.序章
俺、明石星佳<<あかしせいか>>は本日、可愛い魔女の女の子を下僕<<しもべ>>にしました。
当たり前だが、俺には何か特別な力や経歴があったわけでは無い。
明石星佳は魔法の国の王子様でも無く、未来の国の未来人でも無く、秘密組織の能力者でも無く、何処にでも居る、平々凡々な一人の高校生だ。
それならばなぜ、そんなことになったのか。
全ての事の発端は、放課後、俺が同じ部活の友達二人にジャンケンで負け、コンビニにアンパンを買いにパシらされた帰り道から始まる――
.一章
姫塚川の川岸に築かれた真っ直ぐな土手、俺はその土手の上を右手にアンパンが三つ入ったコンビニ袋を抱えながら歩いていた。
もう放課後の時間帯と言うだけあって、辺り一体が淡いオレンジ色の光に包まれており、右手に流れる姫塚川の水面には、赤とんぼのアベック達が縦横無尽に飛び回っている。
秋は夕暮れ。そう述べたのは清少納言だったか紫式部だったか。
少しの間その事を思索するも、思い出せたのは古典教師からの手痛いモーニングコール(教科書の角による渾身の一撃)のみであり、自分がいかに国語の授業を真面目に受けていないのかを再認識する。
まぁとにかく、秋の夕暮れは綺麗だ、素敵だ、ビューティフルだ。風光明媚な光景は自然と人を浮き足立たせ、その心を弾ませる。
もちろんそれは俺にとっても例外ではなく、その時の俺は、黄昏の輝きに秘められた希代(けったい)な魔力に魅せられて、ちょっぴりアッパーでエキサイトだった。
だから、
「ねぇあなた」
突然後ろから、空いた左手を握られて
「あなたってもしかして、ニンゲン?」
こんな意味不明な質問を投げかけられても、なんら疑問にすら思わなかった。
俺が振り向いた先に居たのは、一人の小柄な可愛い少女。
髪は艶のあるブロンドで、すっきりとしたショートヘア。体躯に対して大きめな、薄い水色のワンピースを着用している。
その雪のように白い肌は、絹のようにきめ細やかで、愛くるしい顔付きからは、西洋的な部分が見て取れる。
そして、それら何よりも俺の心を奪ったのが、少女の大きな瞳であった。
俺の顔を興味深く見詰めるその双眸は、俺が今まで見たことも無い、鮮やかなオレンジ色の光を灯していたのだ。
綺麗だった。眩しかった。一瞬でその瞳以外の全てが色あせて見えた。
この絢爛たるオレンジの前では、あれだけ華やかに見えた夕焼けの町も足元にすら及びはしないだろう。
それだけ、少女の瞳のオレンジは美しかったのだ。
「ねぇ、ニンゲンなのかと訊いてるんだけど?」
再びの問いにハッと我に返る。
この少女の、何処か人間離れした瞳に少し呆けていたらしい。
俺は平静を取り繕い、少女に返事をした。
「ああそうだ、俺は人間だ。それがどうかしたか、お嬢ちゃん?」
どうかしたかお嬢ちゃん、ね。我ながらなんとも笑える返答だ。
その時どうかしてたのは、間違いなく少女ではなくて俺のほうだ。
だって普通は、いきなり見ず知らずの少女に『お前は人間か?』なんて訊かれたら、ちっとは気味悪がるもんだろう。俺が人間だなんて事は、誰が見ても一目瞭然なのだから。
だから俺はこの時、少女を忌避し、そそくさとその場を立ち去れば良かったのだ。律儀に返事などしないで。
だが先程も言ったよう、悲しいかなその時俺は、ちょっぴり、前後不覚でハイテンションだった。
これっぽちもそんなこと、疑問にすら思わなかったのだ。
俺の返事を聞いた少女が、どこか満足気な表情を浮かべて薄く笑う。
「ふふ、じゃあ、あなたにこの指輪をあげる。大事にしなさいよね」
正直何が『じゃあ』なのか、俺には皆目解らなかったが、少女はワンピースのポッケを漁り、中から一つの指輪を取り出してそれを俺に差し出した。
銀製の、細部まで装飾の施された、明らかに高価な物と解る指輪だ。
通常、赤の他人からそんなとても値の張りそうな、ブランド物っぽい指輪をくれると言われた所で、そう当たり前のように受け取るだろうか?
いや、受け取るわけが無い。断定を強める反語法で言い切ってみせる。
だから、俺は
「おいおいお嬢ちゃん、こういう物は、簡単に他人にあげちゃいけないんだゼ」
とかなんとか言って、格好つけて、その指輪を彼女のお人形のような、ちんまい右手の人差し指にスッと嵌めた。
優雅に、華麗に、美しく。
優しく、甘く、紳士的に。
最後の「ゼ」を上手くキメるのもポイントだ!
……嗚呼、笑いたきゃ笑え。その時は俺もどうかしてたんだ。
さてさて、それでこの少女が「そっかぁ、解ったよお兄ちゃん。じゃあねー」と手を振ってどっかに言ってしまえば、それでよかったのだ。
それなら俺は、この忌まわしい話をただの黒歴史として、自分の心の奥深く、前人未到の奈落の底にコンクリ詰めにして沈めていただろう。
だが、そうは問屋が卸さなかったのだ。
「あ、あぁ……」
なんと、指輪を嵌められた少女が、この世の終わりを三回ぐらい味わったような顔で、つまり顔面真っ青にして、小刻みに震えているではないか。
「お、おい、どうしたんだ」
その突然の変化に心配になって、俺が少女の顔を覗き込もうとすると
「あなたなんてことするのよぉ〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!」
可愛らしい怒鳴り声が俺の耳を右から左に突き抜けていった。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ! あなたなんてことしてくれたのよぉ!」
少女が半泣きで俺の胸をポカポカと殴ってくる。痛くは無かったが、対応には困った。
全く、感謝されこそすれ、キレられるような事など俺はしてないぞおい。それなのに何故殴られなきゃいけない。これが最近のキレやすい若者って奴か? まぁ高一の俺が言えたことでもないが。
何はともあれ、今自分が殴られているのは明らかに筋違いだ。
ここは、俺のありがたい説法でこいつを改心させてやらなければなるまい、
「おい、俺はただ指輪を嵌めただ――」
「うるさい馬鹿っ!」
と思ったのだが、残念ながら俺のありがたい説法は少女の一喝で遮られてしまった。
「いい!? これは『隷属の指輪』なのっ! ただ嵌めましたじゃ済まされないのよ! あなたに責任取れるのぉ、う、ううぅ〜……」