>>91 >続きが読みたいかどうか
七不思議云々のあたりで挫折した。展開が遅すぎる。
タイトルや冒頭には惹かれた。それだけに話の進まなさが苦痛になる。
「この物語は、つまりそういうお話である」って書いてるのに「そういうお話」が始まらないのって詐欺だよ詐欺。
>文章はこれで良いのかどうか
ダッシュを減らせばいいと思う。逆に言うとダッシュがうっとおしすぎる。
>そのほかご意見がありましたなら、できれば頂戴したいです
「本家のクドラク」って言われてもなんのことかわからなかった。
人を傷つけてきたのにフランクで交流があって独特な思考は人には受け入れられないけど
日夜バトルしてる。ってのはよくわからなかった。
そのへん考えて冒頭だけ改稿してみた。
ルーマニアの山奥に、クードラックという吸血鬼の一族がいる。
彼らはクードラックと名乗っているが、よく似た名前の吸血鬼、「クドラク」とはまったくの別物である。
クドラクは強い。
狼や牛に変身できる。相手が白い羊膜を左脇の下に挟むか羊膜を粉にして飲むかしていない限り絶対に負けない。
クードラックは弱い。
コウモリにしか変身できない。銀で死ぬ。十字架で死ぬ。川でも溺れ死ぬ。にんにくでも死ぬ。太陽とか無理。一瞬で灰になる。
また、クードラックは、「少年マンガな展開が大好き」という微妙に厄介な点こそあるが、カルパチアの水と緑をこよなく愛する気のよいのんきなバケモノである。
しかし彼らも吸血鬼。
胸の底から湧きあがる血の欲求には逆らえない。
他者の血を媒介にして使う魔法・「血魔術(ブラドスペル)」を半年に一回は使わなければ麻薬の禁断症状にも似た症状を起こしてしまう、実に悲しいバケモノ体質。
彼らは二十世紀の中頃になるまで「呪われた血の定めが私を動かすのだよ……」と、微妙に酔いつつ思い悩みながら、無数の極悪人を傷つけてきた。
極悪人ならいいじゃない。
そう思うのは人間の浅はかさである。
彼らは好きで極悪人を襲っているが好きで極悪人を襲っているのではない。
極悪人を襲わなければ自分たちが死ぬ。悪に生かされている。悪が滅べば自分も滅ぶ。悪よ滅べと叫べない。
そういう青年マンガな展開は、彼らにとっては実に重く、苦しい、深刻な問題だった。
それゆえ、二十世紀の中頃、その事情をなんとかできる技術が発見された時、彼らはもう飛びあがって喜んだ。
人に対してフランクであったが故に交流があり、その結果として生まれた「元の血を増やす」血魔法。
種芋ならぬ種血を作ってダムにでも溜めておけば無闇に極悪人を襲える。襲いたい時に襲える。悪よ滅べと笑顔で叫べる。
「らいばる」と認めるに至った人間と、思うがままに少年マンガな戦いを楽しめる。
戦うと言っても殺しあう必要はない。
平和の中にも戦いの材料はころがっている。
陶芸。
剣術。
学問。
料理。
――が。
当然と言えば当然のお話だが、彼らの色々な意味で独特な思考を頑なに受け入れない人種も存在する。
例えば、自分たちを吸血鬼退治の英雄「クルースニク」になぞらえ、クードラックを監視してきた対吸血鬼組織・ファーヴィス家。
ルーマニアを陰で支配しているとすら囁かれているかの一族は、二十一世紀の今になっても彼らへの警戒を解いていない。
自分たちがライバルとなり無駄な被害を防ぐという信念の元、
陶芸。
剣術。
学問。
料理。
今日も今日とてあらゆるジャンルで至って真剣に彼らと戦っている。
人々はそんな彼らの戦いを、ほのぼのとした目でみつめ、時には熱い声援を送ったりする。
――だが。
かの一族の懸念は、実は正しかったのかもしれない。
もし、ある所に、カッコいい少年漫画的ラスボスを目指すクードラックがいたとしたら。
もし、ある所に、クードラックのライバル欲を過剰に引き立てる天才的軍略家がいたとしたら。
つまるところ、これはそういうお話である。