★産廃物&盗作屋・田口ランディ監視スレ Part46★

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195無名草子さん
■■■田口ランディのコラムマガジン■■■ 2003.2.10
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「夢で逢いましょう」
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 夢には、二十代の頃からずっと興味をもっていた。二十代の後半から三十代にかけ
て四年間くらい夢日記をつけていた。かなり克明に夢を記録していたのだけど、ある
時期からやめてしまった。やめたきっかけってのは特になかった。特にないと思って
いたのだけど、いま思い返してみると「ああ、あの頃は現実がしんどすぎて夢どころ
じゃなかったんだな」と思う。

 きっと夢は見ていたのだろうけど、それを記録して反すうするような心のゆとりが
なかったんだろう。

 いまでも、夢のことは気にしている。だいたい、自分がどういう夢を見るとき、ど
ういう状態なのか薄々わかる。このメールマガジンにもよく夢のことは書くしね。私
の夢にはいくつかのパターンがあって、類型化できちゃうのだ。それで、とりわけ印
象に残った夢は書き留めるようにしている。

 これまでのありがちなパターンとして、私が見る夢で印象的なのは「排泄の夢」「お
風呂の夢」「移動の夢」「エレベーターの夢」「身体変化の夢」「歯の抜ける夢」で
ある。これらの夢を、私は自分の人生の中で繰り返し繰り返し見てきた。

 とくに、人生の節目には「排泄の夢」はよく見る。どんな夢かと言うと、ぶっちゃ
けた話、落ち着いて用が足せない……という夢なのである。トイレがものすごく汚い
とか、トイレがないとか、トイレに入っても人が見ているとか……である。私はこの
排泄の夢をやたら見るのだけれど、それはたぶん、私が「書く」ということにこだわっ
てきたからではないかと思う。なんとなくそんな気がしている。
196無名草子さん:03/02/10 21:04

 私にとって「文章を書く」ということは「排泄」ととても似た行為なのだけれど、
それがうまくいかない、あるいは自分がとまどっていたり、なにかしっくりといかな
いとき、私はやたらとトイレの夢を見続けるのである。なぜ「排泄」が「自己表現」
とリンクしているのか、不思議だが私のなかではそうらしい。

「歯が抜ける」という夢も、若い頃に繰り返し体験した。この夢はものすごくリアル
なので、見たというより体験した、と言うほうがしっくりくる。口の中にこなごなに
砕けた珊瑚のような歯がじゃりじゃりと溢れているのだ。すげえ気持悪いのだ。吐き
だしても吐きだしても歯のじゃりじゃりした感触が口の中に残っている。

「歯が抜ける」というよりも歯が砕ける……という感じ。この夢を、私は自分が停滞
しているときによく見る。つまり、なんとなく変化に乏しく生活しているような時期
だ。ちょっとお尻がむずむずするんだけど、なにかこうヤル気が出なくてだらんと過
ごしてしまっているような時、やりたいことがあるんだけど踏ん切りがつかないよう
な時期。そういう時に見ている。

 もちろん、そのときはよくわからなかったんだけど、何年か過ぎて夢日記を読み直
すと、まあそういう時はよく歯がじゃりじゃりして困っているわけなのだった。

 「お風呂の夢」は、ここ数年は記憶にない。以前はやたらと見た。とにかく見た。
銭湯であったり、露天風呂であったり、バスタブであったり、いろいろなんだけど風
呂に入る、あるいは入ろうとしているのだ。お風呂でいろんな人た会ったりもする。
お風呂から出てきて洋服がなかったり財布がなかったりしたこともあった。

 そもそも、私はものすごい風呂好きで、それで温泉町に住んでいたりする。だから
お風呂というのは私にとっては大変意味のあるリラックスの場である。そのお風呂が
頻繁に出てくるのだから、たぶんよっぽど疲れていたのだろう。このごろ風呂の夢は
見ない。風呂で癒されていたのは私の場合「愛情の飢え」だったように思う。そうい
う状況は今はないのかもしれない。
197無名草子さん:03/02/10 21:05

 「移動の夢」というのは、タクシーに乗っていたり、自転車に乗っていたり、飛行
機に乗っていたり……、どこかへ行こうとして何らかの交通手段を使っている夢であ
る。やはり、二十代から三十代のとき、私はタクシーが止らない、という夢をよく見
た。

 誰か他人の力を借りてどこかへ行こうとするのだが、タクシーが止ってくれないの
である。まあ、いまから思えばそういう状況だったなあ、と思えなくもない。二十代
の前半の頃は自転車に乗っている夢をよく見た。けっこうしんどいのである。自転車っ
てのはこがないと倒れてしまうのでね。移動するためにはこぎ続けなければならない
わけだ。まあ、そういう状況だった。

 会社員を辞めてからは、飛行場で迷っている夢をよく見た。遠くまで飛んで行きた
いのに、なかなかうまくいかずウロウロしている。まあ、そういう状況だった。

 で、最近……といっても昨年の暮れくらいから、なぜかまた頻繁に夢を見るのであ
る。夢を見るということは「寝ている」ということである。そうなのだった。私はこ
のごろよく寝るのである。たぶん、いま長編小説の執筆に取りかかっているので、そ
のせいだと思う。小説を書き始めるとよく寝る。ふつうは逆だと思うのだけど、私は
書けるときほどよく寝てしまう。

 そして、めくるめくように夢を見るのだが、その夢のパターンが最近、ちょっと新
しいので不思議に思っている。去年の暮れから、今年にかけて、なぜか「スキーに行
く」という夢を繰り返し見ているのだ。

 実生活でも1月にスキーに行ったので、それが関連しているのかと思ってみたけど、
どうも違う。私はスキー場で、いつも迷っている。最初のときは、スキーに行ってな
ぜかスキー靴を忘れてしまうのだ。はっと気がつくと足下がサンダルなのである。
198無名草子さん:03/02/10 21:06

 スキーを履こうとして、足がサンダル履きだったことに気がついた時の、妙なショッ
クが生々しい。「あ!」と思うのである。今でもそのときのショックをよく思い出せ
る。しかも、他のみんなは私のことを待っているようなのである。私は遅刻して、し
かもスキー靴がないのである。

 さらにたて続けにスキーの夢を見る。次は、三人でスキーに行き、私だけがホテル
ではぐれて、気がつくと他の二人はもう着替えをすませている。慌てて後からスキー
場に向かうが、携帯は通じないし右手が痛い。ふと右手を見ると、右手になにかくっ
ついている、驚いてひっぺがすと、それはキドラのような形のヒトデみたいな不気味
は生物が自分の右腕に取り憑いていて、体の中に入り込もうとしているのである。

 どうやら、私は自分がスキーという状況にうまく適応できなくて、ものすごくとま
どっているのだな、ということは察知できる。なにしろスキーに来てサンダル履きな
んだから。しかし、自分にとって「スキー」というのがどういう状況と符号している
のかがわからない。まあ、意識で考えてわからなくらいだから、夢を見ているのだろ
う。

 一月は新年の行事でなにかと忙しくて夢を見る暇もなかったのだが、2月に沖縄旅
行から返って来てからというもの、いやあもう呆れるくらいに夢を見る。覚えきれな
いほどである。あまりに夢を見続けているので、朝起きると、ぐったり疲れているく
らいだ。

 このごろの夢は連続もので、夢のなかで「あ、またここが現れた。ここには前に来
たことがあった」と思っている。眠りの浅い夢は自分が夢を見ていることをうっすら
と自覚しながら夢を見ていたりする。そういうとき「ああ、ずいぶん前に夢で見た場
所だ」という場所が登場するのである。
199無名草子さん:03/02/10 21:07

 夢の中で、過去に見た夢の場所に再び出会う感覚というのは、実に妙なものである。
それが続いている。今朝もそうだ。「そうか、ここは夢の場所だったのか。そしてま
たこの夢に戻って来たのだ」と夢の中で思っているのだ。

 その場所というのは、ものすごくさびれたどこかの古い駅のガード下のドヤ街みた
いなところで、その一角にさらにさびれたスナックがあり、私はなぜかこの駅のガー
ド下のゴミゴミした暗いスナックのような場所に、よく出戻って来るのであった。

 それ以外にも、いくつか「繰り返し現れる夢の中の場所」というものがあり、その
デジャブな感じはここ数日とても強まっている。いったい、夢の中に繰り返し現れる
「夢の中の場所」というのは私にとってどういう意味をもっているのだろうか。

 夢を見ている最中の私にとってはさっぱりわからない。これも夢日記に記しておけ
ば、あと数年経過したら冷静に分析できるのかもしれないが。

 ただ、このごろすごく怖くなるのである。このように「夢の中に繰り返し現れる場
所」というものがあると、自分はいったいどこの世界の住人なのかわからなくなるよ
うな、そういう不安がよぎるのだった。

 夢には夢の時間というものがあるのだろうか。なぜかというと、夢に繰り返し現れ
る場所というのは、そこに付随するあるシチュエーション、ある状況がなんとなく共
通しており、いつも同じ雰囲気を醸し出しているのである。ということはその場所に
はその場所の固有の時間が存在しているのかもしれない。

 私は始めて駅のガード下のさびれた古いスナックの夢を見たのは、もう十何年も前
なのである。それなのに、そんななんの変哲もないようなどこにでもありそうな、そ
れでいてどこにもない場所が、時間を越えて夢の中に繰り返し出てくるとはどういう
ことだろうか。
200無名草子さん:03/02/10 21:07

 その合間合間に、旧式の……というかほとんど壊れているようなエレベーターで下
降しなければならない夢を見る。このエレベータがぶらんぶらん中吊りになって揺れ
て怖いのだ。そこにぴょんと飛び乗って降りなくてはいけない。私はエレベーターの
夢もよく見る。絶対にエレベータは昇りではなく下りである。

 なにか、よっぽどの危険を犯してまで、自分の意識を降りて行こうとしているんだ
ろうか。

 そういえば、かつて……。二十七歳の頃。私は生涯の記憶に残るような至福の夢を
見た。その夢はとても啓示的で、夢の中での幸福感が体に蘇ってくるような夢だ。な
にか、その夢に助けられてずっと生きてきたような気がする。

 その夢には私の中学時代の恩師が登場するのだが、その恩師は国語の先生で、かつ
て私の作文指導をしてくれた方だ。先生は夢の中で一言もしゃべらない。深い谷間の
あばら屋に住んでいて、夜中に訪ねて行くと黙って家に入れてくれる。すると家の奥
の方から柳行李を出してきて、その中に私が十三歳の時に書いた「詩」が入っている
のだ。私はその「詩」を取りだして読んで、たいへんに感激する。だけど、その詩の
内容は忘れてしまった。確か、春夏秋冬のそれぞれの意味について書いた詩たっだよ
うに思う。

 明けのカラスが鳴いて、先生は無言で「もう帰りなさい」と私に目で合図する。私
は黙って、自分の十三歳の心の詩を柳行李に戻して、先生の谷間の家を後にするので
ある。
201無名草子さん:03/02/10 21:08

 あの柳行李の中に入っていた詩のがどんな内容であったのか、私はわからないのに、
わかっている。その「わからないけど、わかっている」そのなにかが、私をずっと支
えてくれてきた。ここまで導いてくれた。言葉にはできないけれど、私にはわかって
いることがある。とてもとても大切なことだ。私はそれを知らないけれど、わかって
いる。いまでも。

 ああいう夢を、また見たいと思うのだけれど、あんな不思議な夢体験は一回きりで
す。


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■夢日記のつけ方(田口の場合)
 ときどきご質問を受けるのでご紹介します。
 私は、夢日記は特に印象的な夢だけ記録します。起きてすぐに記録しないと忘れて
しまうので、枕元にノートとえんぴつを置いておきます。時間がたつとあっという間
に忘れてしまうのだよね。とりあえず、ポイントだけ走り書きでメモしておけば、けっ
こうそのキーワードだけで後になってからも思い出せます。だから、寝起きで要点だ
け走り書きしておいて、後でゆっくりストーリーなど付け足します。夢日記歴が長い
ので、夢を見ているときに「あ、これは面白いから覚えておこう」と意識したりしま
す。けっこうそういうことできるんだよね。
 あと、夢を見た時の、その頃の気分とか身辺の出来事、状況なども簡単にメモして
おくと、後になって「あーこういうことだったのか」と、納得することも多いです。
 線が入っているノートより、小さなスケッチブックみたいなものに、絵なんかも交
えて書いておく方が楽しい。
202無名草子さん:03/02/10 21:09
■ホームページの改装工事をすすめています
 いろいろとホームページでの企画を考えています。3月からは沖縄の島の旅を写真
とキャプションでまとめた「島に触れる 特別編」も公開できそう。また、布施英利
さんとの交換メール書簡も始まる予定。昨年、巻上公一さんといっしょに行ったアル
タイ旅行、そこで出会ったボロットさんを日本にお呼びしてのコンサート企画も準備
中。
 なるべく早く、リニューアルオープンしようと思ってます。またお知らせします。
 http://www.randy.jp/