加藤典洋、その可能性の中心

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1浅田彰
ちなみに、この本には加藤典洋が当時新聞に書いた「ヒロヒトと呼
ばれた天皇の死に」と題するエッセーが収録されている。「人々が
悲しんでいるのを見た。しかし、それに同調する気になれない」。
天皇には「敗戦国の君主として果たすべき責務」がいくつかあった
……。彼としては、これで精一杯言うべきことを言ったつもりなの
だろう。だが、その腰がまったくすわっていなかったことは、新し
い文庫版のあとがきからはっきりする。それによれば、この新聞
エッセーをきっかけに、「数週間にわたり、有言無言の脅迫ないし
抗議の電話を受け、いま考えると、この経験はわたしにものを書く
ことの孤独とその孤独のもつ政治性といったことを考えさせた」。
実のところ、私は最低限綱領のひとつとしての天皇制廃止を当時も
今も公言しているし、裕仁が死んだ日に発売された『文學界』に掲
載された柄谷行人との対談で、「自粛」ムードに包まれた日本を
「土人の国」と呼んでいる。それで脅迫の類があったかどうかは想
像に任せよう。だが、なんとも微温的なエッセーに仕立てたあげ
く、電話ごときに驚き、そこから「ものを書くことの孤独とその孤
独のもつ政治性」に思い至るというナイーヴぶりは、私から見ても
信じがたいと言うほかない。
2吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:29
>私から見ても信じがたいと言うほかない。

あんたも十分ナイーブだよ。
3吾輩は名無しである
加藤典洋は腰がすわってない。ここ数年の、戦後処理に関する発言を見ても右往左往ぶりは明らか。
よって、逝ってよし。

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