【盗作猿】ランディの日記を先取り予想だ!【パクルな】2
115 :
無名草子さん:
*ギフトされる幸せ
ギフトする幸せ
そして未来を夢見る幸せ
先日の日記に、秋山さんにはいつもギフトされっぱなしだなあ、と書いた。
考えてみれば、秋山さんだけではない。ヴォイス・ヒーリングの渡邊満喜子
さんにだってアシリ・レラさんにだって、私はいつもギフトされっぱなしだ。
いただくだけでは申し訳ない、とお返しを考えたりするのだが、なんとか
お返しできたかと思うと、また次々とギフトされるので、到底追いつかない。
困ったもんである。
「ランディさんは、素晴らしい文章を書いてくださっていればいいんですよ」
皆口を揃えてそうおっしゃる。確かに私が上手く出来るのは書く事だけだ。
でも、他の人にギフトする文章を、私は書けるのだろうか。
わからない。私はいつも自分の事ばかり書く。自分で体験していない事に
ついては書けないのだ。私はそうやって自分を掘り下げて行く作業が、いつ
か普遍に通じると信じてる。しかし、その発展途上にある文章も、他の人に
ギフトするのか。あるとして、それは運のいい偶然に過ぎないんじゃないか。
そもそもギフトする文章とはどんな文章なんだろう。人にギフトする文章
は、まず人に読んでもらい、それを好きだと思ってもらえなければいけない。
なぜかわからないけど、突然シェークスピアさんのことが、頭に浮かんだ。
彼は誰が何と言おうが、多くの人にギフトした作家だろう。読者の数だって
半端じゃないし、私のような無学なバカ女でも、「ロミオとジュリエット」
だったら、よく知ってる。うん、あれはいい話だ。
でもね、ロミオとジュリエットだって、実はギリシャ神話に同じ話がある
んだって。となると、シェークスピアさんの偉いところは、新しいお話を作っ
たってことじゃあない。
116 :
無名草子さん:02/09/11 18:34
所詮、人間の頭で考えつけられるお話のパターンなんて、シェークスピア
さんの時代にもう出尽くしてたはずだ。でも、だからといって、シェークス
ピアさんが書かなかったら、たぶん私は「ロミオとジュリエット」のような
お話には出会えなかったろうな。ギリシャ神話、詳しくないもの。
つまりシェークスピアさんがやった事は、すごく綺麗なお嬢さんを、陽の
ささない地下室から助け出して、広々とした世界で思う存分息ができるよう
にしてあげたのと似ている。これは、女学生の日記をもとにして書いた小説
を広い世界に送り出した太宰治さんにも言えることだ。
だけれども、今の文学の世界って何かと不自由だから、今同じ事をやれば、
剽窃だ何だって騒がれるんだろうな。音楽の世界はもっと自由だから、平井
さんは、「大きな古時計」をみずみずしく再生させることが出来た。
……と、こんなことを書くとまた、自分を自己弁護しているとかあれこれ
言われるのかなあ。違うんだ。私は何も、現代の著作権法というもんの恐さ
に、運悪くぶち当たってしまった私を、気の毒に思って欲しいわけではない。
デビューしたてで右も左もわからなかったとはいえ、ちゃんと勉強をしとく
べきだったと自ら自認している。
本当に正直に言ってしまうと、私は昔の大らかな時代ってよかったよなあ
と思っている。文章を書いて発表する人みんなが、もっと大らかにギフトし、
ギフトされてた。世の中全体も、なんていうか、もっと寛容だった。
たぶん、どんなに素晴らしいお話があったって、それが多くの人の目に触
れなければ、誰にも何もギフトできないって、昔の人の方がよく知ってたの
かも知れない。
かと言って、私は今の法律ってもんに逆らってやりたいとは思わない。小
心者の私には、そんな真似は到底出来そうもないからね。
117 :
無名草子さん:02/09/11 18:35
だけど、昔から今と同じような世界がずっと続いていたわけではないこと、
そして未来が今と同じとは限らないこと、それは忘れないでいたいとは思う。
今の時代のルールは、たくさんの人にギフトしたりギフトされたりするに
は、すごく不自由だったりする。でも、それが未来永劫、不変のルールとして
存在し続けるわけではない。それが、束縛だらけの世界に立ち現わる希望だ。
かつてはネットが、自由で新しい世界を開くものと期待されていた。混沌と
して、わけのわかんないエネルギーが充満していて、皆好き勝手にギフトして
ギフトされる場所だった。黎明期からネットに参加してる私は、よく知ってる。
今はそんなに自由じゃない。はっきりしていなかったネット上の著作権と
いうもんも、いつの間にか誰かによってしっかり決められてしまった。
私がタダでネットに文章を書き流している頃は、そんなに難しいこと考え
なくてよかったんだけど、本を書いてお金をもらうようになると、いろんな
面倒なことに巻き込まれるはめになる。
困ったなあ。私が大金持ちなら、いくらでもタダで文章を発表し続けるん
だけど、私だってご飯食べなきゃなんないし……。たくさんの人が読んでく
れるような形態じゃないと、この世界にギフトするって目的は果たせない。
ある人に言わせると、コンテンツの配信は無料で、講演とかでお金を稼ぐ
のがいいんじゃないかって。ううむ。しかし、そういうのに向いている人は
いいだろうけど、私は話すのが苦手で、書くだけが取り柄だからなあ。
ということで、結局、今日も私は結論を出せずにぐるぐるしている。
だけど、こんなふうに、あれこれ考えるのは嫌いじゃない。それは未来を
夢見ながら考えているからで、夢を見ればそこに希望が存在してくる。
人間はかつて、精妙で優美なバランスのギフトのシステムを構築してた。
私はそれをバリ島で目にした。この日本という国のそう遠くない未来におい
て、それを再生できないはずがない。私は、そう信じてる。