らも

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646無名草子さん
>>645 全文ドゾー

<結局死ぬと思うと何もかもむなしい>
Q:私はもう3年も前から悩んでいます。人間は最後には死ぬのに、どうしてみんな一生懸命生きるのですか。最後に何か
ごほうびをもらえるわけでもないのに、ゴールに着いて何かいいことがあるわけでもないのに・・・。どうして私たちは
努力したり勉強したり恋したりして苦しみ悩むのですか。友人や親に聞いても納得のいく答えを出してくれません。
今のままだと何を始めようにもむなしくてできません。(16歳女)

A:以前、テレビである小学生から、「人は何故死ぬのですか」と尋ねられました。僕は不意をつかれて「うろ」が来たので、
思わず「それは人が死なないと葬儀屋さんが困るからだ」と「とんち」で逃げてしまいました。ちゃんと答えるべきだったと
思います。
人間をはじめ生き物が死ぬのは、DNAの中に「生長―衰退―死」というプログラムが書き込まれているからです。それは「種」
を存続させるためには、種がたくさんの個体数に分かれて生殖しては死ぬ、というパターンが一番合理的だからです。大きなものが
少なく居るよりは、小さなものがたくさん居る方が、例えば大地震のようなものがあっても生き残る確率が高くなります。ひとつの
個体が無際限に生きるよりは、短期間で死んで新個体を残していく方がいいのです。地球の環境が大きく変わってもそれなら変化して
適応していけるからです。たとえば僕の身体は一個ずつの細胞の集合で出来ていますが、個々の細胞は三ヶ月サイクルで新陳代謝
しています。細胞は死にますが、そのおかげで僕は生きています。これと同じことで、僕とあなたは別々の個体ですが、ともに「人間」
を構成している細胞の一つなのです。この「人間」がいつも新しく元気でいるためには、我々「個」の死と新しい「個」の出現が
必要なのです。死ぬというのはそういうことで、つまり「小さな僕=細胞」は新でも「大きな僕=人間」は生きているわけで、そう
考えると死ぬことは別にむなしくはありません。
個の細胞はちっぽけな存在ですが、その一生の中には必ず一度か二度「生きていてよかった」と思う瞬間があります。それは明日かも
しれないし、三十年先かも分かりません。だからとりあえず今日はご飯を食べて明日まで生きてみることが大事なのです。