(西尾維新クリエイター十戒 の感想)
一、己の創造物を作品と言ってはならない。
「謙虚であれ」という要求を、かなり極端にして、無駄に具体的に絞ったという、いきなりあまり要らない項目。
謙虚とは対極にある中二だましの誇大宣伝文句で 儲けまくってる作家が謙虚さを語るとは。
(なぜ西尾がこんな極端・具体的で狭いことだけを言ってるかというと、自分用の逃げ道を作っているため)
ところで一つ目から先輩作家の清涼院流水=「大説家」 の立場がなくなる主張でワラタw 外伝書いたのに
二、他者の創造物を批判してはならない。
海外の推理小説のパクリみたいな内容とか、連続殺人で最初から犯人が分かっていたはねえよとか(該当作知らない、相当絞られるはず)、
西尾、むしろ作中でまで批判しまくってるじゃん。初期の頃、業界の「挑戦者」だった頃は、既存のミステリー・ラノベありきで、
「それに対する批判的な立場」なこと言って売ってたところがあったよね。自分が売れまくって「強者」(批判される側)になったらそれか。
また西尾維新が、文学賞の選考委員(・評論書き)の作家みたいな地位とはかけ離れたところにあるから言えるんだと思う。
ラノベは売れるからいいけど、売れなくても自分なりにいい作品を書いてる一般小説作家は、そうやって稼がなきゃいけないところもある。
それに小説家視点からの批判は、読者からすると非常に愉しいし、作家本人・業界にとっても建設的だろう。
要するに、これ西尾の立場からだけの一面的・主観的過ぎる主張だ。
三、創造に時間をかけてはならない
まさに量産によって残念な所の多いラノベをつくる西尾による自己正当化といった項目。出版社からすれば、どんどん新作を書いて
くれたほうがありがたいし、作家本人もいっぱい収入になるんだけど、むしろちゃんと本気で取り組んで内容の濃い本を書いてほしい。
‖ 西尾維新が歴史モノ(「大河小説」)を書くという
‖ いつものノリの大仰な広告を見たとき、私は「え? どうするの?」と興味がわいた。
‖ このライター歴史に関する教養やおたく知識なんて絶対に無いし、調べるだけの準備期間も絶対に設けないだろう、と。
‖ フタを空けてみたら、刀・着物がでてきますよという程度の戦国モノ格闘ゲームみたいなノリだった。で、そういう評価だ。
四、己の創造物を解説してはならない
関連誌だけじゃ飽き足らず、いわゆる「設定厨」「邪気眼」世界の痛い中二病ワードを解説する本まで出しただろう。
秘密が明らかになる!とか煽りながら「詳細不明」を連発して、「合わない人は読まないで」みたいなこと「袋とじの内側に」書いてあるやつ。
西尾くらい解説してる先生なかなかいねえぞ(´∀`;)。
後、いわゆる「ダイジェストで読む名作文学」みたいなのを好む、あまり小説というものを重要視していない読者にとっても、
また本編だけじゃ物足らない熱狂的なファンにとっても、作者による解説というのがもしあれば非常うれしいものだと思った。
昔ナインティナインが「楽屋でいろんな人が『エヴァンゲリオン論争』してるけれど、監督が、インタビューに対して『作中で全て示してるから、
言う必要がない』みたいに有耶無耶な部分の解説しようとしなくてウザい。ちゃんとどういうことか示せ」みたいなこと言ってたけど、
まさにそのウザい監督の立場だと思う。西尾維新がそれに近い作風(思わせぶりなことを言って逃げる、設定厨内容でボロがでやすい)だから、その姿勢を良いと思うのだと。
五、自分のほうが先に考えていた、と言ってはならない
これまでの小説家が「考え付くけど馬鹿馬鹿しくてやらなかった」「やっても目立たなかった」ことを、西尾維新は、
(十代が興奮するような言葉遊び萌えグロ雑学で客層を確保しつつ、ガキだけならすごいと思わせられる・騙せるレベルで)バンバンやったからね。
「言ってはならない」というより、西尾にとって「(オレは)そこを言われたくない」「(できなかった連中にオレが)言われるのはうざい」内容。
六、昔から温めていた発想を使用してはならない
若い西尾にはできない&西尾のセールスポイントが、彼の「昔」にあてはまる子供の頃、触れなかったはずのエロゲ的萌えとかグロとか衒学性とかだったからな。
西尾自身がそれをやらない作家だからこうなる。(ところで 三 に結構含まれてるから、隣に書けばいいのに。一と十も。こういう論理的じゃない順番もうざい)
流行りそう・売れそうな新しいものを書くのも良いけれど、十年後、二十年後も愛される、確かなものを時間をかけて作ろうというスタンスは
「してはならない」ことじゃないだろう。
223 :
長文失礼:2009/12/24(木) 11:11:29 ID:PoMikmOs
七、失敗の言い訳をしてはならない
奈須きのことかと比べると確かに後になって言い訳しない。でもこれも、本気で邪気眼オサレ一直線の奈須きのこと対照的に、
作品・作家として「ま、戯言だけどね」「自分を偽って見せるために小説を書く」なんて、
「(・з・)オレ本気でこんなこと考えてませんから、わざと馬鹿らしくしてますし、本当のオレはこれじゃありませんから」スタイルの人だから言えるんだと思った。
あと西尾も作中でくどくどと言い訳しすぎ。「先回りしての言い訳もしてはならない」も入れたら。
八、受け手を批判してはならない
ラノベライターにとって「無知な子ども」である読者を批判してもしょうがない。それに西尾維新の場合は、子どもにしっかり評価して買って
もらってるんだから批判する気も起きないだろう。
気楽な「ガキ相手の商売」に身をおいてる人と違って、大人・「通」向けに作品をつくって or 社会全体にまだそれに関する理解がなくて
いい作品を出しながらあまり理解・評価されないクリエイターもいるんだから、そういう立場の人たち・そのファンの存在も考えてあげたら。
九、受け手を選んではならない
「お前が言うな」だらけの「十戒」で、コレが一番「お前が言うな」w。まさに西尾維新の本こそ「受け手を選ぶ小説」じゃないのか?
西尾の作風の場合、それだからこそ優れてるんじゃないか。(実生活では出版関係者におだてられてて、どんな読者もみんな自分の本を
面白がるに違いないと思い込んでいて、自覚がないとか? さすがにそれはないか)
あるいは、「購買層となるターゲットを絞って書くのではなく、自然に書いて好きな人に買ってもらう」という意味か?
それならジョブナイルポルノそのものな寸止めトキメキエロシーン出したり、ある程度の商売的な計算ができてる西尾維新自身より、
自然にアホなこと書いてる山田悠介やケータイ小説(作家)『いわゆる作家として最下層』の方々のほうがよっぽどこの十戒を体現してると思う。
十、造物主を名乗ってはならない
これも一と同じレベル。小説家=モノを作ってる人であることを名乗るなってこと? 「小説家であることに誇りをもって、
その分しっかりした作品をつくる」という立場も立派に思う。これが言えるのも、西尾維新の作品づくりスタンスが、前述
「戯言だけどね」〜〜の、「(本気のくせに)本気ぶらないもの」だからだろう。
ていうか西尾自身、小説家(俺)は(相変わらずの考え無し・拡大解釈によって)、(由緒ある)世界最古の職業だとか誇ってただろう。
(売春婦・政治家・猟師・やくざ・ベビーシッターとかその層は? と思った)
作家十戒、ラノベ十戒とかじゃない。「クリエイター十戒」であり、小説以外の分野のクリエイターも適用すべきというなら
もっと突っ込みどころは増えると思った。
西尾維新の小説に見られる、
・いちいち考えが足りない ・自己正当化。厳しいようなことを言っても自分にだけは逃げ道をつくる
・客観的な風を装って実際とっても主観的 ・無駄に極論(そのほうが十代にはカッコよく聞こえるから)を言って自爆
・そこまでだめなのに、気取る
が、この「十戒」にも反映されていて、実に西尾維新らしい。
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何がひっかかってこれだけ言ったかっていうと、この「十戒」、
西尾維新による「オレと違うからそういうのは否定するぜ」ばっかりなのに、実際 『お前が言うな』ばかりになってるって事だ(゜Д゜;)
10コも、そんなのばっかり西尾が考えるから、こんな長くなったじゃ(゜д゜#)ねぇか