1 :
吾輩は名無しである:
普段あまり読書をする方では無いのですが
最近半ひきこもり状態になっているので
これを基に色々読みたいと思ってるんですが
サリンジャー、安部公房が好きなボクに
何かお勧めを教えて下さい。
2 :
吾輩は名無しである:01/09/07 00:43
女性週刊誌でも読んで、ドキュソとでも平気で会話できる
強かさを身につけましょう。
3 :
吾輩は名無しである:01/09/07 01:17
さて何から勧めよう
4 :
吾輩は名無しである:01/09/07 01:30
ここにいれば自然に本を読むようになるよ。
これは確実に面白いよ みたいなのってあります?
人それぞれだとは思うんですが、目安にしたいので。
6 :
吾輩は名無しである:01/09/07 02:13
安部公房を読むのなら
藤枝静男の「空気頭」も読むべきだろう。
7 :
吾輩は名無しである:01/09/07 02:32
ひきこもり?
ドストエフスキーの『地下室の手記』で決定。
最初、何やら色々小難しいこといってるけど、まあ無視していいよ。
最後には魂の震えるような感動があなたを待っている!!
>>6 ありがとう 古本屋で探してみます。
>>7 ひきこもりではなく、半ひきこもりです。
周りの人が見たら同じに見えるのかもしれませんが
とんでもない。全く違います。
ひきこもる事を親に対しての罪と捉え、
それでも今年いっぱいは本や映画や音楽を楽しもうという
本物のひきこもり以下のダラケタ身分です。
そんなボクは『地下室の手記』は読んだのですが
7さんの言う通り、序盤に小難しい事をダラダラとぬかされたので
途中でやめてしまっていました。
でも魂の震えを味わいたいと思いますので、頑張ってみようと思います。
へこたれる可能性(特大)ですが
9 :
吾輩は名無しである:01/09/07 02:52
>>8 あ、いやじゃあ別に読まなくていいや。
漏れが自信を持ってお勧めするのはJ・アービングの
『ホテルニューハンプシャー』かな。
もう単純だが豊かに面白い。むつかしいこと言わないし。
ちょっとサリンジャーぽいところもある。
絶対お勧め。
>>9 うぃっす 了解!
読んでみます。
ちなみに文庫で出てますでしょうか?
11 :
吾輩は名無しである:01/09/07 03:08
新潮文庫ででとるよ。
どこでも置いてあると思われ。
12 :
吾輩は名無しである:01/09/12 07:06
age
13 :
吾輩は名無しである:01/09/17 04:46
age
14 :
お?上がったね:01/09/17 04:56
他の専門板なんかでは、結構真っ当に必読書を挙げてるスレもあるんで、
1の思惑はひとまずおいて、ここでも一つ本気で育ててみよう、ってどう?
てなわけで、
前田愛『都市空間のなかの文学』
15 :
吾輩は名無しである:01/09/18 06:42
アゲてみるか
16 :
吾輩は名無しである:01/09/18 10:19
三島「金閣寺」「青の時代」「美しい星」
大江「死者の奢り」「われらの時代」
春樹「世界の終わり〜」「ねじ巻き鳥」
公房「砂の女」
乱歩「傑作選」
平野「日蝕」「一月物語」
オースター・ニューヨーク三部作
カミュ「異邦人」
サルトル「水入らず」
サリンジャー「ライ麦〜」とキング「ハイスクールパニック」併読。
そして
村上龍「共生虫」←ヒキコ必読。
全て話が面白いだけじゃなくて孤独な青年の主張を真摯に
捉えている作品ばかり。半ヒキコを名乗るのならこれくらい
は読んでおかないとね。
17 :
吾輩は名無しである:01/09/18 11:03
大菩薩峠
>16
サルトル「水入らず」を今日早速買てみました。
オースター、安部、カミュ、サリンジャー以外は
それも未読なので古本屋で見つけ次第読んでみますっ
ありがとうございました。
ららら♪孤独な半ヒキコ♪
19 :
吾輩は名無しである:01/09/21 00:45
age
20 :
吾輩は名無しである:01/09/22 15:47
特にお勧めは無いけどage
森鴎外 『じいさんばあさん』『阿部一族』〈「阿部一族・舞姫」新潮文庫〉
……はからずも大正期まで生きのびることになってしまった作者が、
その激烈かつ森厳な明治の精神を、情緒を殺した文体で書き上げた逸品。
同文庫に収録されている『うたかたの記』もロマンチックに仕上がっていてお勧め。
芥川竜之介 『庭』〈「トロッコ・一塊の土」角川文庫〉
『南京の基督』『或敵討の話』〈「杜子春・南京の基督」角川文庫〉
……すべて社会の不遇を生きるものに対する芥川の慈愛が、完成された文体と、
緻密な構成に支えられて、見事なまでに端正に結晶化されている。
大江健三郎 『性的人間』〈「性的人間」新潮文庫)
『不意の唖』〈「死者の奢り・飼育」新潮文庫)
……『性的人間』は、前半はそれこそ退屈な性的人間の生活が綴られるが、
それが行き詰まった後半から、俄然社会に対する隠微な反抗心が
主人公に芽生えてきて、物語も面白くなる。
『不意の唖』は、『飼育』を裏返しにしたような短い物語だが、
テーマが明確な分、完成度も高く、素直に読みこなせる。
なるべく、短くて良いのを選んでみた。
全部、自分が実際に読んで、感涙にむせび泣いたやつです。
もっと書いても良かったですが、あまり多すぎてもあれなので。
逆にこのレスの少なさが、本を読む速度が遅いボクには丁度良かったりしてます。
>21-22
解説まで付けて頂いて恐縮です。
時間は、かかりますが必ず読まさせて頂きます。
ありがとうございまっす す
24 :
吾輩は名無しである:01/09/23 06:56
25 :
吾輩は名無しである:01/09/23 08:20
時間が有り余ってる今こそ大長編に挑戦するのもいいと思う
そこで
「ジャンクリストフ」「アンナカレーニナ」「罪と罰」
「豊饒の海」「青年の環」
これらと並行しつつ中短編を読むのが吉
大長編と言うほど大でもないやね。
>>24 タダなのはいいけど、保存できないのが難ですな。
>>1 途中経過でもいいから、読んだ感想とか書いてみたら?
>28
サルトルの『水いらず』を読み始め4日が立ち
やっと「壁」が読み終わる所の段階です。
読むの遅すぎますね。
率直な面白い、面白く無いという感想を言うとするならば、
面白いです。それにプラスすることの考えさせられました。
「壁」の感想になるのですが、
ボクは実存主義とかそういった事は知識不足な為いまいちワカラナイのですが
自分なりに思ったのは、存在するという状態はどこまでなのだろう???
自己の発生とは一体いつ始まり、そしていつ終わるのか。
自己という状態を生きながらにして完結させる事は、絶望のふちに立ち程難しく感じ、
それを否定、つまり生きながら死にえる事は不可能なのか???
というような事を考えさせられました。
見当違いな事を言ってるのかもしれませんが、現在のところこのような感想です。
>>1 なるほど。
形而上学的な錯乱状態を突き抜けているといった感じで面白いね。
また、適当に報告してね。
「生きながら死にえる事は不可能なのか」という問題は、
結論としては不可能ではないのだと思う。
ただし、それが可能であるのは一瞬の中でだけ。
教科書的に言うと、バタイユの聖性〈もしくは絶対的な日常〉に対する《死を介した侵犯》によって生まれる至高性の状態がそれに近いかな。
ま、1が言ってるのとは少しずれてる気がするけど、お互い見当違いということで。
『水いらず』っていうのはたぶん文庫のやつだと思うんだけど、
あれは、俺的には『壁』が一番面白かった。
っていうより、落ちがすごいからね。
他には、最後の『一指導者の幼年時代』も良かったかな。〈ちょこっと変な哲学的省察が出てくるとこが好き〉
(全体的にあの翻訳は『壁』以外俺の好みじゃないけど〉
『壁』ついでだけど、〈しかし、安部公房の『壁』とは全く正反対だな〉
大江さんの『鳩』という小説も、趣向は違うけど、
実存における偶然性を扱った面白い作品〈こっちの主人公のほうが現代的〉になってるから、
いつか読んでみるといいよ。
〈ただ現代的なぶん、こちらの実存的な緊張度は落ちる、鳩と壁ほどにそれは違う〉
関係ないけど、いまドストエフスキーの『白痴』〈やっと下巻〉読書中だ。
「鳩」は洋犬と雑種の交尾のシーンが叙情的な描写でほんと好き。
サルトルの「壁」と話の落とし方が似てると思った大江作品は「偽証の時」。
大江の初期短編は本当に傑作ばかり。あの当時大江と同年代で作家を
目指している人は大江の登場で純文学作家になるのあきらめたんじゃないかなあ。
田原総一郎も当時は「死者の奢り」と「太陽の季節」の登場で
作家をあきらめたっていってるし。
大江の後期は一応読んだけどやっぱり順を追わないと良さがわからないと思う。
読んだ上でやっぱり大江一番の傑作は転換期の「万永元年〜」かな。
笠井潔もそう言ってる。大江自身が海外の作家によく傑作だと言われるのは
「芽むしり仔撃ち」。本人は認めてないけど。あれも話自体が面白い。
しかし「水入らず」読み返してみるとやっぱり初期はサルトルの文体に
そっくりだなあ。最初読んだときはそう思わなかったけど。
大江=サルトルだとしたら三島=マンだね。公房は「砂の女」=「城」
ってことでカフカか?
>>31 田原総一郎はもともと作家になる気なかったんだろ。
「死者の奢り」はともかく、「太陽の季節」を読んで
作家になるのを諦めるというのはありえないからな。(多分しゃれだと思う)
大江さんの「万永元年〜」は確かに傑作なんだけど、問題も多い。
実は、大江さんは自分の才能を明確に意識して書いていける人ではなかったと思うんだよね。
「万永元年〜」について言うと、あれだけ文章が稠密だから、
その寓意性をポリフォニックに読み解く(なんとも安易な表現だが)ことがしやすいのはわかる。
ただ、「万永元年〜」が評価されるようになったのは後になってからだよね。
例えば、五月革命以後世界で沸き起こる「共同幻想」を志向する動きとか、
G・マルケスとの同時代性とかね、
そういうものを先取りした文学作品として後になって評価されるようになった向きがある。
そういう意味では、「万永元年〜」を簡単に切って捨てた三島さんの直感のほうが正しいような気がする。
彼が70年以降生きていなっかたという制約は抜きにしてね。
(ていうより、大江さんも70年以降は死んでいたも同然だけど)
誰かいるか?
>>32 田原総一郎はもともと作家になりたかったみたいですよ。
少し前に偶然「PENTHOUSE」の連載記事を読んでわかったんですが、
どうもかなり切実に作家を目指していたみたいです。
そのために早稲田の一文に入り直したり、学習塾のバイトをずっと続けていたりと。
たしかに「太陽の季節」は私も?だったんですが、当時のセンセーショナルな
登場の仕方と誰にも媚びない「文句あるか」的な態度が作家としての自分には
とてもできないと思ったんじゃないでしょうか。なにしろ仲間が麻雀している
部屋の片隅で「存在と無」をひたすら読み耽っていた位の暗い青年時代
だったらしいですから(ワラ 仲間にもかなり疎まれていたみたいです。
ジャーナリストを志したのは就職できるのが年齢制限でマスコミぐらい
しかなく、偶然テレビ東京に入ったからだということです。
「万永元年」は確かに良くできた作品かもしれないけどあんまり面白く
ないですね。文章読むのが非常につらい。三島が評価しなかったのも
遺作を想定して書いた「豊饒の海」を読めばなんとなくわかります。
遺作なのに小説としてきちんとした面白い話だと思いましたから。
>>34 貴重な情報ありがとう。(「PENTHOUSE」って日本にもあったんだ)
そうか、俺、田原さんのこと少し好きになったよ。
(弱者への愛には殺意がこめられている〔安部公房〕)
やっぱり、苦い挫折を経験した人間は、それなりに
後になって心の余裕が生まれてくるという感じがする(挫折の種類にもよるけど)
俺はニュースキャスターだと、七三分けが似合う人が好きなの。
田原さんとか、筑紫哲也とか。
で、一番嫌いなのが久米宏。
この人はいつも、露骨に演技がかったことをするからね。
(で、アンソニーホプキンスとの対談ではそれが裏目に出て、恥ずかしい思いをすることになる)
慎太郎も最近は悲惨だけど、
あの当時はそれなりに充実してたんだろな。
「太陽の季節」には、中身はともかく、
一応、芥川賞を世間に知らしめたという功績はあったし。
それに、障子を突き破る、という描写は俺もそれなりに受けたし。
ま、三島さんも慎太郎のことは終始温かい目で見守ってたようだね。
(でも、実際の批評とか読んでると、三島さんは慎太郎のこと誉めてるんだか、けなしてるんだか、わからないようなこと書いてるな)
今夜、
朝生で田原さんが、
出演。
ここで、ひっそりと、
真情の吐露きぼんぬ。
このスレひっそりと見てました。
遅いレスになってしまいますが、
大江の「性的人間」、以前チャレンジしたのですが、どうも前半で挫折していたのです。
でも
>>21と
>>22を読んでまた読まずにいられなくなってしまい、ついこの間読み終わりました。
最後まで読めて本当に良かった。あのまま挫折していたら非常にもったいないことをしていたところでした。
新星ヒキさん、ありがとう。
ちゃんとageでお礼したかったのですが、ここはsageで書くスレみたいなので、すみません。
38 :
吾輩は名無しである:01/09/29 15:04
dat逝きになりそうなんで、ここらでage
>>37 そうですか。
僕も、前半はあくび噛み殺しながら読んでました。
作者は後半との違いを際立たせるために、
わざと冗長な叙述を続けていたのかもしれない。
というのも、あれは政治的人間(セブンティーン)と対をなす作品でしょ。
で、政治的人間は、前半のほうが断然面白くなってる。
(でも、実際に発禁になってるのが、つまらない後半のほうだというのは、なんとも皮肉な話で)
まぁ、これは単なる思いつきの域を出ないことなのかもしれないけど、
意外とそこに
「性」と「政治」の本質的な差異が象徴的に示されているのかもしれない。
>>1 目を覚ませ、もう真昼だ。
(A・ランボー)
大江『死者の奢り』今日お安くゲットAGE
>42
ただいまレーシアバクは悪い夢を食べてくれるから良いやつだっ あげっ
とりあえず表題の「死者の奢り」を読み終えてみました。
この話もサルトルの「壁」と同じような思いを感じたんですが、
なんと言ったらいいのか、ボクは普段から中々ゴミの基準が曖昧で、
他人からそれはゴミじゃないの?と言われてもボクの価値観では、それは形こそ変わったものの
ゴミではない場合があるんです。かといってそれの必要性を問われると、ちと解答に困ってしまうのですが。
で、最近飼っていた泥鰌が死んだ時は本当に悩みまして、動かなくなったもの=死という事ではあるんですが、
それは果たしてゴミなのかどうなのか?必要なのか不必要なのか?という事を考えさせられて、
結局ボクはその死骸を、育てている植物の鉢植えに埋めたんです。
この時の思考としてはやはり不必要という方が勝っていたんだけど、
それをゴミと同じ処理の仕方は出来なくて。ゴミであるけどゴミとは違う何かと。
あの時ボクがもしあれを、必要と捉えていたならそのまま部屋に
放置するか食べるかみたいな所までいってしまったのかも。
それを人間に置き換えるとなんだかちょっと嫌な気持ちになりましたが、
動かなくなるモノは死でありゴミという行為は至って自然で、人間にしたってそういうものなんじゃないかと。
>1
突然出てくるから、びっくりするわ。
きみは、なぜか硬質の角張った文章書くんだけど、
それが独特の香気を放っているのを感じる。
ゴミの必要性っていっても、
それは積極的に見いだせるような質のものではないと思う。
でも俺なら、ゴミが予期せぬような存在感を示すことがあれば、
恐怖に駆られるだろうね。
(ちょうど、『飼育』の主人公が黒人兵に対してそうであったように)
だから、ゴミに対しては、あるいはゴミだからこそ、
それに接する態度は慎重になると思う。
>44
ボクの中でのゴミというのがリアルという事に直結している所がややあるんです。
生活そのものの証であるゴミというモノが、ボクの中では存在感をを顕著に示されている気がし、
捨てる事に対し何かしらの罪の意識を感じ得てしまているといた感じなんです。
つまるところルームメイトのような存在を感じてしまっているところがあります。
しかししの一方でペットのような始めと終わりで極端に存在価値が違うものに対しては
結構すんなりゴミと割り切る事ができるのですが。
最近古本屋に行っても、ここで紹介していただいた文庫が無いので
それらを読事が出来ないんだけど、カフカの短編集を買ったのでAGE。DAT逝きも考慮してAGEHHH!!!!!!
46 :
吾輩は名無しである:01/10/11 09:00
>45
君、最近大竹伸郎絡みの本何か読んだ?
全く同じ事言ってたYO!
しんくろにしてぃー(藁
なんだ、もうこのスレつぶれたと思ってたけど、また不意打ちのようにやってきたな。
正直、1の大陸的なおおらかさは一種感動的さ。
それにしても、このおれと1の文学的なやり取りはちょっと気恥ずかしい。
リルケの「若き詩人への手紙」を地でいってるようで。
じゃ、今日はちょっといい話を。
最初の三島由紀夫研究の評論を執筆していた吉村貞司は純粋な作品論を目指すべく、
マスコミの寵児としてもてはやされている現実の三島に取材するという方法論を一切とらなかった。
(時期は三島が金閣寺執筆の頃)
評論を完成させた吉村は、出版社の強い勧めで三島の推薦文をもらいに彼の自宅を訪問することになる。
以下は、吉村のそのときの回想。
(……続く)
三島は推薦文を書くために万年筆をとりあげたが、タバコの内箱をのばしてそれに書きつけた。
しかしそれは「ぞんざいに書くことを意味しなかった」。
「それを文章に練りあげるために、油汗を流しているのではないかと思われるほど真剣な沈黙で」、
その小さな紙片に立ちむかっているのだった。
その文章は、
『この本を書かれた吉村貞司氏と私とは、一面識もない仲である。
氏も、これを書きおわるまで、私に、ことさら会われなかった。
これは、そういう清潔な理解の上に築かれた本であり、
この本は、喜びと幸福と励ましを私に与えてくれた』
というごく短いものであったが、これだけ書くのに
「三十分はかかったであろう」
と吉村は書いている。
これだけの短い文章の中にこめられた三島の誠実の量を思えば、
何か粛然とした気持ちにさせられる。
49 :
吾輩は名無しである:01/10/23 07:29
あげ
>45
とにかく気長にレス。
変態の1が言ってることを整理しながら考える。
要するに1には「ゴミ」と割り切って処分できるものと、
反対に「ゴミ」と割り切ってしまうことができないような
異様な存在感を感じてしまうようなものとがある、と。
例えば、「最近飼っていた泥鰌」と
「ペットのような始めと終わりで極端に存在価値が違うもの」
とでは、1が経験した死後の扱い方はまるで違うものになった。
ここで注意しなければいけないのは、
後者のペットが
「初めと終わりで極端に存在価値が違う」といってるのは
存在価値が変質したというよりは
存在価値が単に消滅した、
そういった解釈のほうが妥当であるということ。
むしろ、劇的にその存在価値が変化したのは
「最近飼っていた泥鰌」のほうだと思う。
今まで普通の鑑賞生物として接していたものが、
死骸となって現前することで異様な存在感を放つようになる。
(この逆説があってこそ、「リアル」という言葉は意味を持つ)
1はそこであることに気づいた。
つまり、死んだ「泥鰌」に対して感じる
一種うしろめたい気もちの裏には、
その「泥鰌」があたかも人間と同じような存在感をもっている、
そういった認識がひそんでいたという事。
少なくとも1自身はそのような「存在の裂け目」を感じた。
逆にいえば、自分たちが属する「人間」という存在様式も
ペットと同じように「ゴミ」と見なされるような
殺伐とした世界観があることに1は気づいた。
でも、周りの人間は「ゴミ」と「ゴミ以外のもの」を
常識的に区別するだけだ。
1はここで罪悪感を感じる。
自分もその人間の常識に追従して
「ゴミ」の存在感を消滅させようとしていたから。
まさに、存在の可能性の殺害。
そこから「ゴミ」を救い出すためには、
「ゴミ」を食らうことで自分の存在と同一化させるか、
「ゴミ」をそのまま放置することで
それを自分の手の届かない神聖なものへと供養するか、
(それは消極的な自己の断罪である)
いずれかしかない。
1、これでいいか?
56 :
吾輩は名無しである:01/10/24 02:02
1は次に何を読んだんだい?
>51-55
ボクの頭をかち割ってくれてありがとう。
ズバリそんなような感じをそれの死から抱いてしまった所があります。
存在の無意味さを肌で感じてしまったとでも言えばいいのか。
ボクという今のこの状態へのアンチテーゼにさえ感じてしまっていました。
まず、勝手に死んでんじゃねーよ!ときて、
そして死んだんなら証拠残さないで消滅しろよ!
生きる事にこれといって意味が無いのと一緒で死ぬ事にだって意味は
無いはずだから、そんな証拠残されてもボクは、まだ生きてるんだから。
まるで同一線上にいるように存在感を訴えてくる泥鰌が憎らしく思った。
死ねばいいと思った。(死んでるけど)だけどそれはゴミであってゴミではなく、
まんまボクという感じさえ感じてしまったから、捨てる事は出来ないよ。
だから埋めた。見えない所に。でもまだ生き残ってる方の泥鰌が
何かボクを見る目が変わった気がする。怖い。
これこそが半ヒキコ状態。親への罪の他に泥鰌にまで。
>56
上で書いたカフカをまだ読んでるけど、
物凄く面白くて大好きな感じだけに、言葉にすると、
それが失われそうで何て書き込んだらいいかワカラナイ。
古本買うお金すら無くなってきたから、
そろそろバイトでもしないと。
だけど、そうするとせっかく半ヒキコもってたこの形状が
崩れるのが惜しい。もったいない。たいして良いもんでもないけど。だけど。
半だから人との繋がりはあるけど、それは仲が良い人だけで、
全くの他人とは無いから、それもめんどくさい。
バイトに入って、それらの気の合わない人たちと合わせるのも。
初日にいきなり泣いてみるかな。怒ったら怒られそうだから。
感情を素直に出せば向こうもそうしてくれるはずだから。きっと。
でも、そういう時、見知らぬ他人は何て声をかけてくるんだろう。
優しい言葉をかけてくるような人なら仲良くなれそうもないわ。
だって嘘っぽいし。でも、ほっとかれるのが一番イヤだわ。
だから遠くで噂話し。そして離し。それでボクは笑顔で再登場。
ちょっと素直にレスをしてみたけど、
やや後悔&明日への活力。
本を読む時、ボクはどこで読んでるんだろ???
なんだか知らない間に頭に張り付いて取れなくなったりもしてるし、
始めて会った人に感動を伝えられるのか???
一応、半ヒキコ終了時までのテーマ。
映画の面白さ、小説の面白さ、音楽の面白さ。
自分の中にある良さを、まんま人に伝える事なんて出来ないのに。
100が100伝わるわけでも50伝わるわけでもなく、
違う100や50となって伝わってしまうのに、
でも好きな人には、それを分ってもらいたいとか思っちゃってる。
都合の良い自分。完全に分かりあえるわけないし、
そんなのつまんない事なのに。でも、イルカのように
一旦ボクを通した情報を、まんま伝えてみたい。今んとこ。
新星ヒキにしても名無しにしても文学板は皆、とても親切だ。
リアルでは得る事の出来ない、初対面の人の優しさを感じる事ができる。
どうせなら本屋の店員とか全員、いなくさせて、
2ちゃんの文学板につないどきゃいいのに。
これこれこういう感じのが読みたいんですけど、ないですか?
って書き込んで、気長に待つ。時には荒らされてる事もあるだろうけど、
それはそれで、その日は買う日じゃなかっただけで。
全てはタイミングで、それを外すと普段うまくいく事でさえ失敗したりするんだから。
という事で本屋の人間店員終演を望みながらAGEHHHHH!!!!!!!!!!!
>1
俺、親切というより、暇なだけなんだけどね。
周りも同じと思うけど、気にしない。
それよりおまえ、素直に書くと普通のいい人になっちゃったな。
べつに深い意味はないが。
いまカフカか。
短編集ってどんな小説がのってんの?
一応書いておいてよ。
>61
しばらくの間2ちゃんを離れます。
別にそこに大して意味は無いんだけど、
ここでの2ちゃんでの行為に最近意味を求めてしまってる自分がいるので、
もうそうなってしまうと自分のレスが本当に何の意味があるのか???とか思ってしまうので。
意味なんて無いし、ここで意味なんていらないとは思うんだけど、
今のボクは何か意味が欲しくてたまらない状態になっているんで。
2ちゃんだけじゃなくネットという環境からも遠ざかりたい。
リアル以上に限り無くリアルに近いと思っていた2ちゃんねる。
それは今でもたくさんの人の素直な部分から見る事が出来るんだけど、
それはなんとなく分ってるような気になってるだけで本当は全て嘘かもしれなくて。
だけどそんな事はリアル世界においても同じだけど、やはり肉体的という点で、
繋がれる分、ボクはリアルに自分の位置を見つけたいと。
各板でコテハンを名乗ったりもしてたけど、それは名前というより前に何か記号のように感じてしまったというのが
そもそもボクがここに興味を持ち始めたきっかけなんだけど、リアル世界においてのそれも
結局は2ちゃんでのそれと同じ意味合いだと思うし。大多数の中の1人にしかすぎないわけだし。
この書き込む行為に至っては、本当に日記のような感覚にもなってきているんで。
そう思ってしまった以上、とりあえず引き際かなぁとね。
で、カフカなんだけどやっぱりこの人は面白いね。着眼点がとでもいったらいいのか、
コカコーラをただの炭酸飲料とみたらそれまでのモノだけど、そこからどれだけの可能性を見出せるのか。
っていうのが空想への第一歩だと思うし、それが面白い見方ならばそれはきっと素晴らしい物語になるし。
そういう点でボクはカフカの頭の中の世界が好きなんだけど。それはこの短編も例外じゃあなく、
全ての話において一見狂った世界がとても普遍的な世界として捉える事ができて、
本来こっちがリアルじゃないのかとさえ思わされてしまう。ボクの中の基準がどんどん変わらされていくし、
それに単純にスラスラ読めるっていう点でも、こどもの頃に読書が楽しかったのと同じように寝る間をおしんでまで
読みたい気にさせられてしまう。昔、親がよく言っていた風景が浮かぶような文字だけの世界。
カフカのそれは、とても奇妙な世界だけど、だからこそボクは引きつけられてそこに留まってしまいたくなる。
こないだまで2ちゃんで感じていたそれと同じように。
>61
ちなみに
掟の門
判決
田舎医者
雑種
流刑地にて
父の気がかり
狩人グラフス
火夫
夢
バケツの騎士
夜に
中年のひとり者ブルームフェルト
こま
橋
町の紋章
秀鷹
人魚の沈黙
プロメテウス
喩えについて
万里の長城
2ちゃんねるスキスキスー♪
次来る時は1900年代初期の日本を思わせる感じにまでなってますように。
>62-63
(世界に残酷なものは存在しない、ただそう見えるだけだ)
わかった、ずいぶん短い間だったけど楽しかったよ。
じつは僕もここ、2ちゃんから撤退しようと考えている。
でも、このスレッドだけ少し気になっていたので最後に確認しに来た。
だからおそらくこの僕の発言も最後のものとなるだろう。
本当のところを言うと《
>>61》のレスはその辺の自分の投げやりな
心境が少なからず反映したものになっている。
だから誤解しないでもらいたい。
ぼくもここに来るまではいろいろな紆余曲折があった。
それをいまさら長々と語るつもりはないけれど。
ぼくも1と同様にニ、三の板でコテハンを名乗り長い間やってきた。
そして、静態というものを知らぬ匿名掲示板のリゾーム的過剰性にいったんは順応し、
そうした自分の才覚(残念ながらそれは才覚と呼べるほどのものではなかった)に酔いしれもした。
本当のところを言うと、1とは違い、ぼくは人間との素朴なかかわり合いを求めて
ここの掲示板にきていたと思う。
だから逆に、多くの類型的で、低俗で、ステレオタイプをそのまま表象したかのような
人間しかいないことに対して軽い失望を感じていた。
(本当はそのことをあらかじめ知った上でここに来ていたのかもしれないのだが)
それで最近は非常に局所的に、限定的に、1のようにぼくにとって
魅力あると思えるような人間に対してだけ関わっていこうと考えるようになった。
でも、それはあまりにナイーブでアイロニカルな認識に過ぎなかった。
僕がそのことに気づき、誠実にそれを受けいれることができたとき、僕はここを離れようと思った。
ただ、最後になにも言わずに去ってしまうのは心残りに思えたので、
自分が無惨に見えるとわかっていながら今こうして書き込みをしている。
ちょうど季節は寒風が吹きすさぶ初冬に差しかかっていた、この寒さに僕は耐えなければいけない。
1も知っていると思うけど、カフカは親友のマックス・ブロートに対し、
自分の未発表の作品群をすべて焼きすててこの世から消滅させるようにと
遺書の中で書きのこしている。
そして続けて、なぜそうした世人には理解しがたい願望を自分が抱いているのか、
その理由についてこう述べている。
『この全体なるものは一種の控訴院に似ており、僕が困難に陥ったとき、
その胸を叩いて救いを求めることができる。
しかも何らの救いも現われず、それが無駄であることを僕は十分に知っている。
そんなものが何になる……』
カフカが選択した、この絶望的なまでの沈黙への意志は
あらゆる饒舌にたいして懐疑の念を押しつけるものだろう。
ことに、我々はカフカが沈黙することすら許してやることができなかったのだから。
次の哲学者の言葉がいまの僕にはよくわかる。
『本質的なるものは、人々が信じきって演じている喜劇である。
集団の振る舞いが個々の人々を呑み込み、彼らを利用して、
ナンセンスであるにもかかわらず物質的現実として自らを確立し、
その物質的現実のために個々の人々は抹殺されてしまう』
――――――J.P.Sartre
>64-65
最後の最後にボクはフリーながらメアドを晒してみる。
これは自分には思いのほか大胆な行動なのだけれど、
その行動の裏には、ちょっとした理由があって。
だけどそれは言わない。どんな言葉を使っても
こういう行為は恥ずかしさの対象になるから。
自分にも新星ヒキにも、偶々このスレを見た人にも,
むずがゆい、気持ちの悪い感じに見えてしまう事がほとんどだから。
自分を晒す事は2ちゃんでも現実でも、どこの世界でも
恥ずかしい行動だったりするけど、
それこそがキャラ立ちの第一歩であり、それ無くしては
どこの世界においてもキャラが立つ事は無いと思うから。
自分で自分を平凡だ、大多数のうちの一部でしかないと思う事は
ボクは大切だと思っていて、そこから自分という内的宇宙に対して
興味が出てきて、それこそが創る事への第一歩だと信じているから、
だけどもう2ちゃんでそういう行動をとるのはやめて、
それを現実でもっとそうしていこうと今は考えているので、
最後にきっかけとなる晒しのほんの小さな一部であるメアドを。
[email protected]
>66
自意識過剰。フリメ晒しなんざ、何でもないのよ、2chでは。
>67
そーなんよね。
別にウイルスが送られてくるわけでも、なんでもなく
ただ放置されるだけなんよね。
だからこそ晒して何か反応があったら面白いなぁっていうのも。
自分でもいまいちはっきりとワカンナイ行為をとってるわ。