『ディラックの真空』は様々な素粒子が生まれては消滅するエネルギーの沸き返る『場』だが、
巨視的に見ると何も存在しないの宇宙空間、『真空』となる。
人間も微視的に見れば同じように沸き返る狂気だが、
巨視的に見ると何も起こらない平々凡々の『世間』となる。
ここに青色の人がいたとする、そして赤色の人がなにやら黄色の事をやり始めた
するとオレンジ色になって喜んだ
青色の人はうらやましそうにオレンジを見つめた
そして俺もやってみようと黄色い手段を希望に満ちた表情で取り入れた
しかし出来た色は緑色、手段も何一つ間違った事はしていないのに
なぜなんだと頭を抱え悩む、
悩んだ挙句緑色をこれはオレンジなんだ、オレンジじゃなきゃおかしいんだ
オレンジだオレンジだと念じる者が現れる
こういう人が狂った人だろう
最初に赤色ナイズされてた人は、素直にオレンジに近づけてうれしいだろうな
緑色の仲間を見てだらしないとかののしるんだろうな
でも緑色もそれはそれで見れば良い色だ、最初から緑色を望めば緑色になった事に喜べたはずなのに
そうすればオレンジになった人の中にも緑色の方が良いと言ってくれる人が現れるかも
最初に自分が何色かよくわかっていれば取り入れるべきかどうかも分かったのに
己を知り敵を知らねば百戦危うからずだね
素粒子の自己同一性のなさを考えるとその比喩には同意しかねますが。
狂気とは千差万別、だから異端なのだと思う。
その場合緑の人とはオレンジを望んだ、正しい異端ですな。
ここでいう狂人とはオレンジなる常識とは独立の思考形態を有しており、
それ故オレンジから見ても、他の緑から見てもオレンジではないとされるような者だと思う。
自分のベース色もかえりみず緑色なくせしてオレンジだと言い張る
人は本当のオレンジな人からも気持ち悪がられ
反省した緑色な人からもお前はまだ自分が見えていないのかと突っ込まれる
狂人なんだろうな
そうそう、「最初の自分の色」を知るってのが大事ねえ。
オレンジ目指したくせに緑色になって開き直る人もどうかと思うけど
最初から緑色を目指した人にっとっては同じやり方で違う結果を残した成功者だろ
ポールJマイヤーがいう
成功とは「自分に価値がある目標を前もって設定し段階をおって実現していく事」になるんだろうな