図書館で全集を借りてきて、毎日読んでいる。同好の志よ、語れ。
『街道をゆく - 檮原街道(脱藩のみち)』
こっちに来るの? おれもあっちに居たくないんだけど
4 :
この名無しがすごい! :2009/11/19(木) 18:01:36 ID:8IYKwoqF
そう。ここでやることにした。
よし俺もここに居座る 今日も読んでないぞー
せっかく良スレが誕生したんで、今日から毎日読書をしてここに書き込む事にする まず一作目は陳舜臣の「秘本三国志」(文春文庫) かつて読んだことがあり今回は再読、最初に読んだころは漢文崩れのような文章が好きで 陳氏の平易な文章はあまり好きでなかったが、今回読み直してみて評価が変わった 少ない文章で的確に話が進んでいき、全くクドさがない まだ第一章しか読んでおらず初期の英雄たちの紹介だけ ただ登場人物にはやっぱり魅力は感じなかった
最後の将軍
「やれやれ。」 僕は鼠に射精した。
9 :
この名無しがすごい! :2009/11/20(金) 12:18:44 ID:XJCtF8QA
一般書籍板の司馬スレで「妖怪」の感想文を書いている人がいたので、 いまそれを読んでいる。ちとわかりづらいな。
功名が辻
12 :
秘本三国志 :2009/11/21(土) 00:27:43 ID:ZFU/9C46
第一章をもう少し細かく見てみる まず初めに他の「三国志」より宗教の話が多く登場する この小説の舞台となる後漢末期に中国に仏教が伝わり それに対抗する形で道教が誕生したといわれているが この小説で狂言回しを勤める陳潜はその始まりの一つと 言われる五斗米教の教祖の養い子であり教団のための 情報活動をすることになる 第一章ではこの陳潜が別の宗教団体の太平道と渡りを つけにいく行程で後の英雄となる劉備、曹操に出会うのである
腹痛がしたので、昨日は読んでいない。
14 :
秘本三国志 :2009/11/21(土) 22:38:28 ID:ZFU/9C46
この小説では「三国志演義」にあるエンターテイメント性を排除していて 有名な「桃園の義」のエピソードもただ道端でオダをまく関羽と張飛を 目端の効く劉備がスカウトするという、なんとも華の無い展開である ただそれは陳氏が正史を元にして描くこの小説では、歴史上の人物は作り物の 演出をしてヒーロー然として描かないつもりだという宣言であろう また、太平道の首領と五斗米教の始祖の対比も、ある意味この小説をどの様に 描いていくつもりかを登場人物を使って示したものだろう 「深ければ狭い」「広くなるためには、ある程度の浅さが必要である」 「目の前にいる張角は、いい知れぬほどの深さを持っている。おそらく、驚くべきほど狭いのであろう」 なお、最初にこの小説を平易で漢文脈の影響は無いといったのは間違いで 実際には、漢文翻訳調、事典的説明文風、平易な小説文体の三種類を使い分けて膨大な 情報量をコンパクトに整理している
街道をゆく - 耽羅紀行
16 :
秘本三国志 :2009/11/22(日) 21:03:40 ID:yl+9IJAz
第2章では陳潜は今度は月氏と交渉する 陳氏はこの当時の仏教は中国ではほとんど少数民族の月氏によってのみ 信仰されていたと考えていて仏教の紹介をかねて月氏を登場させた様だ 一方で太平道の反乱は簡略な概要を記すに留めている 反乱は数ヶ月の短期間で首脳部は崩壊し一旦終結しているがその後も 残党が各地に割拠し、むしろ国家は日増しに崩壊に近づいている ところで、他の書籍で仕入れた知恵だと、この太平道の反乱以前に漢帝国は 崩壊していて、反乱はその結果の一つに過ぎなかった様だ その辺りの事情がこの小説ではあまりピンとこないのは基本資料の「三国志」が 公文書を元にしてかかれているので当時の政府が重要視していない問題に関しては あまり深い理解が得られていない。そういう用心をしながらこの小説は読む必要がある 霊帝の胡族への優遇なども、財政問題とのからみもありそうだがしょせんは妄想か
「街道をゆく - 耽羅紀行」 ぼちぼち読んでいます
第三章では曹操の人物像を紹介するのを重点的に朝廷の没落が綴られている 後に中国が分裂した時に最も大きな領土を占める魏国の創始者となる 曹操をこの一章全体を使って紹介しているが他の登場人物に比べて明らかに 陰影深い性格の持ち主として丁寧に表現されている その分、帝室の衰えについての描写は簡潔であり、この時点で西域の実力者 董卓が独裁を始め、曹操等それに反発する名門貴族たちが己が本拠地に逃れる 様子が描かれている
「街道をゆく - 耽羅紀行」 面白いですが、建物などについては写真があった方がわかりやすいと思います。
20 :
秘本三国志 :2009/11/24(火) 23:48:37 ID:LcYGnFQT
第4章は西域の実力者董卓が洛陽で権力を握る様子が奇譚風に 描かれている。内容はあまりに不自然で歴史小説としての風貌を 失うほどである
「街道をゆく - 耽羅紀行」 韓のくに紀行は、三国時代の話が中心だったが、耽羅紀行では、高麗と李朝の違いがよくわかる。
22 :
秘本三国志 :2009/11/25(水) 22:51:59 ID:/LMhhATi
第5章でも董卓の専横が描かれているが今回のストーリーでは 北方遊牧民の匈奴の一分派の頭領オラフと太平道の残党が 同盟を組む話が本筋である 前回同様月氏が絡んでのひどく不自然な陰謀劇が展開する どちらも小説としての出来は弁護しようもないレベルの話では あるけれど、ここで重要なのは陳氏がかなりの共感を持って権力の 浮き沈みに右往左往しなければならない月氏を眺めていることだろう 植民地時代の台湾に生まれ、戦後も結局は日本で生活しなければ ならなかった陳氏にはなにか感じる所があったに違いない
23 :
この名無しがすごい! :2009/11/26(木) 02:34:39 ID:r7brki6o
菜の花の沖、2巻まで。幕末ものじゃないし、なんかのほほんとしている。
漁村・農村の古俗に詳しくて、あれはあれで面白かった。
25 :
秘本三国志 :2009/11/27(金) 00:23:33 ID:oJ0FSlxj
第6章 東方では袁紹を中心とする反乱軍が誕生する 自己の軍事力を温存するために日和見的な態度の武将が 多い中、曹操だけが名を上げる 一方の董卓は形勢不利とみて都を洛陽から自分の本拠地に 近い長安に遷都、洛陽は焼き払われ多くの民衆が命を落とす
26 :
秘本三国志2 :2009/11/27(金) 22:00:48 ID:oJ0FSlxj
風姫は舞う 今回は南方から反董卓軍に参加する孫堅が紹介される 孫堅は軍を動かす途中、謀殺を二度行う また今回は南方の特色として巫女による神仙思想が取り上げられている 前半は作者の作った部分が少なく快調だが途中からいつもの ワザとらしい話に戻ってしまうのが残念
27 :
この名無しがすごい! :2009/11/28(土) 15:39:32 ID:kp65LQmE
今日、竜馬がゆくを読了。 これまで全く司馬作品に触れたことなかったのに、 たまたま実家にあった「燃えよ剣」と「最後の将軍」を読んでとまらなくなった。 それから、「翔ぶが如く」「坂の上の雲」で完全にハマった。 次は、本屋で間違って買った「菜の花の沖」の3巻があるので これいってみようかな。 でも、このところ他の作家の本をあんまり読んでないので、ちょっと迷ってる。 長編読み始めると浮気できなくなるんだよな。 とりあえず図書館いってこよ。
司馬は、短篇・評論・とくに紀行まで入れると膨大な作品数だから、一生楽しめるよ。
どんなに小説として失敗してても最後まで面白くしようとする努力をやめない所がいいよな 人生も小説もあきらめたらそこで終わってしまうんだみたいなメッセージが伝わってくる
他の傑作と比べると明らかに劣ると思えるような作品もあるにはあるんだが、そんな作品でも 何か楽しめる部分はあるんだよな。何か読者に楽しんでもらえなければ、お金をいただくわけ にはいきませんよ、という職人気質のようなものが伝わってくる。
31 :
秘本三国志2 :2009/11/28(土) 22:25:30 ID:lR7/wSUb
蜀道を行く 益州刺史劉焉が現在の四川省周辺を掌握する過程を書く 同時に張潜の所属する五斗米教もその北部の漢中に自立する この辺りの事情は吉川「三国志」などでは取り上げられていない話である 吉川を読んでいるとまるで劉焉や後に登場する劉表などは、昔からの土着の 勢力の様に描かれているが、元々は漢帝国の崩壊に際して自立した中央から 派遣された官僚に過ぎないというのがこの回の読み所
32 :
秘本三国志2 :2009/11/29(日) 23:54:44 ID:97YQeoZU
日は没す ?山の西 反董卓軍は名門遠家の異母兄弟袁紹、袁術の勢力争いのため瓦解してしまう その過程で袁術に協力していた孫堅は命を落とす 第1巻では創作部分とその他の部分が全く分離していたが第2巻の前半で 大分そのあたりは改善されている
33 :
秘本三国志2 :2009/11/30(月) 23:50:55 ID:rXJ48CeB
天は晴れたり 高級官僚や子飼いの部下呂布に裏切られ董卓は死ぬが彼の部下は、まだ周辺で生き残っている 今回は董卓の残虐行為に筆を費やしているが、この時代戸籍上の人口が三分の一に減ったといわれている 一人董卓だけが残虐だったのだろうか また、女性の裏側での活躍も書かれている。この作品では歴史の表舞台に登場する漢人男性の政治家や軍人と ほとんど表にはでない辺境異民族や女性の平和を求めての裏工作という対比で物語が進んでいく もうひとつこの作品は、最初文藝春秋社の月刊小説誌オール讀物に連載されていた作品だが、当時はまだ単行本になった 後のことより連載時に人気が出ることが重要であったのか、偶々雑誌を手にした人間でも読みやすいように一話完結の 読み切りに近い構成から始まっている。陳氏は推理小説畑出身であるので一つ一つの話は大体がミステリに近い展開で 進んでいくが、正直大きな流れのある歴史物との相性があまり良くない それが不評だったからか、初めからそのつもりだったのか分からないが次第に推理小説的な創作が減り歴史小説の体裁に 変化し始めている。昔の大衆小説は連載中に読者の反響を考慮して大幅な内容変更などもよく行われていたのだ
背後に雷鳴あり 前半では董卓残党の反撃により長安は陥落し、呂布は逃亡 長安の落ちる様子はこの作品のこれまでの描写でも白眉 既に主要人物の紹介、その他政治形態、風俗、諸民族の有り様など必要な情報を あらかた語り終え、また今回新たに説明する必要のある事象が少なかったためか ゆったりとした筆遣いであった また後半では曹操が太平道の残党30万人を吸収する 初期から狂言回しとして登場している陳潜は五斗米教のトップ張魯の母親の小容に 育てられたが、だんだん回が進む事にこの小容の出番が増えてきた 今回、曹操と交渉し太平道30万を曹操軍に編入させ、代わりに彼らを五斗米教に 入信させることに成功する
35 :
秘本三国志2 :2009/12/02(水) 23:30:12 ID:rlrDaKvV
さすらい将軍 中国の東部では袁紹、曹操、劉表対袁術、公孫?の対立が深まるがやや袁術勢が衰退し 曹操は袁紹から独立するほど強力になっていく 小説としては長安から逃亡した呂布が主役で、部下は少数ながら勇猛な呂布は反董卓軍の 将軍たちの元を渡り歩くが、過去に人を裏切りつづけた経歴や傲慢な性格が災いして腰を 落ち着けることができない 今回も陳氏の筆は冴え、諸勢力の現状といった解説も交えながら自然児然としつつも不気味な 呂布像を描く。途中会話、戦闘、自然描写も簡略且つ適当
花神
37 :
秘本三国志3 :2009/12/04(金) 00:25:15 ID:ZSaTl+/G
泰山鳴動す 久々に劉備が登場し徐州(現在の江蘇省)乗っ取りを画策する この作品では曹操の場合有名なエピソードであっても史実でない残虐行為などは その旨を明らかにしているが、劉備の場合逆に史実にない卑劣な行為を作り上げられている 今回は曹操の父親の曹嵩殺しが劉備の部下趙雲の手で行われている これまでの登場で劉備、関羽、張飛の三兄弟に一切魅力的なし
十一番目の志士
39 :
秘本三国志3 :2009/12/04(金) 23:16:13 ID:ZSaTl+/G
天日、ために暗し 劉備に父親を謀殺された曹操は仇と信じる徐州に、民衆を大虐殺しながら侵攻 これに反発した曹操の盟友張?は劉備の策略もあり、呂布を頭主に造反を決行 また曹操が自分の領土に帰還した後、劉備は徐州の乗っ取りに成功する なお曹操は父親の仇が劉備とは知らない(そもそもフィクションだが) 今回の主役は飛蝗(イナゴ)。曹操と呂布の対陣中に天を覆い地を暗くする イナゴが周囲を食い尽くし民衆に餓死者が続出。その悲惨が活写される
40 :
秘本三国志3 :2009/12/05(土) 23:51:21 ID:/+LgDety
黄河に消えた女たち 長安では董卓の後継者たちの内部抗争が起こり、結果皇帝の洛陽帰還が決行される それを阻止しようとする董卓後継者たちの追撃により重臣達も多くが果て 逃げる側の足手まといを切り捨てる道行きも、また凄惨 一方、死を目前にした南匈奴の王オフラの様子とその企みも描かれている 老いゆくオフラの様子はこの小説では珍しく自然な描写だが考えてみれば この頃陳氏も50歳前後そろそろ老いの坂を越える時期である
坂の上の雲
42 :
秘本三国志3 :2009/12/06(日) 21:52:53 ID:TWTNqyLO
混戦また混戦 劉備はせっかく手に入れた徐州を呂布に乗っ取られる ?融(さくゆう)という人物が死亡する 元は徐州の陶謙に仕え、兵糧輸送に携わる一方、中国で最初の本格的な仏教僧院を設立する 陶謙没落後には楊州刺史劉?(りゅうこん)の配下となり、広陵では太守を謀殺し劫掠の限りを尽す 最後には劉?の部下の豫章太守朱皓(しゅこう)まで殺害したため、劉?に成敗されることとなる 非常に怪人物の様で陳氏もかなりの興味を持ったようだが、残念ながらこの小説では扱いあぐねて しまったようで、その略歴を紹介するに止まっている
>>1 なんだ、こっちにこんなスレできてたんだ。
こっちはID表示だから一般書籍のスレほど
荒らしはでそうにないね。このスレ気に入った!
因みに、今読んでるのは「世に棲む日日(二)」の途中。
44 :
秘本三国志3 :2009/12/08(火) 00:46:14 ID:8kDL+v0d
英雄が多すぎる 劉備は呂布と対立して曹操の元に逃げ込む 他方、孫策は皇帝を自称する袁術から自立する
ここでもスレ違いのリンク貼り続けるなら規制報告するから
>>47 「スレ違い」の趣旨が、よくわかりません。
たとえば、
>>48 の画像四点は、「街道をゆく/飛騨紀行」の中の司馬氏の叙述に
登場するものを、画像検索して貼っているにすぎません。スレタイ「今日読んだ
司馬遼太郎作品を報告するスレ」の趣旨に反するとは思われないのですが。
ちなみに、
>>48 の叙述が登場するのは、司馬遼太郎全集60巻519ページで
あります。
なお、司馬氏の作品には、「飛騨の編笠」としか紹介されておりませんが、わたくし
はより正確に飛騨名産の編笠は「一位笠」という種類の編笠であることを確認し、
深編笠や浪人笠、おけさ笠の画像をうpするという過ちも犯しておりません。
>>47 つーか司馬遼太郎、読んだことあるの?
すべて司馬作品に登場する人物・風景・建物等の画像を貼ることにより、
視覚的に読書の楽しさを増加させようとしているだけだよ。
>>50 お前の暇つぶしにはもってこいかもしれんが、余計なお世話。
話が通じなさそうな人だから、何時までたっても平行線かな 続けたいなら続ければいいし、続けるようなら規制報告するだけだし
58 :
歳 月 :2009/12/08(火) 19:06:50 ID:3yKUSous
60 :
秘本三国志3 :2009/12/08(火) 23:40:46 ID:8kDL+v0d
女はこわい 天下の情勢は一進一退だが、今回は女でしくじりをしでかした曹操が長男を失うエピソード 前回の劉備の徐州逃亡も、関羽の女性問題が原因で、その時は謀略家の劉備が珍しく人情味を見せていた またペルシャ人胡車児も大暴れ。陳氏はなぜか少数民族を書くのが好きな様だ ここ数回の登場人物の台詞がなぜか時代劇調になっている
61 :
歳 月 :2009/12/09(水) 12:40:12 ID:NoI7o6Ie
大阪では「マチ高袴」を「高マチ袴」と言うのかと思って調べてみたが、とくにそのような 事実はないようである。 なお、司馬氏の「竜馬がゆく」に多大な影響を受けている高知県では、「高マチ袴」と言う のかもしれないと思って調べてみたら、面白い事実にたどり着いた。 ネタをばらすと、「高マチ袴」の誤りの根源は坂本竜馬の書いた手紙であると思う。 竜馬が国許の実家に宛てた手紙のなかに、送ってもらいたい物品を書き連ねている。 その中に、「高マチ袴」という誤りがある。やはり竜馬は頭が悪い。
江藤新平は古今のどういう人物、書物についても「その欠点をさがさねば真に知り、 愛し、敬したことにはならない」という信条のもちぬしであった。
急がずば濡れざらましを旅人の 後より晴るる野路の村雨 サブタイトルの「野路の村雨」の基になった歌。 太田道灌作と伝えられている。室町幕府管領の細川勝元が「短慮は功を成さずとは どういう事であろうか?」と尋ねたのに対して道灌が和歌で答えた時の歌らしい。
72 :
秘本三国志4 :2009/12/09(水) 17:37:17 ID:RqKUGPOn
片思い崩れ 袁術が皇帝を僭称したため孫策らが離反し、それまでのパワーバランスは一気に変化する 曹操はこのチャンスに徐州の呂布を攻撃、これを滅ぼす 一方袁紹も北方中国をほぼ平定、天下取りはこの両者に絞られていく 途中、曹操が呂布の勇名の元に各地の小勢力が集結するのを恐れる描写がある 張燕などそういった勢力に目を向けているのがこの作品の魅力か 逆に欠点としては人物描写が安定しておらず、毎回登場人物の印象に違和感を持つ
74 :
秘本三国志4 :2009/12/09(水) 18:42:55 ID:RqKUGPOn
劉備、造反す 曹操に随っていたはずの劉備が再び自立を図るが失敗し、袁紹のもとへ逃げ込む 次第に戦機が高まっていく曹操と袁紹の両陣営 この小説では二人きりでハカリゴトをする場面が多いが、当時の武将がそれほど親しくない 相手と側に誰も置かずに話をするとも思えない その辺りが、この小説で一番リアリティを感じない部分である
75 :
この名無しがすごい! :2009/12/09(水) 19:15:41 ID:NoI7o6Ie
嵐山での閑叟と木戸の場面は、司馬さんの作品で3〜4回やってないか? しかもどれもけっこう詳しく。
77 :
秘本三国志4 :2009/12/09(水) 21:44:47 ID:RqKUGPOn
黄河を渡るべきか 曹操と袁紹のガチンコ直接対決 日増しに劣勢になる曹操はついに乾坤一擲の作戦を決行する 最初は袁紹の配下だった曹操も次第に力をつけ独立、袁術が衰退し 袁紹が北方を平定する間隙を縫って一気に勢力を拡大し四分六分程度まで 力の差を縮め、つまりは曹操にとっては人生で一度の機会を物にしての激突となった 事実上の天下分け目の決戦だか、いつもの様に一話で完結 内容も豊富で、今回くらいは前後編でも良かった気が 曹操についていえばこのあたりが集大成的な所もあり 彼が主役ならばここで完結してもいい程である
78 :
歳 月 :2009/12/10(木) 13:17:37 ID:FQPA62cv
徳本十蔵は、他の四人の書生の名前とともに出てくるから、何かの史料に名前が 登場するんじゃないか?オリキャラの名前を四人も考えて書き連ねる暇人はいない と思う。さらに、長崎で宿の者から頼まれて「報造」という者を下僕にした、という話 まで出てくる。書生や下僕のために、ここまで手の込んだ叙述は普通しない。 その後、重要な役割をするキャラでもないし。何かの史料に基づいているのだろう。
千代と小禄の対面シーンは面白いな。
江藤新平の母親江藤浅子は、この小説にはほとんど登場しない。 父・弟・妻は台詞つきで登場場面も多いが、母は出番がない。 存在が確認できるのは(ここまでのところ)3回だけである。 1回目 父助右衛門の視点で、「その妻」と紹介されている。名無しで初登場。 2回目 妻千代の視点で、「姑お浅」と紹介されている。 3回目 新平の視点で、「母あさ」とひらがなで紹介されている。
93 :
秘本三国志4 :2009/12/10(木) 18:48:16 ID:ORlCuJJ1
天下三分の計 この作品の後半のプロローグといえる回でこれからの重要人物を紹介する 最初は孫堅の息子達の登場だが、「小覇王」孫策の活躍はマッタクなく いきなり彼の死からの始まりで、急遽弟の孫権が後を継ぐことになる 次にあの孔明の初登場だが、彼の語る天下三分の計が実に説得力がない この時代に天下を平定する実力がある英雄が存在しないので天下を三ツに分けて 治めるしかないというのだが、それだけ なぜ三国志を書くのかという根本部分なだけにモット力を入れてほしかった
94 :
秘本三国志4 :2009/12/10(木) 19:47:49 ID:ORlCuJJ1
御曹司、一番乗り 袁紹は大敗北の後に亡くなり、その息子達は後継者争いを始める それに乗じて曹操は袁家の本拠地を占領する 今回は曹操の息子で後の魏の初代皇帝になる曹丕の紹介 あの曹操をして自分以上の不気味さを感じさせる人物 この小説の舞台となる後漢末から三国時代の後、中国では漢民族が衰退し周辺各地から 様々な異民族が乱入し、また仏教の隆盛やそれに対抗しての道教の発展が起きる 陳氏はそれを先取りしての、この作品中への異民族、仏教僧、道士の登場だろうが 孔明の天下三分の計のショボさ故にあまり本ストーリーにうまく絡めていない
95 :
項羽と劉邦 :2009/12/11(金) 00:51:55 ID:jpuwG8EE
始皇帝の帰還
なんか、会話のないむなしいスレだな、
>>96 罵り合いしかないむなしいスレよりはマシだと思うよ。
98 :
歳 月 :2009/12/11(金) 12:55:56 ID:LvMKLCH+
102 :
秘本三国志4 :2009/12/11(金) 17:25:01 ID:hEz/Z8ma
白狼山に消えた 遼西(黄海の北)の烏桓族に逃げ込んだ袁家の残党を曹操が追う話 前回は匈奴の漢化が取り上げられていたが、今回は烏桓族のそれが取り上げられる 一つのエピソードで、一話が丸々占められているためか、普段この小説ではほとんどない 合戦前後のシーンが珍しく長い
103 :
秘本三国志4 :2009/12/11(金) 17:41:17 ID:hEz/Z8ma
我軍師を得たり しばらく荊州(中国中央南部)に鳴りを潜めていた劉備は孔明を軍師に迎え入れ 自立の足がかりを得る 袁家を滅ぼし、ほぼ漢帝国の半分を手中にした曹操はこの地にも大軍を送るが 孔明の策略により劉備は、むしろ勢力を強め名声を広めることとなる 孔明は、この小説では珍しく無駄な流血を好まない性格の持ち主 陳氏の好みだろうか
105 :
秘本三国志5 :2009/12/11(金) 18:14:11 ID:hEz/Z8ma
赤壁の天も焦げよ 三国志の世界でもっとも有名な赤壁の戦いを、今回は前段階を含めて一話で描く 戦いの前に孫権軍は郷土愛に訴えた演説に熱狂し、曹操軍は短歌行なる詩に 今までの戦の永さを想い涙する 実際に戦って曹操軍に勝利するのは孫権軍だが、大軍を擁しながらも水上戦に 不慣れな曹操軍に、戦略的選択肢を与えない孔明の知謀も冴えている 陳氏は戦闘は書かなくても戦略は書くのだ
丸山作楽の墓
丸山は笹山藩士・畑経世らとともに、外務省によって却下された征韓論を、反乱によって
実行に移そうと試みる。しかし1871年(明治4年)に事は発覚してまず畑が逮捕され、
5月10日に丸山も外務省出勤中に拘引された。5月29日、外務権大丞を免じられた。
終身禁錮の刑に処されたが、1880年(明治13年)1月、恩赦により出獄した。
その後、新聞『明治日報』を起こし、1882年(明治15年)には東京日日新聞の福地源一郎と
ともに立憲帝政党を結成し、保守的政治家として活動した。
1890年(明治23年)には元老院議官・貴族院議員に就任した。
http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/aoyama4.files/image008.jpg
画像の重複をなるべく避けるために、その章で中心的に活躍した人物ではなく、 初出の人物を掲げることが多い。【征韓の一件】の章では、後藤象二郎や別府晋介 はほとんど登場しない。主役はもちろん西郷隆盛である。次章以降、大久保利通が 中心となる。
109 :
秘本三国志5 :2009/12/11(金) 19:03:30 ID:hEz/Z8ma
乱世の花嫁 孫権との同盟が成立し、劉備は天下三分の計を実行に移すための西方進出の 余裕が生まれてくる 孫権陣営では自ら西方進出するべしとの意見もあった。結局は不可能になるが その後の歴史を考えれば、こちらの方が天下三分の計よりははるかにマシな気がする
110 :
秘本三国志5 :2009/12/11(金) 19:16:12 ID:hEz/Z8ma
戦雲は西へ飛ぶ 劉備と曹操の西方分捕り合戦が始まる 手始めに曹操は元董卓の支配地域へ侵攻を開始する 劉備の方は益州(四川省)乗っ取りの足がかりとして、その地のお歴々を 懐柔し始める 今回は目先の変わった演出として、匈奴に捉われていた琴の名手が彼の地で 親しまれていた音曲を曹操に聞かせる話が中心となる 聞きなれぬ曲を聞き、詩人でもある曹操は詩想に心が傾くが 孫権にもまた野心あるの知らせを聞き、不意に醒めた現実に引き戻される
111 :
項羽と劉邦 :2009/12/12(土) 01:33:22 ID:l1D9ZeVc
〜「挙兵」
112 :
歳 月 :2009/12/12(土) 13:07:31 ID:M+FnXuWX
若き日の西園寺さんが、サリーちゃんのパパとは知らなかった。
114 :
秘本三国志5 :2009/12/12(土) 13:31:26 ID:2B7Vg8yR
時は建安十八年 曹操と孫権が再び対峙する。その隙を衝くように、劉備は益州乗っ取りを 図るが、敵中の内応者が発見され長期戦を余儀なくされる
115 :
秘本三国志5 :2009/12/12(土) 14:13:17 ID:2B7Vg8yR
皇后の密書 曹操は帝位を簒奪する足場固めに、皇后一族を罠に嵌めようとする 途中、曹家の本拠地ギョウでのデートシーンあり。ギョウでは都市計画が行き届き 主要道路は側に水路が引かれる、エンジュの並木道だったという また自然公園まであって、内部には展望台なども設けられており、木の伐採や狩りも自由だったという
ザンギリ頭が嫌われたというのは、保守的な思想のせいばかりではないな。 見た目が悪すぎる。
股の下のぽにょ
顔の前にぽにょ
口の中にぽにょ
誰か俺のぽにょ
122 :
秘本三国志5 :2009/12/12(土) 14:56:28 ID:2B7Vg8yR
悲風が鳴る 曹操はいつもの様に、八百長で五斗米教の本拠地漢中を占領する また曹操の後継者問題は曹丕が太子となることで決着が着く 劉備にとっても漢中は益州防御のためのカナメである 彼もまたこの地を奪おうと出陣の決意をし、関羽には荊州から漢の都許都を狙わせる 劉備に利用される一方の孫権陣営では、反劉備の機運が高まってくる
123 :
秘本三国志5 :2009/12/12(土) 15:23:02 ID:2B7Vg8yR
関羽敗れたり 中国では後に神様としてあがめられる関羽の死が扱われる 漢中争奪戦は劉備の勝利に終わるが、荊州方面からの侵攻は大将関羽の傲慢、頑迷、狭量振りから 内外に敵対者が大量発生。最後には同盟者であったはずの孫権や同僚たちからも裏切られ、見捨てられ 憐れな死に様を晒す。寄り合い所帯で人材不足の劉備軍の正体がさらけ出される
124 :
秘本三国志6 :2009/12/12(土) 15:47:08 ID:2B7Vg8yR
ああ四百年 ここしばらく体の衰えを意識し、後継者問題で悩み、昔を懐かしんだりしていた曹操も鬼籍に入り 跡継ぎの曹丕が正式に魏を建国する この小説のほとんど主役と言ってもいい彼の死だが、またも余計な挿話を入れる作者のために 今ひとつ感慨に耽るというわけにはいかない
ドラマ「田原坂」では、中谷一郎が川路利良役を演じたが、そっくりだな。
131 :
秘本三国志6 :2009/12/12(土) 17:22:21 ID:2B7Vg8yR
白帝城は高くして 劉備は孫権に対し関羽の復讐戦を仕掛けるがあえなく敗北、多くの幕僚までも失い その後しばらくして死去。その後のことを孔明に託す また帝位についた後の曹丕についても語られる 父曹操が、後継者には自分をも越える冷酷な精神の持ち主がふさわしいと考えていると 察した曹丕は、自らをそのような人間たるべしと律する しかし、兄弟で後継者争いのライバルだった曹植にはむしろそれが、冷酷に徹しきれないがゆえの 決意であると思えているのだった
132 :
秘本三国志6 :2009/12/12(土) 17:32:46 ID:2B7Vg8yR
西南に風疾し 国力の弱い自国を強化するため、孫権や孔明が異民族の住む後背地を開発する話 孫権との和睦もなり、後背地で反乱を起こした異民族たちも服従させた孔明は ついに対魏戦の準備がなる
【佐賀へ】 明治6年11月〜7年1月
山中一郎…江藤の書生。25歳。あだ名:黄銅。明治4〜6年欧州留学。
香月経五郎…江藤の書生。24歳。あだ名:大あたま。明治3〜4年欧米留学。
朝倉弾蔵〔尚武〕…元陸軍少佐。32歳。会津戦争時は砲兵隊長。
http://www13.ocn.ne.jp/~nanhaku/no18.JPG 中島鼎蔵…征韓党の一番小隊を指揮
徳久幸次郎…明治5年、佐賀県左院少議生となる。享年32歳。
石井竹之助…明治6年、佐賀県権典事となる。享年35歳。
山田平蔵…戊辰戦参加。享年31歳。
西幸蔵…おそらく西義質のこと。通称は耕蔵であり、幸蔵ではない。享年38歳。
136 :
秘本三国志6 :2009/12/13(日) 00:14:51 ID:gpmqdjSW
泣いて斬る 曹丕死す。魏の次の皇帝の座は叡(エイ)が継ぐことになる この作品の後半では、陳氏の興味の中心は曹丕だった。彼の死でこの物語がまもなく終焉を迎えることを あらためて意識させられる 孔明は魏を攻撃するプランとして、益州北東方面から敵の胸元に一気に攻め入る計画と西域に近い魏の中心部から遥か遠い ところを占領する計画の二つを考える。前者は魏の名将司馬仲達の素早い行動で不可能になり後者が実行されるが 味方の独断や兵站の確保の失敗によりあえなく失敗する
137 :
秘本三国志6 :2009/12/13(日) 00:51:17 ID:gpmqdjSW
丞相、奔走す 残り二回となったのであらすじは止めて総評を 中国の中世ではそれまでの漢民族が激減し、それに取って代わる様に周辺異民族が 漢化されていき、新たな漢民族として活動を始める。三国志の時代はその最初期に 当たるが、この作品での中心となる曹操、孫権、劉備の各軍閥での活躍がないため 彼らの登場にはやや無理やりの感があった。またあまり漢民族との違いも感じられないのも 残念な部分であった。他にも宗教など、全体に取り上げる事柄が多すぎて素材が消化しきれておらず かなりゴツゴツした読み心地であった。それと推理小説出身の陳氏だが、その技法に淫して リアリティを損なうことも多々あり、もっと素直な書き方の方が良い気がした
夢は五丈原 ただ、一方で陳氏が取り上げた事柄が大抵は、普遍的と言うべきか小説で取り上げて しかるべき内容でもある。この作品が書かれた当時は娯楽小説で扱える内容も 限られていた訳であり、正史などの史料を元に一から作品を作る困難さと豊富な 内容を考えると多くの欠点は無視して、むしろその可能性に注目すべきだろう 後半になると顕著だが、陳氏の戦略眼というのはかなり確かで、八百長の話にばかり 目を奪われてべきではない。また、八百長の話自体も政治家というものは常に味方の勝利 ばかりを願っているわけではないというというのが、主なメッセージだろう 物事を単純に考えることを戒めているのだ
139 :
歳 月 :2009/12/13(日) 14:26:37 ID:hD/44gYz
25歳だった山中一郎が、年が明けると27歳になっていたのには驚いた。
この小説の前半では、島義勇のキャラクターが十分に固まっていなかったのだろうな。 あるいは、江藤と島義勇の関係は、ごく簡略に書こうと思っていたのか。 東京にいた江藤の引越しの世話を、島義勇がやったことになっているw
連載期間が約2年なんで、初めの頃と終盤とでは、若干雰囲気が違うんだよな。 冒頭に登場した桂小五郎と伊藤博文は、「竜馬がゆく」のキャラのまんま。つまり楽しいキャラ。 後半も両者は登場するけど、「翔ぶが如く」のキャラとほぼ同じ。つまり政治家。 その間に連続性を見つけ出すのは難しい。 とくに伊藤博文は冒頭の章で江藤新平と一緒にソープへ行く。かなり親しくなるわけだ。 ところが、征韓論では敵対関係になるも、二人の関係にはまったく触れられない。 いっしょにソープにいった仲なのに、水臭い。
桂小五郎と伊藤博文はしょっぱなに登場して結構面白い話になっているから、 その後もこの小説の補助線として使う手もあったかもしれないけど、この分量で これだけの情報量を詰め込めば、江藤ひとりを描くだけで手一杯だったかもしれないな。
乾坤の夢(文春文庫)作:津本陽 「下天は夢か」で信長を「夢のまた夢」で秀吉を書いた津本氏の天下人三部作の最終篇 前作「夢のまた夢」では秀吉の治世が朝鮮侵攻を中心に描かれていたが、この作品では 秀吉の死後すぐから家康の死までが扱われる 正直好きな作家ではないのだか、その理由を説明がてら、まず第一章泗川のアラ筋を紹介する
家康は他の大老たちと図り、秀吉の死を秘匿したままで、朝鮮在陣中の兵六万五千を 撤収することを決定する この後当時の朝鮮での日本軍の配置が書き並べてあるのだが、外国の地理の話であるにも 関わらず地図が付いているわけでもなく、非常に状況を把握し辛い 現在では名前が変わっているのか、ネットで検索しても場所を特定できないところも多かった それにこの小説が書かれたころには、朝鮮半島の地理は今より遥に調べ辛かった 基本的にこの作者に、他人にわかりやすく伝えようとする感覚はあまり感じられない 司馬遼太郎と比べると唖然とする 朝鮮半島では日本軍は支配地域をほとんど失い、半島最南端の数都市を 占拠するのみとなっているらしい。今回重要なのは、そのうち蔚山、泗川、順天 これらの都市が東側から並び(これは書いていない)、さらに、蔚山と泗川の中間を南下したあたりにある 巨済島を日本との中継地としている この時点では上記の三都市を明、朝鮮連合軍が同時に攻撃を加えようとしている
佐賀城に篭った熊本鎮台の兵はたった300余なのだが、その中にちゃんと 山川浩と奥保鞏がいて見せ場を作るというところがすごいね。 戦そのものは岩村高俊という阿呆のおかげで惨憺たる敗戦なのだが、奥保鞏 の勇敢さには畏れ入った。 説明するまでもないと思うが、岩村高俊は「峠」で河井継之助を怒らせたバカ。
>>152 それで突然、山川浩が「翔ぶが如く」で登場するワケね
林有造と岩村高俊の兄弟が、敵味方に分かれて、この時期ふたりとも 九州にいたという奇遇も面白いところだな。
蔚山では加藤清正が堅守しての膠着状態が続く 島津軍が大勝利する泗川戦が、最も詳しく戦況が語られていている 起伏の激しい土地である泗川ではいくつかの支城を作って、敵の侵入を防いでいたが、味方の数倍に及ぶ 敵の集結に、日本式城塞の泗川新城に集結して抵抗することを決意する この時大将島津義弘の下知に従わず、勝手に戦う者の話が延々と語られているが邪魔。重要でもない また、この作者の書く登場人物は基本的に方言を使うのだがこれが、非常に意味を取り辛い 普通、方言つまり口語を使うのは登場人物に現実味を帯びさせるために行うのだろうが この作者の場合、多分昔の軍記物のセリフに方言をかぶせただけなので、不自然さが際立って イライラさせられる。「竜馬がゆく」の「たぎっちょる」とかを見習ってほしい また使うタイミングも悪く、セリフを境に突然内容が変わることが多い。これもうっとうしい
泗川新城に立て籠もろうとする、島津軍に地面が動くように見えるほどの明の大軍が殺到する また、その装備に就いても語られるが、実際の運用や脅威などの描写がないため 無駄といえば無駄。実際には無用ではと感じられる物も紹介されていた また、>城兵はふるいたって待ちかまえた といった感じで表現が古くさすぎる。ついでに言うとワンパターンでもある その上登場人物は多いので誰が誰だか区別がつかなくなって混乱する メリハリも作れていないので、合戦シーンが続くとウンザリしてくる 明国勢が城に取り付いたのを見計らって島津軍は一斉に反撃すると、あっという間に 攻守が逆転、島津軍の追撃が開始する
島津軍が明軍主力を追撃する一方で、明の別働隊が空になった泗川新城に奇襲をかようとするも 城の途中にある川辺で守りに就いていた、島津の小勢に進攻を阻まれる この人数比が一万対百、その後島津に千人の援軍が来て形勢が逆転、これが決め手となって 島津軍が大勝利するとあるが本当だろうか 軍記物に書いてあったことをそのままの受け売りで書いた様な古拙な筆致である この人の書く戦闘シーンには今ひとつ真実味を感じない 城を出た後の戦いが中心なのに周辺地域の地形説明がないのも不思議、空間把握がしづらい 続いて順天城の攻防も紹介される 明軍が和議を行うと偽って小西行長を捕らえようとするエピソードに続いて 攻城戦がはじまる。泗川では紹介されなかった攻城用の兵器が使用されるが なぜか今回は説明がない。他にもここでは明軍が火力として石火矢というものを 使用するが、調べてみると大砲のことらしい。資料に書いてある名称をそのまま 使っているためか同じようなもの違う呼び方をするのもこの作者に多い 小西らは海と陸両方から攻めてくる敵軍を何とか撃退する
この後大坂の大老たちが朝鮮在陣中の諸将に送った公文書が紹介される 公文書だけに、だれかの個性が表れるでなし読みづらいだけ。その後に同量ほども 内容の解説があって、そちらだけで十分だ。ただ、別のところでは、解説なしで 古文書をそのまま書き写していることも多い。方法が統一されていないのも気になるし そもそも、今の人間に戦国時代の文章がそのまま読める人間がどれほどいるのだろうか 遠征軍はいったん巨済島に集結した後、日本に帰国することになる 一番西にあって、有名な李舜臣などに行く手を阻まれた小西勢を救うために 島津勢などが助けに向かい大激戦になり李舜臣は死亡する 日本軍は生き残った者は日本に帰れることになった 朝鮮半島からの日本軍の撤退はこの小説にまったく関係なく むしろ、前作「夢のまた夢」が後半で朝鮮進攻が大きく扱われていたので そちらに収めるべき内容であろう。別の作品をエピローグを無理やり挿入した ような強引さがある。また、中国人などはこの章でしか登場しないので一々 名前まで出す必要はないと思う。無駄な言葉を覚えるのは小説を読む上で 結構な負担である 今までに書いた様な欠点は改善されずにこれからも登場するが、できるだけ 触れないようにする。なくなるわけではないので、その辺ご注意を
159 :
歳 月 :2009/12/14(月) 13:53:14 ID:/k1Qyeja
児玉源太郎も、佐賀の乱討伐軍にいたんだな。何かやったという記録は残っていないけど。
津ノ川は現代では津野川と表記されているものが多いな。 古代豪族の津野氏と所縁のある土地ではないかな? 檮原街道で津野氏のことが書かれてあった。
江藤逃亡の同行者は鹿児島で徳久幸次郎と石井竹之助と別れた後は、6名だったのだが、 あと一人がどうしても判明しない。
宇和島からの逃走チーム〔まとめ〕 江藤新平組 ⇒江藤 船田次郎 江口村吉 中島鼎蔵組 ⇒中島 山中一郎 香月経五郎 ⇒香月は単身種崎へ。山田平蔵は日向へ戻る。
まず、石田三成(彦根)ら奉行派と福島正則(名古屋)らを中心とする武将派の対立がある 理由は一言で言えば、無謀な朝鮮侵攻の失敗の責任の擦り合いだが、両派の関係は 修復不可能でもはや流血を見る他なくなっている 福島は自分の勢力を増すために徳川家康と婚姻関係を結ぼうとする 家康は他にも伊達家(宮城)、蜂須賀(徳島)とも無許可で縁組を計画する これは秀吉との末期の誓いを破ることであった 一方、盟友秀吉にその子秀頼の傳役をするよう託された前田利家(石川・富山)は 家康の力の及ぶ、秀吉薨去の地、伏見城(京都)から秀頼の身を大坂城に移す すでに状況は一触即発の事態でいつ戦が始まってもおかしくないが 家康は自派の加藤清正(熊本北部)、細川忠興(京都・丹波)らが利家と近く 合戦に及んだ際の去就が測りがたかったことから、余命幾ばくもない利家との 妥協し彼の寿命が尽きるのを待つことにする
徳川家の婚姻問題はこじれ、ついに利家は伏見にいる家康を襲撃することを 決意するが、細川、加藤などに反対され断念する 緊張緩和のため利家と家康は伏見と大坂を互いに往還するが 実は、利家は大坂で家康を謀殺するつもりであった もともと暴発寸前の武将派と奉行派の対立をさらに利家が悪化させている 利家は自分が死んだ後、後継者となるの利長の器量不足と三成への不信から 家康を手に掛けるのを止める 結局、これら一連の状況から、武将派はさらに家康との結束が深くなり 関ヶ原の東軍の枠組みが出来上がってしまうのであった 秀吉は後事を託す人を間違えた様だ 利家はこの後、現状を維持するようにとの、到底実現不可能な遺言を残して死ぬ
172 :
項羽と劉邦 :2009/12/15(火) 00:18:07 ID:wZQwN6uF
〜「楚の武信君の死」
173 :
歳 月 :2009/12/15(火) 13:30:25 ID:ch1iPrkd
「土佐甲浦」の項は、読んでいて心がやすらいだ。冒頭の「巌頭の馬」の項や 小笠原唯八が江藤の友人として登場していた序盤の数項と並んで、久しぶりに 小説らしい運びになっていた。それに加えて、江藤自身の視点が少なく、江藤を 捕縛しようとする三人の庶民(士族ではあるが)の視点を中心に進めたのが良い。 この三人が、ヒーローでも悪役でもない時代劇でお馴染みのタイプの庶民なんで、 終盤、江藤の惨めな末路の描写に少し飽いていた読者は、救われたような気持ちになった。
高校生の頃、日本史で江藤新平を知って不思議に思っていたのは、 どうして江藤胤雄ではなく江藤新平と教科書にまで書かれているのかだった。 それと士族の叛乱は明治9〜10年に集中しているのに、佐賀の乱のみ 五参議下野の直後に勃発していたこと。これも後日考えてみようと思う動機になった。 『歳月』を初めて読んだときは、『翔ぶが如く』を読み終わった直後だったので、 重複する部分も多くあまり楽しめなかった。やたらと分厚い講談社文庫だったと 思う。どうして二分冊にしないのだろうと思った。 今回は、『翔ぶが如く』についての細部の記憶が消えていたから、『歳月』を面白く読めた。
昭和3年の日活映画「江藤新平」(原作/監督:志波西果)には、以下のような登場人物が出ている。 江藤新平 ................ 松本泰輔 船田次郎 ................ 阪本清之助 江口村吉 ................ 藤野龍太郎 中山一郎 ................ 岡崎晴夫 香木径一郎 ................ 瀬川銀潮 (おそらく香月経五郎がモデル) 中島鼎蔵 ................ 寺島貢 岸良検事 ................ 山田純三郎 (おそらく岸良兼養)
征韓論で大久保に敗れた江藤は新政府を辞して佐賀に下る。新政府に不満を持つ士族に担ぎ上げられ、 佐賀の乱を起こすが、あっけなく敗れ、”鳩首”という無残な刑死を遂げる。 しかし、”鳩首”とは、人々が集まって、額を寄せ合って相談することである。梟首とは意味が異なるので ある。ということは、江藤新平は生きている。鳩首と梟首を勘違いするのは、落語の長屋の八っさんである。
「歳月」では、田中河内介父子を殺したのは大久保一蔵と断定しているが、とくに証拠はないらしい。 作中小河一敏が明治天皇の諮問に応えて大久保が犯人であることは公知の事実であるとしている 部分は、講釈師伊藤痴遊の講談が原典。
>“大久保としてはおそらく自分の政略構想に河内介らの暴発主義は適わなかったので >あろう。大久保は、全藩を勤王化するつもりであった。そのためには保守派の久光から >して教育せねばならず…” ここまで言っちゃうとウソくさくなる。文久2年の時点の大久保がそこまで考えているはず がない。内務卿になった後の大久保のイメージ(明治6年以後)を幕末まで遡及させて しまっている。司馬は、土佐→長州→薩摩の順で調べていった。土佐→長州段階で、 幕府側についても詳細に調べるようになって、薩摩は最後まで棚上げされていたんだと 思う。『翔ぶが如く』より前の薩摩に関する叙述は、あまり信用しない方がいい。
河内介殺害の命を下したのは、素直に久光と考えるべきなんじゃないか? 寺田屋騒動で藩士まで殺した久光だ。過激藩士の仲間であった河内介を 殺すことは十分考えられる。 久光は過激派が大嫌いだった。「歳月」の中でも、佐賀の乱の後、久光を 頼ってきた島義勇を追い返している。久光も島義勇も思想的にはガリガリ の保守派だ。その保守派ですら暴発する連中は嫌いだった。
河内介殺害について有力なのは次の3説。 久光の内命…『殉難録稿』 藩の要路の内命…『維新史』 中山中左衛門の指示だとする証言もある…『田中河内介』
利家の死後、武将派の加藤や福島などが三成の命を狙うが 家康は三成が隠居し息子に奉行の地位譲ることを条件にこれをやめさせることに成功する 津本氏が考える家康が三成をかばった理由がなかなか面白い。今までの作品なら三成だけが 自分を倒すために挙兵する度胸があると考えての助命であるというのがほとんどだったろうが この作品ではもっと、この時点での結果を重視していて、ここで三成の命を救う決定を家康が するために奉行派の連中も、家康の豊臣政権のでの権威を認めざるを得なかったというのだ この結果を作者は、多聞院日記を引用して、世上では既に家康が天下人になったと書いている 一方で三成は、上杉景勝(東北南部)、佐竹義宣らと家康を倒す計画を練る
家康は毛利(中国地方)、島津(鹿児島)、伊達らと交誼を結び、秀吉の正室北政所の 係累の小早川秀秋が三成の策謀で減封されていたのを回復してやる(福岡) 福島、加藤、小早川等、本来豊臣の藩屏たるべき存在を次々と敵側に追い遣っている 三成という人物はやはり、凡愚なのではないか? 特に福島正則の去就は重要で、彼の領地の尾張の戦略的価値を含めてまったく理解して いないような気がする 家康は利家の後継者の利長に圧力をかけ屈服させ、その母親を江戸に人質に取る その他もろもろ、秀吉の遺命を無視する行動で反対勢力を刺激する
家康の専横に対して上杉景勝は新たな城塞建築や旧領越後での反乱使嗾などで 挑発を行う 家康は景勝討伐のために、軍を召集。関東へ向かう 三成といえば、豊臣家で唯一自らの命を捨ててまで主家に尽くしたという イメージがあるがこの小説だとただの権勢欲の強い、お役人という風に書かれている おまけに実際そうだったんだろうと思えてくる
190 :
殉 死 :2009/12/16(水) 12:47:48 ID:Gi0TcRwO
〔明治7年〕 山県有朋の伝令使(副官)
http://www.z-flag.jp/blog/archives/images/aritomoyamagata.jpg 〔明治8年〕 熊本鎮台歩兵第14連隊(小倉)連隊長心得
〔明治10年〕 西南ノ役…植木方面で敵と遭遇
軍旗を奪われる→山王山で断食して自殺未遂
自殺防止のため鎮台司令部付参謀にして監視される
〔西南ノ役の後〕
しかし、軍旗を奪われたことを苦にして自殺を図ったことが軍内に好評で戦後中佐に昇進
東京の歩兵第一連隊長に補任される
児玉源太郎:下総佐倉の歩兵第二連隊長に補任される
⇒習志野で両連隊の対抗演習
⇒乃木の歩兵第一連隊は大敗する
⇒児玉「乃木はいくさが下手じゃ」と、首筋の蚊をたたきながら大笑いwwwww
慶長五年七月上旬に、大谷吉継は家康の要請に従って関東に赴く途中、立ち寄った 若年来の三成の本拠地佐和山城で、打倒家康の策謀を打ち明けられる 諸将の恨みを買う三成が挙兵すれば、却って家康に味方する者が多くなり、秀頼の ためにならないと反対する大谷だが、三成の翻意せぬを知り共に死ぬ決意をする 彼らは毛利家に影響力の大きい安国寺恵瓊を語らい、総大将として毛利家当主 毛利輝元を担ぎ出すことに成功する 大谷が説得されたのが七月十一日で、恵瓊が彼らに賛同したのも同日としている この作品では突然の恵瓊の登場だが、いくらなんではそれまでに色々な経緯が あるだろう。こういったことを気にして調べようとしないのが、この作者の杜撰な所だ なお、恵瓊の決断は毛利家の軍事責任者の吉川広家から猛反発を受ける 広家は家康の武威を恐れ到底、敵うべくないと思い秘密裏に家康と講和交渉を始める
ベトンの要塞に肉弾突撃させた乃木司令官も、 「コンクリートから人へ」という思想の持ち主だったのでしょうか?
奉行派は輝元に出馬を要請するが、五奉行の一人増田長盛は、同時に家康にも 大坂の異変を密告する また、上杉征伐に向かうはずでまだ西国にいる者は次々に西軍に参加する その数九万四千 主な武将に宇喜多秀家(岡山東部)、織田秀信(岐阜南部)、島津義弘、小西行長など 彼らは最初の攻撃目標として、家康の家臣千数百の立て籠もる伏見城を総勢四万の 大軍で攻めるが、毛利家のサボタージュもあり容易に抜けず、落城は八月に持ち越される
西国での奉行派の行動を知りながらも、事態を甘くみた家康はそのまま、上杉征伐に 向かうが、七月二十四日になって小山(現栃木県小山市)で西国大名の多くが敵方に 参加しているのを知り愕然とする。彼は黒田長政(大分県中津)に福島正則の説得を頼む 翌二十五日に開かれた世に言う「小山評定」では豊臣恩顧の武将たちも一丸となって 家康と共に戦うことを決意する。同時に尾張以東中部地方の勢力が家康の指示に従う事になる 上杉討伐で前軍を指揮していた家康の世子秀忠は、宇都宮に止め置かれている 結局、上杉勢は徳川勢をほろんど足止めさえ出来ずに終戦を迎える 西軍の戦略が泥縄式である典型的な例
西軍の行動は停滞し続ける 三成は八月九日に美濃大垣城(岐阜県大垣市)に在城した後、無為の日々を過ごす 他の西軍武将たちも、近畿地方各地に分散し抵抗する小勢力を攻撃するも、日を重ねるごとに 士気が衰えていく 本来中心となるべき、毛利家の中枢に内通者(吉川広家)がいるため、政治的、経済的中心を占拠し 人数的にも優勢に関わらず、どんどん不利になっていく西軍 ところで、三成の書状で伏見城を落としたことを誇って >ことごとく火を懸け、一宇も残さず焼き払いし言 との、文言があるが、伏見城は豊臣家に取って最重要拠点の一つである それを高々、千何人のために焼き尽くすなど、愚の極み こんな手紙を書くことからも、三成の凡庸さが分かる
《日清戦争時の師団》 東京鎮台 →第一師団 仙台鎮台 →第二師団 名古屋鎮台 →第三師団 大阪鎮台 →第四師団 広島鎮台 →第五師団 熊本鎮台 →第六師団 《師団平時編制》 総人員は9199名(歩兵連隊は1721名) 歩兵旅団2個=各2個歩兵連隊 騎兵大隊 砲兵連隊 工兵大隊 輜重兵大隊
南山要塞の戦では、第二軍は海軍の掩護を求めている。海軍の艦砲射撃は有効だった。 伊地知はこれを断っているのな。どういう理由だがは知らん。司馬の言うように陸軍のメンツ にこだわったのだろうか。無能と罵るならば、伊地知だろう。
八月十四日前後に徳川勢を除く東軍は尾張清洲城に着陣し始める また、黒田長政は福島正則を説得して、清洲城を家康に貸し出す了承を得る 黒田は他にも吉川広家、小早川秀秋との交渉を担当し、戦後もっとも活躍した 武将として福岡五十二万石を与えられている 尾張、美濃と互いに向かい合いながら何事も起きない両勢の動きに家康は疑いを 持ち、江戸より一歩も動こうとしない。福島や池田輝政(愛知県吉田)らは家康を 安心させるために、岐阜城の織田秀信に攻撃を掛けることにする この家康の用心深さこそ戦国時代で武田、織田両勢力の狭間で培われてきた最大の 才覚と津本氏は激賞。人が利のみで動くとの認識が豊臣時代に成長した他の武将と 一線を画すという
208 :
この名無しがすごい! :2009/12/17(木) 12:38:18 ID:3oHV0Y1E
戦争というのは巨大組織で行う巨大事業なんで、現場責任者の乃木と伊地知だけの 責任ではないけどな。多大な犠牲を払いながらも、旅順戦は最終的には勝利しているから、 乃木と伊地知の失策を糊塗しようと思えばできないわけじゃない。現に日露戦の最中は 二人に対する非難が轟々としていたのに、戦後しばらく経つと乃木は軍神にされた。 そのベールを引っ剥がすためには厳しく罵る必要もあったろう。結果的に、日露戦当時の 乃木に対する評価をリアルに描くことに成功していると思う。
「殉死」の冒頭に出てくる麻布日ヶ窪の教育テレビ(NET)というのは、今のテレビ朝日のこと なんだな。昨日のニューステのオープニングは、毛利公園からやっていた。
司馬遼太郎による麻布日ヶ窪の印象 このあたりだけが大きく窪み、陽が射しにくい地形であることがわかる。晴れた日でも 地面が黒く湿っている。乃木希典という、生涯洞窟のなかで灯をともしていたような、 そういう数奇なにおいの人物の生まれそうなところであるように思えた。 時々ここで切腹した赤穂浪士の怨霊も出てくる。われわれテレビ朝日の社員は、 そんな場所で仕事をしている。
211 :
殉 死 :2009/12/17(木) 14:17:34 ID:3oHV0Y1E
豊島陽蔵…広島県安芸郡矢賀村出身。退役後、広島市長。
乃木は軍人向きの人間ではないな。有能・無能を議論する以前に不適格。 心の拠りどころが陽明学、山鹿素行の信奉というのは痛々しい。
美濃を流れる尾張に至る、大河は三流あり、西から飛騨に源流を持ちおおむね南流する揖斐川 次に北東から流れ来て揖斐川に近づくにつれ緩やかに南に向かう長良川 そして東の方、信濃より至り、岐阜城の南方数キロで突然南に屈曲する、木曽川 尾張にいる武将たちはこの屈曲点を挟んで、上流から池田輝政を中心とする、一万八千 下流からは福島正則、黒田長政、藤堂高虎ら、一万六千が木曽川を渡り、岐阜城をはさみ撃ちにしようと 計画する 迎え撃つ岐阜城城主織田秀信は木曽川を挟んで池田隊に対決するが衆寡敵せず、さんざ打ち破られた挙句に 岐阜城に後退する これが八月二十二日、戦国屈指の堅城と言われた岐阜城だが、兵の士気は上がらず、翌二十三日には陥落する 島隊の一部、黒田長政や藤堂高虎などは大垣城の石田、小西、島津などが岐阜城を救援に向かうのを 迎え撃とうとするが、岐阜城が一日で陥落したため、石田らは大垣城に引き返してしまう
伊吹山地は滋賀から濃尾平野に向け群がり、ちょうど大垣城の北西約四キロで終極する その辺りを赤坂と呼ぶ。黒田、藤堂勢は揖斐川上流を越えここを占拠する しかも、二十四日には東軍は全軍がここに集結し、三成の本拠佐和山城を窺うまでになる 赤坂から僅かに西に向かったところで、伊吹山地は南西から流れ込む鈴鹿山脈、南西から 溢れ来る養老山地と衝突する。ここで生まれた窪地を関ヶ原と呼ぶ
島隊の一部→福島隊の一部 南西から溢れ来る養老山地→南東から溢れきたる養老山地
八月二十四日には宇都宮より徳川秀忠が中山道を通り美濃に向かう この軍勢こそ、徳川軍の主力三万八千で榊原康政、大久保忠隣など大名格の武将が所属していた その後八月末に岐阜での戦捷を知り、九月元日に江戸を出立、こちらも約三万三千で大軍だが そのほとんどが旗本衆で家康の護衛以外の軍事行動の機能を持たなかった 東軍の活発な活動により西軍の各武将も関ヶ原近隣に集結する 宇喜多秀家、大谷吉継、毛利軍の別働隊で吉川広家を先陣とする、毛利秀元隊などである 毛利家の部隊はこれ以前に伊勢地方で活動していた この方面から進出し、赤坂に陣を置く東軍と正面から対峙するために養老山地北端の 南宮山付近に布陣したと思われる。関ヶ原の合戦で日和見をするために、この辺りに布陣した と言うわけではなさそうである また三成はこの間、自領佐和山に不安を感じ、密かに帰還したりしている
関ヶ原に西軍の西軍の有力武将が参陣する中で、京極高次は家康に合力することを 決意し九月三日より大津城に籠城を開始し、立花宗茂など、西軍の有力武将の足止めをする 十一日には家康が清須に到着するが、とうに布陣しているはずの秀忠軍はまだ到着していなかった このあと有名な関ヶ原の合戦の顛末が語られるがさすがに、そこまで書くとアレなんでそこは飛ばします 感想としては、以前「下天は夢か」「夢のまた夢」を読んで予想していたよりは、はるかに内容が充実して いるように感じました。家康と西軍武将たちの格の違いを見せつつ、それでいて娯楽小説としての緊張感を備えて いると感じました。前二作より合戦の回数が少なくテンションを保つことができ、また有名な出来事なので史料の 正確性が増しているためと思われます また、家康と津本氏の相性自体がよいという気もします
>>223 はナシ
大谷吉継と共に北陸地方で前田家と対峙していた、京極高次は吉継が関ヶ原に向かうと自分は所領大津に戻り
家康のために立て篭もる。九月三日のことであった。このため、大坂と関ヶ原の交通は不安定になり、更に立花宗茂など
西軍有力武将が関ヶ原への足止めを喰らう
江戸を立ち、西へ向かってゆるゆると進んでいた家康も九月十一日には清須に到着するが、とうに布陣しているはずの
秀忠軍はまだ影すら見せていなかった
他にも三成によって関ヶ原への出陣を依頼された大坂城の秀頼、輝元や細川忠興領を制圧寸前の、小野木公郷の
動静など情勢は緊張の度合いを増すばかりだが、この後の関ヶ原合戦の顛末はぜひ、自分の目で確かめてもらいたい
津本氏の筆もいよいよ充実し、久々の名調子を聞かせてもらうことになる
思えばこの時作者も六十ウン歳、自らを家康に擬したような気合の入れ様である
225 :
殉 死 :2009/12/18(金) 14:44:06 ID:6ezNFfza
他に陽明学の影響を強く受けた人物として 「峠」の主人公河井継之助およびその師山田方谷 「忠臣蔵」の浅野内匠頭や大石良雄 乃木希典に直接影響を与えたのは松陰の叔父玉木文之進
筆者はゴルフをたしなまない。自他ともに認める方向音痴であるから、打った球が 隣りのホールに入ってしまうことがしばしばあるのである。 「隣りのホールに入れてはいけません。それじゃまるでタイガー・ウッズではありませんか」 須田さんがそういうと、ウッズ選手は嬉しそうに笑った。 「十歳のころから棒を振り回すのが好きでした。ゴルフはわたしの天職だと思っています」 タイガーはホールの中に入った白いモノを拾った。 「いま何ホール回られたんですか?」 「14ホールです」 筆者はウッズ選手の答えに納得できなかった。 「奥さんをお忘れになっていませんか?」 「すみません。15ホールでした」 ウッズ選手は、また笑った。
明日から、坂の上の雲
関ヶ原の合戦後、家康は毛利秀元隊を己が管理下に置こうとするが秀元らは 総大将輝元のいる大坂城へ向かってしまう、その他立花宗茂勢など大坂には 七万以上の軍勢が集結するが、家康の本領安堵の口約束に騙され輝元は大阪城を 明け渡してしまう その交渉の間に奉行派武将は次々に逮捕、処刑され西軍は戦わずしてその勢力を 失っていく 自分たちから戦争を始めた癖に、時間を無駄に過ごし、身内の裏切りが原因で敗北し 主戦派と厭戦派で内部分裂し、仲間を見捨て、徹底的に戦う気構えも見せず あっさりと重要な拠点まで明け渡して、それで無事で済むと考えている 毛利家一統が凄い。しかし、書いてみると今の日本人のことであるような気が 結局、毛利家は総大将として戦ったことを咎められ、所領の大部分を失う
237 :
乾坤の夢 :2009/12/19(土) 00:27:44 ID:m19nuTDz
関ヶ原の戦い編の総括 従来の関ヶ原物と違ってほとんど石田三成に重要な役割がなかった 実際、西軍の総大将は毛利輝元でその構成人員も大部分が毛利家の兵なのだから あくまで徳川家VS毛利家と捉える方が自然だろう。ただそうすると、一方が退嬰的 過ぎて娯楽小説としてドラマ性がないので、石田三成を中心に据えていたと思う 敗戦の原因を処刑された人間の中では一番権力のあった、三成に負わせたという気もする また、物語の展開もスピーディーで最初の泗川を除けば大体、文庫本一冊で関ヶ原の合戦の 全容と他の小説では省略されている戦後の処理までをこなしている 他の作品で取り上げられやすい、前田家や黒田如水の動向などが省略されていていることも テンポを良くしている。合戦シーンも数が少ないためだろう、つまらない物はあっても 気の抜けた物はなかった 更に、津本氏の今までの作品ではこういった場合、唯の情報の羅列で終わることが多かったが 今回は徳川家康が戦国時代の苛烈な闘争に耐えぬいたことに注目し、彼の老練さと決断力に 焦点を当て、重要人物がほとんど全員凡庸という、大衆小説ではかなり困難な状況を くぐり抜けることに成功している また、関ヶ原の合戦の間は、実は家康の方がずっと不利な状況に置かれていることも この小説の構成を引き締めている
この江戸の章では、家康が征夷大将軍になりその後隠居して、駿府に移り住むまでが 描かれている 内容的には彼が関わった政治や開発に関する話題と彼の人柄を紹介するエピソード (こちらは幼年期からの物も含まれる)が書かれている 内容は多岐に渡るがとりあえず、いくつか挙げると、家康の母お大が関ヶ原の合戦後 しばらくして亡くなる。栄達を極めた家康がよせばいいのに、京都の御所などを見物に 回させて却って気疲れしてしまい、体調を悪くしてしまった様だ 余計なことをして、後悔する家康が紹介されている また、彼は酷い淋病持ちで何度か死にかけたようである
239 :
坂の上の雲 :2009/12/19(土) 12:50:23 ID:eOrWPiQj
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
髭がなければ長島一茂にも似ている。
ドラマではカットされたが、野田小学校の寺男とその女房の出てくる場面は、 ものすごく面白いんだよな。「坂の上の雲」は全体に陽気でユーモアあふれる 叙述に満ちている。そのくせ、「好古の青春は陰鬱だった」とか書いているのだが、 陰鬱さなど微塵も感じさせない
251 :
乾坤の夢 :2009/12/19(土) 23:06:03 ID:m19nuTDz
江戸編とそれに続く駿府編はまとめるのが難しいので 「乾坤の夢」は少し中断します
252 :
坂の上の雲 :2009/12/20(日) 17:35:21 ID:gXovb/Zl
余談ながら、私は日露戦争というものをこの物語のある時期から書こうとしている。
岩村高俊は、佐賀県権県令の後は、内務省勤務を経て、愛媛県権県令になったみたいだな。 ほんと司馬作品への登場が多い。 坂の上の雲では、悪者ではなく、教育と言論の自由の普及に熱心な県令として登場する。 わけわからん人だ。
>>56 日清戦争は端折りすぎだと思うが、サンプル映像だと思ってしっかり記憶して、あとは原作を楽しむ
ほかないと思った。原作を何度も読んだ人には物足りないかもしれないが、知らない人は、ほんと
知らないからね。うちの親父は、艦上で双眼鏡をのぞいている渡哲也を見て、「あれは伊藤博文
だったかなー?」と質問していた。
佐々木すみ江は、菊本の画像な
263 :
坂の上の雲 :2009/12/21(月) 15:21:16 ID:bxvQ1SF2
好古は、 「男子は生涯一事をなせば足る」 と、平素自分にいいきかせていた。弟の真之に対しても、 「身辺は単純明快でいい」 とおしえた。
268 :
坂の上の雲 :2009/12/21(月) 17:31:31 ID:bxvQ1SF2
青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、 こまったことにそのエネルギーを知恵が支配していない。
大学予備門時代の子規は、よく書けているよねー。 40代の作者が、10代の青春の沸き立つような気分を、よくぞ再現したものだと思う。 下手くそが書くと、陰鬱なのか、暴力まみれなのかしかない。
司馬遼太郎はオタク世代にはうけるんじゃないかな? 司馬は図書館オタクだったから、性格的には現代のオタク世代と近いところがある。 登場人物の中に共感・共鳴できる人物が多いのは、そのせいじゃないかな?
関ヶ原の合戦後、独裁者となった家康は自分の配下を江戸を中心に豊臣方に 対抗するように配置する 主なものとしては、越前に家康の次男結城秀康(七十五万石)、同じく四男松平忠吉を尾張(五十二万石) 井伊直政を滋賀彦根(十八万石)に、三重桑名に本多忠勝(十万石)などとなっている 上記の者たちと京都伏見城が豊臣勢が東に攻め下ったときの、最初の防衛ラインを形成することになる また、東軍に参加した豊臣恩顧の武将たちで主な者は、福島正則が広島に、浅野幸長を和歌山に、加藤清正は熊本で それぞれ五十万石程度の大領に封ぜられるが、西日本全体に分散させられ、大坂を守護し辛くなっている また、西軍に参加した、毛利家、上杉家は大きな減封にあったが、関ヶ原で少数ながら勇戦した島津家は 無事、所領を守ることに成功する 大幅な加増で釣って、どの立場にあっても最重要拠点になる尾張から福島正則を追い出し 超安定的な防御陣を形成している。名古屋には豊臣家と関わりのあり、独立不羈の質のある 秀康でなくもっと、操りやすい忠吉を置くところも考えてあってのこと 元々未だ大坂が敵地である家康にとって、島津を攻めることは不可能に近そうではある 結局、島津との講和には二年以上の時間が掛かる
徳川新政権の国内整備が語られる ・江戸から京都への伝馬(駅伝)、便船の整備 ・貨幣鋳造の支配 ・寺院統制のための寺中法度を立てる ・現在のベトナム、フィリピン、マレーシアと朱印船貿易を始める ・京都に新たな防衛拠点の二条城を建設する ・高位にある僧侶を操り、秀頼の母、淀殿に膨大な金額を寄付させ大坂城にある蓄えを減らそうとする これらの後、千六百三年徳川家康は征夷大将軍に任命される 他に家康の節約ぶり(精々二千石取りでも、もっとマシであるという)や名将言行録的エピソードもある 家康の征夷大将軍拝命のころまでは、家康の方が秀頼に下手に出ていたとも書かれている一方で 伊達政宗が知人に宛てた手紙を紹介し、すでにこの時点で秀頼には、家康に屈服するより道なし との見解が示される
家康は江戸を日本の中心都市として開発する ・陰陽道によって場所が決定された ・建築資材を運搬するための水路を平川河口から江戸城まで繋いだ ・江戸城大手門の周りには大名屋敷を置き、その隣に寺社を、さらに商人街と 「の」の字の形で江戸城を囲むように町割をした このため、後に江戸の人口が増加した時もさらに周りをめぐるように拡張していけば良く これが江戸の発展につながったという ・メインストリートを本町通りと呼び、それに直行するかたちで通町筋があり その道幅は、約十八メートルにもなり、当時の平均の四倍以上であったという ・江戸を中心に東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中の五街道を整備し直す ・大規模な海岸地帯の埋め立てを行う などが書かれている 千六百三年には、緊張緩和のため、家康の孫千姫が秀頼に嫁いでいるが、それと同時に 家康は京都とと大坂を結ぶ淀川水系を管理し始める 他に ・朱印船貿易による明国産生糸の独占販売 ・一里塚の設置 ・外様大名に対する課役として江戸城普請を命じる ・朱印船貿易が拡大。東南アジア全域と交易を行うようになり、日本からの海外移民も 十万人を越える。国内のキリスト教の布教も拡大する 千六百五年には家康は将軍職を秀忠に譲る。これに反発する淀殿など、大坂方とは しだいに険悪な関係になっていく 千六百七年には家康は駿府に居を移す
278 :
坂の上の雲 :2009/12/22(火) 15:25:13 ID:prg4OviI
「日本帝国の栄光と威厳は、一個の海軍士官にかかっている。言葉をひるがえせば、一個の 海軍士官の志操、精神、そして能力が、すなわち日本のそれにかかっている」
しかし、メッケルの通訳にすぎない遠藤慎司が、どのようにしてドイツ語 が話せるようになったかを説明するために、津田出の藩政改革にまで遡って説明する 必要があるのだろうか、と思った。この先遠藤慎司の登場場面はまったくないのに。 津田出の名前を出すだけならばともかく、西郷隆盛が 津田出を新政府に招聘しようとした話までは、さすがに不要ではないか? すでに、このあたりから脱線の脱線が始まっている。
家康は隠居所として駿府城を千六百八年に完成させ、以降そこを拠点に政治を指揮する 治安が悪化している 大名、旗本、公家などでさえ、乱暴狼藉を繰り返し相次いで厳しい処罰が下される 浪人、ならず者などの処刑も多く、盗賊、辻斬りまでもが数知れず起こった 朱印船貿易は益々活発化し、大型船を自前で建造するようになるが、航海技術の遅れから 中国人、西洋人を航海士として雇い入れている 治安の悪さの紹介と共に、家康が行列を邪魔した商人を切り捨てたエピソードを紹介する 移動を邪魔され行列の進行が停止したときが一番狙われやすく、危険らしい 一方で他のところでは、家康の警固の人間の少なさや騎馬で片手に酒瓶を持って護衛をしていた 者までいたらしく、現代の常識が通用しない、安全管理の問題が浮き彫りになる
千六百九年二月、マカオで日本人とポルトガル人の間で闘争があり、日本人が多数 殺傷される。このため、ポルトガルに代わりオランダとの交易を主力にしようという 動きが生まれる 十一月には長崎の有馬晴信に命じて日本船とトラブルのあったポルトガル船を襲撃させる 島津家の琉球征服を許可され、実行される 宮中で女官と公家の大規模なスキャンダルがある。時の後陽成天皇は断乎とした処罰を 望むが、家康は穏便に済ませようとする。それでも一名が処刑される この時の不満と健康上の理由から後陽成天皇は退位を希望するが家康は中々認めない 千六百十一年になってようやく後を後水尾天皇に譲る 千六百十年には名古屋城を改築、これで伏見城、名古屋城、駿府城、江戸城と大坂に 対する四ヶ所の防衛拠点が完成する 貿易に関する情報が以外に多い。ポルトガル以外にも当時世界中を植民地化していた スペインも用心され始めている なお、日本へと輸入された物は様々な種類があるが特に香料が珍重されたとある 一方日本から海外に輸出された主な物は銀であった 銀は大久保長安という人物が導入したアマルガム法という新手法での採掘により 膨大な量が産出されていた。この実績により長安は徳川政権内で膨大な利権を 手にしていたという
287 :
坂の上の雲 :2009/12/23(水) 16:18:25 ID:lbJyi6pm
好古のフランス留学は現役将校としてはながく、足かけ五年にもおよんだ。
陸軍がフランス式からドイツ式に転換していく模様を語っているが、 桂太郎のドイツ留学(明治3年/普仏戦争の最中)にまで脱線すれば 十分だと思う。司馬凌海まで脱線し、ついでにポンペの洋医学塾まで 脱線の脱線をする必要はない。
ある作品だけを読んでいると、脱線部分は著者の博識を示す叙述に思えるが、 評論・紀行を含む全作品を読んだ後だと、ネタの重複がウゼー。
競馬のジョッキーは、どちらかというとドイツ式乗馬術に近いな。
千六百十一年後陽成天皇は退位し変わって後水尾天皇が即位する。この際家康は豊臣秀頼に上洛を指示する これに、淀殿は反発するが秀吉正室の高台院などの説得により、何とか秀頼は家康との対面を果たすが この時の秀頼の成長振りに、家康は脅威を感じる 翌年千六百十二年岡本大八事件発生 岡本大八は家康の秘書官を勤める本多正信、正純親子の正純の祐筆であったが、長崎の領主有馬晴信から 金品を受け取り、かつて所領し現在鍋島家の物となっている肥前地方の三郡を返還させるよう家康からの 命令を出させることを請け負ったという。これが実際に行われず、晴信が幕府に訴え出たところ極刑は免れると思った 岡本が有馬がかつて幕臣の暗殺を企てたことなどを告発し、さらに幕府の禁を犯してまで諸外国との関係を 持とうとしていたことも発覚し、大八は極刑、有馬も流罪の後切腹して果てる また、この事件の審議を大久保長安が担当している、彼は幕閣における本多家と並ぶ権力者、大久保忠隣に随っている
大八事件では本多家へのお咎めはなかった 逆に、千六百十三年には大久保派追い落としの策動が始まる 大久保忠隣の養女を貰った山口重政が改易に為ったのを端緒に、四月に大久保長安の死を受け彼の 財産などを本多正純が調査、不正の証拠を見つける。大久保長安の息子六人は全員死刑、石川康長(信州八万石) などかなりの大物も所領没収の目にあう。この時点で大久保忠隣も標的にされていたがなんとか、証拠不十分で 処罰を免れる 大久保忠隣は六万石の所帯ながら、かなり金銭的に潤っていて、来客などを常識で有り得ないほど手厚くもてなし 借金の相談にも乗ってていたというから、やはり長安からの資金援助なしではなかったろう その上、彼の居城には門前市を成すほどの、大勢の武家がお参りをしていたというから家康、秀忠に危険視されて当然だと思う
そろそろ、死に支度をし始める家康だが最初のターゲットは、大久保忠隣で、千六百十三年から翌年にかけては 彼を追放することが中心事であったようだ。年の後半から自分の手駒となる者達を鷹狩にかこつけて招聘し 他に本多正信、藤堂高虎、土井利勝など謀略のプロと打ち合わせをして、年の終わりに大久保に京都で キリシタンの追放の命を与え彼の勢力の強い関東から引き離す 彼が今日に向かった後の正月の諸大名、旗本などの江戸登城時に、大久保を処罰することを伝える 千六百十四年一月十九日には、大久保を井伊家預かりの流刑にしたが、かれの息子でも処罰されない者が いるなどそれほど苛烈な結果にはならなかった 津本氏の場合、あまり想像を語らないため、こちらで勝手に思い込むしかないが、とにかくこの大久保事件は 家康にとって、豊臣家などよりよっぽど深刻な問題だったのではないかという気がする 大久保忠隣の主君を凌ぐ権勢を持ちながら、自分には私心がないと言い張る感覚に、彼の政治的感覚の なさを感じる。また、彼は別にキリシタンや豊臣家との関係まで疑われていたようである 彼を追放するまでの家康の慎重さといい、並みの事件ではなかったのではないか 小説家ならもっと想像力を刺激されてよさそうだが、あまり大久保長安を除いて時代小説で扱われない この問題を解決後、家康は豊臣家に本格的な圧力を加え始める
この年八月有名な方広寺事件が起きる。秀吉によって建立された方広寺だが千五百九十六年に地震により 倒壊してしまう。その後秀頼によって再建されたが、この時一緒に作られた梵鐘に家康を呪詛する銘文があると として、家康が秀頼を難詰したという。これにより、両者の関係は悪化し、大坂の陣になだれ込む この事件の前に家康は高位の僧侶たちを呼び出し、講義を受けたり、各寺院から代表を招き作文をさせるなど 懐柔と圧力となる行為を繰り返す。これは彼ら知識人に、方広寺の銘文を家康呪詛のものと認定させるため だったと津本氏はしている ただし「右僕射源朝臣家康」の文言は、家康を呼び捨てにして当時の感覚では非常に無礼であると言う意見 もあり、一概に言いがかりだけとは言えないようである 再建の完了した、方広寺の除幕式を延期にされ、豊臣家では反徳川の機運が高まる
豊臣家の筆頭家老というべき立場の片桐且元であるが、一方では独立した大名として家康から知行を受けている 方広寺事件の釈明のため、秀頼の乳母の息子大野治長らと駿府を訪れた片桐且元を秀頼から引き離し 豊臣家を暴発させるために家康は謀略を繰り広げる 大坂で一人秀頼に逆らってまで、恭順の道を探る片桐にのみ、圧力を掛け、一方で大野や母親の大蔵局などには 甘言を以て接し双方の離間を謀る 脅迫に屈した片桐は秀頼が駿府に赴くか、大坂を明け渡す、淀殿を江戸に人質に差し出すの三つのうちから 一つを呑むことを約束する この後、大坂に帰った大蔵局に唆された秀頼は、且元の殺害を決定し、同時に徳川に対して開戦することを決意する あまりに考えなしに、戦うことを決意する大坂勢。まともに取り上げる価値もないということか、描写もあっさり目
織田信長の次男信雄は当時、大坂に在住していたが、淀殿は彼を豊臣に味方するように命じる 今の豊臣家では到底家康に敵することはかなわないと思った信雄は、いったんは承知したように見せながら この地からの逃亡を決意し、そのついでに片桐且元に彼が命を狙われていることを伝える この知らせを受け且元は自分の屋敷に立て篭もる。内部での闘争が長期化するのを嫌がった大坂勢中枢の 判断により且元は自領茨木に退く これが千六百十四年十月一日であり、この後大坂では多くの浪人を雇い入れる 有名な者では、真田幸村、土佐の領主で関が原の合戦後浪人をしていた長宗我部盛親、豊前で一万石を領していて同じく 関が原の後浪人していた毛利勝永、黒田長政の家臣だった後藤又兵衛、加藤嘉明に仕えていた塙団衛門などが 入城した。その総勢は十万を超えたという
303 :
坂の上の雲 :2009/12/24(木) 14:31:46 ID:FA3k6WAE
子規の母お八重は、息子の升のことを生涯「ノボさん」と呼んだ、と書いてあったが、 明治22年に子規が肺結核の療養のため松山に帰ったときは、「ノボルさん」と呼んでる。
310 :
乾坤の夢 :2009/12/24(木) 22:03:32 ID:0NHteI3u
江戸編・駿府編のまとめ 関ヶ原以前の回想までをも含み、膨大な量の情報が取り上げられている 扱われる内容も、武家の統制、朝廷の扱い、外国との貿易、江戸の開発、豊臣との関係 寺社勢力の管理など、多彩であった。これとは別に家康の死生観についても、かなりの 量で考察されており、また説得力もあった 前にも書いたが、正直予想以上の出来である また、全体として次第に徳川政権の防衛網が完成していき、そうして後に、やっと豊臣に 圧力を掛けている。絶対に負けない算段をつけての、大阪攻めと言える そのため、この後の戦争描写は全く緊張感がなくなるが
大阪城は北を上に向けた地図では、外枠が凹の字になっていて、凹のへこみの部分に 本来の政府としての大阪城が存在している。また、凹の字の右上の角の辺りで北東の 京都から流れる淀川と奈良から流れてくる、大和川、それに南から外城の東側外堀に 添うように流れる平野川が合流し、西に流れながら中洲を幾つも作る複雑な地形を 大阪城の北側に作り出し、さらに城の西側の土地ではまた分流し、海岸の狭い地形を 切り刻む このため、東西北から大軍で侵攻することは難しく、徳川方にとっては広がりのある 南方からの攻撃が主力となる
大坂城の外堀の南側は少し高くなっているため、水が流れ込まず空堀になっている 大坂方でもこの方面からの攻撃を心配して、さらに突出部を作り真田幸村が守備を 委されることになった また、初期の豊臣方の守備範囲は広く、西方の海岸部、淀川、大和川、平野川などを越えた 大坂城から北東に四キロほども離れた辺りまで防塞を築いていた
千六百十四年の十月一日に豊臣方の騒動を知らされた家康はさっそく彦根の井伊直孝や伊勢の藤堂高虎などに 京都や滋賀県南部を抑えるように指示し、他の畿内周辺の武将たちにも大坂から東方への侵攻を阻止するよう 檄を飛ばす。大坂と関係の深い福島正則、黒田長政、加藤嘉明らは江戸に止め置かれた 大坂での出来事を知り、してやったりと小躍りをする家康 この後は豊臣家の連中が手玉に取られ、殺されるだけの話なので 正直あまり読んでいて楽しくはない
大坂での軍議が紹介される 関東勢の先手を打って、京都、大津、奈良方面に進出せよとの真田幸村、後藤又兵衛などの 積極派と籠城を望む大野治長らで論争が起きるが結局秀頼の乳母を母に持つ大野の意見が 採用される。その後十月十三日には大坂方は堺を、十五日には片桐の居城茨木城を攻撃する 有名な上のエピソードでは冬の陣で前田家で戦う小幡勘兵衛などが登場するので 本当にあった話なのかと疑問に思うが、それでも関東勢が実際に京都、南滋賀への大坂方の 進出を恐れていたのなら、実行する価値はあったのではないか 相手の嫌がることをするのが戦略の基本である。大坂だけでなく京都を抑えることが出来れば 大坂方が日本の物流の中心を完全に掌握することになり、数十万の関東勢は戦争に必要な物資の補給を 維持できなくなる
315 :
坂の上の雲 :2009/12/25(金) 12:49:29 ID:d6j+jiUN
322 :
坂の上の雲 :2009/12/25(金) 15:46:28 ID:d6j+jiUN
日清戦争とはなにか。 その定義づけを、この物語においてはそれをせねばならぬ必要が、わずかしかない。 そのわずかな必要のために言うとすれば、善でも悪でもなく、人類の歴史のなかにおける 日本という国家の成長の度あいの問題としてこのことを考えてゆかねばならない。
他の科学に、悪玉か善玉かというような分けかたはない。たとえば水素は悪玉で 酸素は善玉であるというようなことはないであろう。そういうことは絶対にないという 場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、 むしろ逆に悪玉と善玉と分ける地点から成立してゆくというところにある。
「猿まね」 と、西洋人はわらった。 模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗のふるい猿 であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新店の猿は笑い者になるのであろう。 自分こそ猿でなく、世界の中華であると思っている清国は清国で、日本人の欧化を軽蔑 した。もっとも日本人を軽蔑したのは、大清帝国の文明を信じ、その属邦であり続けようと する朝鮮であった。
十月十一日には家康が駿府を出発。前田家や故結城秀康の息子松平忠直などの軍勢も 続々と駆けつける京都に二十二日に到着する 翌二十三日には一方江戸で様々な手配を終えた将軍秀忠が前日の伊達、上杉、佐竹などに 続いて大坂へ出発する 関ヶ原に遅参した秀忠の汚名返上の為のいそっぎっぷりが凄い。他の小説でも紹介されているので割愛する かっこ良くはないが、全てを寵臣任せの秀頼に比べればよほどマシだろう それにしても暗殺などを気にしなかったのだろうか?
十一月一日淀川上流で大阪勢が堤を崩しているのを、徳川勢が攻撃して 本格的な両軍の交戦が始まる 大坂城の南方に取り付くのは意外に早く二日には伊勢より進出した藤堂勢が早くも 都市大阪の海岸部南端で戦闘が起きている 五日には大坂城から東の平野村に大阪方が現れるが、既にその辺りにいた 松平忠明(伊勢、美濃勢)、本多忠政(伊勢)らとの戦闘を嫌い大坂城に引き上げる 忠明、忠政らは大坂城から東に十キロ辺りの豊臣方の一番東の防砦を潰していく 七日には旧宇喜多領など豊臣家と西に境を接する池田家が進攻してきて淀川の河口の北側を 制圧する。この時点で大坂城本体のかなり近くまで徳川軍が迫っていることになる ネットにある大阪の陣の年表などを参考にしていると冬の陣も結構あっさりと 進行している。実質一ヶ月前後か。基本的に豊臣方が家康の嫌がることをしないので ただの城攻めのマニュアルを読んでいるような気になる
秀忠は十一月十日に京都に到着する。家康との軍議後、十五日に大坂に家康、秀忠 別々に出立することになる 十五日には家康は、途中法隆寺などに泊まり、大阪と奈良を区切る南北に並ぶ 二つの衝立てに見立てられる生駒山地と金剛山地の隙間を越え、秀忠は淀川沿いを通って 大阪城のすぐ東の平野などを通って、城の南約九キロの住吉に集結することとした 家康は身の安全のために、危険地帯を大きく迂回するルートを通って、大坂の南側に 移動したと考えられる。この選択は後の大坂夏の陣の時の豊臣方の作戦決定に大きく 影響を与えた
大坂城から南に三キロと少し西に進んだ辺りに茶臼山という丘陵があり四方を見渡すことが出来る また、東に行くと南から北に淀川に向かって流れる平野川があり、その手前にまた岡山という小丘陵がある 後にここに秀忠が本陣を構える。(この時点では現平野区が本陣) 彼らが攻め込もうとする大坂城の南の外郭は鉄菱が播かれた空堀とその側面に約三メートルの石垣を築き その上にサカモギを置き、二十メートルごとに二階建ての矢倉が建っている 銃眼も無数にあり、大砲も百メートルおきに配置されていた これを正面から攻撃してもいたずらに被害が増えるだけと考えた家康は諸大名に巨大な大砲を用意させ出来ない 者へは貸し出し、築山を築かせ砲撃を見舞わせる 十九日には南方の木津川河口には蜂須賀家や浅野家を、北方の中津川、天満川には九鬼氏向井将監などを派遣 大坂城西の海岸地帯に進出させ、海上からの輸送経路を封鎖していった また家康はすでにこの時外郭の施設棄却を条件に講和の交渉を始めたという
大坂城より北東の淀川や大和川の向こう側にもこの段階で大坂勢が布陣していた 家康は彼らを掃討するために付近に陣していた上杉、佐竹勢に攻撃を指示した 最初ここには大坂方は数百しかいなかったが、急を聞きつけ城内から援軍が到着し 激戦になるが、両者決定打を欠き、大坂方が陣地を保持したまま双方引き上げることとなる 豊臣秀吉がここを日本の首都にしようとしたため、利水が整備され周辺地帯の河川は盛り土された堤防が 出来上がっていた。守備側ではこれを利用して要塞の防壁代りに使っていた また二十八日からは、再び海岸地帯で家康は戦闘を仕掛け、この地域を制圧し大坂城は外部と完全に遮断される
十二月一日には城方により海岸地帯と外郭を繋いでいた橋のほとんどが焼き落とされる 徳川勢の接近により砲撃による被害も拡大し始める 徳川方では総攻撃を行うため、南側から徐々に軍勢を寄せ始めている 四日には城の南に設けられた出丸通称真田丸を攻撃する準備として、その手前にある 篠山を前田家の手勢が攻撃しようとし、間違って大坂城の正面に飛び出てしまう これを見て周囲の部隊が抜け駆けされたと勘違いして、井伊、松平忠直、藤堂などの 徳川勢主力がほとんど、火力に対する対策のないまま真田丸に強襲するも、城方の 集中砲火の前に空堀の内に立ち往生してしまう そのまま、日没と共に撤収することになり、徳川勢は大量の損害を被ったのだった また、七日にも偶発的な戦闘が発生したがこの時も攻め手にばかり被害があった これ以降、戦線は膠着状態となる この小説では家康は積極的な理由なら、軍令違反も全く咎め立てしていない 次第に貴族化し、弱体化していく自軍に対する不満の現れか?
豊島沖海戦で名前の出てきた軍人は、日本人なら誰でも知っている東郷平八郎だけ。 戦闘描写も簡潔だ。意識的にディテール地獄に陥らないように慎重に書いている。 序盤はwww
このあたりは小説が時系列で進行していないから、日付に注意して読むこと。 時系列だと、〔参謀本部〕→〔連合艦隊〕→〔豊島沖海戦〕→〔牙山・成歓作戦〕の順となる。
〔黄海海戦〕 1.世界が注目した近代海戦 伊と墺によるリッツ海戦から28年間、主力艦隊どうしの決戦はなかった。 2.秋山真之による批判 主力艦が他の用務のため開戦時各地に分散していたこと 3.通説 本格的戦艦(定遠・鎮遠)を保有する北洋艦隊が有利 連合艦隊に勝機があるとすれば快速を巧みに運用すること 4.米国海軍少将ジョージ・E・ベルナップ 滞日経験があり日本の戦史に詳しい 日本人の素質の高さと訓練精度の低い清国艦隊を比較し、日本軍が勝つと予想 5.英国海軍イングルス大佐/フリーマンター中将 NHKドラマ「坂の上の雲」で丁汝昌に面会を求めた東郷平八郎が目撃した 清国水兵の堕落は、実はフリーマンター中将の目撃談。
英国のG・フィブス・ホールンビー元帥といわれる方は実在していたのだろうか?
第三国の武官による日清・日露役の評論は、司馬がこの作品を書く際に読んた論文 の著者名の引用なんだろうから、実在した人物だろう。 ただ、初期作品でデタラメな出典や神社名を書いた経歴があるから、つい疑って しまうわな。
1904年(明治37年)のルミエール兄弟(Auguste & Louis Lumiere)が発明した カラー撮影法が商業的に成功したカラー写真の始まり。市販されるようになった のは1907年。 光の三原色それぞれのフィルターを付けて撮影した写真を3枚重ねて投影することで カラー写真を作る方法は、1961年からあった。
大坂城の堅牢な防御能力のため進軍の止まった徳川軍は間接的な攻撃方法を模索する 大坂城の堀を流れる水を枯らすため、淀川上流で神崎川に水を逃す工事が十二月九日に完了したが、思うほどの 効果が得られず続いて大和川でも同様の工事が行われることとなる 鉱山の人夫を呼び出し、城の設備の下まで坑道を掘らせ、そこから爆薬を爆発させ防御施設を崩れ落ちさせることにする 坑道は天井は大人の背丈よりも高く、梁や貫(横木)、天井板などを使って崩落を防ぐ本格的なものであった また作業の様子を城内からも見えるように行い精神的な揺さぶりをかけた 十四日辺りから徳川勢の大砲を使った本格的な砲撃も始まる。特に十六日には備前島という淀川内にある大坂城内城の側にある中洲からオランダ製の大砲を打ち込んだ効果は大きく、淀殿の住居を直接破壊し、これに怯えた淀殿は早速和平 交渉に応じるようになったという 今回地図と照らし合わせて、徳川軍と豊臣軍の動きを見てみたが、全く守り易いと思えない大坂城であった 特に北側は防御網が薄く、あっさりと内城付近に取り付かれている 京都方面から攻撃した場合の防御施設もなく、多分伏見城と連携していないと上手く機能しないのだと思う
その後淀殿の妹で、秀忠夫人には姉になる故京極高次夫人の常高院などの仲介として和平交渉がなされる 二十一日には和平の誓書を交わし、講和は成立した。内容は、豊臣方は大坂城の本丸以外の防御施設を打ち壊し 外堀を埋めること。徳川方は秀頼の安全と領土の確保を保証する。大坂方に参加した将兵の罪を問わないこととした 二十五日には家康は伏見城に去り、同時に大坂城の外堀を埋める作業が開始される。徳川方は二十七日に外堀を 埋め終わった後も、作業を続け結局翌千六百十五年の一月二十三日までに内堀や二の丸、三の丸の矢倉や門塀も 含めて大坂城の防御施設をほとんど破壊するのだった 元々の講和条件にあるのだから城の破壊は本当の協定違反とは言えない様だ そうでなければ、その場で戦闘になっていたろう
千六百十五年の二月末に小幡勘兵衛という人物が豊臣家から勧誘され、勘兵衛は直ちに伏見城代松平定勝に訴え出た これは徳川家と豊臣家の講和条件に反する行いで他にも豊臣家では大坂城の外堀を掘り直すなどの違反を行っていた 三月十二日に京都所司代板倉勝重からこれらの知らせを受け、三月末頃から徳川方も開戦の準備を初める 家康自身も四月四日には名古屋城での九男義直の婚姻の儀に参加するために駿府を出発 京都周辺には藤堂、井伊など徳川の先手となる部隊が続々と集結し始める 四月四日には豊臣秀頼も軍議を召集し、開戦を決意する 四月七日には大野治長が襲撃され深傷を負う 十三日に大坂城で開かれた軍議では再び、京都攻撃が提案されたが却下され、大阪城の南方で徳川勢を 迎え撃つことに決まる 大坂からの使者を歓待し、自分たちの準備が終わるまでは、大坂方の暴発を防ぐ家康。彼にとって万事が順調に 推移している
三月十八日に大坂に到着した家康は二十二日に秀忠が京都に到着するのを待って、軍議を開き豊臣方が進んで周辺に兵を 放つのを待って、二分した軍勢を一方は京都から直進し、もう一方は奈良経由で大坂に向かうことに決定する 両軍は大坂南部の道明寺に集結し、そののち大坂城に攻め込む手はずとする 二十四日には、秀頼に決起させるため、最後通牒を大坂に送る 家康からの和睦条件は秀頼の大和移封と浪人たちの召し放ちであった逆上した秀頼は 周辺の奈良、堺などを焼き討ちすることを決定 さらに後方の安全を確保するため和歌山の浅野家の攻略を命令するも失敗する この時の戦闘で堺は二度と立ち直れないほどの打撃を受けたという。その割には大坂方の戦略的成果は全くなく 戦意が低下しただけの様に感じられる
和歌山攻略を諦めた大坂方は軍議を開き、これから襲来するであろう徳川軍との決戦について議論する 徳川の大軍が大阪城の南に展開すれば万に一つも勝ち目のないと踏んだ大坂勢は、奈良盆地から家康率いる徳川勢本体が 現れると予想し彼らに集中攻撃をすることに決定する 来るべき決戦の陣容は先手が平野に陣する後藤又兵衛など約六千、本隊が天王寺に陣する真田幸村、毛利勝永など約一万二千 他に今福にいる木村重成、大坂城から長宗我部盛親など一万一千が南下して横撃をくわえる予定だった 今 福 ○ 大 坂 城 生 ○ 駒 天 王 寺 ○ 山 平 野 地 ○ ← 徳 川 本 隊 道 明 寺 金 ○ 剛 山 地
夏の陣後、家康の死の様子が語られる
359 :
乾坤の夢 :2009/12/26(土) 22:57:24 ID:ZuUjS2jE
大阪の陣まとめ 大阪の陣の時、九男義直、十男頼宣の付家老成瀬正成、安藤直次の重要な出番が 多くあった。初めはなんで直接他の大名たちを指示しないのかと思ったが 家康はすでに隠居の身であるから、それらは秀忠の権限だったのだろうと気がついた 義直、頼宣の扱いは徳川家の内部の問題だから家康の自由がきいたのだろう 家康とは何でもかんでも命令できた訳ではないのだ 夏の陣最後の合戦の時、幸村の最後の作戦が完璧に遂行されていたら 家康の首を取れていたかもしれないみたいな、話がよく他の小説で出てくるが これだけの膨大な人間の参加する中で偶発的な展開はあって当然だろう むしろ、戦国の合戦ではまともに指示が行き届いた方なのではないか
360 :
乾坤の夢 :2009/12/26(土) 23:21:19 ID:ZuUjS2jE
総評 初めの予想より遥に充実した読書になった 織田信雄など、人物評も人の受け売りではなく津本氏の独自の判断で行っていると 感じ好感が持てた ただ、読んでいて混乱は起きなかったが、それは日本史でも特に有名な合戦 人間ばかりが登場するからという側面もあり、現在日常でまったく使われていない 用語なども多様され、もしまったく歴史に興味のない人が読んだ場合、最近よく出版 されているビジュアル本などがないと、内容を把握できないのではないかと思った 前にも書いたが、尾張美濃と大坂の周辺図(当時の地名の)くらいはないと正直辛い それと、当時の体験談から取ったと思える功名譚が多いのだが、正直流れを悪くし ているだけだった。ないほうが良かったろう この小説で一番評価できるのは家康の人間的複雑さだろう。現実の人物なのだから 人間的複雑さを持つのは当然だが今までの娯楽小説の延長線上の時代小説では 単純さを重視していてあまり複雑に人間を捉えることはなかった 津本氏の実録的な作風のおかげで家康の多面的な側面を排除することなく 書き表せている
黄海海戦は比較的詳細に書かれていたが、平壌の戦いは1行、旅順要塞攻撃も 20行程度。大まかな流れは理解できるが、日露戦争ほど詳細ではない。
367 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:36:12 ID:YvUrujL/
き
368 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:38:33 ID:YvUrujL/
ょ
369 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:40:33 ID:YvUrujL/
う
370 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:41:45 ID:YvUrujL/
は
371 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:42:33 ID:YvUrujL/
し
372 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:43:59 ID:YvUrujL/
ば
373 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 10:45:29 ID:YvUrujL/
り
374 :
この名無しがすごい! :2009/12/28(月) 11:07:02 ID:YvUrujL/
読んだ
読んでる
坂の上の雲ドラマが始まったから一巻だけ読み直したら内容スカスカで ビックリした。30分で読み終わった
今週の週刊文春読んでたら半藤一利が龍馬がゆくの途中までは調べ物も テキトーだったと暴露していた
そもそも竜馬がゆくの面白ところは伊藤痴遊という講談師のパクリだと みんなが言っている
竜馬がゆくは後半の会社経営とか新婚旅行の話とか死ぬほどつまんなかった 女房のおんなもあんまり魅力がなくて途中から早く終わってくれとしか感じなかった
キャラも全然立ってなくて全く記憶に残らないヤツらばっかりだった 大体中途半端な登場が多くて無駄な顔見せばかりだった
幕末明治維新の流れをつかむことも出来ないし、長いだけゴミ 大体竜馬自体何考えてんのかサッパリわからないキャラだ。魅力なし
382 :
坂の上の雲 :2009/12/28(月) 12:42:49 ID:hIxBnqOS
そういうことで維新後二十七年もたち、維新後の国民教育のなかから育った者が、 壮丁の年齢をこえた。それらが戦場におくられている。しかも勝利をつづけている。 この国民的昂奮が、はじめて日本人に国家と国民というものがどういうものであるか を一挙に実物教育してしまった。
関ヶ原も中途半端な話だよな。有名なエピソードがダラダラ並べ立てられてるだけで 読むとだんだん白けてくる。キャラの描き方が総じてテレビドラマチックだし 司馬遼太郎のはなしがテレビドラマ化されやすい理由も分かる
坂の上の雲のドラマ死ぬほどつまんなかった 昨日はついに我慢できずに見るのをヤメてしまった
389 :
坂の上の雲 :2009/12/28(月) 13:18:08 ID:hIxBnqOS
清国のこの敗戦にいたった原因は、という。 もとより一、二の君臣の罪ではない。制度が悪いのである。その従来墨守してきた清国の 制度の幣こそこの主要原因である。その制度はすでに千年前のものであり、依然として 千年後にもそれを墨守している。
千年前だと両税法の開始の頃か、全然違うわな
粗雑な論理を大げさな物言いで誤魔化すのがいつもの司馬語法
清国は建国当初ロシアより強かったんだから、1000年も遅れてるわけないな なんかほとんど言ってることがギャグに近いような
他のスレでよく話題になってるのはニコライ2世が全く反日的ではなかったってこと 大津事件のこともまったく怒ってなかったらしいな。マカーキとか司馬のでっち上げ 結局日露戦争は英米に操られた日本政府が勝手に攻め込んだだけだな
乃木愚将説は別に最近になって新史料が発見されて、批判されるようになったんじゃなくて 昭和45年に福田恒存の書いた「乃木将軍と旅順攻略戦」とかある 親切な人が抄録をアップしているから『福田恆存「乃木将軍と旅順攻略戦」抄録』でググれば 大まかな内容は分かる これだけではなく色々な人の話を総合してだけど結局実際は、乃木に他の軍人が責任を押し付けたのを 司馬が見抜けなくて乃木批判をしているとしか思えない。司馬はあまり人を見る目がない
日本海海戦でパーフェクトゲームを達成しなければいけないというのも嘘だろ 勝つ必要はもちろんあったにしても、所詮ウラジオしか軍港がないんだから 監視しやすいし、陸軍の補給活動の妨げなんて出来ないだろ
普通戦争は、大きく負けないことが重要で完璧な結果を求めるなんていうのは かなり幼稚な考えだと思う 日本とロシアでは補給線の長さが全く違うこともあまり重要視してない 事実を元にした軍事講談と割り切った方が内容の性格を正しく表していると思う
403 :
坂の上の雲 :2009/12/28(月) 16:26:23 ID:hIxBnqOS
「なにごとも大将にならねばすまぬ男で」 と、漱石は子規の性格をそうみている。
子規や漱石関連の画像は豊富だな。けっこう細かいものまで探せば出てくる。 画像がないのは外国の軍人さんだわ。
409 :
坂の上の雲 :2009/12/29(火) 14:08:05 ID:PS4MyZrD
好古のころの日本は、いわばおもちゃのような小国で、国家の諸機関も小世帯であり、 その諸機関に属してその部分々々をうごかしている少壮の連中は、自分の一日の怠慢 が国家の進運を一日おくらせるというそういう緊張感のなかで日常業務をすすめていたし、 げんにそれらの連中個々の能力や勤怠がじかにその部分々々の運命にかかわっていた。
三国干渉の起きた年を一年勘違いしている叙述は痛いな。
このころ、ロシアを主役とする三国干渉などがあって、日本に対するロシアの圧迫が大きくなっており・・・ ↑ ここに「昨年四月の」を入れるべきだな。この段落だけみると「このころ……ロシアの圧迫が大きくなっており」 と続く。しかし、「このころ」の後に「、」があるとはいえ、その前の段落で明治29年の出来事ばかりを書いている。 文脈から「このころ、ロシアを主役とする三国干渉などがあって」までを読むと誤解を招く。
419 :
妖説太閤記 :2009/12/29(火) 23:09:56 ID:jGRRNJeP
妖説太閤記(講談社文庫) 初出 週刊大衆 昭和40年10月28日〜41年12月29日号 豊臣秀吉の生涯を彼の異常な性的嗜好に注目して描くはず ミステリ小説出身の作家らしく連載一回ごとにオチがある 一応秀吉の前半生について少し調べてみたが、あまり正確なことは不明 貧農、または足軽身分の出身という説が有名だが、証拠は無い 多分1565年に薪奉行というのに任命されたというのが公文書に始めての 登場らしい。既にその時点で木下藤吉郎秀吉と名乗っていた さすがに伝承通りの出身ではこの様な立場に着くことも無いだろうという意見も多い どちらにしろ証拠があるわけではなく、すべてが謎というのが一番正確な結論か
420 :
妖説太閤記 :2009/12/29(火) 23:55:41 ID:jGRRNJeP
曠野 23歳の秀吉の回想から始まる 生まれは尾張の国愛知郡中村、父親は不明だが、自分の母親には似ぬ貧相な 肉体からズット父親のことを軽蔑している 13歳の時義理の親父とソリが合わず行商で生計を立てる。それだけでは食えないため カッパライなどをしているうちに、蜂須賀党という乱波集団(野武士)に加わる 機転の利くのを買われ、荒事の采配までまかされるが、カッサラッた女で良いのを 頭目の小六があてがってくれず、また女たちも彼だけはどうしても相手にするのを嫌がった その後、遠江の松下嘉兵衛という人物に仕えるが短期間で出奔してしまう >顔そのものは猿というより鼠に似ているのだが、ただ眼だけが常人には見られないすばらしい >ひかりを持っていて、それが鼠よりも活発な、猿という印象を人に与えるらしい。 >体格こそ貧弱だが、とにかく敏捷で、ぬけめがなくて、はしっこくて、ずばぬけて頭が切れるのだ この時点で蜂須賀、松下両家から金を盗み、明智光秀、石川五右衛門の父親を落とし入れている
421 :
坂の上の雲 :2009/12/30(水) 14:53:09 ID:hubpOg/T
「大統領はスペイン政府に対しキューバ島より陸海兵力を撤退すべきことを要求 せよ、この要求をスペイン政府に容れしめるについて武力干渉が必要であれば、 それを発動する権能を与える」 というもので、要するになんの利害もない第三者が喧嘩を買って出たのである。 こういういわば無邪気な、しかしおよそ他人迷惑な、純情といえばもっともそれに 似ているのがアメリカ合衆国の伝統的発想法なのかもしれず、後年、満州事変 以後の日本はアメリカのこの強力な「善意」のために散々な目に遭い、ついに 対米戦争にのめりこまざるをえなかったし、さらにはそれよりも後年のベトナム問題 に対するアメリカの介入の発端も、多分にこういう世界史に類のない「善意」に もとづいている。
427 :
妖説太閤記 :2009/12/30(水) 22:57:18 ID:A/MpqVGn
童女 秀吉の回想が終わりふたたび荒野に舞台が戻る 昨晩の嵐は去り、空は蒼く染まり、周辺の侘しさを益々色濃くしている 松下家を飛び出し、流浪の身になった秀吉は枯れ野の中に、わずかな金属の閃きを見つけ 蜂須賀党の待ち伏せを知る。狙われた行列は十二、三歳の童女を護送するものであったが 秀吉は彼女が自分がズット心に抱いていた理想の女性像その物であることに 驚き、慌てて注進に及ぶ。これが縁でこの童女市姫の兄織田信長に使えることになった秀吉は 市姫の護衛をしていた前田犬千代に連れられ、足軽長屋に案内されそこで今度は10歳ほどの少女と出会う 前田犬千代(利家) 「ずいぶん気の短い、荒っぽい人だと思っていたが、事実そんな気性に相違はないが、 さわやかで親切な性質でもあるらしい」 市姫に一目惚れした秀吉は早くも、市姫の近くにいる犬千代を排除する気持ちでいる 10歳ほどの少女は後の秀吉正室寧々 「美しくはないが実に利口そうな顔をした」 他に柴田勝家も 「ひげだらけの巨漢」「巨大な頭」 実はこの時初めて秀吉は、藤吉郎と言う名前を手に入れる。それまでは猿とだけ 呼ばれている。いくらフィクションとはいえ彼には二十三歳まで名前がなかったのだ
428 :
妖説太閤記 :2009/12/30(水) 23:26:46 ID:A/MpqVGn
大障碍 1558年に織田家に仕え始めた藤吉郎は、翌年市姫の草履取りになり夢見心地の彼であったが 次の年には信長の草履取りに配置換えになる 織田信長 「スラリとして眉目秀麗なだけに、いっそう魔神的な凄みがあった」 安国寺恵瓊登場 「粗末な墨染の衣をつけ、それだけにいかにも清らかな感じのする」 藤吉郎は市姫、寧々と会ううちに、己が性癖に気づく それまで大人の女性に嘲弄され、失笑された彼は自分が少女の方を好ましく思うようになっていた
429 :
妖説太閤記 :2009/12/30(水) 23:55:17 ID:A/MpqVGn
日落ち月のぼる 桶狭間の戦い(1560)後の一年間をとらえる 今川義元を討った信長は徳川家康、浅井長政と相次いで同盟する 徳川家康 「背がひくく、小ぶとりで、ばかに頭が大きく、まったく戦国の武将らしくなかった。 いや、二十歳らしい若さも見られなかった。しかもそんな年でまたほんのさきごろまで敵であった 織田に招かれたというのに、彼は実に自若としていた」 浅井長政 「体格も堂々として雄偉で、美丈夫という言葉を地上で具現したような青年大名」 長政は同盟だけではなく市姫と婚約までする このことに悩乱した藤吉郎は市姫を奪い取るまでに出世することを決意し 手始めに才走った寧々を嫁に取り利用しようと画策する この章で山田風太郎は秀吉の最初に信頼できる史料に登場するのは「信長公記」の1668年としている
434 :
坂の上の雲 :2009/12/31(木) 14:21:40 ID:lvbVD65C
素人というのは知恵が浅いかわりに、固定概念がないから、必要で合理的だとおもうことは どしどし採用して実行する。ある意味ではスペイン海軍のほうが玄人であったが、その玄人が、 カリブ海で素人のために沈められてしまった、と真之はいう。
440 :
坂の上の雲 :2009/12/31(木) 16:28:38 ID:lvbVD65C
――シナは、すでに死んだ肉で、死肉である以上、食用にさるべきであり、それについての 後先などはない。さきにナイフを突きたてた国の勝ちである。 という気分が、どの国の政府にとってもあたらしい通念になった。 日本は、日清戦争の結果、二億両(テール)の賠償金と、領土を得た。領土は、台湾および 澎湖島、および遼東半島である。 講和条約の調印は、明治二十八年四月十七日におこなわれたが、そののち一週間もたたぬ まに、ロシアが、 「遼東半島をシナに返してやれ」 という横やりを日本に入れてきた。日本は遼東半島を還付した。 その後わずか二年のちにロシアはみずから遼東半島に軍隊を入れて奪ってしまったのみならず、 満州まで占領してしまったのである。
446 :
妖説太閤記 :2010/01/01(金) 22:46:54 ID:gf8vpOxl
十三歳の賢婦人 藤吉郎と寧々は、それぞれ26歳と13歳で結婚する 初夜のうちに寧々の方も藤吉郎の出世欲をアテにしての結婚とわかり、一瞬沸いた 寧々に対する優越感もすぐに、劣等感に変わってしまう その後藤吉郎は寧々の縁者(浅野長勝)の推挙により、台所奉行を皮切りに普請奉行にまで栄転する 急速な出世ながら愛嬌良く振る舞う藤吉郎夫妻は信長、柴田勝家、丹羽長秀などにも可愛がられる また、お市の方の浅井長政への輿入れが行われる いきなり秀吉以上の不気味さを感じさせる寧々。山田風太郎の小説は大抵女性に対する、憧憬と恐怖心と 軽蔑がごちゃ混ぜになっているが、この小説では憧憬はお市の方、恐怖心は寧々に主に向けられている 軽蔑は、その他の女性に対してである
447 :
妖説太閤記 :2010/01/01(金) 23:08:50 ID:gf8vpOxl
軍師 かつて美濃の斎藤家の拠点稲葉山城をわずか16騎で陥落させた竹中半兵衛を 藤吉郎は織田家に招き寄せようとする >若いが、しかし病身らしい。ひょろひょろと痩せていて、面長の、面長すぎるほどの顔は、 >蝋みたいに蒼白い。女性的といっていい感じで、ちらっちらっときれながの目に、皮肉なひかりが >ひらめくが、一方で泰然自若としたところもある 藤吉郎と半兵衛との出会いは、まんま三国志の三顧の礼そっくりのエピソードで、半兵衛のキャラは孔明そっくり 彼の功績は後に息子の竹中重門が豊鏡という本で創作したものがほとんどといわれている また、藤吉郎は半兵衛の元で明智光秀と出会う
448 :
妖説太閤記 :2010/01/01(金) 23:31:56 ID:gf8vpOxl
基本型 結局、半兵衛は織田家に仕官せず明智光秀を推挙しただけに終わる 驚く藤吉郎に向かって半兵衛は、むしろ藤吉郎の元で働きたいと申し出る 藤吉郎の悪をなしつつ悪と感じない性質を見抜き、彼に天下取りの野望を託そうというのだ 「基本型」とは半兵衛の考える政治手法で自分に敵意を向ける可能性のある人間に当面の 敵を与えること 藤吉郎が自力で天下取りをしようとすると、どうしても手を汚さなければならないがそういった 憎まれ役は信長にやらせてしまおうという考えている また、寧々の存在が藤吉郎の行動を制約していると感じた半兵衛は、藤吉郎の親族を呼び出し 寧々にお守りをさせることを提案する。その中にはのちの福島正則や加藤清正も含まれる
449 :
妖説太閤記 :2010/01/01(金) 23:47:53 ID:gf8vpOxl
笑いつつ 織田家での出世のために、手駒が必要な藤吉郎に半兵衛は蜂須賀小六一党を抱え込むことを進める 織田家の隆盛するにつれ逆に落ちぶれ始めた蜂須賀小六は藤吉郎についていくことに決める また、その後彼らを使っての墨俣一夜城のエピソードが起きる 半兵衛にしろ小六にしろ秀吉が最終的に信長を裏切り天下取りに乗り出すことを期待している 言ってみれば秀吉という暗黒星の周りを回る妖星群といったところか
450 :
妖説太閤記 :2010/01/02(土) 00:03:47 ID:nZi+zLT6
女問答 墨俣での成果を喜び、信長は一門を招いて藤吉郎をもてなし、秀吉という名も与える さらに足軽奉行に任命する この時、藤吉郎は信長の子供や親類にからかわれるが、明るく屈託無く振る舞う また、前田利家が使者に立って、朝倉義景の元に居る足利義秋が織田家に招かれる
451 :
妖説太閤記 :2010/01/02(土) 00:24:25 ID:nZi+zLT6
ここまでが、言ってみれば秀吉の伝承時代の話である 寧々と結婚するまで足軽だった者がわずか5年で武将身分になる 不自然な話だが山風はあえて、独自の推理力を働かせず伝承をなぞるように ストーリーを進めている 理由を私はこう考える。秀吉に自分を投影するためであろうと 秀吉が家出をした年と山風が母親と死に別れた年齢が同じである 秀吉は父親のことを知らず、山風も幼いころ父を亡くしている 肉体的にも山風はひ弱で徴兵検査で落とされる 他にも、山風が夫人と知り合ったのは夫人が13歳の時だったという この時山田青年は23歳のはず。これも秀吉とお市の方と出会いとほぼ同じである 少なくても山風が注目する情報では共通点が多い 実際秀吉の造型は単なる露悪趣味ではなく、かなり作者が自分を投影してないと 書けない領域に達している 逆に言えば余り秀吉の存在を正確に復元しているとは感じない
455 :
妖説太閤記 :2010/01/03(日) 00:17:40 ID:3px9q9LN
もう一人の大敵 1567年、信長は美濃を攻略、翌68年までに伊勢も勢力下に置き、足利義昭を伴い上洛 また、信長の命令に従わない、北陸の太守朝倉義景を討つべく自ら敵の本拠地越前まで攻め入る 秀吉も活躍するが、それよりもこの間に起きる、信長の見目麗しい娘たちの輿入れを 不気味にジッと見つめる秀吉の視線が追われる この物語では歴史的に有名な事件の背後で秀吉が暗躍するが、大体「基本型」に則った 離間策を、秀吉の手八丁口八丁と蜂須賀党の乱波術で実行する 大体同じようなやり口なので正直飽きてくる 信長を含め他の武将たちが無為無策なのも不自然 秀吉の天下取りまでは、その性情を曖昧なままにしておくか、ここぞという時に 本性を現すようにして、普段は良い側面も書いておけば単調にならないだろうし 後半の醜悪さも一層引き立つと思った
456 :
妖説太閤記 :2010/01/03(日) 00:48:14 ID:3px9q9LN
餅つく信長 朝倉領深く侵攻した信長軍だが背後の浅井長政の裏切りで袋の鼠に成りかける 京都に逃げ戻る信長軍は、殿軍を務める秀吉と徳川家康の活躍でなんとか無事に逃げ切る その後は信長は着々と近畿地方を平定し1573年にはもう少しで浅井長政の居城小谷城を 落とすところとなる この時点での竹中半兵衛や黒田如水、蜂須賀小六など軍師や裏方は有名だが 武将となると、後の賤ヶ岳七本槍までは、一体どんな人物が率いていたのか 不思議ではある。彼らは秀吉の天下統一後、どこに行ったのだろうか?
461 :
妖説太閤記 :2010/01/03(日) 22:50:57 ID:3px9q9LN
流れ星小谷城 それまでの功績が認められ秀吉は長浜等江州三郡の領主となり、親族共々かしましい 日々を送るが、彼らの世話をして苦労の耐えない上に秀吉がお市の方に心を奪われていることに 逆上した寧々は、信長に秀吉がお市の方を恋慕していることを伝える これを知った信長は小谷城からお市の方を助け出すことを秀吉に命令じる お市の方の命を救うために秀吉は単身小谷城に乗り込む お市の方救出の後、信長は秀吉に浅野長政とお市の方の息子万福丸の処刑を命じる お市の方に嫉妬するこの当時の寧々の風貌は >女盛りというのに、四十女みたいにひからびた顔をしていた。彼女は自分でもそれを承知している。 >そしてじぶんをこんなにくたびれさせたのは、このいかに教育しても頑として垢を落とそうとしない >百姓女(秀吉の家族)たちだと思う
462 :
妖説太閤記 :2010/01/03(日) 23:16:08 ID:3px9q9LN
つかない男 秀吉は浅井家の旧領の支配を任される 息子を手にかけたことでお市の方の恨みを買った秀吉は、信長と寧々に憎悪を募らせる 一方、秀吉がお市の方に恋慕していることを知った竹中半兵衛は、気を紛らわすために 秀吉に京極氏の姫君を側女にすることを進める 秀吉は京極の姫を襲うが、あと一歩のところで、武田元明という武将に姫を救出されてしまう このころ秀吉は38歳らしい。子供もいないのに、側女も置かないのは却って不自然では無いか 実際にはいたが、その後正式な側室として認められなかったか、部将のことといいこの頃までの ことは結構分かっていないことが多いと感じた 歴史上では秀吉は、信長の上洛時に京都の統治に名を上げて、次第に抜擢されたらしい 本当は秀吉は京都に足がかりがあるような、ある程度身分がある層の出身だったのではないか
463 :
妖説太閤記 :2010/01/03(日) 23:57:16 ID:3px9q9LN
第一妾 竹中半兵衛は女に嫌われる秀吉に発破を掛け、もし天下人になれば女、特に秀吉の 好む若い上臈を得放題だとそそのかし「基本型」の、同じ性質の者同士に諍いを織田家中に もたらす計画を練る また、お市の方や女に嫌悪され哀れを誘う秀吉を慰めるため側室を一人充てがうことにする 半兵衛が連れてきたのは香姫という茫とした公家の御落胤15歳であった 今回のちに重要な役割をする人物が複数登場する まず、香姫の付き添う大野道犬夫婦 >影薄くヒョロヒョロした感じ >妻の方は同じくやつれていても、それがかえって凄艶な 他に石川五右衛門 >ぞっとするほどの美貌の少年 この辺りの登場人物から描写が紋切り型になる ほかに寧々と半兵衛の対立もあるが半兵衛がもう暫くで亡くなってしまうので 表面化はしない。不必要な感じもするが「基本型」を上手く秀吉に使われて 半兵衛も寧々との対立で、秀吉に対する注意を怠ることになるというエピソードか
464 :
妖説太閤記 :2010/01/04(月) 00:54:03 ID:ED+ju8OI
剥鼠、曲事に候か 秀吉と香姫の初夜は、偶々香姫の月経にあたり、秀吉は昂奮の余り歓喜の境地に佇む 他に、大野道犬の妻が香姫に惚れていた石川五右衛門に襲われ妊娠する 「基本型」に従い秀吉が明智光秀と森菊丸(蘭丸の兄)を仲違いさせようとする 第一話で石川五右衛門の父は、秀吉に陥れられて、牢死している 森菊丸は実際には存在しないのかも。蘭丸の兄は二人いるようだが菊丸は彼らのことではない
列強の章は、アレクサンドル三世とニコライ二世のところでページを割いた後で、 アレクサンドル二世の話にさかのぼり、次に再びアレクサンドル三世の話題になった ところが要領が悪いと思った。
469 :
妖説太閤記 :2010/01/04(月) 23:30:15 ID:ED+ju8OI
ともぐいのかたち 秀吉は森兄弟と明智光秀を仲違いさせるために両者を往復するがその時に見かけた 光秀の娘お珠に目をつける この中で森菊丸は謎の死を遂げ、光秀は母を波多野秀治に人質にする また秀吉は柴田勝家が指揮する北陸戦線に参加するが、そこで勝家が前田利家を 死地に赴かせようとするのを止めようと大喧嘩を仕掛ける これが1577年のことである
470 :
妖説太閤記 :2010/01/04(月) 23:37:44 ID:ED+ju8OI
この一石 秀吉は柴田勝家と仲違いし、北陸から兵を引き上げたため信長の怒りを買い命も 危うい所となるが、松永久秀を上手く利用し、むしろ更なる昇格をする
471 :
妖説太閤記 :2010/01/04(月) 23:57:48 ID:ED+ju8OI
ここまでが、秀吉の近江編といったところ 信長の人生で最も多くの敵に囲まれた時代を扱っているがそこはサラッと流している 登場人物の多さからか一回一回の完結性は薄れて前半のクライマックスである本能寺への 伏線が描かれているが、あまりリアリティは無い 光秀を騙そうとするのだがよく考えてみれば、初回に彼をワルサをして用心されているはずだが 山風の創作部分なのだが案外その時ははっきりとプロットを考えてなかったのかも 他にも結局伏線だけに終わったと思える描写がいくつか見られる この作品での信長像だが、あまりえげつない振る舞いは描かれずどちらかというと寧々に対する 親切な手紙を紹介したり、お市の方を思いやるところを見せるなど優しい部分を強調されている 秀吉以外はみんなそうだが
472 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 00:17:13 ID:hpxC8NuA
両輪 秀吉は対毛利の総帥に任命される また、土豪の小寺官兵衛、後の黒田官兵衛を使い、兵庫、岡山南部を次々と織田家の 勢力下に置く 新たな軍師として黒田官兵衛登場 >色が黒いのでやや老けて見える。老けては見えるが、小柄なからだの筋肉は、鋼鉄みたいな >つやを持ち、さらに内側からピチピチと溢れるような才気があった 秀吉は半兵衛と官兵衛を上手く競争させながら使い分けようとするが それは秀吉がもはや半兵衛の協力なしでも、やっていけるということであった
473 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 00:33:00 ID:hpxC8NuA
虚々実々 信長に摂津地方を任されていた荒木村重が反乱を起こす これを巡って秀吉と半兵衛の対立が表面化する 底のけの粗雑さと精密さの入り混じった山風らしさの出た話
474 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 00:42:12 ID:hpxC8NuA
本朝五丈原 竹中半兵衛死す 半兵衛は遺言に、明智光秀を利用しての信長暗殺の手立てを秀吉に伝えるが 元々が半兵衛は信長を日本統一後、東アジアに攻め入った後に謀殺するつもりでいたはず 波多野秀治を使うのならここ数年内に実行するしかないはず。結構いいかげんな展開だ 他に石田三成、小西行長が登場するがあまり個性が無い
475 :
閑話休題 :2010/01/05(火) 13:45:20 ID:3poQnG2Q
年賀状を書きます。本日は閉店。
476 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 22:21:10 ID:hpxC8NuA
謀略のはじまり 播磨地方の平定が終わり、秀吉は拠点を姫路城に移す 鳥取城なども攻略し、膨大な利益を得た秀吉は安土城の信長に想像を絶するほどの 進物を捧げる。これに驚いた信長は秀吉に大層な感謝を表し、かつて秀吉にお市の方の 子を処刑させたことを謝すが、秀吉はさらに信長の第四子お次丸のちの秀勝を養子にと願い出る 一方でお市の方と柴田勝家の婚礼の話が進みそれを阻止するために、秀吉は信長暗殺を計画する 本能寺の変の黒幕が秀吉というのはこの小説の前半の山であろうが、初期段階から作者も小出しに 情報を出しているので、あえて隠さないで話を進める 信長と相対するときの満面の笑みとその後の >くびすじまで、鳥肌立っていた。歯がカチカチと鳴っていた。 という描写のギャップで秀吉の狂気の深さが表現されている
477 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 22:37:47 ID:hpxC8NuA
謀略の進行 波多野氏の処置を巡って、明智光秀は森蘭丸らの所為で母親を失ってしまう 前回は歴史の年表では1581年にあった出来事のはずだが、翌年のことと明記された 今回のエピソードは1579年にあった事件である この様な歴史改変を行ったのは筆者が実際には本能寺の変の黒幕を秀吉と思ってはいない というメッセージか?それともタダの勘違いか
478 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 22:52:14 ID:hpxC8NuA
未来の魔星たち 1582年、本能寺の変のあった年 光秀は武田勝頼を滅ぼすため甲斐へ赴くが、そこで徳川家康から光秀と甲斐の 名僧快川和尚との関係を示す証拠を突きつけられる 内心の見えない家康の描写もあり、後半の秀吉の配下の動きなど次第に文章に 緊張が増してきている
479 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 23:02:55 ID:hpxC8NuA
謀略の完成 前回から信長など人の往来が事細かく書き込むことで緊迫感を表している 前半の山場なので内容は説明は省く
480 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 23:16:36 ID:hpxC8NuA
敵は本能寺 今回は光秀の執拗な内面描写と、ドキュメンタリータッチの軍の行動説明 それに見てきたような息遣いの光秀重臣たちの、怯えから覚悟への転心 さらには本能寺へ向かう兵たちの不気味さと、畳み掛けるような名場面の連続と言えよう
481 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 23:25:46 ID:hpxC8NuA
偶然ではない 今回はいわゆる「中国大返し」の裏側を作者流に推理するNHKの歴史番組のような形式 裏芸だけでない秀吉の頭の切れも描かれており作品の厚みを増している
482 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 23:33:05 ID:hpxC8NuA
快速 前回と褒めるところは同じ 今回の方が史実に則った部分が多いが、やはり快調な描写
483 :
妖説太閤記 :2010/01/05(火) 23:40:31 ID:hpxC8NuA
小栗栖の幻想 光秀は秀吉への対処を怠り、むしろ家康など東国へ対処のために兵を分散させてしまう 突然の秀吉の帰還に驚くが時既に遅しで、山崎の合戦後あえない最後を遂げる この作家らしく、合戦は完全に省略されているが、それでも圧倒される筆力が山田風太郎にはある
484 :
妖説太閤記 :2010/01/06(水) 00:05:15 ID:dlPqVrc5
以上が仮に本能寺編とでも言うべきところ 今回は前半の竹中半兵衛の生存中と死後、更には本能寺決行前くらいのところで かなり雰囲気が変わっている 半兵衛のいたころは、普通薄汚い行動と受け止められそうなこともユーモアを含んで 書いてあったが、参謀役が黒田官兵衛に変わると、途端にイラヤシさに口が曲がりそうになった 別段官兵衛が半兵衛より悪辣だという訳ではなく、史実が不明瞭で講談調に語られた半兵衛と 歴史に縛られて書かなければならない官兵衛との違いだろうか 半兵衛の死後から本能寺の前あたりまでがこの小説で一番、弱い部分と感じた 秀吉が光秀を陥れるにしては、むりやりな展開が多く、最初は手抜きかと思ったが 秀吉黒幕説はフィクションだと示したかったのかも知れない。面白い部分ではない その後は、前に書いた通り
485 :
坂の上の雲 :2010/01/06(水) 13:14:13 ID:c3VCEPdT
「そうかもしれませんな。年をとるということは、葬儀の指示ができるということかも しれませんな」 四十代の羯南はいった。
489 :
坂の上の雲 :2010/01/06(水) 17:15:42 ID:c3VCEPdT
一つの時代が過ぎ去るというのは、その時代を構築していた諸条件が消えるということで あろう。消えてしまえば、過ぎ去った時代への理解というのは、のちの世の者にとっては 同時代の外国に対する理解よりもむずかしい。 この当時の日本人が、どれほどロシア帝国を憎んだかは、この当時にもどって生きねば わからないところがある。臥薪嘗胆は流行語ではなく、すでに時代のエネルギーにまで なっていた。
494 :
妖説太閤記 :2010/01/06(水) 22:50:10 ID:aiTpWjr5
まず鳥一羽、それから 明智勢を掃討する秀吉。光秀側に付いた武田元明を処刑し、妻の京極氏を側室にする またいわゆる「清須会議」が開始される 最初に信長が死ななかった時のことを仮定している 要約すると、秀吉が失敗した大陸侵攻をある程度は、成功に導いたかもしれず それによって収奪した富でヨーロッパ諸国の様に、日本が近代化を果たすことが出来たかもしれないと 惜しんでいる 山田は決して絶対平和主義者ではない
495 :
妖説太閤記 :2010/01/06(水) 23:01:00 ID:aiTpWjr5
女か天下か 秀吉はお市の方に言い寄るが手酷く断られる 秀吉は号泣するが、その時寧々の嘲笑う幻聴が聞こえる この時寧々は遥か彼方にいる。なぜ、秀吉に寧々の声が聞こえたのか 初期のころを別にして秀吉はかなり寧々の存在を気にしていなかった
496 :
妖説太閤記 :2010/01/07(木) 00:06:33 ID:G4JJpj6O
殴られる秀吉 清須会議の結果、織田家の後継者は本能寺の変で死んだ信長の嫡子信忠の子 三法師に決まる 自らの勢力拡大を目指す、秀吉、勝家はそれぞれが丹波、北近江を手に入れる この時、信長の次男信雄は、尾張を、三男信孝は美濃を領地とすることになる
497 :
妖説太閤記 :2010/01/07(木) 00:26:41 ID:G4JJpj6O
柳ヶ瀬のどじょう お市の方は秀吉に言い寄られたことの不快さもあり、勝家に嫁ぐ 1582年の秋に勝家と秀吉は別々に信長の葬儀を行うが秀吉の方が豪華さにおいて圧倒する その後、冬になり勝家が本拠地の越前に雪で閉じ込められるのを待って、秀吉は美濃にいる 勝家の協力者信孝を攻め、降伏させる 本能寺の変のエピソードを小さくして繰り返したような展開で、多少退屈 正直サクッと語ってほしい話だが、お市の方が関係しているために簡単に流すことも出来ないのだろう
498 :
妖説太閤記 :2010/01/07(木) 00:46:26 ID:G4JJpj6O
危険牌 冬が終わり勝家は越前から近江の長浜平野に進出しようとするが、前面を秀吉の大軍に 阻まれて身動きが出来ない。一旦秀吉が兵の大半を美濃で再度反乱を起こした信孝に送る 振りをし、勝家配下の佐久間盛政の部隊をおびき寄せ、壊滅させる それにより勝家の本隊も撹乱し、崩壊してしまう 賤ヶ岳の戦いの話だが七本槍の話などは一切ない また、秀吉が信孝を暴発させるために母親を殺害したのは本当の様だ それどころか、妻や子供も殺しているらしい これでは、大阪の陣の家康を避難できない
499 :
妖説太閤記 :2010/01/07(木) 01:03:43 ID:G4JJpj6O
不死鳥 秀吉は勝家に協力していた、前田利家を許し、それどころか以後、片腕として協力させることにする 手始めに利家にお市の方を勝家の元から救い出すことを命じるが、お市の方がこれを拒否し、三人の 娘たちだけを落ちのびさせる
明治25年8月 - 明治29年8月 第二次伊藤博文内閣 明治29年9月 - 明治31年1月 第二次松方正義内閣 明治31年1月 - 明治31年6月 第三次伊藤博文内閣 明治31年6月 - 明治31年11月 第一次大隈重信内閣 明治31年11月 - 明治33年10月 第二次山県有朋内閣 明治33年10月 - 明治34年5月 第四次伊藤博文内閣 明治34年6月 - 明治39年1月 第一次桂太郎内閣
501 :
坂の上の雲 :2010/01/07(木) 14:24:00 ID:7EHs+Vif
かれは下僚に命じ、ロシアおよび英国がそれぞれ他国とむすんだ外交史を調べさせたところ、 驚くべきことにロシアは他国との同盟をしばしば一方的に破棄したという点で、ほとんど常習で あった。しかし英国には一度もそういう例がなく、つねに同盟を誠実に履行してきている。 さらに、 「ロシア国家の本能は、掠奪である」 と、ヨーロッパでいわれていたように、その掠奪本能を、武力の弱い日本が、外交のテーブル の上で懇願してかれ自身の自制心によって抑制してもらうというのは、不可能であった。
このあたりから秋山兄弟が申し訳ていどにしか登場しなくなる章がしばらく続く。 「外交」の章では、真之が駐英公使館付武官の時代に公使林董と接点があった という無理やりな話だけだった。
英国の外務大臣ランズダウンと、ロシアの外務大臣ラムスドルフは、紛らわしいので 試験に出やすいところだ。注意な。
林董は、俺の脳内イメージとは、かけはなれた顔だった。
511 :
坂の上の雲 :2010/01/07(木) 17:59:04 ID:7EHs+Vif
この日、好古は、 「旅順へ行きたい」 と言いだして、ロシア側をおどろかせた。冗談ではなかった。旅順といえば大要塞を築城中で、 極東におけるロシアの機密地帯のうち、もっとも重要な場所であった。
514 :
妖説太閤記 :2010/01/07(木) 22:17:10 ID:G4JJpj6O
箒 秀吉はお市の方の死を知り、一旦は腑抜けと化すが、生き残ったお市の方の三人の 娘の長女茶々が、若き日のお市の方にソックリなのを見て、生気を取り戻す 娘たちのことをお市の方から託された前田利家は、秀吉が茶々を狙っているのに気づき 娘まあを身代わりになればと秀吉に差し出す 他に勝家陣営の織田信孝、佐久間盛政の処刑がなされる 最初の秀吉の虚脱を見て黒田官兵衛が、秀吉の性の業の深さに自然に泣き笑いが出るのだが こういった名場面にもかかわらず官兵衛の印象は薄い。仕事の中身が半兵衛とほとんど同じで 特徴がないのが原因か 佐久間盛政は、この小説ではかなり秀吉のアシストというか、勝家の邪魔をしているが これまでと違って、影で秀吉の手が働いていたということもない
秋山真之が、東郷平八郎という人物とたがいに一対一で顔をあわせたのは、 このときがはじめてである。
520 :
坂の上の雲 :2010/01/08(金) 13:15:15 ID:l5STE0qK
渋沢も、泣きだした。 「児玉さん、私も一兵卒として働きます」 と言い、戦費調達にはどんな無理でもやりましょう、と言った。 「二百三高地」の児玉と伊藤の場面が、筆者の脳裏をよぎった。
駐露公使栗野慎一郎で思い出したのだが、栗本慎一郎って見なくなったね。死んだの?
秋山兄弟の実家のあった松山・中歩行町は、「なかかちまち」と読むらしい。 「かち」は「徒士」と表記することが多いが、「歩行」と表記しても意味は同じ。 なお「歩行」には「徒歩」の意味もあり、この場合も、「かち」と読む。
桜井忠温も水野広徳も、旧松山藩士の子な。 桜井忠温は、松山中学出身なんで、夏目漱石がいたころの生徒だ。 水野広徳は、江田島から帰省した真之を見て憧れ、陸軍志望から海軍志望に変えたらしい。
533 :
妖説太閤記 :2010/01/08(金) 23:40:26 ID:J77FsXiO
大きな根ッかぶ 勝家との争いの残務処理や久々の大野道犬夫婦の登場など小休止
534 :
妖説太閤記 :2010/01/08(金) 23:50:51 ID:J77FsXiO
風花 秀吉は茶々を己が物とするために、利家の娘まあを利用したある手段(エロい)を使う これに成功して、秀吉は茶々、まあの二人の愛妾を同時に得る ところでここしばらく、有名な前田慶次朗が登場していた。このあたり、「花の慶次」の 一話あたりまでの登場だった 少し単調なストーリーを彩るアクセントと言った感じである
535 :
妖説太閤記 :2010/01/08(金) 23:55:11 ID:J77FsXiO
賤ヶ岳編まとめ 実はあまり書くことが思いつかない この辺から史料の信頼性が上がるためか、余り作らなくなっている
536 :
坂の上の雲 :2010/01/09(土) 15:48:50 ID:FUlDib4A
森山の述懐では、このとき脳裏を去来したのは、ロシアに敗けるかもしれぬということであった。 かれは二年前に公用で渡欧し、そのときポーランドを過ぎてその亡国の状を見た。戦勝者のロシア 人が、どの町でもその町の主人のような態度でポーランド人を追いつかっているのをみたが、 その光景が思いだされてならず、日本もあのようになるのではないかと思うと、感情の整理がつか なくなり、涙がとめどもなくなった。
ワリャーグは、1530発の砲弾を発射して、そのうち命中弾がゼロなんだが、 これだけたくさん撃つと、はずすほうが難しくないか? パチンコだって1530発も打てば、一回ぐらいは当たり穴に入るだろうww
いろんな史料を参照しているせいかもしれないが、いまのところクロパトキンが名将 なのか愚将なのか、さっぱりわからない。人格が一定していないような気がする。
歴史上の人物は調べれば調べるほど普通の人間に近づいていくからな。 のちに出てくるが、陸軍の参謀どうしの罵りあい、足の引っ張り合いなども、読んでいて うんざりしてくる。
古代の人物は史料が少ないだけに神にもなりうるが、時代が新しくなるにつれ、 嘘で塗りかためない限り、神にも英雄にもなれない。
昭和の軍人と明治の軍人を比較して、明治の軍人が合理的な考え方ができた根拠に 朱子学があると言っている。ここはいつもの司馬と調子が違うな。 この作品よりも後は、江戸時代後半は商品経済が勃興して、そのせいで合理的な考え方が できるようになったということが多くなる。むしろ朱子学はけなしていたはずだ。昭和44年の 作品なんで、まだ江戸期称賛の根拠が違うのだろうか。
549 :
妖説太閤記 :2010/01/09(土) 22:56:56 ID:s6g0fwis
大狐と大狸 柴田勝家との戦いで秀吉に協力した信長の次男織田信雄は戦後の恩賞の僅かなこともあって 秀吉との隔意が起き、次第に徳川家康との親密になっていく 一方家康は、既に圧倒的な戦力差のあることを認識し、ある程度秀吉に自分の力量を見せつけた その後に秀吉に従うことにする また、この時点で家康の側近の一人石川数正を、二重スパイとして秀吉の元に送る込むことも計画している 途中太平洋戦争の総括があり、日本軍の破れかぶれの開戦とその後の推移であったが それによって発生した大量の犠牲によって、日本人の死を恐れない態度が 外国から恐れられ、戦後もある程度の敬意を得ることが出来たと言っている こうやってちゃんと読んでみると、今マスコミで扱われているような左翼に 都合の良い作家ではないことが判る
550 :
妖説太閤記 :2010/01/09(土) 23:17:01 ID:s6g0fwis
空間と時間のたたかい 信雄は自分の三人の重臣が秀吉に寝返ったと思い謀殺してしまう その後秀吉が信雄追討のために軍を発し、信雄も同盟者家康に出馬を要請する 美濃と尾張で両軍が向かい合う中で、秀吉側の池田勝入斎らが2万もの大軍で 三河方面に進出を図るが、是を察知した家康軍の主力が強襲し池田ら多くの将官が死亡する 戦場でのかなり細かい経緯が書き込まれている初めての回、こうやって見てみると合戦は 毎回何かしら違って見えるように趣向を凝らしている。津本陽とはエライ違いだ
551 :
妖説太閤記 :2010/01/09(土) 23:42:03 ID:s6g0fwis
最後に笑うもの 信雄は秀吉の甘言に乗せられ単独で講話してしまう 家康も結局は秀吉と講和するが、ほとんど没交渉の状態が続く 秀吉に騙される信雄に同情的な筆遣いである。今までも、どの登場人物も秀吉の 犠牲になるときは急に立派な人間として描かれていたが、信雄の場合もタダの ルーティーンでそうしたのか、それとも本気で同情したのか どちらにせよ、後に秀吉にほとんどの所領を奪われた彼を、大坂の陣では淀殿は大将に 据えようとしたとの伝承もあるが、とてもそんな気分にはなれないだろう
552 :
妖説太閤記 :2010/01/09(土) 23:56:20 ID:s6g0fwis
大覇王 ルイス・フロイスに拠れば、6万人を動員し、日夜兼行で3年間以上の歳月を掛け 完成した大坂城の様子が説明される また、信長の五女霜姫と信長の弟信包の娘栗姫を側室にする また、丹羽長秀も秀吉を憎んで死んでいく かつて秀吉を猿扱いした信長の肉親を破滅させていく秀吉を書いているが 実際には織田信雄の家系は5万石の大名で徳川時代も残ったはず 他にも、旗本の続いた家も多い
553 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 00:19:36 ID:nQZa5jLd
女と賽の目 1585年の関白就任など 秀吉は、かつての主家の人々や同輩を次々に粛正していく 信長の四男で秀吉がかつて養子にした秀勝も、この頃亡くなっている 確かに秀吉には都合の良さそうな死ではある ところで秀吉の戦歴を見てみると実際には、山崎の合戦前にはほとんど、合戦らしい 合戦で活躍した証拠がない(鐘ヶ崎の撤退も実際には秀吉以外にも多くの武将が参加) 不自然といわれることが多い、本能寺の変の前の秀吉からの信長に対する中国方面への 出馬要請も、秀吉に自分の戦闘指揮力に不安があったからという可能性がある 他に茶々の妹のたつの夫になる佐治予九郎というのは、知多半島あたりの豪族らしい 水軍を率いて伊勢湾一帯に勢力を誇っていたという。旭姫の夫とは関係がない
554 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 00:31:30 ID:nQZa5jLd
彼の悪いユーモア 北政所と言われるようになった寧々の得体の知れない様子と彼女が福島正則や加藤清正、加藤嘉明 などを味方にしていることが語られる また、家康が精力絶倫ぶりを知り、秀吉にそっくりな上に、既に44歳になり夫もいる妹旭姫を 家康に嫁として与えようとする
555 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 00:58:51 ID:nQZa5jLd
風姿花伝 秀吉に従うため、大坂を訪れた家康は正客を家康とし相伴を秀吉の弟の秀長 千利休がもてなす茶の席に案内される そこで家康は突然の秀吉の訪問を受ける >彼はもう六十半ばであろう、しかし、決して老人には見えない。あぶらぎっているというのではなく >背は高い方だが、さして肥満はしておらず、筋肉はしまって、実にいい血色をしている。肥ってはいないのに >骨ぶとで、肩から腰にかけてどっしりとした重みがあった。坊主頭の容貌はひきしまって、唇からあごにかけての線は >強烈な意志をあらわしているのに、眼は、深い、しずかな湖のような色をたたえていた。 利休の立ち振る舞いの美しさを語るなど、意外な側面を見せる山風節 自分は彼の有名作品を読んだだけだが、そういったものの中では書かなかった様な 内容がこの作品では多い それにしても、この利休の初登場の描写は今までの人物描写で一番長い のちに半ば頽れて腐ったように死んでいく秀吉との対比のためか? 最近の作品では頻繁に登場する秀長もこの作品では影が薄い 堺屋太一の様な実務経験者でないと、扱うのが難しいキャラか?
556 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 01:21:47 ID:nQZa5jLd
以上が家康屈服篇 秀吉の死後、天下を奪る家康の思惑を描く 表面上は屈服しつつ、実はうまく秀吉の思惑を切り抜けるなど、腹芸の深いところを 見せつける家康だが、かといってひどくずる賢く書かれているわけでもない どちらかというと、ぼんやりとした一向に像が浮かばないような 曖昧な印象を受ける。少し持て余し気味とも言える 既に無力となった、かつての目上の者などは破滅させたのに 最大の敵である家康を見逃すなど、少しづつだが秀吉の頭脳に綻びが出はじめてる また島津攻めは、わずかな説明で終わる。このあたり無駄な繰り返しを避けている
557 :
坂の上の雲 :2010/01/10(日) 16:14:48 ID:0z406PFc
そのとき、広瀬が消えた。巨砲の砲弾が飛びぬけたとき、広瀬ごともって 行ってしまったらしい。
【旅順口】 〔水雷奇襲作戦〕 〔旅順口外の海戦〕 〔港口閉塞作戦〕
広瀬武夫がボリスを背負い投げするシーンは嘘。二人は仲良し。恋敵ではない。
567 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 23:19:43 ID:nQZa5jLd
聚楽第 最初に聚楽第の様子がフロイスの「日本史」を引用して紹介されている 聚楽第は京都に於ける秀吉の政庁兼邸宅で、ほぼ現在の京都御所と同じだけの規模と推定されている 瓦には金箔が貼られるなど至る所に金が使われ、また当時のヨーロッパにもない清潔さだったという しかし、別に宣教師オルガンチーノの証言も取り上げられ、労役や費用供出などで人々に塗炭の苦しみを あじあわせたと記す 家康は、秀吉の老衰を早めるため、秀吉の側室香の方(以前の香姫)を淫乱にし、秀吉に迫らせようとする このため、性感マッサージを特技とする忍者石川五右衛門が、昔のツテである大野道犬夫妻を使って秀吉の 後宮に侵入することになる ちなみに大野道犬の妻の大蔵局は、石川五右衛門の子を生んでいる
568 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 23:32:03 ID:nQZa5jLd
冷たい戦争 香の方の籠絡に成功し、秀吉は次第に腎虚の様子を見せ始める 石川五右衛門は更なる成果を求めて今度は淀殿を狙うがそれを蜂須賀小六に察知されてしまう 乱波の頭領だからか容貌の説明がないなど、あまり印象に残らない蜂須賀であったが、最後になって 格好良く登場。他に黒田官兵衛が秀吉の無茶ぶりをたしなめようとする
569 :
妖説太閤記 :2010/01/10(日) 23:46:40 ID:nQZa5jLd
消えゆく老兵 五右衛門を捕らえた小六は、そのまま彼を秀吉の元へ連れていき事情を説明 さらに秀吉の最近の女道楽を諫言するが、これは秀吉の逆鱗に触れることであった 結局、五右衛門は家康との関係を漏らさず、五右衛門の性感マッサージの威力だけを知った 秀吉に淀殿にもそれを施せと命令される この後、黒田官兵衛と蜂須賀小六は政府の中枢から外される 官兵衛がその才覚を疑われて、遠く九州に封土を与えられたというのは有名な話だが 小六は大坂のすぐそばの、阿波を所領に与えられたのだから、絶対的信頼を勝ち得ていたのだろう 小六は1586年に死去している
570 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 00:00:26 ID:p4U/DsOU
淀どの開眼 秀吉の命令で淀殿に性感マッサージを施す、五右衛門だが、あまりの効果に 淀殿は感極まって、五右衛門に自分を連れて一緒に外に出ようと誘われる これを見ていた秀吉が激怒し五右衛門を殺そうとするが淀殿に助命を哀願される、一緒にいた石田三成がとっさの 機転で五右衛門の性器を切断し、開放させることで決着させる この成果か淀殿は、懐妊する(多分本当に秀吉の子)。正室の寧々は気も狂わんばかりに嫉妬するが表面的には 静かなままである。また、北条攻めが発動される
571 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 00:13:47 ID:p4U/DsOU
消えゆく老兵 補足 小六の死は1586年なら1587年終了の島津攻めより前になる また官兵衛も九州攻めの時、そのまま当地の管理のようなことし続けていたので この時期ズット大坂にはいなかったはず、九州が安定した後、家督を息子の長政に 譲って今度は側近として、秀吉の元で再び北条攻めなどで活躍した模様である
572 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 00:31:16 ID:p4U/DsOU
呪歌 1590年の小田原の陣の様子を描く。北条市の本拠小田原を包囲している間に 秀吉は淀殿と香の方を大坂から呼び寄せる 淀殿が香の方に嫉妬しているのを知り、秀吉は香の方を伊達政宗に下げ渡してしまう この前年に生まれた子鶴松のことを思い、自分の行った苛烈な搾取による民衆の恨みと 譜代ではない家臣たちが信頼出来ないことから、自分の死後の事を恐れ始める 自分に向けられるであろう悪意から目を逸らすために、秀吉は明国攻略を思い立つ ところで、この時期、かつて竹中半兵衛、黒田官兵衛が占めていた座を石田三成が代わりを 務めているが、後の人物になるにしたがって段々影が薄くなる
573 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 00:41:54 ID:p4U/DsOU
地鳴り 最初に唐入りを夢想する秀吉を批判する 次に、太閤検地で税収が1.5倍に跳ね上がったこととを紹介する また、鶴松に害をなす可能性のある家康などを遠方に国替えさせる 太閤検地で税率は7割になったという。これが本当なら関ヶ原の戦いで 家康が自分の戦っている相手が五奉行と強調したのは、彼らが太閤検地で 主に働き、世間からも特に憎まれていたからかもしれない
574 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 00:47:34 ID:p4U/DsOU
以上が日本統一編 秀吉の次第に人間の壊れていく様子が書かれているが、どこまで信用してよいのか判らないので コメントしようがない。引用も多いが、例えば外国人宣教師の言葉をどこまで信用出来るのか ということもあり、正直私には語る能力がありません
575 :
坂の上の雲 :2010/01/11(月) 12:51:50 ID:u4uQFz3H
好古の原文でいうと、 「一家一族、邦家の実利を挙げ、名利は放棄して速かに閑するを要す」 となる。一族をあげて国家に実利をあたえ、その功績による名誉と利益を受けない、 という意味である。国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉であった時代の もっともロマンティックな思想であろう。
【陸 軍】 〔鴨緑江渡河作戦〕 〔金州・南山の戦い〕 〔曲家店の戦い〕
騎馬隊なんぞは役に立たん。やはり大砲だな。
・・・南山の戦い 補遺・・・ <日本軍の損害> 第四師団 戦死者 299名 負傷者 1273名 第一師団 戦死者 222名 負傷者 1064名 第三師団 戦死者 150名 負傷者 1209名 <金州 南山戦 使用弾約数> 小銃 220万3106発 野山砲 34019発 <日清戦争 全体を通しての使用弾薬数> 弾約数 134万2100発 野山砲 34050発
>>578 日清戦争の鴨緑江渡河作戦の画像が二枚ばかり混入してしまった。すまん。
590 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 21:45:56 ID:p4U/DsOU
三重殺 秀吉の明国侵攻を反対した名門出身の貴公子蒲生氏郷は伊達政宗の居る仙台と 徳川家康の居る江戸の間の、会津に国替えになる また、老いて性欲が衰えて益々激しくなる、秀吉の漁色振りを伝える これまで全く登場してなかった訳ではないが、かなり唐突な蒲生氏郷の諫言である 秀吉の醜悪さを際立たせるため、これまでも様々な人間に突然立派な言動を取らせていた この作品も、この辺りになると、秀吉に文句をいう人間が居なくなるので、無理やりワキを 務めさせたという気がする 淀殿など主要人物を含めて、作品の後半になって登場する人物は、妙に皆、影が薄い 作品自体、秀吉が行った悪行を告発する史料こそが中心、といった内容に変わってきている
591 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 22:00:27 ID:p4U/DsOU
異次元の敵 利休が秀吉によって自害させられる また、弟の豊臣秀長も死し、秀吉に逆らえる者がいなくなる 利休を死に追いやる前に、秀吉が利休の底を知ってしまうというのが 他の作品と違うところか あまり良く分からないが作者がこの人物だけは、最後だけ突然立派に描かくという いつものパターンに逆らっている。何を感じての事だろうか
592 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 23:14:53 ID:p4U/DsOU
黒百合抄 石川五右衛門は淀殿を独占する秀吉に嫉妬し彼の子の鶴松を亡き者にしようと暗躍するが、 なぜか、大野道犬がこれに協力し、北政所に彼を紹介する 鶴松の父親は作者は秀吉だったとしている この作品では理想の女性としてのお市の方、現実に存在する女性として寧々を対比させているが、 正直、寧々の存在感は薄い。これは最初に寧々を利口に書きすぎて、秀吉がうまく籠絡できず 精々、寧々の動きを封じるくらいのことしか出来なかったので、あまり秀吉に裏切られたという印象もなく 寧々が秀吉に憎悪を募らせるといった描写を描き辛かったからではないだろうか 夫のことより、実家の方を大事にしたり現実にいる女性らしい、描写自体はされている
593 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 23:24:51 ID:p4U/DsOU
虚無の壮観 鶴松の死により、秀吉はさらに唐入りにのめり込み、手始めに朝鮮半島に20万の大軍を送り込む 最初は快進撃を続ける日本軍だが李舜臣の活躍などから、補給線に大打撃を受けてしまう
594 :
妖説太閤記 :2010/01/11(月) 23:40:58 ID:p4U/DsOU
この後まだ六回分ほど残っているが、ネタばれになるので紹介を終える 作品の感想 人によっては天才と呼ぶ作家の作品だけあって、他の作家の作品ではほどんど見かけない程の 幅、量の表現テクニックが使われている しかし、一方で基本的なベースの物語は昔ながらの講談調でこの辺のアンバランスさは、昭和40年頃の 大衆小説で可能であった表現の範囲が限られていたせいだと思う 案外、山田の日本人批判は、自分が書きたい本格的な小説を書かせてくれない 出版界や読者への苛立ちが理由かもしれない
595 :
坂の上の雲 :2010/01/12(火) 12:31:04 ID:i9nnVUU4
そのとき天地が裂けたかとおもわれるほどの轟音がおこり、艦底が持ちあがり、 甲板が大きくかしぎ、大火柱があがった。すべてが同時だった。マカロフは爆風 のために飛ばされ、甲板にたたきつけられた。
第三回目の閉塞作戦は5月3日未明に行われた。作品では詳細が述べられていないので、 画像も割愛する。
607 :
坂の上の雲 :2010/01/12(火) 16:52:37 ID:i9nnVUU4
補給は、兵站のしごとである。食糧が大連湾に陸揚げされても、それを前線へはこぶ方法が あらかじめ研究されていなかった。 鉄道はあっても、機関車がなかった。ただロシア軍が遺棄した貨車が三百輌ばかりあったため、 これに物資を積み、兵隊が貨車の前後左右をかためて人力で押した。
>>206 第二軍から東郷艦隊に対して協力を求めたということではなかろうな。
第三軍の場合、伊地知の無能ぶりを強調するために、伊地知が海軍の申し出
を断ったように書かれている。しかし、その経緯は、伊地知がまだ東京にいるときの
話であって、現地では海軍重砲隊を指揮下に置いている。「しぶしぶ」そうしたと
書かれているが、砲弾が足りなかったのは南山攻撃の経験から第三軍参謀も
知っていたはずで、「しぶしぶ」海軍の協力の申し出を受諾するだろうか?そこまでの
阿呆はあまりいないし、かりに伊地知がそうだとすると、海軍に対してそこまで
意地を張る理由が理解できない。一旦は協力の申し出をやんわりと断わるのは、
外交辞令のような気もするがな。
しかし、明治34年から3年間の休職というのは、マイナス評価になるだろうな。 使い道があったら使っていたわけで、古くて使い物にならんというのが正直なところだろう。 星野が北京で勝てなかったのと同じだ。
>>610 の「海軍重砲貸与の申し出(山下源太郎海軍大佐)を断る(松川敏胤大佐も同席同意見)」
あたりは根拠なしのフィクションなのかね?山下源太郎も松川敏胤も直近に登場したから、
ついでにまた登場させた、とか。
司馬が想定している伊地知像は、後先を考えずに見栄を張る阿呆だな。 そういう人物は実在するし、それが第三軍の参謀長として紛れ込むという ことも、ありうる事態だとは思う。しかし、選んだのは誰なんだ? 旅順戦が始まった後で更迭論も出てきたようだが、実際に戦争をさせてみる までわからなかったのだろうか?謎だな。
616 :
十三妹 :2010/01/12(火) 23:40:32 ID:sNitX6+s
十三妹(シイサンメイ) 武田泰淳 中公文庫 武田泰淳は評論の「司馬遷」や創作では「ひかりごけ」で有名な文学者 この作品は、昭和40年か41年に朝日新聞に連載されていたらしい 昭和41年の5月に朝日新聞社から出版とある 朝刊か夕刊かも不明、実際には小説は作家一人の思惑で書かれる訳でもなく、 出版社の考えも明らかに影響を与えるものなので、解説ではキチンと書くべきだろう この辺、最近は粗雑になっている また、この文庫版には、鶴田謙二と言う人の美麗なイラストが付いている 十三妹とは中国の清代に書かれた白話小説「児女英雄伝」の登場人物で、本名は何玉鳳と言う 両親の仇討ちのために功夫を学んだ、戦闘の達人らしいが何故か、 元の「児女英雄伝」の前半で書かれたその辺りのエピソードはカットされて、 安家という所の若旦那に嫁いで2週間経った頃から、この物語は始まる
>>561 の三笠大檣被弾画像は黄海海戦の画像でした。申し訳ありません。
午後6時37分;『運命の一弾』…旗艦ツェザレウィッチ(1万2912d)
ウィトゲフト司令官死亡
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c6/Wilgelm_Vitgeft.jpg 艦長イワノフ大佐死亡
操舵員死亡→旗艦ツェザレウィッチの回転運動
2番艦 レトウィザン(1万2902d)…艦長シチェンスノーウィッチ大佐
ツェザレウィッチが戦術的方向変回をしていると誤解
3番艦 ポベーダ(1万2674d)…ザツァリョンヌイ艦長
同上
4番艦 ペレスウェート(1万2674d)…艦長ホイスマン大佐
ツェザレウィッチとあわや衝突
旗艦ツェザレウィッチ;カミガン大尉→「提督ウィトゲフトは、指揮権を他に譲れり」信号
↓
ペレスウェート座乗のウフトムスキー少将→「旅順港に引き返す」
↓
ペレスウェートの信号旗マストが破損 →ペレスウェート西行 →混乱
5番艦 セヴァストーポリ(1万960d) ウフトムスキー少将の指示に従い、4番艦ペレスウェートに続く 6番艦 ポルターワ(1万960d)…艦長ウスペンスキー大佐 旗艦ツェザレウィッチの落伍を認識/ウフトムスキー少将の指示は認識できず
同一作品の中で同一人物を、グランマッチコフ大佐と言ったり、グラムマチコフ大佐と言ったりするのは、 よした方がいい。とくに前者は、まいっちんぐマチ子先生を思い出させる。
下瀬火薬にロシア人がピックリンした。
636 :
十三妹 :2010/01/13(水) 22:03:21 ID:ELZYzxlq
首の話 夜遅く、安氏の若旦那の第一夫人、第二夫人が会話をしているなか、ふと外の気配に 気づいた第二夫人は第一夫人に、身を伏せているように促し自分は、怪しげな侵入者を 三人次々に退治していく。 一方、科挙の試験に向け勉強中の安氏の若旦那(中国風に言うと安公子)は二週間前に、 娶った第二夫人の事が気になり、その元におもむくが、第二夫人はその時侵入したうちの一人の 生首の処理をしようとしていた 善良だが気の弱い安公子は、それを見て卒倒しかけるが、第二夫人はどこ吹く風、朝になり、 皆が目を覚ますと、死体と他に二人の侵入した盗賊の処理の段取りをする 荒事をテキパキと片付ける妻を見て安公子は、己れのふがいなさを感じる また、この大捕物のなか別の、盗人、白玉堂も侵入していて、そちらには上手くしてやられてしまう 安家は北京に住居を持ち、安公子とその両親、妻二人、また第一夫人の両親などが住んでいる また、白玉堂は別の小説「三侠五義」の登場人物だが、その小説は宋の時代を舞台にした物で、 「児女英雄伝」の清代とは約七百年もの時代さがあるという
637 :
坂の上の雲 :2010/01/14(木) 13:11:04 ID:yL8mmvpb
「われわれユダヤ人は、ロシア帝政のなくなることをつねに祈っている。時たまたま、 極東の日本国が、ロシアに対して戦いをはじめた。もしこの戦争で日本がロシアに 勝ってくれれば、ロシアにきっと革命がおこるにちがいない。革命は帝政を葬るであ ろう。私はそれを願うがゆえに、あるいは利にあわぬかもしれぬ日本への援助を、 いまこのようにして行っているのである」
〔勝敗と戦費調達〕 日本軍の死傷者:約2万…ロシア軍もほぼ同数 クロパトキン退却の理由→秀才によくある完璧主義 9月7日 満州軍総司令部 沙河→遼陽 “黒鳩のねぐらを追ふて昼寝かな” 外国人従軍記者に対する対応の不味さ(つまり小沢式) クロパトキンの戦術的退却と世界に報道 →日本公債応募が激減 参謀総長山県有朋の電文→児玉源太郎激怒→辞任騒動 遼陽戦の殊勲者黒木為禎は、露軍を追撃しなかったという理由で、大本営から批判→元帥になれず
高橋是清は、幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子。 きんは魚屋の娘で川村家に子守奉公にきていた女中であった。 平成の世であれば、川村庄右衛門(47歳)は逮捕されるところである。
北原きん(16歳)
655 :
十三妹 :2010/01/14(木) 22:55:20 ID:2Yg4Xv5k
ややこしい話 前回の翌日、盗賊の侵入に事なきを得た安家では、小規模な祝宴が営まれる 仲良くもかしましい、女性陣の中で一人物静かな様子の、第二夫人は皆にせがまれ、 かつてあった二つの生首にまつわる奇妙な話を語る 第二夫人の本名は皆が秘密にしている様子である また、第二夫人の語る物語りに登場する、申公と言うのは、白玉堂のライバルで、「三侠五義」の登場人物
656 :
十三妹 :2010/01/15(金) 22:56:14 ID:VMemH4O3
当時中国は清と言う国で、もともとは満州地方にいた女真族が漢民族を征服して出来た王朝 安家は女真族がまだ満州にいた頃からの名門でいわゆる、満州八旗(江戸時代で言えば三河以来の旗本) とは言っても、当時の中国で出世するには国家試験の科挙を通過せねばならず、安公子は現在二次試験まで合格し、 現在は最終試験に向けての猛勉強中である 旅の話 安公子の父安老翁が突然建設大臣に任命され、揚子江中流域に派遣されるが、 工事の落ち度があり、計5000両のお金を用意しないと、処罰されるという 孝行息子の安公子が、みずから父の元へ赴こうとすると、第二夫人の十三妹は14歳の目端の聞く、 金満少年をお供に連れていくように勧める 旅の早々から疲れただのと痛いだの弱音を吐く、安公子をなだめすかし、財布の紐もしっかり締めている金満少年だが、 子供でおまけに安公子より十三妹を、尊敬する金満少年に、安公子は却って意固地になり、 旅の途中に知り合った、金儒人という身なりの貧しい、美青年と豪遊し始める
657 :
十三妹 :2010/01/18(月) 23:35:05 ID:vofMpMrY
放浪の話 金青年の正体は白玉堂であった 白は安公子の旅にそのままついて行きタカり続け、オマケに安公子と義兄弟の契りを結んでしまう その後、白と別れた安公子と金満少年は、水路を通って目的地に向かうことになる ある夜、安公子の乗る船に小舟が近づき、若い女が体を売りに来る それに乗って、安公子は小舟で一夜を過ごすがその間に、女のヒモが安公子の持金を盗んでしまう 安公子の乗った船の船頭は、自分の縄張りを荒らされたと怒って、女とヒモをヒドいめに合わす 金は帰ってきたが、このことで恨んだヒモと女は、ツテを頼って安公子の乗った船をヤクザに襲わせ、 安公子と金満少年は行方知れずとなる 北京の安家の邸宅は全く描写がなく、この人ホントに大作家?と疑問に思ったが、さすがに旅の途中の景色の説明は、 戦時中に大陸にいたこともあって堂に入っている 旅の中で色々とちょっかいをかける白玉堂は、女性嫌いで安公子にもアブない視線を送る
全集1
クソつまらんスレッド作った上に途中で放棄しやがって 一つの板にいくつも同じ作家のスレッドを置くのはルール違反だから このスレッド消すまで司馬遼太郎の新スレ作れないだろ
660 :
この名無しがすごい! :2010/01/22(金) 11:15:17 ID:3tNBiyNd
大体お前一般書籍板の北方水滸伝スレッドでも、自作自演の大量書き込みをしていたいろ あちこちで嫌がらせをしているのに人がまともに相手する訳が無い
661 :
この名無しがすごい! :2010/01/22(金) 11:19:47 ID:3tNBiyNd
歴史ゲーム板でも、エラそうに説教して嫌われていたな どう考えても相手の「板違いの話をするな」という意見の方がまともだったけど お前どこ行っても嫌われるな それだけ、自分の今年か考えていないからな
全集2
坂の上の雲の第一話 まず、最初に秋山好古が紹介される
秋山好古は松山の士族出身で、お徒組の出だから大した家柄ではない 幕府が倒れなくても、内職でもしないと、食えない家柄だろう
あと、松山は久松松平家が治めていたらしいが、この家は徳川家康のお母さんの お大の方が家康の父親の広忠と離縁した後に嫁いだ家で生んだ子供の家柄
徳川家は家康の時代はまだ、豊臣家があったから、西日本には本格的な 進出が出来ていなかった
豊臣家を滅ぼして、秀忠の時代になって段々西日本にも、親藩、譜代大名を 置き始めた
今日このスレッドで何度も書き込みしてみて、水滸伝スレッドで 多量の書き込みが突然続いて、その後1、2時間、間があいてまた連続書き込みが 続いていた訳がわかった 同じ人間が書き込みを一人で続けると、一定時間書き込みを禁止されるんだな
好古のオヤジの平五郎は御一新前は徒目付で明治では、今で言う県の教育委員会に勤めていた 将来息子のウチ二人は、東京の学校にいけたのもオヤジのコネだろう このあたり、誤魔化してるな
あと、徒士って足軽の事だろ 侍身分とは言わないんじゃないのか? なんでこのあたりも誤魔化してるんだろ
>>668 一般図書板は、同一人物は1時間に10レス以上書けない。
松山やああ松山や松山や
いいちこをのんで楽しい春の月
とにかく好古は大阪の師範学校に行くことになる 当時まだ16歳だった好古には受験資格もなかったが まだいい加減な戸籍だったので誤魔化して入学することにする このあたり鴎外と一緒だな 鴎外は19歳で東大卒業したはず当時の大学は今より卒業までに二年長いはずだから 何年早いんだ?
結局好古は無事に師範学校を卒業するけど しばらく教職を勤めた後、今度は同郷の教育界の役人の和久なんとかの紹介で 新しくできた陸軍学校にはいる この辺も藩閥同士の勢力争いの一部と言う感じもする 好古にしてみればしょうがなしの運命とかかれているが本当だろうか
そのあと、兵学校の試験の話が続くんだけど、好古が漢文が読める程度で 他が何にも出来ないと言う話だが、師範学校でナニ勉強していたのだ
好古の試験の時の管理者が寺内正毅なんだけど、話の明るさを優先するために 細かい話を一切してない 多分、あとがきで紹介していたはず、のちに長州閥の親玉になったウザいヤツとかそんな感じ
好古は兵学校の騎兵科に入学するんだけど、この時点で昔で言えば侍大将みたいなもんでしょ 豊臣秀吉でも、こんなに早く出世してないよ 伊藤博文とか山形有朋とか寺内正毅なんかも今太閤って感じの出世振りで その分落ちぶれた人間も多かったろうけど、そこはこの小説では出てこない 翔ぶが如くには少し出てくるけど
なんとか受験に合格して入学しようと思ったら 西郷隆盛が反乱を起こしてなかなか入学できない 翔ぶが如くでは西郷一派の独善振りがよく書かれていたけど ホント今でも評判ワリーわ鹿児島県民
兵学校は最初の2年で代数幾何、三角法なんかを学ぶらしいが、ホントにそれまで 数学やってない人間が出来たのかね いい加減だな それより問題なのは後の優等生たちが多分もっとちゃんとした教育を受けた筈なのに 日本の運営に失敗しまくったのも恐ろしい やっぱり、自分である程度判断する訓練をしてない人間はだめだね
ここまでで、一章なんだけど 適当に書き手いるようで、かなり計算されているな 実際この後読み進めば分かるが、好古はあまり、日露戦争を語るのに必要不可欠な人間と言う訳でない むしろ、その前の、御一新による変化や、初期の陸軍の雰囲気を紹介するのに便利な登場人物 あと、この小説が松山人にとっては敗戦からスタートしていることも、 重要でしょ 戦後の日本と重ね合わせているんだろうな
この章でも、敗戦後の混乱から、好古がドンドンまわりの思惑に振り回され ほとんど不条理劇のような展開で話が進んでいく こういう話は西洋の小説では以外に多い
あと他のスレッドで指摘があったけど、当時の日本の人口は今でもそうだけど 世界でもかなり人数の多い方だ まことに小さな国云々という書き出しはあまり、正確に実状を表していない
やっぱり司馬を読むと場面の切り替えが早いね新聞連載の二回分で大体一つの エピソードが完結するからすごくめまぐるしくストーリーが進んでいく 最近の小説は水増しばかりで、ホント、イヤになる ノベルズ戦争以来ずっとそうだから、もう今の書き手にまともな小説っていっても 分かんないんじゃないのかと思う。まあ、もう現役や新しくデビューした作家を読む気 ないからどうでもいいけど 佐々木譲なんて、せいぜい外国の有名な「針の眼」とか「警察署長」のパクリしか出来ないヤツ あんなのしか、今の大衆小説にいないんだから期待しようがない
>>684 物語の展開が早いからエピソードの数も多くて飽きさせない。
このペースに慣れている読者にとっては、最近のスローペースの小説は退屈すぎる。
第2章 この小説の主題が日露戦争だということを説明する所から始まっているな ところで実は、自分はこの小説が、なんで面白いと感じられるのか長い間気になっていたんだけど 最近ある仮説を思いついた
真之は好古よりココノツ年下か 歌詠みをしたり才走ったところを紹介されているけど、 一度最後まで読んでいると、無理に明るく書こうとしていて、なんか痛ましいな ホントは全くこんなキャラじゃなかったんだろう なんかむなしさを感じる
子規も登場してるけど、祖父さんが死ぬまでマゲを結ったままだというのは、司馬の祖父さんと同じか 主人公三人の登場の仕方がエピソードを座談で紹介風なのはさすがにイタダケナイ もうちょっと工夫しろと思う 子規の塾の様子とかあまり必要だとも思えない 一巻は最後までこんな感じだと思うと少しうんざりしてくる
真之がいたずらで花火を打ち上げるところで 「どがぁーん」と擬音が使われている 珍しい しかし、改めて読むと、言葉使いが単調だな 清張でも、長編は良いものがないが、 人間やっぱりまともに書ける文章の量は限られているということか
子規の幼年時代のカンの強い所も描かれているけど、 全部ユルい書き方だな たまには、スピードを上げたテンポ良い文章も欲しい 単調過ぎ 子供の目線から書いたところなんかもあるといいのに
>>689 たしかに、こんなところひらがなで書くか、というようなところもあるな。
好古が学校の夏休みで帰省するところでは、真之の目線も入るが 好古を初め色々な人間の気持ちが入り混じって書かれていて、あまり上手でない
今度は松山で中学校が出来るはなし やたら詳しい このあたり、明治でそれまでより明るい事をできるだけ取り上げようとしているということか 漢文の授業が一番程度が高かったという 今の政治家の言説を見ても、漢文というか古典的素養が全くないね 若い方の政治家もダメだろうし、「みぞうゆう」とか「友愛」とかバカ過ぎ
>>692 そこはスピーディな展開に欠かせない手法だと思う。
視点を統一してしまうと、説明しなければならないことが説明できなかったり、
台詞の中で説明したりで不自然になることも多い。
中学で真之が子規の家に招かれて豪勢さに驚くシーンがあるけど その前に真之の普段の生活が取り上げられている訳でないので かなり唐突 真之にしろ、子規にしろあまり幼年期のエピソード紹介で人間像が浮かぶでもなく 好古の学業進行の合間に点描するだけで良かった
良く考えたら、真之と子規のやり取りが、この作品の初期の軸なのに 初対面の場面もなく、この初会話も今ひとつ両者の印象が薄い 薄いというより、ここでは自由民権の話にすり変わるように、 必ず脱線する この辺、人と人の関係に読者を集中させることも必要だろう
そのうち子規は東京に行ってしまう 考えてみれば、ホントにこの二人タメ口で会話してたんだろうか かたっぽは馬廻りで上士階級もう一方は足軽身分 多分嘘だろ 真之のキャラもその場その場で変わってつかみ辛い
698 :
坂の上の雲・真之 :2010/01/22(金) 20:39:00 ID:3tNBiyNd
その後の東京での子規の様子が描かれるが、朴訥だがヨクヨク話を聞くと 大人びた所があるという証言を挙げている 松山での、またこの後の東京での真之とのやり取りと全く印象が違う
今日は猿蟹の賦を読んだ。 司馬らしい、いい短編だった。
結局真之も好古が学費を出してくれるというので、 東京に行くことになる よっぽどの苦学をしたはずだが、全くその辺は省かれている 子規も真之も東大の予備門に入学するつもりだという 今の教養学部か?
サルカニは清水健太郎の作品だよ
真之は東京では好古の下宿先にそのまま厄介になるが、 アニイが怖い様子、松山でも子規の気圧されていたし、あんまり腕白コゾウと いった面持ちではない
この章のまとめ 第一章でのエピ連続と違って今回はもっと小説らしくした方が良かったと思う だいたい前回は10年くらいのタイムスパンの話だが、今回はせいぜい2、3年の話だし 後の展開を踏まえてもあまり重要な内容とも思えなかった 真之は行き当たりばったりで、最後までどんな人間か分からない
この小説で真之にとって子規と好古という存在が、影響を受け、成長を促す見本なのだろうか それにしても、確かに彼らと自分の違いを見出す所はあるけれど、 結局、この小説の真之の場合、ものの考えに深みがこともなく、要領が良い程度の人間としか とらえられていない 後半ほとんど存在感がないのも、仕方がない
あと、この作品結局ほとんど侍階級の人ばかりが活躍するね あまり日本人全体で成し遂げたと言う感じはしない
好古は江戸時代に生まれた人で、明治の世の中をひどく場違いに感じていて生き辛そうにしている あくまで江戸時代に生まれた人間として己れを規定している 一方、子規は実は江戸時代より立場が恵まれていて、東京に行って勉強すれば江戸時代では考えられないかった 中央官界にも参加できる 物心ついたときから、あまり出世主義に対して、屈託を持つ必要もなく、 一心に前だけを見つめて進み続ける 真之はこの二人の間で揺れ動くような気質の持ち主なら面白かったろうけど、最初のガキ大将のエピソードから、 デッサンが決まらないまま話が進んでいく この作品の主人公は、やっぱり個人でだれというより、侍階級という種族だな この段階で良く考えたら武士とはこういったものだみたいな話ばかりしている あとは、勉学の重要性もシツコク書かれている 司馬は何だかんだ言って、読者の読解力に期待してないから、大事なことは何度でも、 繰り替えして書く
好古と真之の久しぶりの兄弟対面で騎兵の話になる 古来日本では騎兵という概念がなく、もともと大陸でモンゴルの遊牧民の戦術を 西洋人がマネ、活用されてきたという 実際山また山の日本国内ではあまり活躍の場がないだろう
ところで昔は日本でも騎兵は使われていたという、二人の会話を肴にした 作者の解説で、桶狭間の戦いが例に挙げられているが、桶狭間って別に 騎馬兵による奇襲ではないだろ 天才がどうしたという話の持っていきようも安っぽい
子規の方は陸羯南の世話になっている 子規の親戚が陸の知り合いで東京での子規の生活を頼んでのこと 陸はこのころは政府のお役人で翻訳の仕事をしていたとある あとに「日本」という新聞を作る有名なジャーナリスト
このあとも細々とした逸話が続く この小説読むが三度か四度めかになるとさすがにキツい 好古が新設の陸軍大学に行ったり、真之や子規が東大予備門に合格したりする
それにしても、子規にしろ、真之にしろ当時の時の勢いにそのまま 流されているだけで、小説の主人公としてそれほどふさわしいと思えないけど
真之と子規が対比的に表現されているような、キャラじゃないのも問題 作者が子規に注目すればするほど、真之の像が不明瞭になる
ひょっとしたら真之は近代小説の主人公らしいキャラとして書きたかったのかもしれないけど 他の明治の官制を書いたりすることを優先しているから、ただ描写がブレているようにしか見えない
あと、ここまで全部語り口を悠長にし過ぎているな 小説はメリハリが大事だから、全体がゆったりしている話なら、 たまにアクセントで、硬質な文章も入れないと
あにさんとの同居をヤメ、真之は子規の下宿に二人で住むことにする 真之の内面描写で(むずかしいことをいいやがる) と言うのがあるが、この言い回しは、司馬が他のキャラでも他人に対する反発を表すのに良く使う言い方で、 いかに真之の描写がおざなりか分かる
子規が哲学に対するハシカにかかったときに、登場する米山という男の造型は、リアリティがある 29歳で亡くなって、全身是れ哲学といった風貌だが漱石や子規に才能を見出さないような平板な視線の持ち主 こういう人の悪いところを見つけるのが司馬は巧い
米山に挑発されて、子規は哲学の道を諦めるんだけど 米山みたいな人間がいると日本一になれないという理由はどうか? 哲学なんて誰が一番かなんて競う物じゃないだろ
まあ、子規があっちこっちにフラフラするのは、青春の脚気でいいんだけど 真之がそれを見ているだけなのは、どうなんだろ
無理やり主人公にした感じ
このころの真之を子規が批評した文章が紹介されているけど、 これホントに存在する文章なんだろうか
この頃の子規の様子読むと、確かに大将になる才能はあるタイプ こういう人いるね
子規や真之が江ノ島に無銭旅行に行く場面では突然漱石風に文章の呼吸が変わる ひょっとして 真之=坊っちゃん のイメージで書いているのか?
漱石の坊っちゃんは、表面的にはともかく中身はかなり厄介な話で 一定以上の読書家の論評を読んでみると大抵意見が違う 所詮、評価される内容の決まっている日本の近代小説の中ではかなり異質である
江ノ島のエピソード子規も真之も江戸弁になっている 作者も江戸っ子じゃないんだから、いかに漱石に依存しているのか分かる
このエピソードもせっかく気合を入れて書いているのに いつものように複数視点プラス作者の介入で真之の造型に集中できない
山っ気の多い子規も自分になにが向いているのか悩んでいて、真之に相談するが 真之のアドバイスが的確であってもそれは作者が、子規をそう捉えているのであって 作者の代弁までさせるから、余計真之のキャラが分からない
好古の描き方は彼を侍風に捉えているので、これでいいと思うけど 真之は初めから最後まで漱石風で良かったのではないか あと、子規ももっと別なスタイルの方が合っていると思う
大体この時期何本も連載抱えて、無茶だろ
それにしてもここのスレ主ホント人に嫌がらせばかりしている最低の人間だな 一言一言が他人を不愉快な気持ちにさせることだけを目的にしている 他人の迷惑を喜んでるだけの人間はケダモノ以下の存在なのにな
偉そうなだけで、レスに内容もないからな 他の住人の話の邪魔しかしないし
他のスレッドでも嫌われてるだろ 人のせいにして騒ぐけど自分の人格に問題があるんだよ
東大進学を諦める真之の子規に対する言い訳も、一々余談臭いな 新聞連載で毎日一定量書かなきゃいけないから必要がない情報まで穴埋めに書いている
学費の都合で東大進学を諦め官費で行ける学校を探す真之なんだけど ここでも作者が要領が良すぎて、学者に向かないといった、外的評価も自分に言わせる 要領が良すぎて学者に向かない人間は、軍人にも向かないよ
好古も言葉使いも唐突に江戸弁だな
とにかく作者が解説しすぎで、読み手を窮屈な気持ちにさせる
作者の解説するときは、描写が必要ないし、逆もそう
好古の時でも天才ということばを使ったり、今回の真之でも作戦家の才能がある と評したりこの辺、司馬らしい結果から物事を言う安直さだ
738 :
この名無しがすごい! :2010/01/23(土) 13:03:06 ID:38J9kz6m
NGIDの馬鹿が6つも新レスつけておるわww
真之は東大を諦め、結局海軍に進むことにする このとき、子規に正直に話すのが嫌でだまった下宿から逃げるように出ていくんだけど 同じ学校に行ってて、同居している上、同郷の出身で何も知らないでいるわけがない 無理やり感絶大
真之は入学時はやや良いくらいの成績だが、すぐに首席になりそのままの成績を維持したという 入学の時洋服に慣れていたのが、真之だけだったというが、アニイの着替えを見ていたのか 真之も洋服を着る機会はないはず 子規との別れで思ったけど、この話、近代小説にある価値観の違う人間同士の対決が全然ないな
海軍って薩摩閥の巣窟なんだよね 太平洋戦争で負けるまでほとんどのそれは変わらなかった
真之が入学した頃には既に、海軍兵学校の教育も出来上がっているから、あまり面白くない
好古の方も陸軍大学で勉強中で、ドイツからメッケルという軍人が教えにくる
それにしても何度も読み返すと拷問に近いな 言いたいことは的確に伝わってくるが、それに深みがないというか 読み返す度に新鮮な小説もあるのに、前に読んだときと全然印象が変わらん
メッケルが好古を西洋人と間違うように、エピソードも同じようなのが多くて飽きる
それでも、メッケルの部分はまだ読めるな 宿利重一と言う人の研究が紹介されているから 他人が書いたものの要約は面白い
真之の方も学業は順調で、広瀬武夫と知り合ったりする ついでに学校が広島の江田島という所に移転する 広島湾を包むようにある薄造りの島
故郷の松山の近くに変わったので、一度真之は帰郷してみる 学校が江田島に変わったのが三年生の時なら、入学時にそのことを知っていたんじゃね? 父親も老いてきたし、両親の近くに居られる学校を選んだのかも 帰郷の時の文章は取材も十分されているのか、なかなか重みのある文章だ
好古の方は大学を卒業後、元の松山の若殿に付き添ってフランスに留学するハメになる メッケル以降、陸軍ではドイツ式に改組しつつある中でのフランス留学なんだけど 若殿も軍人になりたいなら、ドイツに行けばいいのに 好古に白羽の矢が立ったのは有能さを見込まれてのことらしいので、好古の経歴と言うのは 本当に不条理劇だ
それにしても自演ザル、ウザすぎ 早く○○でほしい
752 :
この名無しがすごい! :2010/01/23(土) 17:34:01 ID:0m7v6jwE
このスレ、ゴミクズに文句言うスレッドとして残して置くべきだな 埋めるのヤメた
一般書籍板の方の司馬スレ、こっちに移転しようと言ったら、急に書き込みが無くなったけど何でだ?
>>753 他人事なんで理由はわからないし、どうしてそんなことが気になるのかもわからない。
随筆「私の愛妻記 - 市電の停車場でプロポーズ」 創作なんだよね。実は作中で「照れくさくて本当のことなんか書けない」とはじめに断っている。 断りつつ、その後あたかも実際にあった話のように詳細に書いているから、まだ騙されている読者もいる。
>>755 他のスレッドみて感じたんだけど、大体3、4人まともな人間がいるスレッドは多少荒れても
トータルでみれば機能している
それで、騒ぎが起きないようにコッチに移ろうと提案したらどれくらいリアクションがあるか試したけど
良い手応えを感じなかった
あの調子なら移ってきてまた騒がれるより、新スレ立てた方がいいかなという判断をしたワケ
相変わらず何に収録しているか書かないな
757 :
755 :2010/01/29(金) 18:59:15 ID:vOUNFJFI
とりあえず新スレ立てる前にこのスレッドをどうにしなけりゃ なんせアンチも来ないから、荒れてレスの大量消費もない 一応この板は一作家一スレのルールがないから、適当なスレタイを考えて このスレを残したままで新スレ立ててもいいんだけど
778 :名無し曰く、:2010/01/29(金) 18:22:59 ID:ZkgVf4Kf ステレオタイプ脳のゲームヲタ共が、いちいち司馬さんに突っ掛かんなってこったろ ゲームだけを考えろ、馬鹿なんだから 779 :名無し曰く、:2010/01/29(金) 21:25:45 ID:ZkgVf4Kf ↑#756だが 文句あるなら、いつでもかかって来い クズども かかって来ないなら、このスレはしんだスレにしろ ゲームヲタのクズどもに、いちいち司馬さん云々をされたくないだけだ
大体自分が荒らすだけ荒らして、自分の方は相手してくれって都合が良すぎるだろ
出た自作自演、なんで他人を不愉快な気持ちにさせるのが気持ちいいの?
「司馬遼太郎の世紀」に収録の「日本史探訪 - 織田信長 / 海音寺×司馬」 司馬ばかり読んでいると、対談等でも小説の余談で述べたことと同じ事を喋っているから、 対談での司馬発言がぬるく感じることがある。あまり読まない海音寺さんや松本清張の 発言の方がするどく感じられた。
tst
ミステリ板でも書斎魔神っていう超嫌われ者のコテハンが居るけど やってることが名無しなことを除いてそっくりだ 自作自演で自分の発言を褒めたり、他人に成りすまして別の人間を攻撃したり 他人の神経を逆撫でするためだけに、連続カキコをしている 権威主義で考えにオリジナリティがないことまで一緒
年末年始に久しぶりに坂上雲引っ張り出して読んだんで 司馬熱が高まったもんだから、未だ未読の「竜馬がゆく」に手ぇだした。 ん〜。。ちょっとなんというか酷いね。 はじめっから後付の神様視点というかね。 教師も見放した洟垂れの馬鹿ガキつかまえて竜になるだの 女は寄ってたかって惚れにくる、て按配。 会う男はもれなく、彼をして大器量人/豪傑と称すし、なんだかなぁ せめて勝に合うまではボンクラの剣術使い、てな扱いでも良かったような はなっから何でも見通してる風なキャラはちょっと出来過ぎて 面白みがない 司馬のキャラて案外、ポジがある一方同量のネガもあるキャラが多いのに ここまでスーパーヒーローなのは珍しいね。
大きくなっても寝小便たれていたエピソードも紹介しているし、そんなに神扱いでもないと思うが?
最初から先入観があるから 自分の求めるところしか見れない 司馬を擁護してるととれる俺が言うのもなんだが 客観的に全く読めてない
俺は序盤の剣豪モノっぽい部分は好きじゃない。 とくに信夫左馬之助とお冴はウザい。
坂の上の雲 沙河 好古の騎馬隊というのは、歩兵と変らんな。
好古自身が一番騎兵を否定してるような運用だったよね まぁやりたかったけど現実が許さなかったんだろうけど したら偵察と後方かく乱専任にして戦闘編成部隊にしなきゃよかったのに。。
閑院宮騎馬隊の方が騎馬隊らしい活躍をしているからな。
法駕籠のご寮人さん
坂の上の雲 「旅順総攻撃」
坂の上の雲 「旅順総攻撃」 ロジェストウェンスキー登場
盗賊と間者 原題から「女と」が抜けている。原題の方がいい。
新春漫語(1994年) バブル経済崩壊後を“不況”と呼び、昭和恐慌の時代と比較している。1994年といえば 庶民の生活レベルでは不況という実感はなかった。下り坂に向かいつつあるという認識は たれの胸にもあったが。 元旦の新聞に掲載された稿なので、しめくくりは希望に満ちた表現で終っている。しかし、 あの時期を不況と呼ぶなら、2010年のいまはいったい何と表現すればよいのだろうと 思ってしまう。
777 :
坂の上の雲 :2010/02/11(木) 14:32:01 ID:LB14l8pL
「旅順総攻撃」 ロジェストウェンスキーの北海妄想海戦 恥ずかしいwwwww
ロジェストウェンスキーが登場人物中もっとも叩かれてるな。 相対的に乃木さんの地位も若干浮上。
779 :
坂の上の雲 :2010/02/14(日) 16:46:20 ID:F6OwHXGU
「二〇三高地」 どうのこうのといっても、この場面は異様に盛り上がるな。 児玉が旅順行きの列車の中にいた頃、乃木は203高地に攻撃の重点を変更している。 伊地知はそれにも不満だったようだが。
思ったほどに乃木は叩かれてないじゃん>坂上 薩摩型の将器に照らし合わせて 伊地知に全部おっ被せてる風。 まぁ実際の所、参謀連の責が大なんだろうけど
乃木は参謀連中の無策というか203高地の早期奪取方針の無視という失策の監督責任を 問われているにすぎないよな。この作品において。 大将=統帥、参謀=作戦という分業体制の下では、大将といえども参謀の立てた作戦を 全面的に否定はできない。大本営・満州総軍・海軍いずれも203高地早期奪取を要望して いて、直接乃木宛ての電報を打った上官もいて、乃木は板ばさみになっていたような感じ さえする。前面突破に固執した伊地知の気持ちをもう少し詳述していれば理解しやすかった と思う。ただ第三軍の攻撃開始がいつも月末の26日に集中していた点について大本営が 問いただしたとき、「(快勝した)南山戦が26日だったから縁起がいい」と答えた伊地知と 乃木は阿呆にしか見えんな。
どうも寒くて早寝をしてしまうので、数日読んでいません。
783 :
この名無しがすごい! :2010/02/20(土) 16:11:13 ID:ynV99Gz9
「龍馬伝」が始まったころ「竜馬がゆく」を読み始めていて 録画しっぱなしだった「龍馬伝」をまとめて第6話まで観たら 急に「世に棲む日日」を読み始めちゃって 「竜馬がゆく」は読みかけで放ってあるw。
学生時代の夏休みとかなら、数冊の本の併読もできたが、 社会人になると1冊集中になるよね。 ほかの用事で1週間ぐらい読む暇ないとテンション下がることもある。 とくに数冊に及ぶ大長篇の場合。
785 :
この名無しがすごい! :2010/02/20(土) 17:41:46 ID:KdIjfmkN
龍馬伝ってNHKはどんだけ目潰しに金タカったのかね?
786 :
この名無しがすごい! :2010/02/21(日) 14:58:42 ID:E3P17t+v
>目潰しに金タカった すみません。 意味不明です。
787 :
坂の上の雲 :2010/02/22(月) 13:28:05 ID:FxkUsiDS
乃木と児玉が会見する場面
788 :
坂の上の雲 :2010/02/23(火) 17:06:31 ID:c5ldA1iF
児玉が第三軍司令部に作戦の変更を命令
789 :
坂の上の雲 :2010/02/24(水) 14:03:14 ID:DxlCC4fg
乃木と児玉が漢詩を作っているところ
「竜馬がゆく 第八巻」 土佐藩に鉄砲を持っていくところです
『世に棲む日日(四)』“転機”・・・亀山社中がでて来る。が、伊藤の「坂本に会いますか?」との問いに 、晋作は「会う必要はあるまい」としてもにべもなく断る。
792 :
坂の上の雲 :2010/02/25(木) 14:14:58 ID:AlQ24owj
海涛 ひさしぶりに真之登場
竜馬が逝くでは2時長征で頻繁にあってるけどな 高杉と坂本
794 :
坂の上の雲 :2010/02/27(土) 12:36:46 ID:E2OZ06CO
真之が裏長山列島の基地から東京に帰ってきた。久々に秋山家の家族が登場。 ああー、こんな小説だったな、と懐かしかった。
久々に熱中時代をDVDでみた 司馬の寺田屋お登勢さんピッタリ、草笛校長夫人
796 :
坂の上の雲 :2010/03/01(月) 18:00:40 ID:FXHCph5D
バルチック艦隊。ダカール港に寄港。同盟国フランスも、満州での露陸軍の連戦連敗を みて、徐々に冷たくあしらうようになってくる。
797 :
この名無しがすごい! :2010/03/02(火) 22:33:22 ID:looqjqmy
竜馬八巻 どこかに向かって竜馬が早足で歩いている。 何が何だか判らなくなってきた。もうすぐ終わりそう。 今度は面白いミステリーを読もうと思う。
竜馬、紀州藩船と事故 損害賠償請求始まる
そういや、ここ二日ばかり読んでいない。
竜馬がゆくG 「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」 それが、竜馬の最後のことばになった。
燃えよ剣(上)1〜50ページくらい 本読んでると眠くなるorz
世に棲む日日(四) 高杉の母親とお雅が監視にくるので苦り切ってる
新選組血風録の中の「芹沢鴨の暗殺」 面白さに仰天
804 :
坂の上の雲 :2010/03/06(土) 12:57:19 ID:vV4VIGDf
水師営 クリミア戦争と日露戦争の比較のところ
「燃えよ剣」の池田屋ノ変のあたり
オホーツク海道読んだ これで街道をゆく完全制覇 半分以上ブクオフで購入したよ
808 :
坂の上の雲 :2010/03/17(水) 13:00:06 ID:L10eRad8
水師営 - 明治38年1月1日 ステッセル、日本軍に降伏。 旅順の激戦の終了場面が、この小説のもっとも感動的な場面かもしれないな。 休戦の噂を耳にした日露両軍の最前線の兵士が、敵と抱き合ったり、踊ったり、 旅順市街にくりだして酒を飲むところで終る。昨日まで殺しあっていた両軍の兵士 がいっしょに酒を飲みに行って一件のトラブルも起きなかったそうだ。 司馬は、「人間というものが、本来、国家もしくはその類似機関から義務づけられる ことなしに武器をとって殺し合うことに適いていないことを証拠だてるものであろう」と まとめている。
年末から 坂上〜竜馬と読んだ。 次は銀英伝でも読み返すか。。。
一夜官女 読み始めたばかり
梟の城読んでます
『世に棲む日日(四)』読み終えたけど、最後の部分は泣けたわ。 結局その後も竜馬は出てこなかったな。
竜馬がゆくを読んで号泣 世に棲む日日を読んで号泣 燃えよ剣を読んで号泣 難波村の仇討ちを読んで爆笑
難波村の仇討ちは、藤山寛美主演のテレビ・ドラマがあるらしい。
下請忍者 面白かった
盗賊と間者は、面白いぞ。名前だけ登場の武田観柳斎(薩摩)は実在の人物で、他の司馬作品 にも登場するが、楠小十郎(長州)というのは実在したのだろうか?
「幕末」に収録の「土佐の夜雨」 山内容堂暗殺のくだりは「竜馬がゆく」でも触れてるが書いてることが矛盾してない さすがだ
『大坂侍』の中の渡辺玄軒先生のご子孫の紹介のところで、「大阪市浪速区新川一丁目」という地名が登場 します。お店の支店名などで、新川はしばしば出てきますが、地図には新川町はありません。『大坂侍』の 執筆当時はあったのでしょうか?
「死んでも死なぬ」 井上聞多の瀕死からの復帰を読んだら超勇気湧いてくるな 世に棲む日日でも触れてるが
城をとる話 一風変わってるな
念願の「花神」を読み始めた 大河ドラマになっていたことをつい最近知った40代の自分
「侍はこわい」はつまらなかったが、「ただいま十六歳」は面白かった。
どっちも面白いぞ
「侍はこわい」は、初掲が「主婦の友」なんで、チャンバラ・シーンがないんだ。 拍子抜けした。女性読者を意識してか、妻が夫の浮気を疑う話が中心。 枚数も少なく、登場人物の人間関係も単純で、ラストのオチは 大坂侍から借用。大坂侍類似作品の中では、もっともつまらないと思う。 まあ短すぎるんだ。 司馬さんが初期作品で何度使ったか数えきれない内山彦次郎ネタをベースに している点も、またか、という感じ。
忍者ものって面白い?
面白い。最高に興奮する。
827 :
この名無しがすごい! :2010/04/14(水) 22:56:03 ID:eDuGHBZu
燃えよ剣を読了。 土方最後の戦で、敵も味方も茫然と見つめてるシーンでなぜか感動したわ。 こういう感動をさせられる作家って少ないよな。
坂の上の雲〜黄色い煙突 司馬さんの徹甲弾の講釈が延々と続いている。
花神(下) 高杉の葬儀
花咲ける上方武士道 「花神」が重厚だったから、気分転換にと娯楽物を借りたがなかなか面白いね
>>830 好きな司馬作品の人気投票をすれば、絶対上位には来ない作品であるが、
昭和30年代の娯楽作品というのは、ほんとうに面白い。
最近の作家は、こういう娯楽時代劇が書けないね。
娯楽の質が変化したのかもしれないが。
シリヤクスが主催したパリの合同会議で、コーカサスの連中は「われわれがやれるのは暗殺 だけよ」と言っているシーンがある。各党派が自分たちの得意の手段でロシア帝政との闘争を することが議決された場面だ。 チェチェン武装勢力の自爆テロのニュースを聞くと、いつもこのシーンを思い出す。100年経って も、民族の遺伝に変化はない。
834 :
この名無しがすごい! :2010/04/25(日) 23:21:02 ID:zRKhx7MP
坂の上の雲(三) 開戦へ
黒鳩将軍の性格は、政治学者よりも心理学者にとって好対象であるかもしれない。 かれはたしかに、かれ自身が望んだように、もう一度県外移転の思いを受けとめた 姿を演じてみようとした。かれの閣僚はそのための計画を立て、かれがそれを決定し、 そして支持率を大幅に下落させてまでそれを実行すべく部署した。すべてかれ自身の 意思で、かれ自身がやった。 ところが、いざ行なおうというときになって、気持ちが揺らいだ。 ――いけねえ。地元の合意を取り付けていない。 といういまにはじまったことでもない条件が懸念になりはじめた。
坂の上の雲 奉天会戦は、鴨緑江軍・乃木軍・秋山支隊の動きは詳細に書かれているが、 主力の奥軍・野津軍・黒木軍にはほとんど触れられていないんだわな。 敵味方両軍で60万を超える兵数の会戦、しかも10日間の戦いとなると、 全部は無理だわな。
837 :
この名無しがすごい! :2010/05/01(土) 23:51:56 ID:GALtWMbC
関ヶ原(上巻) 実家に帰省して本棚見たら司馬遼太郎の関ヶ原発見 とりあえず200Pくらい読んでみた これから上中下巻読んでみようと思う ボロボロで染みだらけ、聞いたら親父(70歳) が新刊で買ったものらしい
坂の上の雲 クロパトキンは日本の恩人
峠 大政奉還
840 :
坂の上の雲 :2010/05/08(土) 13:42:06 ID:l5fAsPWi
第6部「退却」の章後半のルーズベルトの出来が良いな。 おそらく庶民が望む理想の政治家像を描いたもの。
>>840 中盤は旅順戦以外は、あまり面白くないんだが、日本海海戦がはじまる前の
盛り上げ方は、圧巻だな。
いま沖ノ島の佐藤市五郎少年が、海戦の最初の砲撃の音を聴いて、涙をこぼした
場面まで読んだ。
当時18歳の市五郎少年は、坂の上の雲の連載当時も、ご存命であった。
彼がこの本を読んでいる読者と日露戦当時をつなぐパイプ役になっている。
自分のことのように、興奮が伝わってくる。
宮古島の漁師垣花善ら五名が石垣島の電信所に「敵艦見ゆ」を急報した話も、 涙が出てきた。ひょっとすると「坂の上の雲」のなかで最も感動的なエピソード かもしれない。忠臣蔵と同じぐらい感動した。
敵前回頭 面舵一杯でござる。
関ヶ原(上) 太閤死去 ブックオフで100円で買ってきたがさすが名作だ 超面白い
845 :
坂の上の雲 :2010/05/15(土) 13:55:28 ID:IjD6v7qK
ポリトゥスキーとフォン・クルセリの最期は、グッとくるものがあったな。
徳川家康って超性格悪いな
海戦が始まってから、真之にいいところなし。 東郷と佐藤鉄五郎の良いところばかりが目につく。
849 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 13:24:36 ID:6VP/urMf
850 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 14:05:21 ID:6VP/urMf
851 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 14:24:50 ID:6VP/urMf
852 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 15:32:05 ID:6VP/urMf
853 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 16:26:08 ID:6VP/urMf
イースト・エンドのスパイク(浮浪者収容所)については、ジャック・ロンドンも 「どん底の人びと―ロンドン1902」という潜入ルポを書いている。 しかし、こっちは評判が芳しくない。どこぞの国の派遣村で、もらったカネで パチンコへ行ったような話らしい。 オーウェルはマジで貧乏だったので、ほんとうに腹をすかせてスパイクへ 行ったようだ。
855 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 17:49:24 ID:6VP/urMf
856 :
愛蘭土紀行 :2010/05/17(月) 18:36:20 ID:6VP/urMf
857 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 12:58:08 ID:n2GX9Bkf
858 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 13:16:03 ID:n2GX9Bkf
859 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 14:14:56 ID:n2GX9Bkf
860 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 14:41:19 ID:n2GX9Bkf
861 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 15:09:37 ID:n2GX9Bkf
862 :
愛蘭土紀行 :2010/05/18(火) 15:20:48 ID:n2GX9Bkf
「街道をゆく」にたった一人だけ名前の出てこなかったビートルがジョージ・ハリスンです。
関ヶ原(中) 細川ガラシャの死 大変な時代だったんだな
865 :
愛蘭土紀行 :2010/05/19(水) 15:21:37 ID:feHBAPyz
866 :
愛蘭土紀行 :2010/05/19(水) 15:39:45 ID:feHBAPyz
867 :
愛蘭土紀行 :2010/05/19(水) 15:57:27 ID:feHBAPyz
868 :
愛蘭土紀行 :2010/05/19(水) 16:12:23 ID:feHBAPyz
869 :
愛蘭土紀行 :2010/05/19(水) 16:52:33 ID:feHBAPyz
870 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 13:08:36 ID:eXWMUYUd
871 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 13:26:16 ID:eXWMUYUd
872 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 13:57:16 ID:eXWMUYUd
873 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 14:14:41 ID:eXWMUYUd
874 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 14:23:07 ID:eXWMUYUd
875 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 14:32:53 ID:eXWMUYUd
876 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 14:48:11 ID:eXWMUYUd
877 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 15:08:44 ID:eXWMUYUd
878 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 15:15:40 ID:eXWMUYUd
ジャガイモ大飢饉(1845−49)
100万人餓死
150万人移民
ケネディ家もジャガイモ大飢饉を契機に移民
第一代 極貧
第二代 ボストンのスラム街の酒屋 →政界進出
第三代 銀行家 →駐英大使
第四代 ジョン・F・ケネディ(
>>856 )
879 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 15:42:54 ID:eXWMUYUd
880 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 15:54:00 ID:eXWMUYUd
881 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 16:20:34 ID:eXWMUYUd
882 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 17:11:10 ID:eXWMUYUd
883 :
愛蘭土紀行 :2010/05/20(木) 18:02:39 ID:eXWMUYUd
884 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 13:08:15 ID:2BozSOKo
885 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 13:27:27 ID:2BozSOKo
886 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 13:35:00 ID:2BozSOKo
887 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 13:50:18 ID:2BozSOKo
ヒースとはただ一種類の潅木でなく、西ヨーロッパの痩地に自生して花をつける矮小な 潅木一般をさすと理解したほうがいい。 「こいつはヒースでなくて、ゴースですぜ」
889 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 14:22:51 ID:2BozSOKo
890 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 15:10:21 ID:2BozSOKo
891 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 16:20:08 ID:2BozSOKo
892 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 16:58:46 ID:2BozSOKo
893 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 17:15:18 ID:2BozSOKo
894 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 17:55:57 ID:2BozSOKo
895 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 18:48:56 ID:2BozSOKo
896 :
愛蘭土紀行 :2010/05/21(金) 19:03:19 ID:2BozSOKo
クール(Coole)パークは、ゴールウェイ郊外にある。 W.B.イエーツらアイルランド独立期の作家たちを励まし支えたグレゴリー夫人の屋敷跡地。 イエーツが作品執筆にインスピレーションを得た場所には立て看板があり、 それをたどりながら、手軽なネーチャー・ウォークが楽しめる。 場所: Gort の北3km ( N18 Galway ? Limerick 方面)
898 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 13:16:11 ID:vwqZZEST
899 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 13:41:46 ID:vwqZZEST
「Dirty Nelly's/Bunratty」で検索すると、Durty Nelly'sの画像が大量に出てきた。 DIRTYではなくてDURTYだ。 Bunrattyの町にもあるが、ダブリンを始め全国各地に同名のパブがあるようだ。 画像の解説によると、Durty Nelly's Pub - is one of the most famous pubs in Ireland. どうやら巨大チェーン店のようだ。養老乃滝や村さ来には負けるかもしれんが。
Durty Nelly'sのでかい看板を見る限り、読み間違えということはないはずなんだが、 この野郎、わざとDirty Nelly'sということにして、ネタかましたな? チャールズ一世やレイディ・グレゴリーまで引っ張り出して、壮大なネタを作ったものだ。 ライリー氏が他の客に聞いた話(しかも店名の由来に関しては二説ある)というのもネタだな。
902 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 14:34:32 ID:vwqZZEST
903 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 14:53:28 ID:vwqZZEST
904 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 15:19:41 ID:vwqZZEST
905 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 15:42:29 ID:vwqZZEST
〔日本びいき〕
ジェイムズ・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce)「ダブリン市民」 (
>>870 )
「死せる人々」…グレシャム・ホテルが登場 (
>>866 )
ジョイスの作品の文学的本質は巨大である。そのため技法の欠点までがむしろ創作上の
秘密あるいは新思想のようにうけとられたのではあるまいか。
心安だてにそんなことを思えるのも、かつてジョイスがそこにいたダブリンで寝ころんでいる
おかげである。はるかな日本で、おごそかにジョイスを読んでいたら、こうはあつかましい
気分になれない。
「レースのあと」…アイルランド人はイギリスの敵を応援する。「敵の敵は味方」
1885年:内燃機関つき自動車発明
1895年:パリ―ボルドー間30kmレース
1905年:「ダブリン市民」
イギリスの対日貿易赤字37億(1986年)→英国排日→「敵の敵は味方」(第二次大戦)
アラン・クラーク貿易相/サッチャー首相
906 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 16:11:56 ID:vwqZZEST
907 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 17:02:56 ID:vwqZZEST
908 :
ショーインズ :2010/05/22(土) 17:21:46 ID:vwqZZEST
| , ∩⊂⊃ ⊂´⊃ (´・ω・`)/ , .| | !⌒!!⌒!つ ,-=- 〔〕 ||,─、(⌒)─、 | | ∧ ∧.|||o (SHOU)(INS) .||.| ( ゚∀゚ ||| / `ー ´ `ー- /へ ( つ/|||ゝ ∩∧_∧ > / へ゜> ヽ(´∀` ) レ´レ´ 非 ┌┴--っ ) // | [|≡(===◇ ( ;><)ハ/Cハ ∧ ∧`(_)~丿 ⊂ .)呂~/ . (*‘ω‘ *) |ノ .) .丿 ⊂ i⊂つ レ/レ. ( ) ただ非常の人のみ . v v 即ちよく非常のことを為す♪
909 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 18:02:34 ID:vwqZZEST
910 :
愛蘭土紀行 :2010/05/22(土) 18:19:40 ID:vwqZZEST
司馬さん一行がケンメア(Kenmare)で宿泊したホテルの名称が書かれていないので、
画像を発見できなかった。大きなホテルの裏側というので、ケンメア・パーク・ホテル
の裏側を探してみたが、そもそも同ホテルが3ヶ所に分散しているのと、詳細な地図
がないことから、探すのをあきらめた。
ただし、その作業の過程で、面白い画像を発見した。
司馬一行が素通りしたキラーニィ(Killarney)の町にあるホテルの朝食の画像だ。
ここはケンメア(Kenmare)にほどちかい町だ。いまでもアイルランドではジャガイモが
主食なんだな。味は良かったとブロガーは絶賛している。俺は味噌汁とアジの干物
のほうがいい。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/24/20/c0051620_612408.jpg
913 :
愛蘭土紀行 :2010/05/23(日) 17:46:44 ID:Ny6caG8U
914 :
愛蘭土紀行 :2010/05/24(月) 13:12:17 ID:M6E02yOR
【次回予告】 オランダ紀行 世に棲む日日
人間は、うまれた土地の山河や村落という環境について保守的なものである。 このことは、生物としての生命の維持や、種の保存ということにちかい感情かも しれない。 簡単にいえば、人間は幼児や少年期に見なれた街角や小川、村のたたずまい など、何一つ変ってもらいたくない。 このことは「我が家のやすらぎ」ということに似ている。 人はながい旅をして他国の金殿玉楼を見ることをよろこぶが、しかしもどってきて わが家の安楽イスに腰をおろしたとき感ずるのは、結局、わが家ほどいいものは ない、というものだろう。魚が、自分の魚巣に感ずる気分である。 ここで、大いそぎで私の意見をのべておかねばならないが、日本の場合、飛鳥・ 奈良朝から江戸期いっぱいまでの古建造物は、国家と国民の精神のよりどころ として全力をあげて保存せねばならないと思っている。
>>905 ジョイスの創作技法論である、「意識の流れ」が、昭和初年の日本の作家たちに
影響をあたえたことはよく知られている。
意識の流れが、泉のように言葉が湧いて流れるままにまかせられるとすれば、
創作上の一種の無政府主義かもしれない。
読み手としては、作者の意識の流れのままに身をまかせ、いわば溺れ死ぬこと
も覚悟して流れてゆくのが最良の態度なのであろう。
べつな読み手――つまり川岸で流れをながめて、自分の想像力で読もうとする
読み手(私もそうだが)にとっては一ページに何度もとまどう。
918 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 14:33:52 ID:M6E02yOR
919 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 14:34:39 ID:M6E02yOR
920 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 15:01:49 ID:M6E02yOR
921 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 15:37:43 ID:M6E02yOR
922 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 16:10:24 ID:M6E02yOR
923 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 16:43:08 ID:M6E02yOR
924 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 16:44:10 ID:M6E02yOR
926 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 17:15:53 ID:M6E02yOR
927 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 17:44:11 ID:M6E02yOR
928 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 18:05:28 ID:M6E02yOR
929 :
オランダ紀行 :2010/05/24(月) 18:40:30 ID:M6E02yOR
>>927 ピルグリム・ファーザーズが10年ばかり過した家には、偶然迷い込んだような叙述に
なっている。「街道をゆく」には、こういうのが多いのだが、本当なんだろうか?
日本の観光地のように、目立つ看板はないにしても、そう何度も偶然が続くとも思え
ないんだが。
931 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 13:02:43 ID:coHS0wyr
932 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 13:03:30 ID:coHS0wyr
933 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 13:39:57 ID:coHS0wyr
934 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 14:19:07 ID:coHS0wyr
935 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 14:20:02 ID:coHS0wyr
937 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 15:42:47 ID:coHS0wyr
938 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 15:43:48 ID:coHS0wyr
939 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 16:04:18 ID:coHS0wyr
940 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 16:21:25 ID:coHS0wyr
941 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 16:55:58 ID:coHS0wyr
942 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 17:09:06 ID:coHS0wyr
943 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 17:28:54 ID:coHS0wyr
944 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 17:44:35 ID:coHS0wyr
945 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 17:47:03 ID:coHS0wyr
946 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 18:17:09 ID:coHS0wyr
947 :
オランダ紀行 :2010/05/25(火) 18:18:37 ID:coHS0wyr
オランダ紀行に登場するヤン・コルテール(Jan Corteel)氏は、奥さんを殺して逮捕されました。
>アントワープ在住日本人女性殺される
>2008年1月23日アントワープ在住の Ishii Yoshimiさんが夫であるJan Corteel(ヤン・コルテール)に
>刺殺された。Ishiiさんはこの2年ほどの間アントワープのカテドラルの清掃をしていた。
>二人は結婚してから9年で近所では仲のよいカップルとの評判であった。
>コルテール氏はアントワープ市観光局の職員。フランダースの犬(ネロとパトラッシュ)をオランダ語に
>翻訳し、ベルギーで広めた功労者で、日本を頻繁に訪れる日本通。
詳細はこちら
http://majocera.exblog.jp/10441360/ 司馬遼太郎によるヤン・コルテールさんの印象
・若い商船士官といった感じの人
・コルテールさんの口もとは、優しげである。
「街道をゆく」に登場する留学生その他の若い人は、その後順調に大学教授に なっておられる人が多いので、こまめに調べていたのですが、その後、犯罪者になって おられたのはヤン・コルテール(Jan Corteel)氏だけでした。
952 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 12:50:05 ID:TKwi4CZ4
953 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 13:05:41 ID:TKwi4CZ4
954 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 13:21:52 ID:TKwi4CZ4
955 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 13:40:28 ID:TKwi4CZ4
956 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 14:02:44 ID:TKwi4CZ4
957 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 14:21:16 ID:TKwi4CZ4
959 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 15:05:24 ID:TKwi4CZ4
960 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 15:28:23 ID:TKwi4CZ4
961 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 16:03:37 ID:TKwi4CZ4
962 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 16:19:59 ID:TKwi4CZ4
963 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 16:20:46 ID:TKwi4CZ4
オランダは、技術を怠りつつあった。カネがカネを生むという金融のほうに浮かれ、 製造業をおろそかにしはじめたために、英国とのあいだに工業技術の差が大きく なりはじめていたのである。 ピョートルはそういう潮境を見た。
965 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 18:04:58 ID:TKwi4CZ4
966 :
オランダ紀行 :2010/05/26(水) 18:23:59 ID:TKwi4CZ4
>>955 銅像は、アントワープの町の中心から5kmほど南にあるホーボーケン(Hoborken)にある。
ここがネロとパトラッシュたちが住んでいた村であろうと推定したのは、かの有名な
アントワープ市観光局職員ヤン・コルテール氏である。
「オランダ紀行」には正確な地名が明記されていなかったが、司馬さんはこの地を訪れて、
「くそつまらん銅像」と言っている。無理やり連れて行ったヤン・コルテール氏に良い印象
をもたなかったのかもしれない。その後、ヤン・コルテール氏の話題はいっさい登場しない。
968 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 13:25:58 ID:uwXDIRam
969 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 13:39:31 ID:uwXDIRam
970 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 14:15:54 ID:uwXDIRam
〔入念村にゆくまで〕 1853年 フィンセント・ファン・ゴッホ、北ブラバント地方フロート・ズンデルト村で生まれる。 1869年 画商グーピル商会(伯父の会社)ハーグ支店に勤務。 1873年 ロンドン支店に勤務。 1875年 パリ支店に勤務。 1876年 グーピル商会を解雇される。 イギリス、ラムズゲイトへ赴き寄宿学校に勤める。 1877年 ドルトレヒトの書店に補助員として勤務。 1878年 ブリュッセルの伝道師養成学で3ヶ月学ぶ。 1879年 ブリュッセルの伝道本部から解任される。 1880年 画家になる決心をする。 1882年 娼婦シーンと出会い、ハーグで同棲。 1883年 いわゆるニューネン時代。マルホット。 1885年 父、死亡。アントワープへ向かう。「馬鈴薯を食べる人たち」 1886年 美術学校に入学するが、一ヶ月で退学。 パリのテオのアパートへ。 1888年 2月 南フランス、アルルへ旅立つ。 12月 耳切り事件。病院に収容される。娼婦ラシェル。 1889年 4月 テオ結婚。妻ヨハンナ。 1890年 7月 ピストル自殺を図り、2日後死亡(37歳)。
971 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 14:29:31 ID:uwXDIRam
972 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 14:43:47 ID:uwXDIRam
973 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 15:08:57 ID:uwXDIRam
974 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 15:29:13 ID:uwXDIRam
975 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 16:24:20 ID:uwXDIRam
976 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 16:39:24 ID:uwXDIRam
977 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 16:57:44 ID:uwXDIRam
ゴッホのころ、すでに写真機が出現していた。 画家たちは写実力の上で寝そべっているわけにはいかなくなり、ゴッホのように精神 へむかうか、もしくは同時代のセザンヌのように、自然がもつ形を抽象してそれらを絵画 のなかで再結合させるか、どちらかしかなかった。
979 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 17:30:44 ID:uwXDIRam
980 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 17:40:17 ID:uwXDIRam
981 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 18:15:08 ID:uwXDIRam
982 :
オランダ紀行 :2010/05/27(木) 18:16:02 ID:uwXDIRam
ゴッホのところは「街道をゆく」にしては珍しく一人の人物にかなりのページを割いて いるのだが、映画「炎の人」では出番が多かったゴーギャンがまったく出てこない。 ここは戸惑うところだ。 耳切り事件は作中何度も出てくるが、この時期ゴッホとゴーギャンが同居生活をして いたのは間違いないところ。近時、耳切り事件については、ゴッホとゴーギャンが 馴染みの娼婦を巡って口論となり、激昂したゴーギャンが剃刀を手に取りゴッホの耳を 切り落としたとする新説が唱えられている。その真偽を確かめようもないから、スルー したのかな?
986 :
オランダ紀行 :2010/05/28(金) 13:11:45 ID:VMX7Hyfq
987 :
オランダ紀行 :2010/05/28(金) 13:12:33 ID:VMX7Hyfq
988 :
オランダ紀行 :2010/05/28(金) 13:47:25 ID:VMX7Hyfq
989 :
オランダ紀行 :2010/05/28(金) 13:52:38 ID:VMX7Hyfq
990 :
オランダ紀行 :2010/05/28(金) 13:58:12 ID:VMX7Hyfq
アムステルダムの建物の間口が狭く背が高い理由が理解できた。 かつて間口税があったということは知らなかったな。
トキノキもクヌギ(どんぐり)も、漢字で書くと「橡」なんだが、別の木なんだな。
ときどき書き込みが虚空に消えるという怪奇現象が起きる。
全集の月報に載っている「僕と司馬さんの想い出」といった趣のエッセイは、 くそつまらん。司馬の文章は情報量がおおくてもスーっと頭に入ってくるが、 こいつらのエッセイは内容がないくせに読みにくい。第一期の頃はまだしも 読み応えのあるエッセイが多かったが、第三期はひどい。
第一期は司馬の談話速記だから面白かったわな。
昭和40年代までの作品は、日本史を大づかみにしたような余談がウケていたが、 街道の日本史コーナーは細かい話が多い。世界史コーナーは大づかみで面白い。
毛利敬親は、もとの名は慶親。 元治元年(1864)8月24日、蛤御門の変により朝敵とされ、幕府の意向により勅命にて官位解官。 諱の慶の字を幕府から剥奪され、敬親と改める。
江戸時代の子供は「ゆらさんこっち、手の鳴るほうへ」と囃して鬼ごっこをしていたようだ。 祇園で遊ぶ由良之助(大石蔵之助)に因んだものだろう。〜『仮名手本忠臣蔵』〜
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この名無しがすごい! :2010/05/28(金) 17:56:34 ID:VMX7Hyfq
1000なら鳩山内閣瓦解
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