【太田と】星海社FICTIONS新人賞18【愉快な仲間達】

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191この名無しがすごい!
およそ見当違いな文句を書くな邪魔だ、といわれてるだけだろう
かまってもらいたいだけの馬鹿がセンスの欠片もないぐぜごとをくどくどと書くのは邪魔でしかない。邪魔。レンズについた泥
泥が応募したかどうかなど、どうでもよい。おまえに見込みがないのはみればわかる

たとえば>>122
> 京極夏彦が欲しいって言を信じて怪異ネタバリバリのミステリ送っても「うちのカラーに合わない」って言われそうで怖いんだよなぁ・・・
をみたらすぐわかる。京極夏彦の骨の頂を枝毛の太さほども理解していない。泥だけに無駄なことに拘泥して

京極夏彦の作品の真の力については、文芸者でもない宮台がごく端的にこう述べている

 彼の中に存在する全体性への希求はなかなかすごい。村上春樹の例を出しましたけど、アメリカでいえばジョン・アーヴィングを代表格に、
 ガルシア=マルケスなどの中南米の小説もそうですが、日本には全体性への希求の、崇高でありかつギャグであるような二重生を描いた作品が少なすぎます。
  いい換えれば、全体が部分に対応し、〈超越〉が〈内在〉する、といったアイロニーを、実存に結びつけて描く作品が少なすぎる。
 そんな中で、京極の作品はなかなかいい線を行っている。なのに文芸批評がこれを扱えない。
 その結果、国民の基礎的素養のレベルが上がらない。上がらないと、社会システム理論のある種の命題を有意味に告知できないのです。

俺にいわせれば、これは、政治センスにおいて「お客さんではない言葉」が日本には決定的に足りないのだが、
京極夏彦は「いい線を行っている」、だがそれを等価で受け止める言論がない。そう宮台は述べている

また俺の観点では、太田氏個人についてあえて語るなら、(もうすこしシャイにではあるが)やはり同じことをずっと希求しているようにみえる
そういう意味ではたしかに「待ちぼうけに終わりそうな、京極夏彦のレベルをいまだに求めている理想主義者」ではあろう
当人がそれをどの程度自覚しているかは知らないが。
Signor,se vero e alcun proverbio antico,
questo e ben quel,che chi puo,mai non vuole.