1 :
吾輩は名無しである :
2001/08/13(月) 21:04 巨大なひと。
2 :
吾輩は名無しである :2001/08/13(月) 21:09
多分レスないよ
3 :
吾輩は名無しである :2001/08/13(月) 21:10
5 :
吾輩は名無しである :2001/08/13(月) 21:31
高度過ぎて
6 :
吾輩は名無しである :2001/08/13(月) 23:06
バルテュスはいいなあ〜
7 :
吾輩は名無しである :2001/08/13(月) 23:11
バルテュスの絵ってどこか神秘的ですね。 すごい兄弟ですよね、やっぱり血筋がいいのかな。(こういう言い方は好きじゃないけど) 両親も画家であり、父はもとポーランド貴族でもある。
>>7 >父はもとポーランド貴族
実の父親はリルケじゃなかったっけか?
>>8 あくまで噂、でわ?
まぁ火のないところに煙は立たずだし、多分リルケが父親なのだろう。
どちらにせよ育った環境が並でないことは確か。
バルテュスの方も二月に亡くなったね。
10 :
吾輩は名無しである :2001/08/14(火) 02:30
11 :
吾輩は名無しである :2001/08/15(水) 16:42
即効dat逝きになりそうだな
『わが隣人サド』萌へ〜
>>5 高度過ぎ?でも2ちゃんではニーチェもサドもスレあるよね
手にとりにくい、というのはあるかもしれん。。。
14 :
吾輩は名無しである :2001/08/16(木) 23:02
>12サディズム萌え!
15 :
ひらおよぎ :2001/08/16(木) 23:10
バタイユとかクロソウスキーとか神学系のひと、いけてるね。
16 :
吾輩は名無しである :2001/08/18(土) 00:02
ブランショもいれてくれ
17 :
名無し :2001/08/18(土) 01:26
1960年代に三島が「ボキが興味のある外国の作家は ゴンブロヴィッチとクロソウスキーと○○だ」とか書いてた(うろ憶え)。 慧眼だね。
18 :
吾輩は名無しである :2001/08/20(月) 09:55
三島がクロソウスキー?意外だな。 三島ってがちがちの形式主義で異常なほど構造立てて小説書くじゃない。 クロソウスキーってもっと倒錯的というか。 しかし長生きだったね。
バフォメット書いた人? よく知らない。
20 :
吾輩は名無しである :2001/08/21(火) 12:09
>>17 ○○は、ジョルジュ・バタイユだったよ。確か。
>>17 ゴンブロヴィチの「コスモス」だかの解説に引用があった気がする。
気圧の変動が激しくて確かめられませんが。
バタイユ、クロソウスキ、ゴンブロヴィチって、三島自身が持てなかった
ロマン根性への憧れの現れに思える。
22 :
吾輩は名無しである :2001/08/22(水) 02:12
クロソウスキーってバルテュスの事指すの?それとも兄ピエール? 厨房ですまん。 おすすがあれば教えて。
23 :
変態ブラザース :2001/08/22(水) 02:23
ピエールのほうだよ。 おすすは「生きた貨幣」「歓待の掟」あたりかなあ。
やっぱこういう作家のスレだと荒れないんだね。
この勢い(?)でゴンブロヴィチスレなんか
建つと嬉しいな。
>>17 、
>>20 、
>>21 漏れは力量不足なので、諸兄の良質レスを
拝見して学びたいものだ。
他力本願ですね、UDSN...
25 :
他力本願 :01/08/26 19:22 ID:xvU8cwrc
もう誰も見てないか。まあいいや。マジレス失礼。 クロソフスキーがテルトゥリアヌスの研究してたこと考えると その辺の知識って不可欠だと思うんだけど、どう? 『バフォメット』も、古代末期の神学と哲学(てか神秘主義思想) を考えるとそんなに意味不明なこと言ってない気がする。 それを現代に、歪曲・逆転して書いちゃうのがあれなだけで。 その辺つっこんだ人はいないのか。 フランス語で読んでないやつが言うのもなんだけど。 なんていうか、三島が何を読み取ったかはおいといて、 クロソフスキーはロマンチックじゃないと思う。 ロマン派的な二項対立なんか採用しないし、さすがニーチェ好き。 (ロマン派はよく知らないんでステレオタイプでごめん。指摘希望) その点フーコーの読みは正しい。 『バフォメット』論も書いててくれたら、『性の歴史』がらみでも 面白くなっただろうに残念。彼には痛すぎて書けないか。
26 :
吾輩は名無しである :01/08/26 19:24 ID:.eDk15ls
ところで、dでるの?いま。
>>26 とんではいないが、なぜか1スレずつしか表示されず、あとは
下の方に潜っている
28 :
吾輩は名無しである :01/08/26 19:36 ID:SyuvfKPU
レスついてるな率直にいって驚きだ
29 :
26 :01/08/26 20:00 ID:pQtJh3dM
>>27 どうもメンタイ鯖はどこも、
そうなってるようだな。
久々age
31 :
吾輩は名無しである :01/09/05 19:27 ID:buzAS43.
「かくも不吉な欲望」途中で挫折あげ!
32 :
吾輩は名無しである :01/09/05 22:08 ID:sYB//kfA
ペヨトル工房はああなっちゃったけど、バフォメットってまだ買えるの?
33 :
吾輩は名無しである :01/09/05 22:23 ID:qp6aUJNs
古本屋にいきゃあ昔の翻訳タイトルで単行本売ってるでしょ、>「肉の影」?(世界異端の文学、桃源社)
34 :
吾輩は名無しである :01/09/06 02:28 ID:n3ufa2Hg
35 :
吾輩は名無しである :01/09/06 04:13 ID:.lNfZZfU
今ベンヤミンで卒論書いてて、 クロソウスキどこまで使うか迷ってる フランス語わかんねからな
ニーチェと悪循環か
↑↑しかし独文でクロソウスキーは無理では?
37は36へのレスです
ニーチェとクロソウスキーっていい関係にあると思う うまく言えないけどお互いに絡み合って美しい調べを奏でるみたいな・・・ 厨房的でスマソ
40 :
吾輩は名無しである :01/09/24 01:27
age
41 :
吾輩は名無しである :01/09/26 16:21
salvage
ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』という ロバが主人公の映画にご出演なさっている。 吝嗇の粉屋のオヤジ役だが、バルテュスにはあんま似てないのね。 最初はアンナ・ヴィアゼムスキー(ゴダールの元カミサン)の父親役の人が バルテュスにそっくりだったんで、 「うお、クロソウスキーもいい男だなぁー」と思ったもんです。
43 :
吾輩は名無しである :01/10/01 16:32
>>42 その映画は現在レンタルできますでしょうか。
もしくは衛星等で放送されますでしょうか、かなり観てみたいです。
検索したところ、
ピエール・クロソウスキー:イマージュの作家<未>(1996)
という(ドキュメント?)作品は見つかりました。
これも観たいです。
44 :
吾輩は名無しである :01/10/01 22:39
(ニーチェについて、トンチンカンな理解をする人が多い中) 彼は、なぜ、まともなニーチェ理解に達したのか?? 教えてほしい。
>>43 レンタルビデオはないが、DVDがでている。
ロベール・ブレッソンで検索すれば出てくると思われ。
ストーリーはキリスト教に依拠したもので、ロバのバルタザールが
すべての罪を背負って…(ネタバレになるのでやめる)となる。
映画・8o板の「神秘主義的映画のスレ」に
ブレッソンはじめ神秘主義の映画監督や作品の解説やなんかがされていて
結構面白い。
ちなみに弟・バルテュスのドキュメンタリー映画には
在りし日の勝新太郎がご出演。
ハルミもちらと出ています。
上の言う「神秘主義的映画のスレ」みてきたけど難しいYo!! マニアが集まっててちとコワイ気も。 そして「バルタザール〜」についてもみっちり書いてあったんで 結局ネタを知ってしまった…。 クロソウスキーについては特に書いてなかったけど、 モーリヤックの孫が主演女優なのね…。 豪華なキャストだ。
47 :
いんちき信吉 :01/10/06 00:56
>(ニーチェについて、トンチンカンな理解をする人が多い中) 彼は、なぜ、まともなニーチェ理解に達したのか?? 教えてほしい。 トンチカンって誰のことっすか? 三島憲一とかは放って置いて良いと思う。 俺は、ドゥルーズ、バルト、フーコー、バタイユのニーチェ論は良いと思うんだけど。 最大の難関は、ハイデガーだと俺は思っている。
48 :
吾輩は名無しである :01/10/09 11:43
かくも不吉な欲望によるage
49 :
吾輩は名無しである :01/10/12 15:55
>>45 ハルミさん、ありがとうございます。非常な遅レスで申し訳ないです。DVDですか・・・。ああ(TдT)
ブレッソンで検索してみましたらありました。
『バルタザールどこへ行く』Au hasard Balthazar
[Drama]監督 ロベール・ブレッソン
脚本 ロベール・ブレッソン
撮影 ギスラン・クロケ
美術 ピエール・シャルボニエ
出演 アンヌ・ビアゼムスキー / フランソワ・ラファルジュ /フィリップ・アスラン / ナタリー・ジョワイヨー
なるほどこれは一癖ありそうな予感。フランスとスウェーデンの共同製作なんですね。
クロソウスキー様ぜひ拝見したひ・・・。
50 :
吾輩は名無しである :01/10/13 02:54
「ところで、肉体がおとりにすぎないとすれば、言葉は風にすぎない」
51 :
吾輩は名無しである :01/10/17 11:50
シュポール/シュルファース
「バフォメット」について、教えてください。フランス語について、サボっちゃったからなんだけど 「バフォメ」っていう発音になるのではなかったでしょうか。 それから、あのなかに出てくる、Knights Templar(聖堂騎士団?)のことは、 フランス語ではどう呼ばれているのですか?(私、邦訳がまだ出てない頃英訳版で読んだので)
53 :
吾輩は名無しである :01/10/18 23:53
>>52 la Commanderie du Temple
54 :
吾輩は名無しである :01/10/20 18:07
クロソウ好きー
55 :
吾輩は名無しである :01/10/20 18:15
56 :
吾輩は名無しである :01/10/21 03:08
57 :
吾輩は名無しである :01/10/21 03:11
58 :
吾輩は名無しである :01/10/21 12:30
おお! こんなところにブレッソン。 ちなみに、今ではDVDもビデオも出ているはずです。 バルタザールにクロソウスキー登場ってとても違和感がありました。 クロソウスキーの作風と全く違うから。
59 :
吾輩は名無しである :01/10/21 14:50
かくも不吉なハァハァハァ・・・
60 :
吾輩は名無しである :01/10/21 18:23
>>58 えっ、ビデオでてるんですか?
レンタルでは見かけないけど・・・
ぜひ拝みたい、クロ様
61 :
吾輩は名無しである :01/10/23 08:27
ピエール・クロソウスキーは、多方面にわたる才能によって 現代フランス文学・思想・芸術に多大な影響を与えてきた。 その小説はサドを想起させ、ニーチェ研究はポスト構造主義 に消えることのない足跡を残している。また、彼の絵画は見 るものをある種の悪夢の世界に誘うものである。本書は俊英 に拠る、希有の才能と生涯の全貌である。 悪夢ですか。
62 :
吾輩は名無しである :01/10/23 18:40
63 :
吾輩は名無しである :01/10/25 04:26
ニーチェっていまだに人気衰えないね。 凄い。。。 サカキバラが使ってたんだっけ?厨房にはカリスマ性があるんだろうか?
64 :
吾輩は名無しである :01/10/26 18:51
上へ。
65 :
吾輩は名無しである :01/10/30 21:35
ディアーナの水浴age
66 :
吾輩は名無しである :01/11/01 04:43
あ げ
67 :
吾輩は名無しである :01/11/01 05:16
どなたかこの御仁のエピソード、略歴を御紹介されたい。 奥さんが日本人だって?
68 :
吾輩は名無しである :01/11/01 08:57
違います
もりあがらんの
70 :
略歴(無断)転写 :01/11/01 20:33
1905 パリの14区Froidevaux通りに生まれる(8月9日)。父エリック・クロソ ウスキー・ド・ロラは舞台装置などを手がける美術史家。母バラディ ーヌ・クロソウスカ(旧姓スピロ)はボナールの弟子。実家はポーラン ドの旧家。 1905 次男バルタザール生まれる(バルチュス)。 1914 転居がつづく。ベルリン、ベルン、ジュネーヴへ移転。ストリンドベ リイをはじめとしてシェイクスピア、ポー、ウォルター・スコット、 バルザック、スタンダールを読む。この地でリルケと面識をもつ。 1922 イタリアのメラーノに旅立つ。リルケ経由でパリのジッド宛てに書簡 を送る。 1923 パリに帰る。ジッドの私設秘書として働く。リセ・ジャンソン・ド・ サイイに入学。 1924 母バラディーヌ、パリに戻る。ピエールは「書記官」になるための講 座を履修するが、試験に失敗する。アフリカ猟騎兵隊第三連隊に入隊 。肺病のため兵役免除。スイスで病後休暇。 1925 ピエールはエコール・デ・ゾート・デチュードの講義に通う。パリに 来たリルケから、「カトリック教徒、共産主義者、極右派によって交 互に抱き込まれた1914年以前のドイツの青年運動。一種の山間学校。 ・・・ほとんどアナーキストに近い自然発生的なボーイスカウト。古 代を再現しようとするロマン主義のプチブル」などについての学位論 文を準備するよう勧められる。学院の試験に成功し、論文のsoutenan ce を受ける。この時期、モーリス・ザックが、ジッドの『偽金つか い』の挿し絵をピエールに描かせることを提案するが、ジッドはその 描写の大胆さに怖れをなして実現せず。 1930 ボワソナード街に転居したおり隣人だったPierre Jean Jouveとヘル ダーリンの『狂気の詩』の仏訳を手がける。またPierre Leyrisとカ フカの『審判』を翻訳。心理学者ルネ・ラフォルグに秘書として雇わ れる。この時期にサドを発見。『フロイト評論』誌を読み漁る。 1933 マリー・ボナパルトの依頼で、「マルキ・ド・サドの精神分析学的研 究要諦」を、Revue de psychanalyse 誌に発表。憤慨したラフォルグ と決別。エコール・デ・ゾート・デチュードでコジェーヴがヘーゲル 論の講義を開始する(〜39年)。 1934 5区のEstrapade通りに転居。バタイユ、マッソン、カイヨワらと交流 する。ジャン・ヴァールからの依頼で、最初のサド論をRecherche ph ilosophique 誌に寄稿する。 1937 活動対象を「聖社会学」とする「コレージュ・ド・ソシオロジー」を バタイユ、カイヨワ、M・レリスたちと設立。この頃キルケゴールと ニーチェを耽読する。ベンヤミンからグノーシス派の文献を教えられ る。 1939 リヨンで、ヘーゲルの研究家でイエスズ会士のフェサール神父と知り あう。宗教生活を探究するべく、神父の勧めでラ・レッスのドミニコ 修道会の修練士となるが、3か月で同地を去る。P・レリスの紹介で サン・マクシマン修道院で神学を学び、学位を取得。同校で『中断さ れた召命』の着想を得る。還俗してふたたびリヨンに戻りフールヴィ エールの神学校に、ついでグルノーブルのラ・トロンシュの神学校に 滞在。 1943 マルセル・モレの勧めでパリに戻り、ダニエルー神父、マリー=マド レーヌ・ダヴィ、マッシニョンらと親交を結ぶ。バタイユやラカンと 再会。 1944 社会援助のプロテスタント運動「シマド」CIMADEに参加。クレルモン ・フェラン近郊のスペイン人難民キャンプで司祭として活動。ルター 派に改宗。 1946 Hamannの『聖書をめぐる瞑想』に、長い序文を付けて翻訳・刊行する。 1947 処女論文集、『我が隣人サド』を上梓する。同書のタイトルは聖ブノ ワ=ラーブル(1748-83)が同時代の侯爵にかんして述べた言葉から。 ドニーズ・マリー・ロベルト・モラン=サンクレールと結婚。彼女は 戦争未亡人で、フレデリックとジャン=シャルルという2児の母。レ ジスタンスの廉でラーフェンスブリュックに収容されていた。クロソ ウスキーたちは親子ともども6区のカニヴェ通りに移り住む。 1948 夫婦間の第1子マテュウ出産。
71 :
吾輩は名無しである :01/11/01 20:34
1949 最初の小説『中断された召命』La Vocation suspendue を出版。自伝 的な内容のため毀誉褒貶あい半ばする。ヴィルパリジに転居、ついで パリに舞い戻り、オデオン近くのローアンRohan 小路に住む。M・ビ ュトールたちと「社交劇の夕べ」を催す。カニヴェ通りに移転し、ロ ラン・バルトと親交、ドニーズをまじえてピアノの連弾を行う。 1954 小説『ロベルトは今夜』Roberte ce soir をミニュイ社から出版。 1956 評論『ディアナの水浴』を出版。ジャコメッテイとマッソンのはから いで、ローアン小路で初めてのプライベートな展覧会を開く。 1959 『ナントの勅令』をミニュイ社から出版。翌年、『プロンプターある いは社交劇』を出版。レリスやバルチュスらとサヴォワでバカンス。 バルチュスの所有するシャシー城に滞在。クロソウスキーはここで『 バフォメット』を執筆し、『アエイネス』を翻訳する。 1964 ミシェル・フーコーがクロソウスキー論、《アクタイオンの散文》を NRF3月号に発表し、クロソウスキー的なシミュラークルの世界を 称賛する。 1965 カニヴェ通りのアパルトマンを出て、13区にあるグラシエール通りに 居を構え、今日に至るまでここで制作を続ける。ドゥルーズが『クリ ティック』誌に《ピエール・クロソウスキー、あるいは身体的言語》 P. K. ou Les Corps langages を発表。同論はのちに『意味の論理学 』の一章として再録される。 1969 『ニーチェと悪循環』 Nietzsche et le cercle vicieux をメルキュ ール・ド・フランス社から刊行。ドゥルーズ、リオタール、フーコー らと交流。 1970 Pierre Zuccaによる写真を収録した『生きた貨幣』刊行。「私は経済 学のなかにそれまで欠けていたひとつの次元を導入したかったのです 」。L'Arc 誌第43号が R. Micha の編集のもとにクロソウスキー特集 を組む。 1971 ハイデガーのニーチェ論の仏訳をガリマール社から刊行。 1972 スリジィ=ラ=サルでのコロック、「今日のニーチェ」にドゥルーズら と参加し、発表を行う。 1974 『ガリバー最後の御勤め』Les Derniers Travaux de Gulliver suivi de Sade et Fourier をファタ・モルガーナ社より刊行。 1975 Pierre Zucca とロベルトをめぐって20分の白黒映画、『禁じられた ロベルト』を制作。 1976-78 Raul Ruizによる2本の映画、『中断された召命』、『盗まれた絵 の仮説』が制作される。 1979 Pierre Zucca とロベルトをめぐって映画『ロベルトは今夜』を制作。 同年バルトが時評(邦訳『小さな歴史』)で言及。 1982 Alain Fleicher による映画、『ピエール・クロソウスキー 吹き替 えられた芸術家の肖像』が制作される。 1984 アラン・アルノーAlain Arnaudとの対談を収めた論文集、『ルサンブ ランス』La Ressemblance を出版。 1978 パリのCNACで最初の大規模な回顧展。フラン・アルノーによるクロソ ウスキー論がスイユ社から上梓される。 1994 戯曲『不滅の青年』L'Adolescent immortel ( Lettres vives )。ア ラン・ジョフロワAlain Jouffroy との対談、『意味の秘めたる力』L e Secret pouvoir du sens ( Ecritures ) を発表。 2001 2月に弟バルチュス逝去。8月12日にピエールも。Tableaux vivants. Essais critiques 1936-1983 ( Le Promeneur ).
>>67 それは弟のバルテュスの方ですよ。写真で見たら綺麗な方でした。
73 :
吾輩は名無しである :01/11/02 19:46
やっぱ知名度が低すぎるのか高度すぎてここでは誰も読み込んでないのか。 オレモナー。。。
74 :
吾輩は名無しである :01/11/04 05:50
(・∀・)age!
75 :
ファル ◆vl9p7xCk :01/11/04 09:41
>>70 >>71 ありがとう。初めて知った。巨人ですな。聖性をテーマにするには
これくらいでないと。
77 :
吾輩は名無しである :01/11/05 11:58
意味の秘めたる力age
つーか、勝手に転写すんなよ
79 :
吾輩は名無しである :01/11/07 21:28
すまんね
80 :
吾輩は名無しである :01/11/08 22:18
現代思潮社から出てる邦訳「かくも不吉な欲望」、クロソウスキーへの 日本での認知度が低かった1969年に初版が出ているという事実は評価するが、 肝心の訳がボロボロ。単なる語法的ミスも多いし、ニーチェなどの原典に 充分に当たってないのが丸分かりで酷い。 いまでも比較的手に入れやすいだけに残念。
81 :
吾輩は名無しである :01/11/13 01:58
>>80 同じ訳者による『バフォメット』もどれだけのものか、少々不安ですな。
82 :
吾輩は名無しである :01/11/13 18:52
原書で読めるツワモノ募集!
83 :
吾輩は名無しである :01/11/13 23:22
賛成。シモネタしてないで、語っておくれ。
84 :
吾輩は名無しである :01/11/15 09:48
まんせー!
85 :
吾輩は名無しである :01/11/19 14:00
あげますよ
86 :
吾輩は名無しである :01/11/24 12:37
dat逝きはさせない。。。
87 :
吾輩は名無しである :01/11/25 14:58
/ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ./ / | 中断されても / / \ / ̄ ̄ ̄ / /  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ | 我が名にかけて ./ /_Λ , -つ \ / / ´Д`) ./__ノ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ / \ / / ⊂_ヽ、 .| へ/ / .\\ Λ_Λ | レ' /、二つ \ ( ´Д`) | /. . > ⌒ヽ / / / へ \ / / / / \\ / / レ ノ ヽ_つ / ノ / / _/ / / /| ノ / ( ( 、 ⊂ -' | |、 \ . | / \ ⌒l | | ) / ノ ) し' (_/
88 :
吾輩は名無しである :01/12/07 16:26
あげ
89 :
吾輩は名無しである :01/12/10 22:28
/ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ./ / | 書き込みがない・・・ / / \ / ̄ ̄ ̄ / /  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ | むなしいね・・・ ./ /_Λ , -つ \ / / ´Д`) ./__ノ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ / \ / / ⊂_ヽ、 .| へ/ / .\\ Λ_Λ | レ' /、二つ \ ( ´Д`) | /. . > ⌒ヽ / / / へ \ / / / / \\ / / レ ノ ヽ_つ / ノ / / _/ / / /| ノ / ( ( 、 ⊂ -' | |、 \ . | / \ ⌒l | | ) / ノ ) し' (_/
>>17 あまりにも遅いレスで失礼。
三島が書いていたのは『小説とは何か』の中です。
現在新潮文庫の『アポロの杯』で読めます。(265ページ)
「現代西洋文学で私のもっとも注目する作家は、他ならぬこのバタイユや、
クロソウスキーやゴンブロウ゛ィッチであるが...」って書いてる。
19世紀を飛び越えて「十八世紀と二十世紀を直に結ぶような。形而上学と
人間との、なまなましい、又、荒々しい無礼な直結が見られるからであり...」
とのことです。
あと『ニーチェと悪循環』は哲学書房から兼子正勝訳で出てたけどもう絶版なの
かな?(原文はちょっと難しいからねー。)
バタイユとかカイヨワとかクロソウスキーとかの『聖社会学』も面白かったよねー。
本人の監督&奥さん主演の映画も10年くらい前渋谷のパート3でやってた。
(『ロベルトは今夜』)これも結構印象的でした。
91 :
吾輩は名無しである :01/12/15 14:16
>>90 本人の監督&奥さん主演の映画も10年くらい前渋谷のパート3でやってた。
(『ロベルトは今夜』)これも結構印象的でした。
思い出しました。そうでしたね。
彼の書いた絵の展示もありました。「ロベルトは今夜」は、
ずいぶん前に河出書房新社から出版されてその後再版されてませんが、
日本では売れないと思われているのかな?
遠藤周作が解説を書いてましたね。
92 :
吾輩は名無しである :01/12/15 17:41
マン毛
93 :
吾輩は名無しである :01/12/16 00:04
なんでここやねん!
90です。
>>91 彼の書いた絵の展示もありました
こっちもこれを読んで思い出しました。あの異様なでかさと
異様な稚拙な感じの絵ってちょっとスゴイなーと当時思いました。
『ロベルトは今夜』もそうですが『ディアーナの水浴』もすでに
絶版なんでしょうかね?個人的にはこっちのほうが好きですが。
画家としてのピエール・クロソウスキーの特集を 「季刊 みずゑ 冬 1984年刊 No.933」でやっています。 「ロベルトは今夜」の、場面がいくつか紹介されてます。 ・”ロベルトは今夜”を検閲中のロベルト ・大男と小人とロベルトのシーン (小説を読んだ方はおわかりですよね?) ・ロベルトを甥に勧めるウィトリーオ 等、です。 なにせキリスト教関係の知識に乏しいので、小説の神学的内容は 半分も理解していないと思ってますが、これらの絵や河出書房新社の 本の彼自身の挿絵を見ると、クロソウスキーの心の中の情念のような ものを少しは理解できる気がするのですが。・・・・・ あと、”男が女の後ろから迫る”という情景の絵が多いのはきっと 何か理由つけが可能だと思います。
クロソウスキーの絵を「線の暴力」と括ってみて、何か語ってみようかと 思ったけど、結局それ以上何も浮かんでこない。振り逃げしよっと。
日本生命の削除依頼公開スレッド
1 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 15:49 ID:???
「削除依頼は公開」の原則に従って削除したものを公開してますー。
ソース。
http://www.dd.iij4u.or.jp/~cap/nissei/ 17 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:01 ID:???
いやぁ、削除依頼は公開って原則ですから、、
( ̄ー ̄)ニヤリ
18 :va :01/11/01 16:01 ID:+W2rWnl4
同じこと書き込んだら、速攻で削除されるのかな?
19 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:03 ID:???
削除依頼がくるまで放置っす。
98 :
吾輩は名無しである :01/12/16 21:15
99 :
吾輩は名無しである :01/12/19 23:51
>>70 >>71 この年譜を見ると、作者は「ロベルトは今夜」の連作への思い入れが大きいように
感じますが、如何なのでしょう?
また、
>>80 で言われている、1969年の訳がボロボロだとすると、それより
前に出版されている(昭和37年)、「ロベルトは今夜」の訳は如何
なのでしょう? 当時良くあった発禁処分を恐れて、おとなしい訳をして
いることはないのでしょうか?
自分はフランス語はダメなので、どなたか教えてください。いずれにしても
もう一度出版してもらいたいものです。
1996年に英訳がでており、来年2月にも新英訳がでる らしいから、買って検証してみようと思う。
何だかんだで100レス逝ったりして・・・
102 :
吾輩は名無しである :02/01/02 18:51
正月age
103 :
吾輩は名無しである :02/01/19 21:59
”ロベルト”には彼自身の挿絵が挿入されている。 彼が比較的若いときに書いたロベルトは溌剌として肉感的で あるが(河出書房版)、多分年をとってから書いたと思われる ロベルトは細身でどこか中性的になっている。 彼自身の肉体の衰えを反映しているのだろうか? いずれにしても、ずいぶん永い年月にわたって”ロベルト”が 彼の中心テーマの一つであったことをうかがわせる。
104 :
吾輩は名無しである :02/01/21 14:25
105 :
吾輩は名無しである :02/01/29 06:56
やっぱり浅田が推すと強いな
106 :
吾輩は名無しである :02/01/29 16:32
ロベルト三部作「ナントの勅令破棄」「ロベルトは今夜」「プロン プター」をいま読んでいる最中なんだけど、「ナントの勅令破棄」 のオチ(オチなのか?)というか結末というかが、よくわかりませ ん。 流刑になるはずだったユダヤ人の子供をフォンAが、イタリア人司祭 に預けた、司祭は子供たちをあちこちの修道院にかくまった、その ために司祭は銃殺になり、フォンAは最前線に送られ負傷した、とそ こまではわかるんですが、 1)フォンAはなぜリストを取り戻そうとしているのか。(ファシス トにばれるとまずいから、それとも連合軍にばれるとまずいから?) 2)ヴィットリオが子供をねたにユダヤ人を脅し、身代金をとった ということは、ヴィットリオはリストを手に入れたということなの か。 3)ロベルトはリストをとりにいき捕まるが、彼女をつかまえた男 女はなにものなのか。 うーん、わからん。 どなたか教えてください。
107 :
吾輩は名無しである :02/02/07 23:39
あげましょ。
108 :
吾輩は名無しである :02/02/08 02:18
ロベルト3部作の3つめ「プロンプター」を読み終えました。 「ナントの勅令破棄」「ロベルトは今夜」より長いけれど、読みやすい というか、面白いですねえ。 妻の謎を探る探索がいつのまにかアイデンティティの喪失にすりかわって しまうというのは、ありがちといえばありがちですが、やはり魅力的かと 思います。
109 :
吾輩は名無しである :02/02/10 14:07
英訳本の”ロベルト”を読んでいるのだが、それに出てきた単語、 「quidest」って、何だ? 英和にも仏和にもないので、どちらかの俗語のようだが。 ちなみに、出てきたのは、ロベルトと大男と小人の場面。 "...he obliges her to put her own quidest in the most perfect state..."
quid est (Lat.)= what is 直訳すると「何であるか」ですが、 そのものの本質とか実体とかそういう意味だと思います。 アリストテレスのカテゴリーの最初のto ti estinが 「実体」と訳されているので、その辺もふまえて。 ちなみに、邦訳(1968)では「問題点(傍点)」になっています。 たいてい議論の最初に問題を提起するときに、直訳すると 「我々はこれの『何であるか』について調べなければならない」と 言いますから(アリストテレス以来のお約束)、これもありです。 一語になって術語として定着していたかまでは分かりません。 どちらにしても意味は文脈から明らかと思います。 中途半端でごめんなさい。
>>110 どうもありがとうございます。
つまりラテン語だったということですか。ずいぶん意味深な
表現ですね。
これに限らず、西欧文学を理解するには、やはりラテン語の
教養が欠かせないということでしょうか。
「チップス先生」にも、パブリックスクールのラテン語の授業の
情景が出てきますが、いまでも欧州のエリート教育には依然として
とりいれられているのでしょうね。
112 :
Sandy :02/02/11 12:21
113 :
吾輩は名無しである :02/02/17 11:37
>>70 >>71 仕事上の略歴はこれで良くわかりますが、私的生活では
どうだったのでしょう?
例えば、弟バルヂュスとの交友、相互の仕事上の影響はあったのか?
家族関係、特に女性関係はどうだったか?
等々
114 :
吾輩は名無しである :02/02/17 11:41
私がまだ学生のころクロソウスキーの舞台やりましたが、 今の学生の方も深い関心をよせているのですね。 私の場合、ニーチェを読む「ダシ」にしてましたが、むしろ ニーチェを「ダシ」にして読めばよかったかなと思います。
115 :
吾輩は名無しである :02/02/17 11:41
「プロンプター」は、日本語訳は古本を探すしかないのでしょうね? あと、画集のようなのは出ているのですか?海外も含めて。
116 :
吾輩は名無しである :02/02/17 11:47
画集出てますよ。日本にあるかどうかは不明。
118 :
吾輩は名無しである :02/02/19 19:31
>>115 え?ということは、私が読んだ翻訳はいつのまにか絶版になってるという
こと?
うーん、おそろしや。
119 :
吾輩は名無しである :02/02/27 19:02
山口椿が、1989年に「ロベルトは今夜」の改作?を出版 している(株式会社トレウィル)。 原作の神学的な部分を意図的に無視し、ポルノ仕立てになって いるように思うが、どうか? 原作者が書き惜しんだところを、ただ露骨に書き足しただけ。
それも一つの解釈とは思うが。 フランス語の原作は遺憾ながら読めないが、英訳を見るかぎり やたらと辞書に無い単語が出てきて、なんか古式蒼然としている 感じ。 この2月に、英語の新訳本がでたらしいが、もうすこし 読みやすくなっているのだろうか?
121 :
吾輩は名無しである :02/03/02 20:23
「ロベルト」の英訳本にでてくる難しい単語。 意味は前後から明らかなのだが。一体、どこの言葉なのか? 仏語の原本も同じなのだろうから、何故こんな言葉をつかったか? 「utrumsit」、「sedcontra」 前者は、日本語訳では、「急所、究極の場所」、後者は「一物」と なっている。
またでしゃばりますが、どっちもラテン語で、 神学の議論でよく使われるものです。 utrum sit=whether be Dubitanti, utrum sit, vel neganti quod... 〜かどうか疑う者たち、あるいは否定する者たちは・・・ (アンセルムス『プロスロギオン』冒頭。普通の使い方) Quarto utrum necesse sit ponere intellectum agentem. 四番目に、能動知性を措定することが必然かどうか〔探求されなければならない〕 (トマス・アクイナス『霊魂論』の見出し) sed contra=but against スコラ学の議論では異論→反対異論→異論回答と進みますが、これは異論回答 をするときの決り文句。 Sed contra est quod in collecta dicitur: これ(異論)に対して、正しく言われているのは・・・(以下自分の意見) ここはトマス・アクイナスの顔でも思い浮かべるとこなんでしょう。 邦訳を確認できないんですが、どの辺でしょうか。 やっぱりフランス語か、せめて英語で読みたいです。 もちろん、「異論回答」とか訳されても困りますし、utrumsitの訳語なんて 見当もつきませんので、こうするしかないんだろうとは思いますけれど。 考えれば考えるほど、sedcontraって上手い使い方ですね。
123 :
吾輩は名無しである :02/03/03 11:41
ラテン語で、神学論争に使う言葉では、なるほどいくら調べても 判らんはずです。ご教示ありがとう御座いました。 彼はなぜこういう言葉を使ったのでしょう。露骨になるのを 避けて、はぐらかしたような表現を狙ったのでしょうか? こんなのがあと一杯出てくるとすると、英語で読むのも楽では ないです。やはりクロソウスキーはますます只者とは思えなく なりました。 >>邦訳を確認できないんですが、どの辺でしょうか。 出てくるのは、例のRoberte、The GuardsmanとHunchbackの 場面です。 彼は亡くなってから、欧州ではどんな評価を受けているのでしょうか? 読者層はフランスではどの層なのでしょうか? 弟のバルトュスは、NHKで取り上げるなど有名ですが。
124 :
吾輩は名無しである :02/03/03 21:34
「ニーチェと悪循環」、a gilles deleuzeだよね。 堅持
125 :
我輩は名無しである :02/03/09 20:34
レクター博士のいとこなんだよね?(実在の人をそんな設定に使っていいのか…)
126 :
吾輩は名無しである :02/03/12 23:26
127 :
吾輩は名無しである :02/03/13 01:31
ハンニバルで使われたレクターの設定でしょ? ハンニバル特集号のブルータスにバルテュスについて多少説明されてた。
128 :
吾輩は名無しである :02/03/13 21:53
レクター博士はリトアニア生まれ、父方は十世紀から続く伯爵家、 母方はイタリアのヴィスコンティ家の出身…だそうです。 レクターは当然ながら?絵心があります。
129 :
吾輩は名無しである :02/03/17 20:08
124 低脳さん。
130 :
吾輩は名無しである :02/03/17 20:10
よんだことねーのにさ
131 :
ヽ( ´ー`)ノ :02/03/17 23:07
かくも不吉な欲望・・表紙がうけるo(*≧□≦)o 昔、古本屋で新書サイズでビニールカバーの「ロベルトは今夜」 見かけた気がするんだけど、何文庫かわかる人いませんか?
132 :
ヽ( ´ー`)ノ :02/03/17 23:16
あ、過去ログに河出書房新社って書いてますね。ごめんなさい 僕が見たのと同じものかな。買っときゃよかった。ペヨトル工房もつぶれちゃったし
133 :
吾輩は名無しである :02/03/20 23:50
低能さん?
134 :
吾輩は名無しである :02/03/21 00:02
ma conscience actuelle ne sera etablie que dans l'oubli de mes autres possibles identites.
135 :
吾輩は名無しである :02/03/21 00:09
画家であり、神学者であり、哲学者であり、作家であり、
才能のある人っていいなあ ってそういうことじゃない?
>>134
136 :
吾輩は名無しである :02/03/21 00:09
厨房はおもしろ。
137 :
吾輩は名無しである :02/03/21 00:20
my current conscience will be established only in the lapse of memory of my other possible identites.
あらゆる分野においておもしろい厨房であったことが クロソウスキーの偉いところですか?
139 :
吾輩は名無しである :02/03/21 15:51
tautologie
140 :
吾輩は名無しである :02/03/22 07:36
>>128 レクター博士って羊達の沈黙に出てくるレクター博士でしょうか?
優雅で凶悪でジョディ・フォスターと戦うあの人ですよね多分。
そら豆と一緒に○○食べちゃうあの人ですよね。
はい、指6本の彼の人です。父方、母方どちらの血筋なんでしょうか?
142 :
吾輩は名無しである :02/03/28 18:28
「アンソニーホプキンス自らを語る」って番組おもしろかったよ。
143 :
吾輩は名無しである :02/04/03 23:26
浅田彰氏の著作『20世紀文化の臨界』に取り上げられていますね。
144 :
吾輩は名無しである :02/04/13 12:49
敬神
145 :
吾輩は名無しである :02/04/15 22:07
At these words, Roberte does not know if it is from shame she trembles because the sentence is carried out, enormous, impetuous, scalding, between her buttocks, or whether it is from preasure she is sweating, becouse this sentence does wide violence to her vacuum; but while the sedcontra penetrates the Inspectress to the point of confounding within her the stiffness of acquittal and the elasticity of penalty, Roberte has been unable to anticipate the gesture of the gauntlet which upon the Inspectress' quidest, in monstrous erection, slips the ring it has just plucked off her finger; in so doing the sedcontra withdrows from the vacuum, from where Roberte looses three farts.
146 :
吾輩は名無しである :02/04/15 22:16
Then seizing Roberte's fingers, he obliges her to put her own quidest in the most perfect state; in such a way that ringed, reared in all its oily sauciness, this latter is promptly mounthed by the Hnchback, to such good purpose that the Inspectress, unable to contain herself any longer, washes spy's gullet with her wickedness・・・・・
147 :
吾輩は名無しである :02/04/17 17:29
美しい
148 :
弁証法的理性批判放棄 :02/04/17 18:45
読んでないが、最近クロソウスキー特集号の夜想を買った。
149 :
吾輩は名無しである :02/04/18 15:49
夜想欲しいな
150 :
吾輩は名無しである :02/04/18 16:18
黒そう好きは樫村晴香が正確に解説しとるぞ、保坂との対談で。
絵へたくそ
まね
153 :
吾輩は名無しである :02/04/21 20:38
>>151 そうは言っても、あの手の絵をもっと上手に!!書けば
危ない絵になってしまう。(今でも相当危ないが)
でも、同じテーマの絵を幾枚か書いているが、それぞれ
微妙な違いがあり、作者の心境変化みたいなのを読み取れる。
あれらは貴重な、作者による自己の小説の解説なのだ。
”Roberte"の色んな場面には相当な執着と妄想を持って
いたようだ。
154 :
吾輩は名無しである :02/04/23 22:10
危ない方が きっと 妄想が いいの クロソウスキーは
155 :
吾輩は名無しである :02/04/30 19:06
浮上
156 :
吾輩は名無しである :02/05/01 03:32
クロソウスキーが死んだのを知らなかった。誰が理解できているのか。 誰が継いでいけるのか---si ce ne pas moi. 彼のフランス語はとても難しい。それは複雑な限定関係がぎっしりと つまっていてどれがどれを限定しているのか、頭の限りを絞って考えないと 明確にできないことが多い。最も難解で、最も凝縮されたフランス語を 記す人の一人。大学時代友人たちと『悪虐の哲学者』を読書会で読んでいた。 神が死んだということを、最も深く理解した人。Je lui succede.
157 :
吾輩は名無しである :02/05/02 13:04
>>156 >彼のフランス語はとても難しい
そのフランス語を英訳した、その英語がまた難しい。
上のほうの書き込みにもあるが、所々にラテン語から
の造語などがあるようだ。
ところで、ずいぶん前の話ですが、渋谷でクロソウスキー
の自作の映画「ロベルトは今夜」を上映したのだが、どなたか
記憶していますか?自分も見たのだが、あまり印象に残って
いません。たしか、彼の奥さんがロベルト役だったと記憶
していますが。
どんな評価だったのでしょうか?
158 :
通りすがり :02/05/02 13:57
>>151 え、あの下手?さがよいのでは。
何故か高校の時に画集買ったなぁ。
ペヨトルの。
160 :
吾輩は名無しである :02/05/02 21:29
>>157 ”自作”ではなく、”自演”だった。監督はピエール・ズッカ。
夫婦共演。
161 :
吾輩は名無しである :02/05/09 00:15
>143 浅田アキラのような軽薄とはまったく別物と思ってほしい。
162 :
吾輩は名無しである :02/05/10 06:00
>>161 軽薄ではないぞ、それにもともと別物だ(w
浅田はクロソウスキーを正当に評価しているぞ
163 :
吾輩は名無しである :02/05/11 00:32
サルにクロソウスキーが分かるわけがない
164 :
吾輩は名無しである :02/05/11 01:11
>162 正確に言って浅田はクロソウスキーをどう評価しているのだ?
165 :
吾輩は名無しである :02/05/16 02:50
正確に言うのは難しいのでは・・・
166 :
吾輩は名無しである :02/05/18 17:24
ともあれ浅田はクロソウスキーを具体的にどう言って評価しているのだ?
167 :
吾輩は名無しである :02/05/18 22:55
>>151 かれの絵はほんとに下手か?
フランスの、パントマイムに似ている。手の動きや
顔の表情など、小説と読み比べてみると興味は尽きないが。
>>166 浅田の『20世紀文化の臨界』
を読んでみませう。おもしろいよ。
169 :
吾輩は名無しである :02/05/20 01:38
>168 あなたに要点を教えてもらえると有り難いのだが。
170 :
吾輩は名無しである :02/05/20 04:44
>167 クロソフスキーの言うファンタズムって、 マイムからかいま見られるものだよね。
博覧強記
172 :
吾輩は名無しである :02/06/02 12:06
マイムマイム
173 :
無名草子さん :02/06/06 22:27
174 :
吾輩は名無しである :02/06/07 21:43
nous sommes davantage que l`individu.
うちらぁ、ちょー個人的って感じぃ
176 :
吾輩は名無しである :02/06/08 12:44
>>173 壁にかかってるのは確かにクロソウスキーの絵。
ちょっとホモっぽい図柄だが、彼にはその気が
あったのか?
自分にはそうは思えないのだが。
スレの上のほうにかれの略伝があるが、女関係はどうだったのか?
小説には、唯一ロベルトしか出てこないので、彼の女性観は
それからしか知りようがないが。
177 :
吾輩は名無しである :02/06/08 22:54
>>173 あの絵は、「少年オジェとサンーウィの騎士長のいる場面」(1982)。
Le Baphemetより。
やはりクロソウスキーの絵はロベルト物が主流。
178 :
吾輩は名無しである :02/06/12 06:47
>>173 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すげえ。色んな意味で。(藁
179 :
吾輩は名無しである :02/06/12 16:05
クロソウスキーはいいんだけどまあその・・・
180 :
吾輩は名無しである :02/06/12 23:04
今バルテュスのドキュメンメンタリーやってるよ! エクニとかいう奴うざすぎ!英語通じてないし(w
181 :
吾輩は名無しである :02/06/18 22:46
age
182 :
吾輩は名無しである :02/06/19 21:13
>>180 バルテュスとピエールは付き合いがあったのか?
兄弟といえどもお互いに影響しあうとは限らないのでは?
少なくとも、彼らの絵は関係ないと思うが。
183 :
吾輩は名無しである :02/06/19 21:19
ん?単に兄弟だからここに書いたんじゃないの? 影響ってことまでは私もよく分からないな〜・・・
184 :
吾輩は名無しである :02/06/25 23:35
173イイ!
185 :
吾輩は名無しである :02/07/03 12:44
ホモage
186 :
吾輩は名無しである :02/07/08 09:12
age
187 :
吾輩は名無しである :02/07/13 16:07
保全
188 :
吾輩は名無しである :02/07/15 19:00
私はバルテュスファンですが、 『バルテュス』という本の中で ピエールのバルテュス絵画への評論読みました。良かったですよ。 活人画っぽいという点では二人の絵は似てるかなあ? 兄弟で、90すぎて同じ年に死ぬっていうのも、なかなかあり得ないけど。 しかしNHKも、バルテュス好きだったりするひとは たいていアンチ江國香織だって気付かないのかねえ
189 :
吾輩は名無しである :02/07/17 08:53
>>188 そうそう。バルテュスと江國じゃどうしたって噛み合わないですよ。
それぐらい分かってもいいのにね。
190 :
吾輩は名無しである :02/07/26 05:54
age~
191 :
吾輩は名無しである :02/07/27 01:29
クロソウスキーの絵ってたんに美術作品としてはどうなの? 誰か専門的な教養のある方はいらっしゃいませんか?
192 :
吾輩は名無しである :02/07/28 12:42
>>191 専門的教養は無いが、
人物の手の位置、動き、表情などは、難解な彼の小説の
またとない解説にはなってると思う。
ずいぶん以前だが渋谷でかれの作品の展覧会と映画の上演が
あった。もう一度、作品数を増やして、開催を希望する。
193 :
吾輩は名無しである :02/08/01 01:05
漏れも希望age
194 :
吾輩は名無しである :02/08/18 05:00
保全
195 :
吾輩は名無しである :02/08/18 05:04
>>191 ドローイング作家としてはなかなか興味深い
けれど大画面を支える構築性を欠いているのが欠点
197 :
吾輩は名無しである :02/08/22 01:01
作家で長寿っていうのも凄いね。
198 :
吾輩は名無しである :02/08/22 01:02
199 :
吾輩は名無しである :02/08/30 19:18
いやです
200 :
吾輩は名無しである :02/09/03 22:49
200ゲット
201 :
吾輩は名無しである :02/09/15 11:11
救済age
202 :
吾輩は名無しである :02/09/29 20:20
救出age
203 :
吾輩は名無しである :02/09/29 20:23
ミノフスキー粒子
204 :
吾輩は名無しである :02/09/30 06:23
なんでシャアやねん!
205 :
吾輩は名無しである :02/10/01 23:35
シベリアンハスキー
206 :
吾輩は名無しである :02/10/04 19:15
207 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:51
....F., lifteng the hem of her coat and skirt up to the small of her back, had started by carresing her, his fingers gliding to the crotchpiese of her panties which were stretched taut in the wide angle between thigh and thigh, since....... これは、「ロベルトは今夜」で、代議士ロベルトが2人の悪ガキに襲われる 場面の冒頭の英訳。ここを昭和37年日本語訳では露骨な表現を避け、「Fは ロベルトを愛撫し・・」とか「・・・下着の縁にまで指をすべらし・・」とか 婉曲に書いているが、上の英訳でわかるとおり、”悪ガキは一杯に股を広げられた ロベルトのパンティーの上から彼女の性器を愛撫した”と、はっきり判るように 書いている。多分、フランス語の原本もそうなのだろう。 日本語訳を読んでいて、なんでロベルトはここでオーガニズムまで追い込まれた のか判らなかったが、英訳を読んでやっと了解できた。 あの時代だったから発禁を恐れたのかもしれないが、やはり、もう一度原文に 忠実な日本語訳が欲しい。
208 :
吾輩は名無しである :02/10/09 14:26
なるほど。こりゃポルノだな。
閑古鳥の声・・・
>>209 しかたがないよ。なにせ少数派。代表作が書店にならんでないんだもの。
211 :
吾輩は名無しである :02/10/15 22:35
ニイチェと悪循環は絶版なの?
>>211 うん、絶版。確か哲学書房だったよね。いい本だったのに。
そう言えば、山口椿も最近見ないね。
もうロベルトのパフォーマンスはやらないのかな。
213 :
吾輩は名無しである :02/10/18 21:51
なんで良い本に限って絶版が多いのかな? どう思います?
214 :
吾輩は名無しである :02/10/19 02:09
メジャーになったらなったで、消費され尽くすのみのことよ。
>>213 買う奴が少ないから。
利幅が小さい。もしくは、無い。
216 :
吾輩は名無しである :02/10/20 22:37
良い本とは必ずしも「定番」とは限らないんだよね。 でも、つい「定番」のような気がして買うのを後回しにしちゃうんだよね。 ちなみにクロソウスキーの作品て、書物としての寿命はあとどのくらいあると思いますか? 50年後「歓待の掟」を読む人がどれほどいるだろうって思うとちょっと鬱。
217 :
吾輩は名無しである :02/10/20 23:36
>>216 微妙だよね。たとえばもっと、商戦に乗っかってれば
違ったかもしれない。ウォホールみたいに出世欲丸出しにやれば。
そう、クロソウスキーのような「定番」って必ず残るとは限らないんだね!
酷い話だ。
どこかの著名文学者か思想家がクロソウスキーを「再発見」してくれれば、 十分、商戦に乗れるだけの要素はあると思うよ。
219 :
吾輩は名無しである :02/10/21 06:04
浅田はいつも再発見しているようだが
>214 でもクロソウスキーは、いわゆる消費されゆく本とは、一線を画してるでしょ? その点は売れても大丈夫じゃないかしら >215 利幅、それはありますね 粗悪品が流通している日本では、いや今日では世界中、どうにもならんかと >216 後回し、これ、よく分かる、私ジュネの文庫でもやられちゃいましたから 気付くともう売ってないんですよ!ふざけるな、と思いますね どうでもいい本はいっぱい文庫にあるのに、 よくわからんファンタジーノベルもどきとか、まじでいらねーよ! 好きな良本は、できるだけ早く買える時に買え!これに尽きるんですかね >218 再発見 してほしいですよ、本当に!でも例えば辻某とかが再発見しても嫌だな(w やっぱ・・・浅田クラスの人・・・
221 :
ティンポ・クロビカーリ :02/10/21 17:54
Asada shi wa 単行本で言及してるよ、クロちゃんに。 どの本かは記憶が定かではないけど。 「天使が通る」だと思った。 たぶん。 美少女と美少年による、生きた貨幣が云々かんぬん、って話。 天使制、だったかな? バルテュスと仲良く変態兄弟だねぇぇぇ、って流れだったかと思われ。
222 :
キャロルくん :02/10/21 18:24
>>221 その「天使が通る」自体が絶版なのですよ!
皮肉ですね
でも浅田氏の対談は、「20世紀文化の臨界」できちんとした形で
読めます
224 :
ティンポ・クロビカーリ :02/10/22 15:06
>>223 ありゃりゃ!
ほんとだ。今調べてみたら文庫のほうも絶版・重版未定 だって。
新潮社、何やってんだかなあ。
でも、「20世紀文化の臨界」の方に島田との対談も採録されてるってこと?
それなら、ま、いっか。
とも思う。
とか書き込んでから調べてみたら、豊崎光一との対談ですね、
「20世紀文化の臨界」の方は。
やっぱ、新潮社、だめだne!
225 :
sin chou sha :02/10/22 22:58
shin chou sha itte yoshi!
豊崎氏との対談は夜想のクロソフスキー特集号に載ってたんですよね。 ペヨトル工房がつぶれて、丹生谷訳で出るはずだった『サドとフーリエ』は どこに行ったのやら。
くだらない話だけど、ハルミ・クロソウスカさんに会った。 お母さんの方が美人だったけど、なんとなく得した気分になった ミーハーな自分でした。
229 :
吾輩は名無しである :02/10/27 00:52
>>226 『サドとフーリエ』って70年代にユリイカのサド特集で訳出されてるよね。
10ページ位の短いものだったけど、抄訳だったのかな?
>>229 いや、あれは全訳のはずだと思いますが。実はそれはもってたり。
ペヨトルからは他のいくつかの文章、「ガリバー最後のご奉仕」とか、と
いっしょに本になるはずだったんですよね、確か。原文は昨年続けて出た
エッセイ集に入ってるのかな?
232 :
吾輩は名無しである :02/10/31 21:45
篠山紀信の被写体になったのは誰?
234 :
吾輩は名無しである :02/11/13 23:00
救済
235 :
吾輩は名無しである :02/11/19 03:47
236 :
吾輩は名無しである :02/11/19 12:01
確か難解な作家は誰か?みないなスレッドあったと思うけど クロソウスキーは難しい。 日本で理解できている人って ごくごく少数でしょう。中世の神学の知識もないと理解できない 部分も多いようだし。 バタイユ ブランショ ベケット だっけ3B これらの人よりクロソウスキーが理解するのに苦労しそう
237 :
吾輩は名無しである :02/11/19 18:53
>>235 読んだ。ヘルダーリンのdissはdiesのことなのかな?
面白くなりそうかもしれない。
238 :
吾輩は名無しである :02/11/20 00:08
>>220 浅田クラスのひと、最低だな。いいかげんやめてほしい。
239 :
吾輩は名無しである :02/11/20 01:00
241 :
吾輩は名無しである :02/11/20 17:33
242 :
吾輩は名無しである :02/11/20 20:29
243 :
吾輩は名無しである :02/11/22 17:53
ニーチェと悪循環の邦訳はもう手に入らないの?
244 :
吾輩は名無しである :02/11/22 18:52
245 :
吾輩は名無しである :02/11/22 22:47
>>241 そのページ情報提供ばかりじゃないか。論文とかを出してくれなきゃ面白くない。
こんなことは営業マンがやればいいことだ。
246 :
吾輩は名無しである :02/11/23 12:44
>>244 情報ありがとうございます。
そうですよね、こんな良書を品切れのままにするのは悲しすぎますよ。
248 :
吾輩は名無しである :02/11/23 13:59
クロソウスキーの論文系のものは翻訳では読む気にならないな−。 フランス語であれだけごちゃごちゃしているものが、どうやったら読める 日本語になるんだろう。五つもあるニュアンスのうちの一つだけ 訳すことになるんだろうな。とは言っても、翻訳も出るんなら出た方がいいな。
>>245 たしかにちょっと寂しいが、手軽なビブリオを出してくれるのはそれなりに
有り難い。それに今時出版営業にそんな力量ないぜよ。まあそう憤るなや。
>>248 確かに。クロソウスキーって、無茶苦茶難しい。お手上げ。ではあるが、
ここで話題になってる「ニーチェと悪循環」は、244の仰るとおり、かなり
マトモな訳ではないか? おまけに、そもそもこんなもの翻訳出版しようという
のが凄いよ、哲学書房。
250 :
吾輩は名無しである :02/11/24 23:37
とりあえずマンセーしておこう。哲学書房。
251 :
吾輩は名無しである :02/11/27 19:06
252 :
吾輩は名無しである :02/11/28 00:23
253 :
吾輩は名無しである :02/11/28 20:18
>>252 クロソウスキーはヘルダーリンも読んでいたらしいな。情報を求む。
254 :
吾輩は名無しである :02/11/29 19:17
おれは知らない。
255 :
吾輩は名無しである :02/11/29 19:21
256 :
吾輩は名無しである :02/11/29 21:30
>>241 のサイトにもありますが、クロソウスキーは1930年、
25歳のときにピエール・ジャン・ジューヴによる
ヘルダーリンの「狂気の詩集」
(Poemes de la folie de Holderlin)の仏訳に協力しています。
幼いころから万巻の書物を読みこなし、
ラテン語・ドイツ語ぺらぺらのこの若者の存在は
ジューヴにとって心強かったに違いありません。
手ごろな情報としては、『夜想』(1987年、22号)の
クロソウスキー特集に小島俊明氏による「ジューヴと
クロソウスキーとヘルダーリン」という短い論文があります。
仏語版からの小島氏による日本語訳を、手塚富雄訳と
比べていたりしてなかなか面白い。興味のある方はぜひ。
257 :
吾輩は名無しである :02/11/30 02:00
そういえば伊東静雄も若い頃、ヘルダーリンの詩の翻訳に招かれたことが あったな。彼の場合は断ってしまったようだが。
258 :
吾輩は名無しである :02/12/04 09:47
弄
259 :
吾輩は名無しである :02/12/04 16:24
>>258 難しい漢字知っているね。すごい教養だね。
261 :
吾輩は名無しである :02/12/05 19:08
262 :
Webmaster :02/12/07 00:16
263 :
吾輩は名無しである :02/12/09 12:11
264 :
吾輩は名無しである :02/12/09 15:20
265 :
吾輩は名無しである :02/12/10 05:39
↑ すごい字があるんだな。
266 :
吾輩は名無しである :02/12/10 13:07
嬲もあるけどな
267 :
吾輩は名無しである :02/12/11 00:12
↑ それは知っている。
268 :
吾輩は名無しである :02/12/12 00:34
>>263 見たよ。兼子先生マンセーっぽかったかな。出てくる順番が。
269 :
吾輩は名無しである :02/12/19 20:11
L'athéisme intégral signifie que le principe d'identité même disparaît avec le garant absolu de ce principe; donc que la propriété du moi reponsable est moralement et physiquement abolie. Conséquence première : la prostitution universelle des êtres. とりあえず、ageの代わりに。出典が分かる人いますか? 簡単かな。
270 :
吾輩は名無しである :02/12/19 23:51
>>269 『わが隣人サド』の1967年版序文『悪虐の哲学者』ね。
ついでにざっと訳してみた。
「全面的な無神論とは、同一性の原理それ自体が、この原理の絶対的な
保証人と共に消え去ることを意味している。したがって責任ある自我の
所有は道徳的に、また物理的に廃棄される。第一の結論はこうである。
諸存在の普遍的な売淫。」
ちょっと添削してもいいですか?たぶん、moralement et physiquement は スコラ哲学における対句のようなもので「精神的かつ身体的に」の方が、 適切なんじゃないかと思います。あと「諸存在」は小文字複数形だから 「諸存在者」の方がハイデガーの『ニーチェ』の仏訳者クロソフスキーを 彷彿とさせるかも。あと個人的な趣味では、intégral は「完き」か「完全 無欠」「完全にして欠けるところ無き」で、donc は論理学っぽく「ゆえに」 Conséquence は「帰結」と訳したいところですね。 ところで河出文庫からジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』が出たのですが、 あれって確かハードカバーのときにはヴィトルド・ゴンブロヴィッチの『ポルノ グラフィア』なんかと同じシリーズで出ていたはずで、ということは、その シリーズにあったクロソフスキーの『歓待の掟』の文庫化ってのも、そのうち ……などと思いましたが、それって期待薄でしょうか?
社会科学専攻なもので、prostitution と見るとどうしても途上国での 女性の境遇とかそういうことを考えて「売春」と訳してしまうのですが、 この文脈でサドなんだから「売淫」の方がロマネスクでいいですね。 勉強させていただきました。
>>271 moralement et physiquement は確かにその訳の方がいいですね。
勉強になりました。
あと、donc のあとのque は、前の行のsignifie que の
que とつながってますから、訳としては「責任ある自我の
所有は精神的に、また肉体的に廃棄されることをも意味している」。
とした方がより正確でした。
「諸存在者」の訳には個人的にちょっと違和感ありです。
あくまでサドの文脈ですから、ここでハイデガー的語彙を
もってくる必要はあまりないかも。
このetresは「人間存在全体」「万人」くらいがちょうどいいと思います。
『歓待の掟』は文庫化されるならそれはそれで
ありがたいけど、その前に新訳がほしいところですね。
長文御容赦。
<la prostitution universelle des êtres>を豊崎さんは「万人の売春」と 訳していて、私もこのところの彼の訳は気に入っています。 <le garant absolu de ce principe>とはもちろんキリスト教の神のことで この論理を後にドゥルーズは「神の死の意味」として積極的に自分の哲学に 取り入れてゆきます。 <la prostitution>と「売淫」と訳すのはあまりよいとは思いません。広義に 「身売り」に近く考えておいた方がよいと思いますが(もちろん「男」もそれを するわけです)、通りやすさを考えるなら「売春」が適当だと思います。 で、一番の問題は <la propriété du moi responsable>の<propriété>ですが、「所有」という よりは「所属」ないしは「帰属」の問題と考えなければいけません。 精神的・肉体的な諸行為が「(責任ある自我としての)私に属するものであること」 =「私の行為であること」、このことが廃棄されるということです。 それは「固有性」と訳されることが多いのですが、わたしは「(自己への)帰属性」 というよううな訳語を考えています。 ここにはヨーロッパの精神史の真夜中があると思っています。
>>269 なるほど。propriété というのは難しい言葉ですね、確かに。ただ
「(自己への)」というのは、moi が soi に帰属する、ということ
なんでしょうか?この「自我」と「自己」というのも難しい用語なんですが。
propriété に対して moi reponsable がどういう関係にあるのか、
そこはどう考えます?いくつかの意味合いが論理的に重ねられているようにも
思うのですが。クロソフスキーだけでなく、こういった de の使い方って
ありますよね。moi が何かに帰属させられることで、その何かの本質を moi が
所有するという帰属→所有といった関係を一挙に表わすようなやり方。で、
「所有」という言葉が出てくるのもわかるのは、galant があるからですね。
「保証人」を「所有」の保証人とみなすか、「身元」の保証人とみなすか、
identité だとどちらでもいいように思える。いずれにしても、この de を
「の」と訳していいのかどうか、迷うんですよね、いつも。
>>270 「悪虐の哲学者」って確か1967年版で増補されたところで、しかも
65年あたりに『ニーチェ』の翻訳をやっていたんじゃないかと思った
んですが年譜を確認したら、71年でした。なので「存在者」は適切では
ないという判断に同意します。269さんがおっしゃっている豊崎氏の「万人」
くらいがいいのかもしれません。「万物」だと「精神」と「身体」をもたない
ものまで含まれてしまいますから。
>>269 より正確にはこうですかね。あるものが何かに帰属させられることで moi が
生成し、その何かの本質を moi が所有する。そうした一連のプロセスが
廃棄される、という読みはいかがでしょう。
>>276 ちょっと違うと思います。
神が存在しているなら「固有の自我」がただ一つ存在し、私の諸行為はこの自我に
帰属させられる行為になる、ということだと思います。ところがこの「固有の自我」
の存在の最終的な根拠となる「神」が否認される時、<私>のさまざまな行為が、
この自我の行為ではないということになりえるので、「私のさまざまな行為」が
「さまざまな私」の行為として、結局責任を負う「誰か」がなくなってしまう。
我々は、そういう世界に投げ出されているのだ、ということでしょう。
(行為に責任を負わせるためには)ある行為が「誰の行為か」ということが
問題なのです。そしてその「誰」を引き受けるひとつの自我がなくなってしま
ってよくなるということです。
たくさんの行為によってたくさんのmoiが生成するのだとすれば、そうした
プロセスが承認されること自体完全な無神論であって、そのプロセスが廃棄される
ことはないのです。
>>269 なるほど、ただそうなるとそれをなおも「たくさんの moi」 と呼ぶ必要はあるんでしょうか?
reponsable と限定がついているのだから、reponsable ではない「たくさんの
moi 」が生成する、ということなのか。私としては、moi reponsable の
生成のみに使用されていたあるひとつのプロセスが廃棄され、その同じプロセスが
moi reponsable 以外の多数多様なものの生成にも開かれた、ということなのかと、
『アンチ・オイディプス』を念頭において、上の引用箇所は読んでいたような気が
します。歴史上のすべての名前が「私」だとすれば、「たくさんのmoi」と言う
ことは可能なのかもしれませんが。それをなおも moi と呼ぶのは新たな「責任」に
ついて考えるから、なのでしょうか。
クロソウスキーのここでの議論によれば、責任を負う自我に関係づけられない (=帰属させられない)さまざまな行為が可能で、それがむしろ常態である ということを示すのが完全な無神論だということでしょう。このところでは 「責任を負う自我」は必ずしも消失しているわけではなく、たとえば法的な 責任を負う自我としては存在しているが、その自我は私のすべての行為の 責任を引き受けることはないのです。 ご承知でしょうが、ここ(=『悪虐の哲学者』)でのクロソウスキーの議論は サドのソドミズムを徹底した無神論の行為として読み解くことです。そこを 離れた議論をすることで話が曖昧になることを危惧します。
はい、それはわかっているつもりです。だから「その同じプロセスが moi reponsable 以外の多数多様なものの生成にも開かれた」と 「にも」という言い方をしました。「責任を負う自我」のみを生成する あるひとつのプロセスの廃棄は、「責任を負う自我」を消失させるわけ ではないですよね。そして廃棄されたのと「同じ」プロセスが「責任を 負う自我」だけなくそれ以外の何かも生成する、と言ったつもり だったんですが。確かに『悪虐の哲学者』からは逸脱していますね。 完全な無神論の帰結として成立するものの方に話をもっていきすぎ ました。
「同じプロセスだろうか?」とだけ言っておきましょう。 >「責任を負う自我」のみを生成するあるひとつのプロセスの廃棄 これもよく分からない表現です。具体的にどいうプロセスなのでしょう。 カントが分析したIch denkeの必要性のようなことですか?
「同じ」というのは meme(アクサン省略)ということで identique ではないです。ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で とりあげたエディプス機構のことを考えて、上のように言いました。 で、abolir を辞書で引いたところ、(法律、習慣などを)廃止する、と なっていて、念の為に仏仏も引いてみたら、abolir une loi,une coutume etc. となっていました。そこで思ったのですが、ここって「保証人」→「売り」って いうエコノミーの用語が用いられていますよね。だから propriete (アクサン 省略)をこの流れの中で考えるなら、「保証人」→「所有権」→「売り」に した方が、abolir という動詞の用法にも合うんじゃないか、と思いました。 そこでとりあえず「所有権」と訳しておいて、269さんのおっしゃることは 訳注で詳しく説明する、というのがいいのではないでしょうか。
ついでに本棚の奥から引っ張り出して、豊崎さんの訳を調べてみたら 「固有性」となっていて「プロプリエテ」とルビがふってありますね。 で、その次のパラグラフの文章に現れる、expropriation は「所有権剥奪」と 訳してルビをふっている。もし、expropriation をそう訳すなら、 propriete は類語だし、やはり「所有権」でとりあえず訳しておけば いいのでは、とそう思いました。
DFCの用例で基本的にはよいと思いますが、<propriété du moi responsable> が<abolir>される、というのは、結局それに頼らなくなる、行為の正しさをそれに 求めなくなる、ということですね。「売り」というより「廃止」です。 とすると、やはり「所有権」ではさっぱり分からなくなると思います。 また<le garant>もこの原理の<garant>、しかも絶対の<garant>なのですから、 経済的な用語の流れで語られているわけではありません。保証人ではなく「保証者」 とすべきでしょう。自己同一性の原理の絶対的な保証者が消えてしまっている、 ということです。あえて言うならカント的な権利問題の脈絡であって、むしろ 法律的な用語の流れになると思います。 それで結局、<propriété>の訳として、私は「帰属性」を主張したい。こう訳す ことによって思考が一歩進むはずだと私は信じています。 思うに、鷲田清一さんのここ10年の取り組みは、この<propriété>の問題を 身体の側から整理できないかという試行だったと思うのですが、彼がこの問題に ついて成果を出したということを私は残念ながら聞いていません。 これはきわめて大事な問題のはずです。ハッタリや借り物ではなく、考える 筋道についての試案をもっているひとは、ぜひ教えて下さい。
「売り」としたのは prostitution のことです。売春、身売り、で「売り」 ですね。それから「所有権」というのはおそらくそれを保証する制度を含めて いっている。だから、 abolir という動詞、もちろんこれは「廃止する」で すが、それが用いられているんじゃないでしょうか。所有権が制度なり、法なり 慣習なりによって保証され、認められているのが、その保証制度や、保証の法や 保証の慣習が廃止されるということです。prostitution はここではひとつの institution として考えられていて、だからドゥルーズはサドに対して「制度」と いう概念を用いる際にクロソフスキーのサド論に言及する。 別に269さんの「帰属性」というのが間違っているとは言っていません。でも、 そうすると次の expropriation ってどうなるんでしょうか。たぶん広義の エコノミー、デリダなら economie generale と呼ぶであろう、バタイユの 理論のことをふまえて、クロソフスキーはここで「保証人(保証者でもいい です)」→「所有権」→「売春、身売り」という一連の用語を用いている んじゃないかと、思うんですが。どうしても訳注じゃダメなんでしょうか? つまり、動詞の用法からすると「〜性」を廃止する、という言い方はかなり 無理があると思うんですが。それこそ「所有権」以上に無理ありませんか?
そして、このサド論で言っているのとほぼ同じことを、クロソフスキーは La monnaie vivante でも言ってますよね。で、monnaie というのは 「貨幣」なわけです。一貫して、サドやフーリエを広義のエコノミーと して考える姿勢が、クロソフスキーにはあるんじゃないでしょうか。 先ほど説明し忘れたので、「所有権」について。つまり、ここでのこの 「所有権」という単語は修辞学でいうシネクドキとして、提喩として 用いられていて、「所有権」という語によってそれを保証する制度 全体をあらわしている。その直前に「保証者」という語もあって、そうした 修辞的用法は理解されやすい。そのうえでの abolir という動詞の選択 なのではないでしょうか。
282で私の解釈を注釈に採用してくださるというのは光栄に存じます。しかし 今、時間がなく、多くのことに答えられないのですが、まずお願いして おきたいのは問題をできるだけ拡散しないようにしてほしいということです。 エコノミーをデリダ風に拡張することもここでは避けて下さい。282の ご意見は狭義のエコノミーとして(エコノミー・ポリティックとして) 発言していると考えられるので284と答えました。
283,285の<expropriation>については後日答えます。今確認しておきたいのは <prosititution>に単純に「売る」という意味を読み込んでしまうのはまずい だろうということです。『生きた貨幣』の問題は、情欲の対象となる生きた 人間を貨幣として使うという問題ですが、『悪虐の哲学者』では、問題は ソドミズムです。ここではソドミズムの問題を押さえることが重要です。 それで<prosititution>ですが、ご存知のようにDFCはこれを二つの意味に 分けて説明しており、これは妥当なところだと思います。そしてDFCは、「売春」 に当たる意味を、<prosituer> 1. Prostituer quelqu'un, le livrer à la débauche contre de l'argent. (お金と引き換えに人の身を放蕩に委ねること) と説明します。ここには二つの契機があり、「身を放蕩に委ねる」という契機と、 「お金と引き換えに」という契機です。後者は「売る」ということでしょうが、 前者はそうではありません。そしてクロソウスキーのここでの問題は、身を放蕩や 快楽に委ねること、しかも種の維持に反する仕方でそれをすることが問題ですね。 重点は「売る」かどうかということではないのです。
それゆえ、むしろ、<prosituer> <prosititution>の第二の意味の方に近付けて 解釈する必要があると思います。第二の意味は、2. prostituer son talent, un art, etc., en faire un usage avilissant, dégradant.(自分の才能や 技を卑しい、品位を落とすことに用いること)というような意味です。 みずからを<avilier>すること、「卑しめること」というような意味です。つまり この意味で、責任ある自我に<属さない>行為を行なうことの常態化として、その 最も重たい行為として、<prostitution>「売春」が第一の帰結として出てくるの でしょう。 それは分かっているのだ、とまた言われそうですが。 私の主張では、「帰属性」の「性」は、日本語の脈絡次第では無くてもいいの です。また、場合によっては固有性の方がはるかに通りがいい場合もあるとは 思うのです。だから、翻訳するなら訳注で解説するというのご説は分かるのですが、 内容理解上、ここの<propriété>では帰属が問題であり、そして一体誰に帰属するか、 誰が所有するか、という非常に根本的な問題が非常に研ぎ澄まされた形でここに 出て来ている、ということを確認しておきたいのです。そしてそれを考え 進めたいのです。
そしてもう一つ。285に関してですが、クロソウスキーのここでの問題は、 峻別することは必ずしも可能ではないですが、「制度」の問題ではなく 「原理」の問題だと考えています。そして「原理」の問題は「制度」の問題に 先立つと考えています。クロソウスキーのここでの問題がinstitutionの問題だ と言うためには、周到な準備と解釈が必要なはずです。クロソウスキー自身が 「原理」と言っているのですから。
もう一度繰り返すと、269さんが「帰属性」についておっしゃっている 内容については異論はないんです。ただ、翻訳の文章とそれとは別だろうと 思っているだけです。で、確かにクロソフスキーは「原理」だと言っている わけですが、彼はそれを「制度」と切り離して考えてはいないでしょう? 269さんも「峻別することは必ずしも可能ではない」とおっしゃっている わけですが。269さんが290でおっしゃることはわかるけれど、abolir と いう動詞の選択はやはり無視できないと思います。仮に「帰属が廃止される」と 訳したとして、問題がなくなるわけではないと思いますし。 たとえば、『生きた貨幣』の1994年版の原書では29ページからはじまる パラグラフ、邦訳では58ページの終わりから始まる箇所を見ていただくと わかると思うんですが、そこではほぼ同様のことが言われ、se vendre と achat という単語も出てきますよね。つまりprostitutionにはDFCの 2つの意味が重ねて用いられている。実際『生きた貨幣』の当該箇所には humilie ou humiliable (アクサン省略)という語、「辱められ、あるいは 辱められうる」という語も出てきます。最初、269さんが原文を引用なさった ときに、私は『生きた貨幣』のこの部分なのか、それとも『わが隣人サド』 なのか、迷ったんですね、実は。 それから引用箇所は「侵犯のモティーフは全面的無神論というサドの諸公準を たがいに矛盾しあうものにする」と題された節の冒頭で、引用された文章の 次のパラグラフの主語は「侵犯の欲求」です。デリダについてここで何か言う 気はないですが、クロソフスキーの個人史を考えてもここでバタイユを想起 せずにいることは困難だと思います。
あともうひとつ。原書30ページ、邦訳59ページにフーリエとの対比で サドについて「サドにおいては普遍的売春の原則(兼子さんの訳では こうなっていますが、ここは269さんのおっしゃるように「原理」と した方がいいでしょう)を生み出すのである」と言われた直後に deux points があって、a savoir que (アクサン省略)と続いて、 「各々の男および女は、自らを売るように要請され、あるいは買うように 提案されるのである」という文章があり、「売る」「買う」はイタリックで 強調されているわけですね。 で、269さんの引用された箇所のすぐ次のパラグラフでは、instituable と いう語が文章に現れ、その次のパラグラフの最初の文章には instituee (アクサン省略)という語も出てくる。「原理」を徹底して「制度化」との 関わりで考えようとしているところに、クロソフスキーの魅力があるのでは ないか、と私は思うんです。少なくとも、私はそこに魅かれます。
基本的にあなたの主張されていることと私が言っていることにあまり違いはない のかもしれません。クロソウスキーが >「原理」を徹底して「制度化」との関わりで考えようとしている ということに異論があるわけではないのです。(ただ、私は原理自体に関心をもつ のですが。)また引用箇所を考えるためにバタイユを念頭に置くべきことにも異論は ありません。ただ『生きた貨幣』の方はむしろその後の展開だという風に理解しています。 271さんとの違いは、多分<abolir>が何を廃止するか、というところにあるのだと 思います。 >(<propriété>を「所有権」と訳した上で)「所有権」という語によってそれを >保証する制度全体をあらわしている。 という意見には賛成できません。271さんは、「婚姻による所有制度」が<abolir> されると考えているのでしょうか。そうだとするとそれは、<moi reponsable>と どう関係するのでしょうか。また、この自己同一性の原理の絶対的保証者 (<le garant absolu>)とはどう関係するのでしょうか。 修辞学については昔勉強したことはあるのですが、今はすっかり忘れています。 286「提喩として用いられている」という主張は、どういうことなのでしょう。 説明していただけると有難いです。 いずれにせよこの問題はトマス・アキナスがスンマ第3部の「婚姻の秘跡」で 論じていることと周到に対決させて論じなければならないでしょう。いずれやり たいと思っていますが、私にはまだそれをする準備ができていません。 お教えいただければ幸いです。
Sade mon prochainのテクストがしばらく手元に無かったので、少し無駄な 書き込みをしてしまったかもしれません。おわびします。 ところで、こういうテキストがあります。269の引用と同じページの少し後の ところです。 Ainsi la prostitution universelle n'a de sens qu'en fonction de la propriété morale du corps individuel. Sans cette notion de propriété la prostitution perdrait de sa valeur attractive. 試しに訳しておくと: かくして万人の売春は、個人の身体の道徳的プロプリエテとの関連においてしか 意味をもたないのである。このプロプリエテの観念なしには万人の売春もその魅力 を失ってしまうであろう。 このようなテキストでのプロプリエテは、「所有権」と訳すのが妥当だと思います。 「私は私の身体を所有している」という観念のことなのですから。そしてフーリエ的 な制度は、たとえば「オネイア共和国」のような形で一応成立可能なのでしょうが、 そういう制度の下では、逆に「侵犯」することが不可能になってしまう、というのが ここでクロソウスキーの主張していることで、それはその通りだろうと思います。
しかし、「私は私の身体を所有している」という表現は何を意味しているのか、 「私の身体を所有している私」とは一体何なのか、ということを考えなければ ならないと私は思っています。このことについて思考するためには、<propriété> を「帰属性」に引き戻して考えなければならない、というのが私の主張で、この 主張は場合によってはクロソウスキー自身の思考を批判しなければならないことが あるかもしれません。それは288で言った<prosituer>の二つの契機を、 クロソウスキー自身が混同していることがあるように見えるからです。294の引用でも 「プロプリエテを剥奪すること」と「売る」こととは別のことでありうるはずです。 この混同は『生きた貨幣』の方により頻繁に見られるように思うのですが、271さん どうでしょうか。
271さんには結局色々教えてもらっています。私には『悪虐の哲学者』の方が 『生きた貨幣』よりだいぶ魅力的なのですが、それは前者の方が禁欲的に原理的な 問題をつきつめているからのようです。 もうエクスプロプリアシオンについて述べる必要は無いですね。 近々、『生きた貨幣』から関連したテキストを引いてきます。検討して いただければ幸いです。 295訂正「プロプリエテを剥奪すること」→「プロプリエテを剥奪されること」
298 :
吾輩は名無しである :02/12/26 04:33
La Monnaie Vivant pp.29-30 Antérieurement à l'utopie harmonienne et comme sa réfutation anticipée, Sade avait développé au nom de l'universalité de la sensation voluptueuse, et comme un postulat découlant de l'athéisme intégral, une mise en commun dans le sens de la violation de la propriété physique et morale des personnes.
299 :
吾輩は名無しである :02/12/26 04:34
Du fait que le Dieu moral, garant du moi responsable et identique à lui-même, disparaît, chacun appartient à tous et tous à chacun, en tant que biens.
300 :
吾輩は名無しである :02/12/26 04:37
Mais ce qui se présente chez Fourier comme une expropriation moral gratuite des personnes selon la loi différentielle des affinités donne lieu chez Sade à un principe de prostitution universelle : à savoir que chacun et chacune sont appelés à se vendre, ou proposés à l'achat ; pour que chacun et chacune soient vendables, il faut que chacun garde sa propriété morale qui constitue la valeur de l'individu mis en vente : l'esclave n'est pas un objet inerte dépourvu d'amour-propre, mais un vivant, réduit à l'état d'objet dont l'attrait consiste en ce qu'il se trouve (délibérément ou non) humilié ou humiliable dans sa dignité, son intégrité, soit dans son aptitude à posséder son bien propre, à se posséder lui-même ; c'est de la rupture de cette intégrité, par cette prostitution volontaire ou forcée, que découle l'émotion érotique sadienne. 271さんが291,292で論じているところです。存分に議論して下さい。
301 :
吾輩は名無しである :02/12/26 04:40
訂正 La Monnaie Vivant→La Monnaie Vivante 兼子訳『生きた貨幣』P.59あたりです。
302 :
吾輩は名無しである :02/12/29 18:10
ここ良いスレですね。
303 :
吾輩は名無しである :03/01/07 14:11
黒そう素気
304 :
吾輩は名無しである :03/01/14 08:07
保守
(^^)
306 :
吾輩は名無しである :03/01/23 11:18
コンなsyれにも自動ロボットが・・・
307 :
吾輩は名無しである :03/02/03 08:22
保守
308 :
吾輩は名無しである :03/02/06 19:31
カバー付いてないけど、『ニーチェと悪循環』200円で手に入れた。 うれしー。状態も良い。
309 :
吾輩は名無しである :03/02/25 02:33
310 :
吾輩は名無しである :03/03/05 23:54
>>309 聞き逃しちゃったよぅ。。。
せっかくの情報だったのにぃ。。。
神学者でしょこの人
312 :
吾輩は名無しである :03/03/10 15:07
313 :
吾輩は名無しである :03/03/11 14:09
神学者ではないだろ、神学に相当精通していて、その影響が色んな著作でみられるけど
314 :
吾輩は名無しである :03/03/11 19:50
理想1984年8月 特集=フランスの哲学 『わたしの父としてはすでに死んでおり、わたしの母としては生きつづけ・・・』 須藤訓任 この論文はクロソウスキーについての論文だった。 クロソウスキーのホムベの文献目録に載ってなかったと思うんだけど、 メールの仕方がわからんからここに載っけておく。
315 :
吾輩は名無しである :03/03/21 11:43
hoshu
316 :
吾輩は名無しである :03/03/27 22:54
強引にサルベージ
317 :
吾輩は名無しである :03/04/12 15:44
salvage
age荒らしこそ一掃されてほしい。馬鹿たれが。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
人いないね。
なんだ ブコウスキーのあだ名じゃないのかよ
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
323 :
ブコウスキー :03/05/29 01:46
俺の文体まねすんなよな、どうせ翻訳だろうけど
バフォメット保守 「ド・パランセの奥方(略)は隣の羽振りのいい騎士領に以前から目を付けていた」
プロローグ
327 :
吾輩は名無しである :03/07/13 18:17
まだあったのかこのスレ!
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
329 :
吾輩は名無しである :03/07/17 20:42
良スレage バルテュスの絵は好きだが、クロソウスキーは 読もう読もうとして読んでいないけど。
330 :
吾輩は名無しである :03/07/19 18:52
天才江川達也氏いわく読者は馬鹿。 1 :吾輩は名無しである :03/07/19 18:24 「デビュー以来、表層に見られる軽薄な作風の中に、 誰にもわからない深いテーマ性が隠されている漫画を描き続けているが 全然評価されない、本人だけががんばっている漫画家。」 という江川氏。自ら教育漫画家と称している。 ブランショやバタイユ読むくらいなら江川氏の漫画を読め、 てか江川を語れ。文学板の諸君。
331 :
吾輩は名無しである :03/07/22 09:17
あーん?
綿矢りさとクロソウスキーってかなりの共通点があると思う
煽りは無視で
バタイユ 一神教 クロソウスキー 多神教 ブランショ 無神教 多少強引ぐまいうぇいだが
恥ずかしながらクロソウスキー読んだとないけど 映画『ロベルトは今夜』のビデオを借りました。 数日中に見まーすわくわく
336 :
( ・∀・)さん :03/08/13 04:10
復刊ドットコムで、クロソウスキーの絶版・品切本のリクエストを しようと思いますが、皆さん、投票してくれますか? リクエスト作品も教えてくれるとありがたいです。 『わが隣人サド』と『生きた貨幣』以外を復刊キボンヌでいいでしょうか?
337 :
吾輩は名無しである :03/08/13 07:30
古本屋にけっこう出回ってるから俺はいいや
「ニーチェと悪循環」と「画集」、復刊キボンヌ・・・ (´−`).。oOそういえばキボンヌって最近使わないな〜
339 :
( ・∀・)さん :03/08/13 15:57
>>338 画集はペヨトル工房から出たものでしょうか?
340 :
マリーナの夏 :03/08/13 16:25
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
342 :
( ・∀・)さん :03/08/18 19:06
あげ
343 :
吾輩は名無しである :03/08/18 19:13
「今私のオッパイ見てたでしょう。」ってそりゃ見ますって。
これだけの立派なオッパイが目の前にあったら。
淫乱女教師がフェラ、パイズリで同僚の先生を責めまくります。
挿入部のアップも豊富なのでオマンコもモロ見えですよ。
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344 :
吾輩は名無しである :03/09/02 23:11
「バフォメット」の訳はどうですか。浅田が解説してるから大丈夫かな?
345 :
吾輩は名無しである :03/09/05 19:10
おいこら!
346 :
吾輩は名無しである :03/09/08 20:53
遠藤周作が会ってるんだよね 遠藤の サドの城 に書いてある 女しか信じない、と言ったそうだ 女のしりの写真ばかり 部屋に貼ってあったそうだw
347 :
吾輩は名無しである :03/09/10 15:33
あげてみようか・・・・・・ レニの死の報を聞いてなぜかクロソウスキーも死んでたっけなどと思い出して、来てみた。 俺の脳みその中でちかい所にいたのか・・・・・・・
>>338 きぼーん。筑摩書房あたりに、文庫で『悪循環』の復刊を望む。
文学による表現の合間に、そしてまずはその余白に、デッサンと絵画的表現が育ち始め、 時とともにそれらが大きな比重を占めるにいたり、ついには決定的な形で、文学言語による伝達にいやおうなくとって変わることになりました。 いやおうなく?それはあえてなされた選択だったのです。この点をどのように説明すべきでしょうか。 書くことを通じてなされるある特異な感情の表現、その場合にはひとびとが作者と言語を共有し、 この言語を程度の差こそあれ一般に理解することが必要です。したがって、このような表現形態は共通感覚の検閲をこうむるわけであり、 そこに数々の誤解が生じることになるのです。 『ロベルト』および『バフォメット』の著者として、私が苦しんだのもこの点です。ところが画家の様式は、 これとはまったく逆に、いかなる解釈がそれについてあたえられようとも、還元不可能な偏執をあからさまにさらけ出すことになります。 結局のところ、産み落とされた詩作品をほかの言語に翻訳することは可能であっても、絵は翻訳できない。 ロベルトの肖像も若きオジエの肖像(『バフォメット』)も翻訳はできないのです。それぞれの像は歩きまわり、 あちらからこちらへと見るひとびとのあいだを移動します。たとえ彼らの話す言語が違っていようとも、 見るやり方はどこでも同じなのです。 すなわち目を閉じるか、あるいは目を開けるか。というのも絵の様式は最初の瞬間から見るひとの感性をとらえているのですから。
350 :
( ・∀・)さん :03/09/24 00:46
351 :
吾輩は名無しである :03/09/24 00:49
『ルサンブランス』も版元がつぶれたからなあ。 『かくも不吉な欲望』はいきてる?
サドとフーリエは勇み足だね 出てないよ
353 :
( ・∀・)さん :03/09/24 02:04
>>351 『ルサンブランス』はつぶれる最後の注文時にゲットしました。
復刊リクエストを出しましょうか?『かくも不吉な欲望』は
大きな書店で見ますよ。まだ生きているようです。
>>352 あ〜、出てないのですか。予告だけだったのですか?
354 :
吾輩は名無しである :03/09/24 04:50
355 :
◆V6syMX.V1Y :03/09/25 18:49
「わが隣人サド」はどうだろう? 晶文社はまだ出してるかな?
356 :
( ・∀・)さん :03/09/26 00:57
>>355 books.or.jpでやりましたが、ヒットしませんでした。これは、まだ
古書でも手に入りますが、リクエストしましょうか?
『GS』の1号で「ガリヴァー最後のご奉仕」だけは読めます。
『夜想』の24号(≠22号)でピエールズッカが「ロベルト〜」について書いてます。
ガイシュツだったらスマソ。
>>241 にはとりあえずなかったみたいなので。
358 :
吾輩は名無しである :03/09/27 22:39
359 :
吾輩は名無しである :03/10/10 18:20
>>357 GSってなんですか?
おそらく1号とあるので雑誌だと思うのですが、
「雑誌 GS」ググってもグループサウンズと美神とかいうワケワカランのしかヒットしません。
教えてくださいヽ(`Д´)ノ
360 :
吾輩は名無しである :03/10/10 23:36
>>359 季刊GS「たのしい知識 la gaya scienza」(1984年、冬樹社)
361 :
吾輩は名無しである :
03/11/06 17:29 「サドとフーリエ」面白かったです。 けど『生きた貨幣』をダイレクトに読むべき?