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45川上弘美
 ミドリ公園に行く途中の薮で、虫を踏んでしまった。
 虫を踏んでしまってから虫に気がついた。秋の虫なので動きが遅かったのか。普通の虫ならば踏まれまい。
 虫は丸っこく、踏んでも踏んでも足が滑った。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに虫が言い、煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度虫の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。
「踏まれたので仕方ありません」
 今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。人間のかたちになった虫は、四十歳くらいの女性に見えた。

 翌朝気にかかる夢を見た。といって何がそうまで気にかかるのかわからぬままふと覚めると、自分の姿が変わってしまっているのだった。仰向けになった背中のすわりが妙に悪く、ほんの少ししか動かぬ首を無理にもたげれば、褐色の腹部が目に入り、律儀なことに体節まできちんとついているのだった。これは、虫である。そう気づいて手足を動かせばざわざわと音がして、その音もまたたいそう虫らしいのであった。