日木流奈

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508流奈くん、講談社PR誌に“自著宣伝”【1】
講談社のPR雑誌『本』最新号(6月号)に
流奈くん自身の執筆による(???)“近刊本”
『ひとが否定されないルール』の宣伝文が出ています。

この広報誌は、書店の店頭でただで配布しているものですが、
すでに全部配り終えた書店も多いようで、先日ようやく入手
しました。 

同誌の62〜64頁に本文、64頁の右上には写真が一枚、
そして巻末の68頁には執筆者紹介が出ているので、
それらのキャプチャ・データを紹介しておきます。
ちなみに、同誌には全部で18本の記事(1本は対談)が掲載
されていますが、“流奈くんの文章”(???)は17本目、つまり
ほとんど最後に載っています。


●64頁の写真は、以下にウプしました。
http://www.asyura.org/up1/source/183.jpg

●ここからは、同誌の掲載文の全文転載です。
   (改行もオリジナルのまま再現)

【つづく】
509流奈くん、講談社PR誌に“自著宣伝”【2】:02/06/04 01:16
出典:読書人の雑誌『本』2002年6月号(講談社)62〜64頁

脳障害をものともせず
    日木流奈

 はじめまして。私は脳障害の十二歳の男の子です。
 私の今の状態は、歩くこともできず、出てくる言葉は「アー、ア
―」とか、「ウー、ウー」といったものです。そんな重度の脳障害
児である私がどうして文章を書けるようになったかを、私はよくき
かれます。私のいる環境ではとてもあたりまえで、普通のことなの
で、私は一般の人がそういったことに疑問を持つということを、時
として忘れがちになります。当然知っているものとして私は話し始
めてしまうために、私に知性があるということに驚かれて、私が伝
えたい内容が伝わらないときがあります。ですから、少し私自身の
ことをここでは語らせてもらおうと思います。
 私は生まれてすぐ、腸が体の外に出ていたために、その腸をおな
かに入れる手術をニ週間の間に三回しました。その手術は、極小未
熱児として生まれた私に極度のストレスを与え、一時的に脳に水が
たまることになったのです。その水が私の脳を圧迫して、私は脳の
大部分がダメになってしまいました。
 しかし、残った脳が私に生きることを許しました。癲癇の発作
や、その後、発病する白内障などに悩まされましたが、私はなんと
か今、無事に生きています。
 私の親たちは脳障害を治す方法を求めて、ついにアメリカの「人
間能力開発研究所」というところを見つけだしました。そこではグ
レン・ドーマン博士とそのスタッフたちが、日々、脳障害児たちを
治すために研究を続けていました。
 私はそこで処方されたリハビリを三歳になる少し前から始めまし
た。実際に診察を受けたのは四歳の時からですが、それまでに、親
たちは研究所が開催した講義や出版した本を読んで、私のプログラ
ムをやってくれていました。現在、診察は受けてはいませんが、プ
ログラム自体は家で続けています。
 基本的にそこで処方されるリハビリプログラムは、家で親たちが
子どもに対してやるものでした。その研究所では、生理面、運動
面、知性面の三本柱を基本に、プログラムをニ十四時間態勢でやる
よう指導するのです。 寝ている時でさえ、私は呼吸を良くする機械
に入っていますし、食べている時も体を支えながら立って食べてい
ます。呼吸を良くするプログラムと、運動をするプログラムが大半
ですが、合間合間に、私は知性を伸ばすプログラムを受けました。
とても短いセッションを一日何回もやることで、私は退屈すること
なく学ぶことができたのです。
 そして、私の成長に何よりも重要だったのは、否定されない環境
でした。そして、テストなどで試されることがなかったということ
も大切なことだったといえるでしょう。
 私はドーソン博士の知性面のプログラムにのっとり学習すること
ができたので、かなり幼い時から、未熟ではありましたが、大人と
同じように文章を書くことができました。方法は、ドーマン博士の
本が出ていますので、そちらを参考にしていただくとして、子ども
の私が学ぶのを嫌いにならない環境というのは、とても重要な気が
します。私のようにドーマン法を受けた子供たちは、早くから文章
を書き、数ヵ国語を理解し、あらゆる分野の学習をしています。そ
ういった意味で、私は特別でもなんでもなく、ただ環境が与えられ
た子どもにすぎません。ただそれだけなのです。
 時として、人はその出来事が理群てきず、私は生まれながらにし
て書く能力があったのだと誤解します。人としてこの世に生まれた
のなら、環境が与えられない限り、決して能力は開花しません。人
は、育つ環境によって、持っている能力を開花させるのです。
                       【つづく】
510流奈くん、講談社PR誌に“自著宣伝”【3】:02/06/04 01:18
【つづき】

 子どもをつぶすのに武器はいりません。ただ否定の言葉を投げか
ければいいのです。「おマエはできない」、「そんな夢みたいなこと
言って」といった具合に。そして、命令するのです。「これをしな
さい」というふうに。
 私はそれと反対のことをされて育ちました。「あなたのような脳
障害の子がこんなにがんばっているなんて、なんてすばらしいので
しょう」とか、「あなたの夢はなんてステキなんでしょう」とか。
そして、いつでも尋ねられました、「これについてどう思う?」と
いった具合に。そういった環境の重要性に大人たちがもっと気づい
てくれれば、子どもたちは学ぶことが嫌いになどなるはずがないの
です。
 生まれてから数年の子どもたちを見たことがあるでしょうか。彼
らはいつでも何でも学んでやろうと、目をキラキラと輝かせていま
す。いつでも実験をしていて、いつでも観察しているのです。最高
の科学者といえるでしょう。
 私は妹のソマを見ていると、とてもワクワクします。何をするに
しても、彼女の思いはいつでも明確です。何をしたいか、どうした
いかがハッキリと行動に現れているのです。一歳になったばかりだ
というのに、それはそれはハッキリとしているのです。
 もちろん彼女は、これから人として生きるための、社会のルール
というのを学ぶ必要があります。それは人の間の礼儀です。お互い
を尊重する思いやりです。それを知ることで、彼女はより生きやす
くなるのです。
でも、「これが正しいことだから、こうしなければならない」と
いうのではなく、「こうしたほうがみんな気持ちよく過ごせるのだ
よ」ということを知れば、自然に身につくルールなのです。それを
学ぶ必要があるだけなのです。
 今回書かせていただいた『ひとが否定されないルール――妹ソマ
にのこしたい世界』には「そういった内容が書かれています。
 私はずっと幸せだと感じてきました。ですが、私の文章を読む、
知らない人たちが、私に「なぜ幸せなのか」と問うことで、私はそ
の原因を探ってみよう、それを言語で表してみようという気持ちに
なりました。心を言葉に置き換える、理論的に説明するのはとても
困難なことですが、具体的に日常、何が起こっているかを書くこと
で、その参考になればと思ったのです。私は私の日常のことを伝え
たいのではなく、私の日常から何が起きているかを知ってほしいと
思いました。不幸にならない理由がそこにはあるのです。
 私は母に手の補助をしてもらって五十音のボードを指し、文字を
綴ります。それは心の叫びです。心が言葉を綴るのです、理屈では
なく。
私が書くのは、常に大人たちへのメッセージです。幼い時から書
くという手段を与えられたために、子どもの思いを言語として伝え
ることが可能だった私は、いつでもそれを続けてきたのです。
 昔、子どもだった大人たちへのメッセージ、読んでいただけたら
幸いです。 (ひき・るな 詩人)

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【本文はここで終わり。以下に写真キャプションと執筆者紹介がつづく】
511流奈くん、講談社PR誌に“自著宣伝”【4】:02/06/04 01:19
【つづき】

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(64頁右上の写真キャプション)
筆者流奈君と母親の千史さん。
母親に手を補助してもらい、文字盤を指すことによって言葉を紡
ぎ出してゆく。これは、ファシリテイテッド・コミュニケーション
(F.C.)と呼ばれる方法である。
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2002年6月号―執筆者紹介(★印はすべて小社刊行の近著です)
(中略)

日木流奈(ひき・るな)
一九九〇年生まれ。著書に『はじめてのこと
ば』『流奈詩集』など。★『ひとが否定されな
いルール――妹ソマにのこしたい世界』四月刊

(以下略)
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               【全文転載おわり】