【もくじ】
世に棲む日日
阿波紀行
紀ノ川流域
白川・会津のみち
赤坂散歩
大徳寺散歩
中津・宇佐の道
城塞
3 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 16:39:40 ID:VMX7Hyfq
4 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 16:44:56 ID:VMX7Hyfq
5 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 17:27:59 ID:VMX7Hyfq
6 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 17:36:03 ID:VMX7Hyfq
7 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 18:58:02 ID:VMX7Hyfq
8 :
世に棲む日日:2010/05/28(金) 18:59:12 ID:VMX7Hyfq
11 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 13:21:15 ID:iGYukgTA
12 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 13:37:04 ID:iGYukgTA
13 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 14:03:56 ID:iGYukgTA
14 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 14:18:20 ID:iGYukgTA
15 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 14:48:50 ID:iGYukgTA
松浦史料博物館のHPでは、同博物館の初代館長でもある葉山万次郎氏を、
葉山佐内の曾孫であると言っている。万次郎氏は、大阪外国語大学総長を
退官し平戸に戻っていたところを初代館長として迎えられた。
『世に棲む日日』では、孫である。どちらが正しいのだろう?
http://www.matsura.or.jp/
17 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 16:52:32 ID:iGYukgTA
18 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 17:40:21 ID:iGYukgTA
19 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 17:53:35 ID:iGYukgTA
20 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 19:00:17 ID:iGYukgTA
21 :
世に棲む日日:2010/05/29(土) 19:02:19 ID:iGYukgTA
江幡五郎の「幡」の字は、ほんとうは違う。本当の字は「?」になる。
23 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 16:50:30 ID:ZsRN7zOF
24 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 16:56:23 ID:ZsRN7zOF
25 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 17:10:53 ID:ZsRN7zOF
26 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 17:42:29 ID:ZsRN7zOF
27 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 17:46:08 ID:ZsRN7zOF
28 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 17:49:37 ID:ZsRN7zOF
29 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 18:09:35 ID:ZsRN7zOF
30 :
世に棲む日日:2010/05/30(日) 18:35:11 ID:ZsRN7zOF
31 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 12:46:44 ID:zksd60JA
32 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 13:12:18 ID:zksd60JA
33 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 13:42:09 ID:zksd60JA
34 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 14:01:29 ID:zksd60JA
35 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 14:02:34 ID:zksd60JA
36 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 14:48:31 ID:zksd60JA
37 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 15:00:14 ID:zksd60JA
38 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 15:10:42 ID:zksd60JA
39 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 15:35:48 ID:zksd60JA
40 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 16:08:49 ID:zksd60JA
41 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 16:12:01 ID:zksd60JA
42 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 16:45:48 ID:zksd60JA
43 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 16:53:37 ID:zksd60JA
44 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 17:01:59 ID:zksd60JA
45 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 17:35:28 ID:zksd60JA
46 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 18:02:15 ID:zksd60JA
47 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 18:33:31 ID:zksd60JA
48 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 19:07:52 ID:zksd60JA
49 :
世に棲む日日:2010/05/31(月) 19:19:34 ID:zksd60JA
書き忘れたが、【岸頭】の章も、 嘉永六年(1853)の話である。
翌1854年は安政元年であるが、嘉永七年は11月27日まで続く。
52 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 13:45:28 ID:6/jlDXvj
53 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 13:49:08 ID:6/jlDXvj
54 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 14:14:16 ID:6/jlDXvj
55 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 14:18:27 ID:6/jlDXvj
56 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 14:41:32 ID:6/jlDXvj
57 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 14:56:23 ID:6/jlDXvj
58 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 14:57:57 ID:6/jlDXvj
59 :
この名無しがすごい!:2010/06/01(火) 15:01:51 ID:eJj5kvA4
なんだかすごいスレだなここは
60 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 15:28:21 ID:6/jlDXvj
61 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 15:39:35 ID:6/jlDXvj
62 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 16:04:26 ID:6/jlDXvj
63 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 16:27:15 ID:6/jlDXvj
64 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 16:40:35 ID:6/jlDXvj
65 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 17:07:37 ID:6/jlDXvj
66 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 17:09:15 ID:6/jlDXvj
67 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 17:58:12 ID:6/jlDXvj
68 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 18:08:03 ID:6/jlDXvj
69 :
世に棲む日日:2010/06/01(火) 18:09:53 ID:6/jlDXvj
弘中勝之進は、獄中生活17年。「世に棲む日日」にはもう一人、岡田一迪(かずみち)という
獄中生活14年という奴が紹介されている。
映画には、河野数馬(本田博太郎)という囚人も登場する。
73 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 13:42:24 ID:0iFpIrPb
74 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 13:43:23 ID:0iFpIrPb
75 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 15:14:32 ID:0iFpIrPb
76 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 15:45:27 ID:0iFpIrPb
77 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 15:53:49 ID:0iFpIrPb
78 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 16:27:47 ID:0iFpIrPb
79 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 16:28:32 ID:0iFpIrPb
80 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 16:37:15 ID:0iFpIrPb
81 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 16:38:05 ID:0iFpIrPb
82 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 18:21:40 ID:0iFpIrPb
83 :
世に棲む日日:2010/06/02(水) 18:25:12 ID:0iFpIrPb
司馬は、“その梅田雲浜が、いわゆる安政ノ大獄の前年の暮、京を発ち、長州に
むかったことがある”と書いている。雲浜が萩へ行ったのは安政三年の暮だから、
「前々年の暮」が正しい。
松陰の相模湾沿岸視察旅行が、この作品では二度出てくる。
脱藩の罪に問われる東北旅行の前の相模湾視察が史実であり、これは正しい。
嘉永7年に兄杉民治が江戸に来た際も、松陰は相模湾視察を
していることになっているが、こちらはウソ。
鎌倉には叔父の竹院がいるから、都合4回旅している。
だが、宮部鼎蔵らを伴って相模湾の視察をしたのは、嘉永4年の旅のみ(1回目)。
2度目の鎌倉は、本文で詳しく述べられた「きび粉」を竹院に届けた旅(嘉永6年5月)。
3度目は、ロシア密航計画を立て長崎に行く途中に竹院を訪ねる(嘉永6年9月)。
4度目は、ペリー艦隊で渡航しようとした嘉永7年(安政元年)の旅なので、供は
金子重之助のみ。
間違えた。竹院は叔父ではなく伯父だ。
>>42参照。
88 :
85:2010/06/03(木) 12:30:46 ID:tqMRmOFa
失礼。
嘉永7年にも相模湾沿岸視察旅行の計画があり、松陰がそれを遂行するために
兄民治をだましたと書かれてあるだけだな。実際にはペリー艦隊の再度の来航
によってそれどころではなくなり、旅行は中止になったのかもしれない。
いずれにしても、計画があったことは書かれているが、実行したかどうかは書かれていない。
89 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:07:25 ID:tqMRmOFa
90 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:18:26 ID:tqMRmOFa
91 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:19:13 ID:tqMRmOFa
92 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:22:58 ID:tqMRmOFa
93 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:47:23 ID:tqMRmOFa
94 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 13:57:50 ID:tqMRmOFa
95 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 14:16:22 ID:tqMRmOFa
96 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 14:58:06 ID:tqMRmOFa
97 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 14:58:54 ID:tqMRmOFa
98 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 15:31:18 ID:tqMRmOFa
99 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 15:32:14 ID:tqMRmOFa
100 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 17:40:46 ID:tqMRmOFa
101 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 18:37:47 ID:tqMRmOFa
102 :
世に棲む日日:2010/06/03(木) 18:39:37 ID:tqMRmOFa
『大徳寺散歩』の「風食水宿の譜」に登場する高桐院の住職さんは、
松長剛山さんだね。昭和18年生まれだから間違いないだろう。
スレタイと全くずれてるな
「街道をゆくー中津・宇佐のみち」に登場される中津市役所職員の岡光隆史氏は、
戦後みすみ池を埋め立てて作られたと司馬が嘆いていた中津競馬場の担当になられたようだ。
次のような記事を発見した。
岡光隆史中津競馬組合事務局長(55)が31日夜、厩舎団地集会所
で第1回開催の中止を競馬関係者に説明した祭、脅迫や監禁行為
などを受けたとして中津所に被害届を出したことについても触れ、「見解の相違だ」とハンドマイクで訴えた。
県厩務員労組の奥吉秋委員長は当時の状況について、
「競馬の中止や廃止で関係者は生活の場を失う。われわれに死ね
というのか、それなら、あなたも死んでくれ、という内容の言葉の
やり取りがあった。その中で、岡光局長の首にロープを持って
いったと記憶している。ロープで首を絞めるなど乱暴なことは
していない」と話した。
http://yasai.2ch.net/keiba/kako/994/994297512.html
天正17年4月、黒田如水が、宇都宮鎮房を謀略により中津場内に誘殺したとき、
その愛馬ヤマノシルエット号(4歳牝馬)が中津城を脱出し、この寺を拠点として奮戦し、
最期をとげた。
以来、門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、遂に赤壁に塗られる
ようになった。
108 :
黒田重隆:2010/07/01(木) 19:56:44 ID:eT00wTQC
「街道をゆく−中津・宇佐のみち」では、俺のことを貧乏人のように書いているんだけど、
なんか勘違いしてねぇか?
109 :
黒田職隆:2010/07/01(木) 20:03:34 ID:eT00wTQC
おれ一代で金持ちになったように書いてあるね。とーちゃん、ごめん。
「城塞」を読んでいるんだが、大野治長の大野家の出身地が、近江なのか丹後なのかわからん。
城塞では、「鴫野・今福の戦い」で榊原康政が登場するが、腰を抜かさないように。
村越茂助直吉も冬ノ陣に出陣したようなんだけど、こっちは惜しかった。
家康の駿府出立の9ヶ月前に死んでいる。
康政の場合、8年ずれている。
筆者は以前フィンガー5の“恋のダイヤル6700”の歌詞に関して大略次のような
意見を述べたことがある。「明日は卒業式だから これが最後のチャンス」というが、
卒業と同時に電話の相手が死ぬわけではあるまい。卒業すれば周囲の目を気にしない
でアプローチできるから、むしろ恋の成就率は高まるのではあるまいか。
しかし、筆者は重大な事実を見落としていた。そのことが今回発見された新史料から
明らかになった。電話の相手はウルグアイ人留学生であり、卒業と同時にウルグアイ
へ帰国する予定だったのである。これでは「最後のチャンス」と言わざるを得まい。
織部正は、『恋のダイヤル6700』をふたたび自分の両掌のなかへもどし、ふちに、二本の
親指をかけた。
(なにを、するつもりか)
善十は見た。
織部正は、微笑している。が、異常な力がレコード盤をもつ指にかかっていることは、
その肩の様子でわかる。
(あっ)
ぴしっ、と、掌の中でレコード盤が二つに割れた。さらに三つ、四つ、と破片が次第に
小さくなってゆく。
「殿、なにをなされるのじゃ」
「割る」
織部正は、楽しそうであった。
「割って、わしの好きなように、自在に黄金を流し入れてつなぐ。継ぎ目の景色は、
いちだんとよいものだ」
「ほう」
割って継げば、名も実も、レコードは織部正の作品になる。しかし、針がとんで聞けた
ものではないであろう。
「割って、城を」は面白い作品ではあるが、古田織部正が伊勢松坂藩主というところがいただけない。
梟の城を読み始めたところだ