :
無名草子さん:2009/05/23(土) 20:50:13
レッドゾーン期待age
625 :
無名草子さん:2009/05/24(日) 22:10:46
黒木亮の『エネルギー』なかなか面白かったよ。
626 :
無名草子さん:2009/08/03(月) 01:37:04
池井戸潤もここでいいのでしょうか。
経済小説というよりミステリ寄りだと思うんですが、ミステリ板にスレがなかったので……
「銀行総務特命」を読みました。銀行版相棒みたいな感じ。
本当にああいう部署があるのかどうか。
627 :
無名草子さん:2009/08/17(月) 15:34:03
あけ
江上剛「不当買収」読んだけど、文章が厨房っぽくてげんなりした。
生き馬の目を抜くような世界で愛とか友情とかいわれても。
他のもこんな感じなのか?
俺正直馬鹿かもしんない。
けど会計士なりたい気持ち誰よりもある。
去年の今頃は簿記3級も理解できなかった。
仕分けの時
左、増える、右、減る。
そんだけ。
けど俺変わったよね。なんでかって?
クラスのマブい女が会計士目指すとか言うの。
黒髪で清楚な女。はっきり言ってうんこ色した髪のやつとは世界が違うわけ。
そいつ商業高校から来たから簿記めっちゃできんの。
俺普通科だったから正直簿記って大学まで言葉知らなかった。
けどそいつと同じこと考えたいからこう言ったわけ
会計士、俺もやる
そんだけ。あとは自分のポリシーの問題。好きな女の前では恥かきたくないから必死こいてやんの。
予備校はもちろんそいつと同じTAC。
けどそいつ10年目標なわけ。俺11年。教室違うんじゃ意味ない。
だからそいつに追いつくために必死こいて徹夜でしゃかりき電卓たたくわけ
要は気持ちの問題なんだよ。ハートで汗をかく。
監査ってもんは現場で肌で感じなきゃだめなんだ。テキストで勉強、これ意味ない。
ここにいる奴らは会計士なりたいだけ。けど俺は違う。会計士受かる、女に告る。
人生掛けて家族つくんの、正直そこらへんのおぼっちゃまとはモチベーションが違うの。
まぁそんな感じでヨロシク!
コンサルタントの三枝さんの本はこのジャンルに入りますか?
ビジネス色が強すぎるかしらん
631 :
無名草子さん:2009/09/03(木) 03:50:34
黒木亮「カラ売り屋」「リストラ屋」→幸田真音「舶来屋」
真山仁「ハゲタカ「バイアウト」(ハゲタカUに改題)→幸田真音「バイアウト」
幸田真音って他人の作品のタイトルを真似る習性があるのか?
バイアウトなんてありがちなタイトルではあるがいかにも便乗したって感じだったわ。
>>631 「eの悲劇」ってのも出してなかったっけ。
ミステリにはいっぱいあるタイトルだけど。
デビュー作で才能枯渇したんだよ
凛冽の宙なんて実際の事件並べただけ
「会計天国」みたいなのはこのジャンルにいれていいんだろーか
>>635 ストーリー以外はw面白いよ(まあストーリーも月曜ドラマランドだと思えば楽しい)
会計コンサルの立場からうまく現場経営との橋渡しをしてるし
方法論を一つ一つ試しながら進めていくのでいい。
そういう小説形式で〜ってやつは、下手にストーリーあるだけに
最終的に説明読むのが面倒になりそうだな
638 :
635:2009/09/19(土) 23:39:03
牛島信「第三の買収」読んだら2ちゃんが出てきて唐突だった。
あんな長文書き込んだら「うぜー」で終わりそうな気がする。
ストーリー自体は後半のどんでん返しがおもしろかったです。
前半はちょっと間延びしてた。
640 :
無名草子さん:2009/10/31(土) 08:01:31
そのどんでん返しがタイトルから推測できていまいちだった。
牛島信は登場人物がセコくて泣ける。
やたら生活費の心配する経済小説って……
642 :
無名草子さん:2009/12/30(水) 14:27:43
手島龍一の『ウルトラダラー』の続編が2月下旬に刊行だって
643 :
無名草子さん:2010/02/07(日) 01:46:26
http://www.shinchosha.co.jp/book/382304/ スギハラ・ダラー 手嶋龍一/著
金融恐慌には仕掛人がいる。ブラック・マンデー、9・11、リーマンショック、三段跳びで悪魔的成長を遂げたカラクリの主とは何者か?
杉原千畝が「命のビザ」で救ったユダヤ難民に端を発して七十年、死と金と諜報のインテリジェンス小説、ここに降臨!
発行形態 : 書籍
判型 : 四六判変型
頁数 : 352ページ
ISBN : 978-4-10-382304-9
C-CODE : 0093
発売日 : 2010/02/25
企業推理小説で知られる作家の清水一行(しみずいっこう)さん(本名・和幸=かずゆき)が15日に死去した。79歳。
1966年、証券業界の内幕を描いた「小説兜町(しま)」でデビュー。
新幹線の騒音公害に反対する犯人と、捜査の動きを追ったサスペンス「動脈列島」(74年)で日本推理作家協会賞を受けた。代表作に「虚業集団」「重役室」などがある。
(2010年3月23日13時31分 読売新聞)