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>>27続き)
そんなことを考えていたせいなのかどうかわからない。皆と別れて一人になった
帰り道、私は「大きなのっぽの古時計」をくちすさんでいた。
私は、屋久島の森をひとりで歩きながら、繰り返しこの歌を歌ったことがある。
屋久島に行った時は会社をやめたばかりで、自分の書きたいものを書いて生きて
いきたいと考えていた。
再び、このの歌が私に舞い降りてきたのは、いったい何を私に教えようとして
いるのだろうか。
翌朝、ワイドショーを見たら、この「大きなのっぽの古時計」がヒットチャート
の一位になってるとやってた。へえ、そうだったのか。なんだかいろんなことが
共鳴して大きなうねりになっているようでうれしくなった。
126年前に作られた古い曲が、みずみずしいしずる感をともなって現代に再生
する。そうなんだ。どんなに時が流れ過ぎても失われるものなどいっさいない。
それはフリーズドライされているだけで、解凍さえすれば生き生きと立ち現われて
くるもんだ。
解凍して一般の人にも見えるようにする魔法使いが、この世界には何人もいる。
「大きなのっぽの古時計」を歌っている平井堅さんもそうだ。
彼はね、小学四年生の頃に自分で描いた時計の絵を、ジャケットに使っている。
わあ、いいなあと私は思った。子供の頃から大好きだった歌に、子供の頃書いた
自分の絵。
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>>28続き)
子供の頃の心を忘れない――言葉にするとめっちゃ平凡だけど、でもとっても
大切なことなんだ。このオリコン一位は、それを教えてくれる。
私は今、子供になろうと思っている。世界が輝いていた頃の自分に戻るんだ。
言うほど簡単なことではないことはわかっている。私は子供の頃、今の自分の
気持を覚えておこうと決心したので、他人より記憶の引き出しにしまわれている
子供時代の思い出は多いほうだと思う。
その私にしても、子供になるってことは難しい。時計が刻んだ時は、私の顔に
しわとして刻まれ、私の心の中にはいろんな記憶がたい積している。
あるがままに子供であるモモのような本当の子供と、40歳を過ぎたオバさん
の私が意識的になろうとする「子供」。その両者の溝は果たして埋められるもん
なんだろうか。
わからない。でも、私は希望を手放したくない。
だから今日も私は、掃除機の音をバックグラウンドに、大きなのっぽの古時計
を歌っているのかもしれない。