正義小説の始まりだぜ
「障拳」 途方暮雄
・序障
貴様の形を奪う。
この拳を叩きつけ、皮膚を焦がし、肉を溶かし、骨を砕き、内臓を爆破し、影を崩す。
人間だったものをちぎっては破っては食い散らかし、血の海で我は咆哮する。
肉体を失っても決して許されはしない。
貴様の一族、知人、友人、第三者を全員同じ目に合わせて根絶やしにする。
物理的に消し去ってやる、貴様の存在を。
殺された両親の仇、この手で討つ……!!
清朝時代の中国の街を上半身裸の男が闊歩していた。
細身の引き締まった肉体を持つ黒髪の20代の男。
下半身は黒いカンフースーツに包まれ、布靴で力強く地面を踏みしめていた。
左肩に縄で縛った白い酒瓶をかつぎ、猛禽類のようなギラギラした目つきで男は周囲を見回す。
石造りの古風な町並みには貧民層を思わせる粗末な身なりの人々がのどかにすごしていた。
しかし男の視線を感じると賭け事に没頭していた老人達はすぐに遊戯を中断し、子犬を追いかける子供達は家に隠れ、商人は店じまいをした。
這うような殺気に誰もが怖気づく。
彼が通り過ぎた後は静寂が訪れる。
そんな中、この緊迫した空気を感じ取れない者が一人。
その視線は男よりも遥かに低いものだった。
背後から近づき、男の酒瓶に手を伸ばし――
「ホアァァアアアショォォォオオオオ!!」
甲高い怪鳥音と共に男から繰り出された裏拳で吹き飛ばされる。
地面で蹲る盗人の正体は汚い身なりの10歳程度の少年だった。
「我に盗みを働くとは狼藉者め! 殺されたくなければ名を名乗れ!!」
鼻血を垂れ流しながら少年はガクガクと震え、一生懸命口を動かそうとした。
「……ァゥ……アゥ……ァ……」
「むぅ?」
言葉になっていないその声に男は疑問の表情を浮かべる。
そこへ少女の声が響く。
「お許しください!」
男が振り向くと、14歳程度の汚い身なりをした美少女が必死に杖をついて歩み寄ってくる。
足が不自由なようだ。
「お許しください、弟は生まれつき耳が不自由で口がきけないのです」
「ふん。なんだ、ツンボ一匹とビッコ一匹か。何ゆえにこのような狼藉をはたらいた!」
「わたしどもの家庭はとても貧しく、満足なたべものもありません。弟はひもじくて不届きな所行をしたのでしょう。
このお詫びにいかなる事もします、どうか命だけは……命だけはお助けください」
少女は男にすがって懇願する。
「貴様に何が出来るというのだ」
「身体をお売りしましょう。わたしの四肢は既に質に入れられていますが、この身体ならお譲り出来ます。どうかお許しを」
(人身売買……?)
眉根を歪ませる男。
「貴様の四肢を買い取った者はどこにいる?」
「家畜道場にいます」
「案内しろ。買い戻しに行く」
「今なんと……」
「人身売買など見過ごせるものか。買い戻しに行ってくると言っているのだ」
「ありがとうございます! あなた様のお名前は……」
涙を流して感謝する少女に男は名乗った。
――我が名は、シンタイ。
・第一障「必殺の障拳」
ザッとシンタイは家畜道場の土に足を踏み入れた。
彼の目に映るのは堕落の風景。
道場では鍛錬をする者など誰一人おらず、至る所で賭博が行われていた。
ドン、とシンタイが地面を踏み鳴らすと小規模の地震が発生し、椅子も机も人もひっくり返る。
「ショォォオオオオオオオオガイィィイィィシャッ!!」
彼が甲高い怪鳥音を発すると道場のありとあらゆるガラスは割れて砕け散った。
思わぬ闖入者に賭博に夢中になっていた門下生達は仰天する。
それにも構わずシンタイは少女の手を引き、声高々に言った。
「この道場の師範はおらぬか!」
すると道場の奥から猫背で出っ歯の黄色いカンフースーツを着た男が現れる。
「師範は俺だ。身の程知らずの小童めが何の用だ」
「我はシンタイ! 人身売買で買われたこのビッコを買戻しに来た!」
「金を持っているようには見えないが?」
シンタイは逞しい腕を突き出して言う。
「プヮーァアアアア(怪鳥音)金はないが拳はくれてやろう」
「ほう、戦って奪うというのか。おもしろい」
師範はブヮッブヮッと手を振り回し、片膝を上げて手首を曲げ、蟷螂拳の構え。
しかしシンタイは構えない。
「貴様が喋れなくなる前に我は問う。ケンジョウという名の男を知っているか?」
「何故それを尋ねる」
「我が家族を殺した仇敵。地の果てまで追い続ける存在ゆえ」
「もし俺がそいつだと言ったら?――」
言い終わる前にズドォオンと大砲のような音が響いた。
シンタイの元いた場所にはクレーター。
道場の門下生もビッコもツンボも遅れて視線で追った。
「ぐわぁぁぁああああああああああああああ!!」
「ショォォォォォォォォォォ……」
その先には二本の指を師範の目に突き刺すシンタイの姿が。
「コォォオオオオオオ……」
彼はズブッと瞼ごと貫いた血まみれの指を抜き出して呼吸を整えた。
「イショォォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
そして怪鳥音を発しながら師範の腱を手刀で切り裂く。
「ぐぁぁあああああああああああああああああっ」
激痛と共に膝をつく師範。
次々にシンタイは師範の急所を狙い、完全破壊。
それを見ていた門下生の一人が思わず口にした。
「え、えげつねぇ……。聞いた事あるぜ。戦った者を一人残らず障害者にする拳法、『障拳』の使い手がたった一人だけ存在すると……!!」
「コォォオイショォォオ!! 後遺症!! 後遺症!! 後遺症 後遺ショォォオオオオオオ!!」
師範はシンタイの繰り出す手刀によって神経などの急所を破壊され、次々と機能不全となっていった。
「ショォォオオオオ……ガイ、シャッ」
人体破壊の限りを尽くした彼は血の海に背を向けて言った。
「峰打ちだ。再起不能程度で済ませてやった。行くぞ、ビッコ! お前はもう自由の身だ」
「は、はい!!」
震えながら、杖を突きながらもビッコはシンタイの後を懸命に追った。
「待ってくださいシンタイ様! あなたが探しているケンジョウという者に心当たりがあります!」
「何だと!? 話せ!! 知っている事を洗いざらい話せ!!」
振り向いてシンタイはビッコの胸倉を掴んだ。
「ケンジョウ……。健常惨憎……。恐らく惨憎法師ではっ」
「惨憎法師!? そいつはどこにいる!?」
「分かりません。天竺を目指して旅をしているのですが所在までは……。しかし、チョン八戒という男なら知っているかもしれません」
「ビッコ、今すぐついてこい。案内しろ」
「よろこんで! このご恩は忘れません!」