【控訴】ホテルジャンキーズクラブ・村瀬千文【35】
ヨーロッパの高級スキーリゾートを訪れた時だった。
朝食を済ませるとゲレンデに出かけていく人々を横目にこの「スキーをしない人々』は
窓の外の銀世界を眺めながらゆっくりとおかわりのコーヒーを楽しみ、
日中はポカポカと気持ちよい日差しが当たるサロンで読書をしたり、
室内プールで泳いだり、スパでゆっくりとくつろいだり、実に悠然とすごしている。
そんな高級スキーリゾートの中でも別格の存在が、スイスのサンモリッツである。
中でもサンモリッツ湖を眼下に望む「バドリュッツ・パラス」は世界でも指折りのホテルで、
一八九六年にオープン以来、オーナーのバドリュット家が代々経営している。
一歩中に入るとアンティークの家具や美術品が所狭しと並べられ、館内はさながら美術館のようである。
客室数こそ二四〇室と少ないけれど、湖を見下ろす絶景のサロンをはじめ、
アフタヌーンティーやカクテルタイムに使われる大きなホール、
映画「シャレード」の舞台にもなった全面ガラス張りの室内プールなど
実に贅沢なパブリックスペースがそろっている。
ヨーロッパの上流社交界の人たちにとって、
このホテルは単なる値段が高いだけの高級ホテルではない。
クリスマス休暇にここに姿を見せて数週間滞在することが、
彼らにとって財政的にもまだまだ十分に健在であるというステータスの証になるのだという。
二月のある日曜日の朝のこと。
朝陽に輝くサンモリッツ湖を見下ろしながらブレックファーストルームで一人朝食をとっていると、
初老の紳士が杖をついた母親をゆっくりとエスコートしながら入ってきた。
ウェイターがすぐに駆け寄り、「Reserve 予約済み」の札がついた窓際のテーブルに案内した。
しゃんと背筋を伸ばして椅子に坐り、旺盛な食欲でクロワッサンを口に運ぶ老婦人は元気そのもの。
そこへホテルのマネージャーが挨拶にやってきた。
「マダムはいつ見てもお若くていらっしゃる。」
「ありがとう。お世辞でもそういわれると嬉しいものよ。」
「きっと一年中、当たったのはずれたのとワクワクドキドキしているからですよ」
息子が口をはさむと三人はどっと笑った。
マネージャーが窓の外を両手で指しながら言った。
「きょうは絶好の競馬日和でございますね。」
競馬日より?思わず窓の外を見ると、一面雪に覆われた銀世界。
きっと単語の聞き間違いだろう・・・・・。
その秋、マカオを訪れた。
「フラミンゴ」というハイアット・リージェンシーホテルの中にあるポルトガル料理で
有名なレストランに夕食に出かけると、その日はちょうどタイハ島で競馬があった日だそうで、
店内は込み合っていた。
隣のテーブルではタキシードにイブニングドレス姿の中年の夫婦が食事中。
時々漏れ聞こえてくる話を聞くともなく聞いていると、食事の後でホテル内のカジノへ繰り出すそうだ。
昨日の香港のシャティンのレースでは一儲けしたが、きょうのタイパ島のレースは外したようで、
「あとでカジノへ口直しに行こうか」などと話している。
とその時、耳に飛び込んできた言葉に思わず食事の手が止まった。
「二月のサンモリッツ、楽しみね。」
「今年は大穴当てたからなぁ。」
二月、サンモリッツ・・・・。記憶の底がゆれた。
ふと隣を見ると、妻が首をかしげてこちらを見ていた。
「わたしたち、なにかおかしいこと言ったかしら?」
「いえ、真冬のサンモリッツでいったい何が当たるのかと。」
二人は顔を見合わせると笑い出した。
聞くと、サンモリッツでは毎年二月に雪上競馬というのがあるのだそうだ。
湖畔の周りをまわるワンマイル・レースや障害レースなどがあり、
世界各地からこれを目当てに競馬ファンが集まるという。
バドリュッツ・パラスの朝食の話をすると、
「なるほど、私も競馬場めぐりで若くいられるってことだわ。
美容整形より安いわよ」
と妻。
「ぼくはもっと安上がりだ。
君がはずすのを見ているだけで十分若くいられる」
と夫。
これで終わりっす。
ついでに言っとくとサンモリッツのレースは
「世界の主要なレース」ではないと思います。
見世物に近い。