>>170 >第二章〜侵食〜
耳元で嘲るような哄笑が響いた。
広彦はうなって寝返りを打ち、布団で耳を塞いだ。そして、はっと目を開ける。建てつけの悪い雨戸からもれる光が重い瞼を刺した。
「ここは……」
アパートの部屋だ。時刻は七時を過ぎたばかり。
時計を確認し、先ほどの哄笑の正体を悟って顔をしかめた。枕元に置いてある携帯電話が震えながら鳴いている。マナーモードにし忘れていたらしい。
猛かと見当をつけてサブディスプレイを見やり、ちょっと息を止めた。見慣れない名前が光っている。
「東雲ナナ?」
たちまち、猫御殿で起こった一連の出来事を思い出した。つい昨晩のことが、遠い昔のことのように頭の中を回る、回る。
「夢じゃなかったのか」
しばしディスプレイの名前を眺め、携帯を開き耳に当てる。おはよう、と寝覚めの鼓膜にしみ渡る澄んだ声。
「総上くん?」
「ああ」
「いま起きたみたいな声ね。今日、覚えてるよね」
「ああ……」
瞼をこする。九時に駅前に集合、赤穂の車で猫御殿へ、だったはずだ。
「なら良かった。昨日、だいぶ疲れてたみたいだから、一応モーニングコールしておこうと思って。遅刻したら許さないから」
涼しい声で、軽やかに脅すようなことを言う。広彦は起き上がり、うめいた。
「必ず行くよ」
「よろしく。じゃあ、あとで」
清々しいほどあっさり切れた。
夢かどうかを確認したり、起きてすぐに電話がかかってくるのはワンパターン。
もっと工夫したほうが良い。