★産廃物&盗作屋・田口ランディ監視スレ Part 38★

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■■■田口ランディのコラムマガジン■■■ 2002.10.28
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「人生のクルー」
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 久しぶりに故郷の駅に降り立つ。

 駅前の商店街はすっかりさびれて閑散としている。以前に来たときは営業していた
マーケットも潰れてしまったらしく人の気配がない。

 今日、父と昔の家に別れを告げる。そうなれば、私はもうこの街に二度と来ること
はないのだな、と不思議な気がした。小学校、中学校、高校を、ここで過したのだ。

 でも、母が死んでからは、帰りたいと思うことはなかった。母親はやっぱり自分の
故郷そのものだったのだな、としみじみ思う。

 夕暮れが迫っていた。タクシーに乗ってたんぼ道を家に向かう。父親は一人で最後
の片づけをしていた。すでに引っ越し業者にすべての家財道具は持ち運ばれていて、
家はがらんとしていた。家具のない家の方が狭く見えた。こんな狭いところにずっと
住んでいたのか……と思った。

「おお、来たか」父は嬉しそうだった。父は私の顔を見るといつも嬉しそうにする。
それなのになぜこの人は酒を飲むのだろう。そんなに娘のことが好きなら、娘が嫌が
ることをしないでくれたらいいのに。
463メルマガ2:02/10/29 02:02
 さすがにこの日はシラフだった。不安なことがないと父はそんなには酒を飲まない。
二人で縁側に座って庭を眺めた。小さな庭だけど、母親が大事にしていたしだれ梅や
芙蓉の木がある。この梅の実で、梅酒や梅干をたくさん漬けていた。

 父は「ジュース飲むか?」「腹へってないか?」と相変わらず私のことは中学生く
らいの子供のように思っているらしい。ほとんど生活を供にしてこなかったので、彼
の記憶の中では私は永遠に子供なんだろう。それも二十代の頃はムカついてたまらな
かったが、このごろは、そういう父の方が子供に見えて腹も立たない。

 近所に住んでいる親戚のおばさんが、わざわざお別れに来てくれた。私は父の人間
関係についてほとんど知らないが、おばさんは目に涙をためて父との別れを惜しんで
いた。

 聞けば、父はある法律問題でずっとおばさんの相談に乗ってあげていたそうなのだ。
私は自分の父に人生の相談に乗ってもらったことなど一度もないのでびっくりした。

 でも考えてみたら、私のようなサクサクした娘に、戦前生まれの漁師の父親が相談
に乗れることなど実はなかったのかもしれない。私はたいだいのことを自分で解決し
てきたし、そうやって自分だけで生きていくことを自分に課してきた。

 逆を言えば、人に頼ることが下手なのだ。家族がめちゃくちゃだったので、自立心
は育ったが、反面意固地になった。他人の力を信じていないとも言える。人に頼ると
きは過剰に依存する。そしてたいがい依存しあう関係はうまくいかない。自分をしっ
かりともちつつ人と供に生きることが下手だ。

「お父さん、こんどは少しは私の力になってよね。酒ばっかり飲んでないでさ」と、
ようやくそれだけ言えた。父は「ああ。わかったよ」と言った。父の答えを聞くと、
私になかには「どうせ酒をやめるわけないんだろうけどね」という言葉が浮かんでく
る。
464メルマガ3:02/10/29 02:02
 どうなんだろう、百万回裏切られても、その都度その都度、曇りなき心で人の言葉
を素直に聞けるようになれるものなんだろうか。四十年、父に裏切られ続けている私
は、ものすごく臆病になっている。

 部屋を戸締まりして、二人で電車に乗って私の家へ向かう。新幹線を乗り継いで、
およそ2時間半かかった。その間、父はビールを飲み、私はずっと本を読んでいた。

 酔っぱらっていないときの父は、けっこう好きだ。いつもシラフでいてくれないか
なあと思う。もちろん父の人生なのだから父の好きなときに酒を飲むのは父の勝手だ。
そして、父がもし赤の他人だったら「あのおっさんまた飲んで変なこと言ってるわ」
と気にかけないことができるだろう。

 なぜ父だと、気になってしまうのかな。親子だから……?そうなのかなあ。父は酔っ
てストーカーみたな電話をかけてくるだけで、それ以上の実害はないのだが、私は父
の言葉や態度に傷つく。他の人の言葉なら無視できることができない。かなり無視で
きるようになったが、自分がしんどいときとか、もろに喰らってしまう。

 きっと父は「俺はそんなに悪いことはしていない」って思っているのだろうな。
「誰にも迷惑をかけていない」。確かにそれほどの迷惑をかけているわけではないの
だが……。あの酔ったときの被害妄想の垂れ流しは、私にとっては暴力なのだった。
そのことを、酔った父はイメージできない。

 酒は自己の内部にイメージを作るが、他者に向けてイメージを喚起しない。酒を飲
むとか飲まないとかではなくて、気持が平静でシラフであるということは、自分以外
の他者への想像力をもてるということかもしれない。
465メルマガ4:02/10/29 02:03
 酒だけではなく、感情や、妄想に酔っぱらっているとき、誰しも他者への想像力が
萎えて、自己の内部にどんどん勝手なイメージを作り上げるのだ。

 私は平静かな。父への想像力をもてているかな。暗い窓の外を見ながらそんなこと
を考える。考えろ、想像しろ。いまの父の心境を……。でも、なんでいつも私ばっか
り父のことを考えてやらなくちゃならないんだ。なぜ父は私のことを考えてくれない
のだ。

 いつも、最後にこの思いにたどりつく。「私ばっかり……」

 でもなにか今日は、その考えはあさましいなと思った。いいじゃないか。私が損を
するわけではない。なぜ、そんなことにケチになるのだ。あさましいな……と。

 翌日は引っ越しで、私の家の近所のマンションに父の荷物が運び込まれて来た。マ
ンションは一軒屋と違うのだからいらない荷物を捨てるようにと言っておいたのに、
ちっとも捨てていない。

 まったくもう、なんでこんな必要ないものまで持って来るのよ、と、段ボールを運
びながら私はぶうぶう文句を言う。「まあ、そんなに怒るなよ」と父はすこぶる機嫌
がいい。朝からとても良い天気だったからかもしれない。

 一通り荷物を運び終わって、だんだん日も傾いて来たのでみんなで食事に行くこと
にした。孫娘の提案で、近所の回転寿司に行く。彼女は回転寿司が大好きなのだ。

「おじいちゃん、お引っ越しおめでとう」と、とりあえず乾杯する。私たち家族と父
の、新しい関係の始まりだ。私はこの先がかなり不安だったが、孫娘が乾杯の後、不
思議なことを言った。

「こんな家族がいてくれてよかったなあ」。私も夫も、私の父も「え?」と娘の顔を
見た。いったいどういうつもりでこのセリフを彼女が言ったのかわからないが、私は
どきんとした。
466メルマガ5:02/10/29 02:03
 小さな娘は、このひとことで私の父親を我々の家族として受け入れてしまったのだ。
父は相変わらずおめでたく「そうかそうか、おじいちゃんがこれからいっぱい遊んで
やるからな」とか調子のいいことを言っている。

 なんだかな〜。と私は思った。でも、ま、いっか、とも思った。小さくてへんてこ
な集団だが、私が生活していくうえで、私の暮らしを支えていくうえで、唯一のクルー
は彼らだ。

 私が選んだのは夫一人。父と娘は神様が決めたクルーだ。文句を言っても始まらな
いだろう。このメンツで航海していくしかないのだ。そう思ったら、なんだか笑いた
くなってきた。家族って滑稽でダサいなあ。でも、それがいいのかも。

 どうにもマヌケな海賊船がイメージされて、私はずっと笑いをこらえていた。


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