★産廃物&盗作屋・田口ランディ監視スレ Part46★

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598無名草子さん
■■■田口ランディのコラムマガジン■■■ 2003.2.27
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「1年後」
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 昨年の2月、吉祥寺のライブハウスでトークイベントが行われた。
 企画したのは都下にある精神障害者福祉施設事業を運営するスタッフの若い方たち
で、招待されたのは、私とHさんという女性だった。

 私はそのころ体調を崩しており、イベントなどの仕事はなるべくお断りしていたの
だけれど、このイベントは半年も前からお話をいただいており、また親しかった友人
の紹介でもあったのでお受けしたのだが、当日になっても気が重かった。

 気が重いというのはまず、個人的な事情。当時、あまりにも急激に生活や仕事が変
わってしまったので自分が状況に着いていくことができなかった。多くの出版社の編
集者と会っておつきあいしなければならないことも、その塩梅がまったくわからない。

 私はそれまで、友達としかつきあったことがなかった。が、編集者という方達は
「限りなく友達に近いような仕事の相手」であり、しかも、とても好意的で優しいの
で、そういう人たちに対して自分がいっしょうけんめいに「応えよう」と努力してし
まい、心身ともに疲れ果てていたのだった。

 自分には親しくつきあえる限界の人数というものがあるなあ、と知った。そして、
自分というものをしっかりともって、イヤなことはイヤと言わないと、どんどん自分
がしんどくなるなあ、とも思った。思っても、できるようになるには自分を変えなけ
ればならなかった。自分を変えるというのは辛いものだ。
599無名草子さん:03/02/27 20:07

 そのような時期に企画されていたのがこのイベントだった。トークの相手のHさん
のことを、私はまったく知らなかった。

 Hさんは「精神病院からのサバイバーである」と自ら名乗っていた。かつてHさん
は、母親との関係ストレスから出社拒否になり、神経症の治療を受けた病院で誤って
注射を打たれ、その後遺症に今でも苦しんでいると言う。

 当日、打ちあわせのため、喫茶店で初めてHさんとお会いした。そのときに、彼女
は初対面の挨拶の後に私にこう言った。「そのコート、すてきねえ、いらなくなった
ら私にちょうだいよ」

 冗談なのか本気なのかわからなかった。Hさんは不思議な風体をしていた。お百姓
さんの野良着にもんぺのような上下。その服装に不釣り合いと思われる大きな白いイ
ヤリング。全体の雰囲気に漂うあるアンバランスさ。

 会話のなかで「私はね、精神障害者なんです」ということを繰り返す。打ちあわせ
の時から私は面食らってしまった。Hさんの発言はたいへんに不躾で、露悪的であり、
私を少しずつイヤな気分にさせていく。

 Hさんは、あまり他人の話を聞かない。どことなく落ち着きがなく興奮している感
じ。だけども、ご自身のことは非常に理路整然と話されるし、精神医療体制に関して
もラジカルに批判していく。

 結局、トークは最後まで噛みあわなかった。私がHさんの話の聞き手に回ると、H
さんは限りなく螺旋上に話を進める。そしてその内容は細部へ細部へと向かっていく。
時間だけがどんどん過ぎてしまう。
600無名草子さん:03/02/27 20:08

 逆に私が話そうとするとHさんは話の腰を折ることの名人だった。ある主題に向かっ
て話はじめると、話の途中でまったく違う横道にそれる質問を繰り返す。その質問を
避けて話を戻そうとしても、また横道へとそれる質問を繰り返す。

 しまいには私は叫んでいた「私の話を最後まで聞いてください!」

 トークの最後の頃に、Hさんがあまりにも精神病院の体制を批判するので、私は逆
に擁護に回りたくなってしまった。確かに精神医療が遅れているのは知っている。自
分の兄の病気を通して精神病院を渡り歩いたときには絶望した。しかし精神科の医師
や看護士にも友人がおり、信頼できる病院がないわけではない。

「私は精神病だから」と言うHさんに、私は言った。「そうですか?本当に今でも病
気なんですか?」するとHさんが言った。「あたりまえじゃない。私が精神病でなかっ
たら、私はこんなところで話なんかできない。そこらのただのおばさんになっちゃう」

 私はだんだん混乱してきた。いったいこの場で、私たちは何をするために、何を話
すためにこうしてたくさんの聴衆の前に座っているんだろう……と。その日はお客さ
んを断るほどの満員御礼で、ライブハウスの中は人で埋め尽くされていた。

 私には「たぶんこの人たちの多くの人が私の作品を読んで来てくれているのだろう」
という自負のようなものがあった。そして「そういう人たちになにか伝えなくては」
という使命感を感じて非常に焦っていたように思う。もちろん今だから分析できるの
だけれど。

 イベントが終わって二次会の席では、私とHさんは遠くに離れて座った。それから
帰るまで一言も言葉を交わさなかった。

 Hさんは、自分が精神病であることを自分の存在理由にしてしまっているように感
じた。なにかが倒錯していると思った。「つかこうへい」の芝居を観たような、そん
な気分だった。
601無名草子さん:03/02/27 20:11

 逆に私が話そうとするとHさんは話の腰を折ることの名人だった。ある主題に向かっ
て話はじめると、話の途中でまったく違う横道にそれる質問を繰り返す。その質問を
避けて話を戻そうとしても、また横道へとそれる質問を繰り返す。

 しまいには私は叫んでいた「私の話を最後まで聞いてください!」

 トークの最後の頃に、Hさんがあまりにも精神病院の体制を批判するので、私は逆
に擁護に回りたくなってしまった。確かに精神医療が遅れているのは知っている。自
分の兄の病気を通して精神病院を渡り歩いたときには絶望した。しかし精神科の医師
や看護士にも友人がおり、信頼できる病院がないわけではない。

「私は精神病だから」と言うHさんに、私は言った。「そうですか?本当に今でも病
気なんですか?」するとHさんが言った。「あたりまえじゃない。私が精神病でなかっ
たら、私はこんなところで話なんかできない。そこらのただのおばさんになっちゃう」

 私はだんだん混乱してきた。いったいこの場で、私たちは何をするために、何を話
すためにこうしてたくさんの聴衆の前に座っているんだろう……と。その日はお客さ
んを断るほどの満員御礼で、ライブハウスの中は人で埋め尽くされていた。

 私には「たぶんこの人たちの多くの人が私の作品を読んで来てくれているのだろう」
という自負のようなものがあった。そして「そういう人たちになにか伝えなくては」
という使命感を感じて非常に焦っていたように思う。もちろん今だから分析できるの
だけれど。

 イベントが終わって二次会の席では、私とHさんは遠くに離れて座った。それから
帰るまで一言も言葉を交わさなかった。
602無名草子さん:03/02/27 20:15

 Hさんは、自分が精神病であることを自分の存在理由にしてしまっているように感
じた。なにかが倒錯していると思った。「つかこうへい」の芝居を観たような、そん
な気分だった。
いきなりデビューした私は、出版社からご馳走になることとか、タクシー代や宿泊
費を出してもらうこととか、編集者にいろんな便宜をはかってもらうこととか、過度
の期待を受けることとか、全く初めてのことで、そのすべてが自分にとって無言のプ
レッシャーだった。

 そういう時期にHさんに会って、Hさんが「私は精神障害者だ」と臆面もなく開き
直り、自分のダメさや弱さを露呈して、好き放題なことをしゃべっているのが、私に
はがまんならなかったような気がする。

 もちろん、いまHさんに会っても、やっぱり「変なかっこうだなあ」とか「変な人
だなあ」と感じると思う。でも、今ならきっと「それ、ちょうだい」と言われたら
「ヤダよ」と言えると思う。

 それが本来の私に近いような気がする。私はたぶん、自分が自分のダメさを露呈で
きずに、回りの人間の期待に合わせるようにイイカッコしていたので、Hさんのダメ
さ見え見えの開き直りに近い姿にショックを受けたんだと思う。

 そして心のどこかで「こうはなりたくない」「わたしはこんなじゃない」と思おう
としたのだと思う。

 なにかを強く否定したり、拒否したりするとき、それは自分がしんどいときだ。自
分の生き方にムリがあるときは、他者への許容度が著しく低下してしまう。

 イベントの後、私は自分の友人に電話をして「こんな変な人とトークして疲れてし
まった」と文句を言い、いかにHさんが変で、自分がまっとうかを強調したのだ。も
ちろん、私はすごい正論を述べた。そしてみんな「それは大変だったね」「そういう
人っているよね」と、私に同調してくれた。
603無名草子さん:03/02/27 20:16

 それでも、けっきょく、自分のことを自分で騙すことはできないのだ。

 私は1年間、じくじくとHさんについて考えざるえなかった。Hさんと自分の関係
のことだ。いや、どちらかといえばHさんを通して見えてしまった自分のことだ。

 1年前の私とHさんのトークイベントには、ユーモアがまったくなかった。それは
私のせいだと思う。私の不安感とか嫌悪感が潜在化してしまい、非常に緊張感の高い
トゲトゲとした時空間を作りだしてしまった。

 あのとき、どんなに噛みあわなくても、どんなにお互いにののしりあっても、そこ
にある種のユーモア、笑いの場を作り出せたなら、たとえ話の内容にまったく建設的
な結論がなかったにしても、なにかを伝えられたはずなのに……と思う。

 私は逆にHさんへの不安感や嫌悪感をもっと露呈させてよかったのだ。「そういう
言い方って感じわるい」「そのかっこうは変だ」と。

 私がそれをしなかったのは「そういう言い方って感じわるい」は、そのまま相手か
らも同じことを切り返されるからだ。「そのかっこうは変だ」と相手から私も言われ
るかもしれない。

 だから私は黙って、もっともな正論を吐いて、理詰めで自己防衛したのであり、そ
の底に流れていたのは「私はあなたとは違う」「私はあなたみたいにはなりたくない」
という、プライドという暗い川だったと思う。

 あの1年前のライブハウスでの、あの場の冷たく不毛な空気。それは1年間私に刺
さった棘のようだった。あの場をもっとしっちゃかめっちゃかで、爆笑と、罵詈雑言
と、不条理の渦に巻き込むこともできたはずだ。
604無名草子さん:03/02/27 20:16

 そこから立ち現れてくる、不可思議な信頼感や安心感があったかもしれない。そう
いうものを私とHさんが作りだす可能性だってあったはずだ。いまはそんなふうに思
える。そのようなイメージをもつことができる。ようやく1年かかって、あのときよ
りちょっとはましなイメージを言葉にすることができるようになった。たったこれだ
けのことを思い至るのに1年が必要だった。

 Hさん、あのときはごめんなさい。そして、どうもありがとう。



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