1958年東京生まれ。
早稲田大学卒業後、「東京人」編集部を経て、現在は評論家。
著書
『ストリートワイズ』(晶文社)
『シブい本』(文芸春秋)、
『靖国』(新潮社・新潮文庫)
『古くさいぞ私は』(晶文社)
『文庫本を狙え』(晶文社)
『慶應三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)
『文学を探せ』(文芸春秋)
『三茶日記』(本の雑誌)等。
現在筑摩書房から刊行中の「明治の文学」の編者もつとめる。
うらやましいぞ私は。
猪瀬と喧嘩しなかったか。
どっちが勝ったんだ?
結構好きだけど、どの本でもどんどん言ってることが
広がりすぎて破綻して終わってる気がする。
特に「慶応三年の〜」と「文学を探せ」
>>3 猪瀬が反論できなくなったから
坪内の不戦勝というところかな。
書評でも時評でもなんでも、
自分のことばっかり書いてるよね。
そこが面白いといえば面白いんだけど。
良くも悪くも高等遊民。
30近くになるまでぶらぶらしていた、
というから、金持ちの坊ちゃんなのかな。
この人は評論家なの?
エッセイストかと思ってたよ。
「靖国」は、いい仕事だよ
11 :
無名草子さん:01/11/09 20:38
>>5 雑誌で論争になったの?
テレビ?
詳細きぼーんぬ。
12 :
無名草子さん:01/11/09 21:54
この人って坪内逍遥の孫なんですか?曾孫かな?
坪内ミキ子は(逍遥の)身内ですよね?
13 :
無名草子さん:01/11/09 23:12
>>12 坪内ミキ子は確かにそうですが、坪内祐三は無関係です。
父親は坪内嘉雄というダイヤモンド社の社長だった人です。
14 :
無名草子さん:01/11/10 01:01
文壇には俗に通じている、一般常識とずれてるということの
アピールとしてプロレス好きを標榜する偽者が多いが、この
人はリアルなファンとして高い評価をプロレス好きからは獲ている
15 :
無名草子さん:01/11/10 01:31
最近、知り合いの編集者集めて柳田國男を読む会を開いてるらしい。
16 :
無名草子さん:01/11/10 06:41
新年ぐらいの朝日新聞の特集で、嵐山光三郎と二人で明治から昭和までの
日本文学者について対談をしていた。対談も面白かったけど、顔写真がすごく
かっこよかった。
17 :
無名草子さん:01/11/10 09:30
たまゆらっていう女装写真集(元奥さんが撮ったやつ)に出てた。
結構可愛かった。
18 :
無名草子さん:01/11/10 15:41
いのせとの論争は、いのせに軍配があがったんじゃないかい。
本の雑誌に、いのせの反論がでてそれっきりになったと記憶しているが。
出版社の大きさについてだったと思ふ。
講談社のように雑誌ばんばん出してる巨大出版社と、日記の博文館をともに
「大きい」と書いてなんたらかんたら。
いのせに理があると思ったが。
19 :
無名草子さん:01/11/10 19:27
この人が編集してる筑摩の「明治の文学」は好い?
自分は文学消防なんで
20 :
無名草子さん:01/11/11 00:24
>>19 文壇その他での坪内の営業活動でしょ>明治の文学
売り上げは悲惨ですけど。
21 :
無名草子さん:01/11/11 02:03
「古くさいぞわたしは」を、ヤスケンがかなりヒステリックになって批判していた
のはなぜ?二人はいつごろから仲が悪いの?
22 :
無名草子さん:01/11/11 15:43
>21
「文学を探せ」に詳しく経緯が書いてある。
23 :
無名草子さん:01/11/11 16:06
>>22 ありがとう。読みます。あの、黄色いカヴァーの本ですね?
24 :
無名草子さん:01/11/11 16:08
今の女房はアカヒの学芸部記者だからな>坪内。
ボンボンだけに世渡りは抜け目ない。朝日御用達なのも当然。
そういうところがヤスケンのカンにさわったところがあるんだろ。
25 :
無名草子さん:01/11/11 23:05
>24
「文学を探せ」を読むと、そういう感じではなかったよ。
もちろん、坪内が書いたものだから彼自身の立場に寄っている
ことはあるんだけど、腹を据えている坪内の勝ちという
印象を受けた。
ヤスケンはマリ・クレール時代はかっこよかったけどね・・・
26 :
無名草子さん:01/11/12 00:13
昨日、池袋ジュンク堂のトークライブとやらを見てきた。
部屋整理してたら宮台せんせいの学生時代の青くさい文章が載った
古文書がでてきた、とか、人食い佐川くんが中央公論(だったかな?)か
どっかの雑誌の投稿でフランスの悪口書いてた文章を面白いと
思った2、3ヵ月あとに事件起こして驚いた、とか
出版関係者(だけでもなかったけど)の妙に細かいこととか
裏三茶日記といった感じで面白かったでした。
27 :
無名草子さん:01/11/12 12:23
『成城だより』(大岡昇平著・講談社文芸文庫)
所収の加藤典洋による解説より抜粋
――しかし、ここに語られていることがらの一つひとつが
明確に一九八〇年代前半という日付をもっていながら、
いま読むと、なつかしくこそあれ、
少しも古びた印象をもって見えてこないのは、なぜだろうか。
私の考えを言えば、ここには、都市的な精神の上澄みの生動がある。
永井荷風から植草甚一、さらには川本三郎、泉麻人、坪内祐三まで、
わたし達のジャーナリズムは、
ある「町っ子」の記録文の伝統ともいうべきものをもっているが、
大岡の『成城だより』は、
永井の『断腸亭日乗』から坪内の『古くさいぞ私は』にいたる、
この系譜の上にある。
これらの記録文の本質は、
実は“筆を舞わせない”「堅実な文体」にあるというのがわたしの見立てだが、
そこでは、その時点でもっとも新しいことが、
またもっとも新しいことへの好奇心が、
その時点ですでに「つかない」、「醒めた」視点から相対化され、
防腐処理をほどこされ、記されているのである。
んで、なにが言いたいの?
29 :
無名草子さん:01/11/12 12:31
ふんと、加藤典洋ってこういうナンパなところあるよね。
坪内祐三は、まあ名コラムニストと言っていいんだろうと思う。
植草甚一や、大岡昇平や坪内は如何にも「町っ子」という感じがする。
しかし川本三郎や泉麻人が「“筆を舞わせない”「堅実な文体」」と
言えるのかどうかは疑問。
ただ、坪内の著作を読めば分かるが、この人の言っていることは
すべて常識論の範疇で、それを如何に洗練された形で出すか、に
大部分の労力を使っているようだ。つまりそれだけ。
限界ですな。
31 :
無名草子さん:01/11/13 09:44
>ただ、坪内の著作を読めば分かるが、この人の言っていることは
>すべて常識論の範疇で、それを如何に洗練された形で出すか、に
>大部分の労力を使っているようだ。つまりそれだけ。
>限界ですな。
厳しいなぁ…
『文学を探せ』を読んで思ったんですが、坪内祐三の面白さは「公私混同」。
言葉と身体の混同と言い換えてもいいんですけど。
後半なんかは、もうほとんど「時評」の体をなしていないわけですね。
むしろそこに、「迫力」のようなものを感じました。
それを「アナクロ」と断じてしまう立場もありうるわけですが、
文学における「私」を改めて考える契機にはなりえませんか。
『文学を探せ』と、高橋源一郎の『日本文学盛衰史』を併置してみるとか。
32 :
無名草子さん:01/11/14 05:15
>31
でも、「文学を探せ」の後半はつまらなかった。坪内自体に
興味のある人はいいかもしれないけど、あれで「文学」に関する
評論だって言われても、なめんなよ、って感じ。
33 :
無名草子さん:01/11/14 11:42
>>32 うん。あれはあなたの言っているように、「「文学」に関する評論」
ではないと思う。あくまでジャーナリスティックな書き物。それが坪内の魅力じゃん。
作家個々の作品を詳細に分解して分析して、それを削ぎ落とされた“精緻な”文体で書き上げたものじゃないしね。
扱い方もすごく主観的。この人に「ノスタルジー」を感じる、っていうのは
当然だと思う。本書でも言っている通り、「庭師」の「談話文」も
明治期には「文學全集」に収められているそうだからね。特に新聞記者は
その当時、ほとんど「文学者」と変わらないものと見倣されていたそうだ。
小説中心主義となって、文学の世界が痩せ細っている今の世の中に、
あえてそういう中間的な書き物を目指しているんだと思う。
なんといっても前述の「庭師」の「談話文」に「もっとも強く文学性を
感じてしまう」ような感性の持ち主だからね・・・
34 :
無名草子さん:01/11/14 12:04
>33
あれがジャーナリスティック?
分からない・・・。
ジャーナリスティックなら、あなたの言う「公私混同」って
いうのとは全くずれてくると思うけど?
と言うか、どこら辺がジャーナリスティックなのだ?
35 :
無名草子さん:01/11/14 12:06
あ、ごめん、あなたは31じゃないのか。
ちなみに違うよ。
『文学を探せ』は「「文学」に関する評論」じゃありませんね。
かといって、33さんが書いているように「ジャーナリスティックな書き物」とも思えないんですよ。
『文学を探せ』の始めのほうでは、確かに、
「ジャーナリズム」を目指した気配が窺われますが、途中から逸脱しちゃいますよね。
私は、むしろそこが面白かったんですが。その壊れっぷりが。
38 :
無名草子さん:01/11/14 14:51
まあ、確かに「文学を探せ」の最後半はくだらないんだよな・・・
こんなの「文学」とは何の関係もない、単なる「私語り」じゃん!!
と、思うのだけれど、これがこの人の“カタギではない”所以なのかもしれないね。。。
まあ立花隆はジャーナリストか? 猪瀬直樹は本当にノン・フィクションライターか?
というのと同型の問題があると思う。(少し例が悪いが)
あくまで第三者的な視点から、対象を客観的に扱う、
というのがジャーナリストの第一の鉄則だとすると、
坪内ははみ出している・・・ というより、それは長期間、彼が雑誌の
編集者をしていたことから来る「奢り」なのかもしれないな・・・
たとえばヤスケンなどにも垣間見られる、一種の「奢り」の感覚・・・
まあ坪内の方が趣味がよりノスタルジックなので、「良質」と
読者には享け止められているかもしれないが。
ただこれを、文学における「私」の問題として捉えるのは私は反対だな・・・
これはやはり「文学作品」ではないでしょ? “エッセイ”と言うのも
なんか気が引ける・・・ 「自分語り」があまり「文学」してない・・・
どうしても、植草甚一とかを思い出してしまうのだが、、、
39 :
無名草子さん :01/11/14 16:56
>ただこれを、文学における「私」の問題として捉えるのは私は反対だな・・・
そうですかあ。それほどのものじゃないですかねえ…… 残念。
>どうしても、植草甚一とかを思い出してしまうのだが、、、
私は、植草甚一ともまたちょっと異なる、何か「過剰」なものを感じますねえ、このヒトには。
これは全く根拠のない「カン」なのですが、
坪内祐三はこれから先、JJ氏的「趣味人」的文筆スタイルとは全く違う方向に展開すると思うです。
というか、期待しています。
なんか『文学を探せ』の話題に傾いてますが、それ以外の著作についてもどうぞ。
40 :
無名草子さん:01/11/14 17:01
文春で新刊文庫を紹介してる人だよね?
それしか読んでいないんだけどそこから受ける印象は、
大正教養主義+80年代サブ・カルチャー
のミックス感性って感じだよね。
ミステリーは読まない、とかさ。
41 :
無名草子さん:01/11/14 21:29
>>39 あの… その「JJ氏」というのは誰ですか…?
もしや、かの「伝説のネットナンパ界のカリスマ」、JJ氏のことでしょうか?
>坪内祐三はこれから先、JJ氏的「趣味人」的文筆スタイルとは全く違う方向に展開すると思うです。
>というか、期待しています。
あなたの仰る、その「全く違う方向」というのは一体どんな方向なんでしょう? 今更、ガチガチの学問スタイルになるとは思えませんが。
…『慶應三年生まれ 七人の旋毛曲り』は、まずなんと言ってもアイディアが素晴らしい。
あと、軽妙な筆さばきと嫌味のない史料扱いの手付きから、鹿島茂の『パリの王様たち』
等を思い出しました。こちらのほうが、日本の事を扱っているのでよりドロドロした感じを受けましたが。
猪瀬直樹の『天皇の影法師』などと比べるとどうなんでしょうかね? 似た傾向もあるように
思えますが、坪内の方がなにか破綻しているような…
42 :
無名草子さん:01/11/15 00:45
>41
>>39じゃないけどさあ、あんたモノを知らなさ過ぎ。JJ氏=植草甚一の
ことだっぺ。
つうか植草甚一とは全く似てないと思う。植草さんの場合は「町っ子」
って感じがすごくする。言葉と体が上手く結びついてて同時に機能してる
面白さ。文学と言うより元祖サブカルに近いし。
坪内さんの場合は、言葉の奔流っつうか良くも悪くも言葉「だけ」
って感じ。真面目なんだろうなあとは思う。
「慶応三年〜」も最後には破綻してたなあ。あれを無理やり1冊にまとめよう
としたのがそもそも無理があったんじゃないかと。
43 :
無名草子さん:01/11/15 01:23
「ゴー宣 戦争論2」で彼の靖国論(援用したのは宮崎哲弥だけどね)
を批判していたから、そのへんでもこれから論壇の中に出てくるんじゃ
ないかな。
ただ彼、ディベートははっきり言ってぜんぜん強くないよ。
というか、反則を反則と思っていないので知らず知らずのうちに
減点されちゃうのだ。
>>42 あー、ごめん。顔から火が出るくらい、恥かしいというのはこの事かと。
「JJ氏と神田神保町を歩く」・・・ありましたありました。
ウチの書棚を掻き回していたら出てきました。
この印象があったから、坪内さんと比較してたのかも。
しかし読んでみると確かに違うな… いかにも洋書好き、書斎のひと、
という感じ。しかも趣味の範囲が広い。アメリカのミステリー小説から
現代の難しい文芸評論まで。私には淀川長治とならぶ、映画評論家・コラムニスト
ぐらいの印象しかなかったけれど、アメリカのミステリー小説読みなら、
この人と田中小実昌の二人をもって嚆矢をなすのかと。
あー… そういえば、コミさんも、いいパーソナリティーを亡くしましたよねぇ・・・
というわけで、妄評多謝。
45 :
無名草子さん:01/11/16 15:00
「靖国」読むと靖国神社は、人民のアジールだね。
最近のコラムニスト(本人は”書評家”と名乗ってるみたいだが)では
このひとが一番好き。書評集とかエッセイ出たら見ずテンで買っちゃう。
東大教授の本を読まずのバッサリ切り捨てたのはアイタタタと思ったが
「三茶日記」も買ったが欄外注のJJ風の文体はちょっと辛かったなぁ
明日発売の「鳩よ!」が坪内祐三特集号みたいですね
はや出しの店で今日買ってこようっと
2ちゃんも
48 :
無名草子さん :01/11/16 20:19
『靖国』は私も面白く読みましたが、以下のような浅田彰の批判があります。
私も坪内祐三のマネして引用(笑)
…だが、いままで語られることの少なかった「楽しい靖国」に光を当てようとする――とくに
「空間としての面白さ」を強調しようとするあまり、「暗い靖国」に関する記述――この「空間」
が歴史の中で軍国主義のイデオロギー装置へと集約され、近年もまたA級戦犯の合祀(昭和53年)
や総理大臣の公式参拝などで揺れている、そうした負の過程を追った記述がほとんどないのは、
いかに類書との違いを際立たせるためとはいえ、『靖国』と題する一書としては片手落ちと言わ
ざるを得ない。詰まるところ、この本は、イデオロギー的なナショナリズム批判への反発を通じて、
いわば庶民感覚的なナショナリズムへと回帰する。庶民が靖国神社の空間に寄せていた思いを、
「もっともらしい論理的な言葉で、私は、否定したくない」。もとより靖国神社も西欧化・
近代化の中で人工的に創出された伝統の一部ではあるのだが、「その『伝統』が嘘であることを
心の半分では知りながら、残りの半分でその『伝統』を信じ込もうとすること、そこにしか
私たちのリアルは残されていない」……。こうして、「靖国」はイデオロギー的な裁断から
救出され、屈折をもって、しかしやんわりと肯定されるのである。…
(
http://www.criticalspace.org/ [Web Critique 2001.08.15])
つまり『靖国』で採った坪内のスタンスは、結局ナショナリズムに回収されるほかない、ト。
皆さん、如何?
49 :
無名草子さん:01/11/17 00:40
文章が良くわからんから
結論に反応しようがない。
50 :
無名草子さん:01/11/17 04:24
べつに、サヨでもウヨでも朝日でもサブカルでもハイカルでも
ジャーナリズムでもブンガクでもなんでもいいんだけどさ、
書くものが致命的につまんないよね。それだけだな。
51 :
無名草子さん:01/11/17 10:40
つうか靖国は興味がないので読んでない。
52 :
無名草子さん:01/11/18 22:23
私も「靖国」は読んでないのですが、
>>46 の「鳩よ!」の特集を読んだ人はいないんですか?
ぜひ感想を。
>52
鳩よ!を買うほどファソじゃない。
54 :
無名草子さん:01/11/20 00:20
プロレスファンなら、靖国とはまずサンテルが2連戦をやった場所である。
これで1章をさくべきではなかったか。
55 :
無名草子さん:01/11/22 10:22
あげ
56 :
無名草子さん:01/11/23 19:56
>>52 まず部屋の写真が載ってて、
本がいっぱい積み上がっていた。
それから亀和田武との対談もあり。
翻訳小説もあるよ。
57 :
無名草子さん:01/11/23 20:06
この人の顔写真よく見るけどその度に忘れる。
印象が薄いというか、定まらないというか。
58 :
無名草子さん:01/11/24 14:00
昔デブだった
59 :
無名草子さん:01/12/01 01:43
あげ
60 :
無名草子さん:01/12/02 23:59
もう話題切れですか。
本の雑誌最新号の予告によれば、
「ついにコンピュータを買った」
とのことだから、
ここを見てる可能性もあるわけですね。
ちなみに職場が近いから東京堂書店にはよく行くんだけど、
まだ坪内氏を見かけたことはありません。
61 :
無名草子さん:01/12/03 17:40
「靖国」は期待ハズレだった。
ウヨ的、サヨ的な二項対立をどう乗り越えて書くか期待していたのに、ただ単に政治
的なものを排除しているだけ。確かに個々の事例は興味深いものがあったが、それで
も「だから何?」と言ってしまえばそれまでだし。断片だけ語られてもね…。
62 :
無名草子さん:01/12/06 06:37
「シブい本」今、読んでるけど面白い。
「文庫本を狙え」よりも、まだ坪内さん本人が若くて
血気盛んな感じがして、読んでるこっちもその熱気に
当てられる。
63 :
無名草子さん:01/12/07 02:55
『文学を探せ』は私小説ですね。
64 :
無名草子さん:01/12/09 19:23
age
65 :
無名草子さん:01/12/21 17:05
age
66 :
無名草子さん:02/01/06 08:20
age
書き込みもないのにやたらにあげるな!
68 :
無名草子さん:02/01/06 22:02
「うん、あいつはお坊ちゃんだな」
by 浅羽通明
69 :
無名草子さん:02/01/06 22:12
70 :
無名草子さん:02/01/12 10:44
誰か「文藝春秋」2月号、読んだ?
71 :
無名草子さん:02/01/12 21:15
>>61 イデオロギー化するのを避けるために断章形式にしたんだとおれは思ってた。
72 :
無名草子さん:02/01/19 21:31
この人が「鳩よ!」の私の滋養になった百冊というコーナーで山口昌男の
「本の神話学」を挙げていた。で、おれも買ってみた。
さっぱりわけわからんかった…
73 :
無名草子さん:02/01/20 15:42
>>24えっ奥さんいるの?意外。あの写真の部屋じゃとても女性は
住めんと見えるが?
74 :
無名草子さん:02/01/20 17:20
75 :
無名草子さん:02/01/21 12:12
>74
レスどうも。
2chで「レスどうも」っつうのもいいでしょ(笑)
>浅田氏の批判は「イデオロギー」だの「ナショナリズム」
>だのという言葉に囚われている嫌いはないでしょうか?
「浅田氏が囚われている」というよりも、むしろ坪内氏のほうが、
「イデオロギー」や「ナショナリズム」から自由であるかのように見えて、
実は極めて「イデオロギー的」だということなんじゃないですかね。
そこから『靖国』だけに止まらず、
「図像学」という「手口」全体に対する批判へと至る、浅田氏の論は面白かったです。
76 :
無名草子さん:02/01/21 18:39
>75
こちらこそ、どうも。
思うに「イデオロギー」や「ナショナリズム」が否定されるのは、
それが個人の外部から大衆を煽動してきたという過去があるからで、
特にそれが戦争という忌まわしい記憶が付き纏う「靖国」であれば
なおさらであるのは仕方ないとも思います。
しかし、その強烈な反動から、本来イデオロギーともナショナリズム
とも無縁の素朴で自然な感情(それがあると仮定してのことですが)、
そういうものまでもがイデオロギーやナショナリズムと一所くたに
されて否定される。その結果が、確かに悪いものはなくなったが、
ついでに良いものまでなくなった、つまりなーんにもない、空虚で
不安定な現代日本である、と、さすがにそこまでは書いてませんが、
「靖国」が書かれた動機はこの辺にあったのではないかと思います。
浅田氏が、この難産の末に生み出された「靖国」さえも否定して、
なーんにもない場所から、いったいどのようにして足場を見出して
いこうとするのか、そこが知りたいところです。
「そこにしか私たちのリアルは残されていない」 by 祐三
77 :
無名草子さん:02/01/23 01:59
>その結果が、確かに悪いものはなくなったが、
>ついでに良いものまでなくなった、つまりなーんにもない、空虚で
>不安定な現代日本である、と、さすがにそこまでは書いてませんが、
>「靖国」が書かれた動機はこの辺にあったのではないかと思います。
だとしたら、坪内氏は立派な「憂国の士」ですね(笑)
私にはそうは思えないんですよ。
『靖国』という著作に対する浅田氏の疑問の核心にあるのも、
「靖国神社」が抱え込んだイデオロギー性を相対化するという意図にもかかわらず、
なぜ坪内氏は「庶民感覚的なナショナリズム」に回帰してしまうのか、
という点ではないでしょうか。さらに浅田氏は、前述の意図そのものの裡に、
「庶民感覚的なナショナリズム」と親和してしまう要素があるのではないか、
という「図像学」批判へと、論を展開していきます。
こうした浅田氏の指摘は重要だと、私は考えます。
なぜなら、「庶民感覚的なナショナリズム」は、
政治体制によって押し付けられるナショナリズムを補強するばかりか、
下手をすれば、いっそう危険なものになりかねないからです。
しかも、それは決して「素朴で自然な感情」に根ざしたものではなく、
「イデオロギー的ナショナリズム」と同様「虚構」にすぎません。
78 :
無名草子さん:02/01/23 02:44
この人の文章で
「左翼も右翼も関係ない。心のきれいな人とそうでない人がいるだけ」
みたいなのがあったけど、そういうの、どうかなと思う。
>>77の「素朴で自然な」云々とつながるかも知れないけど。
そいで、「心のきれいな人」ってのが、単に知り合いだの親しい人だのだったりする。
要するに、自分と仲のいいのが「心のきれいな人」なのね(笑
そのあたり、佐高信なんかとよく似てる。
79 :
無名草子さん:
>77
>「靖国神社」が抱え込んだイデオロギー性を相対化するという意図にもかかわらず、
>なぜ坪内氏は「庶民感覚的なナショナリズム」に回帰してしまうのか、
浅田氏がこのように考えているなら、順序が少し違うのではないかと思います。
坪内氏はそもそも、浅田氏流に言えば「庶民感覚的なナショナリズム」から
出発していて、それが旧来のナショナリズムと同根でないことを確認した
作業が、この「靖国」の執筆であったと思われます。ですから「図像学」
批判云々という話も坪内氏に限っては関係ないと思います。
しかし問題はそのあとでしょう。ちょっと今日は遅くなってしまいました。
続きはまたいつか。
>78
>要するに、自分と仲のいいのが「心のきれいな人」なのね(笑
心のきれいな人と仲良くなる、という見方もあります。