読書感想文って・・・

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47吾輩は名無しである
 ある一人の人間を「異邦人」と見なす時、彼から見てこの世界が異邦の地であることは言うまでもない。
だが僕は、これまで触れてきた「明晰な理性を基盤とした」世界を異邦と感じることはなかった。理性への信頼は「理性の動物」たる人間への信頼でもあり、それは僕を不条理に対して盲目にさせていた。
一人称で書かれたこの物語は、主人公ムルソーと共に生きることで、世界と理性とを隔てる不条理を僕に見せてくれたのである。
その経験は、シャボン玉の周りを巡ることと似ている。覗き込むと、そこには歪んだ顔が映るのだ。異邦人としての僕の顔が。
 ムルソーは、至って勤勉な男である。調和を好み、滅多に憤ることはない。しかし彼の穏やかで平淡な生活は、母の死を境に転落してゆく。
彼は、殺人罪で死刑になった。だが彼に死刑判決を下させたのは、殺人そのものではなく、彼が母の死に涙を流さず、翌日から何事もなかったように余暇を楽しみ、殺人の動機を「太陽のせい」と陳述したことに依る。
ここで僕はムルソーを通して、人間社会の亀裂に林立する壁に圧倒されるのだ。
48吾輩は名無しである:01/09/08 20:54
 ムルソーと初めて邂逅した時、僕も彼を無機質な男に感じた。彼は「それは僕には関係ないことだ」と言い続ける。
恋人の、愛しているかという問いかけに、「それには何の意味もないが、多分愛していない」と答える。検事は、陪審員はそれを許さなかった。
しかし、僕は彼と共に何度も死刑判決を受ける事で、徐々に彼の愛を、世界に対する関心を感じる。ムルソーは時折自然を見る。
ありのままの世界に触れたとき彼が感じる豊穣なイメージは、母への思いではないか。ムルソーの見る世界には、母が偏在しているように思うのだ。
処刑の朝、彼は田舎のざわめきから母を理解する。世界のやさしい無関心に心を開いて。彼は世界に母を、そして己をも同一化させたのだ。
しかし、彼の「愛」は僕の感性の範疇になく、恐らく言葉で「母である世界への愛」と括ることは出来ないだろう。
言葉では表せない、理性では理解出来ない超越的な視点で彼は世界を見ていたからである。
49吾輩は名無しである:01/09/08 20:56
 では、なぜ彼は殺人を犯したのだろうか。なぜ、ムルソーは太陽のせい、と陳述したのだろうか。僕はずっと考えてきた。
しかし、理由を問うことも無意味であることにやがて気付く。僕の理性で理解できるならば、彼は理性的な人間であることになり、超越的な観点で世界を見るに至らないからだ。
だが、誰しも彼のような経験があるのではないだろうか。僕は、自分の行動、思考が全て因果律によって支配されているとは思えない。殺人には、果たして必ず動機があるものだろうか。
それは社会の秩序の上で危険極まりない発想だが、それ故に隠されてきた人間の一面であろう。僕は作者、カミュの立場になって考えてみる。
不条理を露呈させるために、未来永劫に渡り世界を明晰に照らし出す太陽を絶対観念として置き、主人公の殺人をそれへの反抗とさせたのだと。ムルソーにとってその反抗に理由はない。
直接的な原因があるとすれば、それは灼けつくような太陽の光である。
 そしてムルソーは処刑される。彼は、見物人の憎悪の叫びを期待して処刑の朝を迎えるのである。死を前にして、人間はここまで自分を直視出来るものだろうか。
彼は死後の世界を、輪廻転生を、永遠回帰を、イデアを、そして神をも信じない。彼の、この死への態度は、処刑前夜独房へやってきた神父との闘いに顕著に示される。
神が助けてくれる、祈れ。そう神父が説いた時、彼は初めて激昂する。「僕は来るべき死に対して確信を持っている。僕はいつでも正しかった。さあ、君にわかるのか、この死刑囚に、僕の未来の底から・・」
彼のこの叫びは、あらゆる言葉の中で最も激しい生の訴えに聞こえるのである。キリスト教的世界観へ彼は反抗する。それは、合理性を重んじる一方で様々な異種の世界を想像し、世界に、自身の生に意義を与える人間の弱さを僕に見せつける。
彼らは半分死に、欺瞞に取り憑かれている。ムルソーは世界の中で完全に生き通した。身の張り裂けそうな自由と共に。彼は独房で全てを生き直す気持ちになり、幸福を感じる。
しかし、数時間後に彼は死ぬ。それが異邦人の死であり、不条理の英雄、ムルソーの生なのだ。
50吾輩は名無しである:01/09/08 20:57
 新たなる異邦人の出発を、カミュはこうして幕を引いた。
ムルソーによって示された不条理のみが、僕に残されたのである。ムルソーの生を体験して、僕は途方に暮れている。
異邦人になって死ぬことを、僕は受け入れることが出来るだろうか。彼の独房での一瞬から飛躍した異邦人として、僕は生きられるだろうか。
しかし、黎明の混沌の中、ただ一つ、確実に感じられることが僕にはある。それは、人間の世界に、不条理に反抗しようとし、立ち向かおうとする力の胎動である。