読書感想、交換日記、日々の出来事、雑談、などを楽しむスレです♪
タイトルはわたしの好きな作家へのオマージュです。
初めてこの板を覗いてみました。
この板の紹介文には、
「ここは読書初心者から活字中毒者まで、本に興味を持つ者達が
ジャンルを越えて集まり、様々な書籍、数々の文芸作品について語り合う板です。
他の文芸・書籍関連板で扱えない話題(雑談、各種ネタ、議論など)も扱います」
とありますね。
ということは、長文の読書感想、感想文の交換日記も許可されているという
ことでしょうかね♪
全スレ数は223.
このくらいのほうがゆったりとしていていいですね。
少なすぎもせず、多すぎもせず、川の流れのようにゆるやかに。
さてさて、新スレは最初の20レスが勝負です。
即死判定しないようがんばります♪
タイトルはわたしの好きな作家へのオマージュです。
このタイトルだけで作家の名前がわかったあなた、
この作家のファン検定に合格です♪
閑話休題
ここはちょっとした雑談も楽しめるサロンです。
読書感想を綴る前に少し身辺日記を。
4月28日は府中市美術館に行ってきました。
「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」を観てきました。
何よりも「型」を大事にする江戸絵画は見たまま、ありのままを描かない。
富士山ならば左右対称のなだらかな線が定型。
そして、松。
そこにあるのは、「こうあるべき」優美な富士山の姿。
ただただひたすらに美しい。
「動」ではなく「静」の世界。
おそらく、「型」にはめて描けば修業さえ積めば巨匠と同じくらいに
なれるでしょう。
いわば、巨匠の弟子というよりもコピーに近い存在かもしれません。
後継者、伝統の承継者とは歌舞伎を始めとにかく「型」が命の世界。
眼前の風景が風光明媚ではなくとも、型にはめることで同じように美しい
風景画が描けます。
長い間、日本ではそうした「型」が大切にされ、それが「あるべき」日本絵画
だったのでしょうね。
「型」にはめるとは、その人の本来の個性を消すことですから、最近のテーマ、
バルトの作者の「死」に通じているようなところがありますね。
万葉集の「よみ人知らず」といい、江戸絵画の「型」といい、日本の詩歌や
絵画は自ずと「読者の誕生」を奨励していたふしが伺えます。
そうそう、江戸絵画のなかに浦上玉堂の作品がいくつかありました!
前に千葉美術館に観にいきました。
力強くてエロティックでそしてユーモラスな画風は一度見たら忘れられない。。。
他の作品がお行儀良く鎮座しているなかで、玉堂の作品は伸び伸びと
胡坐をかいている感じ。
小泉斐「黒羽城西之図」は夕景に白鷺が飛んでいて幽玄な美しさでした。
「型」の美そのものでした。
群れをなして飛ぶ白鷺の翼の白さは、薄墨色の夕景の空にくっきりと映えて
この世のものとは思えない。
どこか別天地から来た羽衣のようにも見えました……。
「常設展 明治から昭和の洋画」も併設されていたので見てきました。
一番印象に残ったのは、司馬江漢「犬に木蓮図」。
木蓮の花の下で犬が寝そべっています。
犬の長い尾はゆるやかな弧を描き地面についています。
眼は閉じているのか、まどろんでいるのか、笑っているようです。
木蓮は早春の花、この犬は春に先駆けて咲く木蓮の花の下で
穏やかな夢を見ているかのよう。
この絵を見ていてこんな和歌が脳裏をよぎりました。
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
もしかして、この犬は死んでいるのかもしれません。
願ったように花の真下で。。。
犬の穏やかな表情は、平和な死を現わしているような……。
鳥と花、鹿と山、虎と竹、(北斎は「虎と月」)などは日本絵画の
典型的な組み合わせですが、「犬と花」は初めて見ました。
犬の幸福な表情と木蓮という組み合わせに作者の「創意」が感じられますね。
美術館は府中森の公園のなかあったので、帰りは公園の芝生にシートを
敷いていつも通りの読書、食事、お昼寝。
葉桜のみどりが風に揺れて、新緑の季節の到来を告げていました。
今日は風が強かったけれど、快晴だったのでとても気持ちよい一日でした♪
「冬の夜ひとりの旅人が」未だ読了せず。。。嗚呼!
この分だと連休に持ち越しそう、、、
(「ドラキュラ・ドラキュラ」も借りてきたので、これは完全に連休用)
葉桜のみどりが風に揺れて、新緑の季節の到来を告げていました。
今日は風が強かったけれど、快晴だったのでとても気持ちよい一日でした♪
日差しがかなり強くなりましたね。外出用に日よけ帽子を買いました。
つばの長さが12cmあり、小さく折りたためます。
ところで、ガーデニングするときは軍手をし、帽子を被られるのでしょうか?
土に触れている人の手はとても好きです♪
ナンシーの著作(あえて書名は伏せます…)についてのコメント、感謝です。
これについてのレスが書き上がっておりますが、諸事情により
しばらく様子を見てからupしますね。ご了承ください。
場所はこちらか、あるいはあちらか、今しばらく審議中。。。
>もうすぐバラのオンシーズンだね。
>うちのバラも蕾をつけ始めて5月には咲きそうだよ。
駅の構内のプランターにはミニバラも植えられていますよ♪
ミニバラは小さくて可愛いですね〜♪
今、気がついたのですがこの板って一度に連投20回くらいまで
OKなのですね!
今まで長文の読書感想をupするとき、とても気を使っていました。
なるべく規定値以内に収めなければならないという制限つきでしたので、、、
しかもあらゆるジャンルの本について自由に語ることが許されているなんて!
すごい板ですね!
初めて訪れましたが、感涙ものですよ!
まさにサロンと呼ぶのにふさわしいです♪
次回からは本の感想について少しずつ綴ってゆく予定です。
ここかね?
書きこめるかな?
昨日&一昨日はアクセス規制だったけど、もう解除になったみたいだ。
>>21 ここのようだよ。
例の奴の予定はどんな感じ?
それにしても、こういう板があるってのは知らなかったナ。
さっと見たところ、ラノベ系が多そうかな。
>>20 「連投20回」ってのはスゴイね。
水を得た魚になりそうな予感。。。(笑
あっちのほうは約1名ストーカーっぽいのがきたようだけど
まあしばらく放置すれば消えるだろうね。
第八官界か。
五感を超え、第六感も超えた感性の世界。
翠はスピリチュアリストたちからも
リスペクトされそうだ。
>>23 ひさしぶりだ。例の奴はデータ作成に入ったところだ。
入荷はやはり6月だな。
おれもここは初めて来た。
リンク踏んで来てるから未だにカテゴリもわからんw
>>20 めっちゃ喜んでるなww
あっちのストーカーはたぶん男の方で、あれはおれ宛だと思う。
すまんな。
ようこそ、新スレへ♪
巡礼者の如く、いろんな板を開拓するのもいいかなあ、と。
隠れ家&避難所はあちこちにあったほうが何かあったとき便利ですよね。
連休は帰省してました。
新緑の季節で一番いいときですよね♪
今回は山菜をたくさん食べてきましたよ。
裏山の竹林で母と一緒に孟宗筍(もうそうだけ)を採りました。
母が先に1本目を見つけ、2本目はわたしが見つけました。
(ちなみに父は前日に3本採取…)
郷里で山菜づくしのお惣菜をたっぷり食べてきました。
ウドのお味噌汁と酢味噌和え、蕨のお味噌汁とお浸し、
キャラ蕗、筍とニシンの煮付けと筍汁。
どれもこれもとても美味しかったですよん。
曽祖父が遺してくれた山、自然の恵みですね〜♪
◆WNrWKtkPz.さん
>「連投20回」ってのはスゴイね。
>水を得た魚になりそうな予感。。。(笑
本当にびっくりですね〜
わたしが今まで知っている板は最高でも確か10レスくらいで連投規制でしたから。
ここは、学問板にありがちなアタマデッカチの上から目線もないみたいですし、
率直な読書感想を自由に綴ってゆけそうですよ♪
>第八官界か。
>五感を超え、第六感も超えた感性の世界。
>翠はスピリチュアリストたちからも リスペクトされそうだ。
そう、ここでは感性と想像力とが自由に飛翔する世界。
柔軟であればあるほど、自身の第八官界が喚起される世界。
ようこそ、第八官界へ!
別スレからの引用・転載失礼します。
諸事情によりこちらで返レスいたします。
(様子見であちこちスレッドが移動するかもしれませんが…)
>まず、この触覚と視覚を重ねて考えると
>ナンシーの「ノリ・メ・タンゲレ」から感じるのは
>オルフェウスの神話や鶴の恩返しの民話にも共通するような、
>見ること(知ること)への禁止にも似た
>触れることへの禁止だね。
なるほど、神話からきているのですね!
そういえば旧約聖書のなかにも後ろを振り返ってはならないという
タヴーを破ったがために妻は塩の柱になってしまったお話があります。
――命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。
山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」(創世記19:17)
「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、
これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな
滅ぼされてしまう――(創世記 19:24-26)
人は禁止されたことを破ってみたいサガなのですね。
>「触れるな」=「引き留めるな」という解釈だね。
ああ、なるほど!
確かに指摘されてみればそうですね。
「わたし」=「真理」を引き留めるな、なぜなら「真理」はすでに出発して
しまっているのだから。
こう解釈したほうがわかりやすですね。
>それにしてもこれだけ引用をたくさん入れて
>感想を書いてもらうと非常に助かるなあ。
ありがとうございます!
いえ、わたしは図書館から借りて読んでいるので、期限がきたら返却
しなければならないのですよ。
本がずっと手元に残るわけではないので、印象に残ったところは付箋を貼って
ワードに書き写していっているだけなのですね。
まあ、いってみれば覚え書きみたいなものです。
>復活の享受、そして出発の受苦はほとんど同時だ。
鋭いですね!
法悦と受苦の同時性はバタイユも提唱していました。
真の法悦は受苦と同一地点、同一の瞬間にしか存在しない。
陰と陽、光と影、真夜中の正午は同一であり、一方だけでは成り立たない。
それは真理と懐疑がつねに背中合わせであることを示唆していると
いえましょうね。
ゴーダ・カズンドさん
ようこそ新スレへ!
>ひさしぶりだ。例の奴はデータ作成に入ったところだ。
>入荷はやはり6月だな。
おおっっ! 今から楽しみにしてますよん♪
「紫陽花や新刊待ちて夢心地」
>あっちのストーカーはたぶん男の方で、あれはおれ宛だと思う。
>すまんな。
どういたしまして♪
かえってよかったです。このような板があることが発見できて。
あちらは一応学問板で、学究の徒のためにあるような板ですから、
感想文ははたして許されるのかなあ、と内心ひやひやものでしたから。。。
一般書籍板も覗いてみたのですが、全スレ数がすでに700超えていて
新スレ立てにくい雰囲気でした。
だから、ここを発見したとき、とてもうれしかったですね〜♪
災い転じて福となす、人生まさに塞翁が馬♪
転んでもタダでは起きないよん♪ エヘッ♪
「ドラキュラ・ドラキュラ」読了。
短編集ということで全体に小粒の作品が多かったけれども
それぞれの作家の色合いを楽しむことができました。
吸血鬼伝説は今も昔も書き手読み手双方の想像力を掻き立ててやまない
ようですね。
男女それぞれのペアが必ず登場するのが定番。
男が年配、女が若い組み合わせが多かったような気がします。
吸血鬼は若い女性だったり、年配の男性だったりします。
古城、墓地、醜怪な容貌(稀に美女もいたけど…)、夜毎出歩く、
この辺はほぼ右へ倣えです。
伝説上の吸血鬼の実在を真っ向から否定したのがドイル。
さすが推理作家の巨匠!
実父と前妻の間に生まれた少年が犯人。。。
彼は実父と継母の間に生まれた赤ちゃんへ嫉妬するあまり、赤ちゃんと
継母に殺意を抱きます。
彼はかなりの知能犯で、継母が吸血鬼だと周囲に思わせるように姦計し
赤ちゃん殺害を企てるのです。
探偵は少年の嫉妬と殺意に気づくと、ことを穏便に運びます。
いくつかの短編では、吸血鬼が直接血を吸わなくともターゲットを催眠術、
眼力を使って殺す場面が印象的でした。
オペラ座の歌姫は老公爵吸血鬼に執拗につきまとわれ(彼女が歌う舞台には
どこにでも現れ、ひたすら見つめる…)、公爵が直接手を下すことなく
ただ、桟敷席から見ているだけでショック死させています。。。
吸血鬼と聞くと、棺、十字架、にんにく、蝙蝠といったわかりやすい連想を
しますね。
この短編集はそうした読者の連想を裏切ることなく、なかなか楽しませて
くれます。
古色蒼然の館や牙のような犬歯、鋭い眼光、不敵な笑い、昼夜問わず
羽織っている黒いマント、まさしくホラー・スターの王道ですね。
ただ、読者の視覚に訴える点においては、醜怪な老公爵が生き血を吸う
光景よりは、うら若き美女が髪を振り乱して吸うさまのほうが壮絶で凄みが
ありますね。
(日本では四谷怪談がこの手の王道!)
死者が蘇る、不死という設定はイエスの復活を意識しているのは明らかですが
イエスは「神」、「光」の側に立つものであるのに対し、吸血鬼は「悪魔」、「闇」の
側の存在。
それにしても、古今東西、吸血鬼と若き美女との禁断の恋愛は何と多く
書かれてきたことでしょう!
忌むべき存在の吸血鬼が美女に恋をする、美女は恐れて死んでしまう、
この定番劇が受ける理由として、
美女は若くして亡くなるがゆえに美しいまま永遠に年をとらない、
恐れ慄きつつもこころのどこかで吸血鬼への好奇心というか
相反する愛情がある、
う〜ん、2番目は何だか美女と野獣をほうふつさせますねえ。。。
イタロ・カルヴィーノ「冬の夜ひとりの旅人が」読了。
何と斬新的な小説だろう! というのが第一の感想。
作者がこれから書こうとしている小説の紹介に始まり、次にその本を
とある本屋でひとりの男性読者が手にする。
同じ本をひとりの女性読者も手にする。
男性読者は何とかこの女性読者に近づきたくて本を口実に彼女の電話番号を
聞き出す。一応、読後の感想を互いに分かち合いたくて、は常套手段。
これはなかなかうまい口説き方だと思う。。。
しかし、肝心な本は乱丁本で物語がいきなり途切れて白紙のページが続いたり、
また、まったく異なる物語が介入していたりとトンデモナイ本なのであった。
感想を話し合おうにも先ずは出版社に抗議することが先決となっていく。
そうしたいきさつの後、乱丁が解決されないままに、本編が始まる。
この本編はいくつかの物語が途切れ途切れに同時進行していく。
それはまさにプロローグで男性読者と女性読者がこの作者の本を購入して
体験したこととまったく同じことを、わたしたち実際の読者が追体験していくのである。
脱獄囚とその情婦、流行作家と寡作な作家、などなどいくつかの物語が
とぎれとぎれに語られていく。
わたしたち実際の読者は物語が佳境に入った途端に毎回ぶつっと半ば暴力的に
切られてしまうので、男性読者同様「いったい何なんだ! せっかくいいところなのに、
早くつづきを読ませろ!」となるわけである。
無論、これは作者の意図であることは明らかである。
わたしたち→本の中の男性読者の物語→本の中の物語
二重構造の小説はなかなかスリリングで面白い。
小説の面白さには二種類ある。
ひとつめは、書かれている内容や物語そのものが面白いこと。
(大河長編ロマン派と呼ぶべきか…)
もうひとつは、物語の構造や、物語とはあまり関係の無い細部のこと、
――思わず吐露した作者の素の意見、などが面白いこと。
「冬の夜ひとりの旅人が」はまぎれもなく後者である。
この小説を読んで、「どこかで似たような構造の作品を読んだなあ…」と
思い至った。
その小説の名はマリオ・バルガス=リョサの「フリアとシナリオライター」である。
物語の本編の中に、ラジオドラマ用の劇中劇が何篇か収められ、
同時進行していくという設定の作品であった。
「冬の夜ひとりの旅人が」もまさしく同じ手法をとっており、男性読者と
女性読者のふたりの主人公が劇中劇を辿り、わたしたちがさらに外側から
劇中劇を含めた全体像を辿るという仕組みである。
「フリアとシナリオライター」はドタバタしたわかりやすいラブコメディであるが、
「冬の夜ひとりの旅人が」は読者を煙に巻き、作者の掌の上で読者は
転がされているような印象を受けた。
そうした作者の遊びごころを受け止められる寛容で好奇心に富んだ読者で
あればこの小説を充分に楽しめるだろう。
そうでない読者は冒頭で投げ出してしまうか、あるいは劇中劇がぶつ切りで
断ち切られてしまうことで怒り心頭に達してしまうだろう。
それはさておき、カルヴィーノはお遊びのなかで時おりちらりと「書くこと」の
苦痛を吐露している。
わたしの興味を惹いたのはまさにその箇所である。
以下、少し長くなりますが第八章を引用します。
――読者たちは私の搾取者、吸血鬼だ。読者の群れが私の肩越しに覗きこみ、
紙の上に言葉が沈殿するのを次々と横領してしまうのを私は感じる。
誰か見ている者がいると私は書けない、私が書いているものが私のものでは
なくなるように感じるからだ。
私は消えてしまいたくなる――(p217)
――自分というものがなければどんなによく書けることだろう!
白い紙とそして自然発酵し、形造られ、誰もそれを書かずに消えて行く言葉や
物語の間にあの厄介な私という存在が介在しなければ!
文体や、好みや、個人的哲学や、主体性や、教養や、生活体験や、心理や、
才能や、作家としての粉飾など、私が書くものを私のものとして認めさすことに
なるこうしたあらゆる要素が私の可能性を限定してしまう檻のようなものに
思えるのである。
私がただ一本の手だけだったなら……誰がその手を動かすのだろうか?
無名の群集だろうか? 時代精神だろうか? 私にはわからない。
だがそれは私が自分自身を抹消したいなにか言い知れぬものの
代弁者になりうるようにと思ってではない。
ただ書かれることを待っている書きうることを、誰も語らない語りうることを
伝えるためである――(p217-218)
――時々私はすでに存在しているなにかが書くべき本の題材だと考える。
すでに考えられた思想、すでに口にされた会話、すでに起こった出来事、
目で見た場所や雰囲気など、本は書かれていない世界を文字にした移した
もの以外であってはならないのではなかろうかと。
また時には反対に書くべき本とすでに存在している事柄との間にはただ一種の
相補関係しかあり得ないのだ、というふうにも思えるのだ。
本は書かれていない世界の世界の書かれた相補部分でなければならず、
その題材は存在もせず、また書かれていない限り存在し得ないものでなければ
ならないのだが、しかしそれがかけていることを存在しているものが自己の
不完全さの中におぼろに感じているようなものでもなければならないのだと。
――(p218)
――いずれにしても私は書かれていない世界と私が書かねばならならぬ本との
相互関係を考えて堂々めぐりを続けているのだ。
そのために書くということが私を押し潰しそうな重圧をともなう作業となってくる
のだ――(p218)
「読者たちは私の搾取者、吸血鬼だ」と指摘する≪書き手≫であるカルヴィーノの
言葉はブランショが「謎の男トマ」で≪読み手≫である私が言葉というカマキリに
よって喰われるのと、立場は異なるが互いを抹消し合うという点では同じである。
つまり、≪読み手≫は≪書き手≫である作者を殺す (カルヴィーノ)、
≪書き手≫の言葉は≪読み手≫であるわたしを殺す(ブランショ)。
ところで、ブランショは「書く」行為のなかでわたしは抹消され、また、書かれた
言葉によって読者も殺されるという両方の見識がある。
言葉の殺人の連鎖である。
「書く」という行為のみを徹底して極めた「私についてこなかった男」、
その書かれた言葉によって読み手が抹消される「謎の男トマ」。
カルヴィーノは書き手は搾取される一方だと、要求ばかりする読者を責めている
ふしがある。
こうして見ると、ブランショはカルヴィーノより俯瞰的な視点(書き手、読み手を
超えてさらに高いところから見渡せる眼)をもっていることが窺われる。
劇中劇に多作型作家と創作に難渋する対照的な作家を登場させることで、
カルヴィーノは自らを風刺しているふしが窺われる。
この対照的なふたりの作家は互いの動向を始終望遠鏡で見張り、
相手をあっといわせるような作品を書きたいとお互いに目論んでいる。
ふたりの作家とはどちらもカルヴィーノの分身であろう。
多作型作家は読み捨てられるものばかりではなく、文学価値のある作品を
書くことを切望し、創作に難渋する作家は一度でいいからベストセラー小説を書いて
世間に広く読まれることを渇望している。
通俗小説家の文学への憧れと純文作家の認知度への欲望。
両方の資質を兼ね備えている作家はまことに稀有な存在といえよう……。
さてさてここで表題について。
「冬の夜ひとりの旅人が」という小説はこのタイトルではあるが、
このタイトルが表わす小説は作品のなかで、完結していないことに
読後に気づくのである。(出だしのみがほんの数ページのみ語られる…)
つまり、タイトルの示す作品は実は不在というわけである!
幻の書という位置づけはなかなか興味深い。
脇功氏の解説には、「男性読者は作者の分身であり、女性読者は理想の
読者である」とある。
理想の読者とは、書かれていることをあるがままに読む読者である、という。
……ということは、あれこれ詮索し、勝手な想像力を駆使する読者は
書き手にとっては邪道ということでしょうかね。。。(汗、汗、汗、、、
書き手が書いたように書かれたとおりに読む読者か……。
わたしは、これにはやはり異論を唱えたいのですね。
なぜなら、言葉はつねに嘘をつくものであり、人は正直にありのままに書くこと
は実は不可能だからです。
書き手は書く時点で必ず読み手の視線、思惑を意識しています。
それがたとえプライベートな日記を綴るときでも、です。
書くことは、書かれたことがどう読まれるかという意識抜きにしては成り立たない
行為です。
また、作者が書いていないこと、つまり行間を自由に想像しながら読むのは
読み手の特権のひとつでもあるのですね。
(白い空間、行間に込められた作者の思惑をあれこれ想像するのはなかなか
楽しいのです♪)
ラスト、男性読者と女性読者はめでたく結ばれ、結婚します。
書き手と読み手の理想的な結末ですね。
まあ、ここでいう「結婚」とは比喩ですが、つまり、書き手にとって最高の
読み手とは最後まで本を放り出さず読み通してくれる読者であり、
尚且つ、作者を肯定してくれる読者でしょう。
肯定する、とは批判するなということではありません。
あれこれ不満や難点はあるけれども、それらを全部ひっくるめた上で作品を、
作者を受け入れる姿勢のことです。
事実、この女性読者はいくつかの物語、劇中劇が登場してもいつも途中で
途切れていることに苛立ちや不満を唱えています。
にも拘わらず果敢にも最後までこの不可解な「冬の夜ひとりの旅人が」を
読み通しているではありませんか。
作者があの手この手で弄しても最後まで完読する読者。
う〜ん、まさに理想の同伴者です……。
(「私について来なかった男」の彼=同伴者は作品が完成すると
同時に消えてしまいましたね……)
タイトルの「冬の夜ひとりの旅人が」の旅人とは「あなた」と作者に
呼びかけられたひとりの読者、わたしのことである。
読書とは旅をすることに他ならないのだから。
読むスピードも、感受性も各々異なる以上、たとえ皆と同時に同じ本を
読んでいても、読んでいるときはわたしはひとりきりである。
とある冬の夜にひとりの旅人=わたしがカルヴィーノの本を求めて
やってきた。
本の中で繰り広げられる世界は男性読者と女性読者との奇妙な掛け合い。
繰り返されるのはいくつかの物語の断片と中断。
わたしは頭が混乱してしまう。
そして前途多難な旅に吐息をつく。
まして、季節は冬。旅をつづけるには最も困難な季節である。
わたしは物語の中断による苛立ちと不満を抱えながら果たして最後まで
完走できるのだろうか?
この旅はわたしの寛容さと忍耐強さが試される奇妙な旅である。
作者はわたしを放任したままだ。。。
旅人とは男性読者であり、女性読者であり、多作型作家であり、
創作に難渋する対照的な作家である。
たとえ読み手がいなくても作り手は存在しうるが、作り手がいなければ読み手は
誕生できない。
創作において作り手は最強であり、まさに神である!
創作者たちが苦悩し苦渋しながらも冬の旅をつづける理由がここにある。
自らの世界を創造し、創作しうる者は皆、あらゆるジャンルを超えて、
神に等しい存在なのだ。
カルヴィーノはジャンル分けすると幻想作家に属するとのこと。
短編集「魔法の庭」、長編「冬の夜ひとりの旅人が」を読む限り、
危うげな美しさを連想させる幻想世界というよりも、摩訶不思議な奇妙な空想の
世界に遊ぶ作家であるという印象を受ける。
イタリアという陽気なお国柄も反映されてか、幻想という言葉から想起される
妖しい美の世界、夢か現か境界のつかない曖昧な世界、手に触れた途端に
消えてしまう儚い不確かな世界、といった夢うつつの要素から離れた作家で
ある。
斬新な手法を用いた「冬の夜ひとりの旅人が」、イタリアの陽気でいたずら盛りの
少年たちが生き生きと描かれた「魔法の庭」。
青々としたナポリ湾と負けないくらいの空の色、絶えず降り注ぐ強い陽光。
どこまでも突き抜けた明るいイメージが漂う。
まあ、でも幻想の世界とは夕闇や真夜中の物の怪が跋扈することが限定では
ない。(日本の民話では夕方の時間帯は昼と夜のあわいにあり、神隠しに
遭うとされているが…)
人は昼の白日の光のなかにおいても白昼夢を視るし、狂気に陥るのだ。
柳田国男は幼年時代、稲荷神社で祭ってあった石の珠を見て
空中に突然光の渦が現れ、気が触れそうになったという。
また、昼下がりに沖合いの海を眺めていたら、白虎隊の一行がふいに波間に
現れ、高く旗を掲げて海の中を行進していく幻を視たという。
これもひとつの幻想といえるのだろう。
閑話休題。
カルヴィーノは色彩に喩えるならば鮮やかな原色であろう。
幻想文学の持つ中間色、淡いモノトーンの作家ではない。
読者を楽しませてくれるサービス精神がある。
同じイタリア人でありながら、人生の不条理を深く重く描いたブッツァーティーとは
対照的である。
とはいえ、カルヴィーノの描く不思議で奇妙な世界とは、実人生の重みの上に
成り立っていることを忘れてはならない。
真夜中の闇の暗さや深さが人生そのものならば、
燦燦と光の降り注ぐ陽気でユーモアに満ちた世界もまた人生の持つ
もうひとつの顔なのである。
「魔法の庭」に紛れ込んだ少年は欲しいものが次々とお膳立てされ
用意されていることにかすかな不安を覚える。
「これは夢なんだ。こんなに至れり尽くせりの世界があるはずがない」と。
欲しいものが出揃った世界で感じる少年の怯えこそが、まさに
幻想の世界なのである。
今ここに無いものを欲するこころ、つまり、何もかも満たされた世界ではなく
何かが欠けている世界を少年は「不安」や「怯え」という形で欲している
のだから。。。
しかし、何と皮肉な逆転発想だろう!
通常、人は窮乏の世界で満たされた世界を想像するのに、、、
つまり、わたしたちは誰もかもが「しあわせだと怖い」のである。
いつ、このしあわせが崩れるか、奪われるか、不安で仕方ないのだ。
しあわせを欲しながらも、しあわせを享受するようには
生まれついていないのだ。。。
――それでは。
今日、カルヴィーノの「木のぼり男爵」借りてきました♪
うわぁー、いっぱい書いてある(汗&笑
とりあえず前のほうのレスに対して。
>>7 >歌舞伎を始めとにかく「型」が命の世界。
昔は型なんてどーでもいいと思ってたけど、
やっぱ、良くも悪くも「型」は生命線だね。
「型」がわかってないと「型破り」も狙えないし。
>>16 >ガーデニングするときは軍手をし、帽子を被られるのでしょうか?
厚めのゴム手袋3つをローテーションで。
特にバラはトゲがあるから素手はキツイね。
春夏秋冬無帽だから、夏は日射病気味になってしまう(笑
>>26 >山菜づくしのお惣菜をたっぷり食べてきました。
山菜好きなんだよなー。こごみとかたらのめとか。
>>25 >あれはおれ宛だと思う。
いや、こっちのせいかもしれない(笑
別の場所でも同時期に「らしい」書き込みがあったから
無視しておいたら今のところ静かになってるけどね。
28
>そういえば旧約聖書のなかにも後ろを振り返ってはならないという
>タヴーを破ったがために妻は塩の柱になってしまったお話があります。
ご教示ありがとう!
オルフェウス神話には前から興味があったので。
「ドラキュラ・ドラキュラ」は実は持っていたことが先日判明。
そしてたぶん読んだはず。。。でも探すとなると苦労しそうなんだ。
カルヴィーノ「冬の夜ひとりの旅人が」については次回に。
>>35-47 >何と斬新的な小説だろう! というのが第一の感想。
>二重構造の小説はなかなかスリリングで面白い。
カルヴィーノ「冬の夜ひとりの旅人が」、この小説の構造は面白いよね。
メタフィクションという括りになるけれど、
ただ、奇をてらった入れ子構造というだけではなくて、
いろいろな側面から楽しめる作品になってる。
さまざまな作家の文体模写(パロディ)もあるから、
エンターテイメント性も高いし、
>>38-39で引用されてるように、小説についての小説、
あるいは、書くことについての小説、という側面もある。
>>40でブランショが引き合いに出されているのは慧眼で、
――自分というものがなければどんなによく書けることだろう!
――私がただ一本の手だけだったなら……
というところなんかは、書くことに非人称性を求めたブランショとも共振する、
というか、カルヴィーノはブランショを意識してたかもしれない。
この二人は実は交流があって、
ブランショが国際雑誌を企画したときにカルヴィーノにも声をかけてた。
若葉の季節到来で週末が待ち遠しい今日この頃。
週末はちょっと不安定なお天気でしたね〜
でも五月雨は大好きだから、特にお休みの日は部屋の窓から雨を
眺めたり、雨音を聴いて楽しめるからうれしいです♪
五月晴れはもちろん好きですが、五月雨も大好き♪
5月16日は茨城県の小貝川ふれあい公園にポピーを見に行ってきました。
河川敷一面に植えられたポピー、カスミ草、マーガレット、矢車草。
花々の饗宴は見事でまさに百花繚乱でした♪
その背後には筑波山が聳えていました。
お天気は一日中曇り空でしたが、寒くもなく暑くもなくちょうどいい気候でした。
初めて「つくばエクスプレス」に乗りましたよ。
新しい車両ゆえ内部は広く、きれいな電車です。
下妻で降りてバスで10分程。
バスの運転手さんが話し好きな方で「ここは映画、下妻物語のロケに
使われたんですよ」とのこと。
知ってる、知ってる♪ 嶽本野ばらさん原作で深田恭子さんが主演された
映画です。映画は未見だけど、原作は読みました。
ロリータファッションをこよなく愛する少女とロック少女の友情物語。
>うわぁー、いっぱい書いてある(汗&笑
ついつい、ここ居心地がよくって♪(笑
>やっぱ、良くも悪くも「型」は生命線だね。
>「型」がわかってないと「型破り」も狙えないし。
そうなんですよね。
日本に古来からある和歌、俳句などもあの型、五七五七七、五七五であるから
こそ余韻が出るし、強い感動を与えるのだと思いますね。
一瞬の感動を短い言葉数で詠み込むためには、省略が必要なんですね。
そして、その省略の向こうには実に深いドラマがある!
>厚めのゴム手袋3つをローテーションで。
>特にバラはトゲがあるから素手はキツイね。
>春夏秋冬無帽だから、夏は日射病気味になってしまう(笑
3つをローテーションとはすごいでね!
かなりまめに手入れしているのでしょうね♪
無帽とはまた無謀な、、、
月9のドラマで谷原章介さんがこんな帽子を被ってました♪
↓
http://www.d1.dion.ne.jp/~sjayaco/sayb.html
>山菜好きなんだよなー。こごみとかたらのめとか。
こごみ、亡くなった祖母が好きでしたよ〜
よく胡麻和えにしてくれました。
形がぜんまいに似ているんですよね。
>別の場所でも同時期に「らしい」書き込みがあったから
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!
病的な粘着質。なんだかものすごく可哀想な人ですね、、、
>ご教示ありがとう!
いいえ、どういたしまして♪
>オルフェウス神話には前から興味があったので。
古事記にも「イザナギとイザナミのミコト」のお話がありますね。
黄泉の国の住人になってしまった妻は迎えに来てくれた夫に、
「決してわたしの姿を見ないでください」と言ったのに夫は異形となった醜悪な
妻の姿を我慢しきれずに見てしまいます。
創世記といい、ギリシャ神話といい、そして、古事記といい、
それぞれ国が異なるのに似たような神話があるのですねえ!
>>52 >さまざまな作家の文体模写(パロディ)もあるから、エンターテイメント性も高いし、
日本の作家も登場していましたよね。
揶揄、コメディとエロス満開なところは、漱石、谷崎、永井荷風……?
>カルヴィーノはブランショを意識してたかもしれない。
>この二人は実は交流があって、
>ブランショが国際雑誌を企画したときにカルヴィーノにも声をかけてた。
おおっっ! そうだったのですか。
全体としてパロディ調なのに「書く」ことについての懊悩はやけにシリアス
なんですよね。
そこの部分だけ妙に真摯なタッチで書かれており、
思わずカルヴィーノの本音が出てしまったというか。。。
ただ、これは作家の資質の問題かもしれませんが、「書くこと」について
ブランショが作品を手がけると、非常に難解で哲学的になり、
それが全体のテーマになり得るのに対し、
カルヴィーノの手にかかると、お遊びのなかでふと漏らした作者の本音に
読者は気づかずに通り過ぎていってしまい、読み手は書き手の深刻な悩みなど
受け止めてくれないまま読了してしまうのですよね。
それは、あたかもつねに観衆を笑わせている道化師が、実は化粧した顔の
下で泣いていることなど誰も気づかないのと一緒です。
泣きながら必死で観衆を笑わせている道化師の悲哀はルオーの絵画に
よく登場しますよね。。。
カルヴィーノの作品はユーモラスあり、パロディありで読者を楽しませて
くれますが、実は彼は本の向うで人一倍苦渋していたのではないでしょうか?
「木のぼり男爵」あと少しで読了。
寓話と銘打っていますが、なかなか深い物語ですね。。。
23日の土曜日は京成バラ園に行って来ました♪
無料シャトルバスが出ていて、ものすごい人出でした!
それにしても京成バラ園はバラの数が半端ではないですね。
園内のあらゆるところが、バラに埋め尽くされていました!
今が盛りということで世界中のバラが咲き誇っていました。
園内に一歩足を踏み入れると馥郁としたバラの芳香が。
赤、白、ピンク、紫、黄、あらゆる色合いのバラが一望できました。
ほんと、すごい!
バラ園の回りは芝生のある庭園、自然散策公園となっていて、
自由にシートを敷いて食事したり、お昼寝したりできるようになってました♪
お天気がよかったこともあり、結構、シートを敷いて寛いでいる人たちが
多かったですよ♪
ここは近いからいつものように早起きしなくてもよかった♪
帰りも電車に乗ってすぐに最寄り駅に着いたし。
麗人、佳人のことを大輪の薔薇のような、という比喩がありますが、
まさに間近で見る大輪の薔薇は艶やかで圧倒されます!
気品に満ちていて、一輪だけでも辺りを払うほどの威厳がある。
まさしく、花のなかの女王の座に君臨するにふさわしさ!
持参したタブッキの「インド夜想曲」読了。
おっ、行ったんだね! バラ園。
あそこはホントにすごい。
オンシーズン中のオンシーズンだから、
見ごたえあったろうなー
まだ秋のバラしか見てないから
来週にでも行けたら行きたい!
「木のぼり男爵」はまだ未読なんだけど
「インド夜想曲」はずっと前に読んだ。
この作品かどうか失念したんだけど、
確かブランショの言葉が掲げられていたような。
リンク先の帽子。。。これは遠慮しとくかな(笑
「無謀にも無帽」でいくよ。
つくばエクスプレス、実は乗ったことがない。
休日にゆっくり電車に揺られるのもいいな。
>それぞれ国が異なるのに似たような神話があるのですねえ!
そうなんだよね。
やっぱ人間の根底に横たわる集合無意識みたいなものが
そういうよく似た神話を作らせたのかな、と。
>あそこはホントにすごい。
>オンシーズン中のオンシーズンだから、見ごたえあったろうなー
圧巻のことことに尽きますね!
とにかく園内はバラ、薔薇、ばらづくしです。
苗木の販売もやっているし、本格的なバラ園ですよね。
五月のバラはほんと、優美で美しい♪
>「木のぼり男爵」はまだ未読なんだけど
一応、感想書き上がっていますが、upするのどうしようかな。。。
未読ですとネタバレになってしまうのかな……?
ううむ・・・・・
>「インド夜想曲」はずっと前に読んだ。
>この作品かどうか失念したんだけど、
>確かブランショの言葉が掲げられていたような。
正解ですっ!
いきなり冒頭に掲げられていてびっくりしました。
夜を彷徨する旅人、ということでブランショの言葉が引用されたようです。
それにしても、自分の知っている作家の文章の一文を引用されている
のを偶然目にするのはうれしいですよね。
旅先でふいになつかしい友に出逢ったような感じです。
>リンク先の帽子。。。これは遠慮しとくかな(笑
>「無謀にも無帽」でいくよ。
くすくす♪
谷原章介さんはひょうきんな役柄なので、あえてこの日除け帽子を
被らされたようですよ(笑い)
でも、ものすごくお茶目さんに見えたなあ。この帽子、公園でお昼寝
したり、読書するときは日焼け防止になりそうですね。
でも、きっと友だちと一緒なら、知らない人のふりをされそうだなあ。。。
公園の園丁係りの人に間違えられそう……?
>つくばエクスプレス、実は乗ったことがない。
>休日にゆっくり電車に揺られるのもいいな。
新しいから車内は広いし、とても綺麗な電車ですよ。
わたしも初めてでしたが、特急券も指定席券も不要ですし、とにかく快速は
速い!
>やっぱ人間の根底に横たわる集合無意識みたいなものが
>そういうよく似た神話を作らせたのかな、と。
そうなんですよね。
民族はそれぞれ異なるのに、不思議ですよね。
今と違って交通手段も容易でなかった時代に、海を隔てた国で似たような
神話が生まれる。
神秘のひとことにつきます。
そういえばヴィトゲンシュタインの言葉に
「語りえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である」
とありますね。
星座伝説でもギリシア神話が有名ですが、中国にも日本にも星にまつわる
言い伝えが古来からあります。
言葉も民族も伝説の内容も異なりますが、夜空の星座を見て物語をつくって
いたという事実、物語をつくろうとする姿勢は同じなんですよね。
集合意識か。
「101匹目の猿」のお話しは知っていますか?
ある日1匹の猿が、砂で汚れた芋を水で洗って食べることを覚えます。
2匹目、3匹目とそれを覚えていきます。100匹まで覚えていって、
101匹目に覚えた猿は、仲間の猿ではなく、交流もない遠く対岸に住む
猿でした。
これはつまり通常の伝達方法以外で伝播していったということです。
無意識化されたことによっておこった共振現象、
いわゆるシンクロニシティの代表例、らしいです。
学術的な真相はともかく、なかなか興味があるお話です。。。
「木のぼり男爵」は推理小説でもないから
ネタバレとかはぜんぜん気にしないで。
持ってはいるんだけどずっと積読だから
何かきっかけがないと。。。
「101匹目の猿」の話、面白いね。
そういうふうに考えていくと、
なかなかユングもあなどれない。。。
集合的無意識なんてことを語っていたから。
遺伝子レベルでの記憶が
もしも時間も空間も飛び越えていくとするなら、
前世を持ち出す占い師やヒーラーにも
いくばくかの真理が含まれているかもしれないな。
デジャヴュも然りで。
今日は雨か。
あっちの板のほうにまた粘着がきてるから、少しフェイクを入れておこう。
困ったもんだね(笑
想像以上の程度なので、かわいそうなくらいだけど。
本日たこしぇに入荷。
www
おっ、できたか!
三部作完結篇楽しみだ(笑
今日は久しぶりに晴れたけれど、
あいにく仕事でデスクワーク。。。
おかげで重度の肩こり(泣
仕事の合間には掲示板をのぞいて、
テでは星3つで書いたり、
ブではゴッドになったり、
最近ひまつぶししてた(笑
>Hmvo
来てないな。。。
>>72 ご無沙汰してすみません
体調を崩してしまいました…
今、かなり参ってしまっていて……
>>69 発売おめでとうございます
とりあえず無理して書き込む必要はないから。
体調が戻ったらまた。
またかなりくらっちゃってるみたいだなw
あっちの板とあっちの板の論調は粘着に対して否定的、
◆IGEMrmvKLIの書き込みを差し引いてもな。
あいつはただの狂った粘着だ。おまいは堂々としてろ。
ここは安全だなw余裕を感じる。
不思議だよな、そういうの感じるってwww
インド夜想曲は確か読んで無いけど映画は見た。
おもしろかったぞ映画。映像きれいだ。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD15923/
大変申し訳ありません。
私的な事情でこのスレに書けなくなりました……。
前に別のところで坂口安吾(アンゴウ)の詩の解読をしていただきましたよね。
では、これはいかがですか?
Last messageです。。。
生きよ! おまへのその手で未知の
扉を開けよ そして、天からの
啓示を受けよ、おまへのこころのままに聴け
自由をもとめるならば、鎖につながれた
番人を恐れてはならない、奴らは何もできまい
堅牢なおまへのこころの
柵をすべて取り払へ、おまへはけして
小人ではない 旅人がたとへ賢者の姿をしていても
説教に惑わされるな、彼は救世主ではない
感情の波に呑まれそうなときは、夜空を仰ぐがいい
想ひはいつも祈りとなって届くだらう
緑かがやく草原の、はるか西の彼方
かげろうの立つ岸辺、そこでおまへは初めて
ひとの姿となり、ふたたび息を吹き返すだらう
やすみやすみゆくがいい、けして急いではならぬ
>私的な事情でこのスレに……。
それはしょうがないことだから。。。
元気がない感じだけれど、大丈夫かい?
>未知の扉、天からの啓示
聖書からの引用か、信仰者の言葉だろうか。。。
正字正かなだから少し前の詩人だろうか。。。
解読すべきメッセージは。。。
お手数かけてすみません…
以下の詩はかつて某スレで◆IGEMrmvKLIさんが
わたしに贈ってくださったメッセージです
この詩を作られたとき、どのようにして言葉を選ばれたかを
どうか思い出して……
あのときの状況を、どうぞ思い出して……
しずかながらも力強く
りんとした安らかな声が届く
うみを渡る風のように
すずやかな色をまとって
天からの啓示がようやく届いた。
さようなら、お元気で。
緊急です
KMの作者にメールしてください
わたしもします
今後しばらくは彼を仲介して連絡を
とりましょう…
ok 出張が入るのでgで送るよ
83 :
ザ・スミス:2009/08/05(水) 08:24:59 ID:flPnWRR4
しかし救われないキモッサンと腐婆だな。
メンヘルの自己紹介なんて迷惑なだけなのに
84 :
この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:32:58 ID:flPnWRR4
最低だね。
85 :
この名無しがすごい!:2009/08/05(水) 08:43:20 ID:flPnWRR4
嫌われてるな〜こいつら。ま、そらそうだよな。
空気も読めないネットマナーも守れないで痛い自己主張ばっかだもん。
指摘すりゃ発狂だし。糞メンヘル
>>83-85 哲学板「対話スレ」のみうん(=佃煮マニア=えびね)さん
お大事に。
87 :
この名無しがすごい!:2009/08/06(木) 08:56:37 ID:dBk7p5fe
誰でも特定人物に見える病気があるそうだよねw 妄想性人格障害だったっけ?w
しかも他所のスレでは馬鹿がベタなストローマンとパペット、こういう事してる時点で
「私は程度が低くて、言ってる事は詭弁です」て自爆したことの証明になる。
そうとう頭が悪いんだな。本気っぽいし笑いこらえるの大変だわw
おまえらメアド交換してるんだからキモい自己主張とか汚物同士の閉鎖的ななれ合いはメールでやれ
みんなの迷惑だから2ちゃんに来んなって
671 :菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2 :2008/10/22(水) 17:44:27 O
今までありがとうございました
2ちゃんねるを去ります
さようなら…
菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2=wMDHqGPerU =◆Fafd1c3Cuc=◆KshbumBTZI
=◆KshbumBTZI =一番星◆Fafd1c3Cuc =184 =◆4T5nh/Hmvo
=シリウス =◆SrzpdufPJY 他自演用コテ多数
>>87 哲学板「対話スレ」のみうん(=佃煮マニア=えびね)さん
「妄想性人格障害」なんですか? お大事に。
89 :
この名無しがすごい!:2009/08/14(金) 16:45:35 ID:VbzD+zgl
見た人全員に嫌われてるからってそんなに顔真っ赤にならなくてもw
小心者だから何にでもすぐ反応するしw
自分が言われた事受け止める余裕もないしw
それでなんでこいつコテばっかに執着すんの?きんも〜。
キチガイだなこれは
>>89 哲学板「対話スレ」のみうんこと名無しさん(笑 お大事に。
通りすがりですが〜♪
>>90 死ね、お前みたいなドクズがいつまでもしゃあしゃあと生きるな
92 :
この名無しがすごい!:2010/02/08(月) 10:00:13 ID:D7jT5BKS
このオレガノって奴は頭おかしいな。意味不明。どうでもいいけど。
93 :
この名無しがすごい!:2010/02/22(月) 16:15:17 ID:FkQ1yF/Q
頭悪いとすぐおうむ返ししたり自演扱いしたりするんだよね〜
94 :
この名無しがすごい!:2010/02/23(火) 16:09:46 ID:dCa6orP6
なんでこんな風になっちゃうんだろう
◆4T5nh/Hmvo の文章が下手でつまんないし無駄に長文で読む気しない
96 :
この名無しがすごい!:2010/04/17(土) 15:08:50 ID:oAulEqPG
このオレガノってやつ文学板の他のスレも荒らしてるよ
酷いキチガイ
123:考える名無しさん :sage:2010/04/11(日) 19:24:33 0
電波コテって菜の花 ◆Fafd1c3Cucのこと?
トリで検索すると次々にコテ変えながらあちこちに馴れ合い日記スレ立ててはすぐ荒らされて暴れてるねw
荒れる度にかならず脈絡もなく佃煮の名前出して無駄に騒ぎを大きくしようとしてる。
124:考える名無しさん :sage:2010/04/11(日) 20:08:02 0
女としては最悪の部類だね 絡みたくない
125:考える名無しさん :sage:2010/04/11(日) 21:00:28 0
発言に責任をもつためのトリップを次々変えるって詐欺師みたいだね
126:考える名無しさん :sage:2010/04/11(日) 21:20:32 0
佃煮への私怨がすごいね やっぱブスの嫉妬なの?
98 :
この名無しがすごい!:2010/05/04(火) 18:34:18 ID:ae1TprDI
糞スレ
99 :
この名無しがすごい!:
糞スレだね