ネット汚物・田口ランディは盗作ゴリラPart2

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199ixion
映画版『アメリカン・サイコ』についてコメントを求められた
ランディはこうかいてます。

>こういうことは、つまり、こういう虚無的な人間は、実はもう、
>たくさんいるんだ。そこらじゅうにいるんだ。この存在はそんなに
>新しくない。そういう時代なんだ。だからこそ、ここに新しい何か
>別の視点がないと、私にはやりきれないんだよ。快楽殺人者は
>存在する。その事実は認める。でも、それをただ描いただけじゃ、
>私がやりきれないんだよ。表現ってのは、そこに新しい光、それが
>救いではないにしろ、何か別の価値観とか、視点とか、世界観とか、
>そういうものがなかったら、ただ残酷でむなしいだけじゃ、私は
>やりきれないんだ

ここは良い文章だ。これを的確に指摘しないまま『アメリカン・
サイコ』を評するバカよりは何百倍ましだ。しかし…

>穴だろうが、池だろうが、どこに落ちようが「私とあなた」という
>関係を私は描きたい。どのような「あなた」の前にも、「私」を
>晒して、「あなた」という鏡に映る「私」について描きたい。それが
>未熟ながら私の唯一の方法論だ。私は「あなた」の前に居続けたい。
>一人の他者として。「あなた」によって照射される無数の自分にのみ
>執着し続けている。「あなた」によって限りなく自分を解体すること
>が、たぶん私の趣味なんだ。

ここの文が気持ち悪い。何でこんなにベタリベタリと書くんだこいつ。