「塩狩峠」読書感想文を書いて下さい    

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1
宿題なんですが、馬鹿なのでかけません。
ヒントだけでもお願いします。
2吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 17:32
犯人は第一発見者だ。
実は死んでなかった被害者に近づいたときに他の発見者からみえないように
ナイフで刺して殺したんだ。
3吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 17:34
カバー裏のあらすじでも見て思った事を書きな。
4吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 17:42
あまい!
ここで何とかなると思うな>1
5吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 17:53
まずどういう場面が印象に残ってる?
6吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 18:12
読んでないんだろ?
ろくに。
7吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 18:17
福田和也は「ギャグかと思った」と言っておりました。
8感想:2001/07/31(火) 09:16
子供の作文
9吾輩は名無しである:2001/07/31(火) 17:15
きれいごとだ
10:2001/07/31(火) 21:05
三浦綾子はヤリマン
11吾輩は名無しである:2001/07/31(火) 21:10
「塩狩峠」
この作品の中心となるテーマは「犠牲」だと思う。
鉄道員が、暴走列車を止めるために自らの体を車輪の下にもぐりこませた。
その鉄道員が婚約を決めているなどの感傷的な設定も含め、
言ってみればワイドショー的でご大層な美談を綴った作品である。
「人命尊重」の精神は多分、否定できない。
だから、これを前提とし、自分の命をもって乗客を救ったその行為は称揚されてしかるべきだとは思う。
しかし、自己犠牲とか殉職とかいう英雄行為は、まさしく「英雄行為」としてしか捉えることの出来ない、
無様なものだと僕は思う。
なぜって、自分の生命に勝る価値を自分で設定するということが、僕にとってリアルでないからだ。
論理のために死ぬ人間はバカだ。狂人の論理、キリーロフの論理だ。
言語操作が自己の生命を貶めるとすれば、それは論理の誤りであり、自家撞着でしかない。
そう思えばこそ、この小説でそうした心理的葛藤が十分に描ききられなかったのは遺憾である。
キリスト教精神で自己犠牲という美しい矛盾を描ききれると思うのは、キリスト者の驕りだと思うし、
また、生命に対するそういう態度は楽天的ですらある。
キリスト者だから死にました、ではご都合主義バカ小説でしかない。
12:2001/07/31(火) 21:39
自分で書いたの?>>11
1311:2001/07/31(火) 21:54
1のために書きました(ピュア
14後藤まみ:2001/07/31(火) 22:00
塩狩峠を課題図書にするくらいだから1は多分
ミッション系の中学か高校の生徒だと思う。11のような作文を
提出した1は問題児として扱われないかなぁ。
15:2001/07/31(火) 22:06
11さん、ありがとう。後藤まみさん、僕はすでに問題児だからいいんだ。
ところで
>なぜって、自分の生命に勝る価値を自分で設定するということが、僕にとってリアルでないからだ。
>論理のために死ぬ人間はバカだ。狂人の論理、キリーロフの論理だ。
>言語操作が自己の生命を貶めるとすれば、それは論理の誤りであり、自家撞着でしかない
この部分がムツかしすぎて僕には理解できません。
どなたか、バカにもわかる簡単な言葉に言い換えてもらえませんか?
1611:2001/07/31(火) 22:46
なぜって、僕は自分の命よりも大切なものなど、イメージできないからだ。
『悪霊』の中のキリーロフは、論理の積み上げによって自殺を覚悟するが、
思考の主体である自分の命よりも論理を尊重する姿勢は、論理性や合理性に盲目的に追従する滑稽さを感じる。
『塩狩峠』の鉄道員は論理によって死ぬわけではない。
では、彼が自己犠牲の行為に踏み切るその一瞬の決意はなんだったのか?
これがまた遺憾なことに「神への信仰」がそうさせたと言うのだ。
そしてそれ以上の説明は無い。
僕がこの小説を読み終えて最も残念に思ったのがこの点である。
「信仰」に絶対の価値を認めて死ぬという生き方もあるだろうし、
美談は美談だ。
しかし「信仰があれば死ぬのも怖くは無いさ」で、自己犠牲という大問題が
お気楽極楽に説明されることはとても受け入れられないし、そんなことはキリスト者の驕りでしかない。
この小説はキリスト教徒が「自己犠牲」の美談をネタに心安らぐだけの、
どうしようもないマイノリティ文学だ。
17吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 03:37
>>16
>しかし「信仰があれば死ぬのも怖くは無いさ」で、自己犠牲という大問題が
>お気楽極楽に説明されることはとても受け入れられないし、
>そんなことはキリスト者の驕りでしかない。

私も自分の命が一番大切な無宗教の人間だけど、これはこれにはちょっと同意しかねる。
私にはキリスト教徒の知り合いが結構いるけど、なかには敬虔な人がいて、
実際聞いたわけじゃないけど「信仰があれば死ぬのも怖くは無いさ」という人もいると思う。
そこに論理性は必要ないと思うし、私はこの考え方が決してお気楽極楽なものとは思わない。
それはあくまで価値観の違いであってどちらが絶対だ、と客観的に言えるものではないから。
少なくとも無宗教の人間が、信仰を持つ人より優れているなんてことはありえない。

私自身この主人公の心情には共感できないけど、こういう考え方をする人もいる、
という理解はできる(実際そういう人を知っているからかもしれないけど)。

少なくとも自己犠牲に対する価値観が異なるからといって、
それをキリスト教徒の驕りだと決め付けるのはちょっと浅慮な気がする。
三浦綾子は敬虔な信者だったと思うけど、全てのキリスト教信者が同じ考えを
持っているわけでもないと思うので、ひとくくりにするのも問題がある。
18吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 03:42
自己犠牲の快
19吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 22:31
熊高
20吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 21:23
>>17

遅レスだけど、「価値観の違い」でもって犠牲の問題が解決されてるのが不満なんでしょうが。
21名無し:2001/08/07(火) 22:50
1よ。
ちゃんと一通りは読めよ。
22吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 22:52
女工が虐められる話だっけ
23ちゅん:2001/08/07(火) 23:05
耶蘇が聖書を曲解して、暴走する電車に特攻して死ぬ話。
24吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 23:24
厨房の時、国語教師に感想求められて
「なにも飛び込まなくても良いだろ!
俺なら座席ぶっ壊して投げ入れる」
と言ったら、同級生多数が賛同してくれた。
その後話はそれはじめ、結論は「車両がボロすぎる
ブレーキ整備は基礎中の基礎でしょ、整備員がダメすぎ・・・」
などという議論になってしまった。
教師はがっかりした目で我々を見ていたのを覚えている。
2517:2001/08/07(火) 23:24
>>20
言いたかったのはそこではなく、「価値観の違い」を「キリスト教徒の驕り」で
片付けないでほしいということ。キリスト教徒に対する考え方があまりにも
ステレオタイプすぎる。抜粋した部分と最後の4行ちゃんと読んでほしい。

ついでに価値観が違って不満だからこの小説はつまらないというのは感想として
十分に納得いくものだと思う。
ただ、「自分には理解できなかった」というところまでならまだわかるけど、
主観のみ、しかもこの作品のみでこういうことする奴=キリスト教信者
はバカでしかないととれる発言までしているところはどうかと思う。
宗教学に造詣のある人がそう言うならまだわかるけど、紋切り型の
キリスト教イメージをもってるあたり、とてもそうとは思えないし。
26吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 23:27
>>23
耶蘇じゃなくて、耶蘇教信者。
271:2001/08/07(火) 23:31
読みました。みなさん、ありがとうございます。
僕なりに結論をだしてみました。主人公・信夫は
童貞のまま死んでいったことが悔やまれますね。
28吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 23:42
>>27
その自分なりの結論はちゃんと宿題の中にもりこめよ。
291:2001/08/07(火) 23:45
はい、そのつもりです。
それに皆さんの貴重な意見でにくづけしていこうと思っています。
夏休みおわりごろに、できあがったものを書きますので
評価していただけるでしょうか?
30吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 23:54
はい。
31吾輩は名無しである:2001/08/08(水) 00:09
27・28・29を通して読むと、1は「主人公は童貞のまま死んでいった
ことが悔やまれる」と感想文のなかにもりこむって読めるんだけど…

まじか?>1
32やまがた:2001/08/08(水) 01:00
>>31
いや、それはおもしろい。あの婚約者がはらんでいたりしたほうが、
小説として続編も書けるだろうし広がりが出たであろう、というのは
きわめてオリジナリティのある感想だと思う。いけいけ! (マジ)
33aa:2001/08/08(水) 20:06
いいさくぶんできそうだねー
34吾輩は名無しである:2001/08/09(木) 00:23
はあ、まあ途中で親父が死んだのが悲しかった。
と書いときゃ良いよ。
べっつに誰も文句言わんよ
どうでもいいし
最後の数ページでもよみゃあいいんだ
35吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 20:45
この作品は犠牲の精神ということについて読者に訴えたかった
ということは読み取れる。
ただ、そのことを訴えるための具体的な話の設定を、
列車を止めるために死ぬということにするのは、説得力に欠けるように思う。
列車のブレーキ故障に遭遇したときにしなければならないことは、
乗客を無事に保護するために最も有効な手段を講じることである。
このような観点から考えるとき、自分の体を下敷きにして
列車を止めることが、乗客を保護するための最善の手段なのだろうか。
作者はそれが最善の手段であることを読者に納得させることに成功していない。
そのことは、<<24のエピソードにもよく表れている。
だから、この作品について感想を書く場合、
この作品が訴えたかった犠牲の精神という思想そのものについて書くのか、
その犠牲の精神というテーマが作品の具体的な話の設定とうまく
結びついているかについて書くのか、区別する必要がある。
36訂正:2001/08/14(火) 20:48
(誤)<<24
(正)>>24
37吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 23:20
>>35
おお。これは力作ですな。
38吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 23:36
つうか実話だって事誰か踏まえて書こうって奴は居ないか?
39吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 23:55
別に信仰が無くたって「自己犠牲」はありえるだろ。
なのに信仰問題にいくのが嫌だ。
キリスト教徒のプロパガンダ小説。

が、あえて「聖書を読んだことがあるのか?」と問いたい。(三浦綾子に)
キリスト教の本質は慈善とか自己犠牲には無いと思う。
40魔女っこメグ:2001/08/15(水) 03:39
キリスト教の本質はまさしく「自己犠牲」でしょ!
人のために死んだYesを称える宗教なんだよ?
そして三浦綾子は、敬虔なキリスト教徒だよ。
41不可きょん:2001/08/15(水) 04:09
塩辛い塩カリーを食べたような気分になりました。以上
42吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 07:51
ファシストの手先と何ら変わりない。
自らの命を賭し人々に奉仕する「自己犠牲」という名の
薄汚れたヒロイズム。
戦争犠牲をも正当化しかねない爛れたイデオロギー。
これが事実に基づく話だというのだからまた笑わせる。
なんと芝居がかった人生であることか。
それをまた「どうだ」とばかりに教化喧伝する浅ましさ、
人の良心につけ込もうとする卑怯で邪なやり口、
プロパガンダ(捏ち上げ)も真っ青だ。
まったく反吐が出る。
43吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 09:20
自分の命より尊いものを見つける、というのをそこまで否定するのはおかしいと思う。
キリスト教なんて詰まるところ利己的だよ。
皆、最後の審判を恐れて善行をしてるんだから。
44吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 09:21
>>35
実話って事実をまったく考えてないじゃん。
話にならんよ。
4535:2001/08/15(水) 11:50
>>38
>>44
実話に基づく小説であることを知らなかったわけではないが、
この作品は、あくまでも実話からヒントを得て作者が作り上げた
「フィクション」であると理解している。
実話の忠実な再現なのであれば、ノンフィクションとして
構成しなければいけないと思う。
つまり、主人公に関わったさまざまな人物に取材し、
その生の証言に基づき、主人公の立派な面、醜い面を全て
ひっくるめて記述しなければならない。
しかし、この作品はそのように書かれたものではない。
この作品に登場する人物やエピソードは全て事実というわけ
ではなく、相当作者によって作り上げられた架空のものが入っている。
あるキリスト教者の鉄道死事故という報に接した作者は、
この事故から自己犠牲の精神を感じた。
そこでその自己犠牲の精神を読者に訴えたいと思った。
作者の目的はあくまでも自己犠牲の精神を強い説得力をもって読者に伝えること
であり、そのために話の設定を実話から少し借りたということにすぎない。
(続く)
4635:2001/08/15(水) 12:08
しかし、そのことに私は作者の一種のずるさを感じる。
あの鉄道死事故から、自己犠牲の精神を感じ、その精神を尊いものと感じる
のは、あくまでも作者個人の主観的見方である。
その主観的な見方を、「事実に基づく」小説として構成することにより、
まるで客観的なことのように読者に思わせてしまう。
あの鉄道死事故の真相は、事故死した本人にしかわからないのである。
それを犠牲の死と解釈しようと、単なる事故死と解釈しようと、
それは個人の主観的な解釈にすぎない。
それを作者は小説という手法を用いて巧みに、
「あの事故には尊い自己犠牲があった」ことを客観的な事実であるかのように
思わせてしまうのだ。
4735:2001/08/15(水) 12:16
>>46の続き。
だから、この作品は実話と思ってはいけないのだ。
なぜなら、実話として、ノンフィクションとして書かれたものではないからである。
作者の主張を表現するための純粋な小説として理解すべきだと考える。
だから、私は、>>35のような主張をしたのだ。
48ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/15(水) 13:09
自分の命より尊いものはあると思うし、それに対する自己犠牲もありうると思うわ。
けど、それは(一定の宗派に属していないという意味での)無宗教の人間にも十分起こりうることよ。
何もキリスト教徒が専売特許みたいに「愛の宗教」を振りかざすのはお寒いとしか思えないの。
私は、本来のキリスト教が「愛の宗教」とも思わないから、二重の意味でどうしようもない作品ね。

実話からフィクションを練るなら、せめてキリスト教云々ははずして欲しかったわ。
無宗教な一日本人が、結婚を控えた身でありながらわが身を捨てて……
というのをあくまで宗教色抜きで描いた方が良かったんじゃないかしら。
上の方でどなたかが指摘されてるように、自己犠牲っていう大問題を信仰と結びつけて解決されてもねぇ。
>>42は言い過ぎ感もあるけど大筋で同意よ。
49ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/15(水) 13:19
ちょっと関係無い話よ。私ミッション系の学校に通ってたんだけど、
シスターとか神父ってちょっと好きになれなかったわ。
そういえば、『塩狩峠』も課題図書だったかしら。
シスターとか神父による宗教の授業があるんだけど、
今でも覚えてるのが「中絶はダメ」がテーマだった時よ。
シスターはスライドで胎児の死体写真をいっぱい見せて、
「どうだ残酷だろ。絶対中絶はダメよ。」って言うの。
福音書の章句はすばらしいわ、でもカトリックの連中に騙されるのは危険よ。
50吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 14:45
>>49
うあーうちの学校(F葉)と同じだ。ていうか、あなたも同窓生?
(藁)
5135:2001/08/15(水) 17:32
>>48
確かに、信仰のない人間にも自己犠牲の精神はあると思います。
しかし、キリスト教の信仰と自己犠牲とは本当に結びつかないんでしょうか?
質問があります。
>本来のキリスト教が「愛の宗教」とも思わない
という発言について、
キリスト教にもいろいろな宗派があって、それぞれに教義が異なると思うのですが、
その中で「本来のキリスト教」とはどの宗派を指すのでしょうか?
また、その「本来のキリスト教」はどういった内容の教義を持っており、
その教義の内容が自己犠牲の精神と相容れないものであることを、
わかりやすく説明してもらえないでしょうか。
お願いします。
52吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 18:24
>>27の「童貞のまま死んでいったのは哀れ」を
原稿用紙五枚分まで引き延ばせれば個人的に俺はそっちの方が良い。

ただこの話は自己犠牲は良いんだけどそれをキリスト教徒だったからって事にしてるのがなんかなぁ。
じゃあこないだのヨッパライ助けようとしてしんじまった(これとは全然違うけど)彼らはキリスト教徒かよ、
とかそう言うのを思うよ。厨房なりに。
53吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 03:59
本来のキリスト教は、ユダヤ教だよん。
54吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 04:05
>53
意味わかって言ってる?
5553:2001/08/16(木) 04:13
ウン。
56吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 04:16
>>53
バーカ
57吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 08:48
>>56
本来はユダヤ教だろうねえ。キリスト教じゃなくてキリスト本人は。
ユダヤ教が腐敗してたからそれを戻そうとしたただの熱心な宗教屋にすぎんのやろうけど。
58吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 10:30
>>46
質問だけど、あれをどう見たら事故死に見えるんですか。
批判しようと躍起になるあまり冷静な目を失ってるんじゃないの。
59ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 10:40
>>51

あなたみたいな慇懃無礼な態度は嫌いだわ。
それに、キリスト教が、
>自己犠牲の精神と相容れない
なんて言ってないし思ってもいないわ。
私が言いたいのはね、自己犠牲という立派な行為を
「キリスト教徒だったから」で後付けしてるのが嫌らしいくて気に入らないということなの。
60吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 10:47
主人公が、キリスト教信者になったのはどうしてだったっけ?
そのへんが分からなくて最後まで読んでも面白くなかった。
61ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 11:04
>>50
あら、F葉とは優秀ね。私は違うわ。男子校よ。
どうでもいいけど、女の子も(藁)とか使うのね。
62吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 14:18
>>61
あはっ
うん使うよ,藁とか(wとか。。。
水泳ファンなの?
63吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 14:46
他者のために自己犠牲するという行為は人間にのみ見られるものである。
動物行動学の知見では,動物の利他行動は,利他行動の担い手と受け手の間に
遺伝子の共有が必要であるか、または高次の認知能力をもつ個体同士の
利他的行動のやりとりによって集団全体が利を得る時である。
つまり,自己の遺伝子を受け継いでもらうことや,行動としての
見返りを求めない利他行動は,なりたたないのである。
翻って人間は,どうか。その答えの一端がここにある。
信夫(?)は,信仰心に裏打ちされた信念によって,自己犠牲をすることで
多くの他者を救った。
ここには他者への思いやりのみがあり,何の見返りも求めないその行動は
人間であるゆえの行為なのである。
動物と人間の連続性を仮定して様々な学問が発展していたことは事実であるが,
血縁関係になく,見返りも期待しない利他行動をとり得るのは人間だけであり
塩狩峠に,私は,宗教を超えた人間性を観たと思う。
6435:2001/08/16(木) 19:29
>>58
>質問だけど、あれをどう見たら事故死に見えるんですか。
>批判しようと躍起になるあまり冷静な目を失ってるんじゃないの。
「あれはどう見たって事故死には見えない。あれは明らかに犠牲の死だ」
という意見であると私は理解しました。
ここに今テキストがないので確認できませんが、確か「あとがき」に、
足元が滑った結果、デッキから落ちたという説もあるということについて
作者が言及し、それに対して作者が反論していた記述があったのを思い出して
書きました。それを読んだときは、「へぇー、そういう解釈もされているのか」
と思った記憶があります。
>>58さんは、犠牲の死説についてかなり自信を持って主張されているようですが、
その根拠をお聞かせいただければ幸いです。
でも、塩狩峠で起こった現実の事故が、犠牲の死でなかったとしても、
この小説の主張にはあまり影響を与えないと思います。
現実ではない架空の話だからといって、その小説の価値が減じられるとは思いません。
現実に犠牲の死であったとしても、実はそうではなかったとしても、私はどちらでもいいと思います。
小説はあくまでも小説の中のリアリティーで勝負すべきであって、
実話だからといって説得力が増すとか、架空の話だからといって価値が弱められるというように
考えるべきではないと思います。
65吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 19:58
一つの死の前にして我々が出来るのは、ただ沈黙することのみ。
キリスト教徒なら尚更そうだし、そうすべきでしょう。
勿論、心の中で祈ることはできるでしょうが。
6635:2001/08/16(木) 20:18
>>59
>私が言いたいのはね、自己犠牲という立派な行為を
>「キリスト教徒だったから」で後付けしてるのが嫌らしいくて気に入らないということなの。
そうですか。
要するに「キリスト教徒だったから自己犠牲ができた」、
「無宗教の人間には自己犠牲はできない」という傲慢さをこの小説から読み取った
ということですね。私が>>59さんの意見を誤解していたようです。申し訳ありませんでした。
>>59さんは、
>キリスト教が、
>>自己犠牲の精神と相容れない
>なんて言ってないし思ってもいないわ。
と言われています。
ということは、「キリスト教は自己犠牲の精神と相容れるものだ」と考えているということですね。
でも、自己犠牲は宗教を持っている人であろうと無宗教の人であろうと関係なく、
>>63さんの言うとおり、
>人間であるゆえの行為なのである。
と考えているということですね。
67ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 20:29
>>62
言葉遣いが女の子っぽくてかわいいわね。
あなた、(ワラタヨとかは使わないの?
私とにかく半角カナが好きなの。水泳ファンでもなんでもないわ。
どうでもいいことね。失礼したわ。
68ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 20:48
>>66
そうよ。でも少し違うわ。
>「無宗教の人間には自己犠牲はできない」という傲慢さを……
のくだりは私の意見を超えてるわね。そこまでは思っていないの。
ただね、自己犠牲の美徳っていう、ある意味誰にも否定できないものとキリスト教を、
これぞとばかり結びつけるところがなんだか小賢しい感じがして嫌なの。
で、このことはキリスト教を「愛の宗教」とも思わないというところにもかかってくるの。
というのも、神父とかシスターとか、カトリックに限った話じゃないと思うけど、
そういう連中が称揚してる「慈善主義」みたいのは、別にキリスト教徒じゃなくても十分できることで、
あんなの社会に居場所を持つための方便みたいなものよ。むしろそうであって欲しいわ。
確かに聖書の章句のうち、慈善行為につながるような部分はあると思うわ。
でも、福音書に見るイエスの行動は既存の形骸化した道徳に対する暴力闘争よ。
私はそこを「本来のキリスト教」と言ったの。別に宗派云々の知識は私には乏しいの。
で、イエスの切実さは暴力闘争にこそ読み取れるものよ。
でも連中や三浦綾子は世間受けする下らない道徳話にキリスト教を貶めてるじゃない。
そこも含めて『塩狩峠』にがっかりということよ。
69吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 20:54
>>67
女の子らしいといってくれてアリガト。でも63も私なの。女の子らしい???
(ワラタヨ は初めて知ったよ。これから使おうかな。
70ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 21:09
>>69
あら、>>63もあなただったのね。全然わからなかったわ。
あなたも何かHN名乗りなさいよ。
そうすれば、あなたの書き込み見たときに、「あのF葉の子ね。」と思って私も楽しいわ。
ところで、
>ここには他者への思いやりのみがあり,何の見返りも求めないその行動は
>人間であるゆえの行為なのである。
ここに共感よ。自己犠牲は宗教に還元できる話題じゃないわよ。
71吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 21:17
三浦綾子がキリスト教でなかったら、塩狩峠はできなかった
7235:2001/08/16(木) 21:29
>>68
なるほど、なるほど。
>既存の形骸化した道徳に対する暴力闘争
ですか。キリスト教に対する見方が広がったような気がします。
しかし、どうしてイエスは既存の道徳に対して闘争したのでしょうか?
イエスの考え方と、当時の宗教の考え方が相容れなかったからですよね。
イエスは闘争のための闘争をしたかったわけではないと思うんです。
既存の宗教は、イエスから見るとどうしてもまちがったものとしか思えなかったからこそ、
闘ったんだと思うんです。
当時の道徳がイエスの主張、考え方どおりのものであれば闘争は起こらなかった。
私が知りたいのは、そのイエスの主張、考え方の内容なんです。
>>68さんは、「本来のキリスト教」を、
>既存の形骸化した道徳に対する暴力闘争
と言いましたね。キリスト教ってそんな攻撃的な部分に本質があるんでしょうか?
73ピーター・ファンデンホーヘンバント:2001/08/16(木) 21:44
>>72
いいレスだわね。
けど、暴力闘争云々は私が福音書を読んで勝手に持った感想だから、
あんまりつっこまれても私が困るだけで生産性ないかもしれないわ。
だから、
>攻撃的な部分に本質があるんでしょうか?
に対する解答はあなたが聖書なりを読んで考えてみるといいと思うわよ。
ごめんなさいね。
でも、闘争のための闘争といわれてみると、そういう側面もあるように思うわ。
当時の道徳というより、抑圧に対する闘争みたいな。
私ももうすこし意見をまとめてみるわね。
74吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 23:54
>>64
事故死=偶然
自殺=必然

その程度では
75:2001/08/17(金) 02:10
僕には話の内容がいよいよ理解できなくなってきました。
76ヴィヴアナ・デュランテ:2001/08/17(金) 02:42
>>1
とりあえず、お読みなさいな。
話はそれからだって。
ごめん,一通りは読んだのね。
このスレは自己犠牲と宗教の話になりつつあるけれど,読書感想文なんて
1さんが思った通りでいいと思うよ。
「童貞のままで死んだのがかわいそう」ていうのが本当に素直な感想なら
そこを詰めて行くのもありじゃないかな、と思う。
なぜ童貞のままで死ぬとかわいそうなのか?にも理由があるはずだよね。例えば
・子孫を残せなくなったから
・性的快感というものを知ることなく死んだから
・性的行為が性的快感以上の意味をもつことをしることなしに死んだから
等。
そうしたらそれをもっとつめたらいかが?
例えば
性的快感を知ることなく死んだから,なら
性的快感とは極めて本能的で低次の欲求だけど彼はより高次の社会的欲求(ひねくれるが)
自己実現欲求のために,低次の欲求を超えたんだ,とかはどうかしら?

好き勝手なこといったけど,1さんの素直な感想を否定することは誰にもできないんだから
このスレをみながらも,自分の感想を発展させていったらどうかなと思う。
応援してます。
781:2001/08/22(水) 10:33
>>ヴィヴィアナ
ありがとうありがとう。性的欲求が低次元な問題で
ノブオのしたことが高尚だとは思わないのだけれど。
しかし本当にありがとう。ボク頑張る。短い夏は終わっただよ
79吾輩は名無しである:2001/08/22(水) 11:58
>>1
わしなんかまーだ本すらも決まってないのに・・・
(一応安部公房の「箱男」で行こうと思っとるけど)
上手いことやりやがってこのやろー。
80吾輩は名無しである:01/09/01 00:06 ID:n13Dkpbg
>>1よ、夏休みが終わったぞ。

>>29で、1は次のように発言している。

>夏休みおわりごろに、できあがったものを書きますので
>評価していただけるでしょうか?

だから感想文アプしろよ。
81吾輩は名無しである
1召還age