川端康成

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92刺青強化:01/10/15 23:56
>>91
伏字だらけの作品って何だったっけ?
俺は掌では『金糸雀』が好き。
93吾輩は名無しである:01/10/16 01:11
>>91
『舞踊靴』でした。新潮文庫ならP362〜です。
『金糸雀』は最後の一文が好きです。
94吾輩は名無しである:01/10/16 01:12
すみません、92さんにレスでした・・・
95とくめい:01/10/20 01:10
掌では「日本人アンナ」が好き。
下駄履いた足が白くて「噛みたくなるような」なんて表現が
たまらんです、ハァハァ
96原発chu:01/10/20 21:18
 川端康成はほぼ全肯定してます。

 川端の文体を言えば、川端康成に特異な文体があるというより
日本語の文法を知悉した上での超絶技巧の印象が強いです。
 素人分析ですが「天授の子」の
《その蜜柑を、汽車のなかでも食べ、席を譲り合った海軍の将校にも
一袋やり、宿屋でも菓子がないので食べて、大阪の坊やの一袋だけ、
カバンに残っていたのを、今日持って出たのだった。》
とか、ここに現れる「の(を)」は、文法上は補足節(「大阪の坊やの
一袋だけ、カバンに残っていた」こと)に名詞の性格を与える形式名詞
と読めるにも関わらず、「持って出た」のは「残っていたこと」ではなく
蜜柑だから、意味の上では「蜜柑」も受けていて、名詞の代用の役割も
兼ねているとも読めるという、なんというか、脳がどっか狂ってないと
書けなそうな文章です。
 あと有名どころでは「千羽鶴」の
《夕風が若葉を伝わって来るのに、菊治は帽子を脱ぎながら、ゆっくり歩いた。》
の中の「のに」の役割とか。読むときはすっと読んじゃいますけど……。

 小説も内容よりも小説構成上の技術(もちろんそれがあの異常な内容
の即しているとも言えますが)に只管驚きます。読者にそうと意識させ
ない極度の省筆ばかりでなく、短編の中でも回想に回想を重ねて小説世界を
深めていく書き方は、外に見られないものと思いますがどうでしょう。

 余談ですが川端康成について書かれた評論は渡部直己氏の「少女切断」
(「読者生成論」)が傑れたものと思いました。次点は福田和也氏の「いつでも
いく娼婦……」(「日本人の目玉」)でしょうか。まぁそんなに渉猟して
はいませんけれど。
97原発chu:01/10/21 01:10
で、
未だ上にあがっていない作品で、
個人的に好むのは、新潮文庫「愛する人達」に入っている短編など。
おおむね佳作と思います。
「年の暮」とか、主人公は女々しいんですが、現在と回想を行き来する
展開が複合的で、傑作ではないけれどやはり川端康成の小説でしか経験
できない深みがあります。
外は「掌の小説」では「舞踏会の夜」が結構好きで、奇想がけずられて
いる分、「これはいったいなんなんだ」と悲鳴ともこう笑ともつかない
言葉を最後に主人公が洩すに到る文脈の積み重ねが丁寧で、川端康成の
小説家としての天資をうかがわせる掌編になっていると思います。
「舞踏会の夜」と似た系統としては「霊柩車」とか。
文体の密度の高いのは「夜店の微笑」とか。
「指環」「士族」はロリコンで。
あとは並の選ですが「骨拾い」はやはり好いです。隙がありません。

さらに全集から適当に選んでくると、
「白い満月」(二巻)
「死体紹介人」「水仙」「落葉」(三巻)
「扉」(五巻)
「生花」「故人の園」(六巻)
「再会」「生きている方に」「地獄」「たまゆら」「お正月」(七巻)
などを個人的にはすすめたいです。しかし「雪国」にそれほど感銘を
受けなかった人間の選なので、偏ったものでしょう。
98原発CHU:01/10/22 00:55
 ええっと。
 上の方で川端康成が自選で「弓浦市」をあげていたと書かれていた
ので(>>24)暇に飽かせて読んでみました。といっても文庫本で
数頁程度のものですけど。
 で、感想ですが、これ短い枚数で巧くまとまってますね。かなり
不幸なんだけれどその辛酸に薄鈍く、その不幸の元凶の男に自分から
会いに来て感激の涙を浮かべるような「婦人」とかは、「千羽鶴」の
太田夫人と相似た人物造型なんでしょうか。それでこの婦人が語る男
=語り手についての記憶を男の方が全く思い出せないまま、婦人は去って
行き、実はその婦人の話した記憶も後で宙吊りにされるという展開で、
しかし自分について自分が最もよく記憶しているとは限らないという、
「夫唱婦和」などにも仄めかされていた想念が最後に繰り返されて、
奇妙な読後感です。自分について自分が最もよく記憶しているとは
限らない、他人が記憶して自分が忘れている自分に関する記憶はどれだけ
あるかしれない、という考えは、「天授の子」で「私(=川端康成)は
自己を究明しようとしたことも自己を告白しようとしたこともない、
自己を書いたためしはない」と言い切った心際にも通じているんでしょうか。
いずれにせよ短いわりに濃い短編でした。
 以上わかり易く言うと「凄ェ!!」。
99原発中:01/10/22 01:01
かつて「季刊思潮」に載った丹生谷貴志氏の川端康成論を、読んだ方いますか?
いずれ読む気はあるのですが、それほど大した評論でないなら、わざわざ
探して読むほどでもないか、時間が勿体ないし、という怠惰もままあって。
どんなものなのでしょうか。
 ゲハハハハ!!!!! とまあ、「です・ます」で馬鹿丁寧にちんたら文章
書いてんのもここまで! 所詮中年欲求不満輪廻の根腐れパーマネント貧乏=俺が
養豚的丁寧語で川端康成について語るのもせいぜい三日もてばいい方。
今後は大量のゴキブリの死体をプールに浮かべて「これが芸術だ」と言い張る
近所の脳おもしろおじさん並の我田引水で川端康成について語るので、
未だに路上でギター片手に人生の一発逆転狙ってる「偽ゆず」の皆さん、
自殺なさるなら感電死がいいですよ!(寝てる間にタイマーで死ねる、
しかも失敗しても後遺症無し!)あと「3×3EYES」を全巻揃えてる方、
やっぱり死んじゃってくださいね!

 ところでと。
 言うも疎かだが松浦寿輝の川端論「見ることの閉塞」は最悪!! 「文學界」の川端特集
にかこつけて小説も録に読まずに神話化された川端康成への反感(もちろん反感を
持つ方で誇大に「神話」を意識してるだけ)から書いたコジキ商売寝言評論の典型。
川端康成が独我論的であるというその「独我論」の言葉の意味も殆ど説明せぬまま
ある作家を独我論的と証明すればその作家の価値を貶めることができるとの思い込みで
川端における「差異の消滅」「イメージとの戯れ」「空疎さ」「具体的な現実を見まい
としている視線」を嘆いて見せる寝ゲロ駄批評文は気色悪いったらない。「この驚くべき
無内容な言葉の流れを辿るのは、甚だしく苦痛ではあるがやはり感動的」だの、批判
一辺倒ではないと見せ掛けておいて結局は川端康成が無内容だというテーゼは手放さない
んだから、「具体的な」小説の読みが浅はかという点では同じこと。自殺しろコノヤロー!!

 自称松浦寿輝派だという方々からの反論、お待ちしております。
101吾輩は名無しである:01/10/28 23:20
とてつもなく下品なあなたに仕方なく同意します。
102ixion:01/10/28 23:48
>「この驚くべき無内容な言葉の流れを辿るのは、甚だしく苦痛では
>あるがやはり感動的」
ここだけ読むと、すげー馬鹿な批評みたいだからかえって読んで
みたい。「水晶幻想」みたいな作品のことを言ってるんだろうか。

「交尾期の井守の鮮やかな赤。淨き川にて洗うては、水神日神を汚す
なり。」
103吾輩は名無しである:01/11/05 00:21
甦れ、川端、マジで幽霊が似合いそうな作家よ!
104吾輩は名無しである:01/11/06 00:03
>>83
「いい女」は言葉の意味を駒子が取り間違えたってことみたい
ですよ、研究書読むと。あっちの具合が「いい女」と昔の男に
何度も言われたってくだりがあって、それをふまえての聞き間違い
事件みたい。結局島村も体目当てだったのね!って思って
怒ったらしい。
105左利きの彦:01/11/09 03:15
中学生で「バッタと鈴虫」に出会い、
以後殆ど文学作品は川端しか読んでいないような
とっても片寄った読者です。

今のところあまり話題に出てきていませんが、
「淺草紅團」をはじめとする浅草もの、結構好きです。
水族館のカジノフォーリーや木馬館を闊歩する「弓子」は
私のアイドルでした。
そういえば最近、弓子のモデルともいうべき
梅園龍子のHPがあるのを知って
びっくりしてしまいました。

戦後ではやはり「みづうみ」「眠れる美女」「片腕」ですか。
桃井銀平は、和製ハンバート・ハンバートなのでしょうかね。

ついには生誕百年を機に再版された37巻本全集を
ローンで買ってしまいました...
106吾輩は名無しである:01/11/09 04:05
「古都」の大部分が川端の筆ではないというのは公然の秘密なんですね。
私は最近知りました……。

新興芸術派叢書の「花ある写真」と「僕の標本室」を授業でこれからやります。
107吾輩は名無しである:01/11/09 09:39
>>102
『水晶幻想』、確かに私も戦慄を覚えました。
ちょっと松浦寿輝の作品にも感じが似ているかな、とも思いました。
あの厭ったらしいお嬢言葉など。

>川端における「差異の消滅」「イメージとの戯れ」「空疎さ」「具体的な現実を
見まいとしている視線」

 これらはすべて松浦作品にも言えることではないですか。「言葉が喚起する
イメージ」のみならず、結局最後には「言葉」の存在だけが屹立し、読者に
際立ってくる空虚なレトリック。小説の「具体的な」読みなどは所詮、
くだらないものです。川端の超絶技巧を「文法的に」解明したところで、
読者にどんな影響を与えるのかが問われなければ。

>「この驚くべき無内容な言葉の流れを辿るのは、甚だしく苦痛ではあるが
やはり感動的」

 この部分、松浦さんは自作を自画自賛してますね。
108100:01/11/14 01:41

>これらはすべて松浦作品にも言えることではないですか。

あ、そうなの? 悪い、松浦作品は全然読んだことねんだ。
確かに「見ることの閉塞」も川端が無内容であることを貶しているのか
肯定しているのか最後までよく明らかにしないんで、もし松浦作品も
「空虚なレトリック」満載なんだとしたら、

《……縦から読んでも横から読んでも呆気にとれられるほかない同語反復を重ねつつ、
ただあれもある、これもあるという工合に差異の消滅した同一性の空間を恬然と
指し示し、そしてただただそれだけで何事を言ったことになるかのごとく人々に
信じこませてしまうこのスタイルには、やはり或る感嘆を覚えずにはいられない。》
(「見ることの閉塞」)

と松浦氏が川端の美学について言ってんのも、皮肉じゃないってことになんのか。うーん。

あと、

>川端の超絶技巧を「文法的に」解明したところで、
>読者にどんな影響を与えるのかが問われなければ。

んん、確かにそうなんだが。今のところまだ川端の文体のヤバさに興奮してる
だけで、俺にその文体の意義を検討するとこまで考えはめぐってない。
ただ知ってるかもしらんが川端康成の文章がヤバいとは大江健三郎が既に
1960年の段階で指摘してんのよ。

《日本散文について、もっとも深く、またもっとも多様な問題提起を、それ自体
でおこなっている日本語の文章をえらぶなら、それは川端康成氏の作品において
であるべきだ。たとえば「千羽鶴」においてであるべきだ。戦後文学のすべての
作品にわたって、「千羽鶴」は、ただその一作品だけで、ほとんどあらゆる文章論上の
問題点をあきらかにしうる最上のサンプルであるといっていい。》
(「川端康成の文章の多義性」)

しかしこの論文で大江氏が言っているのは、川端の「あいまい」で「多義性」を持つ
文章がその「散文としての平坦さ、散文としての透明度をあやうくする過度の音楽性」の
ためにリアリスティックな描写の機能より美的な効果を発揮するという、意外と単純な、
韻文と散文の二項対立に基づいた分析のみで、そうした風土=エクリチュール(んー、
渡部直己的言回しv)が川端作品の他の特徴、例えば極度の省筆とか換喩的描写とか
造形的な細部とか非-造形的な構成とかとどういう関係があるかは述べられてない。まして
本当に川端の文章が「あらゆる文章論上の問題点をあきらかにしうる」のかどうかは、
暗示されてもいない。ただそういう期待を抱かせるような変な文章ではあると思うんだが、
どうよ。(特に晩年のは。初期はあまり興奮させるようなヤバさは無くて、佐藤春夫と
志賀直哉の折衷みたいな印象が俺にはあるけど。)
109100:01/11/14 02:11
っをと、俺は佐藤春夫は「退屈読本」と「田園の憂鬱」しか読んだことないんで、
あんまり突っ込まないでん。じゃ、アデュウ
110107:01/11/14 02:31
>>108
よく読んで、あとでレス書くよ。
111吾輩は名無しである:01/11/14 03:04
あたしはなにも塗らないでポカリ飲む。
どうせ寝ちゃうんだもん。化粧水なんて
朝にぬりゃいいの。
水分とらないと干からびちゃうよ。
112107:01/11/14 23:14
>>100
108のレス読みました。

107で乱暴なことを言ってしまって申し訳ない。あなたは少し私を買いかぶり過ぎです。
私は単なる川端作品愛好者に過ぎなくて、川端作品を全部読破したとか、川端関連の評論を丹念に渉猟したとかではありません。
その上で考えるに、大江氏がその文章で言っていることは、川端が、散文に与える「過度の音楽性」に
重きを置く余り、「リアリスティックな描写」を疎かにしてでも美的な効果を優先させた、ということでしょうか。
その程度の事なら恐らく誰もが言うことでしょう。ある文章の形、文体を論じる際は、
単に文章の表面的な姿のみならず、その精神性というか心理学も問題になると思う。
それが俎上に乗せられないと、あなたの言う「風土」(精神的な?)までを解明することはできない。
大江の「 …ただその一作品だけで、ほとんどあらゆる文章論上の問題点をあきらかにしうる最上のサンプルである」
などという断定は、手放しの些か無責任な賛辞の中で筆の滑った勇み足だと思います。

 ところで私が川端のスタイルから受けるものは、一言でいえば、静謐な中にも
ある種の「殺気」の篭もった佇まい、といったものでしょうか? 川端の文章はどれも、
極度な省略を受けています。ほとんど人の理解を拒んでいるかのように見受けられる処もある。
それを、社会に対するある種の怨恨というか、文章の底に篭もって固く外部的なコミュニケーション
によるメッセージの流出を拒んでいる怨嗟の念、と解釈することは出来ないかと思っています。恐らく
人々はこれを、川端の「孤児性」などから説明するでしょうが、それだけではなく、恋愛経験や
イデオロギーの洗礼といったことからも説明できるはずだと思う。換喩的描写についてはちょっと分かりませんが。
この技巧は新感覚派の同人仲間の間で切磋琢磨した賜物なのでしょうか?

 あと、松浦氏の美意識は川端ほど「潔癖」ではなく、より猥雑で遥かに饒侈を含んだ
ものですが、その「がらんどう」振りでは一致している。松浦氏の言葉は、決して
「皮肉」ではないと思われます。
113台湾板より:01/11/15 00:56
大阪在住です。川端康成記念館みたいなのが茨木市に
ありますよね。いった人いませんか、感想などを聞かせてください。

私は台湾ヲタなのですが、川端康成も相当な台湾ヲタであると
どこかで見たような、気がします。とりとめのない話でスマソ。
114お助け小雪:01/11/15 22:14

 こんばんは! お助け少女、小雪ちゃんでぇぇぇっっす!
 長髪項づくまで切りそろえ、
 薄粧かくして打ちまもり、
 畝合いうつろう世の中で、
 今夜もやります押し掛け親切 GO!GO!GO!
 え、なになに、飼犬が逃げた? 知るか!!!
 え、なになに、財布を落した? あきらめろ!!!
 え、なになに、上司が口うるさい? 殺せ!!!!
 ギャハハハハハハハハハハ!!!!!

 ……さてと。


>>107
>>112

 小生の書き込みにつき御丁寧なレスをいただき有難う存じます。
甚だ以て面白く拝読いたしました。元の書き込みが粗末なようで
すまない気もします。
 松浦氏の川端論には小生のつつしみないひとりぎめの弊で
悪口言いが殊更めいた書き込みをしたのは、まことに失礼しました。
 また大江健三郎の論文の引用もお見抜きになられたように多分に
はったりをかけたものです。もし本当に川端康成の文体に如上の
可能性を見ているなら自分なりにそれを語るべきなのを、大江氏の
言で代行しようとしたのは、小生の思惟の懶惰の悪習とおゆるし
下さい。
 いずれ自分も如才ない解釈に満ちた川端像を整然と示せたらと
考えて居ますが、今はまだその時でないとの確信も自分に強いです。
 まずは上ご返事申し上げました。


 ……ってな! チッ、また何時の間にか辛気臭い敬語に戻っちまった。
ンなの俺のキャラじゃねぇんだがな! グハハハハ!!!  ………ふぅ。
さてと、いつもの通りエロゲ板の住人に戻るか。草野小雪マンセー。
115吾輩は名無しである:01/11/16 18:55
100キモい。
116吾輩は名無しである:01/11/24 21:56
100って、「何とか草双紙」って名乗ってる奴と似てない?
117吾輩は名無しである:01/11/26 11:45
>>116
正体探しはくだらねえよ。

「何とか草双紙」は映画オタだろ? だがこいつ(100)は哲学系っぽい・・・
 ・・・違うかな?
118吾輩は名無しである:01/11/28 22:55
100がキモいのは確かだけど、普通に面白い意見も言ってるし、気にせず書き込んで
欲しい。
このままスレッド止めるのも勿体無いし。
119吾輩は名無しである:01/12/04 18:50
『千羽鶴』で作品論を作成中です。
何か、アドバイスを。
120吾輩は名無しである:01/12/04 19:34
「トンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」
今、夜の底とは何かについて考えてます。
何気にこういう表現が書けるって、やっぱりすごい人なんだなあ。
「千羽鶴」読んだけど、いまいちピンと来なかったです。
もう一回読むか……。きっと何か見落としてる……。
121吾輩は名無しである:01/12/15 14:55
「夜の底」の解答、そろそろ欲しいage
122吾輩は名無しである:01/12/18 02:35
 川端 康成
 ○● ○○
  314 11 7
 総運35○ おだやかで円満な人生。目立ちすぎは×。学芸運あり。結婚運◎。
 人運25○ 常に自分が中心にいたいタイプ。能力はあるので協調性に注意すれば吉。
 外運10× 努力が報われない。特殊な犯罪に関係する傾向。
 伏運43◎ 若いうちは強い運気に守られます。
 地運18○ 行動、積極、強引運。犯罪注意。
 天運17○ 開拓精神で発展していく家柄。
 陰陽 ○ 良い配列です。
123吾輩は名無しである:01/12/18 09:51
盗作の噂があるのってどの作品ですか?
124:01/12/18 11:30
川端に限った事ではないが作者の生活背景を無視しない限りズブの素人が
川端作品を貶すことはできないと思うのだが。
川端は幼くして両親を亡くし天涯孤独になったのだ。そんな境遇でこそ
そんな境遇でしか書けない絶望や悲哀を丁寧に解りやすく描写してると思う。
これが川端の作品の特徴と思うが何か?
125吾輩は名無しである:01/12/26 15:11
>>121
「夜の底」とは、地平線付近の空の事ではないでしょうか?
つまり「夜の底が白くなった」とは「夜が明けようとしている」みたいな感じだと
理解しているのですが……どうなんやろうね。
126吾輩は名無しである:01/12/27 16:19
雪の夜は地面が白い説って単純すか?

でも「夜の底が白くなった」っていい表現だなー
127吾輩は名無しである:01/12/28 14:24
「母国語の祈祷」という作品について詳しく教えて頂けませんか?
演習で取り上げるのですが、学校の本が貸し出し中で読めないのです。
発表までそう時間がないので宜しくお願いします。
128横光板常駐:01/12/28 22:25
横光に送ったと言われる、
新発見の川端書簡の内容について教えて下さい。
129吾輩は名無しである:01/12/29 00:04
>>126
もちろんそういうことだろうけど、120が言ってるのはそういう表面的な
読みを超えたところのなにか、って意味じゃないの?
130吾輩は名無しである:01/12/29 02:12
>>106
大部分とはいったいどれくらいなのだろう。

>>113
生家の模型がおもしろい。
それからノーベル賞受賞時のテレビ映像も興味深い。
きっちり見たら二時間はかかる。
さっと見たら三分で終わる。
131吾輩は名無しである:01/12/29 02:25
うちの母は、
「話自体はとてもありきたりの話だけれど、日本語の美しさをきれいに表現してる」
と言ってた。
132吾輩は名無しである:01/12/29 22:18
ところで、「東京の人」ってどうよ。新聞小説として連載され、映画・テレビ化もされたが、もっぱら駄作って評価の川端最長編の作品。
133吾輩は名無しである:02/01/02 07:04
134吾輩は名無しである:02/01/02 22:58
ゴマキの「伊豆の踊り子」見損ねた。
誰か見た人感想きぼんぬ。
135吾輩は名無しである:02/01/02 23:10
俺も見てないが、すっぱだかのまま無邪気に主人公に手を振るよう
な演技をゴマキがするわけないので、見る必要なし。
136吾輩は名無しである:02/01/02 23:29
>>135
そのとおり。肩から上しか写ってませんでした。
137吾輩は名無しである:02/01/03 00:16
というかモー娘にはいい加減にしてほしい・・・って感じ
138吾輩は名無しである:02/01/03 15:52
原作の情緒は失われていたけれども。
コマキの美麗さには萌え〜。
139吾輩は名無しである:02/01/23 01:57
age
140吾輩は名無しである:02/01/23 02:07
「雪国」のなかの、
「遠近の中心の抜けたやうな」
てどんな状況なのですか?
さっぱり分かりません・・・
141
こいつ、「雪国」スレ立てたアフォ。虫。