自分の意見を認めない人は話が分からないって時点で「言葉遊び支持者」も他人の事言えないな
何処がどう言葉遊びなのか、どう面白いのかを具体例を出して説明しないのも今までの信者を変わらない
アンチは感情論で西尾を全否定しているっていう論調で済ませようとしているところまで一緒
アンチは律儀に毎回、「言葉遊び」は技術的なものであって水準も存在すると主張してる
あなたは「言葉遊び」というのは娯楽、ただ楽しみたいという気持ちを否定するのは良くないと言ってるけどこれも的外れ
「遊び」というから自由度が高いように思えるけど、これはただの言葉の綾であって
例えばただ鵜を飼育してるだけでは「鵜飼い」と呼べないし、ただ褌を肩に乗せていても「褌担ぎ」として認識されず、
また、何の規則性もなく数字やアルファベットを羅列するだけで「言語」や「暗号」にならないのと同じ
信者の中でもストーリーやキャラ造形については否定派がいて、では何故西尾が好きなのかというと「言葉遊び」が面白いからというのがよくいる
こういう信者に取って「言葉遊び」という言葉は西尾を読み続けるアイデンティティにもなっていて
他の何を捨てても「言葉遊び」だけは認めて貰おうとするから性質が悪い、出来不出来よりも個性で言い訳出来る曖昧な基準だからね
筒井は言葉遊びや言語実験の人というよりも、それらを大衆向け娯楽に組み込むのに苦心した作家
レーモン・ルーセルやウリポの難解な言語実験、ボルヘスの構造的な言葉遊び
エスプリの利いたナブコフ、翻訳家柳瀬尚紀の天才的な置き換えセンス
そういうのが言葉遊びだと認識する人は
西尾がやってるダジャレにギャグ、アニメや漫画限定の極めて内輪ネタ的なパロディー、
ただ同じ文字を並べた
>>166や「魔法使いを殺し」連呼のようなワンパターンで粗製乱造な小説は
ただ子供が絵を描いて「前衛芸術」だの、調理実習で小学生がやたらに調味料を使って「創作料理」だの言ってるのと同様
ジャンルの範疇として認められないという意見が出るのも理解しよう
長いけどちゃんと読んでね