1 :
三丁目:
一体。赤ずきんちゃんを書くまでなにをしていたのか?
蒼髭 のあとはなにをしているのか?
紘子の亭主 というのはナシよ。
ご存知の方おしえて!
当然既出とはおもいますが。
2!
3 :
吾輩は名無しである:2001/08/10(金) 21:59
kitai
age
中村紘子のエッセイの代筆をしているのが庄司薫ではないかという噂はどうやら本当らしい。
5 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 00:37
何かの広告で紘子ちゃんの肩書きが「ピアニスト作家」になっていた。どっちが本業だ?
それとも夫と一心同体?
6 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 02:45
東京大学法学部卒だけど彼は根本的に働くのが嫌いな人らしいんだ。
でも頭脳は優秀。で彼自身も有名人かつ東大法科人脈がある。
中村紘子さんについてはいろいろスキャンダルとか出る事が何年か一度はあるよね。
彼女も謎の多い人だけど。そういった時の対策をしているというのは聞いた事あるよ。
それと、彼は中村紘子の夫ということで彼女のプロデュースをしているとでもいえばいいのかな。
業界では有名な話しです。
>>6 高校に入るときと大学に入るときとで1年ずつ浪人したらしいがね。
8 :
:吾輩は名無しである :2001/08/11(土) 03:14
庄司薫はその気になればいまでも強烈な
一発を放てるということで良いでしょうか?
9 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 03:21
そんな甘いもんじゃなかろう。
終わったということだよ。
10 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 03:24
というより
生きてるのか?
もう、すげえ歳だろ。
11 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 04:08
赤ずきんちゃんについて言えば、サリンジャーというよりも
故・野崎孝による独特の訳文あればこそではないかい?
俺自身は、福田時代の「喪失」を、時折読み耽る方が好き。
12 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 13:10
13 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 13:21
14 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 14:08
そんなに年ではないだろ?
昭和11年とかそのくらいの生まれじゃなかった?
15 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 14:24
>>13 彼は何もかも完璧な頭脳明晰な永遠の青年という雰囲気がウリなのよ。
16 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 14:25
フェラーリ乗ってゴルフ三昧というのは有名。
ときどき雑誌に出てるよね。
>>4 >>7 正解。中村紘子の名の方が、売れる<著作
よって、エッセイその他、プロデュースし且つ薫さんが全部書いている。
紘子の母親が経営していた画廊が倒産し、
多大な借金が紘子の肩にのしかかったが、
それも見事に支え切り抜けた。確かもう、大方の負債は返済し終えた…か?
18 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 16:52
髪結いの亭主ということが似合う人ですよね。
彼はでも本当に働くことがキライなのでしょうか…。
私もよくそれを耳にしますが少なからず納得できない部分があります。
19 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 21:16
なぞの多い人だわな
>18
違うな。夫婦でタッグを組んで、どうやって世間と渡り合うのが
一番良い方法か、それを思慮した。みごとな手腕だと思うよ。
女房も含めて、全てをうまく御しているもの、いまのところは。
紘子の著作は、むろん薫氏が書いてる。
21 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 11:44
期待上げ
22 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 12:11
>違うな。夫婦でタッグを組んで、どうやって世間と渡り合うのが
一番良い方法か、それを思慮した。みごとな手腕だと思うよ。
なるほど。そう考えると納得いきますね。
考えてみたら1日に何時間もピアノの前にいる中村紘子さんがあれだけの著作書くのはむつかしいでしょうしねえ。
23 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 22:03
中村紘子さん大好き
24 :
吾輩は名無しである:2001/08/19(日) 23:30
age
25 :
吾輩は名無しである:01/09/09 02:58
ほんとにゴーストしてるの?
読んでみようかな・・・
中村紘子自身が書いたとおぼしき文章も、たまに散見されるようだね。
たとえば新潮文庫版の『ショパン』(遠山一行著、昭和63年発行)に載っている「春の朧月夜のような」という短文。
まるで昭和三十年代あたりの田舎の文学少女が書きそうなギクシャクした美文調のエッセイである。
『ピアニストという蛮族がいる』『チャイコフスキー・コンクール』といった軽妙な随筆集の著者による文章とは到底おもえない。どちらが庄司薫の代筆かは、火を見るよりも明らかだろう。
27 :
吾輩は名無しである:01/09/24 11:48
やっぱり庄司薫さんがゴーストしてるんかな?
28 :
吾輩は名無しである:01/09/26 16:20
でも、ヤスオちゃんが出てくる前に自分から姿を消したのって、
やっぱ、才能っていうか、
時代の読みのすごさを感じるなあ。
なんか、そろそろ、忽然と姿をあらわしそうな。。。
29 :
吾輩は名無しである:01/10/11 23:53
ゲリラ戦してるんじゃないの(そんなエッセイがあったような記憶が・・)
世界中の物語は数限りがない。
まず、驚くほど多種多様なジャンルがあり、
しかもそれがさまざまに分布していて、
人間にとっては、
あらゆる素材が物語を託すのに適しているかのようである。
物語は、
話されるかまたは書かれた分節言語、
固定されるかまたは動く映像、
身振り、さらにはこれらすべての実質の秩序正しい混合、
によって伝える事ができる。
物語は、
神話、伝説、寓話、御伽噺、短編小説、叙事詩、歴史、悲劇、正劇、喜劇、
パントマイム、絵画、焼き絵ガラス、映画、続きマンガ、三面記事、会話
の中にも存在する。
そのうえ、
ほとんど無限に近いこれらの形をとりながら、
あらゆる時代、
あらゆる場所、
あらゆる社会
に存在する。
物語は、まさに人類の歴史と共に始まるのだ。
物語を持たない民族は、どこにも存在せず、また決して存在しなかった。
あらゆる社会階級、 あらゆる人間集団が
それぞれの物語を持ち、
しかもそれらの物語は、たいていのばあい、
異質の文化、いやさらに相反する文化の人々によってさえ、等しく賞味されている。
物語は、
良い文学も悪い文学も区別しない。
物語は、人生と同じように、
民族を超え、
歴史を超え、
文化を超えて存在するのである。
物語のこうした普遍性から、物語の無意味性を結論すべきであろうか?
物語は極めて一般的なものであるから、これについて語るべきことは何もなく、
ただ、文学史が時折行っているように、
物語の変種の中の特殊ないくつかを謙虚に記述していれば良いのであろうか?
しかし、ほかでもないそれらの変種を、どのようにして制御するのか?
それらを区別し認識する権利を、どのようにして確立するのか?
共通のモデルによらないとしたら、
どうして長編小説を短編小説に、おとぎ話を神話に、正劇を悲劇に対立させる事ができるのか?
共通のモデルは、
物語形式の最も特殊な、
最も歴史的なものについて語る、
どんなことばによっても含意されているのだ。
それゆえ、普遍的事実が問題である事を理由にして、物語について語る野心を完全に捨て去るどころか、
人々が物語の形式に周期的に関心を寄せてきたのはもっともなことだ。
そしてその形式を、
生まれつつある構造主義が、
最初の関心事の一つとするのも当然である。
構造主義にとって常に問題となるのは、
ことばが由来する《言語》、
ことばを生み出していく事のできる《言語》を首尾良く記述する事によって、
ことばの無限性を制御する事ではなかろうか?
物語の無限性と、
物語を論じる際にとり得る視点(歴史的、心理学的、社会学的、民族学的、美学的、など)
の多様性とを前にした分析者は、
言語活動の混質性を前にして、メッセージの見かけの無秩序から、
分類原理と記述の焦点とを引き出そうと努めたソシュールとほぼ同じ状況にある。
梅田のテアトルで観てきました。本日限りのモーニング
ショー。山岡久乃(合掌)が若い。女医さんがいい(藁)
主演の人どうなったんですか??
43 :
吾輩は名無しである:01/12/10 20:32
塩野七生と日比谷高校で同級生じゃなかったっけ? 福田章二。
今、読んでるけどなかなか面白い。
45 :
吾輩は名無しである:02/01/08 21:16
三省堂の社長の息子と聞いたが?
(といっても父親どうこう言う年齢でもないか)
46 :
吾輩は名無しである:02/02/05 05:09
age
sage
48 :
吾輩は名無しである:02/03/04 05:50
age
49 :
吾輩は名無しである:02/03/11 15:12
一般書籍の方にもなかったっけ?
50 :
吾輩は名無しである:
おじいちゃん